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ノート:キリスト教と天皇(制)

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特筆性タグにつき

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キリスト教界の著名な牧師、指導者たちの議論で、キリスト教天皇制についてプロテスタントでは重大問題と認識されており、ここから様々議論が発生しています。一般紙にも取り上げられています。贖いの賜物についての議論もあります。りぼんのマンガ群など作品の他に出典のない小作品などいくらでもあるのに、特筆性タグが付けられるのは疑問です。--Evangelical 2010年4月28日 (水) 16:23 (UTC)[返信]

特筆性を示す出典があるのでしたら、個別の出典を記載願います。「一般紙にも取り上げられています」と言われるのでしたら、○○新聞の何年何月何日の何ページに書かれているのか示すほうが良いでしょう。このような論法は説得力もありませんし、何の論拠にもなりません。また、他の記事は○○だというのも何の論拠にもなりません。特筆性のタグを貼られたのですから、特筆性を示す出典等を粛々と示すだけで良いもの考えます。また、わたしはこの本がどのような特筆性があるか関心がないのでわかりませんので特筆性があるかというコメントに関しては差し控えます。--パウロ2003 2010年4月29日 (木) 15:12 (UTC)[返信]
新聞が何月何日号かは調べて付けますが、共同執筆者、対談者、発言者が、特筆性のある牧師、学者、キリスト教法律の専門家らです。日本の漫画作品一覧にはその作品自体以外に出典のないマンガが山ほどありますが、それすべてにもタグを付けてきたらどうでしょうか。これは冗談でも皮肉でもなく、「その作品自体以外に出典のない」本がwikiの他の項目において認められている理由を知りたいと思います。あるいは載せるべきではないというのなら、他の項目と無関係ではないはずです。--Evangelical 2010年4月29日 (木) 15:26 (UTC)[返信]
記事を載せるべきではないというような論議をしてるのではありません。「特筆性を欠いているおそれがある」というタグが貼られたのですから、それを払拭されるような出典を提示してくださいと言ってるまでのことなんですよ。タグを貼られた方も、特筆性がないから削除するべきだという事を主張されているのではないと思います。あくまで「特筆性を欠いているおそれがある」という事を懸念してタグを貼られたのだと思います。特筆性を示す出典を提示する、その責任は執筆者にあるのではないでしょうか?また、再度申し上げますが他の記事とこの記事は全く関係ございません。--パウロ2003 2010年4月29日 (木) 16:19 (UTC)[返信]
書籍の特筆性の基準を考えるにあたって、他の出版物であるマンガが関係ないといわれる理由が不明です。読者が圧倒的に多いマンガより、キリスト教書籍の基準をきびしくしようとする傾向に断固反対します。--Evangelical 2010年4月29日 (木) 16:27 (UTC)[返信]

(インデント戻す)特筆性の基準を考えているわけではありません。特筆性が欠けているおそれがあるというタグを付けられたのですから、粛々と特筆性を示す2次資料を提示してくださるようお勧めしているのです。Wikipediaは1次資料ではなく、2次資料において執筆することが推奨されております。--パウロ2003 2010年4月29日 (木) 16:35 (UTC)[返信]

基準があるから判断できます。判断には基準が必要です。--Evangelical 2010年4月29日 (木) 16:39 (UTC)[返信]

Wikipedia:特筆性 (書籍)という草案がございますので参考にしてください。--パウロ2003 2010年4月29日 (木) 17:06 (UTC)[返信]

それは当然読んでいますが、それなら日本の漫画作品一覧との整合性について誰か説明してください。--Evangelical 2010年4月29日 (木) 17:29 (UTC)[返信]
ノート:異端見分けハンドブックノート:ニューエイジムーブメントの危険でも同じ議論が行なわれているのでどこにつけようか迷いましたが・・・
とりあえず、「他にも特筆性の疑わしい記事がたくさんあるじゃないか」というのは「スピード違反の論理」などと呼ばれる典型的な詭弁の一種ですのでやめたほうがよろしいかと。他の記事に問題があればそれはそれで個別に審議されるべき事柄ですし、ひょっとしたら日本の漫画作品一覧の中の記事がある日大量に削除依頼に出されたりすることもあるかもしれないのだから、「他の記事」は特筆性の判断に対する何の根拠にもなりません。またWikipedia:特筆性以下が草案だと言っても、英語版では公式な方針として運用されているものであり、削除審議の場でも一定の判断のよりどころとなっています。「草案」というのはかならずしも「頭から無視してよい」ということを意味するわけではないと思います。
私自身はこの分野の書籍に関しては何も判断できませんが、この書籍がある媒体で論争の発端となったとか、著名な教育機関でテキストとして使われているとか、複数の媒体で書評が書かれた、というような特筆性を立証する情報源があるのであれば、パウロ2003さんの言われるとおり(お手数ですが)その点を記事内に書いていただければそれで済むのではないでしょうか。それは単に「特筆性」を立証するだけではなくて、例えば書評での第三者からの評価や批判などを本文中に書くことができれば、それは記事自体の質の向上にも繋がると思います。
なおWikipedia:特筆性 (書籍)の中にも書かれていますが、漫画などは一般の書籍とは若干性質の異なるものと見なされており、また漫画に関する特筆性の条項は未整備なようです。「特筆性の疑わしい漫画の記事が大量にある」ことを問題視されるのであれば、個別の記事に「特筆性」のタグを貼ってまわるというようなことではなく、まずWikipedia:ウィキプロジェクト 漫画などで漫画作品における特筆性の明確化を提言したほうがよいかと。--頭痛 2010年4月29日 (木) 18:24 (UTC)[返信]
クリスチャン新聞が報道している通り、討論会だけでも激論といえるもので、この本自体に賛否両論の論文と反響について載せられています。文中で触れたつもりだったのですがタグをつけられてしまいました。これは、月刊誌のハーザーを「論争の発端」とした天皇制についての論争、お茶の水クリスチャンセンターでの討論会や笹井の主張への激しい調子の反論が載せられています。またいのちのことば社の21世紀ブックレットシリーズでも、これに関連した論文が載せられています。天皇制とキリスト教については日本のキリスト教界において常に激しい論争の種になっているテーマです。このテーマについてのキリスト教関係の文献もあり、キリスト教と天皇制あるいは天皇制とキリスト教という項目の立項も考えています。--Evangelical 2010年4月29日 (木) 20:29 (UTC)[返信]
まず、御自身の会話ページで「英語版ウィキペディアと同様のレベル」をキリスト教関連記事の目標とされておいでなのに、今回の記事の特筆性について持ち出された事例が「日本の漫画記事の現行レベル」というのは如何なものかと思います。一方では英語版ウィキペディアを基準として日本語版の神学系スタブ記事を量産され、他方では日本語版の基準をもとにあまり知られていない一著書を執筆するというのでは、御自身にダブルスタンダードがあると言えるでしょう。
今回の場合、Category:日本の書籍Category:日本のキリスト教に分類されている事から特に問題となります。福音派系の書物ばかりが列挙され、超教派のカテゴリにおいて記事量のバランスが崩されていく事は大いに問題があります。
以下、妥協的解決案を申し上げます。正直言って削除をお願いしたい位なのですが、どうしてもとおっしゃるのならCategory:日本の福音派の書籍を作って(外国の書籍についてはCategory:福音派の書籍に分類して頂きたく)、その上で同様の記事は作成して頂けませんか。Category:日本の書籍Category:日本のキリスト教に挙げられるほどの特筆性は私には認められませんが、両カテゴリから外し、Category:日本の福音派の書籍に分類されるのであれば、特筆性タグを外してもよろしゅうございます。「日本の福音派の書籍」としての特筆性の判断は、私には出来ませんので。--Kinno Angel 2010年4月30日 (金) 00:05 (UTC)[返信]
それから「キリスト教と天皇制あるいは天皇制とキリスト教という項目の立項」には反対します。「ノンクリスチャン」と同じで、中立的な記事を作る労力が途轍もなく膨大になります。まして論争が加熱する分野につき、Evangelicalさんは本当に中立的で無難な事典的記事を作れる自信がおありですか?ホットで非中立的な書籍しか無い現状、私には到底不可能としか思えません。--Kinno Angel 2010年4月30日 (金) 05:26 (UTC)[返信]
Kinno Angelさんの言っていることは間違っています。カテゴリなどというものは現状出来ている記事を整理したり索引を作ったりする機能に過ぎないのですから、あるカテゴリ内で特定の宗派に関する記事が他の宗派の記事を圧倒してしまっている、というようなことはWikipedia:中立的な観点において別に問題とはされません。「特定の宗派の記事が多すぎてバランスが悪い」というようなことであれば単にその他の宗派の記事を増やすことによってそのバランスを取ろうとすべきであって、「特定の宗派の記事が多すぎるから減らそう/抑制しよう」などと考えることは、人類のあらゆる知識を包含することを目指す百科事典の精神に明確に反しています。
例えば、キリスト教に関する記事内で、ある特定の宗派にしか賛同されていない事柄であるにも関わらず、まるでどの宗派にも共通しているかのような書き方をされていたりしたらそれは中立性に問題があります。しかし、それが「特定の宗派にしか認められていない」ということが記事内にはっきりわかるように書かれているのであれば、その場合「この宗派の事柄だけ書かれているのはおかしい」と言ってその記述を消したり減らしたりするのではなく、原則的に他の宗派に関する記述を同程度補うことによって中立性を保つようにすべきであることは明らかです。もしKinno Angelさんが「他宗派には同程度の著名性の書籍記事が(まだ)ない」というような理由で「特筆性」のタグを記事に貼ったのであれば、それは明らかにタグの濫用であり、やめるべきです。
Evangelicalさんの言われている情報源について、『ハーザー』はこの『キリスト教と天皇(制)』の執筆者である笹井大庸氏自身が創刊・編集している媒体であるため、Wikipedia:特筆性が求めている「対象とは無関係な情報源」とは言えないようです。いのちのことば社やクリスチャン新聞については、笹井大庸氏と特に明確な利害関係などがなければ(例えば笹井氏が設立に関わっているなど)特筆性の根拠になるのではないでしょうか。この場合Wikipedia:信頼できる情報源であればよいので、媒体が同じ宗派である、というようなことは特に問題にならないはずです。
Category:日本の福音派の書籍のような細かいカテゴリをいきなり作るのはやめてください。その前にCategory:日本のキリスト教関連書籍を作るべきですし、さらにその前にCategory:日本の宗教書を作るべきです。カテゴリの構造上、先に細かい区分から作られては困ります。Category:日本のキリスト教についてはCategory:日本の福音派に移せばいいのでは? --頭痛 2010年4月30日 (金) 17:13 (UTC)[返信]
頭痛さんの御指摘は9割以上納得いくものでした。いまだ若干の異論を感じないではありませんが、こちらも疑問・考えがまとまっておりません。現時点で「納得・意見修正」とさせて頂き、特筆性タグを剥がさせて頂きます。さらに、まとまる程の異論・議論とは至っておりません状況では、今回の私のタグ使用につきタグの濫用に当たるものと認識を変えた事を申し上げ、これにつきお詫び申し上げます。
なお、特筆性タグの除去はあくまでタグ貼付をしました私の判断によるものであり、今一度特筆性の立証が必要とお考えの方が他にいらした場合、再度タグが貼付される事に対して反対するものではありません。
また、現時点で頭痛さんの御提案を受けてEvangelicalさんが実行されておいでのカテゴリ各種新設についてはこれを支持します(こちらは100%感覚的にも納得いくものです)。議論への参加された皆様に御指摘につき感謝申し上げます。--Kinno Angel 2010年5月1日 (土) 02:18 (UTC) 推敲中に削ってしまった部分を修正--Kinno Angel 2010年5月1日 (土) 02:20 (UTC)[返信]
こちらの項目には、出典が出ていますのでとりあえず良しということで・・・ほかの二点については出典が出ていませんので出典のタグまたは独自研究のタグを貼ることができるか検討します。--パウロ2003 2010年5月1日 (土) 03:18 (UTC)[返信]