Wikipedia‐ノート:曖昧さ回避
このプロジェクトページは2008年8月19日に削除依頼の審議対象になりました。議論の結果、版指定削除となりました。 |
「雑多な内容を箇条書きした節を避ける」の観点を加筆する提案
[編集]表題の通り、「Wikipedia:雑多な内容を箇条書きした節を避ける」の観点を加筆する提案をいたします。
現状、「曖昧さ回避」の本来の目的を逸脱して、雑多な情報を列挙している例が見受けられます。特に酷いのがフィクション分野の事物で、よく見かけるのは人名系の曖昧さ回避ページにおいて、明らかに独立記事にはならないような人物や組織、あるいは単に登場する用語などを列挙している例が多々あります。例えば、マリア#架空の人物やサクラ (曖昧さ回避)#架空のキャラクターとか、挙げ出せばキリがありません。もちろん、フィクションでも、ゾロにおける怪傑ゾロやロロノア・ゾロなど、独立記事になっているものは問題ないです。
現状でも「曖昧さ回避ページを辞書にしない」(WP:DABDIC)などに包括されている概念だと考えますが、意外にも「ウィキペディアは情報を無差別に収集する場ではありません」(WP:IINFO)や「Wikipedia:雑多な内容を箇条書きした節を避ける」に直接言及する条文がないことに気づいたため、今回の提案に至った次第です。
以上を鑑みて、以下の文言追加を提案します。
== 雑多な内容を列挙しない ==
→詳細は「Wikipedia:雑多な内容を箇条書きした節を避ける」を参照ウィキペディアは情報を無差別に収集する場ではなく、Wikipedia:雑多な内容を箇条書きした節を避けるといったルールがあります。曖昧さ回避ページも例外ではなく、適切な記事名やリダイレクトの重複などを解消するといった本来の目的にそぐわない単なる事物の列挙は認められません。これは「#曖昧さ回避ページを辞書にしない」にも包括される概念ですが、しばしば逸脱するケースが見受けられます。
この問題は特にフィクション分野の事柄において顕著に見られます。例えば「マリア」という人物名は創作物でもありふれた名前ですが、だからといって「マリア」の曖昧さ回避ページにおいて、マリアという名前のキャラクターを片っ端から列挙する必要はありません。挙げる場合は、その名称で検索されうる事柄かを念頭においてください。例えば「サクラ (曖昧さ回避)」において『ストリートファイターシリーズ』のキャラクターで独立記事である「春日野さくら」や、独立記事はない『カードキャプターさくら』の主人公である「木之本桜」を挙げることは妥当ですが、『愛の戦士レインボーマン』の第5話で死ね死ね団に殺されたキャラクターや『ウルトラセブン』の第16話に登場した宇宙船を挙げる必要はないでしょう。その作品を知っている人しか調べないようなものは、その作品名で検索されるため、曖昧回避で列挙する必要はありません。
以上--EULE(会話) 2024年1月31日 (水) 15:20 (UTC) --(文案修正)2024年2月20日 (火) 13:21 (UTC)
- まず「2002年のドラマ『さくら』」は外してください。これはフィクション中の作品ではなく、実在する作品ですからここにははまりません。また日本語版以外はキャラクター記事が日本語版よりも作りやすいので、このままですと確実に逆JPOVになります。再びサクラを例に取ると、この文面ですと木之本桜(12言語版に記事があるので別の問題も生じます)も真宮寺さくらも男はつらいよのさくらも削除ですが、いくらなんでもバランスが悪いと思います。en:Sakura (name)#Fictional charactersぐらいに絞るとなると、「書いていいものを決める」のではなく「取るに足りないもの」を除去することを目的にすれば事足りますので、そちらの方向で練り直すことをお勧めします。--Open-box(会話) 2024年2月3日 (土) 11:29 (UTC)
- 返信 コメントありがとうございます。
◆まず、2点誤解をされています。今回の提案は「独立記事のみ」列挙可能ではありません。「独立記事作成の目安を満たすもの」です。つまり、現状では独立記事がないが将来的には記事立項がありうる、特に赤リンクなどで列挙しておくことは問題ありません。例えば、今回挙げられたものでも、木之本桜は独立記事があってもおかしくないものですから、現時点で記事がないことは挙げることを妨げる理由にはなりません。また、本項の前段部でも取り上げているように有用なリダイレクトが存在する場合も当然問題ないでしょう。ただ、現在の素案ではそうしたものの除去も招く恐れがあるというご指摘であれば、文案の修正をいたします。2つ目は、作中の事柄のみを指しているわけではないということです。例えば短編集やアンソロジーなどに収録されている無名の短編なども考慮に入れており、作品名というものもそのレンジに入れています。もっとも、これは昨年の別件のことなども念頭にあったためであり、たしかに紛らわしく、その意図まで説明しようとすると説明文が長くなりますので、今回はご指摘通りに除去しようと思います。
◆最後に逆JPOVなる言葉が含意する範囲がよくわからないのですが、どちらにせよ、今回は英語版を根拠にされるのは筋違いだと存じ上げます。まず大前提として、英語版に規定はあるが日本語版には規定がない、もしくはその逆パターンというのは普通にあるもので、そうした言語間のルール・運用の差異それ自体はただちに問題にはなりません。もちろん、それは他言語版を根拠にするなという話ではなく、そこで合理的な見地から、成文にせよ慣習にせよ、明示的にルールになっていることであれば、それを先例として参照することは十分に合理的でしょう。翻って今回の場合、英語版でも雑多な内容の列挙が見られます。そのen:Sakura (name)のページも、明らかに脇役・端役の類を列挙している。これは普通に考えれば、英語版でも整備されていないというものであり、駄目なものに従う道理はありません。ただ、これが誤りで、もし、英語版が明示的な理由でそれを許可しているのであれば、それを紹介していただけると幸いです。ただ、最初に述べたように含意する範囲が単に「独立記事作成の目安を満たすもの」の話であれば、後半の私の話は言うまでもなく単なる蛇足です。--EULE(会話) 2024年2月9日 (金) 13:22 (UTC)- 曖昧さ回避の基本を踏み外している時点で無理があります。曖昧さ回避は記事より幅が広く、記事では拾えないものも拾っていることを計算に入れてください。まず英語版は冒頭部に「either as the main topic of an article, or as a subtopic covered by an article in addition to the article's main topic.」(記事もしくはサブトピック)と明文でEULEさんの主張を否定しています。そこで「英語版でも雑多な内容の列挙が見られます」と主張しても全く意味はありません。それは削除するために雑多と主張する手段の目的化でしかありません。基本的なところから引っ張りますと、曖昧さ回避に求められる役割は、「各記事に特定の記事名を与える」「記事名と内容をリンクさせる」「的確な記事に誘導する」(ここでサブトピックを含む)といったところであり、「独立記事作成の目安を満たすもの」に限定するのでは目的を毀損することになります(それは索引の役目です)。しかも「独立記事作成の目安を満たすもの」に日本語版が持ち合わせている大項目主義的傾向と活発な翻訳を踏まえると「日本の」フィクションに限って極端に高い基準を求めることになります(日本以外の作品ですと日本の作品では禁止されるような記事が作成されています。アメリカの作品に限ればすぐに主人公にして作品出す傾向と日本語版の運用の相性が非常に悪いのが原因ですが)。結果、「日本のものだけ書けなくなる」逆JPOVができあがります。別の問題として『短編集やアンソロジーなどに収録されている無名の短編』はフィクション内の事物ではないので同時に考えていた時点でブレがひどいです。『フィクション』という一点で様々なものをごちゃまぜにしてませんか? フィクションの私物化ではなく雑多なものを回避したいのであれば、フィクションなどという余計な事を考えてはいけません。雑多一点に絞らないとだめです。曖昧さ回避的には売名とか過大評価を回避しやすいフィクション内の事物の方が雑多なものを回避して残しやすいぐらいなのでその点でもまずいです。むしろ雑多を除去するという観点では、実在の方に気をつけるべきですし、そこを放置して回避しやすい分野に異常に高い基準を要求するこの提案は確実に「分野を問わず「独立記事作成の目安を満たすもの」限定」という曖昧さ回避の破壊行為に容易に転化するのです。それこそ『短編集やアンソロジーなどに収録されている無名の短編』を対象にするにはどうすればいいかを考えてみてください。実在を対象としても要求基準が高すぎるので、単純に現在の案をフィクションから実在に切り替えても目的通りに機能するとは考えられません。--Open-box(会話) 2024年2月9日 (金) 16:31 (UTC)
- 返信 ご指摘されている観点は正鵠を得ていて、特に「独立記事作成の目安を満たすもの」に限定するのは本来の主旨と一致していないというのは認めるところです。本来的な曖昧回避やリダイレクトの適切な範囲に関する表現はフィクションに限らず「その語で調べる可能性があるもの」だと考えています。創作物からの引用ですが、攻殻機動隊の荒牧の言葉で「知らない者は探さない」というのがありますが、今回の話題なら作品を知っている人なら作品名で調べるが、作品を知らない人はそもそもその対象を調べない、ようなものを曖昧回避ページに置くべきではない。なので、作品を知らない人ならまず検索しないような取るに足りない人物や事柄は列挙しないでください、くらいの強度の文言であればどうでしょうか。 また、今回の提案はあまりにもフィクション分野が酷いから、そこに特記した文案として考えましたが、逆に現状の文案や私の考えだと、そこが拡大解釈される恐れがあるという点も確かにその通りですので、作品名などの現実のものは例示せず、対象ともせず、あくまで創作物内部の架空の事柄としたいと思います。--EULE(会話) 2024年2月11日 (日) 13:03 (UTC)
- 返信 『売名行為』・『短編集やアンソロジーなどに収録されている無名の短編』と併用できる案として『既に記事が存在するあるいは作成の見込みがある対象と強い関わりがないもの』『削除され再作成の見込みがない記事にリンクされるべきもの』(「再作成の見込みがない」はケースE以外の救済)を考えました。範囲は狭い代わりに記事作成の見込みがない作品であれば主役ですら除外できるので、この方向性も使いみちはあると思います。フィクション特例なら『記事あるいはサブトピック(単独節である事までは求めません)作成の見込みがない雑多なもの』ぐらいで単発・端役レベルは消せるかなとは考えます。その上ですと映画が完全に漏れるのでレギュラーやゲストが使えないですし、『主要でも重要でもない』ですと運用が難しそうです。--Open-box(会話) 2024年2月12日 (月) 08:15 (UTC)
- 返信 身辺が忙しく返信が遅れていて申し訳ありません。まず一旦文案の修正を行いました。宣伝懸念などは今回は見送り、あくまで作品内部の事柄に特化としたいです(Open-box氏の提案するポイントは良いところだと思うのですが)。その上で、おっしゃるように主要/主要以外のキャラみたいな、明確な閾値を設けることは難しいため、先に少し述べた通り、客観的に見て、その語で調べる人がいるかどうかというところにして見ました。もちろん、どちらに振り分けるか人に依るようなものも多いでしょうが、少なくとも木之本桜と死ね死ね団に殺されたサクラは分けられるかなと想定しています。--EULE(会話) 2024年2月20日 (火) 13:21 (UTC)
- 返信 ご指摘されている観点は正鵠を得ていて、特に「独立記事作成の目安を満たすもの」に限定するのは本来の主旨と一致していないというのは認めるところです。本来的な曖昧回避やリダイレクトの適切な範囲に関する表現はフィクションに限らず「その語で調べる可能性があるもの」だと考えています。創作物からの引用ですが、攻殻機動隊の荒牧の言葉で「知らない者は探さない」というのがありますが、今回の話題なら作品を知っている人なら作品名で調べるが、作品を知らない人はそもそもその対象を調べない、ようなものを曖昧回避ページに置くべきではない。なので、作品を知らない人ならまず検索しないような取るに足りない人物や事柄は列挙しないでください、くらいの強度の文言であればどうでしょうか。 また、今回の提案はあまりにもフィクション分野が酷いから、そこに特記した文案として考えましたが、逆に現状の文案や私の考えだと、そこが拡大解釈される恐れがあるという点も確かにその通りですので、作品名などの現実のものは例示せず、対象ともせず、あくまで創作物内部の架空の事柄としたいと思います。--EULE(会話) 2024年2月11日 (日) 13:03 (UTC)
- 曖昧さ回避の基本を踏み外している時点で無理があります。曖昧さ回避は記事より幅が広く、記事では拾えないものも拾っていることを計算に入れてください。まず英語版は冒頭部に「either as the main topic of an article, or as a subtopic covered by an article in addition to the article's main topic.」(記事もしくはサブトピック)と明文でEULEさんの主張を否定しています。そこで「英語版でも雑多な内容の列挙が見られます」と主張しても全く意味はありません。それは削除するために雑多と主張する手段の目的化でしかありません。基本的なところから引っ張りますと、曖昧さ回避に求められる役割は、「各記事に特定の記事名を与える」「記事名と内容をリンクさせる」「的確な記事に誘導する」(ここでサブトピックを含む)といったところであり、「独立記事作成の目安を満たすもの」に限定するのでは目的を毀損することになります(それは索引の役目です)。しかも「独立記事作成の目安を満たすもの」に日本語版が持ち合わせている大項目主義的傾向と活発な翻訳を踏まえると「日本の」フィクションに限って極端に高い基準を求めることになります(日本以外の作品ですと日本の作品では禁止されるような記事が作成されています。アメリカの作品に限ればすぐに主人公にして作品出す傾向と日本語版の運用の相性が非常に悪いのが原因ですが)。結果、「日本のものだけ書けなくなる」逆JPOVができあがります。別の問題として『短編集やアンソロジーなどに収録されている無名の短編』はフィクション内の事物ではないので同時に考えていた時点でブレがひどいです。『フィクション』という一点で様々なものをごちゃまぜにしてませんか? フィクションの私物化ではなく雑多なものを回避したいのであれば、フィクションなどという余計な事を考えてはいけません。雑多一点に絞らないとだめです。曖昧さ回避的には売名とか過大評価を回避しやすいフィクション内の事物の方が雑多なものを回避して残しやすいぐらいなのでその点でもまずいです。むしろ雑多を除去するという観点では、実在の方に気をつけるべきですし、そこを放置して回避しやすい分野に異常に高い基準を要求するこの提案は確実に「分野を問わず「独立記事作成の目安を満たすもの」限定」という曖昧さ回避の破壊行為に容易に転化するのです。それこそ『短編集やアンソロジーなどに収録されている無名の短編』を対象にするにはどうすればいいかを考えてみてください。実在を対象としても要求基準が高すぎるので、単純に現在の案をフィクションから実在に切り替えても目的通りに機能するとは考えられません。--Open-box(会話) 2024年2月9日 (金) 16:31 (UTC)
- 返信 コメントありがとうございます。
- 報告 日が空いてしまい申し訳ありません。あと1週間ほど様子を見て、異論がない場合は反映したいと思います。--EULE(会話) 2024年4月27日 (土) 00:07 (UTC)
- 報告 1週間経ち、異論がないため合意に達したとみなし、提案内容を反映いたしました。コメントありがとうございました。--EULE(会話) 2024年5月6日 (月) 14:04 (UTC)
現在の運用に合わせる改定提案
[編集]実情と合わない部分が出てきていますので、一部改訂を提案します。現在の文章が引き起こす問題として「青リンクの記事」以外への曖昧さ回避が列挙されている場合にこれを削除しようと試みるケースがたまに発生します。実は現行の文章でも「存在しない項目を載せるかどうかは慎重に行うべきです」と掲載自体までは禁止されていませんし、{{仮リンク}}、赤リンクであっても「将来的な作成の可能性」が存在するため曖昧さ回避はありとして運用されていますから、削除依頼という手間をかけるだけになります。これに加えて記事中のサブジェクト(例:アルバムや作者に統合される単独で作るまでもない楽曲、企業や親ブランドに統合されるブランド名)への曖昧さ回避も運用されています(英語版の「or as a subtopic covered by an article in addition to the article's main topic.」相当で翻訳するとよくあります)が、こちらは現在の文面では想定されていないので、表現を現状に合わせる提案です。
冒頭部、現行の文章
(これより前を略)内容が異なる複数の記事について判別が必要となる場合もこれに準じて扱います。
冒頭部、改訂案。『』が追加
(これより前を略)内容が異なる複数の記事について判別が必要となる場合もこれに準じて扱います。『曖昧さ回避の対象は、現存する独立した記事である事を必要としません。』
冒頭なのでシンプルに「青リンクだけではありません」と宣言します。
曖昧さ回避ページで扱う対象の節、現行の文章
存在しない項目を載せるかどうかは慎重に行うべきです。その項目名で呼ばれるものをすべて載せる必要はありませんし、執筆される見込みが薄い項目や、現存するものでも削除されそうな項目にリンクする必要はありません。例えば、歌の題名はたくさんありますが、個々の歌がすべて執筆されているわけではないので、まだ記事の書かれていない歌の題名を載せる必要はありません。そのような項目は既存の項目(バンド名、アルバムなど)へ加筆してください。
曖昧さ回避ページで扱う対象の節、改訂案。『』が追加、打ち消し線が削除。
『記事になり得るもの、翻訳が可能なもの、リダイレクトになり得るものは対象に含まれます。また記事中に含まれる「その項目名で呼ばれるもの」も対象となります。』存在しない項目を載せるかどうかは慎重に行うべきです。その項目名で呼ばれるものをすべて載せる必要はありませんし、執筆される見込みが薄い項目や、現存するものでも削除されそうな項目にリンクする必要はありません。例えば、歌の題名はたくさんありますが、個々の歌がすべて執筆されているわけではないので、まだ記事の書かれていない歌の題名を載せる必要はありません。そのような項目は既存の項目(バンド名、アルバムなど)へ『のリンクとして』加筆してください。『これらに該当しない項目を載せるかどうかは慎重に行うべきです。その項目名で呼ばれるものをすべて載せる必要はありませんし、執筆される見込みがない項目や、現存するものでも削除されそうな項目にリンクする必要はありません。』
「存在しない項目を載せるかどうかは~」は後ろに回します。前から順に赤リンク、仮リンク、一意に定まらないリダイレクト、サブジェクトについて列挙します。歌は単独では記事になりにくいのでサブジェクトの例としては適していますからこれを説明に流用します。歌の部分は途中から執筆ガイドになっているので曖昧さ回避用に修正します。最後に「存在しない項目を載せるかどうかは~」を「これらに該当しない」に、「執筆される見込みが薄い」を「執筆される見込みがない」に差し替えて記載します。
直接的な商品名などの名前になっていないものを載せないの節、現行の文章
直接的な商品名などの名前になっていないものを載せない 同タイトルのものがたくさんある場合、収拾がつかなくなる場合があるため、「『○○』に収録されている作品。」などといった、直接的な商品名になっていないものは載せません。
直接的な商品名などの名前になっていないものを載せないの節、改訂案。『』が追加、打ち消し線が削除。
直接的な商品名などの名前になっていないもの『が過剰になる場合』を載せない同タイトルのものがたくさんある場合、収拾がつかなくなる場合があるため、「『○○』に収録されている作品。」などといった、直接的な商品名『など』の名前になっていないもの『が過剰になる場合は削減、特に分量が多くかつ有意な節がある場合は分割を考慮してください』は載せません。
「など」が抜けていたので追加、他の節とコンフリクトを起こしていますので、「載せません」から「過剰になる場合」に移行します。英語版の人名分割のようなケースを想定して、削減以外に採れる方法がある場合の案内も付けます。日本語版ですと複数の単語が同音になって予想以上の数になったり逆に言語別で転写が分かれたりしますので、1対1の対応になるとは限りません。
この変更により何が変わるのか:現在の処理に明瞭な形で妥当性を与えます。結果無駄な削除依頼を減らすことになります。事実上何も変えないためにこれだけ手を入れるのもどうかとは思うのですが、10年以上放置してしまったので今さらですが提案してみました。ご意見よろしくお願いします。--Open-box(会話) 2024年2月3日 (土) 11:29 (UTC)
こちら「直接的な商品名などの名前になっていないものが過剰になる場合」が少し読みにくかったので削減の後に「するか」を補って反映しました。--Open-box(会話) 2024年2月16日 (金) 14:55 (UTC)
曖昧さ回避の各項目に説明文をつけることはWP:DABDICに違反するか
[編集]先行議論は利用者‐会話:フューチャー#えのきだたもつ様より要請された貴殿との対話についてをご覧下さい。今年に入ってからあるIPユーザーが、説明文をつけることは辞書のようでありWP:DABDICに反する、説明文があると読者がそれだけで満足して記事を読まないから、などと主張し、地名や駅名などの大量の曖昧さ回避ページから説明文を除去する編集を行っています。当該IPは曖昧さ回避の説明文は単なる定義だから辞書的であり、水先案内の役割に反すると主張しています。私は、WP:DABDICにある「単なる定義」とは単語そのものの意味のことであり、語義ではない各項目の説明文(定義)はこれに該当しないと考えます。例えば「薄幸 - 幸が薄いこと。」は辞書的ですが、「薄幸 - お笑い芸人。」は辞書的ではないと考えます。また説明文は水先案内に必要であり、説明文を除去したり、他の記事への誘導のみに置き換えたりするのは、読者に対して不親切であり、そちらの方が水先案内の役割に反すると考えます。また地名や駅名の曖昧さ回避における○○県××市にあるなどの記述はほとんどの地名・駅名の曖昧さ回避で採用されているものであり、許容されるべきものであると考えます。WP:DABDICにある「単なる定義」について具体的な意味が記載されていないため、字面だけなら単語の意味ではない各項目の説明文も書いてはいけないとも読めますが、それでは曖昧さ回避が成り立ちません。曖昧さ回避の全体的なルールに関する話であり、特に「単なる定義」の意味を明確にする必要があると考えたため、会話ページで2人だけで議論するよりもより広く意見を募った方がいいと考えたため、第三者の意見を求めます。--フューチャー(会話) 2024年9月4日 (水) 21:00 (UTC)
- コメント 具体的にどういう事案があってどう問題視されたのかがいまいち見えてこない…という前提でお答えするならば、曖昧さ回避リストに付する文章が(リンク先に誘導するための)インデックス的なものなのか、(その曖昧さ回避を見ただけで解決してしまうような)説明的なものなのかで意味合いが変わるだろうと思っています。仮にWP:DABDICを根拠に一切の説明文を排除するのは曖昧さ「回避」の目的を果たしていないと思いますし、逆にその内容を説明してしまうような文章までつけてしまうとその項目は曖昧さ回避とは言えなくなってしまう、というのは判る気がします。--Bsx(会話) 2024年9月4日 (水) 21:28 (UTC)
- コメントその文は、「単なる定義」ではなく、単なる「定義のリスト」と読むような気もしますが、水先案内のための説明を禁止しているわけじゃないですね。「説明」と「定義」の違いはなんだということなら、例えばベルヌーイの定理なら「完全流体のいくつかの特別な場合において、ベルヌーイの式と呼ばれる運動方程式の第一積分が存在することを述べた定理」が定義で、「流体力学の定理」が説明です。「説明」とは曖昧さ回避のための分類上の情報しか含まれていないもの、でしょうか。WP:記事の説明の「説明文」と同じです。この辺のことを具体的に追加記述することには賛成です。--Afaz(会話) 2024年9月5日 (木) 01:10 (UTC)
- 情報 Wikipedia‐ノート:曖昧さ回避#青リンク1本ルールで論争になった話題ですね。(おそらく長すぎて目を通す気にもなれないと思いますが)「意見が分かれてもめた」というのは確かです。私も議論参加者の一人なのでアレですが、控えめに言っても「紛争多発地帯の地雷原であり、独断で大改変するのは避けたほうがいい」という感じと思います。--柒月例祭(会話) 2024年9月5日 (木) 01:24 (UTC)
- ありがとうございます この議論を立ち上げたフューチャー殿には感謝を申し上げます。
- コメント 私がフューチャー殿から紹介されたあるIPであります。
- まず、原点に立ち返り、曖昧さ回避や曖昧さ回避ページの目的は何かを確認したいと思います。
- 曖昧さ回避の目的は「内容が異なる複数の記事について記事名が同じになる場合において、異なる内容のページを判別するため」であり、その手段が「項目名 (分野)」であること(Wikipedia:曖昧さ回避#曖昧さ回避が必要なものより)。
- 曖昧さ回避ページの目的は「読みたいページを判別して、読者に調べたい項目を選択させるもの」であること(WP:DABDICやWikipedia:曖昧さ回避#どの曖昧さ回避を使うべきかより)。
- 次に、この議題に対する根本的な私の考えを申し上げます。
- 私自身は曖昧さ回避ページに説明文は全くいらないなとどと思ってはおりません。ましてや、「説明文はそれ自体が辞書のようであり、説明文をつけること自体がWP:DABDICに反する」なとど、一連の投稿で要約欄にそのような文言は一言も書いてはいませんし、そんなこと微塵にも思ってはいません。それは、フューチャー殿の完全なる誤解です。
- しかし、以前から曖昧さ回避ページ全体にページそのものの定義や意味を記載している所や、個別項目の単なる説明や独立記事になっていない項目に対する定義のような説明があまりにも多く、しかも、個別項目についている説明の多くが、リンクしている項目に導いているのかどうかわからず、それが、単にその項目に対して辞書的で、かつその項目の定義説明となっており、それらは方針に遵守した記載をしておらず、曖昧さ回避ページの本来の目的を満たしていない考え、それらに該当する方針がWP:DABDICであり、それに抵触する可能性を考えました。
- 前記を踏まえた、詳細な私の考えについてはこちらの対話1.「私の曖昧さ回避ページに対する投稿思想のやその経緯などについて」をご覧頂きたいと思います。また、本議題の具体例として以下を挙げておきます。
- 後日改めて、私の具体的な考えを述べようと思いますので、よろしくお願いします。なお、私のIPは可変IPなので、今後の本人証明として「私はIP:2400:4050:9061:FFF0:3127:3E34:CB11:73FE(会話 / 投稿記録 / 記録 / Whois)で投稿した者です。」を冒頭に必ず付けて投稿します。--2400:4050:9061:FFF0:3127:3E34:CB11:73FE 2024年9月5日 (木) 01:28 (UTC) - (項目を追加)--2400:4050:9061:FFF0:3127:3E34:CB11:73FE 2024年9月5日 (木) 01:45 (UTC) )
- コメント だいたい様相は判りました。端的に言えば、水沢(ノート / 履歴 / ログ / リンク元)・板橋(ノート / 履歴 / ログ / リンク元)に関しては、現在の版(「水沢」2024年7月21日 (日) 08:10 (UTC) 版、「板橋」2024年7月21日 (日) 08:09 (UTC) 版)と比較する限り、現在の版の方がWP:DABDICの拡大解釈であり、好ましくないといわざるを得ないと考えます。これは私が2024年9月4日 (水) 21:28 (UTC) のコメントで申し上げたとおりで、一切の説明文を排除するのは曖昧さ「回避」の目的を果たしていないと考えられるからです。少なくとも提示された過去版並みの最低限の水先案内的記述は残すべきだと考えるところです。
- なお、同じ曖昧さ回避でも、直接的に曖昧さ回避先の記事が存在しないもの(例えば品川線(ノート / 履歴 / ログ / リンク元)など)は少し様相が異なるとも思いますので、これについては後ほど改めてコメントします。--Bsx(会話) 2024年9月5日 (木) 10:58 (UTC)内部リンク修正--Bsx(会話) 2024年9月5日 (木) 11:01 (UTC)
- コメント はっきり申しまして、現在の「水沢」のページは、「曖昧さ回避のページは読者に調べたい項目を選択させるものである」という大前提に反したものになっております。なぜならば、読者が調べたい項目を選択するために最低限必要な情報の記載を欠いているからです。具体的には以下の通り。
- 水沢町 (四日市市)の読みが「すいざわ」であることの記述がない点 - 同表記の地名を判別するには、読みを用いるのが最も基本的な方法です。
- 三重県にも「水沢村」という自治体が存在したことと、水沢村のページは三重県の水沢村ではなく
岩手県新潟県の水沢村の記事である旨の記述がない点 - 三重県の水沢村を調べるために曖昧さ回避ページから「水沢村」(としか説明のないリンク先)のページに飛んだら岩手県新潟県の水沢村でした、というのは不親切を通り越して曖昧さ回避ページとしての役割を果たしていないと言うべきです。 - 水沢 (市原市)の所属する都道府県の記載がない点 - 「千葉県の水沢」について調べたいが、市原市が千葉県なのか知らない、という読者を想定すれば、都道府県の記載は必要であるように思われます。今回は同名地名が少なく、市原市というそれなりの人口を有する自治体のケースですが、同名地名が多い場合や知名度の低い自治体の地名の場合都道府県の記載の重要性は上がることと思われます。
- 読者が調べたい項目を選択するために必要な情報は記載されなければならない、まずはこの点を確認しておきたいところです。 --こやまひろ(会話) 2024年9月6日 (金) 14:30 (UTC)
- コメント上でも触れられていますが、曖昧さ回避は過去にもかなり極端な主張をするベテラン利用者がいて議論になっていました。大前提として、今回の議論はIP氏が曖昧さ回避の「形」に拘る極端な編集を始めたことから始まっていると認識しました。また、今のところIP氏の主張に賛同する者はいないことも分かります。であるならば、議論するにしてもIP氏が編集した後の状態ではなく編集前の版で固定して議論するのが筋と思います。私の観点としては、読者の知りたい情報へアクセスするための水先案内の機能を発揮することが大事であり、そのためには、「項目名 (分野名)」という記事へのリンクだけでない補足情報はあってしかるべきと思いますし、項目名によってはそれが先頭に来ない形の案内の形もあってしかるべきと思います。豊島線や品川線はそれに相当すると考えます。IP氏の主張は曖昧さ回避の「形」に拘るあまり読者への適切な情報や誘導を失ってしまっています。--Takisaw(会話) 2024年9月7日 (土) 23:02 (UTC)
- (追加)そもそもの点として、複数の記事でこのような大改変をしようとするなら、独断で編集を行う前にIP氏が議論を立ち上げるべきであったと思います。--Takisaw(会話) 2024年9月7日 (土) 23:34 (UTC)
- 私はIP:2400:4050:9061:FFF0:3127:3E34:CB11:73FE(会話 / 投稿記録 / 記録 / Whois)で投稿した者です。
- コメント 私が編集した水沢などでの指摘等については、今にして思えばやり過ぎたと猛省している所です。まず、改めて私の本議論における根本的な考えをお伝えします。
- 本議論の表題「曖昧さ回避の各項目に説明文をつけることはWP:DABDICに違反するか」については、説明文そのもの自体は違反しているとは思っていません。
- しかし、ページそのものの定義や意味を記載している所、個別項目の単なる説明や独立記事になっていない項目に対する定義のような説明、また、リンクしている項目に導いているのかどうかわからない説明は、そのページや個別項目に対して辞書的で、かつ定義説明となっていると思うので、WP:DABDICに反するものと認定できると思います。
- 具体例として、水沢の過去版の赤リンクの「水沢 (丸森町) - 宮城県伊具郡丸森町の地名」は、「地名」節(セクション)分けられており、見れば地名と判別できるのに、所在地(県名、群名、都市名)だけしか記述しておらず、しかも、リンク先が所在地全部(宮城県伊具郡丸森町)にされており、これでは水沢 (丸森町)の一番近い項目が宮城県なのか、伊具郡なのか、丸森町なのか分かりませんでした。
- また、品川線の過去版の道北バスの「品川バス停は」以下は関連のないトリビア説明があり、全体的にも「品川線は首都高速道路中央環状品川線の略称ですよ。かつて日本鉄道が経営していた 赤羽 - 品川間の鉄道路線。現在のJR東日本山手線の一部および赤羽線(旅客営業案内上は埼京線)ですよ。」みたいに思われる記述では、とても導くための説明とは思えません。
- さらに、馬場 (曖昧さ回避)に関しては、はっきりと申し上げますと、馬場という地名の所在地リストか住所録をただ単に
、しかもこれが編集しただけで、本議論起案者(フューチャー殿)のが仰るには、地名に所在地を記載することは慣例で編集しただからとのことでした。これが私にとって一番曖昧さ回避の目的、曖昧さ回避ページの目的を果していないページと認定しております。 - 私の理想はとする記述スタイルはありますが、全ての曖昧さ回避ページをむやみやたらに自分のスタイルにするべきだとは微塵にも考えてはおりません。ましてや、それを膨大な数のある全ての曖昧さ回避ページにたった一人でその様なことなどできるはずはありません。。その点は、ご理解を賜りたいと思います。
- 私は、本議論において、どのような方向で議論をすればよいのか、どの記述が違反するかしないかを議論していれば、長期化するだけで纏まらないなどと色々と考えて、ノートにおける過去の各議論を一通り閲覧しました。そしたら、各議論および本議論を含め一番重大でかつ、大変なことを見落としたまま議論をしていること気づきました。それについては、現状ではまだまとまっていないので、改めてお伝えします。なお、品川線の過去の編集および豊島線の過去の編集は、フューチャー殿が本議論を立ち上げる前に編集したもので、特別な意図は全くございませんし、本議論が立ち上がったのに気付く
の、は、フューチャー殿の投稿記録を閲覧してからでした。ただ、その後の編集は先走り過ぎました。申し訳ございませんでした。--2400:4050:9061:FFF0:B086:137C:3F65:9848 2024年9月8日 (日) 01:00 (UTC) (一部訂正)--2400:4050:9061:FFF0:B086:137C:3F65:9848 2024年9月8日 (日) 01:08 (UTC) - さらに修正--2400:4050:9061:FFF0:B086:137C:3F65:9848 2024年9月8日 (日) 01:18 (UTC) )- コメント IP氏がお示しの1番で「説明文そのもの自体は違反しているとは思わない」とおっしゃる一方で、2番で「ページそのものの定義や意味を記載している所(がWP:DABDICに違反する)」というのがどうも矛盾しておっしゃっておられるように見える、というのが正直なところです。説明文として簡潔かつ端的に書こうとするならばそれはページ(の対象物)の定義となるのは自明の理であり、「水沢 (丸森町) - 宮城県伊具郡丸森町の地名」という表現がWP:DABDICに反すると考えるのはWP:DABDICの拡大解釈としか思えない、と考えるところです。
- なお、以前のコメントで「直接的に曖昧さ回避先の記事が存在しないもの」についての扱いについて後ほど述べると申し上げましたが、これについては、端的に言えば「そもそも(単純な)曖昧さ回避記事にしないこと」でこれを回避できるのではないかと思います。例えば、「品川線」の過去版に関して言えば、道路の「品川線」の概要について、鉄道の「品川線」の概要について(東京都品川に由来、とか)、バスの「品川線」について、それぞれ通常の記事レベルの記述にしてしまう、という方法が考えられようかと思います。--Bsx(会話) 2024年9月8日 (日) 02:32 (UTC)
- 追記 「馬場 (曖昧さ回避)」に関しては、地名について、例えば「馬場町」という項目を立ち上げて、「『馬場町』の名前の由来」みたいなことを書いた上で、地名に対してどういった「馬場」に由来する地名なのかが欠ければ、それは一覧記事にはなっても曖昧さ回避記事ではなく独立した記事と見なすことが出来るようになるのではないでしょうか。--Bsx(会話) 2024年9月8日 (日) 02:36 (UTC)
- コメント(被ったのでレベル変えずに書いておきます)辞書的とは記述を削除するためのマジックワードではありませんし、それが何かを指定せず記事名だけで誘導できると考えるのは、モデルと現実が異なるときに現実を攻撃する問題にはまっています。モデルと現実が異なるならまずはモデルの方を疑うべきです。触れられていないもので「武蔵野線 (曖昧さ回避) 2024年4月25日 (木) 05:05 (UTC)」ですが、
- 「独立した記事が書かれていないトピックの定義を詳しく書く必要はありません」とは可能な限り要素を排除するという意味ではありません。むしろ「単なる定義のリストにしたり」とあるように、「水沢 2024年7月21日 (日) 08:10 (UTC)」のようなページは避けなければなりません。そこの誤解を招いているのであれば、改めるべきはWP:DABDICの方です。簡潔に書くではなく情報が無いに容易に転ずるので、簡略化にも技術は必要になるのです。--Open-box(会話) 2024年9月8日 (日) 01:10 (UTC)
- コメント この議論の周辺では、(Takisawさんもおっしゃるように)極端な主張をした利用者が、「腕づく」「いつまでも納得しない」行動によってブロックに至ったケースさえもあります。そういう部類の話だと認識していただき、穏当な編集を心がけるとよいでしょう。
- Wikipediaは規則主義ではありません。1から10まで事細かに明文化規定があるわけではなく、基礎的な精神や方向性を示すのみです。1から10まで厳密に規定されないと物事を判断できないタイプや「字面の解釈に固執するあまり、方針の原理原則を損なう」タイプの方、一律対応を徹底しないと気がすまないタイプの方は、Wikipediaに向いていません。
- Open-boxさんがお示しのように「マジックワードではありません」「簡略化にも技術は必要」ということです。
- 曖昧さ回避は、探しものをする読者に適切な水先案内をするためのものです。
- その、水先案内は、事物の類似性、読者の持っている情報・状況によりさまざまです。DABDICの字面に固執して読者の便を妨げるようでは本末転倒です。
- 「A - W社の商品」「A - X社の商品」これだけで「あ、私が行くべきはX社のほうだ」と判断できるケースもあれば、「これだけじゃどちらなのかわかんないよ」というケースもあるでしょう。
- 「A - Y社の飲料」「A - Z社の文房具」これで判断がしやすくなるケースもあるでしょう。
- 「A - 明治時代の愛媛県で刊行されていた雑誌。正岡子規が主宰していた。」「A - 大正時代の香川県で刊行されていた雑誌。発行部数のギネス記録を持ち世界的に有名。」これでやっと読者が判断できるケースもあるかもしれません。
- 要するにある程度のケースバイケースなのです。一律機械的に定められるような性質ではありません。個々の案件ごとに合意形成をするとよいでしょう。(この類の案件では、「個別の議論と合意形成」を疎み独断で機械的横断的に大量作業をしようとするタイプの利用者が問題を起こしがちです。)
- なおWikipediaには「多くの利用者が基本的に同意しており、従うことが推奨」のWikipedia:説明責任というルールもあります。
- 「記事の内容に関わる編集をしようと思うなら是非、アカウントを取得し、ログインして説明責任が果たせる立場になった上で編集することを推奨」
- 「ログインしていないのは、自身の投稿に自信がなかったり、責任を持ちたくないためであるとか、ウィキペディアの方針に沿っていないことを自覚しているため、と見られることも多々あります」
- というわけでアカウントの取得を推奨します。(あるルールとして「推奨」されていることを無視しながら、別のルールを論じるのって、どうなんでしょうね、ってことで。)--柒月例祭(会話) 2024年9月8日 (日) 01:43 (UTC)
- 私だったら、DABDICの一番下にでも「留意事項」とかって節をつくり、「曖昧さ回避絡みでは、○○派と××派がいて、合意に至っていないです。過去のいろんな議論にも目を通しましょうね。Wikipedia:ウィキペディアでやってはいけないこと#独断で変革を試みることも参照ね。トラブルが起きがちなので、なんにせよ腕尽く機械処理・独断大改変は控えましょうね。」みたいなのを追記しておきたいところですね。--柒月例祭(会話) 2024年9月8日 (日) 02:27 (UTC)
- 私はIP:2400:4050:9061:FFF0:3127:3E34:CB11:73FE(会話 / 投稿記録 / 記録 / Whois)で投稿した者です。
- 私は、この議論に抜け落ちている最も重要な観点(趣旨として、Wikipediaの編集者ではない真の意味での読者目線)や自分が考えた個別記事に説明が必要な場合とそうでない場合などを出す予定ですが、次々と皆様からバッシング意見が来てしまったため、しばらく冷却期間を置いた上で、改めて意見を述べようかと思いますので、皆様で議論を先に進めてください。
- なお、柒月例祭殿にはご本人の会話ノートに私からの意見を述べました。また、余談ですが、フューチャー殿も柒月例祭殿も、方針やガイドラインを「ルール」と申していますが、方針やガイドラインは「ルール」ではありません。ルールは「規則、通則、準則、例規」、方針は「進んでいく方向。目指す方向。進むべき進路」、ガイドラインは「指針、基本方針、指導目標」(いずれも、岩波書店、広辞苑第七版から一部抜粋)という意味なのでお間違いなく。
- 以上です。よろしくお願いします。--2400:4050:9061:FFF0:C872:19BF:F9E0:E873 2024年9月8日 (日) 05:59 (UTC)
- 横から失礼 Wikipediaにおいて、ルールは方針とガイドラインの総称として使われていると思います。--t=mozo(会話) 2024年9月8日 (日) 11:44 (UTC)
- しばらく冷却期間を置いた上でと主張していますが、㭍月例祭さんの会話ページでフューチャーさん、えのきだたもつさんの会話ページで私に対する事実に基づかない個人攻撃を行っていますね。冷却期間とは真っ赤な嘘で場外戦術による解決を図ったと見なすべきでしょう。もはや対話に値するとは考えません。なお私は上の節の#現在の運用に合わせる改定提案は、コメント依頼にも告知しましたし版番99107173、内容も「確立している運用の明文化」に過ぎません。これに13日も置いて誰も来ないってのはその程度の改変でしかないってことです。--Open-box(会話) 2024年9月8日 (日) 12:23 (UTC)
- 横から失礼 柒月例祭さんから「字面に固執すること」をたしなめられているのに辞書的意味を持ち出して「方針やガイドラインは『ルール』ではない」と言い返すのは、他人の指摘をまともに受け取っていないようにしか見えません。反対意見を「バッシング」扱いしたり別の場所で場外乱闘を始めたり(仮にその改訂に問題があったとして本件と何の関係があるんですか?)、IP氏の議論姿勢がどんどん悪化しているように思えます。--横たわる猫(会話) 2024年9月8日 (日) 13:07 (UTC)
- コメントDABDICの一番下に「留意事項」をという柒月例祭さんの提案は一案かもしれないですね。DABDICの解釈が人によって異なり、こんな極端な解釈と改変をする者もいるということは、文面の改定も必要かもしれません。
- 上記指摘されているように、IP氏の議論姿勢には問題があり、冷却期間と言いながら、今後どういう議論の進め方をなさるのか疑問です。IP氏が大改変した記事、現状ではあまりに読者に不親切なものになっていると思われますので、もし今後議論を続けるとしても、一旦全て元に戻してもよいのではと思いますが、いかがでしょう。--Takisaw(会話) 2024年9月8日 (日) 22:11 (UTC)
- IP氏自身も一部の編集について反省していますし、本人による修正や合意形成を待っていてはいつになるか分からないので、直せる人の手で以前の状態に戻すことに賛成です。 --こやまひろ(会話) 2024年9月9日 (月) 03:57 (UTC)
- (論点その1:IPさんの議論姿勢)他の方が既に指摘なさっている通り、コトはもはやIPさんの議論姿勢が問題になりつつあります。そこは真摯に受け止めてください。
- Jawpでは「合意形成」を根本においています。A氏が「これは最高の提案だ」と考えても、B氏やC氏が賛成しなければ、その案は廃案となるでしょう。こういう場合、「正しい」とか「間違っている」とかいうよりは、単に意見の相違があって合意に至らなかったというだけであり、「賛成が得られなかたのであきらめる」で終わりです。そうやって提案を取り下げることは、「敗北」でもないし、悪いことでもなんでもないです。
- ところがしばしば、「自分の最高の提案を理解できないB氏が悪い」とか攻撃したり、「B氏は理解できていないから賛成しないのだ」と主張し続ける人がいます。これを続けると、それはもはや妨害行為・迷惑行為になります(WP:IDIDNTHEARTHAT)。賛同を集められなかったときにごねる、というのは「悪いこと」です。
- 多くの場合、相手は確かにA氏の主張を理解(understand)したうえで、不賛成(disagree、not agree)しているのです。
- 根幹的なこととして、Wikipediaは共同作業で百科事典を作るというプロジェクトです。「共同作業」に不向きな方、たとえば自分の意見をゴリ押しするとか、他者を見下すとか、いつまでも納得しないとか、基本的な価値観・言語感覚を共有できないとか。すなわちCategory:利用者の行動のルールに沿うことができない方(共同作業の適正がない方)は、「百科事典づくり」がどんなに長けていてもWikipediaへの参加は難しいよね、ってなっていきます。記事内容以前の問題として。どこか別の場所で、どうぞ自分だけの百科事典(きっとWikipediaより素晴らしいものになるでしょう)をお作りください、ということになります。
- なお、IPさんとは「ルール」「方針」などの語義すらコミュニティと用語を共有できていないので、今後、言葉を重ねても生産性は低そうだと感じます。(「これは『定義』だ」とか「これは『説明』だ」だなんて話も同様です。この調子では、「定義」という単語を定義するところからはじめなければいけない感じです。曖昧さ回避にとっての要点は「読者にとって便利かどうか」でしょう。)
- (論点その2:曖昧さ回避そのもの)これはもう端的に、この編集をよいと思うか、よいと思わないか、で2択の調査投票でもすれば、容易に結論に至るんじゃないでしょうかね。
- 私個人は、この差分を眺めて、「編集後のほうがわかりやすくなった」とは思わないですし、「読者にとって便利になった」とも思いません。
- 仮に読者が「陸奥国に存在した藩。」ぐらいの説明で「それだけを読んでしまいリンク先まで見る必要がないと考え」るならば、それでいいんじゃないですかね。どういう経緯でその読者が曖昧さ回避ページにやってきたか次第ですが、その読者にとっては「陸奥国に存在した藩。」だけわかれば十分だったということです。「曖昧さ回避ページ」は単なる「水先案内」だけでなく、この説明だけで問題を解決してしまうことがある、ということです。読者がもっと「その藩のことを詳しく知りたい」と思えばクリックするし、そこまで求めなければそれでおしまい。それの何が悪いのでしょう。
- IPさんの実践によると、要するに「曖昧さ回避ページが水先案内を超える仕事をしたらそれは越権行為であり、DABDICに照らして、読者に与える情報を減らさなければ悪だ」ということになります。私はちょっと賛成できません。--柒月例祭(会話) 2024年9月10日 (火) 09:36 (UTC)
- 議論を立てたにも関わらず長らく議論に参加できず申し訳ありません。私のいない間に多くのご意見を出して頂きありがとうございます。IP氏の編集が読者に不親切というご意見が多く出ていることから、最善ではないものもありますが以前の状態に戻すことに賛成いたします。なお、IP氏が作成・編集した水沢村 (曖昧さ回避) にて「1ページに共存」に抵触するという理由で関連項目すらも節分けしていませんが、曖昧さ回避を節分けすること自体は「1ページに共存」に該当しませんのでこれもルールの誤解です。関連項目は通常節分けするものでしょう。それとは別に、町村制施行前の村を大量に列挙していますがこれは必要でしょうか?--フューチャー(会話) 2024年9月15日 (日) 22:00 (UTC)
- フューチャー氏のご指摘で水沢村 (曖昧さ回避)が立項されていることを今知りました。このノートで曖昧さ回避ページ編集が問題とされている最中に新たな曖昧さ回避ページを作成するIP氏の行動に驚愕しております。
- 私はそもそも、当該ページの新規立項自体が不要であると思います。当該ページで列挙されている項目のうち、曖昧さ回避として誘導の必要があるのは結局旧自治体である水沢村と水沢村 (三重県)のみであると思われます。ならば「代表的なトピック以外の同名のページが1つだけの場合」として現状の「Otherusesを使う方法」で事足りているのではないでしょうか。もし曖昧さ回避ページを別に作るのであれば、「水沢村」を「水沢村 (新潟県)」に改名して跡地を曖昧さ回避ページとするのが、昭和30年代に合併により消滅した両自治体の平等な曖昧さ回避として適切であると考えます。--こやまひろ(会話) 2024年9月16日 (月) 01:26 (UTC)
- コメント ここでは個別の各論は避けませんか。(ノート:水沢あたりで。)--柒月例祭(会話) 2024年9月16日 (月) 05:28 (UTC)
- 各論を避けるとして、フューチャーさんの「関連項目すらも節分けしていません」という指摘は重要と思われます。恐らく利便性を上げるために曖昧さ回避の中でも節を利用して簡単に仕分けするケースは多いと思われます。実際にIP利用者さんも方法は異なりますが「;」と「*」を利用して分けているわけです。関連項目も見出しをさけてこの方法で分けています。つまり、仕分け自体には反対されていないのです。そう考えますと「節分け」を「1ページに共存」として禁止することには理由がないと思われます。むしろ、節分けするほどでもない小さなレベルでの仕分けのために「;」と「*」は取っておきたいです。--Open-box(会話) 2024年9月16日 (月) 08:26 (UTC)
(インデント戻します)遅くなりましたが、同一のIP氏が独自のルール解釈に基づき編集したと思われる記事を編集前のものに戻しました。他にもあるかもしれませんが、氏の独自解釈により読者に不親切な状態になってしまっていたものをひとまず元に戻したものです。必ずしもこの状態を理想的な姿と確認したものではないことを念のため付記しておきます。--Takisaw(会話) 2024年9月16日 (月) 12:49 (UTC)
- コメント 既に多くのコメントが付いており、全てを読む気力はありませんが、お手伝いになればと思いここに私論を置いておきます。WP:DABDICでは
- 「曖昧さ回避ページは読みたいページを判別することが目的です」
- 「単なる定義のリストにしたり」してはいけません。
- 「独立した記事が書かれていないトピックの定義を詳しく書く必要はありません。なお、リンク先に詳しい説明がある場合には、リンク先のトピックと同一の説明でなくても構いません。」
- と述べられています。私はこのガイドラインは今回が初見でしたが、理解したところによると、私の私論は以下のようになります。
- 曖昧さ回避ページで読みたいページを判別するためには一定量の説明がある方が利便性、ユーザビリティの観点から有益。
- 単なる定義のリスト、というのは推察するに「作成されていない記事などの」定義のことを指しているのではないか。
- 上記リストの三番目の記述から、水先案内としての簡潔な説明が配置されることが想定された上でのガイドラインになっていると考えられる。
- まとめ:曖昧さ回避ページにおいて各ページ毎に簡潔な説明文が存在することは「辞書的であるため排除の対象」にはならないと考えます。
以上、私論でした。議論のお役に立てば幸いです。--Shohei KIMURA(会話) 2024年9月22日 (日) 04:46 (UTC)
コメント 金沢市の町名を編集してて記事が括弧付きなので調べてみたらWikipedia:記事名の付け方やWikipedia:曖昧さ回避に辿り着きました。曖昧さ回避について地名の曖昧さ回避で考えてみたんですが、Wikipedia:曖昧さ回避を最初から「辞書のよう」と表現するため混乱の原因となっており、そもそもWP:DABDICが必要なのか疑問に思いました。実際には個別のページでも一定の説明が必要であることを認めた上で曖昧さ回避(混同の防止)にどの程度の文章が必要か議題にしているのであれば、それを「辞書のよう」かどうか議題にしているという必要はありません。地名の場合に記事名に括弧を付けるのはWP:NC#DABにあるルールで、例えば大工町は地名の曖昧さ回避のためのページで、大工町 (八戸市)とか大工町 (浜松市)とかあります。地名の場合、記事名の括弧内が説明になっているので記事名だけで説明はある程度完結していると思いますが、曖昧さ回避のためのページの各記事の説明を見ると読みが付いています。北町も地名の曖昧さ回避のためのページと表示されていますが読み(きたちょう、きたまち)で記事の中は分けられています。この読みを付けることも、百科事典としては記事の判別や検索の利便のため合理的かどうか問題にすればよく、それを「辞書のよう」とルールで表現するからかえって混乱するのだと思います。WP:DABDICについて見ると、
- 「「連想ゲーム」を意図したものではありません。」(逆引きとか特殊な辞書でない限り隣接する項目が「連想」でつながっているわけではないのでこの節の例示としてわかりにくいです)
- 「曖昧さ回避ページは読みたいページを判別することが目的ですから、」(そのため判別に必要な程度の説明が必要との結論が自然で、「リストにしない」だと理由と結論の関係が曖昧で違和感があります)
- 「独立した記事が書かれていないトピックの定義を詳しく書く必要はありません。」(大工町や北町のように地名の曖昧さ回避ページは独立した記事が作成されていない記事が多いです。人名もそうかもしれません。赤リンクの未作成の記事は要らないのではなく、あえて並べることで混同を防いでいるわけです。その上で特に人名などは説明がある程度ないと複数の項目を開いて確かめないと分からない状態になると思います。)。
これらがウィキペディアは辞書ではありませんに抵触するという解釈では現状の説明もできなくなると思います。--Ccsay(会話) 2024年9月23日 (月) 17:14 (UTC)
報告 #「曖昧さ回避ページ」の一部再構成の提案で「曖昧さ回避ページ」のWP:DABDICの範囲を含む一部再構成を提案を行いました。他の論点も含むためセクションを分けました。--Xfanaze(会話) 2024年9月24日 (火) 13:52 (UTC)
報告 本題と関連のないコメントを失礼いたします。本議論の発端となったIP利用者を含むレンジについて投稿ブロック依頼を提出しました。対象がIP利用者のため会話ページでの告知が不十分となるため、直近で編集記録がありなおかつ議論に今後戻る可能性を示唆しているいくつかのノートページに依頼提出の告知をしております。 --紅い目の女の子(会話/履歴) 2024年10月8日 (火) 09:04 (UTC)
- そのIPの編集の差し戻しを意図したのか、ある利用者により駅の曖昧さ回避が地名の曖昧さ回避に提案なしかつ履歴不継承で大量に統合されています。削除依頼や差し戻し作業が膨大になるため、お時間のある方に対処をお願いいたします。--フューチャー(会話) 2024年11月25日 (月) 08:03 (UTC)
「曖昧さ回避ページ」の一部再構成の提案
[編集]「曖昧さ回避ページ」の説明文とWP:DABDICが議論になっていますが、説明文については以前から独自研究ではないかと思われるものへの対処が必要と思っていました。これまでの意見も見ながら案を考えました。
- 根拠規定について - WP:DABDICの根拠は正式な方針のWikipedia:ウィキペディアは何ではないかに含まれるWP:NOTDICDEFにすべきで、提案中のWP:NOTDICにするのは疑問です。
- 規定の棲み分け - 私はWP:DABDICの廃止論ではありませんが、WP:DABDICの辞書化と曖昧さ回避ページの説明文は外形的には似ているものの状況に違いがあると思います。曖昧さ回避ページは性質上、複数の記事の衝突があるために(他の記事との関係で)説明が必要になっているものです。一方、WP:DABDICのほうの根拠となるWP:NOTDICDEFで禁止されている辞書化は基本的には個別の立項段階で問題になるもので他の記事の状況と無関係に判断可能なものです。しかもWP:NOTDICDEFは国語辞典に並ぶ項目(辞書の対象)と百科事典に並ぶ項目(曖昧さ回避ページの対象)を区別し前者にしないようにと説明されているのですから、そのまま「国語辞典(辞書の対象)で扱う項目を並べたような状態にしない」と取るべきです。WP:NOTDICDEFで前提になっている区別を無視し、「定義」あるいは「項目」と単純化して「百科事典(曖昧さ回避ページの対象)」を並べる場合にまで拡大解釈すると曖昧さ回避ページの説明が困難になります。WP:DABDICは各記事の比較対照とは無関係に辞書化する編集行為として区別することが可能かと思います。説明文の規模も辞書化の基準のように個別のページだけ見て判断されるとせず、各記事の比較対照で混乱を防ぐためにどの程度の説明が必要かで判断すべきです。なお、原義については置いているページと置いていないページがあるため追加しました。
- 独自研究の排除 - 曖昧さ回避ページの説明文で独自研究による区別ではないかと疑われるものもあり、排除する規定があってしかるべきかと思います。曖昧さ回避ページの構成から考えて(直接出典がどうこうと規定せず)リンク先となっている各記事や疑義が呈されたときに検証可能かどうかという形にしています。
==== 曖昧さ回避ページを辞書にしない ====
曖昧さ回避ページに置く各記事の説明文は、各記事を比較対照した上で、水先案内として記事の判別に資するよう検索上の利便性を考慮して設けます。ウィキペディアは辞書ではありませんから各記事の比較対照とは無関係な語義や語法のリストを置いて辞書のようにしてはいけません。なお、原義については置いていない場合(記事「トップ」など)と置いている場合(記事「ボトム」など)があります。
==== 独自研究の排除 ====
曖昧さ回避ページに置く各記事について区別のため特段の説明が必要な場合には、リンク先となっている各記事で検証可能となっている範囲から逸脱しないように正確性に配慮してください。疑義を呈されたときに信頼できる情報源での説明が困難な独自研究に基づく区別を載せてはいけません。
(位置を追記)この案は現行の「曖昧さ回避ページを辞書にしない」の範囲において上の文に置きかえるものです。--Xfanaze(会話) 2024年9月24日 (火) 13:50 (UTC)位置を追記--Xfanaze(会話) 2024年9月24日 (火) 14:01 (UTC)階層を現行に合わせて訂正--Xfanaze(会話) 2024年9月24日 (火) 14:17 (UTC)
- 報告提案について一週間を経過しましたが反対意見はありませんでしたので反映しました。--Xfanaze(会話) 2024年10月1日 (火) 15:49 (UTC)
地名の曖昧さ回避から見た疑問点の検討
[編集]地名の曖昧さ回避から現行規定で気になった点をいくつかあげます。
- 「曖昧さ回避の対象は、現存する独立した記事である事を必要としません。」について
- Wikipedia:独立記事作成の目安を満たす必要もないのかという点について。「曖昧さ回避が必要なもの」は独立記事の競合を念頭に置いているようですし、ウィキペディアは情報を無差別に収集する場ではありません(Wikipedia:ウィキペディアは何ではないか参照)。一方で曖昧さ回避には用語の混同を避ける簡易区別に似た役割も付加されている気がします。「曖昧さ回避の必要がないもの」では「読者が迷うおそれがない場合」と「ページの競合がみられないとき」を挙げてますが、特に地名や人名などでは独立記事がなく「ページの競合がみられないとき」だが「読者が迷うおそれがある場合」もある気がします。WP:DABDICの議論(#曖昧さ回避の各項目に説明文をつけることはWP:DABDICに違反するか)で述べた、大工町の例ではほとんどが赤リンク、北町の例では赤リンクにしない構成で、単なる収集目的でも困りますが、混同を避ける役割があるなら限定しにくい気もします。
- 「表記の揺れが存在する場合の対処」について
- どの程度の表記の揺れまで取り込むか難しい所ですが、記事名との関係、読み方への対応、追加状況との調整について対応が必要なのかなと思います。権現の滝という曖昧さ回避ページを例にしたいと思います。
- 記事名との関係では、例えば権現の滝という曖昧さ回避ページでは「権現の滝」よりも「権現滝」へのリンクのほうが多い状況です。
- 読み方への対応では、漢字だけの「権現滝」のほうにも読みは付けられていません。独立記事のない赤リンクでは読みがわからない一方、記事名に「の」が入っているため読みは「ごんげんのたき」がメインになるはずですが、そうでもない(「ごんげんだき」もかなりある)印象です。以前は読みを置くとWP:DABDICの国語辞典問題にストレートに引っかかるような規定でしたが、先の改定で「各記事の比較対照とは無関係な」とされたのでその問題はなくなっており、むしろ記事名との関係で読みを明確にするために置くべき場合もある気がします。
- 表記の揺れが存在する場合は追加状況(例えば「権現滝」のほうが増えてきた場合など)によって記事名も調整するよう検討を促す必要もある気がします。
--Ccsay(会話) 2024年11月22日 (金) 00:17 (UTC)
- コメント 現実世界の複雑さが反映された結果と思います。
- 地名については、国内外を問わず「同名の地名が複数(多数)ある」というのは珍しくありません。
- X県に「カモメ島」(鴎島、鷗島)と呼ばれる島が複数あるとします。たとえばA町とB町とC町に。で、本を読んでいて「X県のカモメ島」と出てきたのでWikipediaで調べようと思ったら、「A町のカモメ島」しか記事にない場合、利用者は「A町のカモメ島」が答だと信じるかもしれません。ですが、曖昧さ回避ページに「B町とC町にも同名の島がありますよ」とあれば、その人には候補が3つあるということがわかります。
- 地名の場合、「実在」を証明するのはある程度容易ですが、単独記事を書くとなると、それなりの材料が集まるかどうかというところがあり、マイナーな地名をすべて記事化するのは難しいでしょうね。
- まあ、程度問題の面は確かにあるでしょう。
- 2点目については、地名というのは往々にして表記揺れがあり、読み方も多様だったりします。「A岳」「Aヶ岳」「Aケ岳」「Aが岳」、「-たけ」「-だけ」とかね。こういうのは「どれが正解」とは言えません。「国土地理院では1を採用、山渓では2を採用、地元町史では3と4を併記、みたいな感じです。歴史的な「変わった」読み方と、近代以降の役所の中央統一主義的な標準読みとがあって、官庁の書類では標準読みだけど、地元じゃ古典的な読みで通っているとか。役所的にはこれが「正式」だけど、民間ではそうじゃない。Jawpではシステム上、記事名をURLにするので、どれか1つを選ぶ必要があり、選ばなかったものは表記揺れとして併記するということになります。
- ここらへんは、現実世界が複雑多様なので、単純なルールで規定しようとすると現実と乖離したり読者に不便を与えてしまう面もあります。これも程度問題の面はありますね。「程度問題」を好まず、1か0かで判定したい人もいるとは思います。
- Jawpの実情として「シンプル・統一」「1か0」を好む利用者と、現実が複雑なのでしょうがない派がいる、という感じでしょうね。私は後者のタイプです。--柒月例祭(会話) 2024年11月22日 (金) 06:56 (UTC)
平等な曖昧さ回避における「項目名 (曖昧さ回避)」の運用について
[編集]現在の方針では平等な曖昧さ回避の項目にて分野名を付記しない項目名のページを曖昧さ回避ページにすること、曖昧さ回避ページの項目にて(平等な曖昧さ回避ページは)括弧を付けない「項目名」というページ名にすることが示されていますが、例えば「議論の結果として代表的なトピックを中心とした曖昧さ回避から平等な曖昧さ回避に移行した場合」や、「曖昧さ回避を行った者が不慣れで(曖昧さ回避)を付けてしまった場合」の「項目名 (曖昧さ回避)」から「項目名」への改名は厳格に行うべきという解釈になるのでしょうか?
これを放置する場合のメリットとしては、玉突き改名の手間が幾分軽減されること、デメリットとしては元・代表的なトピックへのリダイレクトも放置される恐れがあることが挙げられるのかなと思います。
もし明確に「代表的なトピックを中心とした曖昧さ回避から平等な曖昧さ回避に移行した場合も含め、平等な曖昧さ回避において曖昧さ回避ページが「項目名 (曖昧さ回避)」の形になっている場合は、「項目名」に改名する必要があります。」などと記されているのであれば、ノートでの改名提案で当ページを引用するなどで改名がスムーズになるのかな、と考えています(あるいは逆に、そのようなページを執念的に改名する必要はないという総意になるかもしれません。)
皆様のご意見を頂ければ幸いです。--HarukaFujihira(会話) 2024年12月13日 (金) 17:57 (UTC)
- (おそらくは)現在の規約は「新規のときにどちらを選択するか?」のみで再構築のことを想定していないのだと思います。平等化を行った場合はこの文章に従うので、多くの人は括弧なしのページ名に曖昧さ回避ページを移動する考えに至るのでしょう。
- リンク元の付け忘れ問題については、他のページ用と混在していても精査したものを別のぺージに付け替えられるのであれば、時間をかけて修正できるので大丈夫です(平等回避だけど間違いリンクが大量に継続発生するため括弧なしページを記事へ転送している特殊なケースもあります「自由民主党→自由民主党 (日本)、定期的に簡易目視にて括弧付きに付け替えています)。
- 現在においては曖昧さ回避ページへリンクするときは必ず「~(曖昧さ回避)」へリンクすることになっています(WP:HOWTODAB)。なので、曖昧さ回避ページも「~(曖昧さ回避)」に置きっぱなしにしておけば、1.移動依頼を使用する必要がない、2.確実にWP:HOWTODABを実行してもらえる、3.括弧なしへのリンクは全て未精査リンクとして振り分けする必要が生じるが移動と同時にしなくてよく時間の猶予がある(いずれ無くなればよいのと、あまり知られていませんが編集時の要約欄に「タグ: 曖昧さ回避ページへのリンク」という警告が付きます)といったメリットがあります。
- 昔は(2008年ころ以前?)googleの検索結果は「まずは括弧なし(括弧なしにさえしておけば曖昧さ回避だろうが、リダイレクトだろうが検索上位だった)」でしたが、いまはそんなことにはならないので、ムキになって括弧なしを獲得に行く意義は薄れてきた感じはしています。--Triglav(会話) 2024年12月14日 (土) 04:54 (UTC)
- 「項目名」の形にする理由の一つにSEO対策があったんですね。
- 曖昧さ回避ページへのリンク方法は平等回避型でも「項目名 (曖昧さ回避)」にするというのは知らなかったです(軽く調べてみたら「ロック (音楽)にリンクすべきところをロックにリンクしている」みたいなパターンが多そう?)。
- ご意見ありがとうございます。--HarukaFujihira(会話) 2024年12月15日 (日) 11:52 (UTC)
- これはひどい(笑)・・・いや解説のための良いサンプルと呼ぶべきか? 「ロック」のリンク元にリストされている記事ページからリンクは全て未分類です。対処は簡単で、正しいリンク先へ仕分けることをリンクが無くなるまで続けるだけで済みます。それも緊急性がないのがポイント。--Triglav(会話) 2024年12月15日 (日) 12:38 (UTC)
記事名の競合を予測し、あらかじめ平等な曖昧さ回避としておくべきか?
[編集]先日、「記事名A_(分野1)」という形式で記事が作成されていたのをを確認しました。平等な曖昧さ回避の目的で括弧が付けられていると思っていましたが、もともとの「記事名A」という項目や、「記事名A_(分野2)」など、曖昧さ回避を必要とする項目は、少なくとも数年間の間、作成されていませんでした。調べてみると、初版から他言語版からの翻訳と思われ、他言語版でも曖昧さ回避を必要とする項目は作成されていませんでした。
この場合、Wikipedia:ページの改名#改名前にすべきこと における、明らかに、ページ名が記事名の付け方のガイドラインに沿っていないとき と判断し、「曖昧さ回避括弧の使い方違反」を理由とし、「記事名A_(分野1)」から「記事名A」へと、直ちに改名を行っても構わないでしょうか? この後「記事名A_(分野2)」という項目が作成された場合は、何らかの形式で曖昧さ回避の対応はすることが前提です。--確定深刻(会話) 2024年12月20日 (金) 23:19 (UTC)
- コメント 程度問題なので、抽象的に一般論で決められることじゃないです。個別具体的に記事作成時にしっかり調べて判断してください。--柒月例祭(会話) 2024年12月21日 (土) 02:07 (UTC)
- 「程度問題」とのことですが、一般論であってもある程度の目安は無いと判断できかねます。Wikipedia:記事名の付け方、Wikipedia:曖昧さ回避にも、記事名の競合を予測して記事名を付けるようには明記されておりません。曖昧さ回避の必要がない括弧つきの記事名はWP:CRITERIAに反するように思うのですが。--確定深刻(会話) 2024年12月21日 (土) 03:37 (UTC)
- 判断できないのであれば改名提案すべきではないでしょうか。それと柒月例祭さんのコメントの「記事作成時」は「改名前」の間違いでしょうか。--フューチャー(会話) 2024年12月21日 (土) 12:32 (UTC)
- 返信 そうですね、確かに「記事作成時」でなく「記事改名時」(改名にするにあたっては、改名前)ですね。
- 要するに、よく調べて、証拠を提示してからにしましょう、ということです。同名の記事名となりうる・特筆性のありそうな他の事物が存在するかどうかです。ここでいう「調べる」は、翻訳や他言語版を検索するだけでなく、世の中の文献調査も含みます。
- たとえば日本の地名「Aヶ島」であれば、他言語版を検索しただけでは他の事物の存在を確認する手段としては不十分でしょう。この辺りは分野次第です。「予測」するにはそれなりの分野の知識が必要になるかもしれません。
- 翻訳であれば、原語では記事名の衝突は起きないけども、日本語化すると衝突するので、外国語版には曖昧さ回避がないけども、日本語版では曖昧さ回避は必要ですね、なんてこともあるでしょう。「right」と「lite」とかね。その逆もあり、「right」と「right」が「右」と「権利」になるとか。「他言語版での曖昧さ回避の有無」は、「日本語版での曖昧さ回避の要否」を判断するのにさほど役には立たないかもしれません。
- そうやって「(いかにも情報がありそうな)『ホニャララA』と『ホニャララB』と『ホニャララC』にあたりカクカクシカジカの調査をしましたが特筆性のありそうな同名異物は認められず、曖昧さ回避は不要では?」と提案すれば、きっと適切な調査と証拠提示ということになるでしょう。
- そうした調査をせずに「他言語版にありませんでした」だけでは、ちゃんと調べろと言われるかもしれません。我々は百科事典づくりという知的作業をしています。それなりの知的調査をしましょう。
- ・・・というのが「一般論」です。あとは個別具体的にどういう案件なのかお示しいただいて、それによっては「それはさすがに即時改名でいいんじゃない?」という話になるかもしれません。--柒月例祭(会話) 2024年12月21日 (土) 13:58 (UTC)
- 括弧なしにしたい理由は「リンクを楽にしたい」、括弧付きである理由は「リンク元の混在を防ぎたい」なので、翻訳元が括弧なしなのになぜ括弧付き記事名なのか? 執筆者に理由を聞いてみないとわからないのですが、Wikipedia:曖昧さ回避に「平等な曖昧さ回避」から「代表的なトピックを中心とする曖昧さ回避」に変更する際の記述がないため、慎重になって即移動は避けたほうがよいでしょう。「リンクを楽にしたい」だけなら赤リンクとなっている括弧なしページを記事のある括弧付きページへのリダイレクトにしてしまえば、とりあえずリンクだけは解決しますので、その後ゆっくりと執筆者に問い合わせることができます。--Triglav(会話) 2024年12月21日 (土) 07:04 (UTC)
皆様、ご返答ありがとうございます。
(柒月例祭さんへ)ご指摘の「一般論」ですが、現状ではガイドライン上に明確には示されていません。記事作成時によく調べず、よく考えない利用者によって作成された、不要な括弧がつけらてしまった記事名にも、個別対応とすべきでしょうか?(特に人名、団体名、地名などの固有名詞の曖昧さ回避は数多く、それを個別に議論して対応していくには途方もないほどの議論の積み重ねが必要となるでしょう。日本語を得意としない編集者による機械翻訳記事も極めて多く、放置されています。) 曖昧さ回避の必要がないものとして「ページの競合がみられないとき」と明記はされていますので、必要のないな曖昧さ回避は修正すべきでしょう。私個人としては、既存のガイドラインに従って『原則的にWikipedia:記事名の付け方が最優先であり、(重複を予測して)括弧を付けるべきでではない。重複する記事が実際に執筆されたら、その際にノート等で議論して決めるべき。』と思っております。
(フューチャーさんへ)「判断が難しいから、(あるいは、よく調べない人、考えない人もいるから)ある程度の目安を定めておくべきではないか」という議論提起です。
(Triglavさんへ)Wikipedia:記事名の付け方冒頭部には「その記事へのリンクを作成しやすいもの」(リンクを楽にしたい)とはありますが、「日本語話者の大多数にとって、最も曖昧でなく、最も理解しやすいもの」を優先すべきであり、括弧なしの記事名が日本語として自然なものではありませんか? IPユーザーや、活動休止中のユーザーによって、数年前に記事が作成された場合、初版作成者に問い合わせても返答を得られるのは困難です。仮に同一の方が、「「記事名A_(分野1)」」「記事名A_(分野2)」と、立て続けに執筆する予定があるならば、その旨を編集要約欄、ノートページに記載していただくと判別はしやすいのですが。--確定深刻(会話) 2024年12月29日 (日) 12:20 (UTC)
- 二面から。まず、Wikipedia:記事名の付け方の「記事名」とはどこを指すのか? 「記事名の付け方の目安」節の「3.曖昧でない」に「記事名が重複して曖昧さ回避が必要になる」と書いてあります。つまり「記事名」は括弧の外側のみであり、「曖昧さ回避」は括弧の内側部分となります。「最も曖昧でなく」とは例えば「焼山 (新潟県)」ではなく使用実績のある「新潟焼山」を採用することの意味。
- つぎに、Wikipedia:曖昧さ回避ですが、先日#平等な曖昧さ回避における「項目名 (曖昧さ回避)」の運用についてにも書きましたが『(おそらくは)現在の規約は「新規のときにどちらを選択するか?」のみで再構築のことを想定していない』です。
- 今回は他言語版が括弧なしということでしたが、他言語の括弧付きに合わせた記事の作成をすると、その配慮を無視して今回と同じ解釈で即時移動をされる方がいてとても困っています(リンク元が混ざるので)。
- ともかく「判断できないのであれば改名提案すべき」はフューチャーさんと同意見です。これが守れないのであれば、2つの規約に文章を付け足しておく必要を強く感じます。--Triglav(会話) 2024年12月29日 (日) 17:02 (UTC)
- 横から失礼します。他言語版の記事を日本語版に移入しようとするときに「他言語版で曖昧さ回避されているが、日本語版では必要なさそうなもの」「他言語版では曖昧さ回避されていないが日本語版では曖昧さ回避が必要になりそうなもの」両方生じうると思っています(実際、そういうケースはいくつかありました)。で、前者の場合、その曖昧さ回避されているもう一方の記事が日本語版に導入されていなければ、それを日本語版に導入してみるのも一つの方法かな、とは思っています。もしその必要がないのであれば、他の方もおっしゃってますが、改名提案に諮るのが妥当でしょうね。--Bsx(会話) 2024年12月30日 (月) 00:23 (UTC)