ノート:大政奉還
冒頭部分、
- ”大政奉還(たいせいほうかん)とは、(略)徳川慶喜が政権返上を明治天皇に上奏し、翌15日に天皇が上奏を勅許した政治的事件である。”
の太字箇所については、「上奏」という単語が短いスパンで繰り返されていますので、後者については「これ」という代名詞を用いた方がより推敲された表現であると考え、その通り編集させて頂きました。またこの編集により、大政奉還が「慶喜による上表」という事象のみ、あるいは「天皇による上表の勅許」という事象のみを指すのではなく、まさしく「慶喜が政権返上を天皇に上奏し、天皇がこれを勅許した」一連の政治過程を指すものであることがより明確になるのではないでしょうか。細かな点ですが、この点に強くこだわられている方(220.54.142.49さん)もおられるようですので、反論等あれば下記に記載願います。
代名詞は、その代名詞が何を指しているか分からない場合があるので なるべく遣わない方が良いと考えます。「これ」でも良いですが代名詞を遣わず「上奏」と記述するのが良いと考えます。--きまま 2011年8月25日 (木) 17:53 (UTC)
同じく、220.54.142.49さんへ。脚注で、
- ”「國史大辞典」(吉川弘文館)の「大政奉還」の項においては「徳川慶喜が朝廷に政権の奉還を上表し、翌日これが聴許」(p.788)とある。”
と本来私が記述した部分の「が」を「を」と編集されたようですが、言うまでもなくこれは「國史大辞典」の引用ですので、引用に誤りがあるのであれば格別、編集にはご注意願います。--Chocopeanut 2011年1月10日 (月) 08:57 (UTC)
IP:220.54.142.49(会話 / 投稿記録)はその編集傾向及び編集内容の要約欄での出典の提示方法から利用者:きまま(会話 / 投稿記録)であることはほぼ間違いないと考えられます。--彩華1226 2011年1月11日 (火) 15:44 (UTC)
大政奉還の目的
[編集]「大政奉還の目的は、内戦を避けて幕府独裁制を修正し、徳川宗家を筆頭とする諸侯らによる公議政体体制を樹立することにあった。」 この一文に関しては異論はありませんが、薩摩長州及び土佐藩の討幕派と反幕府的公卿らによる討幕の大義名分を失わせると同時に統治能力が未だに脆弱であった朝廷からの再委任を受けることにより、引き続き徳川宗家を筆頭とする統治体制の継続の正当化にあったことを詳細に記すべきではないでしょうか? ——以上の署名の無いコメントは、182.171.104.125 (ノート・履歴)さんが 2013年5月9日 (木) 10:33 に投稿したものです(Megevand(会話)による付記)。
無出典での取り下げはおやめください
[編集]私は加筆にあたって青山忠正「大政奉還後の政治状況と諸藩の動向 (史学科創立50周年記念号)」第7巻、佛教大学歴史学部、2017年、 NAID 120006009378。 を追加しているのですが。この出典には「「政権」奉還の構想を公表し」とあるように、幕府が諸大名に伝達を行ったのが初めてであることを示しています。単に諮問だけでは、これ以前に大政奉還の意向を各藩に示した可能性を否定できません。諮問だけではなく、大政奉還の意向を対外的に示したことが非常に重要なことなのです。諮問だけで、この日以前に「大政奉還の意向が示されているという明確な出典が示されるのであれば」「諮問」のみの表記となります。--126.62.65.77 2021年1月25日 (月) 12:01 (UTC)--(修正)126.62.65.77 2021年1月25日 (月) 12:16 (UTC)
それと「大政奉還図」のキャプションで「慶喜が二条城で諸藩重臣に大政奉還を諮問している様子を描いた絵」とあらためられていますが、この出典はどこでしょうか。明確な出典はWEB上でみつけられませんでしたが、日経新聞の社説では「黒書院で慶喜が側近に意図を伝えた場面らしい」としています。この場合必要な記述は、実際の大政奉還の経緯ではなく、「画題としての意図」です。--126.62.65.77 2021年1月25日 (月) 12:16 (UTC)
「政権訪韓の構想を公表し=幕府が諸大名に伝達したのが初めて」「黒書院で慶喜が側近に意図を伝えた場面『らしい』=明確な根拠」と仰っている126.62.65.77氏の論理は筋が通っていないので説得力が乏しいと思います。すみませんが宜しくお願いします。--240B:252:2C2:5F00:98A1:3935:61D1:7004 2021年2月4日 (木) 01:03 (UTC)
整理してお伝えしますと
- 「幕府は二条城で諮問が行われた日より前に、大政奉還の意図を諸藩に対して伝達していた」という出典は存在するか
- 大政奉還図は、作者が「慶喜が諸般の重臣に諮問した場面」を意図して描いたものか
私はこの2つについて質問をしているのです。出典を求められたらその出典を掲示してください。 「黒書院で慶喜が側近に意図を伝えた場面らしい」はわたしの論理云々の問題ではなく、日経新聞の社説においての、『大政奉還図』の画題の説明です。--126.108.74.23 2021年2月6日 (土) 13:48 (UTC)(修正) --126.108.74.23 2021年2月6日 (土) 13:50 (UTC)(再修正)--126.108.74.23 2021年2月6日 (土) 15:03 (UTC)
念のために申しておきますが、「諮問」が行われた出典を示されたところで、「伝達」が行われなかったという根拠にはなりません。--126.108.74.23 2021年2月6日 (土) 13:53 (UTC)