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ノート:愛新覚羅奕譞

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醇親・王なのですか?醇・親王なのですか?前者なら「じゅんしん おう」では?それとも中国にも「親王」制度があったんですか?Stanislaus 2005年7月18日 (月) 06:46 (UTC)[返信]


醇親王(じゅんしんのう)は、清の皇族。

初代奕譞(えきけん、1840年 - 1891年)は、道光帝の第7子で、光緒帝の実父。諡は賢。

1850年、兄咸豊帝が即位すると、醇郡王に封ぜられた。1861年に同治帝が即位すると都統、御前大臣、領侍を命ぜられ、親王にのぼった。1874年、同治帝が子を残さずに死去すると、帝の母西太后は自身の妹を母とする奕譞の第2子載湉を同治帝の子として即位させた。奕譞は実子の即位と共に官職を退いたが、1884年の清仏戦争の処理をめぐって恭親王が軍機大臣を罷免されるとかわって起用され、海軍を統括した。

2代載灃(さいれい、1883年 - 1952年)は、奕譞の第5子で、清の最後の皇帝宣統帝(溥儀)の実父。父の死後、世襲を許されて醇親王を襲封した。父に続いて西太后の信任を受け、義和団事件後には渡欧、立憲君主制の創立に携わり、摂政王となった。西太后の死後、彼は、兄の光緒帝を裏切ったとして、袁世凱を殺害しようとした、1911年、辛亥革命が挑発すると、隆裕太后によって、失脚させられ、袁世凱が内閣総理大臣となった。その後は、政界から退きひっそりと暮らしていた。また、溥儀の満州国皇帝就任には、反対した。--以上の署名のないコメントは、222.8.151.155会話/Whois)さんが 2004年8月7日 (土) 13:31 (UTC) に投稿したものです(Uraios 2008年2月28日 (木) 11:28 (UTC)による付記)。[返信]

改名の提案

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醇親王 (初代)醇親王 (第2代)恭親王 (初代)恭親王 (第2代) では記事名としてどうかと思います。個人名があるわけですし、慶親王奕劻粛親王善耆と同様にした方が良いのではないでしょうか。--Uraios 2008年2月28日 (木) 11:28 (UTC)[返信]

よく考えてみると、慶親王奕劻粛親王善耆も記事名として異例であり、これを範例にするのは良くないかも知れません。中文版にならって、個人名()のみ、あるいは愛新覚羅姓を付けて呼ぶのが妥当ではないかと思います。--Uraios 2008年2月29日 (金) 12:14 (UTC)[返信]

姓+名の形に統一したいと思います。記事名の制約もあり、次の通りになります。

--Uraios 2008年3月2日 (日) 01:58 (UTC)[返信]

改名しました。--Uraios 2008年3月8日 (土) 05:56 (UTC)[返信]

差し戻しを提案します。現在中国の史学会では確かに王族などでは姓名で表記することが一般的になっていますね。ただし、日本語の研究文献においてそういった傾向はありません。ここは日本語版のウィキペディアですから、日本語内の傾向に従っておけばよいのではないでしょうか。

加えて、ウィキペディアの記事名として異例かもしれませんが、清朝の親王を「慶親王奕劻」と表記することは同時代から現在に至るまで、異例でも何でもなく、正規の表記法です(北京議定書において「慶親王奕劻」と署名が残っているように、死後の呼び名というわけでもありません)。『清史稿』などの共産主義中国が成立する以前の史料も「慶親王奕劻」といった表記が基本です。また、欧米においてもウィキペディアの英語記事名が"Yixuan, 1st Prince Chun"となっているように、諱と親王名の表記が基本で、アイチンギョロ姓は特に使わないのが一般的です。

正直なところ、改名提案のページを見ておくべきだったと反省しております。ただ、厳しめに言わせていただきますが、「思います」という言い方程度の根拠で移動してほしくないです、もう少ししっかりと理由を並べてください。Aboshi 2008年3月8日 (土) 15:14 (UTC)[返信]

不見識かつ性急だったようです。つまり、前近代の清の皇族は愛新覚羅姓+諱ではなく、親王号+諱で呼ぶべきだというわけですね。もっとも、諱のみで記事名にするやり方も考えられますし、少なくとも最初に挙げた4項目の記事名に問題があったのは確かだと思いますので、単純な差し戻しでなく再考ということにしたいと思います。--Uraios 2008年3月8日 (土) 16:50 (UTC)[返信]


さらに後から口出ししてごめんなさい。まず改名前のページ名については統一感の無さから違和感アリアリでしたので、あえてメスを入れられたUraiosさんには敬意を表します。ただ、Aboshiさんのおっしゃる事もごもっともです。ですが「醇親王」とは爵位的なものであり、Wikipediaのルールとして「ページ名に爵位・肩書き等はつけない」というのがあります。例外として「名前だけだと重複する可能性がある場合」だけは「載ホウ (第2代醇親王)」とカッコ付けする事で重複を回避する事になっています。(英語版は「,」から後ろがそれに相当しますね)

また、「愛新覚羅」は元来氏族名的な位置づけであり「姓」とはちょっと違うと認識しています。清朝滅亡後は便宜的に姓として使っていますが・・・。

恐らく中国語版の記事名が名前だけなのは「重複しないだろう」という判断からだと思います。英語版はピンイン表記だけでは重複する可能性があるので爵位名も付加しているのだと思います。日本語版ではJIS208に該当しない文字はカタカナで表記しますので重複する可能性があります。私としては「名前 (爵位)」、例えば「奕キン (初代恭親王)」といった記事名が良いのではないかと思うのですがいかがでしょうか?--Kaba 2008年3月8日 (土) 18:04 (UTC)[返信]

曖昧さ回避の原則でいくと、現実に重複しない限り(少なくとも現在のところはしていません)括弧付けは不要、なおかつ付ける場合にも代数は不要ということになると思います。--Uraios 2008年3月8日 (土) 19:18 (UTC)[返信]

「愛新覚羅」についてはKabaさんのおっしゃるとおりですね。失礼しました。

さて、あとはスタイルの問題だけですが、私が「慶親王奕劻」の表記でよいと考えたのは、Wikipedia:表記ガイド#人名で「皇族・王族などで付けることが慣習となっているものは例外とします」とあったことにもよります。そういうただしがあるなら、「慶親王奕劻」で間違いないだろう、と(言い換えれば、日本の「後醍醐天皇」や「以仁王」がよければ、中国で適用することに妨げはないのだろうと)。

ただし、Kabaさんのおっしゃるような「奕キン (初代恭親王)」でも間違いはありませんので、問題ないと考えます。Aboshi 2008年3月9日 (日) 04:56 (UTC)[返信]

「愛新覚羅」が不要、という点に関しては了解しましたが、あとは括弧の中に入れてまで親王号を付ける必要があるのかという点です。Wikipedia‐ノート:曖昧さ回避#不要なカッコ付き記事についてでもめていることと関係しますが、ここで挙がっている記事に関しては名前だけでよいのではないかと思っています。--Uraios 2008年3月9日 (日) 08:09 (UTC)[返信]

建設的なご意見ありがとうございます。では『愛新覚羅はページ名に入れない』という点は現段階で合意、という事でOKですね。で、親王号の表記ですが、以下の3パターンが考えられると思います。

  1. 奕キン (恭親王)・・・(第数については、おっしゃるとおり清朝では同じ親王家で名前がかぶる事は有り得ないので、ナシとさせて頂きます)
  2. 恭親王奕キン
  3. 奕キン

まず親王号の要否ですが、清朝の親王は1文字目だけで「どの世代の人か」というのだけは分かるのですが、2文字目がカタカナだと一瞬躊躇してしまうんですよね・・・あくまで個人的にですが。ただ、Aboshiさんの例(「後醍醐天皇」)は「個人を特定できる称号」ですので、個人を特定できない恭親王の例には朝香宮鳩彦王の方が適切だと思います。そう考えると必ずしもカッコ括り(上記1)にはこだわりません。2もしくは3、但しどちらにしてもリダイレクトページ必須という事なら私は合意で結構ですがいかがでしょう?--Kaba 2008年3月10日 (月) 13:17 (UTC)[返信]

清の皇族の記事名

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ここでの議論が止まった後に、それに反するような形で「愛新覚羅」を付けた記事が次々と書かれていますが、どうしたものでしょうか?--モンゴルの白い虎 2009年2月20日 (金) 11:21 (UTC)[返信]

書きっぱなしにしてしまいました。確かに話していた内容と実態が変わってきましたが、私個人としては現状で記事名の統一はされているのでデファクトとして受け入れています。ちゃんと「醇親王奕譞」という名のリダイレクト記事も作成されていますし。
元々が『「醇親王 (初代)」という記事名に違和感アリ』として始まった議論ですから、それさえクリアしてしまえば後は決めの問題と思います。で、少なくともそこまではクリアしたんだから、そこから先は現状のままでいいんじゃないかなぁというのが今の私の意見です。変節した時にちゃんと書いておくべきでしたね。失礼しました。--Kaba 2009年2月20日 (金) 19:19 (UTC)[返信]
粛順は中国語版にさえ「愛新覚羅」が付いていませんが、これはどう考えたものなのでしょう? それと、保慶帝は皇帝扱い(記事名の上だけですが)して良いものなのでしょうか?--モンゴルの白い虎 2009年2月26日 (木) 22:14 (UTC)[返信]

改名提案(2)

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Wikipedia:記事名の付け方の漢字使用制限の緩和に伴い、JIS 0213 Xに含まれる「譞」も記事名に使用可能になりましたため、「愛新覚羅奕譞」への改名を提案いたします。--こんせ会話2020年7月16日 (木) 09:43 (UTC)[返信]

報告 特に意見が出ませんでしたので、移動依頼を提出しています。--こんせ会話2020年7月23日 (木) 03:10 (UTC)[返信]
報告 移動が完了しました。--こんせ会話2020年7月24日 (金) 00:48 (UTC)[返信]

*僕は中国語使用者と申します。清王朝の時代には、愛新覚羅という氏名は、元々、名の前に付いていない。「愛新覚羅xx」のような書き方は、かなり新い物である。----松照庵会話2020年7月23日 (木) 03:18 (UTC)[返信]

    はいわかりましたぜ。----松照庵会話2020年7月23日 (木) 03:33 (UTC)[返信]