ノート:バトル・オブ・ブリテン
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2008年3月19日 (水) 12:08の版から色々変えてみましたがどうですか?駄目ですか?--紅美鈴 2008年3月19日 (水) 12:18 (UTC)
扱う範囲について
[編集]当方もバトル・オブ・ブリテン 2007年7月20日 (金) UTCの版から、かなり構成を変えて加筆させていただきました。まだ、アドラーアングリフ作戦後のあたりで経緯の加筆が中断されている形になっておりますが、暇ができたら加筆しようと思います。
本題の相談なんですが、この記事で、どのあたりまで詳細に書くかについて意見をお伺いしたいです。『英独航空戦』では、「バトル・オブ・ブリテン前からBf 109Eに増加燃料タンクを装備させる試験(長距離型Bf 109E-7の開発)をドイツ空軍は始めていた」とか、それなりに掘り下げた話題も記述されております。しかし、こういった記述は、メッサーシュミットBf109の記事で扱うこともできるので、こちらに書くべきかどうか迷います。--sabulyn 2008年4月2日 (水) 06:52 (UTC)
- 長距離型Bf 109E-7についてはBf 109のほうで記載させていただきました。また、中断していたロンドン空襲までの経緯も加筆しました。--sabulyn 2008年11月22日 (土) 13:58 (UTC)
ロンドン空襲
[編集]爆撃目標をロンドンに変更指示について、シュペルレは賛同し、ケッセルリンクは反対したとありますが、実際は逆ではないでしょうか?例えば参考文献のHough/Richards『バトル・オブ・ブリテン』には、「ケッセルリングは攻撃の主力を戦闘機軍団の飛行場からロンドンに転換する方針を強く支持したが、スパールは支持しなかった」(p.436)とあり、また英語版Wikiでもケッセルリングはロンドン攻撃支持派で、他、『栄光のバトル・オブ・ブリテン』、『編隊飛行』、『戦闘機』、『戦うスピットファイア』、『メッサーシュミットMe109;ドイツ空軍のエース』も読みましたが、ロンドン変更にシュペルレが賛同し、ケッセルリンクが反対してたという記述はなかったと思います。どなたか書かれた方は、どの著作に書かれてたか出典を示して頂くと幸いです。--Fatal day(会話) 2014年11月17日 (月) 11:20 (UTC)
交戦勢力について
[編集]交戦勢力の所で日本語版だと、ポーランドやベルギー、南アフリカなどの国家(亡命政府含む)が英空軍の多国籍パイロットが理由で明記されていると思われますが、英語版やドイツ語版ではイギリス、もしくはカナダしか交戦勢力に含まれていません。日本語版もこれに合わせるべきでしょうか。--Langlebigkeit Manie(会話) 2022年9月26日 (月) 14:21 (UTC)
出典による食い違い
[編集]長距離型 Bf 109 E-7
[編集]さも開発してないような記述が書かれたため、出典付きで書きました。--Wikkyshor(会話) 2024年4月7日 (日) 21:57 (UTC)
- 添削案「両論併記」
- 意見が出ないようなら添削して構いませんでしょうか?
記載場所「イギリス空軍の勝利」へ変更- 「増槽を持たないBf 109はロンドン上空では、せいぜい20分しか戦闘することができなかったとマーティン・ケイディンが執筆し、これが日本語圏で航続距離の問題として広まった。しかし、ヨッヘン・プリーンによればBf 109増槽装備型E-7は1940年8月から配備されていたが、同8月から配備された新型のスピットファイアMk.IIに対抗しうる性能を持ち、増槽と爆弾を当初から装備できるBf 109 F型の生産を優先したとしている。それに加え、飯山幸伸によればE-7の増槽はトラブルが多発したため、E-7型でさえ増槽を装備せずに出撃することもあったとしている。ただし、アドルフ・ガーランドは自伝で目標が内陸部のロンドンへ移れば、自軍の爆撃機が往復2時間かかる間、Bf109の航続距離では十分な援護が出来るわけがないと語った。 」
- 現在の高速鉄道ユーロスターでもパリ-ロンドン間は2時間20分ですからドルニエやハインケルらが満載重量状態で巡航時速300kmかそれ以下で、ロンドン往復2時間というのは妥当な数字です
- ロンドン以北を目標にしたなら航続距離は問題でしょうが、南部に限って言えばそこまで強調する意味がありません 本文中でもイギリス側がロンドン周辺の飛行場で守りを硬める一方、ドイツ側も海峡周辺の飛行場に進出したと書いてあります
- レーダー管制のありなしで復路の追撃出来た側と援護出来なかった側に分かれたという話ならわかるのですが
- 現状、矛盾な状態を解消していければと--Wikkyshor(会話) 2024年4月12日 (金) 15:07 (UTC) 訂正 --2024年5月1日 (水) 00:37 (UTC)
- リチャード&デニスによると「全速で1時間」「ロンドン上空では10分」とありましたが、「せいぜい20分」がどこまでなのか不明です。現在、コメントアウトしてあります。
- それ以外の部分は概ね残したまま、体裁を整えただけの状態です。--Wikkyshor(会話) 2024年5月10日 (金) 10:20 (UTC)
イギリスの戦闘機生産数
[編集]- 飯山 2003, p. 28 によると、「共通のエンジンを使用する」ため「戦闘機の製造ペースが月産100機を超えるのは1940年春」です
- ビショップ 1972, p. 56 に「4月には月産256機」というのはだいぶ違うのですが、戦闘機なのでしょうか?
--Wikkyshor(会話) 2024年5月1日 (水) 00:30 (UTC)
- ビショップの著書を参照して「4月には月産256機」の編集をした者ですが、この256機が他の機種を含むのかまでは記述していなかったように記憶していますので、Wikkyshor様がより詳細な出典により修正編集なさることには何の異議もありません。この記事は元々殆ど出典らしきものがありませんでしたので、資料を集めて編集しましたが、事実誤認している個所につきましては引き続き有効な出典にて修正編集をお願い致します。
--Otyoufujinn(会話) 2024年5月1日 (水) 11:14 (UTC)
- 飯山幸伸の著書ですと工場に言及していることから、スピットファイアだけに限定して「月産100機を超えるのは1940年春以降」ということですね
- Spitfire Charts ProductionでApr 40(4月)のタイミングでSpitfireは40~50機程度
- Geoffrey Sinclairさんによれば、
- Hurricaneの方が1937年12月~1941年2月ホーカー社1,924機、1939年10月~1941年6月グロスター社1,850機
- この数を見てみると量産体制的にはスピットファイアとハリケーンだけで月産256機を超えそうな数字になります
- 一応、(生産数書いてなかった気がしますが)手近な所にある著者リチャード・ハウ&デニスの方も調べてみてから、
- 先月から提案しているように両論併記でまとめるよう善処します--Wikkyshor(会話) 2024年5月1日 (水) 13:26 (UTC)
- 256機はそのままに、リチャード&デニスの生産数も併記しました。あとで訂正しますが、キャッスルプロミッジのスピットファイア分散型工場について言及があるのは飯山 p.162でした。--Wikkyshor(会話) 2024年5月10日 (金) 10:20 (UTC)
Adlertag (Adler Angriff)
[編集]- プロジェクト‐ノート:軍事史にて告知しました
- 現状、鷲作戦、アドラータークですが、出典によってこれも訳が異なるようです。飯山幸伸 2003 p145だと鷲攻撃、アドラーアングリフでした。
- 一方でメッサーシュミット機の書籍などでもアドラータークが使われているようで、アシカ作戦(Seelöwe, Sea Lion)
- ヴェーザー演習作戦(Weserübung, Weser)のように「英語+作戦」が正解でしょうか?--Wikkyshor(会話) 2024年5月2日 (木) 13:32 (UTC)
- 意見が出ないため、アドラーターク作戦で統一しました。--Wikkyshor(会話) 2024年5月10日 (金) 10:20 (UTC)
第5航空艦隊
[編集]ノルウェーのスタバンガーから出撃している攻撃隊の数や攻撃地点が食い違いあり。
- ビショップ 1972 - He 111 100機、Bf 110 30機(旧・現行)
- リチャード&デニス 1994 - He 111 65機、Bf 110 30機(追加)
- 飯山 2003 p.165-166 - He 111 70機、Bf 110 20機
あとはサンダーランド爆撃だけなのか、ニューカッスル、サンダーランドの両方なのか、飯山は爆撃した都市名まで言及されていません。情報求む。--Wikkyshor(会話) 2024年5月10日 (金) 10:20 (UTC)
- ボールドウィン 1967, p. 55 - サンダーランドで24戸の住宅を破壊
- 現在、文章的に第2、3航空艦隊の攻撃によるものになっていますが、(文章位置が違って気づかなかったのですが)第5航空艦隊の攻撃では--Wikkyshor(会話) 2024年5月20日 (月) 13:16 (UTC)
秘密工場
[編集]秘密工場とはen:British shadow factoriesの日本語訳で使用されたのかもしれませんが、英語版のページを確認していただければわかるようにどちらかというと民需から軍需へ転換のことを指しているのではないでしょうか。軍民転換の逆にあたる民軍転換(国会図書館サーチでは用語そのものは存在するようですが)はページがないです。といっても飯山だと分散型(p.162)以上に深く言及されておらず、影の工場(リチャード&デニス 1994 p.74)も単なる直訳でイマイチです。--Wikkyshor(会話) 2024年5月11日 (土) 13:02 (UTC)