ノート:岡潔/過去ログ1
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岡潔の著書
ウィキペディアは岡潔の辞書であり、年代順に並べるのはいかがかなものでしょうか。 もしそうなら、彼のすべてを年代順に並べるのが、著書と同じく整合性が取れるでしょう。
私は、朝永において、その著書を分類し、特に名著と言われるものについて、説明を加えました。 特に、専門書に相当する名著が一般向けの解説書と誤解されていたものを、歴史を回顧しつつ専門的な内容であることを指摘しました。 この結果、それまでアマゾンで古本が1円からせいぜい数百円だったものが、数千円になっております。
岡の人柄を敬愛されるなら、またその業績を認めて尊敬するなら、著書もどのような内容か、分類して閲覧者の便宜を図るべきではないでしょうか。 図書の専門番号?を書いても、そんなもので人は本を買ったり、図書館で読んだりしません。せめて、著作刊行の月や、番号はレファレンスにして閲覧者の便宜を図っていただきたい。 また、同様に、文庫や新書版はもよくお調べになっておられるのはわかりますが、あまりに煩雑すぎて、読み進めることができず、私はげんなりしました。 そこで、出来るだけ簡素にし、分野別に分類するするのが好ましいと考えられます。 閲覧者は、岡の何に興味があるかに従って、読書を進めることができます。
もちろん、分類や紹介については、もっと詳しい方が私の分類や紹介の誤りをただし、よりよく改善するのは当然です。しかし、年代順に並べたり、インターネットのサイトを著作と同列に、何の説明もなく並べるのはいかがかと思われます。
以上、問題点を指摘させていただきました。ご検討ください。--240F:73:147F:1:4C3:B4AC:3590:56DF 2018年7月31日 (火) 15:00 (UTC)
- IPアドレスを表示しないためにログインをお願い致します。書籍に関してはミスが多い上にかえって読みづらいので編集を差し戻しました。それから岡に関しては、最終的には日本以外頼れるものはないということで、仏教も捨ててしまいます。従って、超高次元といった聴きなれない言葉も使わざるを得ないと宣言して積極的に使っております。書籍も未出版のものを含めれば、このような心境の変化がつれづれなるままに書かれており、一直線になっている流れを断ち切るべきではないと考えます。--Hope and Lightning(会話) 2018年8月1日 (水) 05:28 (UTC)
著書を年代順にする必要がある理由が岡の心境や行動や思想の変化にあるといわれるのなら、あなたは、なぜ岡に関する記述を分類して記述しているのですか。なぜ、すべてを年代順にしないのですか。行動に一貫性がありません。とにかく、読んでいてげんなりします。分類されているものの記述に関しても。--240F:73:147F:1:5D9E:1822:86E:16A8 2018年8月1日 (水) 23:07 (UTC)
- 私は要出典タグを既存のものに加えて追加はしましたが、全削除まで望んでいた訳ではありません。しかし全削除を行った以上、編集責任は持つべきと考えます。既に記述上最低限と考えられる数学と哲学の分類がなされているので、そこから先は編集者に任されるものです。ここは岡潔の記事であり、朝永振一郎との流れとは根本的に異なります。なお出典に関しては完全に足りている訳ではありませんが、少なくとも参考文献からのページ数引用とISBN表示でかなり出典性は確保されていると考えます。またノート:朝永振一郎に加えて繰り返しとなる確認ですが、他記事との統一性の維持に心がけて下さい。そして自己基準に偏る編集を極力減らすよう、お願い申し上げます。--Hope and Lightning(会話) 2018年8月2日 (木) 02:12 (UTC)
撤退、私が書いたり修正した内容は絶対に再利用しないでください。
撤退します。私が書き、修正し、今消去した内容は、絶対に再利用しないでください。--240F:73:147F:1:28A1:8B5:D830:D687 2018年8月1日 (水) 13:19 (UTC) --240F:73:147F:1:28A1:8B5:D830:D687 2018年8月1日 (水) 13:21 (UTC)
さらに昔書いたものを消去しました。再利用不可。--240F:73:147F:1:28A1:8B5:D830:D687 2018年8月1日 (水) 15:01 (UTC)
あなたは執筆者かもしれませんが、「一度投稿されたものについてはCC-BY SA 3.0」で公開されることに同意」されていますので、再利用不可として内容を削除したり、使わないように誰かに指示したりすることはできません。これは、投稿時の画面にも表示されていることです。撤退するかわといって、自分の文章だと主張してすべてを除去していくことはできません。--アルトクール(会話) 2018年8月1日 (水) 15:19 (UTC)
撤退、引用文献がないと指摘された私の記述をすべてしょうきょします。
昔読んだもので引用文献を挙げられません。本当に記憶だけに頼って書いたことを反省しております。申し訳ありませんでした。
貴殿の指摘に従います。貴重な指摘、大変感謝しております。反省しております。二度と、文献を挙げられないものは記載いたしません。私の書いたものpに関しては、自分の責任でウィキペヂアの規則に従い、消去いたします。ご迷惑をおかけたしました。
失礼いたします。責任の持てない記述をまた削除しなければならない手間をかけないでいただきたい。おたがい、時間の無駄です。
岡潔先生にも根拠の不確かなことを書くのは失礼でした。申し訳ありませんでした。
私の手を煩わせないでください。お願いいたします。 --240F:73:147F:1:28A1:8B5:D830:D687 2018年8月1日 (水) 16:16 (UTC)
自分の言動を一貫して使用してください
お願いいたします。--240F:73:147F:1:28A1:8B5:D830:D687 2018年8月1日 (水) 16:27 (UTC) ウィキペディアの規則に従うようお願いいたします。
管理者が規則を無視するのはどうなのでしょう。お互い時間の無駄です。 --240F:73:147F:1:28A1:8B5:D830:D687 2018年8月1日 (水) 17:10 (UTC)
自分の書いたものには責任があり、ご指摘に従い消去いたします。他の人のものは私はわかりません。
他の人の書いたものも引用文献がありませんが、ほかの人の書いたものに、干渉するつもりはありません。そこまで厚かましくはありませんし、他の人の書いたものが誤りと指摘など私には不可能です。積極的に否定できないものに私は関与いたしません。自分の書いたものは責任がありますので、大変残念ではありますが、自らの手で消去し、ウィキペディアの規定に従う所存です。 --240F:73:147F:1:28A1:8B5:D830:D687 2018年8月1日 (水) 16:37 (UTC)
管理者殿へのお願い 管理者としての責任を果たし、率先して規則を守り、ウィキペディアの規定に従う私の行為をお認めくださるようお願いいたします
この私の行動を貴重なものとして、ウィキペディアの貴重な規則をお守りください。管理者の責任において。 --240F:73:147F:1:28A1:8B5:D830:D687 2018年8月1日 (水) 17:21 (UTC)--240F:73:147F:1:28A1:8B5:D830:D687 2018年8月1日 (水) 18:10 (UTC)
まだ、文献のない記述が多数あるようです。
それに、本か何か知りませんが、本の名前さえありません。私はあなたの要求に従い、削除したのです。あなたの関係する他の人のウィキペディアの項目すべてに引用文献のない場合、削除されるのでしょうか。
岡潔はあなたのものの様なので、私の記憶に頼った記述は削除しましたが。 --240F:73:147F:1:5D9E:1822:86E:16A8 2018年8月1日 (水) 22:46 (UTC)
私の記述にすべて、引用がないと疑問をつけ、私が以前書き、しかし、今では私のものとはわからなくなってしまった記述には疑問をつけない。また、他の人の書いたものにも疑問をつけないなど、行動に一貫性がありません。書き方に疑問を呈すると、それに対して自分の不満を、ぶっつけるだけとしか、私には思えません。
岡潔はあなたのものなのですか。そのようにお見受けしましたが。
改行など修正--240F:73:147F:1:5D9E:1822:86E:16A8 2018年8月1日 (水) 23:07 (UTC)
まとめ Hope and Lightning 氏と 岡潔像。
岡潔の数学的な発想や人柄を中心に私は加筆してきました。
- 岡潔が広中平祐や湯川秀樹、朝永振一郎へ与えた影響も、岡潔の発想法を補強するのが主目的でした。
- なぜ書き加えたのか 【理由】後で示しますように、今のウィキペディアの岡潔の書き方が偏ています。このため、閲覧者に誤解を生みかねない。閲覧者の誤解を避けるために、加筆により岡潔像の修正を図って来ました。
私Aが行った加筆
加筆 1 広中や朝永、湯川の関係 (その後、修正が入っている。)
加筆 2 岡潔の人柄や発想を示すもの、
- 1 学会で発表者が岡を称賛したとき、岡は発表者を怒鳴りつけたこと、
- 2 岡がある朝目覚めたとき生涯の難問が解けると予感し、実際に難問が解けたこと
- 3 岡がどのような思考法を取って数学に挑んだかを示す授業と教授会でのエピソード
- 4 岡が京大講師、助教授時代、1年以上論文を出さず、内規にふれ京大を去らねばならず、後の苦境の遠因になったこと
加筆 3 広島大学を辞任した後の11年にわたる生活の困窮と、生涯の友人、京大教授秋月による奈良女子大学の紹介で、生活の苦境が終わったこと。
加筆 4 岡の業績や人柄についての要約を冒頭にあげ、特に文化勲章を追加したこと。
加筆 5 岡の数学上の発見が、初期のインスピレーション型から情緒型へ変わっていった事と、それをあとづけで情緒型と名付けたこと
加筆 6 岡が終日眠っていた日があり、これを岡が躁うつ病ではないかとの話を次のようにしてやんわりと否定した。すなわち、先の加筆2の4個のエピソードから、岡の創造の形が、頭での意図的な論理的な思考法でなく、問題を脳が無意識のうちに解くのを待つ方法を岡は一貫して行なっていることを示した。特に、朝起きたとき、問題が解けると予想できたことが駄文作家藤本の見解を否定している。この事実から、やんわりと藤本の勝手な見解をやんわりと否定したこと
- (躁うつ病とみるのは、岡の創造の形式を理解していないたわごとである。しかし、これを主張するわけにはいかない。)
- ただ、こういう岡の本質を理解しない直木賞の駄文作家の藤本の話を何の注釈もなく持ってくるのは、書き加えた者が岡の精神の本質を理解していないと考えられる。藤本の岡理解は不十分だが、書くわけにはいかない。しかたがないので、岡の人柄や発想の4個のエピソードで、岡の創造と人柄の本質示したつもりである。
- (躁うつ病とみるのは、岡の創造の形式を理解していないたわごとである。しかし、これを主張するわけにはいかない。)
加筆 7 岡や秋月が5歳しか年のちがわない湯川や朝永などの学生に対して、時々自分の研究について授業中に話をしたこと
- 他にも、あり加筆予定だったが、不可能になった。
加筆 8 書籍の最初に簡単な紹介をいれ、閲覧者の便に供したこと
修正 1 日本語としてあまりにこなれない、超高次元の理想である真善美妙との「超高次元の理想」を削除したこと
修正 2 書籍を分野別に分類し、文庫の出版社や書籍番号を煩雑なものとして削ったこと
ウィキペディアの岡潔像の問題
岡は言葉以前の世界で数学を考え続けた。その方法は簡単な問題【京大・東大の数学科の学生程度ではほとんど解くことができない程度の優しい問題】なら、集中して解き切ることができた。しかし、非常な難問に関しては、岡と言えど、意図的な思考ではなく、岡の頭そのものが無意識の過程で難問の構造をイメージとして浮き上がらせ、問題を解くまで、岡といえど待つしかなく、意図的な思考では、解くことができなかったと言える。
この問題は論理思考や、意図的な解決法では、すなわち常人の思考法では解けない。岡潔は、自らの頭に課題を与え、頭が無意識に成熟し、イメージが出来上がるまで、そして問題解決の筋道が出来上がるまで解けない。岡のエピソードや随筆を読めばそういえると私Aは考えている。
この問題を解くのは集中と、その後の放置であり、特に眠り続けることが、無意識の成熟をうながす。岡は感受性の鋭い人であり、この睡眠の重要性についての身体の要求を感じて、それに従っていたと考えられる。
岡の常人には見られないいろいろな行動は、岡が授けられた異様な能力に岡が従ったためであろう。
岡の感受性は、情緒に関する随筆に表れている。それが、感受性と言うのなら、岡の数学の感受性と通ずるものがある。しかし、情緒に関する岡の記述は岡の精神の一端を表しても、常人としての岡の精神を表していても、岡の異様ともいえる数学能力の本質を示すものではない。
- 数学者は多かれ少なかれ、この異常な才能に恵まれているのだが。
- とにかく、岡潔の本質をHope and Lightning氏が理解しているとは思えない。(私が理解しているとは言いませんが)。このまま放置しておけば、閲覧者に岡潔について大きな誤解を与えると私は思うが、私には打つ手がない。
- 駄文作家、藤本の岡を理解できない事を示す記述や、「超高次元の理想」などが代表である。
- 絵描きや漫画家との対談にしても、どうかと思われる。
- 悪意の加筆者なら、打つ手はある。善意だとどうすればいいか。岡を理解しているとは、とても思えない善意の人に私はどう接すればいいかわかりません。
- 例えば、編集について数分おきにUPされているのに対し、注意があっても、頑としてやり方を変えないことに見られる。岡についての理解も同様で、理解に深さや多面性が欠けているように見える。
岡の思考法や睡眠の問題に関しては、私Aは本格的に論じることをせず、エピソードを示すに留め、ほとんど改善を図っていません。ただ事実を書き加えて、認識が誤っていることを示唆はしましたが。
編集合戦と、異様な下線の付加
私Aは、岡潔の中心となる問題を正面切っては扱わないままにしました。そして、岡や周辺への影響を加筆しました。加筆により岡潔像の歪みをやんわりと修正しました。正面切って問題を扱っておりません。
ただ、私Aは著書に関して、岡についての情緒や対談、随筆と同様に、読みにくいと考えました。この問題は、内容に踏み込むものではなく、整理と簡素化と言う形式だけの問題にしかすぎません。岡そのものへの修正と異なり、著作の記述は書き方の問題にしかすぎないのです。そこで、次の改善を図りました。これが、次の問題を引き起こしました。
【編集合戦と、下線の付加】 私は岡の書籍を分類し、簡単な説明を追加した。この修正に対し、何の説明もなくHope and Lightning氏が巻き戻された。私は以下の理由を書き加えて、私Aの版に巻き戻しました。編集合戦になるのはいやだったので、一度だけまき戻しますと書いて。さらに、私Aはなぜ整理が必要かとの説明をもしております。説明の内容は、編集の書き込みでの項目タイトルやノートをご覧ください。 これに対する返答はなく、いきなり、下線付きのタグ(文献がない)が貼られました。以前には、そして今も、次の記述には下線付きのタグが貼られておりません。
- 【タグがなかった引用文献のない記載】三高時代、岡は友人に対し「僕は論理も計算もない数学をやってみたい」と語っている。岡の考えでは論理や計算は数学の本体ではなく、表面的なことを追うだけでは答えが見えてこないと思っていたらしい。この見えざる数学の本体に迫ることと、仏教的叡智や情緒の探求は岡にとって表裏一体であったと考えられる。
私Aが岡の著書の一覧を整理し、整理の必要性を示したことに対する嫌がらせでしょうか。嫌がらせとしか私には見えません。
したがって、すべて私の書き込みを消去し、撤退することにしました。こういう嫌がらせをして、私の最初に記載したものを平然と残す。出典お明らかでないものを平然と何のタグもなく残す。
批判点 1 以前には出典がないものをそのままにしておいた。ところが書籍についてお願いすると、理由一切なして巻き戻し、以前と方針を変えて、出典がないと私の記載に疑問のタグを貼りつけた。
- 以前には、上に示した記述に、タグを貼っていない。今も貼っていない。
その後、訳の分からない理由(批判点2)が追加された。Hope and Lightning氏の書き込みを参照。
批判点 2 岡潔の著書は、分類するのは不適切で、年代順に並べなければ、理解できないとのHope and Lightning氏の主張である。
- しかし、書籍以外の岡潔の説明では、分類されており、年代順になっていない。岡の記述では年代順ではないかとの批判に対するまともな答えはない。
批判点 3 岡潔は、Hope and Lightning氏が自由に勝手気ままに、編集する権利を持つとしか読み取れない記載がある。(私にはHope and Lightning氏が水8からだけに編集権があると考えておられる、そうとしか読めない) 修正--240F:73:147F:1:D858:DCE8:D476:87B0 2018年8月2日 (木) 18:51 (UTC)
現状は次の状態です。
次に対する、文献がないとの「下線付きのタグ」はありません。単なるタグもありません。
- 三高時代、岡は友人に対し「僕は論理も計算もない数学をやってみたい」と語っている。岡の考えでは論理や計算は数学の本体ではなく、表面的なことを追うだけでは答えが見えてこないと思っていたらしい。この見えざる数学の本体に迫ることと、仏教的叡智や情緒の探求は岡にとって表裏一体であったと考えられる。
また、書籍では年代順でなくては理解できず、岡潔の説明文では分類する根拠がいまだに示されておりません。
- 編集の裁量と言う。岡潔は Hope and Lightning氏のものではありません。 Hope and Lightning は自分だけには唯一の編集権があり、他の人は編集権がなく、他の人間はそれに従えと言っておられる。
- 私から見れば岡潔像は、歪みがあります。また、 Hope and Lightning は、岡の著作を完全にこなしきらない状態で、岡潔の著作や岡潔について記載されたように見受けられ、閲覧者に岡を大きく誤解させるように見えます。
- すべてをこなしきる必要はありません。そんなことを要求する権利は誰にもありません。ただ、一部の著作だけでも、こなしきってその上で、その範囲で書いていただきたい。
しかし、何か言ってHope and Lightning氏が聴かれることは無いでしょう。自分は岡の完全な理解者であると思っておられるようですから。
まあ、列島人一般がそうですから、ごく普通のことです。どうということはない。撤退する理由です。岡潔先生には申し訳ないですが。
--240F:73:147F:1:D858:DCE8:D476:87B0 2018年8月2日 (木) 18:30 (UTC)
どう言う時に、下線付きのタグが貼られるか
なお、普通はよほどのことがない限り、これはおかしいと思わない限り下線付きのタグは貼られません。
それは、「現状の岡潔」にもあるとうりで、タグが貼られることは、普通はありません。まして、下線付きのタグなどありません。
私は嫌がらせに、耐えてまで、岡潔像を正す意気込みはありません。
なお、人名、年の注の形式は、問題であると指摘しても、答えはありません。人名と年だけの注が許されるのは、論文の最後に文献一覧を記載する場合です。文献一覧がなく、注で人名、年だけにするのはありえません。 --240F:73:147F:1:D858:DCE8:D476:87B0 2018年8月2日 (木) 19:07 (UTC)
これでも改善策のつもりです。
私は議論のつもりで書きましたが、議論もなく、いきなり編集合戦になり、おまけに下線付きのタグまで貼られた。
私が論じたことは次です。
- 岡潔の記載内容と、編集、岡潔に対する理解の問題、特に岡潔の閲覧者が岡を誤解するだろうことを論じました。
--240F:73:147F:1:D858:DCE8:D476:87B0 2018年8月2日 (木) 18:39 (UTC)
文言の修正、と岡の数学的な創造と精神の内容の数学から見た構造の若干の補足--240F:73:147F:1:D929:E4B3:5727:1801 2018年8月6日 (月) 14:47 (UTC)
ウィキペヂアでは時々、こういうよく解っていない記載が散見される。岡潔が数学を創造したのと同様に、頭で考えずに、言葉以前で岡の著作を理解してそれから書くべきだろう。読めない。 --240F:73:147F:1:D929:E4B3:5727:1801 2018年8月6日 (月) 14:47 (UTC)
再度、文章を修正、明確化、--240F:73:147F:1:571:AC80:3879:269A 2018年8月9日 (木) 15:00 (UTC)