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ノート:パブロ・ピカソ

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経歴について

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1881年~1973年、南スペインのマガラに生まれバルセロナの美術学校学んだ後19歳でパリに出てロートレックらの影響を受け20歳ごろ貧民を題材に哀愁漂う『青の時代』が始まる。23歳から5年間パリの“洗濯船”と呼ばれた貧しいアトリエで、明るい色調の『バラ色の時代』に入り道化師や曲芸師らの生活を描く。--以上の署名のないコメントは、211.122.64.174会話/Whois)さんが 2004年8月22日 (日) 01:53‎ (UTC) に投稿したものです(Asturio Cantabrio会話)による付記)。[返信]

年表について

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記述があまりにも細か過ぎます。 百科事典なので、美術史的に重要な作品の完成年、受賞、展覧会など以外は省くべきでしょう。--以上の署名のないコメントは、Kanaokakouen2000会話投稿記録)さんが 2013年6月1日 (土) 09:30 に投稿したものです(ぼしんせんそう会話)による付記)。

画像について

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英語バージョンのように、フェアユースのもとで画像を豊富に貼り付けたいです。みなさん遠慮して誰も貼りませんがなぜ?(Otkoyg)

フェアユース参照。現在の日本語版ではその方針を採用しています。 Zorac 2006年5月8日 (月) 11:31 (UTC)[返信]

共産党との関係について

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『スターリンの肖像』を描いて共産党から批判された事件ですが、絵を見るとピカソに悪意は感じられず、もともと「社会主義リアリズム」しか認めない共産党と「ブルジョア絵画」を描くピカソとの間には溝があったと考えられます。『スターリンの肖像』が載っていた本は、創元社の「知の再発見」双書です。 Otkoyg2006年5月21日

フルネームについて

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関心度が高いので、今後ももめるでしょう。Webサイトに依拠すると二転三転するので、信頼できる活字本に拠るのがいいと思います。 以下、参考までにご紹介。


  • ジェーム・サバルテ 『親友ピカソ』 美術出版社、1950年。(原本はスペイン語だが、英訳本をもとにした翻訳)

Pablo, Diego, José, Francisco de Paula, Juan Nepomuceno, Crispin, Crispiano de la Santisima Trinidat


  • ローランド・ペンローズ 『ピカソ その生涯と作品』 新潮社、1978年。(パウロはパウラの間違いと思われる)

パブロ、ディエゴ、ホセ、フランシスコ・デ・パウロ、フアン・ネポムセノ、マリア・デ・ロス・レメディオス、シプリアノ・デ・ラ・サンティッシマ・トリニダッド


  • 神原泰 『ピカソ礼賛』 岩波書店、1975年。

パブロ、ディエゴ、ホセ、フランシスコ・デ・パウラ、ホアン・ネポムセーノ、クリスピン、シプリアノ・イ・マリア・デ・ロス・レメディオス・デ・ラ・サンティシマ・トリニダッド(役所に届けられた名前)

パブロ、ディエゴ、ホセ、フランシスコ・デ・パウラ、ホアン・ネポムセーノ、マリア・デ・ロス・レメディオス、シプリアノ・ド・ラ・サンティシマ・トリニダッド(教会の洗礼書に書かれた名前)


-- Otkoyg 2006年11月9日 19:09 (日本時間)

ENCYCLOPEDIA BRITANNICAでは

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Pablo Picasso(ENCYCLOPEDIA BRITANNICA)では " Pablo Diego José Francisco de Paula Juan Nepomuceno Crispín Crispiniano María Remedios de la Santísima Trinidad Ruiz Picasso " となっています。--Krorokeroro会話2019年11月4日 (月) 04:04 (UTC)[返信]

ちょっとしたこと

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「ピカソに限らず、この種の事実を湾曲させた記述を厭わぬ輩がインターネット上では後を絶たないが、事実を正確に共有する為にも、投稿するに際し捏造は勿論の事、不正確、不明瞭な情報に対し、それらのデータを安直に流さないというモラルの徹底を呼びかけたい。」この一節はピカソとの関係性が乏しい内容なので削除。GoPostal! 2007年2月13日 (火) 05:51 (UTC)[返信]

加筆依頼について

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とりあえずタグを除去してほしくて加筆しましたが、キュビスムの時代を三つに細分化するなどというのは、もはや専門家の領分です。われわれはピカソについての知識を人々に、せめて一般教養レベルで知ってほしくて、フリー(無料)百科事典の制作に参加しているのでしょう。ピカソの画歴は、青の時代と、ゲルニカの時代のふたつだけでもじゅうぶんなくらいだと思っています。--Otkoyg会話2012年5月6日 (日) 11:39 (UTC)[返信]

作品一覧記事のあり方

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下記の2記事は、スペイン人である(と思われる)利用者:Jordi poloさんによって2004年に立項された作品一覧記事です。現在2015年5月時点では当記事パブロ・ピカソからのリンクは付与されていません。ウィキペディアの品質基準を満たすために、最低でも以下のような改善を行う必要があります。

  • ピカソの作品 (1889年 - 1900年) : 1899年以降の表も完成させる、表中のType、Ownerなどを日本語化して適切なリンクを付ける、主要な作品だけでも邦題を付ける
  • ピカソの作品 (1911年 - 1920年) : アルファベット順ではなく制作年順に並び変える、主要な作品だけでも邦題を付ける、一覧を製作するにあたって参照した出典を明記する

ピカソは多作な芸術家の代表的存在です。きちんとした品質であるならば、優れた一覧記事であるフィンセント・ファン・ゴッホの作品一覧のようにパブロ・ピカソの作品一覧を立項することには意義があると思われます。しかし、パブロ・ピカソの作品一覧が存在しないのに、細分化した作品一覧が必要でしょうか。キュビズム時代 (パブロ・ピカソ) の作品一覧青の時代 (パブロ・ピカソ) の作品一覧などではなく、単純に10年ごとに区切った作品一覧は有用でしょうか。この2記事のあり方について意見を求めたいと思います。なお、現時点では私が抜本的な改善を行う意思はありません。--Asturio Cantabrio会話2015年5月3日 (日) 12:52 (UTC)[返信]

コメント依頼も行いましたが反応がなかったため、両記事を本記事へのリダイレクトとしました。--Asturio Cantabrio会話2015年6月5日 (金) 16:53 (UTC)[返信]

生涯の節について

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Wikipediaにおいて、基本的には「箇条書き」は好ましくありません。記述方法を改善すると同時に、もっと充実させるべきだと思います。--180.5.0.192 2023年7月31日 (月) 21:04 (UTC)[返信]