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ノート:ニコライ堂

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「東京新名所」について

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文中に「東京新名所に選ばれた」という記述がありますが、そもそも「東京新名所」というのは、どこかの機関や特定の誰かに選出されるものなのですか? そうであるなら、出典や定義などを教えて下さい。また、もし違うのであれば、表現を修正する、あるいは削除をしたほうが良いと思います。--Sapphire123 2007年10月8日 (月) 06:44 (UTC)[返信]

「新東京名所」の誤記ですね。こちらを参照--219.180.111.58 2007年10月8日 (月) 07:12 (UTC)[返信]

コメントありがとうございます。上記のアマゾンのサイトを見ました。質問なのですが、明治22年創刊のグラフィック誌『風俗画報』において、ニコライ堂が「新東京名所」に選ばれたという解釈で良いのでしょうか?問題なければ、そのように文章を修正したいと思いますが。--Sapphire123 2007年10月8日 (月) 08:28 (UTC)[返信]

そうです。『新撰東京名所図絵』第23編 神田區之部 下巻之2(「風俗画報」臨時増刊号 通号第203号)です。こちらのものです。書誌をあちこちで調べてみたのですが、発行年月日が検索できませんでした。ちなみに月2回発行(臨時増刊号の頻度は不明)の雑誌で、手元にある「本郷区之部(其の三)第358号」は1907(M40)年11月25日の発行です。「風俗画報」は書誌が非常に面倒なので、通号の表示が半ば慣例化しているようです。--219.180.111.58 2007年10月8日 (月) 09:05 (UTC)[返信]
『日本近代文学大事典第五巻』講談社、1977年、344頁を見たら「増刊」は39冊で、1908(M41)年4月4日に始まっていました。「新東京名所」の開始はこれからですので、この年月日の表示が適当かと存じます。ダラダラと簡潔でなくすみません。--219.180.111.58 2007年10月8日 (月) 09:13 (UTC)[返信]
よく見たら年月日が矛盾していました。「増刊」すなわち『新撰東京名所図絵』という先入観で書いてしまいました。前記09:13の投稿は、無視して下さい。--219.180.111.58 2007年10月8日 (月) 09:16 (UTC)[返信]

詳しく調べて頂き、ありがとうございました。すっきりしました。解説文を修正し、書誌情報については「出典」として追記しました。何か問題があれば、再度、修正をお願いいたします。--Sapphire123 2007年10月8日 (月) 15:45 (UTC)[返信]

たびたびすみません。図書館で現物(復刻版)を見たのですが、上記の号に当該記述を見いだすことができませんでした。『新撰東京名所図絵』 神田區之部 中巻(「風俗画報」臨時増刊号 通号第195号、1899年8月25日刊p28-31)にニコライ堂に関する詳述がございましたが、「新東京名所」に類する記述は見つかりませんでした。臨時増刊は変則的で、400冊からある雑誌からこの記述を見いだすのは困難です。他の方から出典の明示がなければ削除もやむを得ないかもしれません。CD-ROM版の復刻版の方なら検索手段があるのかもしれません。あるいは別の出典があるのかもしれません。当時は「新名所」みたいなものを選び出すブームがあったようです。--219.180.111.58 2007年10月9日 (火) 16:49 (UTC)[返信]

重ねて調べて頂き、ありがとうございます。『風俗画報』の通号195号、203号には、新東京名所としてのニコライ堂に関する記述がなかったのですね?インターネットで「ニコライ堂」と「風俗画報」をキーワードに検索すると、「図書の譜(明治大学図書館紀要No.3 蔵書の玉手箱」に「『風俗画報』を散策する」という文章があり、その5ページ目に「第193号(明治32年7月)と第195号(同32年8月)は臨時増刊「新撰東京名所図会」を編んで神田区特集を行っている」とありました。195号にニコライ堂の記述があるということは、193号にはないのでしょうか・・・。もし、 利用者:219.180.111.58さんのお時間が許すようであれば、193号についても確認していただければ幸いです。また、他の方からのコメントにも期待したいと思います。とりあえず、現時点では出典が確認できない状況なので、解説文の記述は元の「東京新名所」に戻し、要出典テンプレートを貼り付けました。--Sapphire123 2007年10月10日 (水) 05:03 (UTC)[返信]

節名変更等の修正・加筆

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Gd1031さん、大幅加筆をありがとうございます。さらに修正・加筆を行いました。具体的変更点とその理由は以下の通りです。

  • 「コンドルによる創建」「岡田信一郎による修復」を「創建」「大震災後の修復とその過程」に変更しました。
    • 建築史での術語を私は存じませんが、少なくとも教会では設計者・建築監督の名のみを以て聖堂の創建・修復の主体とすることはありません。教衆・建築関係者、何よりもまず神と教会にその名が帰せられます。教会関連文献との整合性も考慮する必要があるでしょう。
    • 追加しました出典にもあります通り、創建時のシチュールポフの原設計がどれほど当初の大聖堂に寄与しているか不明である以上、「シチュールポフ、コンドルによる創建」とすることが出来る蓋然性は消滅しておりません。建築史の面から言っても、コンドルのみに名を帰するのは早計ではないかと思われます。
  • 建築面の歴史だけでなく、教会としての歴史も書き加えました。さらに教会としての歴史も加筆する予定です。建築面の歴史と教会としての歴史を分けようかとも思ったのですが、却って煩雑になる事が予想された上に、通史的・総合的な視点を損なうデメリットしか無いように思われたためです。--Kliment A.K. 2009年8月5日 (水) 07:48 (UTC)[返信]

岡田信一郎関連の要検証タグにつき

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利用者‐会話:Kinno Angelに御返事を書いておきました。現在調査中ですが、場合によっては削除に賛成することも有り得ます。--Kinno Angel会話2013年8月13日 (火) 15:09 (UTC)[返信]

根拠が不明なようですので削除します(ノート:岡田信一郎参照)。 --忠太会話2014年11月7日 (金) 14:58 (UTC)[返信]
こちらの削除がまだだったんですね。気付きませんで申し訳ありません。削除に異議ありません。忠太さん、ありがとうございます。--Kinno Angel会話2014年11月7日 (金) 15:11 (UTC)[返信]