ノート:坂井三郎/過去ログ1
このページは過去の議論を保存している過去ログページです。編集しないでください。新たな議論や話題を始めたい場合や過去の議論を再開したい場合は、現在のノートページで行ってください。 |
過去ログ1 | 過去ログ2 |
ゴーストライターついて
「ゴーストライターを否定した結果、坂井本人のノンフィクション作品執筆に対する姿勢をも否定する結果になった」 意味不明です。「否定」された、もともとの姿勢ってなんですか?一発くん 2007年1月28日 (日) 10:11 (UTC)
坂井氏の作品の記述は明らかにフィクションの部分が多く含まれています。それらがゴーストライターの執筆、また聞き書きならライターとの意見の食い違い等も考えられ坂井氏に対し同情もしましょう。しかし本人が、「自ら書いた」のような趣旨の発言をしたのは、致命的でしょう。ハッキリ言います、ノンフィクション作品を執筆するものとしては失格です。ましてや、世界的にも日本海軍のトップエースと言う認識をされている人間が、世界に出版している書籍でフィクションを書いていたのであれば・・・言うまでも無いでしょう。
--2007年1月29日 (月) 23:43 61.210.112.38
- 上記の執筆姿勢云々の一文、自分もその文だけでは何のことを言っているのかわかりませんでした。ノートを見て言いたいことはわかりましたが、それは個人的見解ではありませんか? 本文中には他にも「~思われる」「~同情の余地がある」といった記述がありますが、それらともども記事に含めるべきではないと思います。--Kamesan101 2007年2月1日 (木) 04:28 (UTC)
個人的見解ではありません。ノンフィクションの意味を理解してください。 --2007年2月3日 (土) 11:27 221.189.69.26
- -坂井氏の著作には事実と反する記述がある
- -坂井氏の著作はゴーストライターによって書かれたという意見がある
- -ゴーストライターの存在を明言する関係者も多い
- -坂井氏本人はインタビューにおいて、自分で書いたと答えている
- ここまでは公になっている事実の羅列としていいでしょう。ですが件の「~姿勢をも否定する結果になった」の一文はこれら事実をまとめた上での解釈に相当すると思います。その解釈がどこかの出版物に発表されていてそれを紹介するということであればもちろん構わないと思いますが、とりあえず現在の本文は、執筆者が記事中で解釈を行っているように読めます。それを指して個人的見解と書きました。そして、Wikipedia の記事ではそのような解釈に踏み込むべきではない、というのが自分の意見です。--Kamesan101 2007年2月9日 (金) 06:09 (UTC)
そこまで仰るなら、もっと細かく書けば良いでしょうか? アンチ坂井の生まれた現実・坂井氏の書籍が信用を得てない現実・坂井氏自信の信用が同僚の搭乗員からですら信用をなくした現実・・・すべてがこの文章に含まれています。(細かく書いた方が良いのでしたら後日そうしますが) ちなみに私の見解はWikipediaは出版物の内容のみを発表する場ではないと考えています。出版されてはいなくても「事実」を記載する場ではないかと言うのが私の考えです。
--2007年2月9日 (金) 22:07 220.219.182.14
著作の評価ついて
著作の評価に相当する記述以外に、著作の内容の紹介、坂井氏のエピソードの紹介、坂井氏個人についての評価、と入り交じっていて読みにくく感じます。もう少し整理できないものでしょうか。
そもそも Wikipedia での記述は評価の紹介にとどめるべきで、その際は出典を明記することが原則だと理解しています。いろいろな文献でちょくちょく見かけるような意見や評価であればいちいち出典を明記しなくてもいいかと個人的には思いますし、その判断は詳しい方々にお任せしますけれど、例えばゴーストライターの話など、断言してしまうのであれば相応の出典の明記を望みます。出版社との関係も事実でしょうか。現状では完全に風聞として書かれていますが。--Kamesan101 2007年2月1日 (木) 05:10 (UTC)
ゴーストライターなど、他人の著作の評価を自身の作品内で告発するメリットはないため、この様なこと は事実であっても出典を明記する事は難しい。現状で出来る範囲の出典は明記する。
--2007年2月3日 (土) 12:33 221.189.69.26
出典明記のこと
著作をゴーストライターによるものと断言するならば、必ず出典を明記する必要がある。 出典があれば、読み手はそれを直接当たって、真偽の判断をすることができる。 もし、出典がなければ、真偽の責任をWikipediaが全て負わねばならない。 これは当たり前のことですね。 よろしくお願いします。Northface 2007年2月9日 (金) 13:34 (UTC)
出典明記されているのにコメントアウトする意図は?
-- 2007年2月10日 (土) 02:43 220.219.182.14
出典明記はどこに?--Northface 2007年2月9日 (金) 22:10 (UTC)
出典部分引用
- 「零戦の会」の副会長「神立尚紀」は、ゴーストライターの存在を明言している事で知られる。
- 坂井とも親交の深い「武道通信」は「茶店の一服」にてゴーストライターの存在を明らかにしている。:また戦史作家の「渡辺洋二」も坂井の作品にに対し懐疑的な人物としても有名である。
出典としての理由
- 神立氏の件。零戦の会、掲示板にて発言。坂井氏のファン?とのトラブル(掲示板にゴーストライターと書くな的な)が発生した事も過去に。またこの件に関連し、坂井氏の名はあげず「著者が違う書籍でも、プロが見ると同じ人が書いてると容易に分かる」のような趣旨の発言を度々している。(もちろん坂井氏の事)
- 武道通信の件。茶店の一服に記載。坂井氏を尊敬し、親交も深かった団体なので、虚偽で名誉を傷つける発言は考えにくい。またその記述の描写もゴーストライターも同行しての「坂井氏の2回忌」の話なので、ゴーストライター側が認めていると判断できる。
- 渡辺氏。自らの書籍にて「坂井氏には、何も聞く事はない」と言う趣旨の発言。また神立氏とも親交が深い人物。
なお、ネットの部分のURLは無断では掲載できない為、ググると良いと思う。(神立氏の発言は掲示板をあらう必要があるので探すのに根気が要ると思うが)
-- 2007年2月10日 (土) 11:57 61.214.5.204
コメントアウトを外すためには、以下のルールにのっとり、出典先の明示を書き加えることが必要となります。
なお、明示できないもの(明示できないURL)や、参照できないもの(消えてしまった掲示板発言等)は出典元の資格があるか疑問といえるでしょう。
第三者が出典先の文献を探せるようにすることが出典明示です。この意味は以下のルールをみてください。
また、以下の合わせてお読みください。
それではよろしく。
(なお、発言の最後に半角チルドを4つ入れてください。投稿すると署名に変換されます。発言の最後には必ず署名を挿入することがWikipediaの慣習です)
Northface 2007年2月10日 (土) 03:47 (UTC)
IDないので、無意味な署名は入れませんのであしからず。URLは載せていなくても容易に探す事が出来ます。故に出典になります。また逆を返せば、その考えは形に永遠に残る物意外は出典にならない=真実ではないと言う事ですか? ネットも出典にならないなら、WIKも含め永遠に出典の価値はないですね。過去に存在したものが失われてもそれは存在していたことも多数あります。今回の件は両者の意見での記述ですのでに問題があるとも考えられません。有意義な記述を阻害する荒らし的なコメントアウトはやめてください。--以上の署名のないコメントは、61.214.5.204(会話・投稿記録)さんが 2007-02-10 04:03(UTC) に投稿したものです。
「署名がないと、どこからどこまでが誰の発言か分からない」、違いますか?
「第三者が後追い検証できないものは出典とはいえない」、違いますか?
別にネット上の情報だからダメなどと、極論をしているわけではありません。至極、常識的な認識にすぎません。
まず、Wikipediaのルールを読んでから議論に参加することを必要ですね。さもなくば、荒らし発言同様です。Northface 2007年2月10日 (土) 04:10 (UTC)
「署名は、確かに分かりずらいので改めます。」
「今回の件は第三者も検索すれば容易に検証できますので出典と言える」、違いますか?
「廃盤の書籍は、第三者が後追い検証できないので、出典にはならないんですか?」
「一般流通していない、VTRも第三者が後追い検証できないので、出典にはならないんですか?」
「会員(戦友会)のみで流通している会報や書籍は、第三者が後追い検証できないので、出典にはならないんですか?」
「周知の事実でも、第三者が後追い検証できないのは、出典にはならないんですか?」
「常識的な認識とは、貴方が認めるか否かなのですか?」
このように、検索するより、検証することの難しい出典は数多く存在します。まず、ネット検索等の基本的なPCでの作業、文章に対する理解力などを学んでからWikに参加することを必要ですね。(両者の意見を載せた中立的な書き込みを理解できない。検索で探す事ができない。・・・かなりやばいです。)また、事前にノートで議論もせずに無断でコメントアウトするなど貴方の行為は荒らしです。(コメントアウトを実行し、自らのルールを押し付けるのでは手遅れでしょう)
今回の件は、「周知の事実」「容易に出典を検索可能」に該当します。 --61.214.5.204 2007年2月10日 (土) 06:35 (UTC)
Wikipediaのルールを良く読み、それに従ってください。それだけのことです。簡単ではありませんか?
--Northface 2007年2月10日 (土) 07:48 (UTC)
- 神立尚紀氏は、海軍戦闘機搭乗員のオフィシャルとも言える戦友会の1つ零戦の会の副会長と言う要職を務め、海軍搭乗員とも公私共に深くお付き合いをし、それらの話をノンフィクション作品として多数を光人社等々から出版しています。
- 例外となりうるのは、関連分野において著名な専門研究者や有名ジャーナリスト(記者)が自主公表した場合でしょう。その人の著作がこれまでに信頼できる第三者によって出版済みであるなら、その人の自主公表物を情報源として認めてよいこともあり得ます。
- に該当するでしょう。それだけでも十分な出典と考えられます。
- しかし、注意してください。もしその専門研究者のブログに掲載された情報が本当に書く価値のあるものならば、他の誰かが既に執筆していたはずです。
- と続きますが、1搭乗員の告発本を出すメリットは低いので、その様な本はこれからも出る事はないでしょう。
- 後2点の出典も説明は必要ないほど有名なので省きます。
- コメントアウトの理由が見受けられません。また有益な記事も同時にコメントアウトされては、せっかくの記事が台無しですので、聞き書きでありを聞き書きとされに変更すれば良いかと思います。そうする事により、問題ないのではないでしょうか?--みーくん 2007年2月10日 (土) 08:46 (UTC)
別に私は否定しているわけでも、肯定しているわけでもありません。誤解無きよう。
ただし、主張する以上は出典元を明記する必要があるといっているのみです。 もちろん、第三者が追確認することが可能な文献(ネット上でも)であることが必要ですが。
出典元明記する際の書式は、以下のリンク先を参照ください。
(追記)なお、文献提示には<ref>, <references />タグを使うことが一般的であり、便利でもあります。使い方は下記を参照ください。
--Northface 2007年2月10日 (土) 11:11 (UTC)
- 現状では、零戦の会は閉鎖的な会(戦友会は一様にその様な物です)の為、このような理由でのリンクの許可を得る事は、事実上不可能です。
- また許可を得る為に、BBSに書き込むと言う事も、現状では名前・身分を明かしたもののみ書き込みを許可と言う理由から不可能です。
- 武道通信のリンクは大空のサムライのノートには記載してあります(未許可)。
- 上記のように出典の明記も難しい現状も有ります。
- 出展元の内容まで踏み込んで引用するのであれば、その内容に対しての出典は絶対条件でしょうが、今回は内容まで踏み込んでいない、ある意味ゴーストライター肯定派(便宜上こう呼びます)の人物の羅列にすぎない為、その点も考慮する必要性を感じます。--みーくん 2007年2月10日 (土) 12:22 (UTC)
- あまりこの様な事はしたくはないのですが、繰り返しになると思いますので出典の一部です。
- ※直接リンクはしないで下さい。
- 神立発言
- ttp://www.b-b.ne.jp/bbs/zero_kai/trees.cgi?tw=&log=&search=%90_%97%a7&mode=and&v=386&e=res&lp=391&st=0
- 武道通信発言
- ttp://www.budotusin.com/ippuku-3.html
- --みーくん 2007年2月10日 (土) 12:36 (UTC)
あまり、難しく考えることもないのでは? 個人のホームページでないWikipediaにはルールがあります。
従い、ルールを守れない内容のテキストは本文に書き込めません。
特に主張をしたいことがあるのならば、Wikipediaにこだわらず個人のホームページに表現すればいいのでは?
--Northface 2007年2月10日 (土) 14:44 (UTC)
- 現在は、それをどのように記述し、この項目を充実する為の議論をしたほうが良いのではないでしょうか。
- どのように、この件を記載するか、もしくは削除してしまうのか。大空のサムライに移動するのも良いかもしれません。
- 現在辿り着いているのが、出典はあるがリンクの許可を得る事は難しい。
- 上記にも有るように有名な話ですが、零戦の会の新規書き込みは、メールアドレス・本名・身分を明かす事が必須条件で、それらのない書き込みは基本的に無条件で削除されるようです。また会にとって一切のメリットのない今回の件は、まず相手にされない事と判断出来ます。
- そこで出典をどう明記するか。本文にアドレスのみ書く。hを抜いて書く。思い切って外部リンクを使用して無許可でリンクしてしまう。本文にノート参照と記載しこちらに出典を書く。
- 私が考えるのはこのような案です。論点がずれてきていますので他の皆様の積極的なご意見も必要かと思います。そもそもゴーストライターの記事と大空のサムライに出典を最初に書いたのは私ですが、今回の議論の部外者の私はここまでしか言えませんので、後はおまかせします。
- --みーくん 2007年2月10日 (土) 15:33 (UTC)
いろいろ悩まれているようですね。
私からのアドバイスは今までの発言の通りです。
付け加えれば、「耳にしたこと」「目にしたこと」を全て記事に入れなければならない、などという固定した観念を持たないことですね。Wikipediaは、間口は誰にでも開かれていますが、編集すると結構、融通が利かないところがあります。
それから「有名な話」というのは、「誰にとって有名な話」なのかを想像してみるとよいでしょう。 案外に知っているのは仲間内だけで、知らない人の方が多いこともあるものです。
それではよろしく。
Northface 2007年2月10日 (土) 18:54 (UTC)
- 誤解の無い様にもう1つだけ言わせてください。
- 私がこの件で有名と書いたのは2つあります。まず1つが零戦の会の許可を得る方法です。最近もBBSで部外者の書き込みがあったようですが、零戦の会のBBSをチェックしている者なら誰でも分かる事ですので、零戦の会を見た人に限定されますのは察していただけるでしょう。
- もう1つは以前、大空のサムライのノートに書いた、ゴーストライターの話は有名の部分かと思いますが、こちらも過去に色々な場所で話題に上る話しです。これは否定派の部分の「ゴーストライターが噂されるが如何に」のように書籍でも坂井さんに直接インタビューするほどの話ですので、有名なのはご理解頂けますでしょうか?
- もちろんそれなりに学んだ人にしか分からない、有名なのかもしれませんが、この2点はご理解頂けると幸いです。
- また上記の理由から大空のサムライにとって「ゴーストライター」の件と、その本の影響を書く事は「耳にしたこと」「目にしたこと」と言う話ではない事もご理解下さい。
- 余談ですが、中立的観点では、ある種いけない事でしょうが、私も坂井さんのファンです。彼の名誉からも、著作により本人まで批判の対象になるのであれば、ゴーストライターの手によるものであることも記載した方が中立ではないか、と言う考えが過去にこの件をを書いた理由です。
- Northface様は、お見受けした所ウィキペディア編集に関する知識は豊富ですが、戦史の知識には多少疎いかとも思います。そもそもウィキペディアを編集する方とノートで議論するのは、対象をその分野の知識がある事を前提にしているため有名と書いたのです。(知識がない方が編集する事は無いと思いますが)
- 上記の理由も含め、出典も先日のURLで明確になったわけですから良い記事を作っていく事が最良と思います。
- --みーくん 2007年2月11日 (日) 02:49 (UTC)
戦史の知識には多少疎いかともときかれても、答えるのに困ります。
一般的な常識人のレベルで知っています。しかし、いわゆる軍事オタク(こういっていいのかどうか不明ですが)ではありませんので、トリビアな雑学に熟知しているわけではありません。 まあ、このような人は多いのではと思いますよ。
そのようなことはどうでもいい話で、要点は先に書いたように、以下のことのみなのです。 個人のホームページでないWikipediaにはルールがあります。
従い、ルールを守れない内容のテキストは本文に書き込めません。
--Northface 2007年2月11日 (日) 03:03 (UTC)
- 自分は零戦の会にも武道通信にも詳しくなかったのでその url を示せばいいと軽く考えていたのですが、そこまで出典の明示について悩んでしまう出典元であったのなら、無理に記事中で持ち出さなくともよいのではありませんか? ゴーストライターの件について紹介するなら、例えば、コメントアウトされた部分にあった加藤寛一郎氏のインタビューを引き合いに出し「著述にはゴーストライターの存在が噂され、例えば加藤寛一郎はインタビューの中でこの件について質問したこともある」のような形で十分ではないでしょうか。--Kamesan101 2007年2月11日 (日) 03:08 (UTC)
- Northfaceさん一度冷静になってくださいね。ルール違反してでも書けと延べている人はいないと思うんですが、いかがでしょうか?今議論しているのはどのような形で載せるかの話しです。また軍事オタクと言う言葉は、真剣に戦史を研究している方に対し失礼かと思います。また繰り返しになるのであれば1度読めば分かるので、私にレスは不要ですので宜しくお願いします。
- Kamesan101さん、それも一つの方法ですが、インタビューの質問部分を載せるとと言う事は坂井さんが何と答えたかも必要になるでしょう。結果的に坂井さんが否定した=ゴーストライターはデマ話と言う結論にも陥りかねませんので中立的観点から疑問も残ります。ノートでの議論の結果、本人が否定しているのだから無かった事と言う考えに達したのであればそれでも良いでしょう。
- 著名な戦史研究家やファン等の間でゴーストライターではないかとの指摘もあるが~のインタビューで本人は否定している。程度の書き方でも良いのかもしれません。(この程度でも出典を要求されるのであれば無理ですが)また踏み込んだに書き方やエピソードは全て削除し(著作の内容には踏み込まない)、単純な略歴と著作の紹介のみに留めた後に保護にするのも良いのかもしれません。--みーくん 2007年2月11日 (日) 04:33 (UTC)
冷静さを欠いているように見えたなら失礼。そういうつもりはありませんでした。 私はKamesan101さんの言うその方法も最もかなと思いました。しかしそれでも不味いのですね。中々むずかしい。
ところで本文記事の履歴をみていたのですが、今年の2月以降に匿名IPの編集により坂井三郎のイメージを意図的に貶めようという編集が加えられています。こちらも問題ですね。
--Northface 2007年2月11日 (日) 10:06 (UTC)
- 私は中立的観点を重要視したいと考えています。2つの意見があるのであれば、両方書くかどちらも書かないがベターかと思いますが、如何でしょうか?
- またIPの書き込みが酷いようでしたら、ご存知の通り保護が良いかと思います。
- 今回の件でもう1つ感じたことは、コメントアウトをした所に、ノートへ誘導する文章を入ると限られた人での議論を避けられる感もします。
- それと個人的見解になりますが、現在残っているIPでの書き込みも内容的には否定できないのも事実です。上記の中立的観点で言いますと、現在本文に書かれている物の多くは、坂井さんの著書が元になっており、中には史実とは異なる一方向からのもの含まれています(IPの方の、戦闘に関する部分は史実に近いものです)。そもそも人物の項目に、著書の内容を羅列することは、私はお勧めできません。
- --みーくん 2007年2月11日 (日) 14:24 (UTC)
「人物の項目に、著書の内容を羅列する」について。
坂井三郎の場合に、著書以外に出典明示可能な文献はないのでしょうか?
出典明示されていないと、その挿入された文章が「本当なのか、中傷なのか」を判断する手段が読み手の側にありません。これは問題です。
読み手側の視点から考えると、物事が分かりやすくなりますよ。それでは。
--Northface 2007年2月11日 (日) 18:17 (UTC)
- 人物を記述するに当たり、個人的エピソードは著書が十分な資料になりますが、他人が関わっている場合は多々問題があります。今回の例で言いますと、坂井さんの戦果にする事により、本当に戦果を上げた搭乗員や戦闘に参加した搭乗員の名誉を著しく傷つけます。また情報が一人歩きし、坂井さんの単独戦果(もしくは一番の有効弾を放った)と誤解を招く可能性も考えられます。しかし何より客観性にもかけるため、ウィキペディアには不適切ではないでしょうか?(極端な例として、著書で他人の誹謗中傷的な発言をした事を、事実と記載するのにも似た部分があります、ここでも重要なのが中立的観点です。)
- 私も記憶が定かではない部分もありますが部分的にお話ししますので参考にして頂ければ幸いです。
- 1、終戦後の戦闘
- 私も小町氏の発言は何かで読んだ記憶がありますが、出典は分からないので不本意ですがノートと言う事でご了承いただき簡単に余談的に分析をします。
- 速度(計測の条件不明、ウィキペディアより)、B-32(575km/h)零戦52型(559.3km/h)
- これを同条件での計測と仮定しますと、零戦の方が速度が遅い事になります。(末期~終戦時の日本の機材は本来の性能が出ていない物が多い為に更に速度が遅い可能性もありますし、B-32が不調だった可能性、被弾による性能低下なども考えられますが考慮には入れていません)スペックから考えると、前もってB-32の進入を知り、事前に上空に待機していないと零戦では攻撃すら出来ない事になります。(2撃目は不可能) 小町氏の発言が事実であれば、実に信憑性に富む興味深い話だとは思いますし、現在1説として既に語られています。
- 2、B-17初撃墜
- 1次資料である戦闘行動調書を見れば一目瞭然ですので出典の明記は可能です。こちらも現在1説として既に語られています。
- 以上、参考にして頂き、調べていただければある程度答えは見つかるかもしれません。上記の2点は、答えが出るまではゴーストライターの件と同様にコメントアウトも視野に入れると良いかとも思います。
- --みーくん 2007年2月12日 (月) 03:10 (UTC)
なるほど、それも一理ありますね。
あと、爆撃機より遅い戦闘機(ゼロ戦)というのはイメージしにくい、というか「国民」としてなさけないわけですが、これは、B-32が爆弾積載や燃料満載をしていない空の状態の最高速度というのはことはないですか?
--Northface 2007年2月12日 (月) 04:34 (UTC)
- 航空機の性能に関しては難しい所で、航空機は高度により速度は変わってきますし、戦闘機・爆撃機に関わらず燃料・弾薬・爆弾を搭載すれば速度も変わりますので、あくまでもカタログスペックとしての例として考えて頂ければ幸いです。また戦闘機だから爆撃機より速いと言う事もなく、戦前は爆撃機の性能が高いため戦闘機を速度・武装で圧倒できるとし「戦闘機不要論」が出たほどです。事実、太平洋戦争の戦記でB-17・B-24に零戦が追いつけないという描写も多々あります。また本土空襲に飛来する高高度を爆弾を積んで飛行するB-29に追いつける戦闘機は日本にはない為、陸軍戦闘機(飛燕)の武装から塗料に至るまで取り除き軽量化して空中特攻機にしたてB-29突入したくらいです。
- 昭和16年12月10日、比島上空での新郷大尉率いる台南空に零戦(17機)によるB-17初撃墜の詳細が分かりました。
- 「海軍省功績調査部の「台南空戦闘行動調書」によると
- 豊田光雄飛行特務少尉(発射機銃弾61)
- 菊地利生一飛曹(同570)
- 山上常弘二飛曹(同730)
- 和泉秀雄二飛曹(同256)
- 野澤三郎三飛曹(同725)
- の5人による協同撃墜との記載で、他の12機(坂井含む)に機銃発射の記録すらありません。
- --みーくん 2007年2月12日 (月) 08:47 (UTC)
映画版大空のサムライについてこの項目では、 「海軍時代の部下の内村健一が運営していた天下一家の会によって映画化された (丸山誠治監督作品。特技監督は川北紘一)。」とありますが、 現在発売されているDVD版のデータ及びVHS版のジャケット、 公開当時の同映画のポスターを調べましても、 内村健一氏および天下一家の会についての記述を見つけられず。 制作に関しましては企画立案された某社よって映画化されたことはわかるのですけれど、 天下一家の会とその関連企業によって映画化されたという記述を裏付けるものが見つかりません。 ネット上でも調べてみましたが検索出来たものはWikipediaからの転記と思われる文章しか無く、 この記事に関しましては個人的に全く正確性を疑ってしまいます。 どうかこの記事を記載された方は具体的なソースを提示してくださいませんでしょうか。 ただ私も軍事マニアの友人から坂井三郎氏の部下たちがこの映画の製作に 全面的に協力したという噂話は以前から聞いておりましたことも明記します。 --利用者:ヨシ太郎 2007年8月16日 (月) 15:33 (UTC)
大空のサムライの項目に書いたことですがこちらにも転記致します。
ゴーストライター説についてはソースとする情報の正確性を疑い、断言は出来ないと思います。まず「零戦の会(旧「零戦搭乗員者の会」大戦中に実際に零戦に搭乗した経験のある会員の減少により、現在は名称と会の方針を変更。)」の副会長であられる報道写真家の神立尚紀氏は、 1963年生まれと戦闘機の搭乗員では無く、また零戦搭乗員への氏の取材は1995年以降と書籍等で書かれております。確か坂井氏の死去は2000年だと記憶しておりますが、神立氏は実際に大戦を目撃した世代ではありませんし、坂井氏との交友関係も5年以下だったと思われます。そのような理由から私個人としましては、この方の証言にまず当事者としての正確な資料性があるとはとても思えないのです。また旧零戦搭乗員者の会は零戦操縦者の全てが加盟していた、 全操縦者たちによるオフィシャルの戦友会というわけではありません。多数機撃墜者も含む数名が、かってのこの会を脱会或いは退会処分にされたと噂で聞き及んでおります。他にも坂井氏に関しては書籍等で氏が大戦中の行いを名指し非難した旧士官たちとの軋轢が想像され、鼠講に関わっていた以前の部下的立場にあった者の件や、氏が戦後に自己宣伝のため故意に戦果を過大に報告したと 一部に疑われてたことなどにより、誹謗中傷ともとれる発言を氏の死去以来、インターネットで目にすることも多く、坂井氏に関しましては情報の真偽の見極めについて特に慎重さが求められる人物かと思います。それに本人自身が生前にゴーストライター説を否定しているというのに、氏の死後に著作の関係者とも思えぬ一部の者が強く主張しだしたものになんらかの確実な証があると考えられますことには、私個人としましてはとても言葉には表せない感想を思い浮かべてしまいます。 なお武道通信につきましては当時私もこの号を購入しておるのですが、数年前のことですから紛失してしまい内容をはっきりとは記憶しておりません。 ですので上であげられたようなソースを否定する確証がありませんので、雑誌社にここのアドレスを参照のうえ電子メールで問い合わせを致しました。回答が無い場合はあらためてバックナンバーが購入可能かを問い合わせて見ます。可能ならば米国に居られる坂井三郎氏のご遺族の方にも問い合わせてみたいです。 正確な情報が判明致しますまでどうかお時間をください。
-利用者:ヨシ太郎 2007年8月20日 (月) 11:23 (UTC)
>[私も小町氏の発言は何かで読んだ記憶がありますが、出典は分からないので不本意ですがノートと言う事でご了承いただき簡単に余談的に分析をします。
速度(計測の条件不明、ウィキペディアより)、B-32(575km/h)零戦52型(559.3km/h)
これを同条件での計測と仮定しますと、零戦の方が速度が遅い事になります。]
疑問に思うのですがポツダム宣言受諾後の平和な空をそのB-32は575km/hなどという全速で飛行していたのでしょうか。 戦闘機(爆撃機)の全力飛行というものは空戦なり、戦闘行動に突入した場合のほんの短い時間に行われるもので、 普通は最高速の半分程度である巡航速度で飛行しているものですよね。まずそれがひとつと、
>[(省略)前もってB-32の進入を知り、事前に上空に待機していないと零戦では攻撃すら出来ない事になります。(2撃目は不可能) 小町氏の発言が事実であれば、実に信憑性に富む興味深い話だとは思いますし、現在1説として既に語られています。]
しかもこの日の迎撃戦というものは確か目視で上空の敵機を捉えてから迎撃に上がったのではなく(それではB-32がご主張どおり高速で飛行していたとしたら、仮に紫電だったとしても迎撃は間に合いそうに思えません。) 基地に設置した電探の情報によって敵の位置情報を把握してスクランブルをかけたのではないのですか。 それにこれは停戦後の完全な奇襲だったからこそ日本側の迎撃機がB-32に追いつけたのだと思います。 さらにB-32よりも遥かに優速なB-29に対して最高速度の劣るはずの零戦も含む日本機であたったとしても、 高高度飛ぶB-29に一撃して撃破した実例はあります。べつにこれは困難であっても不可能なことではなく、 ましてやこの日の相手は爆撃任務に無かったB-32です。この条件で加速性能に優れた零戦が追いつき 攻撃を仕掛けることは出来ないとする根拠は、そのご説では断言出来ないかと思います。 それと余談ですが以前から匿名掲示板などでも、ご説で仰られます小町氏の発言と思われる証言について話合われておりますが、私が記憶しておりますその人物の証言とは、坂井氏とは一緒に迎撃に当たっというだけのもので、 紫電でも苦労したのに遅れて発進した坂井氏が零戦で追いかけて追いつくわけが無いという、 完全に否定的で出典不明な証言ではなかった筈です。 ちなみにこの証言とされるものは2ch軍事板で時たま目にすることがございますが、 ここでのソースにつきましてもまさか匿名掲示板からだということは無いですよね。 -利用者:ヨシ太郎 2007年8月20日 (月) 12:44 (UTC)
武道通信からのソースだという御主張について、先ほど武道通信を編集されておられる
杉山頴男事務所から私の元に電子メールを頂き、
完全に事実とは異なる根拠の無い御主張であったということが分かりました。
ここでは私信をまるごと転記致すことは出来ぬことと思い、杉山頴男事務所からの御解答の概略の紹介に留めますが、
そのような事実はありませんとのことで、今一度、手に入れお読みいたければ確認できるでしょう。 との御解答を頂きました。 それと、ネットでの<嫌疑>を判断する、まず第一段階は「常識」のチャンネルです。との御忠告も頂き、 最後に、武道通信の主要執筆者あった坂井三郎さんの2周忌の特集記事で、そのような記事はあるはずないのです。というこのソースに関する明確な否定を頂きました。
さて、後るは海軍省功績調査部の「台南空戦闘行動調書」のことについてですが、 この調査書につきまして現時点でまだ私は実物を確かめておりませんが、 今の段階におきましても、この資料について有効なソースとして疑問を訂することがいくつかの実例をあげることで可能です。 次回に私の時間が空きましたら、このことにつきましても詳しくご質問致したく思います。 -利用者:ヨシ太郎 2007年8月20日 (月) 23:46 (UTC)
日本テレビ製作の知ってるつもりHP内において「参考映像」として
- 『大空のサムライ』
映画
- 天下一家の会・関連映像
内村文伴氏の提供による
(ttp://www.ntv.co.jp/shitteru/library/000903.html) との記載がございますが、これは日本テレビ視聴者センターに詳しく問い合わせましたが、 これは映画大空のサムライを天下一家の会が制作したという事実を示唆したのではなく、 この映像の一部を内村文伴氏の元戦闘機パイロットだったという経歴の紹介のために 関連資料として使い番組で放送したのだとのお答えでした。 内村文伴氏により番組に提供された天下一家の会の関連映像と関係無いとのことです。 事実HP内での表記についても番組の放送内容と番組の制作に使用した資料一覧を書いているだけなのですが、なにかこれが出典先となるのでしょうか? -利用者:ヨシ太郎 2007年8月22日 (水) 15:37 (UTC)
神立氏の坂井三郎氏のゴーストライター説に関する証言が書いてあるとされたリンク先を拝見いたしましたが、 坂井氏(S氏)のことについて書かれている箇所は、有名な坂井の落穂拾い戦法を例にあげて、 神立氏が坂井氏の人物を好評評価していることくらいしかありませんでしたが、一体どういうことなのでしょうか。 同様に紹介してある武道通信のHPもなんの出典先になっておらず、どのようなおつもりで出典先として、 (神立発言ttp://www.b-b.ne.jp/bbs/zero_kai/trees.cgi?tw=&log=&search=%90_%97%a7&mode=and&v=386&e=res&lp=391&st=0)とお書きになられましたのでしょうか。意味が全くわかりません。-利用者:ヨシ太郎 2007年8月22日 (水) 16:17(UTC)
- 私に対しての答え。
- 1、ゴーストライターの件
- 自分では神立氏のリンク先は「386 re(1):赤松、岩本」に繋がっていますが、もし別の所に飛ぶようでしたら、「最新の一覧」→検索文字列に「赤松、岩本」で検索してください。「坂井三郎空戦記録」(あの本の実際の筆者は本人ではありません)と言う記載があります。
- この件に関しては上記の出典の例外に該当するかと考えています。また神立氏や零戦の会についてまで議論が及んでいますが、あくまで零戦の会の副会長と言う要職にあり、多数の書籍を(光人社からも)出版している、自分の発言に責任を持つべき人間である事が重要かと考えます。
- 武道通信に関してはURLを開いていただき(茶店の一服です)、ctrlとfを同時に押していただき、「坂井」を入力して検索すれば「かつて坂井さんのゴーストライターであった光人社社長」と言う文章が見つかります。武道通信が否定されていると言う事は、記載ミスの可能性もありますが参考にして下さい。
- この件に関し、現在は断言するのではなく「~と言う意見も存在する」と言う書き方ではどうかと言う所まで議論が進んでいます。
- 2、終戦後の戦闘
- 2CH軍事版?と言うのは見たことがないので何とも言えませんが、本文記載のIPによる文章に対する私の余談的分析ですので反論はあるかと思います。聞いたのか読んだのかも記憶不明瞭な私の余談ですので、詳細に詳しい方の議論を望みます。あくまで「信憑性に富む」程度の分析による意見です。
- 3、海軍省功績調査部の「台南空戦闘行動調書」について
- 1次資料に基づく記載ですが、記載されている事が全てとは限りません。
- ただし上記「人物を記述するに当たり~」に書いたとおり、他の搭乗員の名誉の為にも、坂井氏からの視点のみの記載は不適当かと思います。--みーくん 2007年8月22日 (水) 07:41 (UTC)
故坂井三郎氏が著書で述べられた発言の責任はあくまでもご当人の責任に帰するものであって、
その著書でご主張されていた一般に広く知られたエピソードからの知識をWikipediaの編集にあたる有志たちが
この項目に記載することについては何の問題も無いかと思います。
たとえこの疑惑が真実であったとしましても、
当事者の方たちはこれまでに坂井氏のご主張について、
公式の場で名誉の毀損であると述べることも可能だったと思いますが、
そのようなご主張も何処からも起こらず(少なくとも私たち一般の耳には届かず)、
そしてもうその戦闘から、60有余年という長い歳月が経過しております。
であるというのに戦闘については当事者でもなく責任も有さない私たち編集者が、
何ゆえ故人の戦果についてあれこれ舌戦を行い、
そのお考えについてはご本人たちを持ってしかけして分かり得ず、
他者にはとうてい知り得ないことを問題とせねばいけないのでしょうか。
また坂井氏は戦後ご自分の行ったと主張するB-17の撃墜の責任を背負い、
アメリカ側の将校たちに対してもそう答え、
撃墜され戦死されたB-17の機長のご子息とも直接会って話されております。
ここに何の名誉を傷つける点があるのか私には筋が通っているとも思えずよくわかりません。
B-17初撃墜の疑惑については本文に記載されております、
「しかし現在確認できる当時の台南空・三空の資料に(B-17を攻撃した)複数の搭乗員の記載はあるものの坂井の名は記載されてはいない為、坂井はこの戦闘に参加していなかったとも考えられている。」 という文章で説明が事足りると考えますが、如何でしょうか。私個人としましてはその説に 全面的な賛成はしておりませんですけれど、改訂するほどの必要性は感じておりません。
あとゴーストライター説につきましては、一般常識としてこの説を明確にここに記述することは、 それこそ故人と現状で生存されておられる故人のご家族と、 多数の関係者たちの名誉と感情を傷つけることかと判断致しますが、この点につきましてはどうでしょうか。 法律においてはたとえそれが事実からの証言だとしても、 被害者の名誉と利益を傷つけるものであるならば名誉毀損の罪を問うことが可能だとされております。 はっきり申しましてWikipediaに記述出来る範囲を大きく逸脱すると考えます。 また、神立尚紀氏の発言につきましてもその責任の所在は神立氏にあり、 神立氏の個人的見解が即ち全て事実となるという常識はあり得ないかと思います。 それをご当人でも無い他者が、HPの出典に当たるとされる当該部分自体も既に消失し、 神立氏ご本人が公式の場で広く一般に吹聴されている事でも無いことを確証とされる意味が 私にはわかりません。
最後に既に杉山頴男事務所についてはここのアドレスをご紹介致し明確なご回答を得ましたが、 厳密な事実確認のためには他の関係者の方たちにも、 ここのアドレスをご紹介する必要があるのではと個人的には思っております。 とはいえWikipediaの記事は真実であるという確証は無いと明記されておるようですし、 ご当人たちのご迷惑となることですからまだ現段階では私としては躊躇致すところです--利用者:ヨシ太郎 2007年8月22日 (水) 18:24(UTC)
- 勉強不足で申し訳ございませんが、B-17初撃墜の件の戦闘に参加された方の、その後の詳細の多くは分かりません。ただ言える事は、名誉毀損で訴える以前に多くの元搭乗員や遺族は戦中の事に関し多くを語りたがらないのも事実です。またその場に居合わせた他の搭乗員を無視した記載は名誉毀損と言う次元の問題ではないと思います。故に言い方は悪いですが「戦果の独り占め」状態は避けたいのが心情です。
- また誤解しているようですが「匿名IPの編集により坂井三郎のイメージを意図的に貶めようという編集が加えられています」に対する「個人的見解になりますが、現在残っているIPでの書き込みも内容的には否定できないのも事実です。」と前置きした上での例(B17初撃墜・終戦後の空戦)ですので、私もこの件に関し、(より良い記載方法は常に模索する必要はありますが)これと言って改訂の必要性は感じていません。
- ゴーストライターの件は、出典の再考と多くの方の意見が必要かもしれませんね。--みーくん 2007年8月22日 (水) 11:08 (UTC)
これは私の個人的感想になりますがB-17初撃墜の件につきましては、坂井氏の大空のサムライ(正)を読む限り、
読者と該当日時に確実に撃墜したと部隊に報告された方々ににとりましては、
普通の反応として、これを坂井氏による戦果の独り占めだなどと思い至ることは無いかと思います。
何故かといいますと坂井氏は戦後戦犯が収監されるという危険な時期にあえて覚悟を決められ、
ご自分のところに尋ねて来たアメリカ軍将校のその日B-17と交戦したかの質問に答えて、
自分の【小隊】で攻撃し相当な有効打を与えたと思うが、
パラシュートが開くのを見たが、雲下に降下していく機影を最後まで確認しなかったので、
部隊には【撃墜とは報告しなかった】という旨の見解をまず述べられました。
その返答に対してアメリカ軍将校は、坂井氏のご返答を否定して
あれは撃墜だったのだと真実を坂井氏に教えたという経緯が著書には書かれております。
こんな顛末ですので読者の私としましてもご著作でその撃墜が本当に真実だったのかどうかの確証を
間違いなく得ているわけではありません。
もしかしますと事実は坂井氏の小隊は攻撃はしたが堅牢なB-17に対して弾を撃ち尽し、
途中で追跡を諦めた可能性もあり得ますよね。
坂井氏の小隊では撃墜を報告していないというのに、
その日の台南空戦闘行動調書にはこれとは別に、撃墜だと報告されている小隊があるのですよね?
では問題が無いのではと私などは思ってしまうのです。この撃墜を確実にされたという小隊の方々は、
戦争当時ご自分たちでB-17を撃墜したという戦果を部隊から認められ、
現在GHQに大部分の書類を接収され僅かにしか返却されておらず、全ての文書が現存しているわけでも無いような、
貴重な公式の報告書にその誉を歴史に残されました。これは素晴らしい栄誉に思ってしまうのですが、
それに対し坂井氏の方はといえばおかげで、自分の死後に不完全な資料を引用され、
この私の疑問のように下種の勘ぐり的に考えられてしまいましたら非常に不確かな戦果であり、
おまけにもしかしましたらその撃墜された小隊に代わって(誤解されて)アメリカの将校相手の尋問に緊張を強いられ、
後に渡米してB-17のご遺族の方に会われ自分の殺したかもしれない人物のことを聞かされるという、
私ですならあまり嬉しく無いだろう環境におかれましたのですから。考えようによっては全く戦果に釣り合わない境遇を味あわれたのかもしれませんね。
それにその日にB-17を確実に撃墜されたと報告された小隊の方々も坂井氏の著書のこのような記述を取り上げて、
がめつくこの戦果はあくまでも自分たちのものだと強く主張されるような偏狭な方々だとは思えないのです。
こういう風に考えることこそ先人の名誉を傷つける言動になりはしないか私は不安に感じてしまいます。
ですが貴方はそう思われるのですよね?そして坂井氏やその撃墜を報告した小隊の方々の思考をお読みになったと確信されて、
坂井氏は汚くも戦果を独り占めされ、独り占めされた小隊は名誉を著しく傷つけられ、これは名誉毀損などという次元の問題ではないと。そしてその認識は永久に変わることがないと言われますなら、
ならば私と貴方のお考えは平行線で交わることは無いと思って良いのですね。
最後に海軍省功績調査部の戦闘行動調書はGHQの接収後地方で保管され、
比較的多くの資料が現物で残っているかと思いますが、
坂井氏の書物に限らずいくつかの別人の空戦記でも戦闘行動調書の報告とは合わない記述が見つかり、
マニアの間では話されていました。報告書とは時期の合わない戦闘が著書に書かれてあったり、
撃墜した機数が合わなかったりするのです。
それに一次資料的な筈の公式の文書の方でも、これは非常に極端な例ですが、
敵空母部隊を撃滅して航空機数百機を撃破したと、幻の大戦果が報告されてしまった
台湾沖航空戦のように記された戦果自体が到底あり得ないものであったり、確実な真実が記されるものとは限りません。
また日本の戦闘機操縦者は一流の雷電乗りと知られた赤松氏のように、撃墜数を200機以上と主張され、
アルコールが入りますと400機だ600機だとしだいにカウントが上がってくる極端な例もございますが、
概ね撃墜数には拘らず実際の撃墜数よりも過少に報告されている例が多くあるだろうといわれておりますよね。
事実ご参照してくださいました神立氏のサイトでもS氏と坂井氏のことを指したと思える記述で、
部下に戦果を分け与えた人との旨が発言がありますよね。申しまして公式な資料や当事者の証言を持ってしても、
正確な事実は何も分からないわけです。
だというのに著書で取り上げられている有名なエピソードを紹介しただけのことに、
これは間違いだと僅かな資料を基に反論する必要も無かったかと思います。
あくまでも私の個人的感想でございますが・・・資料を完全に揃えぬ段階で書きましたが文調に事実無根の点がありましたらお詫び致します。--利用者:ヨシ太郎2007年8月22日 (水) 23:21 (UTC)
- 誤解があるようなので説明します。
- 「空の要塞と呼ばれ、難攻不落と恐れられたB-17爆撃機を反連合軍側兵士として初めて撃墜した。しかし、墜落するまで機影を見届けなかった坂井は「戦果未確認」と報告した。」
- と言う文章をIPが現在の(中立的ともいえる)形にしたと言う経緯があります。
- 上記の形からの変更を「匿名IPの編集により坂井三郎のイメージを意図的に貶めようという編集が加えられています」とするのであれば疑問があるという流れです。ご理解下さい。
- 戦果の独り占め問い書き方は、(言い方は悪いがと)注釈を入れましたが、やはり誤解をなさってると思いますので、ご説明します。
- その場にいたという、他の搭乗員の存在をも否定しかねない文章、と言うことです。名誉毀損云々ではないのです。
- 名誉と言う言葉を使うなら、戦果=名誉ではなく、その場にいて命を掛けて戦闘した搭乗員をいないかのような編集は名誉を著しく傷つけると私は感じます。
- また今回の件は書籍の内容に問題があるのではなく、Wikipediaの編集に問題があるということです。
- またWikipediaは中立的な編集が必要かと思います。
- 故に、2つの説があるなら両方を書くか、両方とも書かないかが無難だと思います。
- 現在は2つの説がバランスよく編集されているので、私は問題視はしていません。
- 一次資料の件は、緒戦は台湾沖航空戦に比べれば比較的正確です。
- 戦果の重複は多々見られますが、それでも指揮官が戦果の重複を減らそうと搭乗員の報告を聞き戦果を選別してた時期になります。
- もしかすると同日に他のB-17を攻撃していたのかもしれないし、これは分かりません。
- 事実は、坂井氏は撃墜を報告していない、他の搭乗員は撃墜を報告している、それ以上でもそれ以下でもないです。
- 戦記本に関することですが、当時はフィクションとノンフィクションの境界線が現在より不明瞭です。
- また年月がたてば、正確にしようとしても記憶が不明瞭になることもあります。
- どう判断するかは読み手の問題になるかと思いますが、上記のように2つの説を1方からの視点で書くことはお勧めできません。
- すみませんがこれで誤解が解けているのか私の論点がずれているのか、ヨシ太郎さまのご立腹の理由が分かりません。
- 前回と今回の私の文章を、もう一度読んで頂ければ幸いです。--みーくん 2007年8月23日 (木) 20:11 (UTC)
昭和20年8月17日の空中戦についての情報を提供します。零戦最後の証言II(ISBN 4-7698-0965-4)です。この本で小町定氏は、 「相手はとにかく、降下しながら全速で逃げるもんだから、紫電改でも二撃が精いっぱいでした。零戦だったらとてもあそこまでは追えなかったんじゃないかと思います」 (pp. 196-197)と証言しています。
しかしその一方、同じ本の中で、零戦で三撃した、という証言もあります。大原亮治氏によれば、この8月17日の空中戦に零戦五二型に乗って発進し、大島上空でB32に対して直上方攻撃、三撃目は「もういいや」と、遠くから撃って引き返した(p.238)そうです。つまり、零戦でもB32に対して攻撃可能であったという証言があります。
記事中では小町定氏の証言のみ取り上げて、「零戦で離陸した坂井は攻撃出来なかったという説もある」となっていますが、大原亮治氏の証言も考慮して、両方の証言を取り上げるか、小町定氏の証言を削除してはどうでしょうか?
218.226.5.220 2007年8月26日 (日) 07:34 (UTC)
- 貴重な出典のご提供ありがとうございます。
- 私もその書籍を所有していますので、その書籍を読んだことにより記憶していたのでしょう。
- さて、私の意見になりますが、削除すると偏った意見での編集による「編集合戦」に再度ならないとも限りませんので、両名の証言と出典を明示し2つの説を取り上げては如何でしょうか?--みーくん 2007年9月1日 (土) 03:10 (UTC)