ノート:反天皇制全国個人共闘・秋の嵐
記事の編集について
[編集]この記事書いた人、見津さんの遺稿集をちゃんと読んだのか疑問。 秋の嵐の国賠の原告から見て、疑問だらけの記述。
書き直したのは以下。
・秋の嵐と党派の関係 「組織され」(訂正前)というのも、「個人」が基本だったので違和感。多分活躍した、なら書いたヒトとも妥協できるのではないかと、訂正。特徴とは全く思わないが、そういう見方もあるんだろう。 「既成党派のメンバーも参加していたが」(訂正前)って、党派から現役の活動家は来ていなかったと思う。 少なくとも会議に参加するメンバーにはいなかった。私が知らないだけの可能性もあるので、要出典に。 勝手に新左翼の潮流の中に位置づけられてるのも違和感だが、それは見方なのでスルー。
・運動そのもの 「昭和天皇の病状悪化による「自粛ムード」の広がりに反発する左翼内の雰囲気に乗り」(訂正前) 1.自粛だけでなく、マスコミの過剰報道にも批判があった。「天皇の戦争責任」も大事な論点だった。もっと書きたいけれど、Wikiは宣伝媒体じゃないので、自重。(2016.11.28 過剰報道も価値判断を含んだ左翼用語なので、「報道の多さ」に変更。多さが過剰かどうかは価値観ではある。) 2.自粛や過剰報道には、確かに左翼からの批判もあった。しかし、「左翼内の雰囲気」と秋の嵐の盛り上がりは関係ない。 当時から左翼といえば年上の人たちが多かったわけだけど、秋の嵐で活動してた人間達は、10代からせいぜいが20代後半であったので、単に「若者が集まった」とした。 というか、元の文を書いた人は、なぜ結び付けたんだろう。 なお、余談ながら、1については批判とまでは行かなくても、自粛は行きすぎでは?とか、本当に報道はこれでいいのか、といったスタンスも、 左翼でないところに、普通にあったと思う。Wikiの秋の嵐の項に反映させる話でもないが。
・裁判 「激しい暴行を受けた件については、東京都を相手取って訴訟を行い勝利している(しっぺがえし裁判)。」 →書き直さなきゃと思ったのはこれが理由。大きな問題がある。 暴行についても確かに提訴したが(私のことだ)、公安条例や8日、15日の逮捕についても提訴してるのに、全く触れられてない。
5人で提訴したんだよ。 秋の嵐を語るのに、どうして抜かして語れるんだろう。
それに、後に裁判で勝てるほど、異常な状態だった、ということでもある。 1月8日に見津さんがマイクでしゃべったら逮捕、その場にいただけで逮捕、1月15日に代々木公園内で演奏しただけで逮捕だからね。 本当に異常な状態だった。 見津さんは、公安に四六時中付回されて、弁護士に相談に行き、それで提訴することになった。 それで私にも話が来て、私も提訴することになった。 そういうの、全部なかったかのように、暴行の件しか書かないのは全く正確ではない。 とはいえ、長さのバランスというものもあるから、泣く泣く詳細は削った。 一応、逮捕されて、後の民事訴訟で不当さが認められた事実は分かると思う。 ちなみに「激しい暴行」ってのは、頭一発蹴られて、しばらくその場から動けなかったこと。 入管に撲殺されたイラン人への暴行みたいなこと連想されても困る。 あと、裁判は「「さよならヒロヒト」原宿X-day裁判」なんだよね。 国賠ネットでは「原宿X-day国賠」とあったので、そちらにそろえたけれども。
見津さんの本、ちゃんと読めばこんなにならないと思うが・・・。
余談ながら、横田耕一の「憲法と天皇制」の中に、逮捕に触れた箇所があったはず。
あと、「・・・外山恒一は・・」の要出典になってる段落、全くの嘘。 素朴な疑問なんだけど、削除したらダメなの?
コメントこんにちは。勝手ながら節を追加しました。ウィキペディアの記事は誰でも編集できますが、ガイド(編集入門など)を尊重する必要があります。特にWikipedia:出典を明記するは重要です。仮に関係者であれ、その証明はお互いに不可能なので、Wikipedia:信頼できる情報源からの情報のみを記述する必要があります(事実を書く場ではなく、出典から書く場です)。従って、現在記載されていても出典に記載が無ければ削除しても良く、自分の加筆は出典が必要です。なお、ノートでの発言は署名もお願いします。--Rabit gti(会話) 2016年11月29日 (火) 13:34 (UTC)