ノート:アンチヒーロー/文案1
アンチヒーローは、典型的なヒーロー(英雄)の型から逸脱しているが、ヒーロー同様に扱われる人物である。主人公自身がアンチヒーローとなる場合も、敵役がアンチヒーローとなる場合もある。後者の場合は強烈な個性から主人公よりも共感を得たり、人気が出ることもある。
概要
[編集]常識的なヒーローの属性、たとえば「正しい」人であるとか、「強い人」であるとか、「美しい/外見的にカッコいい人」であるなどを部分的あるいは全面的に裏切る主人公、あるいは主要登場人物をアンチヒーローと呼ぶことがある。この記事ではどのような人物がアンチヒーローと見なされてきたかを例をあげて説明するが、アンチヒーローについては明確な定義が見出されておらず「癖の強い主人公/登場人物」とアンチヒーローの境界は曖昧であり、読者や視聴者の主観に拠るところが大きいことには留意されたい。
「正しくない」ヒーロー
[編集]物語の世界において、多くのヒーローは倫理的に優れている「よい」人物として語られるが、倫理的に正しくない行動をとるヒーローもまた数多く造形されてきた。それが極端な場合にアンチヒーローと呼ばれるものと考えられる。
たとえば、大きな目標のために手段を選ばないという主人公類型が存在し、これは歴史上の人物に仮託されることも多い。『三国志演義』で天下の奸雄として描かれた曹操は、しばしばこのタイプの残忍な英雄として描かれてきたし、日本の戦国時代にあって全国統一事業を進めた織田信長はその残忍・激烈な性格も併せて描かれることが多い。イタリア統一のために権謀術数を駆使したとされるチェーザレ・ボルジアなどもこの例に該当する。アニメなどでは例えば『機動戦士ガンダム』のシャア・アズナブル以下、多くの類例をみることができる。
また、ピカレスク小説(悪漢小説)の分野では、多くの場合主人公は最初から犯罪者である。この流れは、犯罪小説やフランスのシネ・ノワールやアメリカのギャング映画などでも同様であり、多くのアンチ・ヒーローを生んできた。また、日本でもヤクザ映画(たとえば『仁義なき戦い』シリーズ)、バイオレンス小説(たとえば大藪春彦の作品群)などで窃盗や暴力や殺人などの犯罪に手を染めるヒーローが物語られてきた。これは遡れば盗賊集団を主人公に据えた歌舞伎の『白波五人男』などを先例と見なすことができるかもしれない。このようなタイプのヒーローは、ダーティーヒーローもしくはダークヒーローと呼ばれることがある。
これらのヒーローたちが犯罪に至る理由は様々である。仲間の裏切、非情な掟や社会からの冷遇(漫画『子連れ狼』の拝一刀親子)、復讐の為(小説・映画『復讐するは我にあり』の榎津巌)、愛する者のために悪行に手を染めた(『スターウォーズ』シリーズのダースベイダーことアナキン・スカイウォーカー)、職業として(漫画『ゴルゴ13』のデューク東郷)などである。本人の性格的な問題から組織をはみ出して法を逸脱する例もある(映画『ダーティハリー』のキャラハン刑事)。
こうしたヒーローは評判を呼んだ実際の犯罪者がモデルにされているケースも少なくない。例えば、上記の『白波五人男』は江戸時代に起きた捕物がモデルであるし、『仁義なき戦い』も原作はノンフィクション小説である。アメリカでのカップル銀行強盗犯のボニーとクライドは『俺たちに明日はない』で映画化された。『大列車強盗』も実際の犯罪が評判を呼び、国外逃亡先でテレビ出演までした主犯が人気者になったことで映画化されたケースである。 義賊ともてはやされた鼠小僧のように、ある条件が合致した場合には法を犯した犯罪者をヒーローとみなす庶民感情がそこに介在していると考えられる。つまり、国家や「お上」からみれば犯罪者であっても庶民の味方であるという存在である。たとえば漫画『クロサギ』の黒崎は詐欺師だけをターゲットに詐欺を行い、TVドラマ『必殺仕置人』をはじめとする「必殺シリーズ」も表の社会で裁けない悪人を非合法に成敗する。
こうした反逆的ヒーローに対する庶民の共感はプロレスのギミックにもよく利用されている。たとえば新日本プロレスの蝶野正洋は、体制(会社)の方針に異を唱えて対立するキャラクターを演じ、タイトルマッチに関する反対を表明する。アメリカンプロレスでも、WWEのスティーブ・オースチンがこうしたキャラクターを演じている。
なお、「自らに課した掟(コード)にのみ忠実で、法的・社会的規則は無視する」という人物をアーネスト・ヘミングウェイはコードヒーローと呼んでおり(en:code_hero)、反逆的ヒーローの一類型としてその呼称が用いられることがある。
「美しくない」「強くない」ヒーロー
[編集]物語の世界において、多くのヒーローは外観的にも優れていて、肉体的にも強い人物として語られるが、それを裏切るヒーローもまた少なからず造形されてきた。
風采の上がらない主人公としては、TVドラマの『刑事コロンボ』や横溝正史の探偵小説に出てくる金田一耕助などがあげられる。また、ヒーローの出自を魔物や妖怪などに設定する場合もあり、漫画の『デビルマン』等、禍々しい外見が描かれている。外観についての極北を行く主人公としては、エレファントマンことジョゼフ・メリックなどが居るが、こうした類例をアンチヒーローと呼ぶかどうかは議論が分かれるところである。
弱くて臆病なヒーローの例もあり、『新世紀エヴァンゲリオン』の碇シンジなどが該当する。こうした類例もアンチヒーローと呼ぶかは議論が分かれる。
パロディでヒーロー像を逸脱させた例もある。『ニッポン無責任時代』から始まる植木等主演の映画「無責任男」シリーズはお気楽な性格だけが取り柄の主人公が追従とお世辞を繰り返しながら大活躍する物語であり、異色のヒーローぶりを発揮している。
アンチヒーローとは異なるもの
[編集]「普段は駄目人間だが副業としての裏の顔は凄腕」という物語は、たとえばTVシリーズ『必殺仕置人』を初めとして数多いが、これは『スーパーマン』と同様に変身ヒーローの一種と考えられる。ただし裏稼業が非合法的なものであれば、その点ではアンチヒーローとみなせるかもしれない。アメリカン・コミックの登場人物である「デアデビル」ことマット・マードックや、バットマンが該当する。
また、物語の開始時点では駄目人間だったが物語の進行とともにヒーローぶりを発揮していくのは成長物語の一典型である。ファンタジーなどでも普通の少年や虚弱な少年が異界でヒーローになるという物語が多く見られるが(『ナルニア国物語』、『はてしない物語』など)、通常はそれらの少年を指してアンチヒーローとは呼ばない。ほとんどの場合、彼らは内面的あるいは外面的成長を遂げて異界から帰還するために、これも成長物語に属する。
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