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ノート:余部橋梁

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記事名

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元々余部鉄橋と云ふ記事があつて、「記事の移動」を経ずに新規にこの記事が作られたやうなのですが、履歴統合した方が良いでせうか。大幅な加筆が行はれてゐますが、元の文章の一部は残つてゐるやうです。

それから、現地の地名は現在は「余部」になつてをり、鉄橋の名前もそれに合はせて現在は「余部」になつてゐると聴いたことがあるのですが、どうなのでせう(駅名のみ、余部駅との区別のためのそのままにしたとか)。(ついでに言へば「橋りょう」になつてゐるかも知れない。)nnh 2004年12月27日 (月) 09:15 (UTC)[返信]

JRおでかけネット - スポット - 余部鉄橋のページでは橋梁名を「余部鉄橋」、駅名を「餘部駅」と区別して書いてあります。もう消えてしまいましたが、福知山支社のページにあった記念乗車券でも「余部鉄橋」と書いてあったような。いずれにしてもJR西日本が提供しているページなので、信頼性はあると思います。春野秋葉 2006年2月13日 (月) 08:42 (UTC)[返信]

ちなみに写真では「余部橋りょう」です・・・・参考まで。--Nnn 2006年2月13日 (月) 11:42 (UTC)[返信]

あくまでも正式名称は「余部橋りょう」でありその愛称である「あまるべ鉄橋」の漢字は餘部ではなく余部である。そもそも餘部という字は、姫新線の余部駅(よべえき)との混同を避けるために半ば(一部で使われてはいたが)むりから当てた字なので、正しい字は余部であると思う。それに、鉄橋に書いてある名称も、「餘部橋りょう」ではなく「余部橋りょう」であるし。そもそも現地の地名も三方郡香美町香住区余部だし。--きたひろ 2007年4月4日 (水) 06:05 (UTC)

春野秋葉さん、公式リンクがありましたよ。。。 http://event.jr-odekake.net/spot/7219.html --211.124.198.112 2009年1月1日 (木) 15:05 (UTC)[返信]


改名提案

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掛け替え工事も始まり、もともとの正式名称に合わせて「余部橋りょう」に改名することを提案いたします。--きたひろ 2007年5月12日 (土) 13:58 (UTC)

掲載された画像について

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「餘部駅側から見る鉄橋上」という画像についてですが、これは線路内に立ち入って撮影されたものではありませんか? 鉄道会社に認められていない撮影方法によるものであれば、掲載は控えたほうがよろしいかと思いますが。--61.213.54.3 2009年9月1日 (火) 04:24 (UTC)[返信]

当該画像のデータを確認すると、撮影日は2008年3月25日となっています。これに先立つ同年2月29日に餘部駅構内に仮設の踏切が設置されています(餘部駅参照)ので、当該画像はこの踏切より撮影したものではないでしょうか。もちろん撮影データの改変は可能ですので、踏切設置以前の画像である可能性もゼロではありませんが、100%ルール違反の撮影であると断じることもできないと思います。--Yasu 2009年9月1日 (火) 14:56 (UTC)[返信]

記事名の制約のテンプレートについて

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“本来の表記は「余部橋梁」です。この記事に付けられた題名は記事名の制約から不正確なものとなっています。”とのテンプレートが貼られていますが、本当に不正確なのでしょうか。確かに、「橋りょう」自体そのものは、「橋梁」としたほうが正確だと思います。ただ、余部鉄橋(あえてこう書きます)は、横に「山陰本線余部橋りょう」と書いてありますので、こちらが正式名称かと。ただし、常用漢字とのかねあいを考えると「余部橋梁」とするほうが正しい気もしますが。皆さんの意見をお聞かせください。 因みに、JR西日本の当該橋梁のページには「余部鉄橋」と書いてあります。(2009年10月現在)--北大 2009年10月26日 (月) 07:10 (UTC)[返信]

2009年5月5日 (火) 05:46の編集によって貼られたテンプレートですが、「記事名の制約」に起因する記事名の付け方ではない(「梁」の字を記事名に使えないわけではない)ので、除去したいと思います。なお、JRでは橋に「○○橋りょう」という名称を付与しているようで(今尾恵介『線路を楽しむ鉄道学』講談社現代新書、2009年、149ページ参照)、この橋についてもその例にならって「余部橋りょう」という正式名称を付与しているため、このような記事名になっているものと認識しています。--一日一改善 2010年4月6日 (火) 12:44 (UTC)[返信]
(報告)除去しました。--一日一改善 2010年4月11日 (日) 04:36 (UTC)[返信]

呼称と表記について

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呼称と表記に関する記述を変更しました。

  1. 名称の正式表記という意味で“正式名称は「余部橋りょう」”とありましたが、「正式」は削りました。この表記が正式表記だとする根拠が不明ですし、「余部橋梁」が誤記であるような印象を持たせないほうが良いと思います。鉄橋には「余部橋りょう」と記されていたとのことですが、建造物本体の名称表記が現時点での正式表記であるとは限りませんし、架け替え後は別の根拠が必要となります。JR西日本のウェブサイト版のプレスリリースでは「余部橋りょう」ですが、これも正式表記の梁の字をひらがな書きにした可能性があります。
  2. 橋梁呼称での「餘部」表記について、“一部の一般人・観光客・鉄道ファンの間で用いる”とあったのを削りました。だれが用いているかは特筆性が低いし、この表記について読者に伝えるべきは、JR西日本とは異なる呼称表記を見かけるかもしれないという一点だけです。
  3. 情報源(出典)が不明でしたので、いくつか補いました。また、餘部駅と姫新線の余部駅について読みがなを補いました。

--Dumpty-Humpty 2010年8月7日 (土) 17:51 (UTC)[返信]

意見欄の記述除去について

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「橋梁の架け替え・保存に関する意見」の節に、要出典範囲のついた文章がありますが、そろそろ除去してよいのではないでしょうか。かなり個人的な意見であるように見受けられます。関連して、この節の出典の明記テンプレートも除去したいと思います。また、架け替えが完了しましたので、トップの予定テンプレートも除去したいと考えております。「空の駅」関連が残っていますが、節単位のテンプレートで十分だと思います。特に異論がなければ、1週間ほどしてから以上の提案を実行します。--Tam0031 2010年9月18日 (土) 17:01 (UTC)[返信]

特に異論がありませんでしたので、上記提案のとおり実施しました。--Tam0031 2010年9月26日 (日) 16:56 (UTC)[返信]

橋守の実名表記について

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橋守の方の名前を5名記載しておいたところ、プライバシー問題があるとのことで除去されてしまいました。そこで、こちらで記載すべきかどうかについて議論させてください。

私は、専属の橋守を置かなければならなかったというところに特殊性があり、また業務としてやっているものであって個人ではないので、不名誉な活動でもないことから、明記する価値があると考えて記載しました。これらの方の実名は、関連する本にはよく記載されています。参考文献欄に挙げられている、兵庫県の利活用検討委員会の資料のPDFファイルにも、最初の2名は実名が挙がっています。香美町の発行した資料本では、5人全員の氏名、在任期間、写真が掲載されています。つまり、それを記載するだけの特殊性があるということです。これらの人の実名を記載すべきではないと言うのであれば、なぜ設計や現場監督にあたった人の名前は記載できるのかということになってしまいます。

これが、西日本旅客鉄道福知山支社といった記事で、社員の一覧みたいなものを書き始めたら、それは瑣末に過ぎますしプライバシーの問題もあるでしょう。しかし、橋守はこの橋にとって5名しかいないのであり、専属で働いていた人物なのですから、これは記載する価値があるとみなすべきです。したがって、この記述の復元を提案します。--Tam0031 2010年9月21日 (火) 16:29 (UTC)[返信]

自分が表現を変えた大きな理由として「Wikipedia:削除の方針#ケース B-2:プライバシー問題に関して」にて積極的に実名を用いて活動している政治家・スポーツ選手・研究者・作家・芸術家・アーティスト・芸能人などの著名人を除き、本名(個人の実名)を含んでいたり、個人が特定できる記事は、削除の対象になります。 に該当する可能性もある、特殊性は高いが業務であり、文章の内容的に実名を出さなくても文章が成り立つ(出す必要性が薄い)、ということからです。「疑わしきは記述せず」といった予防的な意味もあり(せっかく有意義な文章を書いても、実名記述部分のNGでもう一度やり直しになるのはもったいない…)現状では反対寄りの姿勢です。しかし、今回のようにプラス面が強い文章の場合、問題無しと判断される可能性もありえますね。ただ、ガイドラインに関わる可能性のある案件を小規模で議論するのは危険な面があるので「Wikipedia:コメント依頼#合_2010年9月」に依頼を出して広く意見を求める状況にしました。--茶務 2010年9月22日 (水) 08:13 (UTC)[返信]
当事者以外からのコメントを1件も頂けていないので、議論活性化のコメント依頼を出してきました。--Tam0031 2010年12月8日 (水) 14:06 (UTC)[返信]

コメント ---先に言い訳しときます。12月中にコメント依頼を見て、以下のコメントをメモ帳に書いておいたのですが、どうも表現がきついかな、と思って投稿をためらっていたところです(表現の問題だけであって、意見は変わりません) 。どうせ他の誰かから意見があるだろうと思って放置しておいたのですが、なぜかまったくコメントがつかず、改めて切実にコメントをお望みのようなので投稿することにしました。しかし、あまりうまく書き直しもできなかったので、12月に書いたまま投稿します。表現がきついように感じられましたら大変申し訳ありません。---

実名表記の可否以前に、橋守の記名自体が不要と考えます。たしかに実名を記名すること自体から発生するプライバシー等の問題はないと思いますが、そもそのこの記事において橋守の実名を記述する必要性を感じません。

余部橋梁の橋守の名前をいちいち記すというのは、例えていうならば、特定地区の歴代保線区長の名前を全部書き上げていくようなものです。利活用検討委員会の資料や香美町の資料には橋守の名前も載っているということも理由の一つに挙げておられますが、地域誌などには地域の名士や地域に貢献した人物としてそういう人達の名前が書かれているのはよくあることですので、そういう資料に載っているからといってこの記事に記載する必要性はないと考えます。

Tam0031さんがご自分で書かれているように、この記事においては、わざわざ専門の橋守が雇われていた、という事実が重要かつ特筆に値することであって、名前はどうでもいい情報です。(こんな風に書くと橋守を軽視しているような感じに聞こえてしまいますが、もちろん私も橋守作業に携わった方たちに敬意を表することにやぶさかではありません。あくまで百科事典的な情報としてはどうでもいいということです)

さらにもう一つ、読み手の立場として言わせていただければ、記事に橋守の名前を書くと冗長で読みにくくなるだけでバランスをくずすと感じます。現在の

鉄橋守は、1917年(大正6年)から...(略)...以上の合計5人で、...

という記述でさえ、まだ冗長過ぎて読みにくいと感じます。記事としては、

鉄橋守は、1917年(大正6年)から1965年(昭和40年)までに通算5人の工事工手が雇用され...

くらいで十分だと思います。 記事の読み手としてわざわざ橋守の名前を知りたい、という人もいないと思いますが、そういう人がいるかもしれないと思われるのなら、脚注などに「香美町の資料には橋守5人の名前が書かれている」などと記述しておくくらいで十分だと思います。--Loasa 2011年1月14日 (金) 00:22 (UTC)[返信]

箇条書きの節について

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現時点で最新の版 において、「鉄橋に関する批判・負の側面」という節が分割されました。これ自体はよいと思うのですが、批判や負の側面をすべて箇条書きにするのは、Wikipedia:雑多な内容を箇条書きした節を避けるに抵触すると思います。少なくとも、最初の2件はそもそも鋼製トレッスル橋梁にすべきではなかったという問題点を示しているものであるのに対して、それ以下は地元の住民にとっての迷惑・不安の要因を示すものになっているわけです。こうしたものをきちんと分けて、全体を文章として論理立てて説明するようにするのでなければ、雑多な内容の箇条書きといわれて仕方ないと思います。--Tam0031 2010年10月4日 (月) 17:00 (UTC)[返信]

指摘を受け適切な記述に変更済。また、最初の2件に共通していた明確な問題点は「保守経費の負担」であり、「トレッスル橋採用の否定」については中川浩一が個人的見解を示しているだけで、明治期の橋梁検討に関わった人を除けば同意見を示す人は居らず(見つからず)中川のみなので、現状では「そもそも鋼製トレッスル橋梁にすべきではなかったという問題点」について文章が成り立たないので各内容を適切な節に移動変更しました。--茶務 2010年10月5日 (火) 01:27 (UTC)[返信]
ありがとうございます。だいぶ適切な内容になってきたと思います。鋼製トレッスルの採用については、鉄道ファン誌の記事を書いた小西さんは「腐食の問題を承知の上で採用したのであろう」と肯定的見解で、一方『余部鉄橋物語』の田村さんは、鉄筋コンクリート橋却下の経緯で役人根性をかなり皮肉って書いている感じがあり、人によって見解が様々なことは確かです。
だいぶまとまってきたので、後は現用コンクリート橋のところを改良すれば、Wikipedia:秀逸な記事への推薦も狙えるところに来ていると思います。新橋建設の経緯のところが、現地で直接工事の様子を見てこんな感じですと報告している感じになっているので、出典を探して整備しなければと考えています。橋梁や土木の専門誌に橋の工事報告が出るはずなので、そういうところを探してみます。
橋脚保守作業に使われた「エレベーター」ですが、これは写真を見ると既に本文で触れられていた「ゴンドラ」ではないでしょうか。これが動力で上下するのは当然ですし。
その他節は、山陰鉄道唱歌はともかく、漫画については「かなり実際の事故と類似する点がある」というのは独自研究以外の何者でもなく、除去する必要があると考えています。また橋桁の旋回工法については、建設の節にまとめられるかと思います。
私事ですが、今週末よりしばらく不在にするので、再度この記事に取り組めるのは17日以降になると思います。どうぞよろしくお願いいたします。--Tam0031 2010年10月5日 (火) 16:28 (UTC)[返信]
批判的な個人的見解ですが、以前に注釈で分離したのは明治時代に手探りで検討している出来事を扱ってる流れで、突発的に時間が経過して資料が整った平成の意見(それも一人のみ)が出てくることに大きな違和感を感じたことからです。今回追記して、橋梁の形式選定〜計画〜正式決定部分の経緯を更に明確化したことで、今の節では平成の個人的意見が余計に浮いてしまったように思います。今挙げられている3人とも詳細な分析・研究というよりも資料を見て思ったことを書いてる個人的見解レベルの批判・肯定と感じられるので緩めの表現「後年の考察」あたりで節作成して分離すればいいのでしょうけど、ウェブ上に資料がない状態なので自分では書くことが難しい状態です。もし文献資料から作成可能であればお願いします。本当はJRや鉄道総研など関連の高い団体が鉄橋の詳細な検証・総括をした資料があればいいのですが。
現時点で大きく足りない部分といえば鉄橋における「観光資源」の部分ですね。これはウェブ上や検討会第1回会議資料でも分析されているので豊富に出典はあるのですが、逆に多すぎて流れが定まらないとまとめにくく感じます。他には、1960年代の架け替え検討と負の部分はもっと内容を充実化させた方が良いかと思いますが、自分が見た範囲ではウェブ上の資料が少ないです。エレベータは「足場」の文字が抜けてました。また、鉄橋で移動式足場とゴンドラが同様の設備なのか調べたけど解明できなかったので併記に変更。
漫画も検索しましたがそれらしき出典は見つからないので、明確化が必要な部分を要出典化してある程度の期間様子見でしょうね。--茶務 2010年10月10日 (日) 09:26 (UTC)[返信]
批判的な見解については、なるほど後の時代の視点からの批判だというのは分かります。ただ、当初の設計者のやり方が必ずしも正しかったということではなく、異論もあるのだということを示したかったために、あえて明確に出典を付けられるものとして持って来ました。中川氏は鉄道分野での研究では実績のある方なので、一個人の見解と片付けられるものではないと考えます。またJRや総研については、済んだことに付いてあえて批判するようなことはよほどの契機がない限りないでしょうから、どちらが結果的に安かったということを実務的に積算した資料が出ることはないと思います。このあたりの見解の整理についてはもう少し検討してみます。
観光資源としての要素は、確かに書ける内容ですが、同様にまとめるのが難しいとも感じていました。
漫画に関してはとりあえず要出典範囲を付けたいと思います。--Tam0031 2010年10月17日 (日) 13:04 (UTC)[返信]

再度の改名提案

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先ほど、ほぼ加筆作業が完了しました。これでだいぶ充実した記事になったと思います。この機会に改名提案をしたいと思います。本文の名称の説明の説にもあるように、正式名称は「余部橋梁」となっており、「余部橋りょう」はあくまで常用漢字の範囲で表記しただけのものです。この表記が鉄道の現業機関において多く使用されているのは事実ですが、正式名称を重視したいと考えます。Category:日本の鉄道橋を見ても、他に「橋りょう」を使っているのは空港連絡橋りょう (中部国際空港)だけで、他は橋梁で統一されています。以上よろしくお願いいたします。--Tam0031 2010年12月31日 (金) 16:22 (UTC)[返信]

ありがとうございます。合意が成立したものとして作業を進めさせていただきます。移動先が履歴のあるリダイレクトで一般ユーザーでは作業不可能のため、先ほど移動依頼に出しておきました。--Tam0031 2011年1月8日 (土) 01:41 (UTC)[返信]
報告 Wikipedia:移動依頼での依頼に基づき、余部橋りょうから余部橋梁へ移動しました。--Penn Station 2011年1月13日 (木) 13:04 (UTC)[返信]

査読依頼

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移動も完了したので、Wikipedia:査読依頼/余部橋梁 20110114にて査読依頼を出しました。ご意見よろしくお願いいたします。--Tam0031 2011年1月13日 (木) 16:09 (UTC)[返信]

要出典について

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2箇所ほど、要出典を付与させていただきました。今までにほぼすべての記述内容について、検証可能な状態に持ってきたと考えているのですが、付与した2箇所だけは検証できていません。いずれも、個人的に事実であると理解してはいるのですが、完全な記事にするためにソースがほしいということです。2点は、余部橋梁の代行バスを全但バスが担当しているということと、新橋について「保守も容易なことや、自治体が建設費の8割を負担することから、JR西日本ではできる限り早い着工を目指していた」というところです。図書館の新聞検索システムで朝日・読売・毎日の3大紙を調べましたが、出てきませんでした。鉄道ジャーナル誌あたりで出ていないものでしょうか。よろしくお願いいたします。--Tam0031 2011年6月8日 (水) 14:44 (UTC)[返信]

しばらく待って、またこちらでも追加の調査をしましたが、結局でてきませんでしたので、除去させていただきました。もし出典が見つかれば復旧は歓迎します。--Tam0031 2011年6月21日 (火) 16:00 (UTC)[返信]

韓国語版は日本語版から履歴不継承の記事であるにもかかわらず良質な記事に確定

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ko:아마루베 철교が良質な記事に選ばれましたが、出だしから余部橋梁からの履歴不継承の翻訳です。版指定削除のうえ正しい方法による履歴継承がされない限り保留すべきでしょう。--hyolee2/H.L.LEE 2012年1月24日 (火) 01:26 (UTC)[返信]

余部事故について

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鉄道ジャーナルの1988年5月号(通巻259号)のpp.137-145に「余部事故技術調査委員会報告書」からと題するものが載っており、報告書の本文のほぼ全文が載っているようです。私は技術には疎いところもあり、ややチンプンカンプンなところもあるのですが、加筆の参考になるとは思います。現在の記事で足りないところがあるとすれば余部鉄橋事故の節であり、そもそも記事としては独立させた方が適当ではないかと思います。--UE-PON2600会話2015年7月31日 (金) 14:38 (UTC)[返信]

外部リンク修正

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編集者の皆さんこんにちは、

余部橋梁」上の18個の外部リンクを修正しました。今回の編集の確認にご協力お願いします。もし何か疑問点がある場合、もしくはリンクや記事をボットの処理対象から外す必要がある場合は、こちらのFAQをご覧ください。以下の通り編集しました。

編集の確認が終わりましたら、下記のテンプレートの指示にしたがってURLの問題を修正してください。

ありがとうございました。—InternetArchiveBot (バグを報告する) 2017年9月26日 (火) 01:16 (UTC)[返信]

著作権侵害調査依頼

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ブロック破りとして無期限ブロックした利用者によるこの編集ですが、「どこかから転載したような記述」であるものの、特徴的な文章で検索してもヒットしません。他言語の機械翻訳、あるいはAIが生成した文章の可能性も疑っています。--nnh会話2023年6月6日 (火) 16:43 (UTC)[返信]

ノート:場合の数#著作権侵害調査依頼での議論により、執筆者本人が書いたものの転載と考えられるという結論になり、この調査依頼は一旦クローズとします。--nnh会話2024年1月5日 (金) 23:22 (UTC)[返信]