ノート:イスラームにおけるイーサー
この「イスラームにおけるイーサー」は、下記のような選考・審査を経て良質な記事に選出されています。さらなる加筆と改善によって、秀逸な記事となるような編集を歓迎します。 |
日付 | 選考・審査 | 結果 | |
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1. | 2009年5月20日 | 月間強化記事賞 | 受賞・良質な記事自動選出 |
ウィキプロジェクト イスラーム | (記事品質: 良質な記事クラス、重要度・高に指定されています。) | ||||||||||
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項目名について
[編集]「イスラム教におけるイエス」の方がよくないですか? イエスをキリスト(救世主)と認識するのはキリスト教の世界観なのであって、イスラム教ではイエスは預言者の一人と位置づけられているはずです。--sergei 2009年4月11日 (土) 09:47 (UTC)
とりあえず、翻訳依頼のページにあった項目名のまま、翻訳を始めています。本文には、イスラム教がイエスを「油を注がれたもの」と認識していたような記述があります。もっとも、メシアの定義がキリスト教とは異なるようなのですが。私は大した知識があるわけではないので、詳しい方々の判断を仰ぎます。--antique1967 2009年4月11日 (土) 12:17 (UTC)
- 漢字変換ミスを訂正しました。--antique1967 2009年4月12日 (日) 07:48 (UTC)
- 関連する項目をいくつか見てみました。イエス・キリスト#イスラム教におけるイエスやメシアによるとイスラム教ではイエスをメシアと認めているものの、イスラム教におけるメシアの概念はキリスト教におけるキリストの概念とは異なっている、ということのようです。キリストには「非キリスト教徒がイエスを指してキリストと呼ぶ事は本来は誤りである」とあり、救世主にはイスラム教徒は「イエスを救世主と認めていない」と書いてあります。他言語版の項目タイトルも私の理解できる範囲ではキリストに相当する語は含まれていないようです。私も大した知識があるわけではないのですが、やはりキリストという言葉はこの項目のタイトルには含めない方がいいように思います。--sergei 2009年4月11日 (土) 13:44 (UTC)
- この分野に関して無学ですが感想を。日本人的発想(キリスト教信者が比較的少ない)ではイエス=Yes,Noのイエスと感じてしまいます。したがって、「イスラム教におけるイエス」では、イスラム教における同意の語義解釈についての記事なのか?と。イエスを宗教者と分かりやすくするのであれば「イスラム教におけるイエス・キリストの位置づけ」または「イスラム教におけるイエス (救世主)」などはどうかなとも思います。--Qoop 2009年4月11日 (土) 14:10 (UTC)
コメント依頼に提出しておきましたのでご報告します。
(以下Qoopさんへのレス)えーと、イスラム教徒がイエスのことをキリストとは認識していないのだとすると、キリストの語を項目名に含めることは中立的な観点に反する可能性が高いということを理解した上でのご発言でしょうか? 「イエス (救世主)」というのは救世主にイスラム教徒は「イエスを救世主と認めていない」と書いてあることにはっきりと矛盾するように思われますがいかがでしょうか? イエスが英単語のyesと紛らわしいというのであればイスラムでの呼称に則って「イーサー」とか「マルヤムの子イーサー」とする方法もあります。まあ私としては一般的な日本語読解能力のある人なら「イスラム教におけるイエス」という名称から英単語を思い浮かべることは普通はないと思いますが。--sergei 2009年4月11日 (土) 14:55 (UTC)
- Sergei様 仰っていることはよく分かります。私にはパッと見こういう印象があったという感想です。こういう見方もあるのだと留めおき下さいませ。なお、イスラム教徒・キリスト教徒間において中立性・正確性を担保することは、色々な、ん?がありますので、とても大事ですが『記事の題名は、まず何よりも「日本語話者の大多数にとって、最も曖昧でなく、最も理解しやすいもの」』という文言が記事名の付け方の序文にあることもご理解下さい。まあ3年も修士課程に通った私は一般的にはちょっとへそ曲がりであったということでしょう。--Qoop 2009年4月11日 (土) 15:53 (UTC)
- コメント現行記事名には賛成でも反対でも無いのですが(当記事の「議決」に参加するほどの役割をウィキペディア執筆者としての自身に見出しておりませんので…)、一言。
- >日本人的発想(キリスト教信者が比較的少ない)ではイエス=Yes,Noのイエスと感じてしまいます。
- 「イスラム教における預言者イエス」という表現などを用いれば、Qoopさんの御懸念は回避出来るかと思います。まあしかしそもそもですね、「イスラム教における預言者イーサー」の方がいいような気もするのですが…ギリシャ語・ラテン語由来の表記ではなくアラビア語由来の転写の方が、イスラームには配慮した記事名だと思うのですけれどね。まあ、イスラーム関連記事の執筆者の方々の御意向を基本的に尊重したいと思っております。--Kliment A.K. 2009年4月11日 (土) 15:13 (UTC)少しコメントに修正を加えました。--Kliment A.K. 2009年4月11日 (土) 15:14 (UTC)
あまり問題ではないと思いますが、仮に「仏教におけるイエス・キリスト」という項目があったとしても誰も仏教で救世主と認識されているとは思わないのと同じでこの表記で「救世主と認識されてるいる」と解釈するのは存在しない表現を自分で追加してる行為だと思います。誤解を減らすために項目名に脚注として「イスラム教ではイエスはイエス・キリストとは言われないが、誤読回避のために表記した」のような表記を入れれば十分だと思います。--125.53.203.103 2009年4月13日 (月) 04:57 (UTC)
- キリストに「この呼称を使用するという事は自らがキリスト教徒であると告白するという事」とある通り、「この表記で『救世主と認識されてるいる』と解釈する」のは存在しない表現を私が追加したのではありません。「仮に『仏教におけるイエス・キリスト』という項目があったとして」、「仏教で救世主と認識されているとは思わない」のはよほど宗教的な事柄に対して無頓着な人ではないでしょうか? もしこのようなタイトルの論文が発表されたとしたら、私なら「仏教においてイエスが救世主として認識されてきた歴史がある」という新説が出現したものと理解しますし、Wikipediaにこのような項目を立てる人がいたとしたら、「そういう独自研究の発表はどこかよそでやって下さい」とお願いするでしょう。
イスラム教においてイエスがどのように認識されているか、というのはまさにこの項目が取り扱っている主題であるわけで、そのことについて誤解を与えかねないような項目タイトルを敢えて使用しなければならない必要が何かあるのでしょうか? イエスを英単語のyesと誤解させる可能性と、どちらがより深刻であるかはいうまでもないことだと思いますが。もしどうしても英単語のyesと誤解させる可能性を生じさせないようにしたいということであればKliment A.K.さんが提起されたように「イスラム教における預言者イエス」とする方法もありますし、アラビア語由来の転写を用いて「イーサー」としてもいいと思います。他言語版では「イスラム教におけるイエス」に相当する項目名を用いているものと、「イーサー」もしくは「マルヤムの息子イーサー」に相当する項目名を用いているものとが相半ばしているようです。尤も肝腎なアラビア語版でどうなっているのか私にはわからないのがもどかしいのですが…。
これまで史的イエスとかナザレのイエスが「イエス」表記で問題なく運用されてきたことを考えれば、この項目でも単に「イエス」で構わないと思うのですがいかがでしょうか。それともこの機会にこれらの項目名を見直すことにしますか? 尤も「史的イエス・キリスト」などというのはまさに噴飯もので、もしこんなタイトルの項目を立てている紙の百科事典があったとしたら、私ならその本一冊丸ごと信用できなくなりますけどね。--sergei 2009年4月13日 (月) 09:40 (UTC)
- コメント意見を変更させて頂きます。sergeiさんの御意見に説得力を感じました。本記事には改名が必要と考えます。--Kliment A.K. 2009年4月13日 (月) 13:10 (UTC)
- コメント 「イスラム教における預言者イエス」が分かりやすく比較的正確な表現でベストと思います。「イーサー」では大半の日本語話者には何のことやら分かりませんし、逆に「イーサー」という語を知っている人であれば、これがキリスト教で言う「イエス」のことだと分かるでしょうから。最近は日本語話者にもイスラーム教徒が増えてきているそうですから、彼らに配慮して「キリスト」の語を除くのにはそれなりに意味があるかと。--Freetrashbox 2009年4月14日 (火) 12:29 (UTC)
改名提案
[編集]同意のコメントもいただけましたので正式に改名を提案します。現在のところ以下の候補が挙がっています。
- イスラム教におけるイエス
- イスラム教における預言者イエス
- イーサー
- イスラム教におけるイエス・キリスト(現状維持)
私としては今のところ1.から3.までのうちならどれでもいいと考えています。イエスかイーサーかについては日本語話者のイスラム教徒による当事者団体が定めた公式表記のようなものがあるのかどうか、また日本のイスラム教の研究者がどのような呼称を用いているのか、などについて存じませんもので、どちらが適切なのかは判断しかねています。史的イエスの名称に如実に表れている通り、日本の歴史研究者がキリスト教信仰から離れて実証的な歴史研究の文脈でこの宗教家について言及する際にもイエスと表記していますので、(「キリスト」のつかない)イエスは宗教的には一応中立的な呼称と見なすことができると思います。
すでに再三述べました理由により、「キリスト」のついている現在の項目名の維持には反対します。 --以上の署名のないコメントは、Sergei semenovich(会話・投稿記録)さんが 2009年4月15日 (水) 12:55 (UTC) に投稿したものです。
- Sergei semenovichさんの署名を補わせていただきました。
- 賛成 改名に賛成します。具体的な改名先としては1番から3番であればどれでも構いませんが、「正式な呼称」の観点から「日本のイスラーム信者がどの表記を用いているか」が基準であるべきと思います。ただ残念ながら、私はこれについての調査能力を有しておりませんので、取り敢えずは「1番か
ら3番2番であればどれでもどちらでも構わない」旨、表明しておきます。--Kliment A.K. 2009年4月15日 (水) 14:46 (UTC)賛成意見修正--Kliment A.K. 2009年4月17日 (金) 02:40 (UTC)
- コメント この記事のアラビア語版「المسيح في الإسلام」は逐語訳すれば「イスラムにおけるメシア」(イスラム教では「イエス = メシア ≠ 救世主」)ですが、「المسيح」は「مسيح」にリダイレクトされ、その言語間リンクはキリストになっているので、「イスラムにおけるキリスト」とも訳せそうです。「イスラム教ではイエスはキリストではない」と結論するのはまだ資料不足だと思います。「非キリスト教徒はイエスをキリストと呼べない」というのはキリスト教の立場からの主張であり、イスラム教は違う意見を持っていることもありえます。
- しかしこの記事には特に必要性がなく、簡潔に1.「イスラム教におけるイエス」でいいでしょう。yesについては、そのような記事が今後この記事名で作られる見込みはないので、考慮の必要はないと思います。
- ただ、3.「イーサー」のほうがより好ましいと思います。「イスラム教におけるイエス」(あるいはイエス・キリスト、預言者イエス)という、ウィキペディア以外では見られない表現はなるべく避けたいからです(実際にはこのような記事名は多数ありますが、基本的に、他に言い方がない場合です)。それに対し「イーサー」という表現はウィキペディア以外でも普通に見られるようです。ただ、日本語を使うイスラム研究者またはイスラム社会で一般的な表現が別にあるなら、話は変わってきます。
- 「イーサーでは何のことかわからない」というのは具体的なデメリットを引き起こすことはないと思います。このページにリンクが貼られるとしたら、意味がわかる文章の中に埋め込まれるでしょう(たとえば「[[イーサー]](イスラム教でのイエス)」「イエス(アラビア語では[[イーサー]])」)。他のイスラム教記事と比較しても、たとえば五行のそれぞれの記事は、「信仰告白」や「イスラム教における信仰告白」のような記事名ではなく、「シャハーダ」のようなわかりにくい記事名になっていますが、特に問題にはなっていないようです。--Latice 2009年4月16日 (木) 20:38 (UTC)
- コメントLaticeさんが以下の点でお間違えでいらっしゃるようなので補足させて頂きます。
- >「非キリスト教徒はイエスをキリストと呼べない」というのはキリスト教の立場からの主張であり
- キリスト教徒も「異教徒はイエスをキリストとは呼べない」とは主張はしていません。但し「信者でも無い方がイイスス(イエス)にハリストス(キリスト)という尊称を使われるのは、ありがたい事はありがたいんですが、お宅はそれで宜しいんですか?」とキリスト教徒の立場からは述べる事になるでしょう。--Kliment A.K. 2009年4月17日 (金) 01:44 (UTC)
- コメント私とした事が大事な事を失念しておりました(汗)。単なる「イーサー」への改名には反対します。「イスラム教におけるイーサー」などならば勿論構いませんが。
- と申しますのは、アラビア語を使うかなり古い伝統的教会がシリア・レバノンなどに分布しているからです。アンティオキア総主教庁(正教会・非カルケドン派の両方)などがこれに該当します。「イエス」も「イーサー」も人名です(そもそも「イエス」・「イーサー」・ヨシュアは、同じ系統の人名です)。一例を挙げれば、日本正教会訳ではヨシュア記はイイスス・ナウィンの記と称されています(日本正教会ではイエスをイイススと呼びます)。従いまして、「イエス」と言えばナザレのイエス、イーサーと言えばイスラームのイエス、という図式は成り立ちません。
- 合意が頂ければ、「イーサー」を「イエス」にリダイレクトさせて、各言語の表記を加筆し、これにアラビア語表記であるイーサーもリストアップしたいと考えております。--Kliment A.K. 2009年4月17日 (金) 02:40 (UTC)
- コメント今確認しましたところ、「イーサー」は既に曖昧さ回避になっているのですね。記事「イーサー」については曖昧さ回避記事としての維持を主張します。--Kliment A.K. 2009年4月17日 (金) 02:42 (UTC)
ご意見ありがとうございます(署名忘れ失礼しました)。イスラム教信仰の文脈においてイエスをキリストと呼ぶことがもしかしたら妥当である可能性が否定はできないとしても、少なくとも確実に妥当であるとは全く言えない現在の状況ではやはりキリストの語は外した方がよいということで合意が得られていると考えてよろしいでしょうか。
イーサーが必ずしもイスラム教徒による呼称とは限定できないという事情は理解しました。ただ、イーサーという呼称を用いるイスラム教徒とキリスト教徒の人口比を比較した場合、私は正確な数値は知りませんがおそらく前者の方が圧倒的に多いと思われます。ですので本項を括弧無しの「イーサー」にして、キリスト教徒によっても用いられることがある旨を本文中に注記するという方法もあり得るのではないかと思います。例えば冒頭定義文を次のように記述するというのはいかがでしょうか。
'''イーサー'''とは[[ユダヤ人]]男性名の[[アラビア語]]に由来する転記である。[[ギリシア語]]由来の転記であるイエス、イイススに相当する。特に[[ナザレのイエス]]を指す。アラビア語話者が多数を占める[[イスラム教]]徒の間で広く用いられ、[[アンティオキア総主教庁]]など一部の[[キリスト教]]会でも使用されている。本項ではイスラム教における[[預言者]]としてのイーサーについて記述する。
あらためて現在の候補を次のように整理してみます。必要であればさらにつけ足して下さい。--sergei 2009年4月17日 (金) 09:45 (UTC)
- イスラム教におけるイエス
- イスラームにおける預言者イエス
- イーサー
- 冒頭定義部の記述の仕方に注意する必要あり
- イスラム教におけるイーサー
- イーサー (イスラム教の預言者)
- イスラームにおける預言者イーサー
- イスラームにおけるイーサー
追加&修正しました。--Kliment A.K. 2009年4月18日 (土) 03:00 (UTC)
コメントPJイスラームより参りました。明石書店版『イスラーム世界事典』(2003)p.80に、「イエス」のことが書いてあります。イスラーム神学の主題は、タウヒード(イスラームにおける<一化>の原理)であることから、イエスは、ムハンマドと同様に預言者として取り扱う形になるのですが、アラビア語を主軸に考えれば、「イスラームにおけるイーサー」が一番いいのではないでしょうか。冒頭部分の修正が大変ですけど。--Tantal 2009年4月18日 (土) 00:25 (UTC)
- コメントせっかく「イーサー」が曖昧さ回避になっているので、アラビア語を使用するキリスト教を無視してまでこれをイスラーム限定の記事に変更する必要は無いと思います。アラビア語を使用するキリスト教の教会組織としては、正教会アンティオキア総主教庁はレバノンでは無視出来ない勢力です(例:シャルル・ダッバス)。また、マロン派(東方典礼カトリック教会)もアラビア語を使用していますが、これは議席配分で揉めるほどに、より無視出来ない勢力です。
- 今まで出ている案の中では「イスラム教におけるイエス」「イスラームにおける預言者イエス」「イスラム教におけるイーサー」「イーサー (イスラム教の預言者)」「イスラームにおける預言者イーサー」「イスラームにおけるイーサー」のいずれでも、私は構わないと思います。--Kliment A.K. 2009年4月18日 (土) 03:00 (UTC)
ご意見ありがとうございました。イスラームかイスラム教かというのは私にはとても判断しかねる問題ですが、PJイスラームではイスラームを推奨しているのであればそれを尊重します。これまでに寄せられた皆様のご意見を総合すると、現在のところ「イスラームにおけるイーサー」が最も議論参加者の総意に近い候補といえるのではないか、と思います。引き続きご意見がございましたらお寄せ下さい。--sergei 2009年4月20日 (月) 09:27 (UTC)
- コメント 「イーサー」については阿修羅とアスラのような扱いをイメージしていました。ここでは、仏教とヒンドゥー教の違いが漢語とサンスクリットの違いで表されています。ですがイエスとイーサーについては付随的な問題が多いので、「イーサー」に反対の方がおられるのなら強くは推しません。
- ただ、この記事の対象はイエスキリストと同一人物なので、「イーサー (イスラム教の預言者)」のような曖昧さ回避には適さないと思います。
- そのほかは、あえて○×をつければ、「預言者は要らないだろう」「イスラームの等をつけるならイエスでいいだろう」と思いますが、いずれも反対ではありません。--Latice 2009年4月20日 (月) 12:53 (UTC)
提案から一週間が経ちました。もう後数日待って異論が出なければ「イスラームにおけるイーサー」に改名したいと思います。ご意見のある方はお早めにお願いします。--sergei 2009年4月22日 (水) 09:45 (UTC)
報告 改名を実施致しました。議論にご参加いただいた皆様に感謝します。元の項目名はリダイレクトの削除依頼に提出しておきました。一応提案者の責任として改名に伴う修正を行っておきましたが、冒頭定義文の書き方などに問題がないか査読の上、必要であれば適宜修正していただけると助かります。--sergei 2009年4月25日 (土) 09:54 (UTC)
sergeiさん、改名お疲れ様でした。--Kliment A.K. 2009年4月27日 (月) 09:57 (UTC)