ノート:シュタイナー教育
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批判・問題について
[編集]「批判・問題」節そのものはあっても良いとは思いますが、「誰が言っていることなのか」を明確にすべきであると思いましたので、可能な限り「誰が言っているのか」が明らかな形に改めました。また、出典に関しては、個人のブログよりも、例えば英国ヒューマニスト協会の発表したレポートなど、Wikipedia:信頼できる情報源に基づき選択して頂きたく思います・・・。--Rienzi(会話) 2015年10月26日 (月) 15:51 (UTC)
- レポートに目を通し次第、そちらも出典に追加するようにいたします。また麻しんのアウトブレイクの問題ですが、教育内容に対する批判とは全く別次元のことなので、節を一緒にしないようにしてください。内容についてはECDCの発表を厚生労働省検閲所が掲載している形なので、そのように修正しました。また内容についても大きな組織の正式な調査ですので、「~としている」という表現は修正しました。よろしくお願いします。--やまさきなつこ(会話) 2015年10月27日 (火) 13:00 (UTC)
- 「公衆衛生上の問題」という節名は、ちょっと「やりすぎ」の感があります。「シュタイナー教育」そのものよりも「シュタイナーの思想」を盲信して・・・というところからくる問題であると思いますが、現在のような書かれ方ですと「シュタイナー学校には公衆衛生上の問題がある」という風に読めてしまいます。(実際のところは、シュタイナーの思想を盲信してワクチン接種を受けない連中に問題があるわけで、学校そのものの問題かどうか・・・学校がアウトブレイクの始点になってしまったことは動かしがたい事実ですが)「公衆衛生上の問題」ではなく、やまさきなつこさんの当初の加筆での「ワクチン接種率が低いことによる問題」の方がまだ良いかと・・・。それから、冒頭部分への加筆についても、「中立」というより「批判」あるいは「非難」に傾いているように、私の目には映りますが、現時点ではこれ以上「シュタイナー関係」で波風を立てたくありませんので、
最小限の修正(句読点の位置など)に留めます。--Rienzi(会話) 2015年10月27日 (火) 13:24 (UTC) 一部取り消し。--Rienzi(会話) 2015年10月27日 (火) 13:45 (UTC)
- 「公衆衛生上の問題」という節名は、ちょっと「やりすぎ」の感があります。「シュタイナー教育」そのものよりも「シュタイナーの思想」を盲信して・・・というところからくる問題であると思いますが、現在のような書かれ方ですと「シュタイナー学校には公衆衛生上の問題がある」という風に読めてしまいます。(実際のところは、シュタイナーの思想を盲信してワクチン接種を受けない連中に問題があるわけで、学校そのものの問題かどうか・・・学校がアウトブレイクの始点になってしまったことは動かしがたい事実ですが)「公衆衛生上の問題」ではなく、やまさきなつこさんの当初の加筆での「ワクチン接種率が低いことによる問題」の方がまだ良いかと・・・。それから、冒頭部分への加筆についても、「中立」というより「批判」あるいは「非難」に傾いているように、私の目には映りますが、現時点ではこれ以上「シュタイナー関係」で波風を立てたくありませんので、
- 「ワクチン接種」というのが節タイトルがお嫌で節を消されたのかなと思ったので、ふわっとさせたつもりだったのですが。適当なタイトルにしてくださってかまいません。あと、評価されている点も書きたかったのですが、公開されている論文で適当なものがなかったので、現時点では批判の加筆が多くなってはいます。元々批判がほぼなかったので、加筆が多くなるのは仕方がないと思ってください。支持者の方には不快かもしれませんが、現実に批判があるのだから、それを書かなければ中立にはなりません。全体としてごく一部ですので。現時点では、魅力に関する点もちょっと弱いですね。人気があるようなので、良い点の記述が少ないというのも不思議ですが・・・--やまさきなつこ(会話) 2015年10月27日 (火) 13:37 (UTC)
- 節名に関しては、申し訳ないですが、こちらで改めさせて頂きます。評価されている点に関しても、出来る限り「シュタイナーの著作の翻訳」ではない文献でもって加筆して頂きたいと思います。批判的な記述があってはいけないとは思いませんが、「定義文」に続ける形で膨大に記載するのは不適切かと思いますので、現行の「シュタイナー教育#日本への紹介」節と組み合わせた上で、「日本への紹介と研究」という節名で、定義文の後に、通常の記事の「概要」節に代えて掲示させて頂きたく思います。「定義文」で「批判」にまで踏み込むことは、Wikipedia:中立的な観点に照らしてさすがにちょっと・・・という感じがいたします。また、「評価」に関しては、こちらでも探してみます。オンラインの情報だけでは限界がありそうですので、図書館に通って書籍をあたってみたいとおもいます。--Rienzi(会話) 2015年10月27日 (火) 13:45 (UTC)
- 報告 節構造を変更し、シュタイナー教育#日本への紹介・研究節を設けて記事冒頭に置きました。ただ、シュタイナー教育#批判・問題節に置いた方が良い記述が混ざっている感じもしますが、とりあえずの「応急処置」ということで、「場所を移して、研究者別に並べ替える」だけにしておきます。新宗教関連記事で「わかりにくい宣伝」「わかりにくい称揚」を見て来ている立場としても、「宣伝」「称揚」はよろしくないと思いますし、現在の記事にはまだ出典が足りない箇所が多いと思います・・・が、「批判的記述」に関しては、現在の文量からさらに大きくなると、さすがに記事としてのバランスが壊れてしまうと思っております。やまさきなつこさんも、ぜひ「批判」の観点だけでなく「評価」の観点や「教育理論に関するニュートラルな紹介」について加筆をお願いできればと思います。(肝心要の「教育理論や実践」に関する記述が、ちょっと出典が足りなさ過ぎると言うかなんというか・・・)--Rienzi(会話) 2015年10月27日 (火) 14:00 (UTC)
- 節名に関しては、申し訳ないですが、こちらで改めさせて頂きます。評価されている点に関しても、出来る限り「シュタイナーの著作の翻訳」ではない文献でもって加筆して頂きたいと思います。批判的な記述があってはいけないとは思いませんが、「定義文」に続ける形で膨大に記載するのは不適切かと思いますので、現行の「シュタイナー教育#日本への紹介」節と組み合わせた上で、「日本への紹介と研究」という節名で、定義文の後に、通常の記事の「概要」節に代えて掲示させて頂きたく思います。「定義文」で「批判」にまで踏み込むことは、Wikipedia:中立的な観点に照らしてさすがにちょっと・・・という感じがいたします。また、「評価」に関しては、こちらでも探してみます。オンラインの情報だけでは限界がありそうですので、図書館に通って書籍をあたってみたいとおもいます。--Rienzi(会話) 2015年10月27日 (火) 13:45 (UTC)
インデント戻します。Rienziさんの修正を拝見して、肯定的内容だけを残し批判をすべて冒頭から除去されていたので、とてもがっかりしました。わたしが加筆したユネスコに関する記述は残して、ほかをすべて除去・移動されていますよね。もしあくまで定義文としてのだとおっしゃるなら、ユネスコの記事も定義にはかかわりがないため、中に移動させるべきでした。そうであるなら、少なくとも定義としてはっきりさせるための移動だという主張を信じることもできたでしょう。冒頭は定義ではなく「要約」です。Wikipedia:スタイルマニュアル (導入部)には「導入部は、前置きであると同時に、それ自体で完結したひとつの記事であるべきです。第1文で主題を定義し、続いて別名や間違いやすい事柄に触れ、前後関係や注目に値する理由を説明し、そして最も重要な点—あらゆる著名な論争も要約することが推奨されます。」とあります。Rienziさんの修正は、このガイドラインに沿っているのでしょうか?わたしも細かいことをかきすぎたかもしれませんが、あまりに不公平な整理だと申し上げざるを得ません。非常に残念です。--やまさきなつこ(会話) 2015年10月27日 (火) 14:09 (UTC)
- やまさきなつこさんのお気持ちを傷つけてしまったことをお詫び申し上げます。ご指摘に従い、「ユネスコ関連」「学校数増加」については、それぞれ別の場所に移しました。Wikipedia:スタイルマニュアル (導入部)に照らして考えた場合、「著名な論争(というか主張)」のうち、「一方」だけが膨大に書かれていたのは、
正直に申し上げて「書き過ぎ」であり、あまりよろしくありませんでしたが、私の記事整理もまた、よろしくありませんでした。大変失礼いたしました。--Rienzi(会話) 2015年10月27日 (火) 14:21 (UTC) 一部取り消し線。私自身が「批判的」あるいは「批判的ととれる記述」に対して過敏になっていたと思います・・・。やまさきなつこさんはご存知かもしれませんが「ヴァルドルフ学校」という、「批判・告発一色の記事」が過去に存在したこともありまして、ちょっと感覚が「研ぎ澄まされすぎていた」というかなんというか・・・色々と申し訳ありませんでした。「ヴァルドルフ学校」の一件以来、「人智学」や「アントロポゾフィー」に対する距離感と「シュタイナー教育/シュタイナー学校」に対する距離感とが違って来ていたのだと思います。この「シュタイナー教育」の記事への関与はちょっと小休止し、改めて、ノート:アントロポゾフィーのほうで改名統合に向けたご相談をさせていただきたく思います。--Rienzi(会話) 2015年10月27日 (火) 15:12 (UTC) 誤字修正--Rienzi(会話) 2015年10月27日 (火) 22:19 (UTC)- わたしはオルタナティブ系・スピリチュアル系の記事を修正して回っているのですが(批判を消したり、堂々と宣伝している人もいるので)、もめるものも少なくないので、こんな些細なことでは傷ついたりしないですよ。ご安心ください(笑)批判が載っていたという過去の版を確認しましたが、良くないやり方でしたね。しかし、シュタイナー教育がシュタイナーの霊視のヴィジョンに基づく世界理解や転生論をベースにしていることは事実ですので(シュタイナー教育関係者にとってシュタイナーの霊能力は疑問の余地もないかもしれませんが、一般的にはそうではありません)、それを宗教・オカルトだと感じたり、批判する人は必ず一定数出ます。(特にアメリカははそういう点には敏感なので)シュタイナー教育を受け続けている人にとっては、もちろんいい教育なので、批判に対して「迫害だ!」と拒絶する人も多いようですが、それでは議論が硬直してしまいますし、外部に閉鎖的な印象を与えます。おそらく批判に回る人は、シュタイナー教育にかかわって嫌な思いをした人も含まれていると思いますが、理想的なイメージが広まっているせいで、過度に期待が高まり、想像と違う場合に余計に失望が深くなることがあるように見えました。その点でも、記事に多様な情報が必要だと思っています。予防接種についても、当事者が知らなければ第二のアウトブレイクが防げません。知っていれば、学級閉鎖を早めるなど、対応がとられるでしょう。
- 私の説明が悪かったのですが、冒頭からユネスコの情報を削除してほしかったのではなく、全体の要約になるよう、特徴、広がり、評価、批判と、全体的に説明することが必要だとお伝えしたつもりでした。全体を読者が把握しやすくするためにも、そのような形がより良いと思います。シュタイナー教育をとてもお好きでいらっしゃることはよくわかりますので、改善するためにお互い頑張りましょう。--やまさきなつこ(会話) 2015年10月28日 (水) 10:01 (UTC)
- 返信 (やまさきなつこさん宛) お返事頂きありがとうございます。私自身は、シュタイナー教育の「実践」そのものには興味関心を持っていますが、背景にある「シュタイナー独自の世界観」にはあまり関心がありません。とはいえ、あくまで例え話ですが「新宗教系の学校だ」とか「カルト系の学校だ」とネット上なんかで言われているのは「あぁさすがにそれはちょっと・・・」とは思いますね。「導入部」に関してですが、どうもこちらで思い違いがあったようで、すみません。現時点の文量と内容がおそらく「称揚も批判もない」という意味での「ニュートラルなもの」だと個人的には思いますが、一方で、「特徴、広がり、評価、批判を併せ持つ全体的な要約」であるかと言われれば「・・・」という感じですね。ウィキペディアで「シュタイナー教育」について調べる人は、おそらく、この記事で初めて「シュタイナー教育」について知るのだろう、ということを考えると、導入部の文章量と内容は(導入部をほぼ丸ごと移動した本人が言うのも何ですが)もう少しあった方が良いかもしれません。読者への配慮、ということを考えると、この時点の版と、現在の版の「ちょうど中間の文量」くらいが良いのかもしれないと個人的には思います。(シュタイナー関係の書籍を手にとる人は、既に「最低限知っている」人だと思いますし・・・)あるいは、導入部をそのままに、なるべくシンプルに全体的、全世界的な「特徴、広がり、評価、批判」を含めた「概要」節を設けても良いかもしれません。それから、記事本文には当面大きく手を入れるつもりはありませんでしたが、現時点でもなお「無出典」のままのシュタイナー教育#ヴァルドルフ学校設立の経緯、シュタイナー教育#教育理論の特徴、シュタイナー教育#教育実践の特徴については、どうにか使えそうな出典(イザラ書房、ほんの木、などのいわゆる「シュタイナー業界寄り」の出版社ではないところから出ているもの)を見つけてまいりましたので、後ほど、文章の修正は最小限に留めつつ、脚注を付けたいと思います。--Rienzi(会話) 2015年10月28日 (水) 11:22 (UTC) 微修正。--Rienzi(会話) 2015年10月28日 (水) 11:34 (UTC)
- 冒頭最低限の説明だけ追加しています。--やまさきなつこ(会話) 2015年10月28日 (水) 12:22 (UTC)
- やまさきなつこさん、冒頭部分への加筆ありがとうございます。簡潔で、かつ、わかりやすい解説を書き加えてくださったことで、読者にとっても「あぁ、こういうものなんだ」ということが伝わりやすくなったと感じました。--Rienzi(会話) 2015年10月28日 (水) 12:25 (UTC)
- 冒頭最低限の説明だけ追加しています。--やまさきなつこ(会話) 2015年10月28日 (水) 12:22 (UTC)
インデント戻します。辞典の定義なども参考にできればよかったですが、とりあえずはという感じですね。構成はちょっと散漫なので、そこは整理したほうがいいと思います。ちなみにドイツ語版はこのようになっていました。
- 歴史
- 設立と1933年まで
- ナチス時代
- 戦後
- 理論
- スピリチュアリズムと全体論
- 基礎としての人智学
- 実際
- 方法論、教育法
- 基本原則
- 授業、クラス
- カリキュラム
- 成果と評価
- 教員教育
- 組織と法的背景
- 商標
- 組織形態
- ドイツでの法的地位
- 学年
- 論争
- 改革教育レセプション(?)
- イデオロギーへの批判
- 人種差別疑惑
- 文献
- 人智学の書籍
- 教育科学論争の書籍
- 他の重要な文献
参考にすればだいぶすっきりすると思います。--やまさきなつこ(会話) 2015年10月29日 (木) 12:09 (UTC)
- やまさきなつこさん、年表のほうを整理してくださってありがとうございました。英語版、あるいはドイツ語版からの翻訳を以前このノートで提案したこともあったのですが、当時の語学力では厳しい(いや、今現在でもちょっと・・・)と思い手つかずのままになっています。ドイツ語版の節構造を参考にしつつ、「節の順序の入れ替えと整理」をやってみるのもアリですね。『新教育学大事典』の「シュタイナーの学校」の項目、実は「定義」というより「用語説明」で始まっているんです・・・。「これこれこういうものである」という内容ではなくて、現在のシュタイナー教育#名称についてを2行くらいに集約したものみたいな内容で、そのあといきなり「0歳から21歳までの魂の・・・」と来てしまうので、ちょっと定義文の補完には使えそうにありませんでした・・・。--Rienzi(会話) 2015年10月29日 (木) 12:31 (UTC)
シュタイナー教育批判ですが、現在は各個の意見を書いています。ある程度網羅できたと思いますので、これ以上追加はしません。削れないかと思いましたが、特に重複はないように思います。ただ、長くなりすぎていますので、シュタイナー教育に関する論争を客観的に総括する資料があったら、わかりやすく整理して削っていただいて構いません。また年表にあるテレビ番組の件ですが、これって本当なのでしょうか?検索してみましたが、ほかの年に似た番組はありましたが、該当の番組が見当たりませんでした。--やまさきなつこ(会話) 2015年12月23日 (水) 14:30 (UTC)
- まずは、加筆お疲れさまです。「シュタイナー教育を客観的に総括する資料」がないか探してみます。内容的にはともかく、文量的にはちょっと「多いなぁ」と感じますので・・・。(素朴な感想なのですが、福田直子さんの「記事」だけ、他の先生方の「研究」「見解」と比べてちょっと異質な感じがします)ドイツのテレビ番組の件は、どうも微妙に情報を曲げて書かれているようでしたので、一旦カットさせて頂きました。(というか、その「隠れ極右思想」云々って、例の利用者:Rightpiano(会話 / 投稿記録 / 記録)氏が書いた内容なんです)--Rienzi(会話) 2015年12月24日 (木) 01:21 (UTC)
- 私が自分の観点で要点をピックアップすると独自研究になってしまうので、整理が難しいですね。分量は確かに多すぎますが、評価が錯綜しているので、説明が削りにくいというのはあります。包括的な状況整理のレポートは、今はまだないかもしれません。教育大学の紀要などにあるかもしれません。福田さんの記事ですが、極端な失敗例の本だとは思いますが(まさに「エセ人智学への教育」ですね)、現地の本ですし、雁屋氏の高評価との対象をなすものとしてもあった方がいいと思いますし、ここを省くと、たまたまこういった例を知った人が、「シュタイナー教育は本当はひどいんだ。カルトなんだ!私が真実を知らしめなきゃ!」と思い編集合戦がまた起こる可能性があると思います。ドイツのテレビ番組の情報は、ソースはどこなんでしょうね?復帰させる場合、あの一文だけだと意味がつかみにくいので、経緯もあった方がいいと思います。--やまさきなつこ(会話) 2015年12月24日 (木) 10:00 (UTC)
- 衛藤さんから子安さんまで、相当研究と評価の内容は異なるので、確かに整理は難しいですね。福田さんのケースは、やはりちょっと「極端過ぎだ・・・」とは思いますが、まぁ、Rightpiano氏のケースのように「反シュタイナー」丸出しで「非中立的な告発」をやられるくらいならまだマシかな、とも思います。ドイツのテレビ番組の件、こちらでもちょっと調べてみますが、無理に年表に含めるよりも、それこそ「論争」節に書いた方がバランス的に良いのかもしれません。なお、「文量」についてですが、これはこの記事に限らず、私個人が考え、可能な範囲で実践していることですけれども「オフラインの情報源の場合は、その本をすぐに手にとれない人のことを考慮して少し詳しく書き、オンラインで参照可能なものについては、詳しい内容はその参照先に譲り、スリムな記述にする」というものがあります。今回加筆して頂いた箇所については、幸い、研究機関の方でネット公開しているものも多いので、「要点」の選び方さえ間違わなければ、記事の読者のほうで実際の出典を参照可能ですし、「独自研究」というほどの問題は起きないのではないかと思いますね・・・。--Rienzi(会話) 2015年12月24日 (木) 13:44 (UTC)
- 私が自分の観点で要点をピックアップすると独自研究になってしまうので、整理が難しいですね。分量は確かに多すぎますが、評価が錯綜しているので、説明が削りにくいというのはあります。包括的な状況整理のレポートは、今はまだないかもしれません。教育大学の紀要などにあるかもしれません。福田さんの記事ですが、極端な失敗例の本だとは思いますが(まさに「エセ人智学への教育」ですね)、現地の本ですし、雁屋氏の高評価との対象をなすものとしてもあった方がいいと思いますし、ここを省くと、たまたまこういった例を知った人が、「シュタイナー教育は本当はひどいんだ。カルトなんだ!私が真実を知らしめなきゃ!」と思い編集合戦がまた起こる可能性があると思います。ドイツのテレビ番組の情報は、ソースはどこなんでしょうね?復帰させる場合、あの一文だけだと意味がつかみにくいので、経緯もあった方がいいと思います。--やまさきなつこ(会話) 2015年12月24日 (木) 10:00 (UTC)
- それほど分量を減らせていないかもしれませんが、一応整理してみました。整理して気が付きましたが、人智学の教育者から肯定的意見がないですね。子安さんがそれに当たるのかもしれません。個人的には、アメリカの裁判の話も、もう少し簡素化していいのではと思います。例のテレビ番組は、無理して探さなければないなら、重要な話ではないと思われるので、あったら補足という程度でいいと思います。特に大きな影響があったという典拠がないなら、年表には必要ないでしょう。--やまさきなつこ(会話) 2015年12月26日 (土) 10:41 (UTC)
- 整理して頂きありがとうございます。(特に、ワクチン接種に関する話題は現在の文量が適切であると感じます)人智学関係で「肯定的立場」の教育者・学者となると、子安美知子氏をおいて他にいないのが現状かと思います。(あまり、肩書きで人を区別すべきではないかもしれませんが、シュタイナー教育業界の人間で、「学者」として大学で教壇に立っていたのは子安氏くらいです。シュタイナー教育業界的には大村祐子氏、鳥山敏子氏、鳥山雅代氏など、「大御所」とも言える人物がいますが、こういった方々はあくまで「シュタイナー学校を立ち上げた」というだけで、「学者」としての肩書きはありませんから、そういう人達の本は出典として使いにくいのかな、とも思っているところです)とりあえず、肯定的意見については、今現在こちらで参照できる文献をあたってみたいと思います。アメリカの裁判の件も、おっしゃる通りもっと簡素化しても良いかと思います。テレビ番組の件については、先日私の方でカットさせて頂きましたが、当面このまま、でいきましょうか・・・。--Rienzi(会話) 2015年12月26日 (土) 13:05 (UTC)
- それほど分量を減らせていないかもしれませんが、一応整理してみました。整理して気が付きましたが、人智学の教育者から肯定的意見がないですね。子安さんがそれに当たるのかもしれません。個人的には、アメリカの裁判の話も、もう少し簡素化していいのではと思います。例のテレビ番組は、無理して探さなければないなら、重要な話ではないと思われるので、あったら補足という程度でいいと思います。特に大きな影響があったという典拠がないなら、年表には必要ないでしょう。--やまさきなつこ(会話) 2015年12月26日 (土) 10:41 (UTC)
インデント戻します。ゲーテアヌム直属ではない学者(ハルム・パッシェン)の論述を元に、「人智学的立場からの見解」を「論争」節に加筆しました。「否定的見解」とのバランスを取るため、時間はかかりますが資料集めをして引き続き加筆を行ないたいと思います。・・・それから、改めて読み返していて思ったのですが、「シュタイナー教育#教師の質について」はざっくり言ってしまうと「ネットの口コミ」に過ぎず、衛藤氏、遠藤氏、前原氏などの教育学者の見解と並べるのは適当でない感じがします。「教師の質について」は、差し支えなければ、より高次の出典(学者の見解)が見つかるまで、除去としたいのですがいかがでしょうか・・・?--Rienzi(会話) 2015年12月31日 (木) 08:47 (UTC)
衛藤氏の論文を読み返し、「教育科学的立場」「科学性を不問とし教育実践を重視する、プラグマティックな立場」「人智学に科学性を認める立場」それぞれのありようについて加筆しました。「教育科学的立場」以外の「学者の見解」について書く事で、少しでも節の内容を「ニュートラル」に出来れば・・・との思いで加筆をしましたが、結果的に文量が増えてしまっておりますので、スリム化を検討した方が良いのかもしれません・・・。--Rienzi(会話) 2015年12月31日 (木) 09:17 (UTC)
- Rienzi様、お疲れさまでした。とてもいい内容になっていると思います。スリム化できたらいいと思いますが、前提の話はどうしても長くなるので、なかなか難しいところではありますね。個人的には加筆いただいた現状で、各意見がうまくまとまっていると思います。教師の質についてはいったん非表示でよいと思います。
- 批判や論争とは関係がないのですが、歴史節でのナチス時代の話、教育全体に与えた影響(ネットで、ムチで子供をたたくような教育から、子供の人格を認める教育への転換の契機のひとつになったという話をちらっと見ました)、保護者の役割などが現時点で足りていません。緊急性の高いテーマではありませんが、ご存知の方は加筆いただければより良くなると思います。--やまさきなつこ(会話) 2016年1月2日 (土) 13:31 (UTC)