コンテンツにスキップ

英文维基 | 中文维基 | 日文维基 | 草榴社区

ノート:ブルーインパルス

ページのコンテンツが他言語でサポートされていません。

写真について

[編集]

展示課目のところにある2枚目の写真は、ぶれていて被写体が良く分からず、被写体も小さいので、百科事典の写真としては不適に思います。皆さんの意見を伺いたいと思います。 蚊注射 2005年10月7日 (金) 03:50 (UTC)[返信]

撮影者です。ぶれているのは承知しております。動きの早い被写体を撮影する技術がなくこのような写真になりました。標準的な5機編隊の写真もあってもいいかと思ったのとサムネイルならぶれも目立たないかと思い載せました。どうしても見苦しいということなら削除してもらってもかまいません。できればよりよい写真の提供をお願いしたいところです。+- 2005年10月7日 (金) 06:02 (UTC)[返信]
僕はあの写真でもかまわないと考えております。一度お試しになられたらよくわかるのではないかと思いますが動きの早い被写体を撮影するのは難しいことでもありますし、5機編隊の写真も必要ではないか、との理由からです。しかし+-様よりよりよい写真の提供を、とのお声がありましたのでとりあえず2枚(2葉)、アップロードしておきました。よろしければご利用ください。
画像:Bi at rjnk.jpg 画像:Blue at rjnk.jpg
2枚とも6機編隊の写真で2005年の小松基地航空祭にて撮影したものです。蚊注射様よりEOS用の400mm以上のレンズをご提供いただければさらによい写真が提供できますけれど…w(冗談です)--t.nakane 2005年10月7日 (金) 09:57 (UTC)[返信]
私も飛行機写真をときどき撮影しているのでブレ易いのは承知していましたが、wikiに参加している方ならより良い写真が提供いただけるのではないか(あるいは私から提供しても良いので)と思って提案しました。 t.nakane様から非常に鮮明な写真のご提供があったようですので、差し替えでよろしいでしょうか?蚊注射 2005年10月7日 (金) 11:19 (UTC)[返信]
差し替えはかまいません。あとできればスモークの絵の様子がわかる写真があればお願いします。キューピットとかスタークロスとか。逆に広角レンズが要るのかな? あれば「飛行機雲でないもの」にも使いたいと思います。+- 2005年10月7日 (金) 20:50 (UTC)[返信]
写真を差し替えて、構成も見直してみました。あと、スモーク演技としてバーティカルキューピッドの写真を入れてみました。いかがでしょうか。 蚊注射 2005年10月8日 (土) 05:37 (UTC)[返信]
飛行機雲にも使わせてもらいました。ついでに新規画像にも推薦しておきました。+- 2005年10月8日 (土) 08:29 (UTC)[返信]

行進曲

[編集]

「ブルーインパルス行進曲」というのがありますが、まだ展示飛行の際に流されているのでしょうか?入間航空祭では、ウォークダウンを始めた頃から聞かれなくなりました。追加しようと思っていますが、現状を知りたいと思いまして。Hvhv 2006年11月2日 (木) 06:09 (UTC)[返信]

T-2のPTAについて

[編集]

PTAは通常型のT-2(F-1も)に最初からついている機能だったと思うのですが。現在の文章を読むと、PTAはブルーインパルス仕様機に新設した装備であるように読めてしまいます。確かにこの機能に関して改修は行われていますが、それは、通常型ではあらかじめスイッチを入れておくと、スロットルの位置(回転数で80か85%~MILの間)に応じて、自動的にアフターバーナーが作動するようになっているものを、スロットルから手を離すことなく、必要なときだけ、左エンジンのPTAを作動させるスイッチを増設したというものだったと思います。右エンジンのPTAを作動させないのは注釈のとおりです。--以上の署名のないコメントは、122.19.48.214会話/Whois)さんが 2007年8月21日 (火) 17:11 (UTC) に投稿したものです。[返信]

トーチングについて

[編集]

オーストラリア空軍のF-111が行うデモフライトでダンプした燃料に着火させる「トーチング」という言葉を、スモークパイプ移動後の保護の為に発煙油を流出させる必要があるT2BIに使用するのは適切でないと思います。--222.225.139.45 2008年10月11日 (土) 11:13 (UTC)[返信]

浜松事故の原因について

[編集]

事故調査報告書に「ループ頂点の高度不足」という記述はありません。またリーダーのブレイクコールの遅れについては通常より「2.2秒」とあり、その原因はADSIのボ-ルに注意が向けられていたとあります。--222.225.139.45 2008年10月11日 (土) 11:13 (UTC)[返信]

沿革と年表について

[編集]

ほぼ同じ内容が含まれるので、統合した方がより見やすくなるのではないでしょうか?--Cp9asngf会話2013年7月11日 (木) 06:49 (UTC)[返信]

新しい話題は下のほうに置くようなので移動しました。さて、沿革と年表についてですが、個人的には年表はなくても問題ないのではないかと思うのですが、沿革は必ずしも時系列に並ぶとは限らず、また年表がないと読むのがきついという意見などもあったりすることを想定して、両方とも存置しています。ただ、あくまでも文章中心のほうがよいのではないかと考えると、記事の途中に箇条書きが並ぶのもどうかと思ったので、巻末資料のような位置づけで最後の「データ」節に記述しています。
なお、Cp9asngf様には演技課目の画像を多数出していただき、加筆に携わったものとしては大変ありがたく思います。この場を借りてお礼申し上げます。Cassiopeia-Sweet会話2013年7月11日 (木) 11:50 (UTC)[返信]
Cassiopeia sweetさん、ありがとうございます。理解しました。--Cp9asngf会話2013年7月12日 (金) 14:17 (UTC)[返信]

不正確な内容の修正を希望

[編集]

久しぶりにこの項目を見たら、また随分と内容と記述が変わってしまいましたね。

ところで、そのまま無視して放っておいても良かったのですが、「Wikipedia」という万人が目にする記事の性格上、間違った内容を指摘しなままでいるのも何だか気持ちが悪いので、取り敢えず指摘させて頂きます。

これをどう判断するかは、ご覧になった人の自由です。

ただし、執筆陣に加わるのは面倒なので、内容を修正するしないは記事の編集執筆陣の方の判断にお任せします。つまり、私にしてみれば、その個所が今更修正されようとされなかろうと、それはもはやどうでも良いことだからです。(w

■不正確な内容が記されている部分(T-2時代に関する部分)

T-2戦技研究班に当初配備された機体(つまりアクロ仕様機)は、59-5111,59-5112,19-5172,19-5173,19-5174,19-5175,29-5176,29-5177で、浜松事故によって失われた19-5174の補充機として69-5128、更に99-5163が配備され、それ以降の追加配備は一切行われていません。従って、トータル10機配備されたうち事故で3機が失われ、残ったのは7機。それは、使用機の一覧表に記されているとおりです。

これをふまえた上でご覧になって頂きたい箇所が、「訓練中の事故」欄に記されている「1994年には2機のT-2がブルーインパルス仕様に改造され...」という部分と、「歴代運用機」欄の「T-2(1982年→1995年)」に「また1991年の墜落事故の後、補充のために後期型から2機がブルーインパルス仕様に改修された」と記されている部分。

これは全くのガセであり、大ウソです。

■大ウソだという根拠・その1 --- 69-5128が追加配備された時期。

本の中身だけスクラップして既に各誌の表紙が無いので、正確な月号は定かではないのですが(とは言え、1~2号前後するだけですが)、誌名不詳(恐らく航空情報誌だと思われる)1983年の恐らく12月号に、1983年10月29日~11月6日に航空自衛隊・岐阜基地で開催された、「1983国際航空宇宙ショー(撮影・太田徹氏/文・石川潤一氏)」を紹介する記事内にて、「戦技研究班の編隊飛行」の写真と共に「128号機が補充機として加わっていた」と記されています。

また、航空ファン誌1983年の恐らく12月号の、P11から掲載された「松島~T-2の日々、戦技への挑戦(写真・瀬尾央氏/文・宮本勲氏)」には、P15に掲載された瀬尾央氏撮影のT-2離陸シーンで、ブルーインパルス仕様の59-5111と69-5128がばっちりと写っており、そのキャプションには「事故で失われた174号機に代り、ブルー使用機となった128号機が、111号機を従えて離陸する」と記されています。

更には、航空ファン別冊 イラストレイテッド 1999 AUTUMN No.108「自衛隊航空機オールカタログ」の、T-2を掲載しているP46からの見開きページで、P47には「1986年8月30日に行われた横田基地オープンハウスでカリプソを披露するデュアル・ソロ」のキャプションと共に、5番機には99-5163が、6番機には69-5128が写っている写真が掲載されています。

そして、当方が航空祭で撮影した写真には、1985年10月13日に行われた横田基地友好祭の展示飛行で不鮮明ながらも3番機に、1987年8月23日に行われた松島基地航空祭で、旧アラート地区に地上展示されていた機体に、1989年8月27日に行われた松島基地航空祭で7番機の隣に駐機する予備機として、1990年8月26日に行われた松島基地航空祭で6番機として、それぞれ69-5128が写っています。

■大ウソだという根拠・その2 --- 99-5163が追加配備された時期。

前述したとおり、航空ファン別冊 イラストレイテッド 1999 AUTUMN No.108「自衛隊航空機オールカタログ」の、T-2を掲載しているP46からの見開きページで、P47には「1986年8月30日に行われた横田基地オープンハウスでカリプソを披露するデュアル・ソロ」のキャプションと共に、5番機には99-5163が、6番機には69-5128が写っている写真が掲載されています。(余談ながら、この時5番機を担当したのは、横地1尉でした。)

また、こちらも今や本の中身だけスクラップして既に表紙が無いので、正確な月号は定かではないのですが(こちらも、1~2号前後するだけですが)、航空ファン誌1989年の恐らく10月号、P74から掲載された「第21飛行隊戦技研究班の現況(写真/文・水野民雄氏)」には、P79の文中に、「現在のチーム使用機は、59-5111,59-5112,69-5128,99-5163,19-5172,10-5173,19-5175,29-5176,29-5177の9機で、チーム新編当初の8機と比較すると、機材繰りには少し余裕が生じている感じを受ける」と記されています。

尚、1987年8月23日に行われた松島基地航空祭で、当方が撮影した展示飛行後の4番機着陸シーンで、また、1987年にTBS系列で放送されたドキュメンタリー「すばらしき仲間」でも99-5163が写っており、少なくとも1989年8月27日以前の構成メンバーが登場しているビデオ、「ROLLING IN THE SKY / Blue Impulse Mitsubishi T-2」にも、99-5163が写っています。

■結論

従って、69-5128は少なくとも1983年10月29日以前に追加配備された機体であり、99-5163は1986年8月30日以前に追加配備された機体なので、「1994年」とか「1991年の墜落事故の後」などというのは、全く根拠のない大ウソだ、と言えるのです。

また、こちらはどうでも良い事ですけど、「訓練中の事故」欄で「事故により2機を喪失していたため」という箇所ですが、それでも当時ブルーインパルス仕様のT-2は7機が存在しており、その主因はどちらかというと退職者と2名殉職による要員不足です。


最後に...

このページを編集執筆した人が、雑誌の記事を鵜呑みにしてそのまま間違って記したのかどうかは知らないものの、そうだとすると見事にガセネタを掴まされてしまいましたね。(笑)

老舗の航空雑誌等は校正がしっかりとしているのか比較的正確な記事やデータを掲載していますが、最近の新興航空雑誌等は、データの誤字脱字、誤載などの類が非常に多く迷惑しており、仮に『パーフェクト・ガイド』(2003年版)p.104に、この件がそう記されていたならば、果たして一体編集者の誰がこんなウソ記事を書いたのでしょうか? その雑誌社では、正確な取材とか誌面の校正作業を的確に施しているのかどうかすら、甚だ疑問にも感じてしまいますが、この様な事を記していると雑誌内容の信頼性も揺らぎますね。

何しろ最近の若い雑誌編集者は、インターネットで見ただけの内容を鵜呑みにしたりして、面倒くさがってきちんと記事の裏付けを採ったりせず、間違った内容をそのまま垂れ流したりする事も多いですから、くれぐれも注意が必要です。

また、ネット上に記されている事にも言えるのですが、そもそも雑誌に記されている事すらも全て真実や事実、正確な内容だとは限らず、特定の人が、あまりにも強いその思い入れで記している内容の書籍等はなおさらのこと、他人の受け売りをかなり誇張して記していたり、脚色を加えたり、憶測や推測を記した内容が非常に多いのが現実です。

ですから、実際に自分が経験していない、自分の目で見てもいない件をこういったページに出展して記す際には、その信憑性や正確の曖昧さから、あまり特定の本だけからの引用や出典はなるべく行うべきではなく、特定の出版社の雑誌や、特定の書籍の中身だけを信じ込まずに、客観的に数多くの資料を紐解いて裏付けを採り、真実と事実、正確な内容を読み解いて頂きたいと、「Wikipedia」の執筆陣には節に願うものです。

以上で、当方からの不正確な内容の指摘を終わらせて頂きます。

...あー、すっきりしたぁ!!

--61.201.194.15 2013年7月30日 (火) 04:09 (UTC)[返信]

大変貴重な情報とご意見ありがとうございます。本のスクラップがあるというだけでも、「何かで読んだ記憶」というよりははるかに検証しやすい情報と思います(何年のことかが分かっていれば、その年の雑誌を重点的にチェックすればいいわけですから…)。ひとまず、
「訓練中の事故」節
「2機のT-2がブルーインパルス仕様に改造され、」を「新規に要員の養成も行われ、」に変更。「事故により2機を喪失していたため」はカット。
「歴代運用機」の節
補充の2機について「また1991年の墜落事故の後、補充のために後期型から2機がブルーインパルス仕様に改修された。」を「また、補充のために1983年と1986年に後期型から1機ずつがブルーインパルス仕様に改修された。」に変更。
以上のように修正を行いましたので、ご報告させていただきます。Cassiopeia-Sweet会話2013年8月3日 (土) 12:08 (UTC)[返信]

ここの内容、正確ですか?

[編集]

T-2時代の「訓練中の事故」内での金華山沖事故に関して、『編隊長はブルーインパルスのパイロットとなってから12年もの間異動がなかった』という部分ですが、この方は確かに長期間の第4航空団勤務となっており、第21飛行隊に配属された後に戦技研究班の正式発足以前から、いわゆる「次期戦技研究班の基幹要員」となって飛行訓練していたものの、正式発足以前の間は戦技研究班の在籍期間(ブルーインパルスのパイロット)とは別に計算すべきで、正しくは『第4航空団勤務になってから12年もの間異動がなかった』とすべきではないでしょうか。

そうしないと、T-2戦技研究班の発足(1982年1月12日)以前(1991年から12年差し引くと1979年)から、「まだ正式発足すらしていないT-2戦技研究班」に、「ブルーインパルスのパイロットとして在籍していた」事になってしまいます。

引用元にそう記されていたからといって、それが辻褄の合わない不可思議な記述だという事は、単純に計算すれば判るはずです。 やはり、あまり雑誌の内容を鵜呑みにして、そのまま引用ばかりしない方が良いと思いますよ。--61.201.194.10 2013年8月18日 (日) 03:55 (UTC)[返信]

失礼しました。原典には「第21飛行隊」としかなかったので、何か思い違いしていたようですので修正しました。Cassiopeia-Sweet会話2013年8月19日 (月) 14:34 (UTC)[返信]

東京オリンピックの五輪マークの数字を入れてほしいです。

[編集]

1年半を海の上で訓練したブルーインパルスF-86が貴賓席から見えるよう、スタジアム上空3000メートルに五色のスモークで直径1800メートル各五輪の間隔300メートルで五輪マークを描く。(2013年8月19日20時NHK総合放送「1964東京オリンピック~第1回平和の炎が灯った日」を参考)和成会話2013年8月22日 (木) 13:50 (UTC)[返信]

コメント テレビ放送で見た、は一般的に出典にはなりません。Wikipedia:井戸端/subj/テレビ・ラジオ番組を出典とすることは可能かが参考になるかと思います。--maryaa会話2013年8月22日 (木) 14:04 (UTC)[返信]

ファイル:2013小松基地航空祭.jpgの意図について

[編集]

開催場所の共用飛行場に関する記述の直前に挿入されたこの画像についてですが、ここへ挿入された意図がよくわかりません。共用飛行場である小松飛行場でのディスプレイではあるのですが、背景が空だけなので記述への関連性が希薄なものとなっているように思いました。掲載者様を含め皆さんのご意見はいかがでしょうか。--Cp9asngf会話2013年10月14日 (月) 10:16 (UTC)[返信]

浜松事故の記述について

[編集]

「辛うじて水平飛行に戻したが失速状態に陥り」とありますが、とても信じられません。 事故調査報告書によると、事故機の墜落時のピッチ角はプラス11度、経路角はマイナス16度、対気速度355ノットです。この事から、AOAは27度になります。引き起こし荷重も制限内で行われているとの事ですので、「水平飛行に戻した」というのも、「失速状態に陥り」というのも、根拠のない記述ですので、削除されるのが適切と思います。--以上の署名の無いコメントは、利用者:Kazuot会話投稿記録)さんによるものです。Cassiopeia-Sweet会話2014年4月24日 (木) 13:02 (UTC)[返信]

その一文がなくても、全体の記述への影響はないと思われますのでカットしました。Cassiopeia-Sweet会話2014年4月24日 (木) 13:02 (UTC)[返信]

2020年7月26日 (日) 13:55‎のGun Nagata氏による投稿について

[編集]

Gun Nagata氏はソースとしてブロック紙である東京新聞一社の記事を用いているが、おおむね世相を反映するであろう全国紙全5紙および共同通信社、国際的報道機関のフランス通信社では、少なくともここまでの批判的な記事は書かれていないため、中立的観点からは著しく外れた思考かつ一部の思想家による、偏った記事であると考えます。よって、この版の削除を提起します。 [1] [2] [3] [4] [5] [6] [7]--Cp9asngf会話2020年7月26日 (日) 09:43 (UTC)[返信]

賛成も反対も出ないので、この版の削除を行います。--Cp9asngf会話2020年8月8日 (土) 05:02 (UTC)[返信]
脚注