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ノート:児童文学

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文学でないもの・児童文学でないもの

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教育絵本は文学ではないと思います。(教科書は文学ではないように)

また、絵本は児童文学の一ジャンルではなく、文学の一ジャンルでありましょう。 --以上の署名のないコメントは、211.13.156.84会話/Whois)さんが 2004年1月13日 (火) 12:03 (UTC) に投稿したものです(Igitur 2010年3月11日 (木) 13:51 (UTC)による付記)。[返信]

(署名付記とセクション作成を行いました)
教育絵本を文学にカテゴライズするというと違うかなと思いますが、たとえばそれが押韻されていたとしたらどうでしょうか?数え歌が図らずも文学性を持ってしまうことはないでしょうか?
また絵本をポンと取り出せば児童文学とは違う範疇かなと思いますが、現実には文字のない純粋な絵本からイラストレーションがふんだんに入った児童文学までの間には壁はなくなめらかなグラデーションになっているのではないかと思います。
逆に「子どもや若年者の成長への感化を念頭に置いた、教育的な意図、配慮がその根底にあるものが多く」という記述がありましたが、道徳が透けて見える説教臭い”児童文学”は本当に文学なのでしょうか。そういうものは子どもは敏感に感じ取って読まないのではないでしょうか。
以上は単なる私の主観ですけれど、なんでも児童文学に含めてしまうのも違うとは思いますが、「文学」がどう生まれるのか、何が(児童)文学を規定するのかについては、周辺領域に目配りをしながら慎重に記述を進めるのが良いのかなと思っております。現在の記事が正しくそうなっているというわけではありませんが……。--Igitur 2010年3月11日 (木) 13:51 (UTC)[返信]

英語版からの翻訳について

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2010年3月11日にアメリカ英語版からの翻訳を元に大幅な加筆がありましたが、「児童文学」というより「児童書」といった内容も見受けられます。検討、修正する必要があると感じます。またジャンル、歴史の部分もアメリカ中心の記述があり、観点も古いものがあります。前段で通読できるもの(ストーリーものだと思いますが)で図鑑類などは含めないといいながら、ジャンル分野で「絵本」の説明とはいえ「あいうえおや数字を教える教本」を説明に入れているのは、矛盾していると思われます。また一般に「児童文学」に「絵本」を入れない場合もありますので、一考の必要があります。個人的には日本のウキィペディアなので日本を基軸にした記述にすべきだと思います。

よって、とりあえず「子どもによって書かれた本」という項目を修正、加筆しました。

--めいじん 2010年3月10日 (水) 22:23 (UTC)[返信]

加筆と議論へのご参加ありがとうございます! 「子どもによって書かれた本」ですぐにあれだけの具体例が出て来るのには脱帽致しました、心強い限りです。めいじんさんの仰っておられることの多くは、翻訳していて私も痛感していたことでもあります(コメントと履歴にも埋め込んでいました)。順番に検討して参りたいと思います。
ただし、最初に原則論的なことをお断りさせて頂きますが、「個人的には日本のウキィペディアなので日本を基軸にした記述にすべきだと思います。」に関しては(完全に日本固有の事象を主題にした記事を除き)同意できません。jawpは「日本語版ウィキペディア」であって「日本のウィキペディア」ではありませんし、enwpも「英語版ウィキペディア」であって「アメリカ版ウィキメディア」ではありません(たとえばen:Wikipedia:WikiProject Countering systemic biasというものもあります)。どちらも後者になってしまっている場合がありますが、それは是正すべきものであって助長すべきものではないと思われます。力が及べば英語版の記事の方も直したいぐらいです。ウィキペディアは一つの普遍的な百科事典を築き上げるプロジェクトであり、その日本語版がjawpだと考えています。WP:JPOVはまだ草案ですが、WP:NPOVは公式な方針であり、「日本を基軸にした記述」をすればそれは中立的な観点に立った記事ではなくなってしまいます。これは日本固有の事情を記述することを妨げませんし、理解を助ける具体例として日本の読者に親しみのあるものを挙げるのは大変に良いことだと思いますが、あくまで世界の中の日本として客観的に見るべきであろうということです。これが、英語版の問題点を知りながらも、やらないよりはやった方が記事が改善すると判断して翻訳を実行した理由です。
よって「日本を基軸にした記述」にすること=日本人にしか通じない記事にしてしまうことには賛同できませんが、一方で、英語圏もしくはアメリカ人を基軸にした/にしか通じない部分は矯正して「世界的」な記述に改めるべきだと考えます。他方、この記事は「児童文学」の記事であって「Children's literature」の記事ではないことも念頭に置く必要があります(もちろん重なる部分の方が大きいのですが)。その「ずれ」をどうするかを考えていくことで、普遍的な視点を持ちかつ日本語版の読者にもしっくり来る記事にできるのではないかと期待しています。以下、各論です。
「『児童文学』というより『児童書』」:英語版もChildren's literatureに広義のものと狭義のものがあるという認識に基づいた記述になっており、日本語では「児童文学」が(「あれはブンガクではない」というニュアンスで……児童文学に限りませんが)排他的に使われることが多いのではないかと見ています。ここのズレや概念の幅で具体的に問題となるのは(1)「知識書のようなもの」(フィクションでないもの)、(2)「絵本のようなもの」(日本語での狭義の「文学」から外れる?)(3)「ライトノベルに近いもの」(あれはブンガクではない/あれは児童でなくジュブナイルである)ではないかと思います。
最も簡単な解決方法は現在児童文学へのリダイレクトとなっている児童書を独立させることですが、境界は曖昧にならざるを得ないものなので、どちらかと言えば児童文学の記事で広義を解説し狭義に絞り込んでゆく戦略が妥当ではないかと考えています(児童文学を除く児童書だけで歴史を切り出せるほど将来的に拡充すれば別ですが)。もちろん脱線しすぎた要素は刈り込みますが、基本的には広義から狭義まで視野を広げてみせて、最終的な判断は読者に委ねるわけです。また日本での「児童文学」という言葉が持つニュアンスについては、定義しようとするよりも日本児童文学の歴史を記述することで自然に浮かび上がらせるのが上策ではないかと思います(最終的には「文学とは何か」といういつもの問いに還元されることになると思います)。
「観点も古いものがあります」:これは是非知りたいので解説をお願いします!
「前段で通読できるもの(ストーリーものだと思いますが)で図鑑類などは含めないといいながら」:これは4つある定義の1つのうちのさらに限定的なものに過ぎないことには留意をお願いします。その上で、「ジャンルによる分類」節に、これが「最広義」であること、狭義にしていくと教本・絵本・昔話(伝承文学)の順で落ちるであろうことを付け加えると良いかもしれません。「歴史」節での扱いですが、黎明期は伝承文学や教本などが確立されてゆき、時代が下るに従ってフィクションとしての児童文学、創作文学としての児童文学という形が出来てくるという扱いにすれば自然なのではないかと思います。たとえば、コメニウスを外してしまうと「子どもを対象にして書く」という営みの歴史が弱くなってしまいますので(コメニウスに相当する日本の書物があれば素晴らしい加筆になると思います)。余談ですが、「図鑑」も「絵本」も英語ではpicture book(概念として区別されていない)なので、訳し分けは翻訳テクニックの領域になります。
年齢層による分類のうち、年齢層の基本的な分類はそう大きく変わらないだろうと思います。コールデコット賞、ニューベリー賞への言及はなくても良さそうです(ここは可能なら日本の例を出した方が良いでしょう)。大枠として、識字、お話、章立てのある文章、本格的なフィクションへと、子どものリテラシーの発達と世界の広がりに応じたグラデーションが児童文学・児童書にあることが記述できればいいのだと思います(「児童文学」を狭義にだけ捉えすぎてしまうとこのグラデーションが見えなくなってしまいます)。
「歴史の部分もアメリカ中心」:アメリカ中心と英語圏中心は似て非なるもの(節にある、最も売れている作品であるナルニア国もハリーポッターもイギリス作品)ですが、歴史節の20世紀以降の英語圏POVは覆い難く、英語版のノートでも議論されていますし翻訳の際にも半分程カットしようか迷いました(今カットしました)。ただ、世界的観点から考えると普遍的な歴史として紹介するのは(全文化圏から総花的にやるのでなければ)世界的な影響力を持った=言語圏を大きく超えて翻訳出版されたものにすべきで、そうなると20世紀はほとんど英語圏の一人勝ちだったことは認めなければならないように思われます(実際に、英語版でも19世紀までは非英語圏の方が多く紹介されています…ヨーロッパからは出ませんが)。それ以外で今挙がっている名前と辛うじて並べられる非英語圏の作家はラーゲルレーヴ、ケストナー、リンドグレンぐらいでしょうか(サン=テグジュペリは私が独断で入れたものです)。日本でも宮沢賢治、小川未明、灰谷健次郎、あるいは『ズッコケ三人組』シリーズなど優れた/売れたものは枚挙に暇がありませんが、世界的な影響力という観点からはここに日本人作家の名前を加えるのは難しいようです(むしろ『ポケットモンスター』などの方が世界の子どもに甚大な影響を与えているように思われます)。
矯正するなら、
(a) グレアム、ミルン、ワイルダー、スース、ダールあたりを割愛し、「シリーズ化」のボーム、「グッズ化」と自作イラストレーションのポター、億部単位の翻訳出版を象徴するサン=テグジュペリ、ルイス、ローリングといった流れのある記述に改める(英語版のコメントにある「四半世紀に一人」の原則を貫徹する)
(b) アジア、中東、アフリカ、中南米など、欧米(と日本)以外の動向をダイジェスト的に紹介する(これは相当詳しい方がいらっしゃらないと難しいのですが……「賞」の節で痛感しました)
(c) 15世紀からになっている歴史を紀元前にまで遡らせる(もっとも始点はおそらくイソップになってしまいますが)
(d) 文学の質としての児童文学史という観点を導入する(主題や方法の展開を追う)
(e) 日本の「児童文学」の歴史を無理に世界の流れに含めて記述するのは難しいので、単独節として拡充する(こちらも「四半世紀に一人」の原則で行くとバランスの取れた記事になると思います)
(f) 日本の古典的な児童文学作品の画像を増やす(ウィキメディア・コモンズに日本の児童書の画像がほとんどありませんので、日本の歴史節を拡充した後で画像提供依頼を出すと良いかもしれません)
歴史節以外での合衆国視点(USPOV)として、「定義」節などで示される例にアメリカの作品が多いことと、事情の解説に「アメリカ合衆国では」が付くものが多いことが挙げられます。事象自体は普遍的なものが多いと思いますので、これは(日本のものを例にする場合はJPOVになってしまわない範囲で)適宜他の文化圏のものに置き換えてゆけば解消でき、日本の読者にも理解しやすいものになるのではと思います。逆に、日本の例ばかりになっている部分は他国の例を補う必要があるでしょう(例えば、ヤングアダルトに重松清を挙げてサリンジャーを挙げないのはあまりにJPOVでまずいと思います……そもそも、ヤングアダルトは児童文学でないと言い出せばそれまでですが、私は周辺領域にも軽く触れる記述スタイルが良いと思っております)。
以上のうち、今すぐにでもやれる部分をまずはやってみました。コメントにも意図の説明などをしておりますので、よろしければ併せてご覧ください(コメントアウト部分は議論加筆修正が一段落したところで掃除しようと思っております……10KBぐらいコメントですので)。方向性として納得が行くものか、疑問点など忌憚なくお聞かせください。
JPOVが入り込む形で児童文学を狭く捉えすぎることには(「日本では」のただし書きなしでは)賛同できませんが、それ以外では大いに修正拡大の余地があり、今回の訳出作業は叩き台に過ぎないと思っております。私の意図は以上で(まとまりなく)ご説明した通りですが、全部を実行できるわけでは到底ありませんので、これを踏まえもしくは無視して大胆な編集と加筆をお願いします! (もしよろしければ、お詳しそうなめいじんさんに日本の歴史節を執筆して頂けないでしょうか? この節が固まれば全体の調整もやりやすくなるのではないかと思います。)--Igitur 2010年3月11日 (木) 13:51 (UTC)[返信]


詳しい説明をありがとうございます。日本中心と述べたのは、あくまで漢字表記の「児童文学」と「Children's literature」はイコールではないと思っていますので、日本語の「児童文学」の説明に「Children's literature」の説明をそのまま導入するというのは妥当ではないような気がしたためです。けっして日本だけの記述にすべきだと申し上げたつもりではありません。ご了承ください。イギリスが広い意味での近代「児童文学」の発祥の源泉であることは、衆目一致したことですし、現代の出版事情では英語圏と言ってもアメリカ中心になっていることは『ハリー・ポッター』シリーズの例からも疑いもないことです。だからといってアメリカの事例を述べればいいということではないと思います。その点は、Igiturさんのおっしゃるように個々に検討しながら加筆、修正していきましょう。
「観点が古い」と感じたのは、特に「年齢層による分類」です。私も最近の概説書を見ているわけでないので断定的なことはいえませんが、こういった児童心理を援用した児童文学の区分というのは、なされなくなっているかと思います。少なくとも「絵本」を0歳から5歳時のものという言い方はしないような気がします。世界的な「絵本」ブームもあり、言葉による「児童文学」から一個の独立したジャンル存在である「絵本」ということが言われており、日本での「絵本学会」の設立もその流れだと考えています。「ジャンルにより分類」も英語圏のことは知りませんが、日本の概説書では相当昔にあった記述で、近年のものには提示されていないように思います。そこが気になっていますので、そのうちに調べてみたいと思います。
細かい点ですが、Igiturさんの加筆の訳語と表記についてですが、〈児童文学を「漫画本、ジョーク集、辞書や百科事典のような通読を意図していないノンフィクション、参考書など」を除く〉という部分での「ジョーク集」が気になります。また日本を持ち出して申しわけありませんが、日本での児童書にはないジャンルですよね。あえていえば「笑い話」なのでしょうか? 日本では「なぞなぞ本」が大きな存在なので、そう受け取っていいのでしょうか? 何となく引っかかってしまうので、できれば南フロリデ大学育学部准教授のナンシー・アンダーソン氏以外の説明を持ってきたほうがいいように思います。また出版年や生没年で数字だけ挙げておられますが、ウィキペディア日本語版の編集方針では必ず「年」は入れるということになっていたのではないでしょうか? わかるので必要ないと私も感じていますが、以前、個人的にそういった指摘を受けたので記しておきます。--めいじん 2010年3月11日 (木) 19:45 (UTC)[返信]
そうですね、一番一般的な定義が(一部の例外を除く)「子どものために書かれた全ての本」という本質部分はどこもそう変わらない(「児童文学」と「Children's Literatura」の他に、interlangにも見えるように世界中に《児童文学》はあるわけです)と思いますので、「南フロリダ大学教育学部准教授のナンシー・アンダーソン氏」が出典なので例示がアメリカ的になっているところを適宜丸めればいいのかなと思います。
年齢による分類はピアジェ流とでもいいますか、分類という形を取ると今いちな感じ(原文では用語がもっとかっちりしていて、アメリカの教育・出版事情を反映している感じがします)ですが、本質的には読者の成長に応じて児童文学の内容や形式に必然的に差が出て来る(3歳に灰谷健次郎はまだ早いかな、大きくなればエッジな話も出て来る)というところなので、より記述的にしていけばいいかもしれません。日本でも児童書には対象年齢が設定されるのが普通なので、そのあたりに置き換えて頂くと理解しやすい記事になりそうです。英語版でも「大人も絵本を読む」旨や「子どもでも重厚な古典を読む」旨の補足がありますので、分類の限界は理解されているのではないでしょうか。
ジャンルについては、無理に分けなくてもなあというところでしょうが、以前の記事では目が届いていなかった神話、伝記、韻文などなどに目配りが出来ていたり(かつて読んだエジソンや野口英世の伝記も、作者に光は当たりませんが児童文学ですよね)、伝承文学を明確に定義できていたりするのは良いところだと思いますので、アンダーソン先生のご説だとして紹介しておけばいいのではと思います。分類を相対化するような別の(最新の)概説的記述を横に並べてやればさらに広い視角を読者に提供できるかもしれません。絵本や教本やノンフィクションに周辺・隣接領域として言及しても、作家や歴史を挙げていけば自然と児童文学らしい児童文学の話に収束すると思いますので。(明確に出典が表示されているので大幅なアレンジは加えにくいです……alphabetの本を「あいうえお」にしたりしてますけど)またこの節は、分類というよりも各ジャンルについて具体的な作品例を挙げてゆく形を取れば有益な拡張ができるかもしれません。
「ジョーク集」については、原文は<quote>such as comic books, joke books, cartoon books</quote>となっており、位置付けとしてはなぞなぞ集よりも「漫画」に近いカテゴリのようです。大意としては「笑いを取るだけのものと、通読しないリファレンス」みたいなものはちょっと違う、ぐらいでしょうか(尤も、コマ割りしない漫画と絵本がどう違うのかはなかなか説明困難ですが)。これは引用部分ですし、細部を無理に日本に合わせるよりあえて異質なままにしておき、これもなぞなぞ集やパズルブックなどに触れてしっくり来る別の記述を並べてやればいいかもしれません(南フロリダ大の先生にUSPOVがかかっているように、日本の先生にはJPOVがかかっています。POVを以てPOVを制しましょう)。その方が内外で変わるところと変わらないところが浮かび上がって読者に本質が見えやすいと思います。
JPOVはまずいと言っても、以前のようにあさのあつこが挙がってアンデルセンが挙がらないような状態でなく世界を視野に入れて例が選ばれていれば問題ないですし、児童文学という営みが世界中で行われていることを鑑みて、日本固有の事情には「日本では」の一言を添えて何が共通で何が共通でないのかを示して日本の読者にちゃんと世界文学としての児童文学が見えるようになっていれば十二分だと思います。「日本での研究・団体」や日本の代表的な作家作品のような記述、「なぞなぞ」のような日本の児童文化の話などはむしろ日本人にしか書けない世界の読者にとっても価値ある情報なので、どうか恐れずにどしどし加筆してやってください。
余談ですが、歴史節をざっと数えてみたところ――
* 現在の日本語版がイギリス7、フランス2、ギリシア・チェコ・デンマーク・スイス・アメリカ各1(イギリス以外のヨーロッパ6。アメリカは『オズ』だけです)
* 翻訳直後の日本語版がイギリス11、アメリカ3、フランス2、ギリシア・チェコ・デンマーク・スイス・スコットランド・アイルランド各1
* 翻訳時の英語版がイギリス11、アメリカ3、フランス・チェコ・デンマーク・スイス・スコットランド・アイルランド各1
イギリスとヨーロッパが圧倒的多数で、これをアメリカPOVと呼ぶのはアメリカ人に気の毒な気がします。アメリカ人にとっての国民的児童文学のハックルベリー・フィンやドクター・スースもあまり広がっておらず(スースは日本語版に記事すらない!)イギリスにやられっぱなしのようですし、「現代の出版事情では英語圏と言ってもアメリカ中心になっている」というほどでもない気がします。ヨーロッパが多いのは、そもそも児童文学自体が歴史が浅くて19世紀にグリムとアンデルセンから始まったも同然だからかもしれません。日本に児童文学という概念が入ってくるのもちょうどそのあたり。こうした話もハインツ・マレなどに言及しつつ加筆できたらいいなあと思っています(思っているだけですが)。
年号の件、本文内のものは修正しておきました。キャプションはコンパクトさを優先したいのでとりあえずそのままです(変えて頂いても構いません)。洋書出典に関しては洋式のままが良さそうです。
絵本の年齢に関する表現を緩めるなど元の出典があるものは尊重した範囲内で微修正しましたが、ぼちぼち限界のようですし、ノートばかり長くしても仕方ありませんから、ボールをお渡ししますのでどうぞやっちゃってください! Wikipedia:ページの編集は大胆に、です。--Igitur 2010年3月15日 (月) 17:03 (UTC)[返信]


ヤングアダルトは何歳?

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この手の話を決めようとすると厄介なのですが、「ヤングアダルト」は何歳ぐらいを指すのでしょう?この記事の(以前の)版では「10代後半から20代初め」となっていますが、ヤングアダルトの記事では「12歳から19歳まで」となっており、「ヤングアダルト」という語は英語圏由来ですが、こちらでは出典つきで「roughly ages 14 to 21」(en:Young-adult fiction)となっています。また発達心理学でのエリクソンの用語では実は20-40歳を指すのだそうです(en:Young adult (psychology))。定義に幅があることを読者に知らせるのが良いのでしょうが、どんな風にしたら良いでしょう?--Igitur 2010年3月15日 (月) 17:03 (UTC)[返信]