ノート:エドマンド・アシリング

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(主に)キエフ亡命時の記述に関して質問があります[編集]

(以下便宜上「キエフ」表記で話を進めます)

こんにちは。キエフ・ルーシリューリク朝(本文における「ヤロスラフ公」まわり)を編集しているノフノフといいます。よろしければいくつか教えていただきたいことがあります。よろしくお願いします。

まず、以下の部分です。

  • 1)エドマンド・エドワード兄弟は、Gardorika(キエフの別名[27])にたどり着いた時には既に12歳ほどであり、ある程度成長していたと記録されている[28]。
  • 2)13世紀中ごろに編纂された年代記には、彼らがキエフに滞在したとする記録が一切記載されていないものの、
  • 3)のちに編纂されたロシアの年代記には彼らの亡命生活に関する記録が残されている[29]。

というように、一次史料の記述をまとめた部分があるのですが、これらが具体的に何なのかは分かりますでしょうか。

特に2)ですが、まず英語版に「A mid thirteenth-century letopis (chronicle) records…」とあり、「letopis」=レートピシですので、キエフ・ルーシ圏内で書かれた年代記のいずれかだとは思います。ただ、そうだとすると、『原初年代記』(12世紀初頭編纂)、『イパーチー年代記』(1292年までの記述あり)、『ガーリチ・ヴォルィーニ年代記(en:Galician–Volhynian Chronicle)』(1292年までの記述あり)、『ラヴレンチー年代記』(1305年までの記述あり)など、キエフ・ルーシの主要な年代記に該当しそうなものがない(これらの編纂時期は13世紀中ごろではない)のが気になりました。もしかすると『ラジヴィウ年代記』(1206年までの記述あり)の原本か、『ノヴゴロド第一年代記』の原本を13世紀半ばの編纂とみなし、これらを指しているのかもしれませんが、だとするとなぜ『原初年代記』などを差し置いてこれらを調査対象にしたのか? というかそもそも、ルーシで13世紀半ばというとモンゴルのルーシ侵攻がまず思い浮かぶのですが、そんな時期に年代記なんか編集してる余裕があるものなのか? と思わなくもないです。「13世紀中ごろに編纂された年代記」とは具体的に何なのかが確認できないものでしょうか。

1)3)は取り合っていただかなくてもかまわないのですが、一応述べさせていただきますと、

1)ですが、まずスカンディナヴィアサガには「Garðaríki(ガルダリキ)」という、本文中の「Gardorika」とよく似た呼称があるものの、これは現ロシア北部、もしくはキエフ・ルーシ全体を指すようです。ではキエフをGardorikaと呼ぶ「記録」とは、いつのどこの史料なのかというのが気になりました。これはエドマンド・エドワード兄弟のころの、現在でいうとイギリスの年代記か何かなのでしょうか。

3)は、「のち」の「ロシアの」年代記というのが既にあいまいで、調べようがないだろうとも思うのですが、これも具体的に何という年代記なのかがわかると、(ルーシ史、ロシア史的には)面白いだろうなと思います。2)の13世紀中ごろの年代記にはなかった記述が後世に表れるというのは、「国外で書かれた1)のような記録と、国内で書かれた2)を統合した年代記」が存在するということなのか、もしくは「2)に所収されなかった史料が現存しており、これが活用された後世の年代記」が存在するのか、というのは興味深いところです。特に後者ならば史料的価値も高そうです。まあ「2)に後世の創作が挿入された年代記」、という可能性もあるのでしょうが…。

そして、記述箇所が少し飛びますが、

  • 4)エドマンド・エドワード兄弟は、ヤロスラフ公が自身の西方政策を推進させるにあたって非常に有用な駒であったとされる[31]。

とありますが、この記事における、ヤロスラフの「西方政策」とは、何に関する政策で、そこに兄弟をどのように利用(「駒」というほどなので利用ですよね…)しようとしたのか、というのを、もう少し詳しく解説していただけませんでしょうか。一応私も推測してみたのですが、2つの分野のうちどちらだろう、という二択状態になっております。(また、その内容によっては、「西方政策」という表現を別のものに置き換えた方がよりわかりやすい記事になるような気がします。)

以上4点になります。現在、良質な記事の選考の対象になっていることは存じておりますが、Wikipedia:良質な記事/良質な記事の選考で上記のような質問をするのは場違いではなかと、且つ、エドマンドという人物記事においては些末事項かと思いましたので、こちらにコメントさせていただきました。選考が終わってお時間のあるときにでも、ご教授いただければと思います。--ノフノフ会話2024年2月15日 (木) 20:26 (UTC)[返信]

ご存知の通り、当記事は私が一から編纂した訳ではなく、英語版からの全編翻訳版記事となっております。ノフノフ様の詳細な内容面でのご質問につきましては、私が自信を持って回答できそうにありません。なので、ただいま英語版の方で仲介的に質問をさせていただいております。
尚、英語版エドマンド・アシリングを立項なさった方は数年前からウィキペディアに現れていないようで、回答が得られるまで少し時間がかかってしまう可能性が高そうです。ウィキペディア内の質問掲示板等を探して、そこでも同様の質問を聞いてみようかとは考えております…
回答が返ってくるまでお待ちいただけたら幸いです。
安息香酸会話2024年2月16日 (金) 04:10 (UTC)[返信]
お手数をおかけしましてすみません。「ウィキペディア内の質問掲示板等を探して」というのは日本語版でいう「井戸端」などで聞く、ということかと思いますが、特に急ぎませんし、en:Talk:Edmund Ætheling上に回答が上がるのを待つという形で十分です。また、この先、良質な記事の選考上で別件の加筆を求められるようでしたら、そちらの方の調査を優先なさってください。わざわざありがとうございます。--ノフノフ会話2024年2月16日 (金) 07:41 (UTC)[返信]
こんばんは。
先ほど、私が英語版井戸端で投稿した質問に回答が返ってきていました。まだ解読できていませんが、先にリンクを送付しておきます。[1]←これです。-安息香酸会話2024年2月16日 (金) 12:58 (UTC)[返信]
ありがとうございます。英語は大雑把にしか読めないので、私の読みが間違っている可能性があるのですが、なんかすごい壮大な西方政策がでてきましたね。これは予想外でしたしとても面白かったです。上にも書きましたが私は特に急ぎませんし、良質な記事の選考期間も十分にありますので、内容が把握できましたらお知らせください。私も(自分なりには)丁寧に読みなおしてみます。--ノフノフ会話2024年2月17日 (土) 01:02 (UTC)[返信]
安息香酸さん、en:Talk:Edmund Ætheling#Some questions about rough expressionsen:Talk:Edmund Ætheling#GA Reassessmentを見ていただけますでしょうか。どうやら英語版井戸端で紹介してもらったGabriel Ronay氏の著作について疑問が挙がっているようです。結論はまだわかりませんが、もしかすると、この資料、並びにこの資料を出典としている記述はあまりよろしくない、ということになるのかもしれません。
また、では日本語版ではどうするか、という点ですが、今は英語版でのGabriel Ronay氏の著述についての議論の行方を見守り、それに応じて判断、という流れが順当ではないかと、私としては思います。
いずれにせよ、上記の質問部分について、安息香酸さんが内容を把握・納得なさったのでしたら加筆をお勧めするつもり、そしてそれは良質な記事の選考にプラスに働くのではないかという見積もりだったのですが、結果的に余計なお節介だったかもしれません。申し訳ありません。--ノフノフ会話2024年2月18日 (日) 02:03 (UTC)[返信]
私も先ほど確認いたしました。
英語版での状況を考慮して、GA推薦への賛同を取り下げようと思います。
( まさか英語版で議論を呼ぶことになるとは思いもよりませんでした。鋭いご指摘ありがとうございました。 )
安息香酸会話2024年2月19日 (月) 05:10 (UTC)[返信]