ノート:小樽駅
小樽駅の性格(記事内容の復活について)
[編集]私が「2006年3月20日 (月) 01:03」(差分)の版で執筆して、「2006年4月10日 (月) 15:00」(差分)で削除された部分について、記事内容の復活を考えていただきたいのですが、いかがでしょう。
現在の版でも冒頭に「小樽市の玄関口であり、札幌都市圏や後志支庁などの道央地域の交通の要衝となっている。」という一文がありますし、私が執筆したのはその具体例の提示です。すなわち、小樽駅以西の函館本線は、かつて担っていた本州と北海道を結んだ長距離幹線の役割をほぼ終え、現在はローカル輸送と一部リゾート輸送に特化しているため、運行本数は少なくなっています。一方、小樽駅以東は札幌都市圏輸送の一部となり、複線電化区間として高頻度運転が行われています。小樽駅の性格を解説するには、この両方の要素に言及し、当駅がその接点になっているという指摘が不可欠です。
ダイヤグラムに関する記載は不要というIP氏のご意見も分かりますが、全面削除となるとちょっと簡略化が過ぎる印象を持ちます。項目立ての整理などを考慮の上、記事内容の復活をご理解いただきたいと思いまして、このノートを記させていただきます。Rc21 2006年6月3日 (土) 03:38 (UTC)
- 修正された方からのご意見がないままに10日が過ぎてしまったので、元の文章に準じる形で加筆しました。ご了承下さい。Rc21 2006年6月13日 (火) 12:30 (UTC)
「稲穂駅」の存在について
[編集]「稲穂駅」の存在については、小樽駅発行「駅史」以外に明確な論拠が見つかりません。当時の小樽新聞にも小樽中央駅が改称した、とありますので稲穂駅について削除しました。なお日本国有鉄道北海道総局編の『北海道鉄道百年史』でも同じ記述がありました。どなたか史料をご教示ください。
- 再度掲載しました。その後に官報を添付してくれた方へありがとうこざいます、しかし重々承知の上での事です。これまで色々調べていて官報は非常に重要ですが全てではないという思いを非常に強く感じています。例えば輪西の線路変更など官報の何処にも載っていません。当事者の統計資料にさえ反映されていません。一方で駅史も間違いがあるでしょう。ただ引っかかるのが期日をきちんと述べている事です。届出をせずに結果的に非正規であった可能性もあります。民間鉄道でしかも当時は山道から当駅までの仮開業の時期です。完全にこれは当編集者の勘違いで間違いであったという証拠がなければ取り下げるつもりはありません。--Nisanyongo(会話) 2012年5月19日 (土) 16:14 (UTC)
- 掲載されるのは文献があることですし問題ないと思いますよ。機会があれば小樽新聞を調べてみたいんですが--Tamrono157(会話) 2012年5月19日 (土) 21:58 (UTC)
- 私も小樽新聞が気になるところです。他の資料としては小樽市史 第4巻 昭和41年発行 P703がありますが、小樽中央→高島町→稲穂町→中央小樽と、高島町と順番が逆になっています。--Nisanyongo(会話) 2012年5月20日 (日) 01:54 (UTC)
- 国会図書館にいく時間がとれたので小樽新聞その他の閲覧をしてきました。
- 明治37年10月15日付け新聞には北海道鉄道全通の日であり紙面をさいて紹介しています。3面に北海道鉄道案内のタイトルで各駅の紹介があり、高島駅については「元小樽中央駅と称せしも炭鉱鉄道線と連絡するに当たり同線小樽駅と称呼相類するを以て高島と改め(後略)」としています。
- ざっとですが明治36年7月はじめから紙面をみていると9日付け紙面に小樽中央駅の名称があります。
- 他の資料では汽車汽船旅行案内(明治37年7月第118号 庚寅新誌社版) 『懐かしの時刻表』中央社1972年復刻には小樽中央となっています。
- 小樽『駅史』をみることができないので歯痒いところですが(小樽中央→高島町→稲穂町→中央小樽の説は帰ってから気づいたので調べもらしました)--Tamrono157(会話) 2012年9月14日 (金) 10:12 (UTC)
- 国会図書館にいく時間がとれたので小樽新聞その他の閲覧をしてきました。
- 私も小樽新聞が気になるところです。他の資料としては小樽市史 第4巻 昭和41年発行 P703がありますが、小樽中央→高島町→稲穂町→中央小樽と、高島町と順番が逆になっています。--Nisanyongo(会話) 2012年5月20日 (日) 01:54 (UTC)
- 掲載されるのは文献があることですし問題ないと思いますよ。機会があれば小樽新聞を調べてみたいんですが--Tamrono157(会話) 2012年5月19日 (土) 21:58 (UTC)
- 最近「明治三十六年七月一日 稻穂停車塲貨物積卸賃金 稻穂組」という古い小冊子を手に入れました。ただし表紙に書かれているだけで、これだけでは本当に稲穂駅という呼称になったという決定的証拠ではまだないのではないかな?と思っています…。いずれにせよ、あったとすれば小樽中央→稲穂(非公式)→高島町で、小樽市史の記事は順番間違いでしょう。--Nisanyongo(会話) 2013年12月30日 (月) 07:44 (UTC) /追記--Nisanyongo(会話) 2013年12月30日 (月) 15:21 (UTC)
- 上記の資料で謎はさらに深まります『鉄道ピクトリアル』1956年8月号、No,61に小樽駅 あの駅この駅(9) / 小島良雄記事に「巷間高島と中央小樽の間に一時稲穂といわれたときがあったそうである」とあり以前からあったようです。
- ようやく鉄道博物館で北海道鉄道の営業報告書を閲覧しました。
- 第六回報告(自明治三十六年一月至明治三十六年七月)に新線開業として小樽中央の名前が掲載されています。
- 第九回報告(自明治三十七年十月一日至明治三十八年三月三十一日)では駅名改称として明治三十七年十月十五日小樽中央を高島に改称
- 第拾壹回報告(自明治三十八年十月一日至明治三十九年三月三十一日)では駅名改称として明治三十八年十一月八日(官報と相違)高島を中央小樽に改称
- 以上--Tamrono157(会話) 2014年12月18日 (木) 23:19 (UTC)
- 最近「明治三十六年七月一日 稻穂停車塲貨物積卸賃金 稻穂組」という古い小冊子を手に入れました。ただし表紙に書かれているだけで、これだけでは本当に稲穂駅という呼称になったという決定的証拠ではまだないのではないかな?と思っています…。いずれにせよ、あったとすれば小樽中央→稲穂(非公式)→高島町で、小樽市史の記事は順番間違いでしょう。--Nisanyongo(会話) 2013年12月30日 (月) 07:44 (UTC) /追記--Nisanyongo(会話) 2013年12月30日 (月) 15:21 (UTC)
0番~3番ホームについて
[編集]小樽出身の私[要出典]からすると 「なぜホーム番号にだけ[要出典]を求めてくるのか」非常に疑問[要出典]なのですが Wikipedia前提の「真実かどうかよりも検証可能かどうか」というのにpriorityがあるのであれば [要出典]のままいつまで放置しないでコメントアウトなり削除が望ましい[要出典]かと。 特に反応がないようであればこの記述を除去します。 Ninosan 2011年11月13日 (日) 15:37 (UTC)
- 「駅舎側から0123番ホーム」の記述自体は1983年小学館発行「北海道690駅」のP34小樽駅構内配線図で検証を満たしていると思います。ただし現在のホーム番号呼びになったのが何時かというのが明確でないのかと。--Nisanyongo 2011年11月13日 (日) 11:54 (UTC)
- では[要出典]ではなく[いつ?]タグを用いるのが無難である気がしますがいかがでしょうか。現状だと前半部分にまで[要出典]が及んでいるように見えます。特に反応がないのであれば修正したいと思います。Ninosan 2011年11月14日 (月) 9:48 (UTC)
- Template:要出典範囲を使用して範囲を明確にすれば良いと思います。少し直して見ましたがいかがでしょうか。--Nisanyongo 2011年11月14日 (月) 05:51 (UTC)
- 拝見しました。これなら誤解をもなく完璧かと思います。--Ninosan 2011年11月13日 (日) 15:37 (UTC)
- Template:要出典範囲を使用して範囲を明確にすれば良いと思います。少し直して見ましたがいかがでしょうか。--Nisanyongo 2011年11月14日 (月) 05:51 (UTC)
- では[要出典]ではなく[いつ?]タグを用いるのが無難である気がしますがいかがでしょうか。現状だと前半部分にまで[要出典]が及んでいるように見えます。特に反応がないのであれば修正したいと思います。Ninosan 2011年11月14日 (月) 9:48 (UTC)