ノート:日本のクラシック音楽の作曲家一覧
掲載基準
[編集]2005年・2006年の議論
[編集]私の名前を削除するのは構いませんが、既にキャリアのある木山光や池田せれひと両氏の名前を削除するのはどうかと思います。--Noda,Kentaro 2005年7月9日 (土) 14:29 (UTC)
同じ意見です。良くも悪くも一応すべて作曲家として載せてそれからゆっくり議論すべきだと思います。 --以上の署名のないコメントは、195.93.60.105(会話/Whois)さんが 2005年8月11日 (木) 21:33 (UTC) に投稿したものです(Kto2038(会話)による付記)。
1980年代、増田という作曲家は知りませんが、新しく追加する場合は、なぜに載せたのか。載せた方が賞歴など多少でも説明を書くべきと思います。特に若い世代でまだ知られていない作曲家はなおさらです。説明がない場合は削除の方向でお願いします。まだキャリアの浅い作曲家たちもありがた迷惑でしょう。自己宣伝ともとられかねません。 --以上の署名のないコメントは、218.41.161.152(会話/Whois)さんが 2006年6月19日 (月) 17:45 (UTC) に投稿したものです(Kto2038(会話)による付記)。
増田さんは去年コンクールでデビューした新鋭です。載せてもいいと思います。貴方が知らないだけなのですから、貴方が反省しなさい。--222.1.32.234 2006年6月25日 (日) 07:22 (UTC) その後、増田さんは現音作曲新人賞を今年制しました。書いてなんら問題はありません。--Noda,Kentaro 2006年10月23日 (月) 04:31 (UTC)
上の文章、署名がありませんが履歴によるとそれぞれIPで195.93.60.105さん(2段落目)、218.41.161.152さん(3段落目)の文章であることを追記しておきます。さて、今改めて記事を見てみましたが、3段落目の意見に改めて賛成します。僕自身もかつて加筆したことはありますが、改めて見てみると、やはり問題があるように思います。既に記事のある人はともかくとして(僕自身の本名も載っておりますが、僕はこれには関与しない方針です)、問題は記事のない人たちです。記事のない人でも賞歴や、あるいは委嘱などのプロ活動をしていらっしゃる方々のお名前も多数見受けられますし、少なくとも20人以上は僕もその方たちの曲を把握しています。しかし、いくら記事が立ったとしても公開を前提とするプロフィールや賞歴等の情報に限られるとは言え、中には自分の知らないところで自由に編集可能な記事が立つのを望まない方もいるでしょう。(個人的交流で考えて、そのような「否定的な反応」を示すと思われそうな人たちのお名前もいくつか見受けられます)そこで提案ですが、いわゆる「秋吉台世代」である1960年代を一つの区切り目として、それ以降の1970年代でまだ記事の立っていない人たちのリンクは一旦コメントアウトし、活動が知られている方たちはそれらの個別記事を立てた上で改めてこのリストに書き加えるという形が、一番スマートではないかと思います。いかがでしょうか。30rKs56MaE 2006年6月24日 (土) 22:44 (UTC)
日本に住んでいて非常に面白いなと思うのは、「自分が知らないのだから、どうせ有名ではない」という態度が、一般論として通ることです。非常に迷惑な話です。赤リンクがあれば削除と言うのは、活動している作曲家に対して大変に失礼だと思いますし、一旦戻します。どうしても活動状況が見出せないのであれば、また削除すればよいことです。--Noda,Kentaro 2006年6月25日 (日) 07:28 (UTC)
確かに外国の作曲家リンク集などには、賞を取ったり演奏会で新人が紹介されるとすぐにその名を集めるものも良くあります。僕自身は「自分が知らないから有名ではないので載せない」ではなく「中には載る事を望まない人もいる可能性もある」という理由で慎重派の立場をとりますが、その人たちにしても「こんなところにいつの間に自分の名前が載っていて怖い」という印象ではなく、有意義な情報の発信源としてこの記事および各作曲家の記事が充実していくようであれば、また受け止める態度も違ってくるかもしれません。しかしその意味でも、なるべく「まず個別の記事を立てて、それからここのリスト」という形を僕は推します。ただし、作曲家としてデビューしたての人たちに対しては、その記事は本人の履歴に依存する部分が多く、そのオリジナル文章との兼ね合いを良く考えないと、著作権に抵触する可能性もあります。こちらの件も慎重になったほうがよいでしょう。もちろん重々承知していらっしゃると思いますが。30rKs56MaE 2006年6月25日 (日) 12:07 (UTC)
勿論、赤リンクはないほうが良いに越したことはありません。ただ、書き手の能力に依存する為か、必ずしも有名な作曲家から赤リンクが埋められると言うことはないのです。この点は、改善の余地があるでしょう。--Noda,Kentaro 2006年6月25日 (日) 14:55 (UTC)
- 「増田さんは去年コンクールでデビューした新鋭です。載せてもいいと思います。」と仰いますが、これまで一覧に追加されてきた作曲家のうち「コンクールで賞を取ったから」載せられたという方はいらっしゃるのでしょうか。過去のコンクールでの受賞者がすべてこの記事に網羅されているとお考えでしょうか。「○○賞受賞者の一覧」なる項目ではないのですから、「賞を取った "から" 載せるべき」と一概に括ることはできないでしょう。
- 赤リンクについてですが、これも「赤リンクだ "から" 載せない」と一概には括れないと思います。目安として「個別の記事が存在する作曲家を中心に」程度でよいと思います(最近の作曲家に関しては 一覧に追加する前に一度ノートで対話を持つべきなのかも知れませんね)。--D.328 [06/25, 2006, 15:17 (UTC)]
皆がすべてのコンクールを把握しているわけではありません。そういうための情報源としても活用できるのがここではないでしょうか。ですから、「○○賞、○位受賞。作品は○○」と一行でもあれば載せた理由も納得できるのです。名前だけ書いて知らないのは不勉強だといわれては、こういった場所で不特定多数に読まれるよう情報を公開するその意味さえ問われることになります。 --以上の署名のないコメントは、218.41.164.162(会話/Whois)さんが 2006年6月25日 (日) 18:19 (UTC) に投稿したものです(Kto2038(会話)による付記)。
上の文章の218.41.164.162さん(恐らく3段落目と同じ方でしょう)、ウィキペディアでは~~~~(チルダ4つ)で、ログイン名またはIPと日時の署名ができます。ノートには可能な限り署名つきの書き込みをお願い致します。
さて、引き続きまず数行でも記事を書いてから一覧への追加を推奨という立場で書きます。コンクールで賞を取るということはれっきとした公式な音楽活動であり、ここまでは他人がどこでその情報を集めようとそれは自由です。しかし賞を取ったとしてもその後は目だった作曲活動をしていない方々も残念ながら見受けられます。デビューしたての作曲家について、どこまでをこのリストで扱うかどうかというのは極めで微妙でしょう。情報は多きに超したことはないという姿勢であれば現在の意図も(赤リンクの早急な対応が望まれるとしても)まだ理解できますが、それでは一度賞を取っただけの人と、同世代でも積極的に多数の作曲活動をしている人との区別がつけにくくなります。かといって、それらの人たちがリスト内で優遇されるというのもおかしな話です。ただし、この一覧表と共に数行でもその賞歴などの活動歴が載るようであれば、全てがそうとは限りませんが、作曲家本人にとって励みになる場合もあります。
また3段落目の「自己宣伝とも取られかねない」については微妙でしょう。IPユーザーなら投稿が誰かわからない以上自己或いは周囲が宣伝に使っている可能性もありえます。(事実、そのような宣伝行為をこのウィキペディアの音楽関係の記事上で多数見かけます。)かといってログインユーザーなら公平かというと、こちらも微妙な話です。上の書き込みで僕は「20人以上は活動を把握している」と書きましたが、1.曲のみを把握しているが本人と面識はない、2.面識はあるが曲は知らない・知っていたとしても僅か、3.多少面識もあり曲も知っているが友人と言えるほどの仲にはなっていない、4.友人であり曲も良く知っている、この4パターンに分けられると思います。1については公平な立場から記事が書けるでしょう。活動を全て把握しているわけではないので正確な記事になる保障はありませんが、一応スタブでの記事発足は出来ます。4については、記事を立てる際にあらかじめ相手に連絡する手段が考えられるでしょう。それによって記事を書く際により正確な事実を確認できますし、逆にそれをしないと、ウィキペディアンとしてよりもまず一人の人間として、今後の友好関係が気まずくなる恐れすらあります。2については記事を書くことが出来ません。問題なのは3で、もちろん1と同様に第三者的な立場で書くことも可能ですが、それは本来なら音楽学者と呼ばれる人がそれなりに音楽界に知られたメディア行っていたのが、ウィキペディアでは誰でも出来ることで、これが相手にとってどういう印象を与えるかわからず、後日問題となる可能性もありえます。
現状として言えるのは、賞歴などの活動は公式なものだから、それを載せることは本人や周辺だろうと無関係の第三者だろうと、一応は歓迎されるべきことと思います。それ以外の作品論などに関しては、宣伝行為かどうか良く見極める必要があるでしょう。ただし誰が見極めるかということによって、それがウィキペディア内でいわゆる「アカデミー化」する恐れも無いとは言えませんが。30rKs56MaE 2006年6月25日 (日) 19:41 (UTC)(一部誤字訂正 30rKs56MaE 2006年6月25日 (日) 19:48 (UTC))
- 「クラシック音楽のコンクールでの上位受賞者の一覧」なる項目ではないのですから
- 「皆がすべてのコンクールを把握しているわけではありません。そういうための情報源としても活用できるのがここではないでしょうか。」
- という理由は意味をなしません。そういった情報源をお考えになるのであれば、Wikipediaではなく外部サイトを作られる方がよほど理にかなっております。
- 何年(あるいは何十年)後になって[日本のクラシック音楽の作曲家]を調べようとする人が必要とする情報とは、「賞を取ったが その後目立った活動のない方」ではなく「賞は取らなくとも 後に著名になられた方」のはずです。これまでこの一覧記事に追加されてきた作曲家、閲覧者が調べる過去の作曲家とは、みな後者であるはずです。
- 毎年のコンクールでの受賞者をすべて追加していって、あとには どんな作品を書いたのかもよく分からない人名の羅列が続くという状態は、非常によろしくないものであろうと思います。Wikipediaは百科事典なのですから。-- D.328 [06/26, 2006, 14:16 (UTC)]
D.328さん、特に後半については全面的に賛成します。赤リンクのうち、例えば藤原典子さんは、僕自身は彼女の曲を聞いたこともありますが、それよりもむしろ研究会などを自主的に開き、大学の枠内を超えて国内外のプロの演奏家を招聘して、同世代やまたその上の世代に対しても多くの作曲家にとって興味深い活動をしていらっしゃいます。彼女に限らず賞歴よりもそうした活動の方に焦点を当てて今後記事を書けば、このリストに全体においても有用な記事になるかと思われます。30rKs56MaE 2006年6月26日 (月) 16:36 (UTC)
微積01さん、野田憲太郎氏の項目のみを削除されたようですが、彼は既にヨーロッパの複数国(オランダ、オーストリア等)での作品の演奏や放送の実績のある作曲家です。(例えば今度12月4日にはオランダのラジオConcertzenderで放送予定あり)恐らく削除に至ったきっかけは彼本人がwikipedia内で問題行動を起こしたと見なされたからでしょうが、wikipediaでの彼のアカウントを削除するのと、作曲家としての彼の経歴を無視・抹消することはその意義が全く違います。後者は楽壇上の抹殺にあたり、あからさまな嫌がらせに過ぎません。作曲家としての彼の功績は認めるべきだと思います。30rKs56MaE 2006年12月2日 (土) 13:00 (UTC)
以下の項目はWikipedia:削除依頼/酒井健治 (作曲家)より参考のために転載します。30rKs56MaE 2006年12月6日 (水) 17:57 (UTC)
- (削除寄りコメント)Wikipedia:自分自身の記事をつくらないは草案の段階ですが、白井暁彦や野田憲太郎のように存続になった記事にも疑問があります。現状では削除要件にあたらなくても、なんらかの基準が必要になると思います。--Lemon pie 2006年12月6日 (水) 05:22 (UTC)
- (コメント)多くの人が勘違いしていることですが、野田憲太郎の記事を最初に立てたのは彼ではなく、自称「菅野茂」としてサインしているIPユーザーです。その後野田氏自身も頻繁にログインおよびIPで編集に参加していますが。彼の記事が立つ以前は、彼も日本のクラシック音楽の作曲家一覧の2004年6月30日 (水) 10:41の版では、自分自身の利用者ページへのリダイレクトを貼っていました。今回の酒井氏も「自分自身の記事を見つけたので」とおっしゃいますが、記事自身はご自分で立てたので恐らくこのリスト中にご自身のお名前を見つけたことと思われます。何らかの基準が必要という意見には賛成。30rKs56MaE 2006年12月6日 (水) 10:19 (UTC)
- 追記。そもそもノート:日本のクラシック音楽の作曲家一覧で以前触れたとおり、1970年代以降のいわゆる若手作曲家を赤リンクのままほとんど無制限にリストアップされていること自体に問題があるような気がします。その中で今回の酒井氏のように、本人の意思とは無関係にリスト中に名前があったことを発見し、それならば自身の記事を立てるという行動に繋がることもありえるでしょう。30rKs56MaE 2006年12月6日 (水) 10:25 (UTC)
- (コメント)多くの人が勘違いしていることですが、野田憲太郎の記事を最初に立てたのは彼ではなく、自称「菅野茂」としてサインしているIPユーザーです。その後野田氏自身も頻繁にログインおよびIPで編集に参加していますが。彼の記事が立つ以前は、彼も日本のクラシック音楽の作曲家一覧の2004年6月30日 (水) 10:41の版では、自分自身の利用者ページへのリダイレクトを貼っていました。今回の酒井氏も「自分自身の記事を見つけたので」とおっしゃいますが、記事自身はご自分で立てたので恐らくこのリスト中にご自身のお名前を見つけたことと思われます。何らかの基準が必要という意見には賛成。30rKs56MaE 2006年12月6日 (水) 10:19 (UTC)
- (コメント)現在、Wikipedia:新しいページを作成する方法において新規ページ作成のテキストボックスは閉じられています。このような状況では、正確なタイトルで記事を起こすためにはむしろ、赤リンクは必要かもしれません。また日本のクラシック音楽の作曲家一覧ですが、純粋に氏名だけ、というのではなく、独立記事手前の段階として簡単な紹介を付記する形があってもいいかもしれません。日本の漫画家一覧、日本の漫画家一覧#単独での項目がない漫画家についてのプロフィール抄つきの漫画家一覧などのようなあり方も参考になるかと。--わたあめひみつ 2006年12月6日 (水) 12:09 (UTC)
微積01微積01さんに続き今回は士心麻手さんにより野田憲太郎の項目が2度削除されました。一回目のRevertの際に編集コメントにて「ノートで話し合いを」と書いたのですが、改めて会話ページにこのノート上での話し合いを呼びかけました。(なおその間に早くも保護の措置が取られたようです。対応してくださった方はありがとうございました。)30rKs56MaE 2006年12月9日 (土) 23:19 (UTC)
荒らしは困るが、編集合戦はいろいろが記事が沢山出てくるのでかまわないと思う。削除するよりももっと最新でいろいろな記事を一人でも多く増やす方向に持っていくのがWekipediaの大きな長所であろう。原則的に永遠に編集できるのであるからここで〆と言うことは無限に無いのがこの百科事典の特徴である。Kanno,10.12.06; 17:15 --以上の署名のないコメントは、195.93.60.138(会話/Whois)さんが 2006年12月10日 (日) 16:14 (UTC) に投稿したものです(Kto2038(会話)による付記)。
- 実際無名ですし、他の赤リンクの作曲家も含めて削除でいいんじゃないでしょうか。無名に近い作曲家の記事をたくさん書いていたNoda,Kentaroさんが無期限ブロックされた今、今赤リンクの作曲家の記事を書くのは、その作曲家本人くらいしかいないんじゃないかと思います。
- 記事が出来てからリンクすればいいと思います。--微積01 2006年12月11日 (月) 21:45 (UTC)
- では保護が解除され次第、1970年代以降のうち赤リンクを削除という方針で。鶴見幸代さんなどの既に積極的に活動する作曲家の名前も赤リンクに含まれますが、それらの方々はいずれ自然に記事が立つことと思いますし、その時点でまたこの表に書き加えればよいでしょう。30rKs56MaE 2006年12月12日 (火) 10:10 (UTC)
赤リンク削除は1980年代以降にしていただきたい。最近岸野末利加(きしの まりか、1971年 - )氏に会え、いろいろな情報が貯まってきたので、近いうちに執筆したい。彼女はまだ無名かもしれないが作品が執筆するレヴェルに達していると判断される。Kanno,16.12.06, 17:31—以上の署名の無いコメントは、195.93.60.138(会話/whois)氏が[2006年12月16日 (土) 17:32]に投稿したものです(30rKs56MaEによる付記)。
そういう個別ケースは後で個別記事を作ってから改めてこの表に加えればよいまでのことです。(岸野末利加さんのご活動については僕と入れ違いでIRCAMのcursusを修了されたこともあり僕も良く知っていますが。)「この人は実力があるから垢リンクでも取っておく」ではなく、とりあえず「無名の若手作曲家が多く混ざっている状態で本人の宣伝による記事立てを誘発している」今の状態を問題視しているのです。まずは一括で1970年代以降の赤リンク削除を推奨します。
ところで菅野さん、ウィキペディアでは編集画面中に ~~~~ (チルダ4つ)と文末に書いて投稿ボタンを押すことによってそれが署名表示へ自動的に変換され、はじめて「署名」と見なされます。何度も多くのノート欄に投稿をされているようですが、文章中にあなたがKanno,16.12.06, 17:31と書いただけででは署名と見なされません。ウィキペディア上で他のユーザーに対して自分の意見を発言するのであれば、コミュニティ内の共通ルールとしての書名のやり方は覚えて下さい。それに何回も投稿歴があるようでしたらユーザーとしてログインしてみてはどうでしょうか。匿名と見なされるIPユーザーとしての編集よりはよりノートでの発言も説得力を帯び、またIPユーザーに発言権や投票権のない場でもログインによってそれらの権利が生まれます。あなたは別の場所で他の人にメールでのコミュニケートを呼びかけていましたが、ログインによってそのような便も図られます。他の利点など詳しくはWikipedia:ログインの仕方をご覧下さい。30rKs56MaE 2006年12月16日 (土) 17:18 (UTC)
「~~~~ (チルダ4つ)と文末に書いて投稿ボタンを押すこと」はやりましたが反応がありません。もし外部の人の発言が嫌ならばここだけ外部の人にブロックするようにすれば良いでしょう。何度も書きますが、それがWikipediaのシステム上の欠点です。後で言ってもらって消されてもまた別なところに書く羽目になるし困るわけです。投票権(特に野田氏へなどの)別のBBSに「野田党」とか勝手に決め付けられますし、新たな義務が生じる事・上層部の問題に支配される事などがありますから、あくまでも外部からの中立の立場を崩したくないので要らないです。従って興味があるのは「書くこと」だけです。しかし質問された限りにおいては答えなければならないので、書けるとこには書いています。書けない所には書いておりません。常識では「書ける事」は「書いて良い事」です。ということで今までどうり無効でも「署名」をしておきます。Kanno,16.12.06, 23:24 --以上の署名のないコメントは、195.93.60.138(会話/Whois)さんが 2006年12月16日 (土) 22:25 (UTC) に投稿したものです(Kto2038(会話)による付記)。
安部幸明氏がなくなりました。誰か(1911~2006年)の年号を入れられる人はここ:本文にお願いします。--195.93.60.138 2006年12月29日 (金) 16:03 (UTC)2007年の議論
[編集]あの、項目を増やしたいのですが。それは、高橋東悟氏です。彼はグループNEXTなどで精力的に活動していますので、作曲家の項目に足したいのですが、保護されているため、できません。なので、早く依頼をしたく思っています。したがって、この議論を終結させなければいけないのですが・・・。川浦--フェノーラ 2007年3月6日 (火) 01:21 (UTC)
- まずは高橋東悟氏独自の記事を作成されてはいかがでしょか。一覧に乗せるだけよりも情報としての精度は高くなると思いますが。30rKs56MaE 2007年3月7日 (水) 01:33 (UTC)
大変遅くなりました。高橋東悟氏の記事を作成致しました。詳しくは、高橋東悟を。 やはり、保護は解除したほうがいいと思うのですが・・・。どこかにもありましたが、「純粋に氏名だけ、というのではなく、独立記事手前の段階として簡単な紹介を付記する形があってもいいかもしれません」という意見もあることですし。--Cluster 2007年8月14日 (火) 02:07 (UTC)
保護中の編集依頼
[編集]保護解除されるまでは、増減したい情報があれば、ここで具体的な加筆案を提示し合意を形成してからWikipedia:管理者伝言板/保護ページ編集で編集を依頼するのがよいのではないでしょうか。--miya 2008年2月25日 (月) 01:14 (UTC)
高橋東悟
[編集]「高橋東悟(たかはし とうご、1961- )」の追加を依頼してはどうでしょうか。--miya 2008年2月25日 (月) 01:14 (UTC)
一覧から邦楽の音楽家の除去
[編集]源博雅、世阿弥、八橋検校など邦楽の音楽家が多数載っていますが、これらはクラシック音楽の作曲家とは言えないと思います。邦楽の音楽家は一覧から除去しようと思うのですが、いかがでしょうか。まだ精査はしていませんがおそらく19世紀以前の人物はかなり削除されると思います。記事名を変更すべき、邦楽関係者は別記事に分割すべき、など除去以外の案がございましたらご意見をお願いします。 --Kto2038(会話) 2021年4月18日 (日) 02:03 (UTC)
はじめまして、Robert Swann de Schumannと言います。^_^ 自分もそれは全く同じことを思いました。 クラシック音楽は一般に西洋伝統音楽と解釈されることが普通であるとも思っているので、やるのであれば、「日本の伝統音楽作曲家一覧」(あるいは邦楽作曲家?)みたいな感じで分けていいと思います。
ただその場合、たとえば伊福部昭や武満徹などのように、一般的にはクラシック音楽作曲家(あるいは映画音楽作曲家)ではありますがそうした雅楽などの作曲も手がけているような人の処理のことも作るにあたって考慮しなければならないなと感じました。
そう思うと、日本人のクラシック音楽作曲家で雅楽などの日本の伝統音楽作曲に関わっている人は逆に多数いるので、日本の伝統音楽作曲家を分割する…というよりかは、純粋な日本のクラシック音楽作曲家を分離させるに近い作業のようにも思えます。(要するに、現状の日本のクラシック音楽作曲家一覧において列挙されてる近代の作曲家の多くは、クラシック音楽作曲家でもあり同時に日本の伝統音楽作曲家でもある、という側面を持ち合わせているケースが多いと考えられます。)
まぁでも繰り返しになってしまいますが、Kto2038さんの案には賛成です^_^
--Robert Swann de Schumann(会話) 2021年5月8日 (土) 01:40 (UTC)
とりあえず元の提言から1ヶ月ほど過ぎましたので、わたしは記事名に該当しないような部分(特に古代や18世紀など)を5日ほど待ったのち、まるっと削除しようかと思います。ご意見お待ちしております。 --Robert Swann de Schumann(会話) 2021年5月21日 (金) 10:08 (UTC)