ノート:三位一体
この記事は過去に削除依頼の審議対象になりました。新しく依頼を提出する場合、以下を参考にしてください。
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編集報告2011年11月14日(UTC)
[編集]この編集につき説明します。実質、この編集の修正です。IPさんは「三位一体を認めない=異端は乱暴なので修正しました。」と言って編集していますが、乱暴なのはIPさんの方です。非カルケドン派が三位一体を認めていることなど、ググればすぐに判るレベルのことなのに、どうしてこういう出鱈目を何も確認せずに書けるのか理解に苦しみます。修正しておきましたが、今後こういうことがないように願うものです。--Kinno Angel 2011年11月14日 (月) 00:42 (UTC)
編集報告2011年11月23日(UTC)
[編集]報告 この編集につき報告申し上げます。
- 「また、この教説における意味での神の性格を三一性という。」についてですが、アウグスティヌスにみられ、こんにちもローマカトリック教会をはじめ様々な場面で重要視される考え方、すなわち愛や人間の精神に三位一体の痕跡(Vestigia Trinitatis)を認める考え方が強く反映された文面であるという印象を受けます。Vestigia Trinitatisについてはここでは明言されていませんし、「三一性」という言葉自体はほぼ全教派に共通して用いられる語彙ではあろうかと思いますが、【「神の性格」を「三一性」】というこの文言は、やはりVestigia Trinitatisが背後にあるように感じましたし、「神の性格」という語彙そのものも、Dogmaの説明に係る箇所に使われる文言としてはちょっと危険であると感じます(三位格の「性格」なのか一実体の「性格」なのか、そもそも「性格」とはギリシャ語もしくはラテン語における定式の何に対応するのか、など)。⇒削除しました。
- 「教義」と「教理」について、両語彙の使い分けに神経を使う教派と使わない教派とがありますので、この両語彙の使用は極力避けています(但し全部排除はしていません)。
- 以前の執筆者がどういう意図で設けたか存じませんが、「歴史」節の「処女懐胎」節は削除しました。Incarnationの説明では必要かもしれませんが、三位一体の「歴史」節にあるのは、ちょっと奇抜な感じが致します。
- 「正教会では神における三つの自立存在 (υπόστασις) を強調するため」についてですが、これは通俗的解釈として耳に挟んだことはあるものの、しっかりとした文献でこの訳語の使用理由を見た覚えがありません。歴史節と合わせて、検証が必要な工事対象箇所としまして、コメントアウトしました。
- ほか幾つか、出典の明記タグを節に移し、コメントアウトしています。
- 歴史節に工事中タグを貼らせて頂きました。さらに工事を継続します。--Kinno Angel 2011年11月23日 (水) 03:50 (UTC)
編集報告2014年8月31日(UTC)
[編集]報告 三年弱もの間、こちらの工事をほったらかして居ました事をお詫び申し上げます。この編集につき説明申し上げます。
- 「歴史」節は、正しい部分もあったのですが、出典の明記タグが貼られてから2年半以上も放置されてしまっていること、内容も西方教会に限定的になっている上に、幾つか深める必要がもっとありそうな部分が見受けられたこと等から、思い切って全削除とさせて頂きました。将来的に歴史節を復活させようとも思っていますが、現時点では中途半端な内容・検証可能性では逆に理解の妨げになるという判断をしました。
- 出典の欠如以外の問題として以下を挙げます。
- まず冒頭、テルトゥリアヌス関連の説明が、文章としてちょっとヘンな感じになっています。
- アウグスティヌスを持って来て居ますが、西方では重視される聖人の一人ではあるものの、東方ではそれほど重視されません。西方においても、カトリック教会のカテキズムにおいて三位一体の説明部分でまとまって引用されているのは、ナジアンゾスのグレゴリオスの方です(#256)。
- ギリシャ語まで使って居ますが、アリウス派の主張内容を「御子は神性を持たない」と要約しているのには首を傾げます。御子が「神的である」事まではアリウスも主張していたとされ、「神性を否定」は(少なくとも中立的媒体における表現としては)言い過ぎと考えます。
- 「当時は神学において首位を担っていたアレクサンドリア学派と激しく対立した。」とありますが、「当時は首位を担っていた」に疑問符が付きます。4世紀だけでなく、7世紀頃まではアレクサンドリアとアンティオキアが神学の中心地として並び立っており、「当時」「首位」という表現に「言葉の足りなさ」を感じます。
- ほか、幾つか節を整理しております。
- 特に「三位一体の盾」の説明と、「異端との対比」を中心に編集中です。後者はまだ工事継続中ですが、3日間の間には完成させる予定です。
以上、現時点の編集報告まで。--Kinno Angel(会話) 2014年8月31日 (日) 17:37 (UTC)
- 報告 今後も随時加筆していくつもりですが、一旦、大幅改稿を終了しました。工事中テンプレへの御協力ありがとうございました。--Kinno Angel(会話) 2014年9月2日 (火) 00:01 (UTC)
外部リンク修正
[編集]編集者の皆さんこんにちは、
「三位一体」上の5個の外部リンクを修正しました。今回の編集の確認にご協力お願いします。もし何か疑問点がある場合、もしくはリンクや記事をボットの処理対象から外す必要がある場合は、こちらのFAQをご覧ください。以下の通り編集しました。
- http://www.sutv.zaq.ne.jp/osaka-orthodox/にアーカイブ(https://web.archive.org/web/20100727161833/http://www.sutv.zaq.ne.jp/osaka-orthodox/)を追加
- http://www5.ocn.ne.jp/~f-frank/39kajyo.htmlにアーカイブ(https://web.archive.org/web/20130508163800/http://www5.ocn.ne.jp/~f-frank/39kajyo.html)を追加
- http://www.sutv.zaq.ne.jp/osaka-orthodox/にアーカイブ(https://web.archive.org/web/20100727161833/http://www.sutv.zaq.ne.jp/osaka-orthodox/)を追加
- http://www.sony.co.jp/Fun/SH/1-15/h4.htmlの書式設定/使用方法を修正
- http://www.sutv.zaq.ne.jp/osaka-orthodox/index.htmにアーカイブ(https://web.archive.org/web/20080319104710/http://www.sutv.zaq.ne.jp/osaka-orthodox/index.htm)を追加
編集の確認が終わりましたら、下記のテンプレートの指示にしたがってURLの問題を修正してください。
ありがとうございました。—InternetArchiveBot (バグを報告する) 2017年9月23日 (土) 11:57 (UTC)
「神」は主権者(sovereign)ではなく「主権」(sovereignty)?
[編集]「Wikipedia:中立的な観点#良質な研究」や「Wikipedia:独自研究は載せない#信頼できる資料」を守るため、学術論文を調べてみました。するとキリスト教系文脈での「主権者なる神」[1]や「神のみが唯一の真の主権者である」[2]といった概念が論じられています。ウィキペディアの皇帝#一神教でも、学術資料を出典に「宇宙と歴史の唯一の主権者 (sole sovereign of the universe and of history)」だとか「主権者なる主 (Sovereign Lord)」という記述があります。やはり学説上、キリスト教的文脈での神は、主権というより主権者ではないでしょうか。英語においても、sovereignは「国王、統治者、君主、主権者」などの支配者を指す[3]のに対し、sovereigntyは「主権、統治権、支配権」「君主であること」「独立国」といった支配の権利・状態を指しています[4]。--33メルメル(会話) 2021年1月14日 (木) 04:09 (UTC)
- sovereignは至上・最高という意味があったはずです--サイコロのゆくえ(会話) 2022年2月25日 (金) 20:13 (UTC)
- 現在の記事は「父(=父なる神・主権)」と書かれており、出典がありません。Wikipediaには方針があり、方針は「多くの利用者に支持されており、すべての利用者が従うべき」と書かれています。そして「検証可能性」という方針には「出典が明示されていない編集は、誰でも取り除くことができます(出典のない記述は除去されても文句は言えません)」と書かれています。つまり「父(=父なる神・主権)」という記述は、出典がありませんので「削除されても文句は言えません」ということになります。その他の出典がない記述も同じことですが。
- そして、率直に言うと「父(=父なる神・主権)」は、日本語として意味が通りません。
- 主権とは「国家がもつとされる最高権力」であると『日本大百科全書』で定義されています。主権とは「統治権」であると『デジタル大辞泉』で定義されています。要するに【主権=国家がもつとされる最高権力・統治権】です。しかし
- 「父(=父なる神・主権)」
- が正確であるとするなら、
- 「父(=父なる神・国家がもつとされる最高権力)」
- 「父(=父なる神・統治権)」
- であるということになってしまいます。「主権者」は「国家の主権を有する者」と定義されていますが、「父(=父なる神・主権)」であるというなら、「主権者」とは「国家の父を有する者」でしょうか? 神授王権下や君主主権下では君主が主権者であり、国民主権下では国民が主権者です。ですから主権を持つ君主または国民は、「国家の父なる神を有する者」である、ということになってしまいます。
- 「主権国」とは「主権を完全に行使できる国家」と定義されています。ですので、「主権国」は「父(=父なる神・主権)を完全に行使できる国家」ということになってしまいます。
- いっそ、「父(=父なる神・主権者)」とでも書くほうが語義が通るように思います。
- 繰り返しになりますがそもそも、神が主権(または主権者)であるとWikipediaの記事内で記述するなら、Wikipediaでの「すべての利用者が従うべき」方針に従って出典を明示しなければなりません。そうでなければ「削除されても文句は言えません」。--39.110.160.121 2022年6月28日 (火) 06:06 (UTC)
Ttttt1300さんによる荒らし
[編集]上記編集者による荒らしが見られています。上記編集者はウィキペディアの方針に従い利用してください Hhaimraotkeoru(会話) 2021年8月5日 (木) 01:16 (UTC)
上記編集者による、真実を「虚偽」とする編集がみられています 本項目を編集する場合は本項目についての正確な知識を得た人による編集がなされるべきです Hhaimraotkeoru(会話) 2021年9月19日 (日) 05:26 (UTC)
シナイ写本、バチカン写本およびウルガタ訳のヨハネ第一5章7節に 「聖書には三つは一つの神とは書いていない。16世紀まで三つは一致していると書いてあると思われてきた。しかしラテン語ウルガタ訳のヨハネの手紙一5:7「父、言葉、聖霊、これらは三つで一つである」という言葉は、三位一体を支持する人たちにより、その訳に付け加えられた改ざんであることが明らかになった。そのため、現在多くの訳ではこの部分は除かれている」って書いてあるんですか?
あなたは2021年8月5日にこの部分の出典元をhttps://wol.jw.org/ja/wol/d/r7/lp-j/1975209からシナイ写本、バチカン写本およびウルガタ訳のヨハネ第一5章7節に変更しています。 明らかに出典元の虚偽ですよね。あなたの仰る正確な知識とは「jw.org」から得られる物ですか?--Ttttt1300(会話) 2021年9月19日 (日) 06:23 (UTC)
はい。jw.orgの記載は検証可能な信頼できるものですが、それでは満足されなかったので、検証可能なシナイ写本などの聖句を記載しました。 Hhaimraotkeoru(会話) 2021年9月19日 (日) 12:04 (UTC)
- jw.orgの記載は一般的には信頼できませんよ。一部の国ではカルト認定されていますから。百科事典の冒頭に持ってくるには不適切です。
- シナイ写本の聖句ってどの部分ですか?--Ttttt1300(会話) 2021年9月20日 (月) 01:04 (UTC)
- まさか、シナイ写本に
- 「聖書には三つは一つの神とは書いていない。16世紀まで三つは一致していると書いてあると思われてきた。しかしラテン語ウルガタ訳のヨハネの手紙一5:7「父、言葉、聖霊、これらは三つで一つである」という言葉は、三位一体を支持する人たちにより、その訳に付け加えられた改ざんであることが明らかになった。そのため、現在多くの訳ではこの部分は除かれている」
- って書いてないですよね?--Ttttt1300(会話) 2021年9月20日 (月) 01:05 (UTC)
私が編集する前は「聖書には父、言葉、聖霊、これらは一致していると書いてある」という記載でした。でもこれは16世紀に改ざんであることが明らかになり、現在は聖書にそのような記述はありませんので、その事実を記載しました Hhaimraotkeoru(会話) 2021年9月19日 (日) 12:06 (UTC)
- 「16世紀に改ざんであることが明らかになった」の出典はどこですか?jw.org以外でお願いします。
- 多くの訳って何ですか?日本語訳?英訳?多くというからには数はいくつでしょう?--Ttttt1300(会話) 2021年9月20日 (月) 01:27 (UTC)
分かりました 編集いたします Hhaimraotkeoru(会話) 2021年9月20日 (月) 15:57 (UTC)
エホバの証人主導による編集について
[編集]表題の件、最近目につきます。 Wikipediaは宣伝の場ではないのですが、それをご理解いただけない編集が多く収拾がつかなくなっております。 随時編集をしていく必要はありますが、細かな編集をされるため履歴も負えない状態となっております。 良心のある方は、お忙しいとは存じますが復旧にご協力くださいませ。--219.107.199.61 2022年4月1日 (金) 02:18 (UTC)
エホバの証人の方の編集は、明らかに自己の主張を通すためだけの行為であり、とうてい容認できない状況です。 編集履歴が細かすぎて、復帰までには時間がかかりそうですが関与していきます。現状では、三位一体と無関係な方が「三位一体は存在しない」と主張しているだけの編集に見えますので。--Biblenavi(会話) 2022年4月2日 (土) 14:57 (UTC)
「三位一体と無関係な方が「三位一体は存在しない」と主張しているだけの編集に見えます」失礼ですが、これを見て笑ってしまいました。私は三位一体について、使徒教父や弁証家の思想、その後の三位一体論の発展について詳細な研究を行っております。よろしくお願いいたします。 Hhaimraotkeoru(会話) 2022年4月14日 (木) 10:07 (UTC)
- Wikipediaは、独自研究の発表場所でも演説台でもありません。--Biblenavi(会話) 2022年4月14日 (木) 11:24 (UTC)
Wikipediaの信頼を高めるために事実だけを書いていきます Hhaimraotkeoru(会話) 2022年4月14日 (木) 10:08 (UTC)
- 細かく分けて投稿するのではなく一括投稿を心がけて下さい。一括投稿も信頼度を高めるのに寄与すると考えます。--Biblenavi(会話) 2022年4月14日 (木) 11:25 (UTC)
はい。なるべくまとめるようにします。 何度も同じことを申しますが、三位一体についての歴史を出典も付けて編集してきました。私の書いたもののどの部分が独自研究ですか? ご指摘ください Hhaimraotkeoru(会話) 2022年4月14日 (木) 11:56 (UTC)
- 報告 Wikipedia:投稿ブロック依頼/Hhaimraotkeoruを提出いたしました。ノートでの議論が必要であればそれは別に継続してください。--Aiwokusai(会話) 2022年4月14日 (木) 12:33 (UTC)
Aiwokusaiさん、まず、三位一体の項ににおける私の編集のどの部分が、ブロック依頼するほどの問題なのかご指摘ください。私は根拠のない削除を差し戻しただけです Hhaimraotkeoru(会話) 2022年4月14日 (木) 12:40 (UTC)
ノート「219.107.199.61さんによる編集について」の方でも議論させていただいています。そちらの方が進んでいますので、そちらにてお願いいたします Hhaimraotkeoru(会話) 2022年4月14日 (木) 12:42 (UTC)
復旧に関しての質問です。 保護期間が終了した後、現在の班から復旧を行なっていく予定でしょうか? それとも、版をHhaimraotkeoru氏が関与する前に差し戻す予定でしょうか?
一度もこの記事に携わっておらず、偶然この事態を知った者が横から口を出していいのか迷ったのですが、お尋ねします。 海外Wikiの記事、Trinityに書いてある「Before the Council of Nicaea/ニカイヤ公会議前」を拙文になりますが、翻訳して記載しても大丈夫でしょうか? 復旧の助けにならない上に、不適切だとの意見がありましたら止めておきます。 結城2019(会話) 2022年4月24日 (日) 08:27 (UTC)
- Wikipedia:削除依頼/聖書関連の転載が版指定削除でクローズされた場合、Hhaimraotkeoruさんが参加する前の版に戻すほうが無難ではないかと思います。
- このコメントに顕著な通り、Hhaimraotkeoruさんは最近まで著作権侵害コピペの何がまずいのかを全く認識していませんでした。そして、活動の初期から最近まで他の記事ではコピペを繰り返していたというのに、この記事だけその種の編集を一切していなかったと考えるのは無理があるからです。
- ただ、この記事の場合、他の方の加筆も複雑に絡み合っており、その辺りの加筆もいったんリセットする形になるため、「疑惑」のレベルで全面差し戻しを行うことの正否には迷う部分もあります。--Sumaru(会話) 2022年4月25日 (月) 13:49 (UTC)
- 個人的な意見では、コピペしていると思います。比較的最近の履歴で、連続した編集日時の版で、0バイト編集が4、5件並んでいる箇所があります。確認したら、「, 」を「、」へ直していました。,をよく使うのは、英語から日本語へ翻訳されたサイトでよく見ます。そして、エホバの証人サイトでは、, を使っています。
- Hhaimraotkeoru氏が書いた内容が絞り決めたら、エホバの証人サイトで確認も可能だと思い、お昼休みと、空いた時間を使って、 Hhaimraotkeoru氏が加筆した内容を割り出しました。Wikiの履歴の見比べは不慣れな上、見落としがあるかもしれませんが、復旧と削除依頼提出の可否の判断の一助になるかもしれません。
- 新しいノートを作成して、そこへ履歴を記載します。お時間があるときにご確認ください。--結城2019(会話) 2022年4月25日 (月) 23:26 (UTC)
219.107.199.61さんによる編集について
[編集]上記の匿名編集者による根拠のない編集や削除が見られています。こちらで編集についての根拠や議論をお願いします Hhaimraotkeoru(会話) 2022年4月12日 (火) 13:20 (UTC)
根拠のない編集ではなく、極めて一般的な編集と思います。 むしろ、Hhaimraotkeoru氏のエホバの証人がよくする論法である、「例外的な意見」をさも「一般的な意見」とするような編集姿勢の方が問題ありと感じます。--Biblenavi(会話) 2022年4月12日 (火) 14:22 (UTC)
きちんとした学術研究による編集を行っています。あなた様も三位一体について研究による編集を行ってくださいますか。これ以上の荒らしはやめてください Hhaimraotkeoru(会話) 2022年4月13日 (水) 00:29 (UTC)
- Hhaimraotkeoruさん
- エホバの証人の宗教的な主張を学術研究と主張するのはやめてください。貴殿の記述はある人の発言の一部を切り取り文脈無視での解釈をするエホバの証人の論法そのものであります。その為の差戻であることをご理解ください。
- また、貴殿の会話ページでも一括投稿のお願いをされていますが同じ記事に連続して投稿することはお避け頂けますようよろしくお願いいたします。
- 履歴をわかりにくくする意図があるのかと勘ぐってしまいます。--219.107.199.61 2022年4月13日 (水) 01:14 (UTC)
報告 編集合戦により、記事を全保護しました。Hhaimraotkeoruさん、219.107.199.61さんは、「差し戻したうえで議論もする」のではなく、「まず合意形成したうえで編集する」ように努めてください。なお、Hhaimraotkeoruさんは、固執している版で「ジョゼフ・プリーストリーは、聖書の真理が三位一体などの偽りによって腐敗させられたと書いたが受け入れたのはジェファーソンや合理的非国教徒などごく一部で、他の者からは酷評されることになった」を「ジョゼフ・プリーストリーは、聖書の真理が三位一体などの偽りによって腐敗させられたと書いた」としたうえで、そこにつけられた4件の出典をまとめて除去なさっていますが、このような出典付き記述の除去は、少なくとも形式的には極めて悪質な行為です。仮に、「出典にそのようなことは書かれておらず、むしろ虚偽出典だから削った」とか「出典はおよそ学術的なものとは言えず○○といった定評ある論者からは酷評された文献であり、信頼性に問題がある」といった正当な理由があるのであれば、具体的にお示しになるべきでしょう。それをやらずに相手の側だけを「根拠のない編集や削除」などと批判したり、少なくとも今回の編集合戦に加わっていないBiblenaviさんを「荒らし」呼ばわりするのは、議論の姿勢として非常に疑問です。--Sumaru(会話) 2022年4月13日 (水) 01:38 (UTC)
Sumaruさん 理由をつけて削除については今後そのようにします。ただし219.107.199.61さんも同じように根拠のない削除を行っております。公平な観察をお願いいたします。私は三位一体について長らく編集してきました。突然現れた編集者による根拠のない削除は禁止お願いいたします Hhaimraotkeoru(会話) 2022年4月13日 (水) 03:23 (UTC)
- >公平な観察をお願いいたします。
- あなたはすでに他の記事でも編集合戦を起こしています。それに対し、この記事では上の#エホバの証人主導による編集についてで、219.107.199.61さんがすでに議論を立てています(その節名や文面をもう少し穏当にできなかったのかと思わなくもないですが)。
- ともかくそうして議論が立っている状況で、それを無視してエホバの証人側の主張を加増する行為は、Wikipedia:合意形成を軽視し編集合戦を仕掛ける振舞いとして到底容認できるものではありません。Wikipedia:記事の所有権に明記されているように何年編集しようと何回編集しようと、あなたにこの記事の優先的編集権が与えられることはないのです。
- まずは上の節で客観的な反論などを行い、合意を形成してから本文を編集すべきでした。ですから、『合意形成中の事案に対する、合意のない編集を差し戻すこと』は、(唯一の解決策ではないものの)選択肢の一つとしては存在します。219.107.199.61さんの編集はこの観点からある程度正当化できる余地がありますが、彼の編集にそのような大義名分を与えたのは、ほかでもなくあなた自身の強硬な編集姿勢です。
- もちろん、貴方も219.107.199.61さんもWikipedia:スリー・リバート・ルールにほぼ抵触していますし、219.107.199.61さんの側にも問題がないとは全く考えていません。それは上ですでに両者に対し『「差し戻したうえで議論もする」のではなく、「まず合意形成したうえで編集する」ように努めてください』と「公平」に要請したとおりです。
- ただ少なくとも、『貴方が』219.107.199.61さんを批判することには、ほとんど正当性がありません。--Sumaru(会話) 2022年4月13日 (水) 13:01 (UTC)
- 少なくとも「突然現れた」「長らく編集してきました。」これは編集の正当性とは何らかかわりがない主張に見えます。これはHhaimraotkeoruさんが自称されているキリスト教学者であっても関係がありません。Wikipedia:記事の所有権に抵触しないよう、同じエホバ側の視点による編集者では過去にWikipedia:投稿ブロック依頼/Shingo.aのようなこともありましたので、同じ轍は踏まぬよう慎重に活動されるようお願いします。会話ページを拝見するかぎり、エホバに関連したトラブルはこの件にかぎった話ではありませんよね。--Aiwokusai(会話) 2022年4月13日 (水) 13:41 (UTC)
219.107.199.61さん、エホバの証人の三位一体に対する見解の部分を出典付で書いているのに、なぜ客観的事実を削除されるのですか? Hhaimraotkeoru(会話) 2022年4月13日 (水) 03:27 (UTC)
Aiwokusaiさん 三位一体の項とエホバの証人の信条とは関係ありません。Wikipediaは客観的事実を書く場所です。
「合意を形成してから本文を編集すべきでした。ですから、『合意形成中の事案に対する、合意のない編集を差し戻すこと』は、(唯一の解決策ではないものの)選択肢の一つとしては存在します。」 そのとおりです。ですから私の編集に対してまずは219.107.199.61さんがまずそのようにすべきではないですか?219.107.199.61さんはすでに書いてあった内容と出典を理由なく削除しています。ですから私はそれを差し戻しました。 本当に公平な観点で判断すべきです Hhaimraotkeoru(会話) 2022年4月14日 (木) 00:03 (UTC)
Wikipediaでは、ある項について詳しい編集者による編集が、突然根拠なく削除されてよいはずはないのではないでしょうか それも容認されるのですか Hhaimraotkeoru(会話) 2022年4月14日 (木) 00:06 (UTC)
- >私の編集に対してまずは219.107.199.61さんがまずそのようにすべきではないですか?
- IP氏が上の#エホバの証人主導による編集についてを立てたのが4月1日、貴方がそれを無視して今回の加筆をしたのが4月11日、時系列的に考えてあなたの主張は支離滅裂です。
- >ある項について詳しい編集者による編集が、
- Wikipedia:独自研究は載せない#専門家の役割「専門家の方々におかれましては、自分達が専門家だからといってウィキペディアで特権的な地位にあるわけではないということをご理解いただき、ウィキペディアの記事を充実させるために、公表されている情報に基づいてご自身の知識を提供くださることをお願いいたします」
- あなたが今回の編集でやったことは、エホバの証人に関する項目を、その団体自身の出典に基づいて加筆した一方、他の出典付き情報を削っただけです。詳しいと自称さえすれば何をやっても許されるわけではありません。--Sumaru(会話) 2022年4月14日 (木) 00:27 (UTC)
「あなたが今回の編集でやったことは、エホバの証人に関する項目を、その団体自身の出典に基づいて加筆した一方、他の出典付き情報を削っただけです」これは事実ではありません。 以前から書いてあった内容を、219.107.199.61さんが根拠なく削除したので差し戻しました。もう一度確認お願いいたします。 Hhaimraotkeoru(会話) 2022年4月14日 (木) 00:32 (UTC)
また、219.107.199.61さんが編集された部分の出典ですが、この出典は確認できません。 Hhaimraotkeoru(会話) 2022年4月14日 (木) 00:33 (UTC)
今回のことは、この編集から始まったのです。きちんとご判断お願いします Hhaimraotkeoru(会話) 2022年4月14日 (木) 00:37 (UTC)
- ええ、ですから、その編集合戦の途中で、IP氏は上の#エホバの証人主導による編集についてを立てたにも関わらず、貴方はそれを無視して今回編集強行したわけですよね。
- 3月31日の時点ではどっちもどっちでしたが、ノートページで議論を提起する形でIP氏は編集合戦状態から局面を変えようとしたわけです。しかし、貴方はクールダウンのブロック解除後にもそれを無視して編集強行したわけですから、私はそれを問題視しています。--Sumaru(会話) 2022年4月14日 (木) 00:45 (UTC)
- 「初期の教父やキリスト教弁証家たちの教え」と「エホバの証人の教え」がイコールであるというのは、エホバの証人側の一方的な理解となります。
- 例えば(即席なので日本語的に不自然ですが)、
- 「初期の教父やキリスト教弁証家たちは三位一体が真実ではないと考えていたとエホバの証人は主張しておりエホバの証人の教義としても三位一体が聖書の教えではないとの見解を固く持っている」
- などであればかまわないと私は考えております。
- それをさも、キリスト教初期の指導者が三位一体を否定していたような論調での記載は誠によろしくないので編集した次第です。
- 「聖書にない言葉だから」と言うことで「初期のキリスト教指導者が三位一体的な思想がなかった」ことにはなりません。もちろん、用語としての「三位一体」がなかったのは事実ですし、競技として固まったわけでもないというのは事実ですが。あくまでも初代教会指導者が三位一体的思想を信じていないというのはエホバの証人サイドの一方的な主張です。--219.107.199.61 2022年4月14日 (木) 01:00 (UTC)
そうなのですね。わかりました。 私は「エホバの証人主導による編集について」のノート自体が主観的、非中立的であると思われたため、そちらには加筆せず、新たにノートを作らせていただきました。 Hhaimraotkeoru(会話) 2022年4月14日 (木) 00:50 (UTC)
また、219.107.199.61さんによる編集の出典はこちらからのコピペです。ですから出典のリンクを押してもリンク先に飛びません。 このような編集は削除の根拠になると思いますがいかがでしょうか https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B8%E3%83%A7%E3%82%BC%E3%83%95%E3%83%BB%E3%83%97%E3%83%AA%E3%83%BC%E3%82%B9%E3%83%88%E3%83%AA%E3%83%BC#cite_note-121 Hhaimraotkeoru(会話) 2022年4月14日 (木) 00:51 (UTC)
- 完全なコピペの場合は削除の対象になります。ですが、文面を見比べてみるとコピペとは言い難いと思います(脚注の出典情報には著作物性が希薄です)。つまり、それだけを理由とした削除は、正当なものとは限りません。
- もちろん、IP氏の加筆が、出典の実物を読まずに他の記事から拝借した加筆であったのなら、まったく褒められたものではありません。
- ですが、それならそれでまずノートで確認したうえで、『削除するか』『出典情報を補記した上で残すか』を決める選択肢もあったはずですし、他人の削除を難詰する立場であるなら、なおさらそうすべきでした。
- ですので、この削除に正当性があるとは思いません。--Sumaru(会話) 2022年4月14日 (木) 14:48 (UTC)
また、私が差し戻した部分は、https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E7%89%B9%E5%88%A5:%E6%90%BA%E5%B8%AF%E6%A9%9F%E5%99%A8%E5%B7%AE%E5%88%86/88804778 です。エホバの証人の三位一体に関する見解を出典付で書いてある部分です。 この部分を根拠なく削除するという編集自体がWikipediaガイドラインに抵触しています Hhaimraotkeoru(会話) 2022年4月14日 (木) 00:56 (UTC)
- 出典付き情報は原則として削除すべきではない、というのは原則論としてはその通りです。ですが、Wikipedia:信頼できる情報源#公表者自身についての記事内での自己公表された情報源にある通り、エホバの証人に関する情報源として彼ら自身が発表した情報源を使って問題がないのは、エホバの証人など、団体に関する直接的な記事の中で、団体自身について述べる場合のみです。それ以外の場合はケース・バイ・ケースであり、あらゆる場合に削除してはならないと主張するのであれば、ガイドラインのどこに書いてあるのか、具体的に示すべきです。
- この記事はエホバの証人に限らない多くの教派に影響する記事である以上、エホバの証人の成立以前の存在である初期キリスト者らの立場の出典として、エホバの証人の資料を出典に用いるのは不適切です。言いかえると、貴方の加筆の仕方だと「教父やキリスト教弁証家らが(例外なく)『三位一体は聖書の教えではない』と明示的に説いており、エホバの証人もその教えを正しいと認識している」とも読みうるものですが、下線部はエホバの証人という団体についての叙述を逸脱していますので、その部分にエホバの証人の資料を出典とするのは不適切だ、ということです。
- なお、Wikipedia:中立的な観点#適当な重み付けにある通り、記事はあくまでも主流派の捉え方を中心に叙述されねばなりません。それは非主流派の捉え方のほうが客観的事実であろうとなかろうと、です。--Sumaru(会話) 2022年4月14日 (木) 14:48 (UTC)
219.107.199.61さん、ですから、私は差し戻したのです。 あなた様が初期教父や弁証家の思想をよくご存知でないことが明らかなので、差し戻しました。初期教父や弁証家が三位一体を信じず、神とキリストの従属関係を教えていました。それは多数の文献から明らかです。それなのにそれを根拠なく否定していることが問題なのです Hhaimraotkeoru(会話) 2022年4月14日 (木) 01:05 (UTC)
219.107.199.61さん、もし編集なさるなら、初期教父や弁証家が三位一体を信じていたことを裏付ける根拠を書いた上で編集なさってくださいね Hhaimraotkeoru(会話) 2022年4月14日 (木) 01:08 (UTC)
Sumaruさん、教えてくださりありがとうございます。ふさわしい資料を出典として用いるようにいたします。
IP氏の加筆された出典は、リンク先に飛ばないことから、コピペであることは明らかです。
いずれにしても、ノートで議論してから編集するよう努めます Hhaimraotkeoru(会話) 2022年4月14日 (木) 23:05 (UTC)
ちなみに教父や弁証家は父子従属説を唱えていましたので、三位一体を奉ずる者たちから異端扱いされている場合もあります。
ですから私としては、彼らが三位一体を信じていなかったその事実を書いており、エホバの証人は彼らが正しいと信じているその事実を書いたのです。ここのご理解はお願いいたします Hhaimraotkeoru(会話) 2022年4月14日 (木) 23:09 (UTC)
- あなたの書きようだと、「教父・弁証家=非三位一体」という図式が成り立つかのように読めますが、たとえば手許のジャン・ダニエルー『キリスト教史1』(平凡社ライブラリー、pp.418-419)によれば、ギリシア教父のオリゲネスは三位一体論を大きく発展させた人物と位置付けられています。
- あなたにとってはこうした位置づけに反論もあるのかもしれませんが、上で「あくまでも主流派の捉え方を中心に叙述されねばなりません。それは非主流派の捉え方のほうが客観的事実であろうとなかろうと、です」と述べたのは、そうしたことが念頭にあったからです。--Sumaru(会話) 2022年4月15日 (金) 01:12 (UTC)
ありがとうございます オリゲネスについては、もっと正確に言いますと、確かに彼はギリシャ哲学と聖書の境界線を曖昧にし、それは後々の三位一体論につながったのであり、彼は、イエスは父なる神より下の位であり、別個の存在であると教えていました。(The Ante-Nicene Fathers参照)そのために異端とされたのです。--Hhaimraotkeoru(会話) 2022年4月15日 (金) 02:06 (UTC)
横から失礼します。 現在ロックされているこの記事の一部について、数箇所指摘があります。
Hhaimeaotkeoru氏が2021年9月22日に編集した 「1世紀から2世紀に生きたローマのクレメンス、アンティオキアのイグナティオス、ポリュカルポスなどの使徒後教父たちは、キリストのことを神とは別個で劣った従属の霊者、つまり神によって創造され、神のご意志の達成のために神に仕える者として理解していた[6]。」という内容についてです。 出典元として明記されているThe International Standard Bible Encyclopedia, 1982, Volume 2, 513ページについてですが、この書籍のオンライン版(1939年版のものですが)があります。オンライン版には、Hhaimeaotkeoru氏が書いた内容について書かれていません。また調べたところ、エホバの証人のサイト(初期の教会は、神は三位一体であると教えましたか。第三部)にHhaimeaotkeoru氏が書いた内容の記載があり、エホバの証人の記事をそのまま引用しているように見えます。 そして、オンラインで参照できるThe International Standard Bible Encyclopediaは、新約聖書が三位一体の証拠だと、Hhaimeaotkeoru氏が書いたことと反対のことが書かれています。そして、The International Standard Bible Encyclopedia Vol.2 はCからHが収められており、三位一体が書かれているTは収められていません。 Hhaimeaotkeoruが書いた出典元付き内容は、出典元にある通り「新約聖書が三位一体の証拠」だとする内容へ修正する必要があります。
また、言及されているアンティオケのイグナティウスやクレメンスなどの教父についての議論ですが、教父たちはイエスを神と認識していました。
恐らく、Hhaimeaotkeoru氏がイエスを神としないという考えも、エホバの証人のサイト(上にある記事)からだと思います。
以下のアドレスは海外で閲覧できるイグナティウスの手紙です。ここで彼はイエスを肉として現れた神と言っています。
https://ccel.org/ccel/ignatius_antioch/epistles_of_ignatius/anf01.v.ii.vii.html
以下のアドレスは秋山学氏がアレクサンドリアのクレメンスの著作を翻訳していた論文形式のものです。
http://sc.chat-shuffle.net/articles/articles/3336
二つのサイトにあるように、イグナティウス、アレクサンドリアのクレメンスはイエスを神として受け入れています。イグナティウスは、肉によっては作られ、霊によっては作られていない、とエホバの証人の教義を否定しています。 そして、エホバの証人の記事は、イグナティウスの偽の手紙と判明しているものも使用しており、信憑性に欠けます。
確かに三位一体は教父たちの時代にはない用語ですが、ブリタニカ百科事典にあるように「新約聖書は三位一体の教理の基礎を確立して」います。 上記に書いた内容から、エホバの証人のサイトを情報源として使用し、wikiの記事を編集することは不適切だと思えてなりません。
以上、横から失礼しました。 結城2019(会話) 2022年4月19日 (火) 09:54 (UTC)
The International Standard Bible Encyclopedia, 1982, Volume 2, 513ページを確認してから書いてくださいませ
Oxford Encyclopedia of the early church. Vol. 2 797ページには、ユスティノス、テルトゥリアヌス、オリゲネス、エイレナイオスなどが、子を父なる神より下位であることを信じていたと述べてます。このことはキリスト教史を学んだ人なら誰でも知っていることです Hhaimraotkeoru(会話) 2022年4月20日 (水) 15:47 (UTC)
返答ありがとうございました。失礼とは存じますが率直にお尋ねします。
Hhaimeaotkeoru氏は引用元であるThe International Standard Bible Encyclopedia, 1982, Volume 2をお持ちでしょうか?
私はWikiのこうしたノートに詳しくはないのですが、できるを前提に質問させていただきます。 もし、International Standard Bible Encyclopedia, 1982, Volume 2、513ページの部分の写真、もしくはスキャンした画像、あるいは前者に相当する画像類の提示を求めたら応じることはできますでしょうか? 実物をお持ちでない場合は、ネット上で閲覧できる電子書籍でも構いません。例えば、Internet Archive のようなフリーサイトのスクショでも構いません。
お手数をおかけしますが、回答の方をよろしくお願いいたします。 結城2019(会話) 2022年4月21日 (木) 09:57 (UTC)
Hhaimraotkeoru氏が加筆した履歴と疑わしい記載
[編集]1、ご報告
過去の編集履歴を調べた際、他にもエホバの証人サイトからの引用を発見しました。起源の中にある記事です。
同じ文章を太文字にすると、丸ごと引用しています。
ーーーーーーー
古代世界で三つ組の異教の神々の崇拝が至る所で普通に行なわれていた。その影響はキリスト以前,またその当時,ならびにそれ以後の何世紀もの間,エジプト,ギリシャ,およびローマでも優勢であった。歴史家ウィル・デュラントは「キリスト教は異教を破壊したのではなく,逆にそれを採用した。……神聖なる三位一体の考えはエジプトから来たものである」。(24)また,ジーグフリート・モレンツは「エジプト人の宗教」という本の中でこう指摘しています。「三位一体はエジプトの神学者の主要な重大関心事であった。……三つの神が結び合わされて,単一の存在として扱われ,単数形で呼びかけられた。このように,エジプト人の宗教の精神的な影響力は,キリスト教神学と直接結び付いていることを示している」(25)
匿名利用者
ーーーーーー
以下はエホバの証人サイト「三位一体の教理はどのように発展しましたか」からコピーしました。
古代世界では,遠くバビロニアの昔にまでさかのぼりますが,三つが一緒にされた,つまり三つ組の異教の神々の崇拝が至る所で普通に行なわれていました。その影響はキリスト以前,またその当時,ならびにそれ以後の何世紀もの間,エジプト,ギリシャ,およびローマでも優勢でした。そして,使徒たちの死後,それら異教の信仰がキリスト教に浸透し始めました。
歴史家ウィル・デュラントはこう述べました。「キリスト教は異教を破壊したのではなく,逆にそれを採用した。……神聖なる三位一体の考えはエジプトから来たものである」。また,ジーグフリート・モレンツは「エジプト人の宗教」という本の中でこう指摘しています。「三位一体はエジプトの神学者の主要な重大関心事であった。……三つの神が結び合わされて,単一の存在として扱われ,単数形で呼びかけられた。このように,エジプト人の宗教の精神的な影響力は,キリスト教神学と直接結び付いていることを示している」。
以下は引用元のアドレスです。
https://wol.jw.org/ja/wol/pc/r7/lp-j-rb/1200272442/21/23
ーーーーーーーー
また、Hhamraokeoru氏が 2021年9月23日 (木) 02:08時点における版 に上記の最後に以下を追記しています。
また、「キリスト教の歴史」によると、三位一体論における位格、本質というような概念がギリシャ哲学の概念であり、キリスト教本来のものではないことが示されている[25]。
Hhamraokeoruが書いた内容は、検証が必要だと思います。
2、ご報告 歴史の記事について
Hhamraokeoru氏が去年から編集した日時と、内容を割り出しました。
結論から申し上げますと、Strangesnow氏が記載した以下の内容に、年月をかけて加筆、修正、一部文章の削除を加えております。
2021年9月22日 (水) 01:39 Strangesnow
2021年9月22日 (水) 03:42 Strangesnow ✖️2
ここはStrangesnow氏が記載した版に戻し、かつそれ以外の加筆部分を削除した方が復旧が早く終わります。
Hhamraokeoru氏が加筆した日時です。
2021年9月22日 (水) 06:04 Hhaimraotkeoru
2021年9月22日 (水) 06:38 Hhaimraotkeoru
2021年9月22日 (水) 07:08 Hhaimraotkeoru
2021年9月22日 (水) 07:44 Hhaimraotkeoru
2021年9月22日 (水) 22:34 Hhaimraotkeoru
2021年9月23日 (木) 05:17 Hhaimraotkeoru
2022年1月8日 (土) 23:16 Hhaimraotkeoru
2022年1月8日 (土) 23:32 Hhaimraotkeoru
2022年3月11日 (金) 08:32 Hhaimraotkeoru
2022年3月31日 (木) 01:07 Hhaimraotkeoru
2022年3月31日 (木) 01:10 Hhaimraotkeoru
別の方ですが、上記の版(20200/3/31、01:10)Hhamraokeoru氏が書いた内容を酷評する一文を記載。2022年4月1日 (金) 02:12 219.107.199.61
3、ご相談 上記の歴史について
2021年9月21日 前後に、Hhaimeaotkeoru と Strangesnow の間で、現在、概要の中にある歴史に関する記述の移動行動がいくつかありました。
今後、似たようなことを防ぐため、現在概要の中にある歴史を独立した項目とした方がいいと思いますが、いかがでしょうか?
また、Hhaimeaotkeoruが名称を歴史へ変更していました。元の名称へ戻すか、現状維持かご判断ください。
4、ご報告 ヨハネ句について
元々は、2021年8月1日 (日) 21:27 Ttttt1300 の形式だったようです。
それをHhaimeaotkeoruが加筆、Strangesnow氏が加筆をしております。
この部分は元の版へ戻すか、Strangesnow氏と話し合いをして修正した方がいいのではないかと思います。
2021年9月21日 (火) 07:20 Hhaimraotkeoru
2021年9月21日 (火) 08:46 Hhaimraotkeoru
021年9月21日 (火) 13:35 Strangesnow
5、ご相談
現在ブロックされている、2021年7月23日 (金) 23:57 240b:c020:441:3173:31db:c542:557a:4783、2021年7月24日 (土) 11:36 240b:c020:470:71d7:988e:fa6c:b05d:c3f5 氏の記載した内容(ブリタニカ引用以外)も、エホバの証人サイトからではないかと疑っております。
この記述と、Hhamraokeoru氏が書いている内容が類似しているからです。
確認が必要だと考えていますが、どういたしますか?
なお、引用、参照などの細かい部分は、2021年7月24日 (土) 23:38 Anakabot 氏の版と現在の版との相違を洗い出し、Hhamraokeoru氏以外の履歴が残っている版と見比べて選別したら、Hhamraokeoru氏が加筆した部分を特定できるのではないでしょうか。(上記の割り出しも同じ手法の逆を用いました)
本当に長々と記してしまいましたが、私が調べた内容を記載しておきます。
復旧のご参考になりましたら幸いです。--結城2019(会話) 2022年4月25日 (月) 23:30 (UTC)
憶測で判断し、きちんとした文献に基づく記載を削除してWikipediaの質を低下させようとするのはいかがなものでしょうか Hhaimraotkeoru(会話) 2022年4月26日 (火) 13:50 (UTC)
ちなみに私は匿名では編集しておりません。別の編集者ですね Hhaimraotkeoru(会話) 2022年4月26日 (火) 13:51 (UTC)
- 結城2019さん きちんと精査する時間は取れていませんが、少なくともご指摘の2020年8月29日 (土) 14:29時点における版はアウトだと思います。その記述が現行版まで残っている以上、一旦それ以前の版に戻したうえで版指定削除依頼に出すことは避けられないと思います。
- もちろん、当該箇所のみを除去して削除依頼に出す手もなくはないのですが、Hhaimraotkeoruさんの上記の全くかみ合わない、かつ自己中心的なコメントを見る限り、ご本人の誠実な協力は望めません。現状、Hhaimraotkeoruさんは悪意無く著作権侵害コピペを繰り返し記事の品質を低下させ続けてきた利用者の疑いが極めて濃厚になっていますので、ご本人がその問題性を認識せず誠実な後始末をしない以上、疑惑の払拭されていない編集をあえて残す必要性はないと考えざるを得ません。
- Strangesnowさんの加筆は、別途、2020年8月29日 (土) 14:29以前の版にどう組み込むのかを考えたほうが良いと思いますが、版指定削除をしてしまうと、その加筆内容が見られなくなってしまいますから、加筆の救済の仕方を議論したうえで削除依頼を出すようにするなどの配慮は必要かもしれません。--Sumaru(会話) 2022年4月26日 (火) 16:54 (UTC)
- Sumaru 氏へ
- Hhamraokeoru氏が加筆した疑惑部分について、検証、確認と書いておりましたが、削除が好ましいというのが、個人的意見でした。私はSumaru 氏のご判断を支持します。
- Strangesnow氏の加筆部分について、ご本人とコンタクトを取って、同意を得た方が良いと考えておりますが、それは難しいでしょうか?--結城2019(会話) 2022年4月30日 (土) 00:41 (UTC)
- 手続き上、同一記事内の記述をどう使うかなどについては、加筆者の許諾は不要ですが、道義的な観点からすれば、ご本人の同意を得る方が望ましいと思います。履歴を拝見する限りではそれほどアクティヴなかたではないようですが、おっしゃるとおり、会話ページなどでコンタクトしてみたほうが良いかと思います。--Sumaru(会話) 2022年5月1日 (日) 00:45 (UTC)
- Sumaru氏へ
- ご丁寧かつ理解しやすい解説ありがとうございます。アドバイス通りに、 Strangesnow氏とコンタクトを取ってみます。。--結城2019(会話) 2022年5月4日 (水) 08:52 (UTC)
- どうもどうも。私の編集については気にせず除去してくださって結構です。この項目は偏った視点での記述が多く、そのうち編集する人が少なくなったら『キリスト教大事典』『キリスト教の歴史』『初期キリスト教教理史』辺りの資料で加筆しようとおもっていました。
- それはそうと懸念しておられる『キリスト教の歴史』からの「三位一体論における位格、本質というような概念が...」の箇所ですが該当の書籍には、三位一体に関する不毛な議論は論理一貫性に捕らわれたためであり、事柄を説明する個性、位格、本質といった表現の概念はキリスト教本来のものではなくギリシア哲学の概念であるが、概念は事柄そのものではない。概念上の一貫性を厳密に求めると概念で説明しようとした事柄へと紛糾する、といった意の文章が、p.68にあります。これはその前のp.62で、アレキサンドリア学派がキリスト教にギリシア哲学を持ち込む話が出てくるので、これに続いた流れなのではないかなぁと思うので、ちょっと恣意的な抜き出しかたをしたなぁと思いましたが、Hhaimraotkeoruさんと対話するコストにみあわないので、修正はしていません。--Strangesnow(会話) 2022年5月4日 (水) 12:01 (UTC)
- 返信と了承ありがとうございます。編集する人が少なくなる日が来るのか、少し疑問に思いました。 Hhaimraotkeoru氏の編集履歴も約1年に渡ってましたから。。。
- Sumaru 氏へ
- お手数ですが、版の削除依頼の提出をお願いします。--結城2019(会話) 2022年5月7日 (土) 06:55 (UTC)
- 手続き上、同一記事内の記述をどう使うかなどについては、加筆者の許諾は不要ですが、道義的な観点からすれば、ご本人の同意を得る方が望ましいと思います。履歴を拝見する限りではそれほどアクティヴなかたではないようですが、おっしゃるとおり、会話ページなどでコンタクトしてみたほうが良いかと思います。--Sumaru(会話) 2022年5月1日 (日) 00:45 (UTC)
現在全保護中ですので、差し戻したうえで版指定削除に出すには、保護中の記事編集に関する合意形成が必要です。すでに今までの議論で事実上の合意形成はできているという解釈は成り立たないこともないとは思いますが、なしくずしできちんとした提案で区切っていないとも解釈されうるため、改めてきちんとした提案と合意形成が必要だと思います。
ただ、どうせ13日には保護が解消されますので、今から1週間の議論期間を設ける意味があまりありません。保護解除後、同日の夜の時点でどなたも提出していなければ、私の方で提出します。--Sumaru(会話) 2022年5月8日 (日) 00:27 (UTC)
報告 オモテにリンクを貼った通り、Wikipedia:削除依頼/三位一体を提出しました。--Sumaru(会話) 2022年5月13日 (金) 14:12 (UTC)