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ノート:大正ロマン

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Wikipedia自身が出典になっている記述と「浪漫」の解説について

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当記事の初版2007年(版番13200508)から2021年(版番86856013)まで下記の文章があり、下線部を参考にしたであろうコラムや解説記事が、Wikipediaに出典として戻ってきている状況になっています(循環報告)。

大正ロマン(たいしょうろまん:しばしば「大正浪漫」とも表記される)とは、大正時代の雰囲気を伝える思潮や文化事象を指して呼ぶことばである。19世紀を中心にヨーロッパで展開した精神運動である「ロマン主義」の影響が、その根底にあると思われる。なお「浪漫」という当て字は夏目漱石によって付けられたとされる。 — 版番13200508

この文脈の夏目漱石の話は補足や訂正が必要と思われ、関係を見出そうとしても大正ロマンの成立と関係がないので以前に削除しました。

  • 漱石が外来語の「ロマン」を「浪漫」と当て字したのは1907年(ロマン主義にも解説あり)
  • 「ロマン」が単独で用いられるようになったのは1950年代以降から(CRID 1390009224786757632、調査対象が限定的な論文)
  • 「大正ロマン」という言葉が成立したのは1960~70年代から(2009年以降の各論文により)

「浪漫派」の当て字は「浪漫主義」「浪漫的」と漢語風の表現として使われていき、昭和期に「ロマン」が文芸以外の意味を持ち始めたことで「浪漫」も独立、「大正浪漫」と書かれるのも「浪漫」が普通の表現として使われていたからだと考えられます。これらの流れを省き漱石が出てくるのは誤解を招くと感じますし、大正ロマン成立をロマンの語誌の切り口から書けるほどの資料はまだ十分でない印象です。--Oranda garashi会話2024年8月17日 (土) 12:14 (UTC)[返信]