ノート:ヌーディズム/ログ4

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お願い

基本方針が守られない場合はWikipedia:コメント依頼が提出されることがありますのでご注意ください。

「Wikipedia:議論が白熱しても冷静に」には呼び捨て禁止の文章は一切ありませんが、何故にこれを根拠にコメント依頼を濫発しようとするのでしょうか。私を子供扱いしたことに今尚全面謝罪しない人、性欲はヌーディズムに欠かせないと主張するフランス在住の人間を無批判に賞賛する人、私と「議論」でウィキペディアのありようについての意見を戦わせずIPブロック処分で議論を封じ込める独裁志向の管理人などを呼び捨てにしましたが、彼らが謝罪をきちんとするなら「氏」ぐらいはつけてあげてもいいと思っているよ。--おやんず 2006年2月6日 (月) 02:07 (UTC)
これまでの議論

依頼に基づき保護の解除を行いました。KMT 2006年1月28日 (土) 00:35 (UTC)

外部リンクの選択基準[編集]

まずは保護が解除されたところで、次に最優先にすべきは、リンク掲載の基準を如何にするかの合意形成のはずです。合意形成をしないのであれば、皆が合意無しで勝手に書き換える昔の状態に逆戻りになりますから。私の提案である「所在地が明らかにされている団体・個人のサイトに限定する」についてはシンプルで特段問題の少ない案だと思っています。これについて代案はありますか?--おやんず 2006年1月28日 (土) 01:08 (UTC)

  • (代案)「団体サイトについては所在地・連絡先が明らかにされているものに限定する」・「個人サイトについては連絡先(メールフォームを含む)が明らかにされているものに限定する」
    • 個人サイトについて所在地条件をはずした理由:優れた個人サイトでも所在地が明記されていることは多くないため。個人が不用意に所在地を明らかにした場合、ネット上で個人情報をさらされたりストーカー被害にあったりする危険があります。そのため、これまでウィキペディアの外部リンクとして採用されている優れた個人サイトでも「所在地」を明記していないことは少なくないですし、それを条件に外部リンクに採用するかどうか議論した例は知りません。--miya 2006年1月28日 (土) 01:21 (UTC)補足2006年1月28日 (土) 01:30 (UTC)「(メールフォームを含む)」補足2006年1月28日 (土) 02:54 (UTC)
      • 単にメールアドレス程度の連絡先を明かしている程度では、その団体・人物が実社会で自分の文章に文責を果たすかどうかの確認が取れません。団体であろうと個人であろうとです。世の中には実体の無い住所を記載していたり、事務所はあっても他の団体の住所を勝手に利用していたり、そういうことで怪しい悪徳商法をしている例は多々あります。今掲載されているリンクの中にも、性商売目的のサイトであることが明らかであるものも既に指摘されており、そういうアングラサイトを「連絡先が書かれているから」程度で認定してしまっては、異論続出でしょう。ですのでこの代案に反対です。--おやんず 2006年1月28日 (土) 02:10 (UTC)
  • (コメント)指摘し忘れましたが、所在地・連絡先は必要条件であって重文条件にはなりえません。その条件を満たしたとしても、外部リンクとするに相応しいかは個々に検討する必要があります。でないと--miya 2006年1月28日 (土) 02:54 (UTC)
はて、「重文条件」などという業界用語かなんかを使っているようだけど、そんな日本語初めて聞くね。とにかくウィキペディアの管理人は「管理者と管理人は意味が違う」というような一般人の使う日本語では到底理解できないような極度の業界用語を持ち出すけど、そんな用語は一般社会では通用しないのでやめてもらえないかな。--おやんず 2006年1月31日 (火) 07:20 (UTC)
こんにちは、おやんずさん。横から失礼します。「重文条件」は、「必要条件」が出ているのですから、大人であれば、「十分条件」のタイプミスだと分かるはずです。議論内容と関係のない「当て擦り」の類はおやめください。また「管理人と管理者」の呼び分けは、日本語版ウィキペディアでは非常に重要なセンシティヴな問題で、そのように皮肉に使うのは、感心できません。--Maris stella 2006年1月31日 (火) 11:42 (UTC)
マリスは他人を子供扱いする無礼を平然とするんだね。こちらは当てこすりではなく、「重文条件」などという言葉が「充分条件」のタイプミスだと本気の本気で全く想像もできなかったんだって。そんなに簡単に推測できると主張するなら何故指摘される前に即座に訂正せんのだ。間違った落ち度を棚に上げて指摘した側を冒涜するのは直ちに止めるよう命ずる。そして「人」と「者」の漢字の使い分けを一般人の知識常識からかけ離れたけったいな論理で行って神学論争をぶつけるのはいい加減やめるよう要求する。一般人にとっては管理人も管理者も全く同じ意味にしかならないんであって、違いを出したいのなら漢和辞典を紐解いて国語として適切な用語を選択しなおすよう要求する。--おやんず 2006年2月1日 (水) 01:24 (UTC)
こんにちは、おやんず さん。そうでしたか。わたしの勘違いです。不適切な表現をお詫び致します。ただ、これは「子度扱い」しているのではありません。おやずんさんが、「重文条件とは何か? それは何のことか分からない」と書いた上で、もしわたしが、「それが十分条件のタイプミスと分からないのなら、子供だ」ともし書いている場合は、確かに「子供扱い」ということになりますが、「業界用語」とか決めつけておられるので、「当て擦り」と考えたものです。またもし「当て擦り」とわたしが考えたのでなければ、話の意味が通じません。そして「当て擦り」と考えていたということは、当然、「十分条件」のタイプミスと分かっていた上で、という判断ですから、決して「子供扱い」ではありません。
なお、一つだけ追加しますが、「業界用語」というのは、業界の外だと、何のことか分からない言葉で済みますが、業界のなかに入ると、知っておかねばならない言葉です。ウィキペディアで編集を行うのなら、ここの場所の比喩的な意味での「業界用語」について、おやずんさんは知っておく必要があるということはご理解願います。Tanuki Z さんが確か丁寧に説明されていたと思いますが、ウィキペディアには、「固有の慣習や指針がある」ということは、学んでいただくより仕方ないことです。みっちさんが、読まれますようにと紹介された文書類は、一通り目を通して戴きたく思います。また、「呼び捨てはやめてください」というのは、それが「ウィキペディアでの慣習・流儀」だからです(また、ウィキペディアでなくとも、一般世間で、他人を呼び捨てにするというのは推奨されていません)。--Maris stella 2006年2月2日 (木) 11:41 (UTC)
いいえ、明らかに子供扱いしてるって。「大人であれば(中略)分かるはずです。」と断定するならば、それは「分からないなら子供並みだ」とワンセットだろうが。これでもまだ子供扱いしてないと言い張るなら、お詫びしてるとは到底思えないね。当てこすりと捉えたこと自体も不愉快さを増幅させることであり、証明に使おうというならこちらは「居直り」と受け止めるだけだ。
業界用語の件も正当化しているつもりらしいが、全く押し付けがましくて理解不能だ。ウィキペディアで「ウィキペディア:管理者」の項目があっても「ウィキペディア:管理人」の項目も説明も無い。わざわざ「ウィキペディアの管理者であっても管理人ではない」というお決まりのコメントをあちこちのノートでつけるほどの意味の違いがそもそもどこにあるのか説明していないし出来るものでもないということだろう?「ウィキペディアの」という意味づけを外した「管理者」と「管理人」の項目に至っては、現時点の文章で比較した限り「一般的に施設や団体などを運営、経営する人」の部分は同一だ。これが一般常識としてもそう外れてはいないだろう。違っているのは「者」のほうに組織としての存在の場合を記しているだけであり、これだけの情報しか発信していないずぼらな管理人たちが私に「知っておく必要がある」などと学習の足りなさを指摘して言うのはおこがましいのではないか?権力を笠に着て思い上がっていて、説明責任を全く果たそうとしていない。私からの批判をIPブロック処分で拒絶した時も状況は同じ。それが今の管理人たちの実態である。--おやんず 2006年2月4日 (土) 01:05 (UTC)
回答拒否かな。以下のようなコメントはマリスの本音としてここに記述するべき内容でしょう。私のHPの掲示板や自身の掲示板で裸に性欲は不可分としつこく主張する「はだかんぼ」こと「Nudité d'Europe」氏を

user:Nudité d'Europe さんは十分お分かりと思いますが、ウィキペディアは 百科事典を造っているのであって、本流ヌーディズムの宣伝の場ではありませんし、 自分こそ本流だと自称する人のサイトへのリンクを外部リンクに入れることは、 特定の人の主張を宣伝していることにもなりかねません。現在、貼られている他の 二つのサイトも見てみましたが、「資料」価値があるとは思えません。 「ヌーディズム」で検索すると、こういうサイトはヒットします。だとすれば、 日本語サイトは、どのサイトを紹介しても、現在の状況では、偏りが出てくるとなり、 日本語サイトへのリンクはなしとするのが適切かとも思います。また、その旨、 合意を形成して、本文にその趣旨を書くのがよいのではないかとも個人的に思います (外部リンクはあくまで補助であって、本文が重要だとわたしは述べています。 どの外部リンクを貼るかで争うなら、日本語外部リンクはゼロが望ましいです)。

Oyanz 氏については、検索していると、ブロクがヒットし、ウィキペディアを誹謗し、 user:Miya, user:Tanuki Z, user:KMT の3氏を誹謗中傷している文章が出てきます。 客観的・中立的な百科事典の記事を造るための議論であるなら、歓迎されますが、 残念ですが、おやんずさんは、そのようにはとても見えません。フランス語版の記事翻訳、 頑張ってください。できあがるのを期待しております。--Maris stella 2006年2月4日 (土) 01:24 (UTC)

と持ち上げるマリスの意見の位置づけがはっきりします。マリスは自身とNudité d'Europe氏こそが客観的で中立的だと自負しているようだが、こういう思い込みがとても客観的で中立的とは思えないのは私だけだろうか。日本語版ウィキペディアのヌーディズムをフランス語版の翻訳に置き換えようとする試みが背景にあるかもしれないね。--おやんず 2006年2月5日 (日) 23:43 (UTC)
  • こんにちは。話がずれるのですが、おやんず さんには理解して戴きたいことなので説明します。「ウィキペディアの管理者」は、「ある限られた役割を持つ人たち=ユーザー」です。ウィキペディアには他に「ビューロクラット」とか「スチュワード」という役職(職ではないのですが)がありますが、これらも、ビューロクラットは普通は「官吏・官僚」ですが、そういう意味の役ではありません。では何なのかというのは、「何をする人・役割」かということが決められています。あることを行う役の人に色々な名を付けています。一般世間での言葉や意味とかなり違っているのです。--Maris stella 2006年2月4日 (土) 07:56 (UTC)
  • 「管理者」ですが、国語辞典を引いて出てくる「管理者」や「管理」の意味から想像すると、違って来ます。ウィキペディアの管理者は「何かを管理する人ではない」のです。適当な日本語の言葉がありません。「世話役」ではどうか、とか「調停者」ではどうか、と尋ねたことがありますが、「世話などしない・調停などしない」と複数の管理者が言っていました。管理者の「なすべき仕事」というのを考えて行くと、「それは何もない」という結論になります。「義務である仕事」は何もないので、ウィキペディアの状態にも原則「責任は負わない」のです。
  • 「ウィキペディアのユーザー」も、また「何も義務はない」というのが実状です。投稿や編集は、するもしないも自由です。まったく何の編集もしないでも、アカウント・ユーザーでいられます。ウィキペディアの管理者は、こういう「何をする義務もないが、気が赴けば編集などをするユーザー」の延長にあると考えると分かりやすくなります。ウィキペディアの管理者は、特別なコマンドを使うことができる点で、一般ユーザーと異なるのですが、「コマンドを使うことができる」ので、「使わねばならない」のではないというのが特徴です。編集するもしないも、一般ユーザーは自由と似て、コマンドを使うも使わないも、管理者は自由です。この場合、使わなければ、何も問題はなく、使うとなると、使い方はルールで決まっています。
  • おやんずさんは、一週間の即時ブロックになったのですが、あの件は、ウィキペディアの基準というものが分かって来ると、即時ブロック対象だと理解できてきます。しかし、30人と少しいる管理者は、ブロック・コマンドを発動するかしないか、発動の義務はないのです。どの管理者もコマンドを発動しなかった場合は、ブロックされていません。おかしいと思えるかも知れませんが、「即時ブロック」はそういう性格を持ちます。これに対し、「ブロック依頼」というものがあり、これはユーザーの賛成・反対で、どうするか決めるのですが、このブロック依頼で、賛成多数となると、手のあいている、あるいは、たまたまそれを見ていた管理者の一人が、ブロック・コマンドを使います。ブロックをかけると、かけられたユーザーによっては、コマンドを使った管理者を恨む人もいるので、あまり管理者はコマンドを使いたくないのだとも思いますが、こういうときに使うために、コマンドがあるので、誰かがコマンドを使います。
  • 日本語版ウィキペディアでは、管理者の数は、40人もいませんが、これは利用者・アカウント・ユーザーの数に対し、非常に少ないとされます。英語版ウィキペディアには、800人近くの非常に大勢の管理者がいます。ユーザーのあいだに上下関係がないように、管理者のあいだにも上下関係はありません。ドイツ語版ウィキペディアでも、英語版ほどではなくとも、200人近くの管理者がいます。この大勢の管理者はそれぞれ自分の好みの領域で、活動しています。ユーザーがそれぞれ、自分の好みの分野や記事で編集するのと同じようなことです。
  • 何百人も管理者がいて、しかもそれぞれ自分の好きなことを好きなときに担当する、というのは普通の言葉の「管理する人」というのとは、かなり違うとは思われませんか。日本語版ウィキは記事数の規模からすれば、少なくとも150人ぐらい管理者がいないとおかしいと言われているのですが、文化的な事情があってか、そんなにいない現状です。
  • 「ウィキペディアの管理者」はこういう役なので、普通の感じで、「ウィキペディアを管理している人・管理している者」とはかなり違うのです。過去の管理者には、そこを勘違いしていたような人もいたという話もありますが、「管理者」は「管理を行う人」ではないのです。しかし、役名は「管理者」なので、その呼び名は仕方ないのですが、「管理人」と呼ぶと、「管理者は管理人ではない」という答えになります。世のなかで一般に言う、「組織の管理人」「会社の管理職の管理者」とはだいぶ違う何かなのです。だから、「ウィキペディアの管理者」は何かは、国語辞典を引いても分からないので、「Wikipedia:管理者」に書いてあることをよく読んで、ウィキでの経験を重ねて行くと、どういうものかが分かって来ます。長い話ですが。--Maris stella 2006年2月4日 (土) 07:56 (UTC)
    • メールフォームは基本的に送信先を秘匿する目的に使われるものであり、これを必要条件として認めるのであればもはや基準が形骸化しなんでもありになってしまいます。殊更にアダルトサイトの掲載を助けるための基準緩和を画策される意図は如何なるものでしょうか?公に責任を果たす存在として所在地を明かすことは必須では?--おやんず 2006年1月28日 (土) 03:52 (UTC)
  • 事務局を持っている団体なら所在地を明記しても大丈夫でしょうけど、個人や小規模グループの場合、個人宅の所在地をネット上に公開するのは自己防衛上安全なこととは言い切れません。サイト上に不用意に個人情報を記載しないのはある意味で「常識」です。おやんずさんが荒らしを恐れない勇敢なサイトオーナーであられることは理解していますが、だれもがおやんずさんのように大胆なサイト運営が出来るわけではありません。またこのごろは、メールアドレスをホームページ上で明記するとたちまちスパムメールで重要なメールが埋もれてしまう状況です。「殊更にアダルトサイトの掲載を助けるための基準緩和を画策される意図」とはどういう意味でしょうか?--miya 2006年1月28日 (土) 11:23 (UTC)

スパムメールなど私のところには日に数百通届きますが、メーラーの振り分け機能や迷惑フィルターツールを組み合わせれば9割程度はメールボックスにも保存しない自動廃棄処置で消すのが可能です。ですので、スパム対策はなにもメールフォームを使わなくても無料で幾らでも自動処理可能です。重要なメールが埋もれるのは、何も対策をとろうとしない怠慢だからでしょう。スパムロボットからメルアドを隠蔽することはすなわちブラウザを利用する人間からもメルアドが隠蔽されることでます。そもそもメルアドしか連絡先を持たないのは一般アダルトサイトには広く行われていることです。公に裸体主義の公認を求めて動く人間でもない人のサイトだから公に住所も明かせないのであって、そういうサイトをリンクする価値は全く感じません。--おやんず 2006年1月29日 (日) 02:25 (UTC)

それから私に「常識」をレクチャーしようとしているようですが、全てを知った上であえてこの選択肢を選んでいる私にこれ以上何をレクチャーしようというのでしょう。--おやんず 2006年1月29日 (日) 02:25 (UTC)

  • 私は一般論を言っているのですが、おやんずさんはあくまで特定サイトを念頭においておられるようですね。やはり「掲載基準」を決めるより、個々のサイトを一つ一つ検討するほうが早いのでは?--miya 2006年1月29日 (日) 06:07 (UTC)
掲載基準を決めるという作業に後ろ向きであるMiyaの本音が早速出てきましたね。特定サイトが基準から外れることを意識しているのはあなた自身でしょう。私はアダルトサイトを排除する共通掲載基準の作成を第一にしています。どうしてそこまでして何らかのアダルトサイトを救済することにこだわるのでしょうか?--おやんず 2006年1月29日 (日) 09:29 (UTC)
相手からの具体的反論に返答できないことへの対抗策として、「あなたが一般論から外れている」という誹謗中傷を行うのでは、あなた自身の無力をさらけ出していることに他ならないと言うことができます。あなたが如何に私を罵ろうと、「私は一般論として全体を統括する掲載基準を提案している」のです。個々のサイトの検討をすることが早いという主張には何等の根拠もありません。--おやんず 2006年1月29日 (日) 09:42 (UTC)

だったらどうしてはっきりと「掲載基準:アダルトサイトを排除する」とおっしゃらなかったのですか?--miya 2006年1月29日 (日) 10:23 (UTC)補足2006年1月29日 (日) 10:26 (UTC)

過去ログ1に掲載されている論議から既にアダルトサイトのリンクにはっきりと反対を唱えているのが読み取れないほど目が節穴なのでしょうか?アダルトサイトをほぼシャットアウトできる技術として現在の掲載基準案を提示していることを何故にMiyaの読解力を考慮して改めて書かないといけないといけないのか理解に苦しみます。Miyaがアダルトサイトをシャットアウトすることに何故に反対するのかも私には理解不能です。--おやんず 2006年1月31日 (火) 07:20 (UTC)
こんにちは、おやんずさん。横から失礼します。対話や議論の相手を呼ぶときは、「氏」とか「さん」とか敬称を付けてくださいますようお願いします。呼び捨てはおやめください。--Maris stella 2006年1月31日 (火) 11:42 (UTC)
大人を子供扱いして侮蔑するマリスにそういう言葉を発する資格なし!--おやんず 2006年2月1日 (水) 01:24 (UTC)
横から失礼します。何の議論を延々と続けているのかと思いましたが、とりあえずこのページでの議論は拝読させて戴きました。過去ログへの参照は、必要と言われれば、参照します。ただ、目下の議論を見ますと、必要な解決は、ものごとをシンプルに一旦捉え直すということだと思います。特定の記事について、その外部リンクが十とかそれ以上あるというのは、不自然なことです。外部リンクは、あくまで補助的にあるもので、必要な記述や説明、複数の見解のある場合は、中立性を考えて、両論併記とするというように、記事本文に項目のすべてを一通り記述すべきです。--Maris stella 2006年1月29日 (日) 11:16 (UTC)
  • 無論、外部のサイトにもっと詳細な情報が載っていて、これを参考にするのが有益というのも理解できますが、外部サイトに頼るのではなく、記事本文の充実を目指すのが本道です。外部リンクは四つか五つ程度で十分です。外部リンクを貼ることで、自分の意見の補強とすることは、本末転倒です。それは「宣伝行為」と同じです。また編集者自身のサイトへのリンクも、禁じられるのが原則だと考えます。四つか五つでは、選択でもめるというのなら、外部リンク・ゼロが望ましいです。
  • 大量の外部リンクを紹介することも意味あることかも知れませんが、その外部サイトでの記述や説明をよく咀嚼して、本文に組み込めばよいだけの話です。「画像」などが、どうしても手に入らないというような場合に、穏健なサイトを画像参照目的でのみ、外部リンクとするという解決もあります。
  • 外部リンクの掲載基準で、そのサイトの「所在地」が判明している、「連絡先」が判明しているものに限るという提案は、ナンセンスです。所在地や連絡先が判明していても、問題のあるサイトは幾らでもあります。ときどき、小さな企業が、宣伝を目的として、サイトへの外部リンクを貼りますが、この場合、所在・連絡先などは確かに存在していると言えます。では、こういうことは許容されるのかというと、許容できません。
  • 外部リンクは、もし貼るのなら、その内容を個々に吟味して選ぶものです。リンク先の意見が偏っているとかいう趣旨での、リンクの制限は、「このような意見もあるが、それに対し、こういう意見が出ている」などの形で、記事本文に記すことです。現在の記事は、たいへん貧弱に思えます。リンクを貼ろうという方は、上でも述べたように、リンク先の内容を、本文にまず組み込むことを考えるのが良策だと思惟します。
  • また、厳選して四つほどの外部リンクとして、「その他にも多数の参考になるサイトがあります。次のキーワードで Google などで検索を試みてください。ただし、執拗な宣伝の貼られたページや、ブラクラが仕掛けられたページなど、問題のあるページがヒットすることもあります」等の注記で、利用者が自分で検索して、自分でサイトを調べて見るように誘導する方法もよいと思います。
(なお、「アダルトサイト」という言葉で何を意味されてるのか、このページでの話ではよく分からないのですが、「普通の意味」だと、「アダルトサイトを排除する」というような原則はウィキにはありません。サイトの内容次第です。ウィキでは、ユーザーが記事を真に受けて何かしたら死傷者が出たとか、リンクを辿るとPCが壊れたとか、詐欺に会ったとか、子供がわいせつ物を見た、とかについては「免責」を宣言しています)。--Maris stella 2006年1月29日 (日) 11:16 (UTC)
外部リンクの掲載基準案をナンセンスと決め付けておられますが、基準の位置づけを履き違えたナンセンスなコメントだと思います。
  • 「掲載基準に合致するものは全て掲載する」
という基準でないことはこれまでの議論で明らかなはずです。あくまでも
  • 「掲載基準を最低限クリアしているものだけを実際に掲載するかどうかの議論の俎上に載せる」
ということなのですから。それから、小さな組織を載せることを卑下されていますが、組織の大小だけでリンクの可否を決めるのも大いに問題ある発言です。大きなライブドアが非合法な手法で急成長してきたことが明るみになる一方、町中の弱小製造所(社員数名)が地道に技術を磨き、国家プロジェクトレベルの宇宙探査ロケットで中核となる重要部品の製造を任されるに至った例などいくらでもあるでしょう。--おやんず 2006年1月31日 (火) 06:24 (UTC)
こんにちは、おやんず さん。何を言っておられるのか良く分かりませんが。「小さな組織を載せることを卑下されていますが」とはどういう意味でしょうか? わたしが述べているのは、「百科事典として必要とされる、相応しいサイトへのリンクが望ましい」という意味で、宣伝のためのリンク貼りは禁止であるという例で、「小さな企業が宣伝リンクを貼る」と書いたので、それは過去に実際に幾度も起こっていることで、幾度も削除されています。また「掲載基準を決める」ということは、ご自分がここで述べておられるように、内容とは関係なく、ある条件を満たさないものは問答無用で切り捨てということで、そういう基準はウィキペディアには馴染まない、ということを説明させて戴いたのですが。つまり、どういう小さなサイトでも、百科事典が参照するに価値ある情報があれば、リンクする価値があれば、リンクを貼る候補になるということです。更に、「アダルトサイトはOK」などと誰も述べていません。「アダルトサイトは不可、というようなルールはない」と述べただけです。そういうルールを、ローカルにここで造ろうとされているようなので反対だと述べています。別の場所でもまた述べましたが、ウイィキペディアは企業の宣伝をする場所ではなく、同様に、何かの主義・思想・運動の宣伝や推進のための手段の場所でもありません。本文記事をより豊かにすることが本来のありようだとも述べています。--Maris stella 2006年1月31日 (火) 11:42 (UTC)
「小さな組織を載せることを卑下されていますが」の部分が分からないとは、私をおちょくっているのか目が節穴なのか、どちらだい?ご自分で書いた下記の文章を読者がどう受け取るか分からないのだろうか。

ときどき、小さな企業が、宣伝を目的として、サイトへの外部リンクを貼りますが、この場合、所在・連絡先などは確かに存在していると言えます。では、こういうことは許容されるのかというと、許容できません。

おやんずさん、落ち着いてください。きっとMaris stellaさんは、「連絡先が明らかであっても宣伝目的で自らリンクを貼ることは許容できない」という文脈に、つい主観的に「小さな組織」と入れてしまっただけだと思います。そこに卑下はあるかもしれませんが、ここでの本題とは恐らく関係ないでしょう。追及すべき点はこのような瑣末なことではなく、もっと大きな「合意に向けての歩み寄り」への姿勢だと思います。
それから、どうも一般的なWikipedianは「宣伝」を嫌い、特に「自らリンクを貼る行為」に拒否反応を示すようです。だから外部リンクに「Naturism Home Page」が掲載され続けている限り、おやんずさんがリンクに関する議論をしようとするとアレルギー反応のように異論が出てくる、そんな図式だと思います。ということであれば、いつまでもこれを続けても建設的ではなく、おやんずさんが本文を編集するための時間が、堂々巡りの議論に無駄に費やされてしまいますから、どうかここは暫時休戦のご英断をお願いします。これは私の切実な願いです。
懸念もおありかと思いますが、リンクに関しては私やポーさんたちをご信頼いただき、どうかおやんずさんには、本文の編集にお力を注がれるよう、それ以上に、現在係争中のヌーディズム弾圧訴訟にお力を注がれるよう、強く祈るばかりです。--ひで。 2006年2月7日 (火) 12:40 (UTC)

Maris stellaさん、ウィキペディアの外部リンクに関する明快なご説明をありがとうございました。--miya 2006年2月4日 (土) 01:20 (UTC)

ご提案[編集]

みなさんこんにちは。ひで。です。外部リンクに関して、議論が膠着してきていますね。個人的には「やはり」という思いですが、それでもどこかで落とし所を見つけなければ、いつまでたっても建設的な議論にならないように思います。
そもそも、外部リンクに関して争点となっているポイントは、

  1. 「掲載基準」について「必要」か「不要」かという判断
  2. 「おやんず氏のサイト」と「UVA氏のサイト」に対する各陣営の認識

であると思います。1.については、おやんずさんの、ヌーディズムの記述内容を歪めるようなリンクは許せない、というお気持ちも理解できますし、一方で、wikiという概念にそもそも「基準」という感覚がそぐわないものである、というようなmiyaさんやMaris stellaさんの主張も、最近その根拠がおぼろげながら理解できるようになりました。また、2.に関しても、ポーさんの主張する、違法という認識を持ちながら活動している団体の行為は犯罪と等しい、というご意見ももっともだと思う一方で、Maris Stellaさんの、例え犯罪を奨励するような集団でも、それがある程度の勢力を持っている限り中立的視点でその主張を記述すべきである、というご意見もWikipediaの性格を考えるなら納得のいくものだと思っています。
従来、私は「掲載基準は混乱防止に必要」という立場をとっておりましたが、これはあくまで「混乱防止」という観点での主張に徹しております。日本において「ヌーディズム」という言葉の定義がはっきりと広まらない間は、「Naturism Home Page」に代表される「人権としてのヌーディズム」と「Take Off Your...」を中心とする「レジャーとしてのヌーディズム」の間で無用な争いを起こしたくない、だからこそ双方が納得できるような「基準」が必要、という考え方でここまで論じておりました。ですが、Maris Stellaさんのご指摘より、その感覚がそもそも「ヌーディズム」の側にのみ立った考え方であることに気づきました。これはおやんずさん、ポーさん、そしてNudité d'Europeさんにも共通していると思いますが、「ヌーディズム」について「普及させようとする意図」もしくは「『似非』ヌーディズム」について「糾弾しようとする意図」を暗にその記述に含ませた編集は、「ヌーディズム」に馴染みのない方からすれば、全て「POV(主観的な観点)」ととられてしまいます。ですから、本流以外は認めない、という発想はWikipediaでは恐らくNGであり、逆にそういう考え方の人を挑発するように議論を次々起こすことも、理屈からいえば「POV」同士の論争であり、避けるべきことなのでしょう。
現在の状況を見る限り、本来話し合われるべき議題以外の方向に議論が拡散する可能性が高いと思いますが、無用な争いは極力避けるべきだと考えています。そこで以下のような提案をさせていただきます。

a.外部リンクをカテゴリ別に分類して表示する[編集]

これは以前「日本国内」「海外」に分けるという案を提案された方がいらっしゃったと思いますが、それを発展させ、「国内」を「ヌーディズムの国内合法化のためには闘争も辞さないことを標榜するサイト」「権利獲得に必ずしもこだわらずにヌーディズムを享受することを標榜するサイト」および「ヌーディズムに批判的な記述のあるサイト」などといったカテゴリに分け(カテゴリ名は極力中立に)、それぞれのカテゴリにリンクを掲載(理想は各1件)する、というものです。恐らく結果的にはNudité d'Europe氏が以前主張されたものに近くなりますが、一歩進んでカテゴリを明確に分けることで、対立する陣営の批判材料(「不穏当な内容」とか「考え方が本流ではない」など)をいくらか取り除けるのではないか、と考えています。「掲載しない」ではなく、「説明をして掲載する」という点では、ポーさんの発想に近いかもしれません。

b.明白なアダルトサイトは除外[編集]

何をもって「アダルトサイト」と定義するか、について、議論の参加者間で認識のズレがある以上、単純に「アダルトサイト除外」というルールを設けても無意味ですが、いわゆる「風営法」の規定する「性風俗関連特殊営業」にあたるものは「ヌーディズム」の定義からは外れることが明白ですから、当面はこれについてのみ除外する、ということにして、その他についてはヌーディスト間で意思の統一が図られた時点で判断する、とすべきだと思います。なお「ヌーディスト間での意思の統一」に関する議論については、その性格上、Wikipediaにおいて行うより、ヌーディズムを紹介し宣伝しようとしているサイト上で行われるべきだと考えます。

c.最終的な判断(a.b.も含め)はその都度読者(=編集者)に任せる[編集]

ある編集者が記述した内容が別の編集者によって書き換わった場合、その編集について議論し、合意を形成できれば何の問題もありません。ただ、その合意も、一旦その内容に沿って記述がなされれば、その後については、極論を言ってしまえば、今のWikipediaのシステム上、ほとぼりが冷め誰も注目しなくなった頃にこっそりやってきて、恣な編集を行うことも可能(もちろんモラルには反していますし、あまりにも主観的で偏った内容であれば即座に管理人が目を付けてくるでしょうが)なわけで、ポーさんなどはその点を考えた発言をなさっているようにお見受けします。Wikipediaは「差し戻し(リバート)を繰り返す行為(編集合戦)をしない限り、全ての読者が編集者として校正・改稿にあたることが許されている」わけですから、常に最終的な判断は記事を読んだ読者に委ねられているわけです(最近、Maris Stellaさんが議論に参加され、中立性について指摘されていることからもそれは明らかです)。どんなローカルルールを作ったとしても、それが守られなければ意味はないですし、また、守らなかった者を編集から排除するための有効な根拠としてそのルールが機能するかと問われれば、システム上恐らく「否」でしょう。

これまで基準の策定を強く主張してきた私の意見としては、上記提案は意外に思われるかもしれませんが、現状の本文の記述内容を考えるにつけ、本文が充実するまでは外部リンク先の説明(特に日本語で記述されたサイトのもの)は不可欠だと思い、現在の「載せないための議論」ではなく「載せるための議論」をすべき、という思いが強くなり、その結果こうした「譲歩案」を提案するものです。その背景には「自由な編集が奨励されるWikipediaにおいては、望ましくないリンクであれば、誰がどのような基準を持ち出して守ろうともいずれ抹消される」という考えがあります。この点を特に基準について議論されている方々にはご理解いただきたいと思います。
どうかみなさんの忌憚のないご意見をお聞かせください。--ひで。 2006年2月1日 (水) 12:04 (UTC)

外部リンク[編集]

リンクのコメントを一部修正しました。主観の入らないように法律上の問題のみ加えてあります。 また書籍から、夏海遊著『ヌードライフへの招待ー心とからだの解放のために』と夏海あおい著『夏は着ぬ!ー赤裸々ナチュラリズム宣言』を削除しました。 異論のある方はリンク掲載基準などと共にこちらで議論されて下さい。--ポー 2006年1月29日 (日) 07:44 (UTC)

  • また司法によって「違法」と判断された、あるいはこれまでに検挙されたことがあるというわけでしょうか?むやみに「違法」と断定すると「誹謗中傷」に当たる虞があります。--miya 2006年1月29日 (日) 08:57 (UTC)
miyaさんのいわれる通り日本では公共の海岸で全裸になることは「違法」です。UVA夫婦はそれを実践しかつ他人に勧めていることが彼らのサイトから読み取れます。海岸でのヌードレクに限らなければ公共の海岸で全裸になり検挙され有罪となった例は当然ながらあります。下記の「関連図書について」の箇所でもう少し詳しく書きます。--ポー 2006年1月29日 (日) 09:28 (UTC)
アダルト系のリンクも可ということなので、参考としてこちらに2005年10月2日事件を紹介させていただきます。--ポー 2006年1月29日 (日) 13:44 (UTC)


  • 「公共の海岸で全裸になること」は「公然猥褻・違法ヌーディズム実践」というわけですね。だったら、Naturism Home Pageも同様ではないかと思います。--miya 2006年1月29日 (日) 10:23 (UTC)
活動の目的と方向性が全く異なります。ノート:ヌーディズム/ログで既に書いた内容ですが引用します。こちらで「非合法ヌードレク」の話題を扱うことになったので、この件で私の意見を明確にしておく必要があると思います。海外では合法活動としてヌードレクが認められているところが多いですが、その中には、始めは法律的、あるいは社会的、宗教的モラルに反するものとして白眼視されていたものを権利獲得のために活動し、裸になる権利を勝ち取ったところも少なくありません。日本ではおやんず氏の場合も、以前ヌードレクをされてましたが、その場合何事が起きても責任を受け止め対処ていくという権利獲得のために前向きな考えで行っていました。そして現在は裁判を通して権利獲得のために活動されています。一方UVA氏のほうは法的問題の解決のための行動は見られず、捕まらなければ大丈夫ということで非合法なヌードレクを続けています。これではUVA氏とNAK'Sは単なる「犯罪集団」にすぎないといえると思います。--ポー 2006年1月29日 (日) 12:53 (UTC)

『むやみに「違法」と断定すると「誹謗中傷」に当たる虞があります』というお声を頂いておりますので参考として「刑法」より抜粋を記載します。「刑法第230条の2」より、今回の加筆修正は名誉毀損≒誹謗中傷には当たらないと認識しております。

  • (名誉毀損)
第230条 公然と事実を摘示し、人の名誉を毀損した者は、その事実の有無にか かわらず、3年以下の懲役若しくは禁錮又は50万円以下の罰金に処する。
  • (公共の利害に関する場合の特例)
第230条の2 前条第1項の行為が公共の利害に関する事実に係り、かつ、その  目的が専ら公益を図ることにあったと認める場合には、事実の真否を判断し、 真実であることの証明があったときは、これを罰しない。
2 前項の規定の適用については、公訴が提起されるに至っていない人の犯罪行 為に関する事実は、公共の利害に関する事実とみなす。
--ポー 2006年1月30日 (月) 02:03 (UTC)

本文「日本における現状」に合う形でコメントを付けNaturism Home Page、CLUB NAKE'S、Take Off Your...の3サイトを加えました。ごれで進行中の議論に則する形となりました。なお国内でのヌーディズム普及反対のためのHPは見当たらないので載せておりません。--ポー 2006年2月3日 (金) 10:42 (UTC)

公共の海岸で全裸になることが日本では「違法」である以上、「違法行為かどうか」「法に反しているかどうか」は「活動の目的と方向性」には左右されないでしょう。五十歩百歩か五十歩千歩かはともかく、片方の全裸が違法なら、もう一方の全裸も違法といわざるを得ません。それを片方だけ「違法」と明記することは中立的な観点からも受け入れられません。現状(2006年2月3日 (金) 10:52の版)のTake Off Your...の説明を認めるなら、Naturism Home Pageに関しても
  • Naturism Home Page 日本で日本国内で違法な活動を行っているヌーディストのページ/合法化に向けての活動も行っている
あるいは
  • Naturism Home Page 日本国内での公然猥褻・違法ヌーディズムを実践しているヌーディストのページ/合法化に向けての活動も行っている
という説明をつけるべきでしょう。--miya 2006年2月4日 (土) 01:20 (UTC) リンクミス修正2006年2月4日 (土) 01:30 (UTC)
ひで。さん、2006年2月4日 (土) 01:21の修正をありがとうございました。--miya 2006年2月4日 (土) 01:30 (UTC)
ポーさん、私が上記に示したように、現状では「ヌーディズムを普及させる意図」あるいは「『似非』ヌーディズムを貶める意図」を記述に匂わせるべきではないんです。例えポーさんの立場から客観的に見てそうなのだとしても、ヌーディズム自体に詳しくない方(miyaさんも恐らくこのカテゴリに含まれるのでしょう)から見れば「どっちもどっち」なのですから。この問題は現段階ではWikipedia上では「穏健な両論併記」に留めるしかないと思います。--ひで。 2006年2月4日 (土) 01:32 (UTC)
ひで。さん、ありがとうございます。私としては理想的な展開です。私としては違法な活動が違法であると明記されればそれでよいのです。和歌山県の話題を入れなかったのはNaturism Home Pageのサブページであるだけでなく私有地での合法活動が潰されたという点が、違法VS合法(化)の比較とは異なるという理由です。ただ外部的視点で見ればたいした違いではないでしょう。また時系列的には和歌山のように正攻法でいくのが無理であったからUNA氏NAKE'Sのような姑息な手段に訴える者が出てきたともいえます。単に資金調達の問題かもしれませんが・・・。話はずれましたが、これで当面は落ち着きそうです。--ポー 2006年2月4日 (土) 10:42 (UTC)
UVA氏の場合、そもそもこのサイト「Club NAKE'S」において、スポット情報なるものを情報料として販売し収入を得るのが目的でしたから、ヌーディストの一派というよりは、ヌーディズムを題材に商売している「業者」という位置づけでしょう。別に商売が悪いとは一概に言わないし、商売によってヌーディズムが穏健に普及する例は海外に多数あります。正当な手数料収入として社会から評価されるか、それとも、ただの性欲目当ての人間を相手に欲望マネーをやり取りするだけに終わるか、それは「堂々と経営者が表社会に出てくる」か、それとも「こそこそ裏社会に隠れている」か、それにかかるでしょう。表立って収支を明らかにしない経営組織は、法人税・所得税などの税金を正しく納めているかどうかも外部から検証不能です。だから私は「所在地を明らかにすること」をリンク掲載の基準に提案するのです。こういう合法性の裏づけを検証しないまま、上記マルスのNudité d'Europe氏賞賛文にあるように私への反発心をむき出しにしてUVAの組織を「一派扱い」でリンクする項目として承認するのは、例えそもそもが中立的と思われる「ひで。」さんの提案にあるとしても、賛成できないのです。--おやんず 2006年2月6日 (月) 00:28 (UTC)
新たな基準が出てきましたね。ウェキペディアの中立性といっても所詮編集に携わっている者の中での中立にしか過ぎないので、新たな観点が加わると中立の基準自体も大きく動く事になります。たとえばこれで更に「自分はエロ目的のためにヌーディストビーチに通っているので、ヌーディズムは建前はともかく現実論としてはエロである」という考えの人が参加してくれば、また新たに中立性を再検討して書き直さなければならないでしょう。私がUVA氏のサイトを貼ったのは掲載基準に関してはまだ議論が継続しておりその効力をもっていないからで、なんらかの合意が得られるまでのつなぎという観点も含まれています。おやんずさんからの意見もでましたので、応急処置的意味合いも含め本文「外部リンクのコメント」と「日本の現状」を書き直す必要性を感じています。--ポー 2006年2月6日 (月) 01:16 (UTC)

関連図書について[編集]

要約欄に何も書かずに『ヌードライフへの招待ー心とからだの解放のために』と『夏は着ぬ!ー赤裸々ナチュラリズム宣言』を削除されたことについて合点がいきません。理由をお願いします。一部を読んだことがありますが、ヌーディズムに関する著書だったと記憶しています。--miya 2006年1月29日 (日) 08:35 (UTC)

サイトより著者の夏海あおい氏が露出と公然猥褻の常習者と見られ、今後ヌーディズムを誤解される危険性があったので削除しました。
夏見あおい氏はUVA氏の妻で夫と共に露出と公然猥褻を続けてきたことはTake Off Your... からそれは判ります。掲示板過去ログ の一番上 「コスモスさんいらっしゃいませ。投稿者:UVA 」より抜粋
>ご質問についてお答えします >UVAさんは他人に見つかったことは有りませんか?
>数え切れないほど、何度でもあります。
>理屈から言えば私たちが行けるのですから、他の人も来られるはずです。
>海の場合、基本的に隠れたところでこっそりNUDE REC しているというわけではないので、「見つかる」というより単に「見られる」と言った方が正確です。
>10回のうち8回~9回は必ずといっていいほど見られます。
>●慌てない、●隠れない、●隠さないが基本です。 
つまりUVA夫妻は人いることを知った上で確信犯的に公然猥褻を繰り返して続けてきたということです。
また「5。裸体と法律」より。これはアメリカのREC。NUDEというサイトの FAQ の紹介で、でありますが「5.1 人里離れた場所を選ぶこと」によれば、「通報には文書が必要なので、ほとんどの人はめんどくさいことをしてまで通報しないとか 通報されても人里離れた場所にいれば当局が来るまでに逃げられるとか、合法性を主張しているのではなく、要するに(違法であっても)当局の動きが遅いから大丈夫だ」と述べられています。
ここにUVA夫妻が実践し、かつ他人に勧めているヌードレクの基本方針があるといえます。法を犯しても相手に通報されなければよいということです。 そのために目撃者が通報しても無駄だと諦めるであろう場所状況を選び裸になる。つまり被害者が泣き寝入りをせざるを得ない場所・状況を選んで法を犯すことがUVA夫妻が実践し推奨するヌードレクであるということになります。
夏海あおいに氏よるヌーディズムは露出と公然猥褻の常習者として培ってきたノウハウにより書籍を著しているといえるでしょう。--ポー 2006年1月29日 (日) 09:28 (UTC) 修正 2006年1月30日 (月) 13:10 (UTC)
Toki-hoです。上記理由、拝読しました。なんにせよ、第三者にたいして表現が厳しすぎる(よびすて など)と存じます。おそれいりますが、「氏」「さん」などの敬称をおつけ願えませんでしょうか。Toki-ho 2006年1月30日 (月) 11:47 (UTC)
犯罪者であるという見解からこちらでは敬称を省きましたが、Toki-hoさんのご意見やウェキペディアの場の空気、全体の統一性を考慮し敬称をつけ、またUVA夫婦をUVA夫妻に直しました。--ポー 2006年1月30日 (月) 13:10 (UTC)
さっそくのご配慮ありがとうございます。Toki-ho 2006年1月30日 (月) 13:30 (UTC)

「白紙化」するはずだったのでは?[編集]

白紙化に関しては [[{{Fullurl:{{{n}}}|}} {{{n}}}] 2006年2月3日 (金) 10:42の版]をご覧下さい。

ヌーディズムの現状[編集]

加筆修正しました。--ポー 2006年1月30日 (月) 02:38 (UTC)

「両論併記」を考慮し客観的に文章を追加・修正しました。なお、この部分は日本という地域に限定的な問題(公有地における「違法」レクの問題など)が多分に含まれるため、「日本における課題」という小見出しをつけています。--ひで。 2006年1月30日 (月) 05:54 (UTC)

POV の問題[編集]

話が複雑になるかも知れませんが、敢えて書きます。「日本における課題」という節を読ませて戴きましたが、このような記述が「中立・両論併記」だと考えておられるのなら、「POV テンプレート」を貼ることになります。また、「正確性」のテンプレートも貼る可能性があります。何故なら、ヌーディズムという運動が存在することは事実ですから、これを記述するのは百科事典として問題はありません。しかし、何かの社会運動では、必ず、賛成派と反対派が存在するのであり、ウィキペディアでの記述は、賛成・反対どちらかの立場に立ってはならないのです。両方の主張を載せるのが両論併記です。無論、「事実認定」問題で、ほとんど問題にならないような極論を主張する場合は、両論併記は不要です(例えば、「アメリカがヒロシマに原爆を落とした」という事実主張に対し、「そんな事実はない」という主張をする人がいたとして、「そのような事実はない、という意見もある」と一々異論の存在を書く必要はありません)。しかし、議論のある思想や運動については、賛成の人の言い分があれば、反対の人の言い分もあるというのが、客観的なありようです。

「日本における課題」という見出しは、二つの意味に取れるのです。「推進するための課題」と、「そういう運動を阻止するための課題」です。ウィキペディアの編集者は、賛成・反対または推進・阻止、どちらかの立場に偏ってはならないのです。現状の記述は、「推進するための課題」としか読めません。このことは、法律違反を犯すことを承知で、見つからなければ良いという考えで裸体になろうとする人たちのサイトは、「違法性を意識的に助長する立場」なので、ヌーディズムが市民権を得るには、戦略的にまずいので、「書籍やリンクを載せることはできない」というように読める文章にも出ています。ウィキペディアは「法を破ることを奨める場所」ではありませんが、法を破ることを奨める人たちが存在する場合、そのような人たちが、言及に足るだけの規模や、勢力を持っている場合は、言及し、その主張も記述しなければ、中立性があるとは言えないです(「某組織は、自分たちの主張を通すためには無差別殺人も躊躇しないと主張し、実際に無差別殺人を実行している」と書くのは、ウィキペディアが無差別殺人を推奨しているのとは別のことです)。ウィキペディアは、日本においてヌーディズムを推進するための手段ではないのです。現状であれば、「POV」及び「正確性」のテンプレートを貼るしかありませんが、それでも宜しいですか? --Maris stella 2006年1月31日 (火) 04:15 (UTC)

ご指摘を受け見出しを含め全面的に改稿いたしました。前の版ではヌーディスト間の対立を中立的に「両論併記」していたに過ぎず、確かに「ヌーディズムに反対する人」の視点が欠落しておりました。日本においてはむしろ後者の方が一般的であり、多数派ですので、それを踏まえた文章にしてあります。
なお、ご指摘の後半の段落については、私としては上記の立場からヌーディスト間の対立は中立的に、Naturism Home Pageの主張もTake Off Your...の主張も、それぞれが抱える問題点も含め公平に記述していたつもりですが、この内容を「中立」ではないと思われているのであれば、私の文章表現力の問題ですので、最新版からは除外してあります。--ひで。 2006年1月31日 (火) 06:02 (UTC)
こんにちは、ひで。 さん。申し訳ありません。威嚇するような表現でした。この点をお詫びします。そして、書き方が拙劣であったためか、誤解を招いたことをお詫びします。「本文」に関しましては、ヌーディズムに反対の人の視点が欠けていると記しましたが、ヌーディスト間の意見の違いは、「ノート」に記されていることに言及したものです。「日本における課題」という部分に対して疑問を感じたのですが、この部分については、反対派の視点がないと感じただけで、ヌーディスト間のあいだの中立性については特に疑問は感じていません。表現不足でした。--Maris stella 2006年1月31日 (火) 06:27 (UTC)
いえいえ、Maris stellaさんのご指摘から、私がこれまでここでの議論で心がけていた「中立性」が、実はヌーディスト間での「中立」に過ぎず、したがってそれは真の意味で「中立」ではない、ということに気づきました。そんなに恐縮なさらなくてもいいですよ。今までのノートでの議論はヌーディスト同士の考え方の対立が根底にあったため、それに対して「中立」であればよかったのですが、本文となるとそういった視点ではおかしなことになる、ということに、これからも配慮していきたいと思います。--ひで。 2006年2月1日 (水) 01:42 (UTC)

ヌーディズムは違法?[編集]

ウィキペディアは事実のみを書き、意見を書くところではないので、ヌーディズムが違法という意見に基づいて書かれた現在の外部リンク(2006年2月7日 (火) 00:07 の版)には疑問があります。私は法律の事はよく知りませんので間違っていたら指摘していただきたいのですが、屋外におけるヌーディズムを禁止する法律、あるいは屋外で全裸になる事を禁止するような法律が存在するのでしょうか? あるいはヌーディズムは違法であるという判例が存在するのでしょうか? ひょっとしたら地方自治体の条例では何かあるかもしれませんが、いずれにせよ何らの法律、判例も無いのにヌーディズムを違法と言うのは意見に過ぎないでしょう。他の法律(例えば公然わいせつに関する法律など)を根拠にするのは拡大解釈でしょう。--Nudité d'Europe 2006年2月7日 (火) 12:52 (UTC)

ほとほとあなたは迷惑な発言者だね。私のHPの掲示板とかここの過去ログ2の「おやんず 2005年12月5日 (月) 08:50 (UTC)」記載の文章でも散々日本の法律で処罰されることをはっきり示しているのに、その指摘をことごとく無視して同じ話を壊れたレコードのように繰り返す。指摘された事実を基にまともに言葉のキャッチボールを成立させようとするつもりはないのだろうか。日本の地方自治体がヌーディストリゾートを開設しようとしたのを警察が実力阻止した和歌山の事例も無視かい?--おやんず 2006年2月8日 (水) 00:56 (UTC)
Nudité d'Europeさん、「ヌーディズムを禁止する法律」というフレーズに思わず苦笑してしまいましたが、現在の日本では、ヌーディズム自体が全く市民権を得ていないわけですから、ヌーディズム自体をターゲットとした判例など存在しないのではないかと思います。しかし、私有地ではない屋外で全裸になることは、現状では一般的に「違法」と認識され、警察の取り締まり対象となることもまた、明白であり、かつ「意見」ではありえません。
悲しいことですが、客観的に見れば、現在の日本においては健全なヌーディズムであっても「公共の場で性器を露出している」ことのみをもって、全て「公然猥褻」とされてしまいます。「性器」を「猥褻物」と捉えて機械的に裁くケースは多々あっても、「猥褻物ではない」とする判例は、恐らく未だないのではないかと思います(おやんずさんの裁判が「勝訴」となったら話は別ですが)。欧米のようなレベルには程遠いのです。まずその点をご理解ください。
次に、ヌーディストの視点では「ヌーディストと接することを嫌がる人」の感覚は理解しづらいと思いますが、「裸」を「人に見せるべきではないもの」とする意見の方が、現状では一般的であり、また、そもそもヌーディズムなど露出狂の方便に過ぎない、という認識に人々が行き着いてもおかしくないぐらい、今の日本社会の「裸」に対するスタンスはヌーディストに厳しいものです。それが現実です。
ですから、それを「拡大解釈」と捉えるならば、逆に恐らく多数の一般編集者から「POV」と指摘されることになると思います。つまり、ヌーディストの立場でいくら「ヌーディズムは猥褻ではない、猥褻と見る視点は偏っている、ヌーディズムを『違法』とするのは単なる『意見』に過ぎない」と主張しても、一般的にはその主張自体が「偏っている」ととられ、ヌーディズムを「違法」と考えない、という「意見」ととられてしまうでしょう。
以前、Maris stellaさんが私の編集を「ヌーディストの視点のみに偏った記述」として「POV」であると指摘されましたが、それが世間一般の認識である以上、それにしたがって、非ヌーディストの視点も加味しないと「中立的」ではないのです。「公然猥褻」など、およそヌーディズムとはかけ離れた概念ではあっても、それを同一視する勢力が大多数であるならば「触れない」わけにはいかないのです。
しかし、ポーさんがなされたように、「Take Off Your...」の方のみ「違法」と断じてしまうのも、これもやはり「POV」です。そして、露骨なまでに「違法」を強調することもまた「POV」でしょう。ですから、できる限り「違法」のフレーズを使わないよう、かつヌーディズムの視点も損なわないように編集したつもりです。以上の方針をどうかご理解ください。--ひで。 2006年2月8日 (水) 01:26 (UTC)
合法化を勝ち取る活動と、違法な現状のまま違法行為の普及活動とという「進行形」での違いを比較したのですが誤解を招いたようです。それは仕方のない面もありますが。ただUVA氏たちは現実に違法行為を人に勧めているのですから、その点は明記して差し支えないとは思います。リンクのコメントを少しずつ修正してますが異議が出されるまでやっていく予定です。あとこちらでの名前をポーからアカウントと同じPohに変えます。--Poh 2006年2月8日 (水) 11:24 (UTC)
Pohさん、デリケートな問題ですので、極力個々の勢力の説明文では「違法」の文言は避けていただきたいと思います。miyaさんが以前指摘されたように、合法化を勝ち取る活動であっても合法化に至らない間は「違法」ですし、合法化を勝ち取ろうと主張し賛同者を得ようとすることもまた、合法化に至らない間は「違法行為を人に勧めている」と一般には認識されるでしょうから、「POV」にならないようにするためには、一方についてのみ強調するべき表現ではないと思います。また、もし「違法」を強調したいのであれば、日本における活動全体に対する修飾に留めたほうがよいと思います。--ひで。 2006年2月9日 (木) 01:13 (UTC)

つまり、やはり何らの法律も判例も無いのに、履歴の要約欄にあるように「どちらかといえば違法にあたるでしょう」というだけで、百科事典において「合法化されていない」「違法状態で強行、、、」などと記述されているわけですか? それは事実のみを記載するというウィキペディアの趣旨に著しく反していると思いますが。以前Lcsさんが取り上げていたマリファナ(大麻)の項目を参考にされてはいかがでしょう? 誤解があってはいけないので言っておきますが、私はヌーディズムが違法か合法か論じているのではないのです。ただ「違法」(あるいは「合法化されていない」など)と記述する限りは、それに相当する法律か判例が必要と言っているだけです。記事の正確さを求めているだけなのです。--Nudité d'Europe 2006年2月8日 (水) 11:11 (UTC)

ヌーディズムは思想の自由が保障されているので違法ではないですが、混浴などの一部例外を除く公有地でヌーディズムを実践し全裸になれば違法になります。ちょっと質問のレベルが低いように思えます。履歴の要約欄の「どちらかといえば違法にあたるでしょう」でどうこういうのは、ただの揚げ足取りで本質と全くかけ離れています。法律や判例についてはネットの検索条件は日本国外にいてもほとんど同じですからクレクレばかりやってないで自分で探して下さい。--Poh 2006年2月8日 (水) 11:56 (UTC)
Nudité d'Europeさんは海外在住ということで、ひょっとしたら日本国内の状況をご存知ないのかもしれませんから、念のために「一般的な」法解釈をご説明します。国内においては、公衆の面前で全裸になるだけで「公然猥褻罪」が適用されます。それについては、あるロックバンドのメンバーが野外ステージ上で全裸になり、『公然猥褻罪』で書類送検された事件(ニュース自体は既にサーバにないようなので、キャッシュですが…)を例に挙げればご納得いただけるでしょうか?「芸能人のコンサートだから」とか「性的な要素が入っていた」とかの付帯条件はありません。ただ「全裸だから」です。ですから現状では、「ただ全裸になるだけ」のヌーディズムにしても、公共の場所においてであれば「公然猥褻罪」となってしまうのです。また、それに関する説明に、判例を求める必要もないでしょう。「窃盗が違法ということについて明確な判例が示されていないからそのような記述は事実に反する」と言っているのと同じです。
上記のように「合法化されていない」という認識は極々一般的なものであり、現状においてはそれに反するような記述にすることは「POV」を疑われるという観点で編集したに過ぎません。また、昨日も書きましたが、Pohさんが最初に編集された「Take Off Your...」のみを「違法」と強調する形式について中立的とは言い難い気がしましたので、日本国内での実践に対して等しく「合法化されていない」と記述したわけです。要するにこれが事実に反するというのがNudité d'Europeさんの主張とお見受けしますが、もしこの記述が存在しないならば、一般的な認識と大きくかけ離れた「幻想の世界」になってしまうと思います。日本国内の公共の場所で全裸になってはいけない、というのは現時点では「常識」の範疇のことであり、それを念頭に置かない記述の方が事実を歪めた記述でしょう?--ひで。 2006年2月9日 (木) 01:03 (UTC)

ひでさま。私は日本生まれの日本育ちで、別に外国人ではありませんので、、、念のため(;^_^)
さて、屋内で全裸になる事も、あるいは私有地内でまわりから見えないところで全裸になる事もヌーディズムであり、それらは全く違法ではないのですから、「ヌーディズムは違法(あるいは合法化されていない)」と言うのは正確ではありませんよ。またヨーロッパでも「公衆の面前」あるいは「公共の場所」で全裸になるのは特別なイヴェントなどは別としてもちろん違法です(私が全裸でシャンゼリゼ通りを歩いたら多分30秒以内に捕まります(;^_^))。ヌーディストたちはヌーディストビーチ、ヌーディストキャンプなど、同じ趣味を持つ者たちが集まる限られた場所でヌードレクリエーションを行なっているだけであり、「公衆の面前」あるいは「(特別に許可された場所を除く)公共の場所」で裸になるわけではありません。要するに「公衆の面前」や「公共の場所」で全裸になる事が禁じられているのは日本もヨーロッパも変わりが無いのに、なぜ日本だけが禁じられているような事をおっしゃるのでしょうか?--Nudité d'Europe 2006年2月9日 (木) 05:09 (UTC)

そうですか…私の日本語が未熟なせいか、どうしてもご理解いただけないようですね…。誰も「日本だけが禁じられている」とは申し上げておりません。ただ日本において、特に一般的な感覚から、ヌーディズム実践は「公然猥褻」が適用される、という説明を入れざるを得なかっただけです。これについては、ヌーディストの視点、つまり「裸は決して猥褻ではない」という視点のみで記述すると、一般の編集者からは「偏った視点」と受け取られてしまうと何度も申し上げています。私が言いたいことはこの一点に尽きます。
もちろん、私有地での実践に何ら法的な拘束が生じないのは理解していますが、この記事がそれ「だけ」を扱っているわけではないですし、むしろソサエティとしてのヌーディズムを中心に論じているわけですから、その例を持ち出しての批判は的外れだと思います。「特別なイヴェントなどは別として」とありますが、日本においてはその「特別な」ことも一般論として認められていない、だから合法とは言い難い。百科事典としては多数の人々の共通認識について、無視して隠すわけにはいかないでしょう?
そもそもこの件については、こちらも悩み苦しんだ末の記述なんです。現行法との兼ね合いを考えるなら「禁じられていない」とは書けないし、何も書かないというのも主に実践についての誤解を招くし、かといって「ヌーディズムは猥褻とは異なるから法に抵触しない」等の記述をしてしまうと「ヌーディズムに反対する立場の視点に欠ける」と指摘されますし、結局のところ現在のような形に落ち着く以外にない、と判断して編集すると、今度はヌーディストの立場から「ヌーディズムは違法、というのは正確な記述ではない」と指摘され…。
あるいは、「私有地においての実践は法令に抵触することは考えにくいが」という記述を加えればよいでしょうか?--ひで。 2006年2月9日 (木) 06:11 (UTC)
Nudité d'Europe氏は私の文章を敢えて無視しているけれど、ヨーロッパもアメリカも、私有地を外れた公共の場所で特別なイベントでなくても全裸でいられるところは多数あります。全面禁止の日本とある程度解禁されているヨーロッパを同列に「変わりが無い」と言及しているNudité d'Europe氏のコメントは欧米に居を構えながら情報に疎いと言わざるを得ません。実際に公共空間で全裸でいられるところを取材した記事は映像つきで日本の雑誌でも何度も報道されていますし、ネットのヌーディスト専門ニュースでもいつでも確認できることです。そういうところを旅してきた友人からも如何に欧米がナチュリズムの開放度が進んでいるか、直に話を聞き、現地の写真やビデオを見せてもらいました。それに対して日本では明らかに「法律で禁止」となっていて、処罰、弾圧が横行しています。この処罰、弾圧が「違憲」であると主張して法廷闘争せざるを得ないから、私は法廷闘争しています。--おやんず 2006年2月9日 (木) 06:37 (UTC)

別にひでさんにご苦労をおかけしたいわけではありませんが、私が編集すると騒ぎが大きくなる恐れが大きいので控えているのですが、構わないというのなら私が編集してもいいですよ、、、、、と書いていたら今、Maris stellaさんによる編集が行なわれましたね。また後ほど。--Nudité d'Europe 2006年2月9日 (木) 13:43 (UTC)

主にヌーディストの視点で編集に携わってこられた皆様へ[編集]

Maris stellaさんによる編集、確認いたしました。私がNudité d'Europeさんにずっと申し上げていた「ヌーディズムに批判的な視点」も加味した編集が、ついに一般的な編集者によって実行されたのだという認識です。「加味した」というより、むしろそちら側に立った記述のような気もします。本文の記述など、私が触れたよりさらに強い「反ヌーディズム」になっていますから(もっとも、「公共の場においては公然猥褻」という文脈となっているため、Nudité d'Europeさんが当初指摘されていた「ヌーディズムが違法という表現は正確ではない」という問題はクリアされているようです。)。
これまで、利便性を考え、かつ様々な方の思惑に配慮し、一方でその方々の恣意的な編集を防止しながら、日本語サイトの外部リンクを「残すため」に色々工夫をしてきたのですが、一般的な見方としてはそれでも「偏った内容」だったということでしょう。Nudité d'Europeさんは、ヌーディストの立場から、このMaris stellaさんによる編集をどう思われますか?私は、これが現在の日本におけるヌーディズムに対する一般的な感覚なのだと思っています。
ヌーディストの立場からこれまで編集に関わってこられた、Nudité d'Europeさん、Pohさん、そしておやんずさん。Wikipediaのいう「中立」とはこういうことなのだと思います。この1ヶ月、他所での編集に携わった経験、それに加えここでMaris stellaさんに指摘されたこと、それらを総合して考えると、以前Nudité d'Europeさんが指摘されていたように、ウィキペチケットに基づいてあまりにも情熱を持っている事柄について執筆を避けることも、「現状では」考慮に入れざるを得ないでしょう。編集を自粛されていた、というNudité d'Europeさんの判断は、ある意味で正解だったのかもしれません。
あるいは、おやんずさんなどはもしかしたら「Wikipediaと徹底的に戦う」という考えを持たれるかもしれません。でも、それは戦う相手が違うと思います。Wikipediaの本質が、どんな意見も中立的に扱うが、多数が信じる考えを無視してはならない、というものならば、日本におけるヌーディズムを「現状で」肯定的に記述することのほうが「おかしい」のです。ならば、その「現状」を変えていくほうに、戦うためのエネルギーを傾けるべきではないでしょうか?少なくとも、Wikipediaの管理者たちにそのエネルギーをぶつけることは、エネルギーの無駄遣いのような気がします。
「現状」がヌーディズムを肯定する方向になっていけば、Wikipediaでの記述も、自ずと肯定的なものが中心になるでしょう。そうなった時点で記述内容について激しく議論するべきであり、それまでは批判的な主張の大部分を甘んじて受け入れざるを得ない。少なくとも私は、Wikipediaとはそういう所、と割り切って考えるようになってきています。--ひで。 2006年2月10日 (金) 01:18 (UTC)

いろいろと興味深いですね。もちろん疑問は多々あるのですが、なるべくあわてずに編集に加わって行きたいと思います。ひでさんが「望ましくない」「不快なもの」を削除されたのは当を得ていると思いますよ。ただPohさんが「わいせつ」の項目にいろいろ書き加えておられるのは、いたずらとして注意する必要があると思いますが。しかしやはり公共の場で行なうことだけがヌーディズムではないですし、屋内や私有地でヌーディズムを楽しんでいる人がいることも書き加える必要があるでしょうね。公共の場で行なうにしても普通はできる限り他人のいない所で行なわれるわけで、もしわざわざ他人のいる所で行なうヌーディストがいるとしたらそれはパフォーマンス的要素が強く、通常の、つまり自分自身がリラックスするために行なうヌーディズムとは別でしょう。--Nudité d'Europe 2006年2月10日 (金) 09:34 (UTC)
「いたずら」というのはNudité d'Europe氏のPOVにしかすぎません。「わいせつ」の項目で編集の協力者を募っているので編集に協力したまでです。またヌーディズムが誤解されないようにおやんず氏のことも載せています。--Poh 2006年2月10日 (金) 10:05 (UTC)

Pohさん、Pohさんの編集が「いたずら」かどうかはともかく、「わいせつ」の項目である以上、特定分野に偏りすぎる外部リンクは適切ではないですし、あの場にヌーディズムについて記述するのもどうかと思います。あの項目は「ヌーディズムを装ったわいせつ」を説明しているわけではないのですから。--ひで。 2006年2月10日 (金) 10:18 (UTC)

「他人のいない所」も法の適用されうる「公共の場」であるということ、それからその場に集まる自分以外のヌーディストも「他人」であることには留意すべきでしょうね。特に公有地にあるヌーディストビーチの場合、私有地ではない、他人のいる所での実践ですが、そこにはパフォーマンス的要素はありませんよね?揚げ足取りのようで申し訳ありませんが、そこが引っかかりました。
しかし、上記のような留意点にさえ気をつけるなら、いわゆる「裸族」(自宅内のみ裸で過ごす人の俗称)のような視点は加味してもいいかもしれません。もっともそれはMaris stellaさんが書かれたような「思想」でも「運動」でもない部分ですから文脈上工夫が必要でしょうし、そもそも定義として厳密に「ヌーディズム」に含まれるかどうか、ヌーディスト間でも議論になりそうな気がしますけどね。--ひで。 2006年2月10日 (金) 10:38 (UTC)

Maris stellaさんによる編集は、一部の編集者には、ある意味いい薬だったようです。私は当初からヌーディストとは一歩距離を置いた視点で日本のヌーディズムの現状見て、コメントをして来た訳ですが、それを個人攻撃、中傷、嫌がらせ、個人的恨み、などと言う人はウェキペディア内外で数多くいました。ただ一般のヌーディズム活動に批判的な人から見れば、まさに私がUVA氏に対して述べてきた通りなのです。Maris stellaさんにが私の使った表現や骨子を多く取り入れているのもそのためだと思います。もおやんず氏により修正されましたが「日本のヌーディストの一部には、このような「見たくない」という他者の権利を蹂躙しても平気であるというような者がおり、一層に、ヌーディスム運動の進展の阻害になっているとも考えられる。」とはまさにUVA夫妻のやってきた事そのものです。UVA夫妻が行い提唱してきた「被害者を泣き寝入りさせる」実践方法は当に「他者の権利を蹂躙し、かつそれを勧めること」に他なりません。かねてから私はUVAシンパは頭が弱いとか、人間的に欠落している部分が多いと述べてきましたが、犯罪行為を平然と行い、犯罪行為を啓蒙と称し普及させようとしている者たち支持し崇拝しているのですから当然です。私にはUVA夫妻とそのシンパたちとの関係が、かつてその思想を実現しようとしてサリン事件を起こした、オウムの麻原とその弟子達との関係と重なって見えます。おやんず氏のように人権を重視し双方の利害が一致する方向での権利獲得を目指した活動とは雲泥の差です。このようなものと同一視される事は真面目に活動している人には非常に迷惑な事だと思いますし、長い間UVA氏が日本のヌーディズムの頂点に立っているかのように見られていた事は、日本でのヌーディズムの普及を著しく阻害していたと思います。批判的な視点もふくめた中立的な観点からも「権利獲得の活動」と「犯罪の普及」との対比をもっと明確に記述していかなければならないと改めて感じています。--Poh 2006年2月10日 (金) 12:17 (UTC)