ノート:日本のキリスト教史/過去ログ1
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キリシタン時代の内容について
[編集]宣教師による奴隷売買の記述が加筆されて早々に「要出典」添付、それに次いで矢継ぎ早に削除されてしまいましたが、これは歴史学者の研究による典拠のある歴史的事実ではあるんです。ただし、宣教師側を一方的に断罪できる性格のものではなく、戦国時代の戦乱では日本国内での戦争捕虜が盛んに奴隷として売り買いされており、その余波として海外にも盛んに輸出されていたんですね。で、そこに宣教師も宣教に必要な資金を稼ぐ貿易活動を活発に行っていた関係上深く関与していた。まぁ、キリスト教でもイスラム教でも、奴隷売買の制限は当初は信徒限定ですから非信徒を奴隷として売買するのは教義上の抜け道になっていたわけです。豊臣秀吉も国内での戦場を閉鎖して日本人奴隷の海外売買の途を閉ざしていきますが、朝鮮半島の戦場で雑兵たちが獲得した戦争捕虜の海外輸出は妨げていません。このあたりの問題は藤木久志氏による『雑兵たちの戦場』[1]をご一読いただけると深く理解できると思います。ですからこのあたりは複雑な背景を抱えた微妙な問題なのでして対応を誤ると、キリスト教へシンパシーの強い投稿者とキリスト教への反感の強い投稿者が歴史的な複雑な背景を置いてきぼりにして編集合戦を繰り広げる事態を招きかねない爆弾を抱えています。特に、「キリスト教の宣教師はこんなにとんでもないやつらだったんだぞ」という見方ばかりを強調した書籍も少なからず見かけるわけでして、中立性の高い学術書をきっちり読み込んで冷静に投稿を行われるよう呼びかけさせていただきます。--ウミユスリカ 2007年2月4日 (日) 23:15 (UTC)
- コメントをありがとうございます。ひとまず「要出典」の状態にさし戻しておきました。自分では挙げていただいた書を読んでおりませんので、文献として示すところまではしませんでした。ご指摘のように感情的な問題を含みますので、文献に即した冷静な記述と明確な参照点をもつかたちで今後加筆が進むといいなと希望しています。
- この箇所に限らず、この項目は相当いろいろなものを読み込まないと書けない性質のものなので、これを機会に参考文献欄が整備されていくとよいですね。せっかく検証可能性という参考文献を明示することを求める方針もあるわけですし。--Aphaia 2007年2月4日 (日) 23:32 (UTC)
- 「宣教師が」というのが記憶になかったので要出典をつけてしまいましたが(奴隷貿易自体は記憶にあったのですが)、あとでものの本を見て宣教師もまたかかわっていたことを確認しました。しかし、この項目が出典をいろいろと欠いていたのは事実でしたので、そのままでもいいや、と思ったのですが、悶着を起こしてしまったようですね。いつになるかはわかりませんが、キリシタン時代の周辺部を学んでいるものとしていつかこの項目を書くお手伝いができたらな、とおもいます。 Kzhr 2007年2月5日 (月) 14:11 (UTC)
「日本人が宣教師によって奴隷として海外に売られていた事実」という一文でナンセンスと思って削ってしまったのですが、編集合戦になるといけないので記述に関する疑問点と宣教師が奴隷貿易を廃止しようと努力していたことに関する歴史的事実を述べておきますね。まず、
- ザビエル以降、禁教令が出るまで日本に到来したすべての宣教師の姓名が記録に残されています。そして秀吉が伴天連追放令を出す頃まで宣教師はすべてイエズス会員です。日本人を奴隷として海外に売ったというのは具体的にイエズス会の誰のことなのでしょうか。
- イエズス会員はかねてから日本人が奴隷として売られる状態を看過せず、当時宣教師と貿易商両方の保護者に任ぜられていたポルトガル王に対し、奴隷交易禁止の法令の発布を求め、実際に1571年に日本人貧民の売買取り扱い禁止の勅令が貿易商に出されています。宣教師が日本人を奴隷として売っていたというなら、なぜ自分たちの行為を禁止するようポルトガル王に請願したのでしょうか。
- 1596年にはマルチネス司教が長崎の有力信徒を集めて奴隷売買にかかわったものの破門を宣告し、奴隷の解放を命じている。1598年にはヴァリニャーノとセルケイラがその命令を再確認し、徹底を命じている。(もちろん、この命令は信徒の商人に対してのみ行ったものですが、それは彼らにキリシタンでないものに命じる権限がなかったからです。)
『雑兵たちの戦場』という本は未見ですが、もう少しいろいろな資料にあたってみたいと思います。イエズス会宣教師が日本人の奴隷売買にかかわっていたという学術的資料があれば是非ご教示ください。Gakuinryou 2007年2月7日 (水) 15:20 (UTC)
- 『雑兵たちの戦場』が典拠とする岡本良知「日本人奴隷輸出問題」『日欧交通史の研究』改訂増補版、六甲書房、1942年、728-78を見たところ、とくに735-39ページに詳述されており、「彼等耶蘇會士が奴隸取引そのものを否定するものでなく、特に日本に於てのみ布教の都合上禁絶すべきであるとの考へを有してゐたことを漏らすものであらう」(737)とし、「獨り耶蘇會が阻止するも力及ばぬ故ではあつたけれども、それでも尚、その一因は耶蘇會のこれに對する熱心の不足に歸せられぬであらうか」(738)と述べてあります。また、パジェスからの引用ですが、「一五九八年の奴隸貿易者破門令議決書中に「その始めに於ては久しき年月に經驗せられし如く、少年少女を購ひて日本國外に輸出するに際し、(耶蘇會は)彼等のためにその勞務の契約に署名し、または彼等のうちの或る者に署名せしめて認可を與へたり」」(738)ということもあったそうです。同論考はイエズス会が奴隷廃止に努力したことを否定するものではありませんが、近年この問題に触れるもの(たとえば太田淑子編『キリシタン』、日本史小百科、東京堂出版、1999、141ページ・あるいは海老沢有道『切支丹史の研究』1942。増訂版、新人物往来社、1971など)とは違ったトーンのものがあることも触れるべきかとも思いました。 Kzhr 2007年11月19日 (月) 11:05 (UTC)
TT氏の編集について
[編集]上でも議論されているし何処かでも同じ議論をしたことがあると思うんですが、宣教師に責任無しとも言わないが、宣教師が奴隷貿易をした、黙認した、などの主張にはきちんとした出典をお願いします。出典にも書かれていないことを事実のように書かないで下さい。johncapistrano 2008年5月13日 (火) 13:51 (UTC)
現在感じる問題点など
[編集]通読してみて、
- キリシタン時代の宣教がイエズス会の、かつ支配階級への宣教の話題に偏っている
- 隠れキリシタンへのまとまった言及がない
など、(少なくとも明治にはいるまでの叙述は)ヨーロッパから見たキリスト教史であり、かつそれにしても足りないことがあるという感想を得ました。26聖人の列福、数回に及ぶ書簡集の再刊など徳川時代の停滞期になにがあったのかもう少し言及があってもいいように思いますし、人々がどのように信仰をうけいれ、それを育てていったのかは、全体を通じて述べられていないとおもいます。百科事典にはいろいろそぐわない点をも不足としていると思いますし、どなたかのご意見をうかがいたいと思っています。 Kzhr 2007年8月15日 (水) 15:43 (UTC)
- 外国人にとって何故現代日本でキリスト教がかくも受け入れられないでいるのかというのは大きな関心事のようですが、その辺の考察はないのですか? --Ypacaraí(会話) 2018年1月28日 (日) 06:04 (UTC)
全体と部分のバランス
[編集]Kliment.A.Kさんによって「正教会の動向」という一項が加筆されましたが、内容はほとんどがニコライ・カサートキン一個人の活動に関するものになっています。本記事は特定個人についての情報は必要最低限に抑え、日本のキリスト教の歴史の流れを概観するとことが主眼ですので、全体のバランスからいってここだけある個人についての情報が集中して盛り込まれていると、バランスが良くないように思えます。(たとえば本記事にはザビエルやヘボンについてはほとんど個人の動向については書いていません。)ニコライについては(せっかくあるのですから)「ニコライ・カサートキン」の記事に譲り、この項をもっとコンパクトにまとめたほうが収まりが良くなると思いますが、いかがでしょうか。Gakuinryou 2007年10月19日 (金) 11:24 (UTC)
- Gakuinryouさん、コメントをありがとうございます。
- 私もその点は考えなくも無かったのですが、実は明治時代の日本における正教会史は、良くも悪くもニコライ・カサートキン個人とその周辺を巡って書けば大体収まってしまうというのが現実です。その原因としましては
- 関東大震災やその後の教勢衰退などで各種史料が散逸してしまい、残った史料も「宣教師ニコライの全日記」(これとてごく最近に発掘されたものです)など、ニコライ・カサートキン周辺のものが比較的に豊富に残っている。
- 終身制の指導者である主教に率いられる正教会は、トップの性格・方針に非常に依存した活動が多く、歴史を追っていく時に特定の人物の名が頻繁に偏って出て来る事はやむをえない
- そうしたトップの性格が強く反映される正教会の中で比較したとしても、彼個人に起因する業績が日本の正教会にあっては極めて大きかった事。
- といったものが挙げられます。ですので「明治の日本正教会の歴史」を記すと、大体同じように「ニコライ・カサートキン史」的なものになってしまうのです。日本正教会の公式ホームページもそのようになってしまっています。聖歌史・イコン史などについては別の人々の名前も出せるのですが、全体の概略史となりますと必然的にこのようなものになってしまうのです。
- ただ、確かに記事の長さが冗長に過ぎる事は私も感じておりましたところで、帰宅後に修正を試みようと思っていたところでした。とりあえず記事の冗長な部分を削減し、内容についても見直してみようと思います。御指摘、ありがとうございます。Kliment A.K. 2007年10月19日 (金) 17:30 (UTC)
2001年以降
[編集]2001年以降について記事が途絶えているので、いくらか加筆するつもりです。キリスト教史の本は多数存在しますが、最近のものはそれほど多くありません。参考文献として中村敏『日本キリスト教宣教史』(2009年、いのちのことば社)、日本基督教団日本伝道150年記念行事準備委員会『キリストこそ我が救い-日本伝道150年の歩み』(2009年、日本キリスト教団出版局)、日本伝道会議『日本開国とプロテスタント宣教150年』(2009年、いのちのことば社)、日本プロテスタント宣教150周年記念実行委員会『キリストにあってひとつ-主イエスの証し人として-日本プロテスタント150年の記録』(2010年4月、日本聖書協会)があり、プロテスタントの各教派については今年出版のものも含めて、それなりに資料があるものの、それ以外の教派については資料がありませんので、お持ちの方は加筆願います。--Evangelical 2010年5月4日 (火) 10:52 (UTC)
一部画像の削除について
[編集]本文のこの編集 (2012年10月15日 (月) 06:19) について。ここで削除した画像のキリシタン遺物は、この類のものはたいがい偽物だと指摘されています。『キリシタン史考』(H.チースリク、 ISBN 4882161249) より。歴史の中の嘘-隠れキリシタン十字架調査顛末記 (魚津歴史民俗博物館)も参照ください。 --1983Étoile de la mer(会話) 2012年10月15日 (月) 06:25 (UTC)
分割提案
[編集]分割提案具体内容
- 節:映画『殉教血史 日本二十六聖人』を殉教血史 日本二十六聖人へ分割
- 節:前田事件を前田事件へ分割
以上のように分割を提案します。本項は通史を扱うものであり、それぞれの細かい事象はそれぞれ独立した記事で扱われるべきでしょう。なお記事内容そのものはいずれの節においても良質なものであり、執筆者(Kawaeee1975さん)の力量と豊富な史料をもってすれば、むしろ独立した記事とした方が、記事内容の発展も見込めるという期待もあります。--Kinno Angel(会話) 2013年9月27日 (金) 16:23 (UTC)
- 賛成 - 基本的に分割に賛成です。「本項は通史を扱うものであり、それぞれの細かい事象は・・」と仰るとおりだと思います。同じ理由で、本文中の「21世紀」の節に書かれた2013年4月11日付のカトリック新聞オンラインに「旧日本軍に殺された司教、列福へ一歩前進」という記事が掲載された・・・以下の文章も、どこか別記事にすべきではないか(ここに書くべきことかどうか)、と疑問にも思えるのですが。また、「前田事件」は、節の文章を読んでみると一般的に報道された事件(いわゆる刑事事件や民事事件)ではなく、あくまでもカトリック教会内部での事件・騒動であり(日本のカトリック教会の中ですらあまり知られてないと思います。その中でも東京大司教区では有名なのでしょうか?)、事件そのものよりも前田長太という個人の記事として分割する方がいいかもしれないと思うのですが、いかがでしょう。
そして、いまここで提案したら蛇足になるかもしれませんが、Kawaeee1975さんが執筆された脚注部分に詳しく書かれている司祭・司教宣教師たち(ジャン・ピエール・レイ、ジェルマン・レジェ・テストウィード、ジャン・マリー・コール、アルベール・ブルトン、ジャン・ルイ・ルラーブ、ピエール・マリー・オズーフ、ヨゼフ・フロージャック(ジョゼフ・フロージャック?))も、それぞれ記事内容としてはじゅうぶん単独記事に分割できるようにも思うし、それが可能なら(出典が示されていないのがネックになりますが、)ここで脚注に記載するよりもその方がいいようにも思います。--Lorettibarrend(会話) 2013年9月29日 (日) 14:36 (UTC)
ご指摘の通り、「通史」という観点から言えば、多少外れていると思います。分割の是非はお任せしますが、私が記事を投稿した理由は下記の通りです。
- 前田事件
- 明治~昭和初期にかけての日本のカトリック教会は、本項でも記述したように、外国人宣教師たちの主導主権であり、多くの日本人司祭や信徒たちがその状況を打破しようと奔走した時期です。そのような時期を象徴するような事件・騒動が前田事件です。また、現在の東京大司教区と違い広範囲を管轄していた当時にとって、大司教区で起こった前田事件は、日本のカトリック教会としても大きな騒動だったと思われます。
- 映画『殉教血史 日本二十六聖人』
- 軍国主義へ傾倒し、そして戦争へと突入していく日本の中で、この様な宗教映画でもありプロパガンダ映画でもあるこの映画が製作されたことは、昭和初期のカトリック教会のジレンマを象徴している事象です。
- その他
- 当時の日本のカトリック教会は、主に貧困層や下層階級に向けて活動していたこともあり、文献史料の量は知識人に広まったプロテスタントに比べてあまりにも貧弱です。それは私が記事を投稿する前の本項を見れば明らかで、その記事の殆どはプロテスタントに関連するもので、本項自体がプロテスタント側に傾倒しているように見えます。少しでもカトリック関連の記事を増やすことは、本項全体のバランスが取れると思った訳です。
最初にも書きましたが、私自身、「通史」という観点から見れば両記事とも詳しく書き過ぎているし、本来なら「前田事件などが起こった」程度の書き方が正解だと思います。しかしながら、カトリック関連の文献史料は前述したように乏しく、記事に出来る事象が少ないのが現実です。その中でも、時代を象徴する2事項をピックアップして節にしたところ、細かくなってしまった次第です。
なお、「前田長太」という個人の記事を作ろうにも、前田長太個人については、私の所有している文献では詳しい略歴が判りません。他の宣教師たちも、乏しい文献に頼るしかないのが実情で、記事の規模から脚注に書くか別記事にするか微妙だと考えます。ほかに詳しい方が現れてくれれば良いのですが・・・ --kawaeee1975 2013年10月1日 (火) 02:26 (UTC)
- 賛成 通史記事には過剰だと思います。
なお、議論が停止してから1ヶ月たつと合意不成立とみなされることがあるのでご注意ください。検討中・作業中なら経過報告などをお願いします。--Greeneyes3(会話) 2013年10月31日 (木) 13:53 (UTC)
- 報告 特に反対意見も無いようですし、分割作業も行われていないようなので、投稿した私自身が作業するのも何かおかしいような気もしますが、とりあえず前田事件の分割を行いました。殉教血史 日本二十六聖人についても時間が掛かるかもしれませんが、作業して行こうと思います。--kawaeee1975 2013年11月5日 (火) 06:28 (UTC)
- 報告 前田事件に続き、殉教血史 日本二十六聖人の分割を行いました。またLorettibarrendさんの提案にあった、ジャン・ピエール・レイ、ジェルマン・レジェ・テストウィード、ピエール・マリー・オズーフ、ヨゼフ・フロジャックついては少し前に新規ページを作成しましたので報告します。他の宣教師たちについては資料が乏しく、個人的には作成を断念しました。--kawaeee1975 2013年11月8日 (金) 00:33 (UTC)
「旧日本軍に殺された司教、列福へ一歩前進」に関する分割提案
[編集]節:21世紀に記載されている「旧日本軍に殺された司教、列福へ一歩前進」に関する記事を、正定事件へ分割することを提案します。
理由としては、前回の分割提案と同じく、「本項は通史を扱うものであり、それぞれの細かい事象はそれぞれ独立した記事で扱われるべき」です。--kawaeee1975 2014年3月18日 (火) 05:36 (UTC)
- 追記 Felesfelixさんの加筆によって充実したため、独立記事として成立すると考えます。--kawaeee1975 2014年3月20日 (木) 04:08 (UTC)
- 賛成 - 依頼者票--kawaeee1975 2014年3月24日 (月) 23:46 (UTC)
- 賛成 --トマス秋茄子(会話) 2014年3月25日 (火) 00:13 (UTC)
編集の取り消しについて
[編集]2016年3月19日 (土) 06:29 の利用者:Lorettibarrendさんによる編集ですが、何の説明も無く大きく記事を削除しているので取り消しました。
記事を大きく削除なさるなら、要約欄かノートにそれなりの理由を書いて頂かないと、なぜ削除したか理由が分りませんので荒し行為と誤解されると思います。
Wikipedia:説明責任、Wikipedia:常に要約欄に記入するをご覧ください。
--kawaeee1975 2016年4月20日 (水) 00:22 (UTC)
- 前回の編集において、コメントアウト部分の削除等を行った際に、記述内容をよく確かめないまま一部の記事内容の無断削除をしてしまいました。たいへん失礼しました。お詫び申し上げます。--Lorettibarrend(会話) 2016年4月23日 (土) 04:23 (UTC)
神道徒って何でしょうか?
[編集]コメント--概要に「しかし豊臣秀吉の安土桃山時代には、勢力を拡大したキリスト教徒が、仏教徒や神道徒を迫害する事例が増え、これを憂慮した秀吉は、バテレン追放令を発布し、宣教を禁止したという。」とありますが、神道徒という言葉は聞いたことがありません。適当な言葉とは思えないのですが。--Koshi2016(会話) 2016年4月20日 (水) 00:38 (UTC)
- 確かに、一般的には神道の信者のことは「氏子(うじこ)」と呼びますね。修正するなら「神道信者」あるいは「神社の氏子」となるのでしょうか?編集修正はお任せします。--kawaeee1975 2016年4月20日 (水) 01:17 (UTC)