コンテンツにスキップ

英文维基 | 中文维基 | 日文维基 | 草榴社区

ノート:南京戦

ページのコンテンツが他言語でサポートされていません。


参加部隊

[編集]

第18師団は南京戦に参加していません。--みや東亞 2009年3月2日 (月) 15:07 (UTC)[返信]

第18師団主力は、 広徳から宣城を経て蕪湖で揚子江に達しています。また、第13師団主力は、鎮江六合水口鎮から滁県に進出しています。これらは、南京外囲陣地に対する攻撃には参加していませんが、南京攻略の一翼を担っていた、と言えます。「南京戦」の定義を南京外囲陣地や南京城に対する攻撃に限定するか、南京攻略命令がでてから南京を占領するための軍事行動全般とするかで、かわってくるのだと思います。同様に、現在の版では、第23集団軍も書かれていますが、これは広徳あたりに展開していたので、上記の第18師団や13師団と同じような扱いになるのではないかと思いますが、いかがでしょうか?Takabeg会話2015年6月11日 (木) 03:56 (UTC)[返信]

改名提案

[編集]

「南京攻略戦」を南京戦線または南京戦争または南京戦に改名提案します。

理由は、「攻略戦」だと、日本軍の側からのみの視点であり、戦局の全体を包括する記事名としては、南京戦線または南京戦争(南京戦)の方が適切であると思われるからです。太平洋戦争研究会編「図説 日中戦争」河出書房新社,2000年では、「南京攻略」(pp.72-88)「南京攻略戦」「南京戦」(p.88)がいずれも使用されています。また、英語版では、Battle of Nankingとなっております。

また、この提案は、ノート:南京事件 (1937年)から派生したものですが、この提案についての議論はここでお願いします。--西方 2011年6月30日 (木) 07:02 (UTC)[返信]

テンプレートの都合上、代案はひとつまでのようですので、議論拡散を防ぐためにも、代案「南京戦争」は取り下げます南京戦線もしくは南京戦への改名提案です。

前掲書によりますと、南京攻略開始から南京占領までを「南京攻略戦」、そして、これらの戦局の包括的な略称として「南京戦」という呼称を使用しているように見えます。なお、同書には、「南京攻略戦」と「南京戦」について、明示的な語義の違いについては、明記されておりません。また、この「戦局の包括的な略称」 については、同書では、第二次上海事変を「上海戦」として表記しております(同書72頁。「上海の戦い」とも表記されています)。--西方 2011年6月30日 (木) 11:04 (UTC)[返信]

コメント ノート:南京事件 (1937年)から西方さんの案内を拝見して来ました。個人的には「南京攻略戦」が馴染み深く、視点の問題は日中双方の呼称を記事冒頭に強調して併記済なので、現状維持で良いと思いましたが、Wikipedia:記事名の付け方の「日本語話者の大多数にとって、最も曖昧でなく、最も理解しやすいもの」および、Wikipedia:記事名の付け方#歴史的事件の「出来る限り一般的に知られており通用しやすい名称を使用する」の趣旨から簡単に調べてみました。なお「南京戦線」の「戦線」は、「戦い」とは意味が異なる(前線、戦域、方面という意味が強い)と思うので勝手ながら除外しました。下表の通り、Web検索と書籍検索は「南京戦」が10倍以上多く、Scholar検索は「南京攻略戦」が10倍以上多い、との結果でした。以下は推測ですが、正式名を「南京攻略戦」とした書籍等でも「南京戦」を略称で併用しているのではないでしょうか。個人的にはどちらも反対しませんが「南京戦」は一般用語すぎて、例えばスポーツの「南京大会」などの意味(英語ではbattle?)でも使われている事を懸念します。ご参考まで。
記事名案の一般の認知度調査結果
南京攻略戦 南京戦 備考
Google(Web検索[1]) 1,220,000件 10,200,000件 あいまい検索の結果(「南京」と「戦」など)も大量に含まれている可能性大
Google(書籍検索[2]) 1,570件[3] 18,300件[4] 同上
Google(Scholar検索[5]) 522件 48件
Yahoo!(辞書検索[6]) 1件 0件 1件はウィキペディアの当記事なので、無意味
国会図書館(蔵書検索[7]) 8件 4件 全種類で検索したがヒットは「和図書」のみ。「タイトル」で検索したが書籍名に該当文字列を含まない書籍もヒットした(人為的なインデックスが存在する可能性あり、正確なタイトル検索数ではない)。
衆議院(サイト内検索[8]) 4件 3件 会議録、質問答弁にヒットした
読売新聞(サイト内検索[9]) 0件 1件
朝日新聞(サイト内検索[10]) 1件 1件
産経新聞(産経ニュース検索) 0件 10件 あいまい検索の結果(「南京」と「戦」など)も大量に含まれている可能性大(ヒット数はあまり信用できない)
--Rabit gti 2011年6月30日 (木) 15:02 (UTC)[返信]
南京での戦いは何回もあったでしょうし、日本語話者にとって南京攻略戦と言えば他と混同することもないので現状がいいと判断しております。中国語話者にとっては防衛戦とした方が良いでしょうがその配慮も導入部でなされております。--Sweeper tamonten 2011年7月1日 (金) 12:07 (UTC)[返信]
Rabit gti さん、Sweeper tamontenさん、コメントありがとうございます。Rabit gti さんにおかれましては、調査、恐縮の限りでございます。ありがとうございます。たしかに、「南京戦」は略称ですし、記事名としては、より公式性の強いものが好ましいかな、と思いいたりましたので、本文内に、この件を埋め込むことで解決といたします。以上をもちまして、私なりに審議は十分達成されましたので、改名提案を取り下げいたします。--西方 2011年7月1日 (金) 13:13 (UTC)[返信]
テンプレを除去しようかと思いましたが、もしかしたら、どなたかがコメントくださるかもしれないと思い、その場合は、後学のため、ぜひお聞きしたく思いますので、そのままにしておきます。6ヶ月後には自動的に削除されますが、むろん、私の改名提案自体は終了しましたので、除去されたい方はご自由に。--西方 2011年7月1日 (金) 13:22 (UTC)[返信]
戦線の定義については、ウィキペディアに記事がありました。Rabit gti さんの指摘されるがごとく、「戦い」よりは意味の範囲が狭いようですね。--西方 2011年7月1日 (金) 13:56 (UTC)[返信]

映像記録?

[編集]

映像記録の小見出しの部分が「映像記録」から逸脱しすぎているとともに一部不正確なところがあるので{{内容過剰}}{{正確性}}のタグを付けておきます。この部分は、210.138.182.133により2012年7月25日 (水) に南京 (戦線後方記録映画)からこの項目に移植されたようです。映像記録に限定されていないうえ、佐藤氏の発言の引用が、この記事における内容としては冗長かつ重要な部分が欠落している (南京事件 (1937年)で使用するのが適切)ので佐藤振壽南京事件 (1937年)に移植し、検閲に関する記述は、南京戦に限定された内容ではないので、日本における検閲に移植したり、不許可写真という項目を作って移植したりするのがよいと思います。ノート:南京 (戦線後方記録映画)を見る限り合意形成ができていないようなので、南京 (戦線後方記録映画)に戻してしまってもいいのですが、いずれにしても不正確なところを訂正する必要があります。例えば、この『南京戦史』は、旧正規陸軍将校の親睦団体である偕行社が、以降の部分は時系列的に問題があります。『ゼンボウ』平成三年九月号は1991年に出ており、1989年(平成元年十一月三日)に出版された『南京戦史』初版及び『南京戦史資料集』初版(1993年の増補改訂版では『南京戦史資料集I』)に対する論評が為されているはずなのですが、佐藤振壽「従軍とは歩くこと」が収録されている『南京戦史資料集Ⅱ』は1989年には出版されず1993年(平成五年十二月八日)に初めて出版されています。つまり、佐藤振壽氏の記述の直後に『ゼンボウ』を持ち出してくるのは無意味で不要なこととなります。なお、日本の前途と歴史教育を考える議員の会のほうは2007年なので、上記のような問題はないようです。これら南京戦史への論評は南京戦史という項目を新たに作って移植したほうがよいような気がします。Takabeg会話2015年6月7日 (日) 12:03 (UTC)[返信]

そのノートでの議論に参加したものですが……あまり思い出したくない記憶ですねえ。本当にうんざりする消耗でした。件の部分は私以外の編集者の編集ですが、私も記述を増やしてしまった一人ですので責任は感じています。個人的には小見出しの部分は全削除でもいいんですが。なお、あの時の議論相手の1人は無期限ブロック、もう1人は最後の編集が今年の1月のようです。--ロンドル会話2015年9月8日 (火) 16:14 (UTC)[返信]
小見出しの部分の整理・縮小を検討しましたが、余りにも余計な記述が多すぎてどうにも収拾がつかず、またどうしても必要な記述でもないため、全削除いたしました。--ロンドル会話2015年10月26日 (月) 06:33 (UTC)[返信]
いつか有効活用できるとよいですね。Takabeg会話2015年10月26日 (月) 12:46 (UTC)[返信]

経過

[編集]

経過の部分が1937年と1938年に分けて羅列されているのが現状ですが、1938年1月1日に全体を二つに分けるほどのターニングポイントとなる事件が (南京自治委員会の成立くらい) 起きているわけではありませんので、年表形式を改め、「制令線の撤廃と南京攻略命令の下達」、「呉福陣地突破以降」、「南京防衛陣地の攻撃 (攻防)」、「揚子江事件 (パネー号事件レディバード号事件)」、「南京陥落と掃蕩作戦 (城内外)」、「入城式 (第16師団入城式と正式の入城式)」、「合同慰霊祭」、「戦果と損害」 (捕虜、敗残兵、便衣兵の取扱の詳細については、南京事件 (1937年)にまわす)、「和平工作 (トラウトマン工作など)」、「南京自治委員会」、「松井大将の軍規引き締め訓示と離任」などなどの項目を設けて文章化したほうがよいと思います。それと、現在の版では、『制令線』について若干の誤解があるようです。Takabeg会話2015年6月10日 (水) 09:46 (UTC)[返信]

その後

[編集]

その後の部分ですが、「当時の上海軍は、南京防御線攻撃より南京城完全攻略にいたる間、我が方戦死八百、戦傷四千、敵方遺棄死体八万四千、捕虜一万五百、鹵獲品小銃十二万九百・・・であったと発表している」について、発表があった事実を書くのはよいのですが、戦史叢書でも南京戦史でも正確な数字とみなされていない点も考慮すると、これを単独で掲げるのには問題があると思います。Takabeg会話2015年6月10日 (水) 09:46 (UTC)[返信]

分割提案

[編集]

南京攻略戦#参加部隊の項が長いため、それ以下の部分が読みにくくなってしまっているので、南京攻略戦の戦闘序列に分割。南京攻略戦よりも南京戦のほうがより中立であると思いますし、英語版ではこの手の記事はOrder(s) of battle(s) (戦闘序列)とされているものの、日本語でのこの用語の使用には若干躊躇するところがありますが、とりあえずこの記事名でいきます。Takabeg会話2015年10月26日 (月) 12:46 (UTC)[返信]

改名提案

[編集]

このページの名前を南京戦もしくは「南京の戦い」へ改名提案。「南京攻略戦」は日本中心のため(WP:JPOV)。「南京戦」は代表的な研究所「南京戦史」偕行社でも使われています。「南京の戦い」の使用例はまだ探していませんが、太平洋戦争の各戦争の名前マニラの戦い香港の戦いフロリダ諸島の戦いなどに準じて「南京の戦い」の方が通りがよいのではないでしょうか。--さんぽーる会話2016年6月7日 (火) 14:25 (UTC)[返信]

(賛成):提案の趣旨に同意です。「南京戦」か「南京の戦い」は、外部のWP:RSでの使用例が確認できている「南京戦」の方が望ましいとは思いますが、この分野に知識があるわけではないので「南京の戦い」にも反対はしません。(CiNii検索結果:南京戦南京の戦い)--Yapparina会話2016年6月12日 (日) 14:15 (UTC)[返信]
WP:JPOV回避の考え方には賛同します。「○○戦」という形のタイトルは、ウィキペディアでは一般的ではないかもしれませんが、南京戦は、google books にも Cinii にも存在しているため改名が可能であると考えます。一方、南京の戦いについては、google books にも Cinii にも無いため反対します。Takabeg会話2016年6月13日 (月) 12:42 (UTC)[返信]
皆様ご意見ありがとうございます。南京戦と南京の戦いは同義ですが、使用例がないのをあえて使うこともないので、南京戦として改名します。--さんぽーる会話2016年6月14日 (火) 16:10 (UTC)[返信]

南京自治委員会の分割提案

[編集]

南京自治委員会を分割提案します。南京戦後の事象であるため。--さんぽーる会話2016年6月21日 (火) 17:01 (UTC)[返信]

分量なら委員会の写真の詳解をすれば足りませんか。--さんぽーる会話2016年6月22日 (水) 14:01 (UTC)[返信]
  • むろん新規に出典を持ち寄り執筆して頂ければ大賛成なのです。現状では「単純分割では」「分割先の記事を維持できるだけの分量が保証」できないだろうという判断です。--大和屋敷会話2016年6月24日 (金) 00:23 (UTC)[返信]

LTA:KAGEによる移動荒らし差し戻しについて

[編集]

削除ログを見て気づいたのだが、LTA:KAGE案件により、無断で「南京戦」から「南京攻略戦」に移動され、その差し戻しとして利用者:さんぽーる会話 / 投稿記録 / 記録 / CA / guc氏が対応されたようですが、ノート側は正しい対応であるのに対し、「記事本体」の方は、「移動機能」ではなく南京攻略戦から南京戦へコピペ移動されており、履歴継承上問題のあるやり方ではないかと思います。履歴を正しく継承しつつ移動差し戻しをするため、「南京戦」に対するケースB-1・履歴継承案件、ケースC・移動障害案件での削除依頼提出が必要になるのではと思います。(WP:CSD#全般6・Wikipedia内部のコピペ立項が適用できるのであれば、Wikipedia:移動依頼に直接依頼できるのではと思うが…。)適切なアドバイスをお願いいたします。--Runrun 923(TalkContLog) 2016年10月27日 (木) 12:24 (UTC)[返信]

南京攻略戦」の方ですが、一旦差し戻しの上「記事」に戻しました。これにより、「南京戦」に削除依頼もしくは移動依頼をかけても問題ないと思われます。--Runrun 923(TalkContLog) 2016年10月27日 (木) 12:33 (UTC)[返信]
履歴継承のため再度移動します。削除依頼は意味不明につき反対。--さんぽーる会話2016年10月27日 (木) 13:46 (UTC)[返信]
リダイレクトページに戻しても、履歴の発生で移動できないのですね。移動依頼および即時削除依頼をしました。--さんぽーる会話2016年10月27日 (木) 15:42 (UTC)[返信]