ノート:吉田幸三郎
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明治20年、東京生まれ。早稲田大学文学部中退。私財を投じて美術品や能、一中節などの古典といった有形、無形文化財の保存、保護に尽くし、昭和36年、菊池寛賞受賞。ラブレ乳酸菌の発見者であり、インターフェロンの研究の日本の第一人者である岸田綱太郎は女優木村重子との間の長男。鮎川哲也賞作家の岸田るり子は孫。画家速水御舟の義兄にあたり、彼の絵のコレクターでもあった。目黒の和楽庵に御舟を住まわせていた。坪内逍遙の文芸協会を影で推し進め、国宝調査の初期に、手弁当で日本中を行脚した。日本文化の多くの支援をしてきたが、徹底してかげの仕事で表面に立つことをひどく嫌う人間でもあった。42年秋の叙勲を断ったことは有名。昭和55年、93歳で死去。