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ノート:提婆達多

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半保護依頼

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特定のIPユーザーによる執拗な編集が続いているため、半保護を依頼しました。--Boca samba 2007年11月20日 (火) 03:22 (UTC)[返信]

150.37.251.33氏へ。貴殿は経典の内容及び大乗仏教、また近年の仏教学で提唱されている論説を理解せず、中立性を損なう記述を執拗に繰り返されています。もし貴殿が仏教徒としての自覚があるなれば、他人に対して日本語が理解できないとか見当外れな批判をなされる前に、他の多くの方々からご指摘されているご自身の言動、立ち振る舞いを見返るようお願いしたいものです。またIP:150.37.251.33会話 / 投稿記録 / 記録 / Whoisなどを拝見すると他所でも同様の行為を繰り返しておられますので、半保護を依頼させて頂きましたので、ご了承の程お願いいたします。なお、異論がある場合は早急な編集をせず、まずはノートで疑問をお話しください。
また涅槃経の記述についてですが、貴殿がしっかりと経典を読んで内容を理解された上でご編集下さい。提婆達多が一闡提ではない等々というのは、涅槃経梵行品第八の二にしっかりと明示されておりますのでご参照下さい。再度申し上げておきますが、仏教一般の認識では提婆達多は悪人とされていますが、近代の仏教学の研究ではスケープゴートされただけであるという説が提唱されていることをしっかりと踏まえ、その上で中立的な記述・編集をされるようお願いいたします。なおこれ以上続くようですと、投稿ブロックを依頼することになりますのでご留意の程、お願いいたします。--Boca samba 2007年11月20日 (火) 04:00 (UTC)[返信]


そんなえらそうなこと言うなら、仏教学の見解と仏教界の見解をきっちり分けて書いてください。 私は、大乗仏教で提婆達多がどのように扱われてきたかを経典の記述に即して書いています。 「提婆達多」「唾」「涅槃經」というキーワードでググれば、すぐに出てきますよ。 インドでは宗教が口伝されるという長い伝統があったという決定的な事実を無視して成立している、偏った西洋流の文献学なんか私は興味ありません。 私は、大乗仏教の観点から書きました。 文献学をかじっただけで大乗仏教を理解したつもりになっている人が、大乗仏教について知ったかぶりな発言しないでください。 あなたは文献学の観点から大乗仏教の常識を否定していますが、私は大乗仏教の常識から文献学的研究を否定する態度は基本的にとりたくありません。 記事の一番最後に置いた渡辺氏の仏教学上の研究成果は、それはそれとして載せておくべきだと思ったから、基本的にそのままにしています。--以上の署名のないコメントは、150.37.251.33会話/Whois)さんが 2007年11月20日 (火) 10:21 (UTC) に投稿したものです。[返信]

では、涅槃経梵行品第八の二にどのような記述があるのかご提示ください。また貴方は最低限のルールやマナーぐらいは守っていただきたいものです。貴方は何か勘違いされておられるようように思われます。口伝を否定する輩の徒が二枚舌使うような行為は謹まれたらいかがですか。 --Boca samba 2007年11月20日 (火) 10:24 (UTC)[返信]


そんなことを言うのは、私が挙げたリンク先を確認してからにしてください。
逆に聞きたいのですが、「仏教界で」提婆達多が善人扱いされた文献があなたの挙げた1箇所(?)以外にどこにあるのですか?
何度も言いますが、インド人の宗教的伝統を無視して成立している欧米流の仏教学の成果は成果として、載せればいいんじゃないですか?
でも、インド人の宗教的伝統を無視して文献調査に偏った仏教学の成果を仏教界に押しつけるのは筋違いです。
何様ですか?
あと、なんで涅槃經のリンク先をわざわざ削除するんですかね?
私が書いたとおりのことがそこに書かれているのを見られるとまずいとか、そういう事情でもあるんですか?--以上の署名のないコメントは、150.37.251.33会話/Whois)さんが 2007年11月20日 (火) 10:39 (UTC) に投稿したものです。[返信]

言っておきますが、記述内容を理解せずに言いがかりをつける形で最初に編集されたのは貴方ですよ。ならば最初に貴方がまず確認してから編集するのが筋ではないですか?また貴方のおっやっているのはすべて見当違い&勘違いに満ちています。私は善人扱いしたとも書いてません。まずそういう言いがかりをつけるのはおやめください。それから何度も申し上げてますが(他の方々も)書名ぐらいはつけられませんか?編集する以前の問題ですよ。--Boca samba 2007年11月20日 (火) 10:47 (UTC)[返信]

理解していますよ。
あなたの日本語がおかしいと注文をつけたところ以外は。
見当違いはあなたの方ですよ。
仏教学の成果と、仏教界の常識的見解は平等に載せるべきじゃないですかね?
なんであなたは仏教学の成果を仏教界に押しつけないと気がすまないんでしょうかね?
私はあなたの書いた(?)文章のうち、仏教学の成果を公平に書いたと思われる部分はいじっていませんよ。
仏教学の成果を仏教界に押しつけていると思われたところは書き換えましたけど。--以上の署名のないコメントは、150.37.251.33会話/Whois)さんが 2007年11月20日 (火) 10:57 (UTC) に投稿したものです。[返信]

では、日本語が理解できなかった貴方に問題があったという認識でよろしいですね?その点についてまず謝罪し訂正もしないというのはどういう料簡でしょうか。4行目は同意しますが、既に記述済みです。それを改編したのは貴方に他なりません。振る舞いって大事ですよ、と貴方も指導されているのではないのですか。何度も言いますがマナーやルールも守れないのに編集するのはおやめください。署名ぐらいつけましょう。--Boca samba 2007年11月20日 (火) 11:07 (UTC)[返信]

具体的にあなたの文章がどう押しつけになっているか、教えましょう。
まず「法華経に説かれる提婆達多の成仏は悪人成仏の象徴である」というのは、比叡山延暦寺の天台宗や日蓮宗では常識です。
あなたは天台宗や日蓮宗の文献をろくに読んだことも無いようですが、法華経の中に提婆達多を罵倒する表現が無いとかいう素人考えの浅はかな理由で、天台宗や日蓮宗の教義を否定しています。
押しつけ以外の何物でもありません。
それから、あなたは何度も「涅槃経の中に釈迦が提婆達多を罵倒する場面は無い」と書き直していますが、あるじゃないですか。
経典の中にはっきり描かれている場面をなんで無いことにするんですかね?
仏教学的には釈迦が提婆達多を罵倒したという記述が経典に無い方が助かるんでしょうけど、これも押しつけ以外の何物でもないです。
あと、明らかな嘘つきにマナーがどうとか言われたくないです。--以上の署名のないコメントは、150.37.251.33会話/Whois)さんが 2007年11月20日 (火) 11:14 (UTC) に投稿したものです。[返信]

天台宗及び日蓮宗系では常識→それは宗派での常識であって、仏教界全体また仏教学全体の認識ではありませんよね?ご自身が言っていることと全く逆ですよ?

法華経の中に提婆達多を罵倒する表現が無い=天台宗や日蓮宗の教義を否定、とする貴方の見識自体が極端です。
あなたは何度も「涅槃経の中に釈迦が提婆達多を罵倒する場面は無い」と書き直しています→きちんと本文を読みましょう。私は梵行品第八之二の記述を書いているのみです。
仏教学的には釈迦が提婆達多を罵倒したという記述が経典に無い方が助かる→私は中立の立場で既に記述していることを貴方はまったく理解せず、偏見及び誹謗に基づき編集を繰り返しているのですよ。
明らかな嘘つきにマナーがどうとか言われたくない→人を批判するだけならまだしも口汚い言葉で罵ることがお好きなようですが、ご自身の内証に違背するような真似はおやめになられたらいかがですか。六波羅蜜自然在前もないに等しいですね。--Boca samba 2007年11月20日 (火) 11:39 (UTC)[返信]

ご自身でお調べにならない方のようなのでリンクをはっておきます。[[1]]

涅槃経の迦葉菩薩品を論拠に、提婆達多を悪人・一闡提扱いするのは別に異論はありません(一般的な認識であるのは私も承知していますので)が、この記述もしっかりお読みください。信仰上の立場から主張されるのは結構ですが、一部の宗派間の教義と仏教学は切り分けてお考え下さるよう再度申し上げておきます。私の記述はそのどちらにも配慮した中立に基づく記述ですが、あなたは特定の教義を以て改編していることをお忘れなきようお願いいたします。--Boca samba 2007年11月20日 (火) 11:59 (UTC)[返信]


>それは宗派での常識であって、仏教界全体また仏教学全体の認識ではありませんよね?
世界に何人いるかもわからない程度の少数派の仏教学者の見解を「一般的である」と言ってのけるあなたに言われたくはありませんね。
提婆達多が反逆者ではないという見解がいつ「一般的になった」のか聞きたいものです。
仏教学界の中だけでしょう?

>私は梵行品第八之二の記述を書いているのみです。
そんな記述どこにもありませんでしたよ、嘘つきさん。

>私は中立の立場で既に記述している
素人考えで日本の伝統ある宗派の教義を否定しまくった人が言えるセリフじゃありませんね。

>人を批判するだけならまだしも口汚い言葉で罵ることがお好きなようですが
嘘つきに道徳ぶった説教はされたくありません。
鏡を見てから言ってください。
--以上の署名のないコメントは、150.37.251.33会話/Whois)さんが 2007年11月20日 (火) 12:10 (UTC) に投稿したものです。[返信]


戯論ばかりで辟易しますが…、大般涅槃経梵行品第八之二には、

T12n0374_p0461a01(02)║善男子。我於爾時實不罵辱提婆達多。
T12n0374_p0461a02(04)║提婆達多亦不愚癡食人[口*弟]唾。
T12n0374_p0461a03(09)║亦不生於惡趣之中阿鼻地獄受罪一劫。亦不壞僧出佛身血。
T12n0374_p0461a04(01)║
T12n0374_p0461a05(19)║亦不違犯四重之罪誹謗正法大乘經典非一闡提。亦非聲聞辟支佛也。善男子。
T12n0374_p0461a06(04)║提婆達多者。實非聲聞緣覺境界。
T12n0374_p0461a07(07)║唯是諸佛之所知見。善男子。是故汝今不應難言。
T12n0374_p0461a08(05)║如來何緣呵責罵辱提婆達多。汝於諸佛所有境界。
T12n0374_p0461a09(02)║不應如是生於疑網。
これを訳すと(国訳一切経による)、「善男子、我その時に於て、実に提婆達多を罵辱せず。提婆達多も亦、愚癡にして人の涕唾を食せず。亦復悪趣の中、阿鼻地獄に生じて、罪を受くる一劫ならず。亦僧を壊し仏身の血を出さず。亦四重の罪を違犯し、正法の大乗経典を誹謗せず。一闡提に非ず。亦声聞・辟支仏に非ざるなり。善男子、提婆達多は、実に声聞・縁覚の境界に非ず。唯諸仏の知見する所なり。善男子、是の故に汝今応に難じて、「如来何に縁って、提婆達多を呵責し罵辱したまふ。」と言うべからず。」とあるではないですか。貴方はどこをどう見てるんでしょうか?実に都合のいい目をしてらっしゃるようですが…。貴方がご指摘される通り、私もまだまだ浅学ではありますが、この経文はしっかりと読めますよ。--Boca samba 2007年11月20日 (火) 14:54 (UTC)[返信]


 久しぶりにこのページ来てみたら、いやもうほんと、馬鹿丸出しのこと書いてますねw
 あなたが引用した部分の前の部分をちゃんと読んでほしいものですが。
 いまのところ漢文を流し読みしただけですが、あなたが引用した部分は、仏の慈悲が地獄に堕ちるような人間にも及ぶことを述べているだけで、提婆達多は地獄に堕ちる悪人の象徴として書かれているようですがね。
 一切衆生皆成仏道が説かれているだけですよ。
 これのどこを読みまちがえたら、提婆達多に対する好意的評価が表れた文章と受け取れるんでしょうね?
 後で図書館に行ってちゃんと確認してから、あらためて馬鹿にさせてもらいますわw
--以上の署名のないコメントは、150.37.251.33会話/Whois)さんが 2007年12月1日 (土) 10:09 (UTC) に投稿したものです。[返信]


>提婆達多に対する好意的評価が表れた文章と受け取れる
私がいつそんなことを述べましたか?私は提婆達多をもとより肯定も否定もしていませんが。何度も申し上げている通り、本文の内容も中立性に基づき記述しており、そこに肯定も否定もしておりません。また仏教学や特定宗派の教義にも依っておりません。
貴殿には、もう少し読解力や理解力をお持ちいただければと願って止みません。他人やその記述を一方的に決めつけて偏った物の見方ばかりしていると、いつまでたっても戯論のままではないでしょうか。同じ議論をするのでも、もう少し実りのある議論をお願いしたいものです。
貴殿は、これまでも他の記事でも同じような言動を繰り返されておられるようですが、これまでの言動を慎まないと、アクセスしておられる大学や団体の名誉を汚す事にもなりかねないということを、ご自身でよくお考えになられて行動されることを願って止みません。
私自身が誹謗中傷されるのは一向に構いませんし、逆に貴殿の不備を残念に思うことはあっても馬鹿呼ばわりはしません。貴殿が速やかに誤解を解消されれば済む話ですので。できれば、お互いに常不軽菩薩の心境を思惟したいものです。
ただし何度も言いますが、人を口汚く罵るような言動は(もしたとえ私が間違っているとしても)、ご自身の内証や信心を汚すことであり、貴殿だけでなく貴殿が所属される周囲にも迷惑がかかるということをよくお考え頂ければと存じます。--Boca samba 2007年12月1日 (土) 16:43 (UTC)[返信]

記事編集について

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追記です。また長くなったので、別項として記載します。
貴殿に限らず、不偏不党で特定の宗派やその教義、また仏教学も然りでなければ、どなたが編集されるのも大歓迎されるでしょう。
したがって、私はどなたがされる信心も信仰も、また学問も尊重した上での記述を心掛けており、私の記述をよくお読みいただければ、それが中立的思想に基づいていることは容易に理解して頂けるはずかと存じます。
しかし貴殿の場合は、法華優位の信仰上の立場から、提婆達多を悪人という、これまでの仏教の歴史を踏まえた形而上的な側面からでしか捉えようとせず(貴殿の信仰的立場は否定していませんが)、一方的な立場から主張を繰り返されて、仏教学的な視点を無視して提婆達多を論じても無意味なわけです(これが戯論です)。
また、貴殿が示された涅槃経の経文をリンクに加えるのなら、私が提示した記述部分も加えないといけなくなります。これは私は感心しません。
もちろん、仏教一般において広く提婆達多が悪人とされてきた歴史的事実は厳然とありますが、彼をどのように捉えるのかという課題点も、堤婆達多の一派があった云々という記述などから容易に理解できるはずです。
また同じ涅槃経であっても、前後でこれほど揺れ・差異があるというのは、涅槃経に限らずあります(特に涅槃経は一闡提成仏など、それが顕著ですが)。それは一人の同じ作者が経典を作成したわけではなく、経典成立の背景から考えても当然のことでしょう。
であるなれば、「事典」にはどちらにも偏らない記述が求められるのですから、私が示した涅槃経の部分のリンク、また貴殿の示したリンクとも併せても、どちらもあえて載せる必要がなくなるわけです。別に、相反する記述をリンクとして併せて載せても構いませんが、それは提婆達多がどのように捉えられてきたか、というすでに記述している部分を裏付けることにもなってしまうということをお考え頂ければ幸いです。
なお、ご自身の信仰上や学問上の立場から異論があるなれば、「~という批判や異論も、どこの立場からある」というようにすればいいかと存じます。そのような注釈文であれば、ネットで広く公開されている「事典」としては、広く一般の方々にも考慮して頂ける記事となると思いますよ。
上記の点をよくご考慮いただき、貴殿が他人(及びその記述内容)を誹謗せず、正確な記事を心掛けて編集されれば、当該記事・提婆達多に限らず、多くの方々からも賛同いただけるかと思います。なお、これ以上、私やその記述に誹謗中傷するようでしたら、再度然るべき報告所にて報告させて頂き、また関係各位とも相談し、一定期間のブロックをお願いすることにもなり、貴殿がアクセスする大学や団体にも迷惑がかかるということをよくよくご考慮くださるようお願い申し上げます。--Boca samba 2007年12月2日 (日) 14:46 (UTC)[返信]

提婆達多の最期は、どんなでしたか?釈迦涅槃時は生存していましたか?それとも死去していましたか?

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提婆達多の最期は、どんなでしたか?釈迦涅槃時は生存していましたか?それとも死去していましたか?

和成会話2013年8月11日 (日) 10:16 (UTC)[返信]