ノート:富士信仰
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富士山から一部転記提案
[編集]ノート:富士・浅間信仰にて記載。 --以上の署名のないコメントは、Mocchy(会話・投稿記録)さんが 2010-05-15 12:50:31 (UTC) に投稿したものです。
富士信仰と浅間信仰について
[編集]ノート:富士・浅間信仰にて議論があることに気付かず編集してしまいました。富士信仰=浅間信仰だと私は思います。PORTA[1]をみるかぎり、用語の使い方として、富士信仰以外の浅間信仰も、浅間信仰以外の富士信仰もないように思えます。--Ara-Ara 2010年5月20日 (木) 19:16 (UTC)
- たしかにほぼ富士信仰=浅間信仰とは言えてしまいます。
- しかしいわゆる富士信仰に浅間信仰以外の要素があるとするなら必ずしも「富士信仰=浅間信仰」とはいえません。
- それが遺跡などの類だと思いますし、これら根源にあたるものがトピックという形はふさわしくないと思います。
- ページとしては、あくまで浅間信仰が体をなしているという旨をしっかり明記しなければならないとは思います。--Sablier de Verrie 2010年5月22日 (土) 04:11 (UTC)
- 私は、富士信仰=「富士山に関係する宗教全て」ではないと思うし、そのような用例を見たことはありません。富士山に関係すれば、なんでも富士信仰ということではないと思います。遺跡の件ですが、富士信仰の前史としては語るべき内容なのでしょうが、富士信仰とは違うものなのではないかと思っています。本文の富士信仰と遺跡の関連ということについて、出典をご存知であれば明記してください。--Ara-Ara 2010年5月22日 (土) 10:27 (UTC)
- お話し中失礼いたします。実は本記事をローカルで編集中でして、当議論が目に触れたものですので遺跡について一言。千居遺跡は富士山を遙拝する富士信仰の祭祀の場であったと推察されるそうです(白水社『日本の神々』第10巻)。全体的な編集を企んでおりますので出典明記はその折にでもと思っておりますが。--胡亂堂 2010年5月22日 (土) 12:06 (UTC)
- 胡亂堂さんと議論し一連の「富士信仰」に関する編集を行ったのですが、トーク:浅間神社に議論に目がいっており、こちらノートを見逃していました。すみません。
- 私が「浅間信仰⊆富士信仰」と記述したのは、胡亂堂さんとのノート:富士・浅間信仰での議論で納得をしたからです。また上記のSablier de Verrieさんの意見に全くの同意です。
- あと、この記事は先日「富士山」から分割したのですが、富士山の記事「富士信仰」の時は、富士山を中心に考えた記事であり「富士信仰=浅間信仰」ではありませんでした。それが分割した瞬間、概要から浅間信仰の記事になってしまう「浅間信仰」を中心とした記事となってしまいました。記事の大半は「浅間信仰」で構いませんが、せめて概要ぐらいは、浅間信仰以外も含む記述も残すべきだと思います。記事の後半には「富士講と富士塚」や「富士山の宗教性」といった「浅間信仰」以外の記事の掲載もありますのでいかがでしょうか。--Mocchy 2010年5月22日 (土) 15:20 (UTC)
- 記事編集の経緯に関しては了解です。富士信仰であって、浅間信仰ではないもの、というのが、どういったものを想定しているのかが、先のノート:富士・浅間信仰では分からなかったので、問題提起しました。先のコメントに記述しましたとおり、富士信仰=富士山に関する宗教全て、という意味ではないと思います。もちろん、関連事項として記述することは問題ないと思います。「富士山の宗教性」という欄は私が編集しました(内容は別の方)。--Ara-Ara 2010年5月24日 (月) 09:30 (UTC)
富士信仰と浅間信仰
[編集]「富士信仰=富士山に関する宗教全てではない」という主張をされていますが、そもそも「富士信仰=富士山に関する宗教全てだ」というような主張をされている方は見られません。
今現在は、富士信仰というページが誕生して間もないタイミングであり、富士信仰として考えられるものが載せられているという状況です。ページの内容がそういう傾向になっているということなのでしょうか?
それならば「富士信仰=浅間信仰か」という争点とはまた変わってくるような気がします。
例えば私が主張している「千居遺跡といった祭祀遺跡は富士信仰にあてはるのではないか?」ということについて言えば、「富士信仰=浅間信仰だ」というAra-Ara様の主張の対極にあたるわけです。
ということは、Ara-Ara様は「千居遺跡といった祭祀遺跡は富士信仰としては当てはまらない」というお考えでよろしいということですよね?
では私はここで「千居遺跡(でみられる祭祀遺跡)は浅間信仰なのでしょうか?」と問いさせていただきます。
「No」となりませんか? 「No」であるならば、
千居遺跡は富士山を遙拝する富士信仰の祭祀の場であったと推察される(白水社『日本の神々』第10巻)
にあるように「千居遺跡は富士信仰と関係する」という表記があり、その上でそれは「浅間信仰とは異なるもの」といえますので、「富士信仰=浅間信仰」とは言えないというようになりませんか?
あと私の疑問なのですが、Ara-Ara様は連続の記事編集の中で「総本社は、富士山本宮浅間大社(静岡県富士宮市)とされることが多いが、北口本宮富士浅間神社や、東口本宮冨士浅間神社を総本社とする考えもある。」と訂正されています。
私の知識不足かもしれませんが、一般的に神社は一宮争いはあったとしても「総本社」などは比較的明確なものであり、一般的に浅間神社の総本宮は「富士山本宮浅間大社」とされているように思えるのです。
そして、一般的にそうされていることに対しての逆説なので、ここは出典を求めたいのです。
先のノートでは「富士信仰と遺跡の関連」の出典を求められていましたが、その出典に関しては胡亂堂様が明記してくれました。
個人的にはこちらこそが出典が必要な部類のように思えます。--Sablier de Verrie 2010年5月25日 (火) 13:46 (UTC)
- 横から失礼します。
- 富士宮にある浅間大社から分祀・勧請されて成立した場合なら明確に本社・末社を規定できますが,富士山そのものが遥拝の対象であった原始浅間信仰からの流れをくむ神社が「うちは大宮の末社ではない!」と主張するのは自然の成り行きではないでしょうか。
- もともと恒久的な社殿をもたずに富士山を遥拝できる場所を転々としていたものが「806年(大同元年)、平城天皇の命により坂上田村麻呂が現在地の大宮の地に社殿を造営し、浅間大神を山宮より遷座した。」という関係から「延喜式神名帳では名神大社に列し」たので,朝廷の権威を背景に総本社と名乗っているわけです。(既成事実化しているので否定はしませんが)
- 実際,今川家が健在だった室町時代には八合目以上は村山の所有で,山頂の散銭拾いの権利は村山の辻之坊が持っていたとされる件。江戸時代を通して山頂の大日堂は村山持ちで,明治初期に浅間大社に売却され現在の奥宮になっている件。。。。など,Ara-Araさんが大宮だけがすべてではないよ!としたい気持ちは理解できます。
- --Shibainupoco 2010年6月19日 (土) 04:42 (UTC)
村山修験の記述について
[編集]村山修験の記述について
- 『本朝世紀』によると1149年(久安5年)に末代(まつだい、富士上人)が山頂に一切経を埋納したと伝えられており、現在も富士山頂出土と伝えられる埋納経が浅間大社に伝わっている。また、村山(現在の静岡県富士宮市村山)には大日堂(村山浅間神社)を建立したとされ、ここから富士山修験道としての富士信仰が広まったとされている。。。。について
山頂に大日寺を建てたとされることにも触れるべきではないでしょうか。 それまでの初期の浅間信仰が麓からの「遥拝」中心だったのが,山頂へ登る「登拝」が一般化する契機になったものと考えられます。 また興法寺は「大日堂・浅間神社・大棟梁権現社」などが雑居する神仏習合で,村山における浅間神社は「興法寺」の構成要素の一つになります。「大日堂(村山浅間神社)を建立」という表現は間違いではありませんが,もう少し詳しく記述してもよいのではないかと思います。浅間大菩薩=大日如来という思想のもとでは同じものですが,建物としては別棟ですし。。。 このページが富士信仰のものであり,修験道を富士信仰の傍流であるとする立場から,簡潔に記述されたのだと推察いたしますが,富士山において神仏習合。。。どちらかというと仏教色が濃い時代が長く続いたことを示せるようにできたらよいと考えております。 --Shibainupoco 2010年6月19日 (土) 10:14 (UTC)
- 私も山頂に大日寺を建てたことなどには最低限触れるべきと思い、「富士信仰の成立」にて触れてみました。興法寺については新しくページを作成しました(富士山興法寺)。私は、基本的には文化庁の国指定文化財等データベースの富士山の解説(史跡)にあるようなことには触れるべきであると考えています。というより、そういう方向性が望ましいように感じます。富士山は「史跡富士山」として2011年に文化財に指定されましたが、つまりは文化遺産登録のためへの布石であり、富士信仰についての解説がなされています。はやりそこにある標準的な、また代表的な事柄が説明されていくのならば、質の高いページにつながっていくように思います。しかしながらページの構成自体はまた別問題で、すごく難しい問題だと思います。考えてみましたところ、各登山道には禊の場が設けられ、形態も異なることから、表のようにするのも分かりやすいのかななんて思ったりします。つまり、河口なら「地域:河口、禊の場:母の白滝、形態:御師」…などとして、各登山道でまとめていくという手法です。ですが、結構難しい内容なので、それをやるのにはまとまった解釈も必要となるかもしれません。そこらへんの意見をお伺いしたいです。--Sablier de Verrie 2011年11月25日 (金) 13:25 (UTC)