ノート:タイムトラベル
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多世界解釈
[編集]タイムパラドックスと矛盾にある多世界解釈。
エヴェレットの多世界解釈のページを見ても「物理的な相互作用が時間上にも及ぶ」というのは意味不明であり説明としておかしい。どこから出てきたのか?(タイムマシンにも同様な記述があるが、これも意味不明。)
補足にも書いたが、タイムパラドックス以前の問題。物理学では物体そのものをタイムトラベルさせると時間軸上で不連続点が生じ、物理法則に反する。情報を転送した場合でも、情報を記憶・消去するためにエントロピーが変化してしまうと考えるのが一般的(→マクスウェルの悪魔など)。多世界解釈にしても観測した時に収縮(可能性のない分岐を削除)する必要があることや相関が失われてはならないことが全く記載されていない。(実現するにはおそらく観測者がいないことが条件となるに違いない。)
このような手法で物理理論を「悪用」することは百科事典としてふさわしくないのではなかろうか?
--かねもとしゅうじ(会話) 2016年3月3日 (木) 21:17 (UTC)
- 「物理理論を『悪用』すること』と仰いますが、仮にそれが「悪用」でなくても、タイムトラベルに言及していない物理学の文献を出典としていれば(出典と編集との間に一編集者の推測や判断が介入していることになりますので)それはWikipediaの三大方針によって禁じられている独自研究に該当するでしょう。しかし、件の記述はそれ以前に「物理学の文献」すら出典として挙げられておりませんので、「独自研究」以前の問題ーすなわち三大方針の一つwikipedia:出典を明記するに抵触していることは明らかです。ということでTemplateを貼り付けておきました。--Taro Yokoji(会話) 2016年5月14日 (土) 12:41 (UTC)
過剰な要出典タグ
[編集]あまりに神経質、かつ異常なレベルの「要出典タグ」が付けられています。ここまで来ると、荒らしに近いと思うのですが……。要出典を出す前に、最低限でもいいので自分で調べれば、半分くらいは解消できるのではないでしょうか?
現状において、編集・閲覧に著しく支障をきたしていると判断します。記事全体については、上部にテンプレートで告知されていますので、ひとまず差し戻しをさせて頂ききます。部分的に必要と思われるのであれば、より必須と思われる個所を2~3に絞って、要出典タグをお使いください。 --119.148.211.66 2016年5月17日 (火) 03:01 (UTC)
- 要出典などのタグを貼りました利用者:Taro Yokojiと申します。まず、「要出典を出す前に、最低限でもいいので自分で調べれば、半分くらいは解消できるのではないでしょうか?」とありますが、私が図書館で幾つかの百科事典の「タイムトラベル」の項目を調べた程度では、本記事の出典になり得るような記述を見つけることが出来ませんでした。そもそも、Wikipedia三大方針の一つであるWikipedia:検証可能性によれば、出典を示す責任は掲載を希望する側にあるというのが鉄則であり、私が「最低限でもいいので自分で調べ」る必要すらないのです (私は休日にわざわざ図書館に足を運んで調べましたが)。つまり、本来出典を示さなければならないのは、第一に本記事の件の記述を最初に加筆した編集者であり、第二に要出典タグが貼られているのを見て「この記述は本記事にとって必要だから除去されるべきではない」と考えた編集者/読者であることをご理解して頂ければ幸いです。次に、「現状において、編集・閲覧に著しく支障をきたしていると判断します。」というご指摘ですが、私はむしろ出典のない不確かでWikipediaの記事として問題のある記述が「読者に取って読み易い」ことにも問題があると思います。Wikipediaの読者の中にはWikipediaが市販の百科事典と同様に専門家の査読を経て編集されているかのように誤解されている方も少なくないように思いますので、記述が (Wikipediaの方針やガイドラインと照らし合わせて) 明らかに問題があると判断される場合は、問題が明確に読者にも伝わるように注意喚起する必要があると考えております。というのも、仮にWikipediaの仕組みを知らない勉強熱心な小学生が本記事を読んで誤った科学や歴史の知識を身につけてしまうようなことがあれば、それは本記事が社会にとって有害であると言っても過言ではないでしょう。そういった悲劇を回避・軽減するためにも、慎重かつ神経質にタグを貼り付ける必要があると考えております。モバイル版の場合には記事や各節の冒頭のテンプレートが省略されてしまい、注意深い編集者ならともかく多くの読者の目に入らない可能性が高いことも考慮して頂ければ、私の編集の意図はご理解して頂けるでしょう。また、編集に支障を来すと仰いますが、編集していく上で、どの記述にどういった問題があるのかが明確でなければ、記事の改善に繋がるような編集は難しいと思います。実際、本記事はそういった編集者に対する注意喚起や意思疎通が不十分だったため、これまで無責任な (Wikipediaの方針に反した) 編集が繰り返されてきたのではないでしょうか。そう考えますと、私の編集は「編集に著しく支障をきたす」どころか、記事が改善されるために (十分ではありませんが) 必要なことであると考えております。これまでの杜撰な編集履歴が何よりの証左でしょう。先に引用した「検証可能性」の方針に「信頼できる情報源を欠く編集は、除去されるのもやむを得ません。」ともありますので、しばらく経っても出典が加筆されない記述は除去ないしコメントアウトするつもりですのでご理解よろしくお願いします (そうした方針に則った措置を行う上でもどの記述に問題があるかを明確化する必要があった訳です)。ちなみに私も関連しそうな文献を探してみますが、記事のテーマ上、体系的に調査ができるように文献はなさそうなので、あまりお力になれるとは思えません。やはり、最初に各記述を加筆なさった編集者の方が「何を見て書いたのか」思い出して加筆して頂くのが一番だと思いますし、出典がなく憶測や噂だけで書いた記述であればそれはすぐさま除去すべきでしょう。ご理解とご協力よろしくお願いします。--Taro Yokoji(会話) 2016年5月17日 (火) 06:11 (UTC)
- たしかに、出典を出すのは執筆者の責任ですが、「どの程度に出典が必要とされるか」は主観によります。一般常識の範囲については、出典は必要とされません。仮に一文ごとに出典が必要となれば、出典だらけで閲覧困難になりますよ。
- また、ここまで過剰な出典タグを付ける必要性があるとは、私には思えません。全体に必要とされるのであれば、上部にテンプレートを付ければ充分です。反論がある以上は、周囲の賛同を得てから行ってください。よって、いったん差し戻しをさせて頂きます。
- あと、他人にコメントを見てもらいたいなら、適度に改行をしてください。こちらも多忙な中で編集していますので、ダラダラと書かれている文章では、見る気が失せます。出典タグだらけの記事も同様に、視聴・編集を阻害する行為です。今後は、お控えくださいませ。--119.148.211.66 2016年5月18日 (水) 13:23 (UTC)
- 119.148.211.66氏は以前にも「常識の範囲」というお言葉を使われていますが、自分と意見や作法の異なる(ましてやネット上の顔すら知らない人間に対して)「常識の範囲で行動してください」と命令されていますが、それは、「あなたは非常識ですよ」という以外の情報を含んでないことを理解しましょう。なぜなら、相手はそれが常識(の範囲内)だと思って行動しているからであり、また、あなたの中の常識が一体どのような基準に従ったものなのか一切示されていないからです。まず、相手の行動に対して何かしら命令をされたいのであれば、具体的に何がどういった基準と照らし合わせて問題なのかを明示するべきでしょう。ただ単に「あっこの人自分の価値観に背く行動をしてる。自分の価値観(氏の言葉では「常識」)通りに行動して欲しいな」といった思考では相手は納得してくれないのです。せめて、あなたの中の常識がどのような基準に従っているのか明記してください。それから、(1)タグやテンプレートを除去したいのであれば一つ伺いたいのですが、(あなたが差し戻した状態の)記事冒頭にテンプレートが貼ってあるだけの状況で記事が改善するとお考えですか(まさか現状の記述に一切問題がないとも思っていますまい)。あなたの言動を見ていますと記事を改善する意思があるようには思えないのです。(2)改行の件ですが、以前ネット上のあるブログのコメント欄に投稿した際、「お前はコメント欄で改行しているが閲覧媒体によっては改行は非常に迷惑だ。長文の論説ならともかく、ブログのコメント如きで改行するなんて常識が成ってない。」といった趣旨のご指摘を頂いてからこうした短文の投稿ではなるべく改行しないよう心掛けております。実際この程度の文量ならば書物などではひと段落内に収まっていることも少なくないと思いますので、これで「見る気が失せる」のであればそれは読解力や集中力の問題だと思います。(3)最後に一つお願いがあるのですが、仮にWikipediaでまともに編集・議論する意思がおありでしたら匿名利用者としてではなくアカウントをお作りになって頂けませんか?色々と不便です。--Taro Yokoji(会話) 2016年5月18日 (水) 13:58 (UTC)
- 横から失礼 Taro Yokojiさんが無期限ブロックされましたので、ちょっと横から。「(ウィキペディア上に於いて)出典なき文章を読者向けに提示している状態を放置しておいて良い方針はない」という一点については119.148.211.66さんと同意は得られると思うんですよ。そこで「要出典だらけで見づらい」という争点について妥協案ですが、 案「とりあえず文末出典のない文章についてはいったん本文中から除去し、こちらのノートへ固定版リンクを保存、適時出典を得たものを出典付きで書き戻す」という手法はどうでしょう? 要出典テンプレートが大量に貼付される直前の版は 版番59541588 になります。現状でも約1週間程度様子を見て、出典が求められなかった文章は公式方針WP:Vに従い、一旦本文から除去すること致し方なしと思います。◆矛盾だらけで従う必要性に個人的に著しく疑問を抱いていても、方針は方針として厳然とそこに存在するのですから、ここウィキペディア上で活動する以上はその点を突かれたら反論する余地はないと思うんですよね。他所のウィキペディア外の過疎ペディアならいくらでも経験知識に従って常識的に自由に書けるのですが。--Nami-ja(凪海) (会話 / 履歴) 2016年5月18日 (水) 17:16 (UTC)
時間移動の起源
[編集]時間移動の起源については、宇宙SFは二世紀のルキアノス「本当の話」までさかのぼってるらしいですから、時間SFの起源も古代ギリシャのソフォクレス「オイディプス王」にまでさかのぼったらどうですか。予言という情報が時間を移動するSFとしては小説の形になってるものでは最古でしょう。タイムパラドクスもハインラインの「時の門」と同じ着想が「オイディプス王」には見られるわけですし。ただし、予言についての言及だけなら、もっと過去までさかのぼれるかもしれません。--以上の署名のないコメントは、バンパー(会話・投稿記録)さんが 2016年6月15日 (水) 06:02 (UTC) に投稿したものです(Nami-ja(凪海) (会話 / 履歴)による付記)。
イマヌエル・カントの「純粋理性批判」(1781年)に神は全能なので、過去にも未来にもいけて歴史をやり直せるという概念が書いてあることを明記してはどうですか。--バンパー(会話) 2018年2月4日 (日) 14:05 (UTC)