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ノート:東京方言

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記事の想定守備範囲

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この記事は「江戸の職人言葉」、「山手方言」、「多摩弁」、「里言葉(こりゃ違うか?)」などひっくるめて書いて構わないんでしょうか? martin 2004年7月14日 (水) 16:44 (UTC)[返信]
小生は「記事を分割せよ」と主張する気は毛頭ないことを念の為申添えておきます。martin 2004年7月14日 (水) 16:46 (UTC)[返信]

西関東方言によれば、多摩のことばはそちらにはいるそうですが。多摩弁って、「つめたい」を「しゃっこい」(<ひやっこい)と言うみたいのですか? いずれにせよ、ロンドンのコックニーみたいのは入れていいと思うんですがね。 2004年7月14日 (水) 23:42 (UTC)[返信]
確かに秩父弁、甲州弁それから神奈川の西の方辺りと共通点は多いですね。語尾の「べぇ」とか......「ai」が「ei」(または「e」)になるのでコックニーとは反対です。(^_^)
御指摘の「ひゃっけぇ」とか「うざってぇ」とかってのは、ごく最近まで方言だと意識せずに使ってました。/(^_^;
小生の印象では北関東方言(「来ない」が「きない」だったりする)とは大分違うように思うんだけどなぁ。それから、ウチの辺りでは「ひ」と「し」については余り混乱していないようです......って、こんなとこに書いてないで記事の方に書きゃ良いのかぁ。martin 2004年7月16日 (金) 13:29 (UTC)[返信]

誰の分類だったかちょっと手元に資料がないのですが、西関東方言から独立させて東京方言を立て、下町言葉(江戸っ子言葉)に関しては、どういう分類にするか記述が有りませんでした。ところで、東京方言がいわゆる山の手言葉だとすると、「ひ」と「し」の発音が混同、アイ・オイがエーになるというのは、むしろこの特徴が無い事が山の手言葉の特徴であるので、間違いではないでしょうか。--Haruharu 2007年4月15日 (日) 04:31 (UTC)[返信]


東京弁

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>「東京弁」と呼ばれることもあるが、それは東京方言以外の方言話者が東京方言を指して使う言葉である。その場合、たいていは東京方言(あるいは共通語)に対して反感が込められている。

私は東京方言話者ですが、よく「東京弁」と言います。

>「東京弁」と呼ばれることもあるが、この語は侮蔑的に用いられることがある。

くらいがいいのでわ?



>だが実際東京弁と標準語を比べたところで違いが何一つ見当たらない。

これに関しての根拠というのはあるのでしょうか? そういったものがない限りは「何一つ見当たらない」と即断できない気がするのですがどうですか?sasu 2006年9月24日 (日)


定義

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>7.認識の誤りで、標準語・共通語と東京方言を混同する例も一部で見られる。

誤った認識に基づいたものを定義に組み込むのは如何なものか? 定義の記述以降の文中&文末等で補足や追記するだけで十分だと思う。 定義の意味を履き違えているとしか思えない。


>7.この場合は「東京弁」「関東弁」という語が使われることが多い。

「使われることが多い」の根拠はどこにあるのか? 統計データでもあるのなら、出典等の参考文献を明示してもらいたい。

ウィキペディアは個人の主観的な意見や見解等を述べるところではありません。 検証可能性や客観性ということを第一義に考えてほしい。

結局それらが不足している事もあり、独自研究のテンプレが貼られているのだろうけど・・・。

修正してみました--Kyoww 2008年6月2日 (月) 11:41 (UTC)[返信]

「じゅ」が「じ」、「しゅ」が「し」に転訛するについて

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ShikiHでございます。「しんじゅく」と「しんじく」は発音し分け、聞き分けられるにもかかわらず「しんじく」がかなり聞かれるので、「じゅ」が「じ」になると言ってもよろしいかと思います。しかし「趣向」を「しこう」と発音するかどうかはやや疑問に思います。「趣向」と「歯垢」は発音し分けられているかもしれないが、「趣」や「歯」の部分は母音が無声化あるいは脱落するので、他の人が聞いた場合、どちらを言ったかはほとんど区別がつかない。このような母音の脱落を転訛の例とするのはいかがなものかと思います。「入手困難」が転訛の例になっているのは「入試困難」と区別がつかないからでしょうが、その理由も同様だと思います。「入手」と「入試」の単独の発音では母音が発音され、区別がつくとしたら、「入手困難」を転訛の例とするのは不適当です。東京地方以外のかたのご意見も聞きたく存じます。--ShikiH 2010年6月12日 (土) 16:37 (UTC)[返信]

ShikiHさんへ

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おつかれさまです。

要約欄に書くのはやっぱり無理があったので、あらためてこちらへ書いておきます。

  • 少なくとも現代の話者にとっては「暗れぇ」と「黒れぇ」とを発音し分けることも聴き分けることも不可能で、対立がない以上、音素構造も同一だと思います。
  • [ɛ:] という表記はあたかも東京方言に e と ɛ の区別があるかのように思わせるので、詳解もなしに書くのは好ましくないかと。
  • 「あもい菓子」の誤記がない理由は明白で、「あまかった」「あまくない」etc.の活用形があり、話者の中に「あま-」が原型として確立しているからでしょう。(これが「あめぇ」になることも含め、私は詳しくないですが、生成論的なことで無理なく説明がつくのではないかと思います。)
  • [nektai des] は乱暴だと思いました。無声化されたとはいえ母音は存在していて、きちんと6拍あります。またこうした無声化母音は日本語(東京方言や標準語)の際立った特徴でもあるのですから。

一度リバートさせていただきましたが、この後再度書き戻すようなことをするつもりはありません。ご善処いただけたらと思っています。 ぎゅうひ 2011年11月9日 (水) 12:13 (UTC)[返信]

ShikiHでございます。音素として/eh/があるかどうかの議論ですが、数時間考えています。下手の考え休むに似たり、なのでここで一旦お返事します。
  1. 「暗れぇ」と「黒れぇ」について、趣旨は理解しますが、例が悪いようです。この2つはアクセントが異なるので、発音仕分け聞き分けられます。アクセントが異ならないペアを考えているのですが、いいのがみつかりません。まだ考えています。
  2. [ɛ:] は私は[e:]とは区別が有るものとして使っています。テレビの時代劇で江戸時代の江戸言葉の模倣が聞かれますが、その発音では母音が狭く感じられます。
  3. 「あもい菓子」については、私の考えが足りなかったと思います。ご高説のとおりです。そこで活用しない語、たとえば外来語ではどうか考察中です。
  4. 「ネクタイです」は6モーラあるとは思います。「今、なんつった?」「ネ・ク・タ・イ・で・す」などのように非常にゆっくり丁寧に発音すればすべてに母音が聞かれるでしょう。しかし通常の発音では3音節にしか発音しません。「場合によっては」そう聞こえるのではなく、通常はそう聞こえます。母音の無声化とよく言われるのは、音素から母音がなくなると説明上不都合が多いのでそのように言っているだけで、音声上は母音の脱落じゃないでしょうか。
本文は今は改稿せず、しばらく考えます。--ShikiH 2011年11月9日 (水) 16:49 (UTC)[返信]
ShikiHでございます。さらに次のようにお返事します。
  1. 私には/eH/を音素と考えるにふさわしいミニマル・ペアを思いつくことができません。音素と言うためには意味の差異を引き起こすようなペアがなくてはなりません。よってそういう音素はないだろうと考えます。異音の範囲にあると考えて不都合はありません。
  2. 「目」の母音を長く延ばすと「甘え」(アメー)のふたつめの母音になるとは思いません。しかしながらご指摘のように[ɛ:] と[e:]を書き分けるのは、百科事典としては精密すぎるだろうから、「エー」と表記します。
  3. 「クライバーン」、「クロイツェルソナタ」、「アンナ・マクダレーナの音楽帳」などの表記に発音に引きずられた誤記はないでしょう。しかしこのことは今回のこの記事では触れる必要はなかろうと考えます。
  4. 母音の脱落かどうかはともかくも、非円唇後舌狭母音の無声化したものを表す記号は上の例よりもっとなじみが薄いので、[nektai des]ですませます。通常このように発音すると書きます。
ぎゅうひさんだけでなく、他の方々の意見もお待ちします。記事本文は改訂します。--ShikiH 2011年11月10日 (木) 14:30 (UTC)下線部追記--ShikiH 2011年11月10日 (木) 14:55 (UTC)[返信]

────────
ぎゅうひです。インデント戻しますね。(なお、上のShikiHさんの書き込みもそうですが、下線がついている箇所は後から書き加えた文言(<ins>タグを使用)です)

ShikiHさん、熟考の上のお返事ありがとうございました。 以下、論点がややバラけてしまいましたが、なんとか拙考を書き連ねてみたいと思います。

まず基本姿勢として、自戒もこめて、ですが、独自研究的になることはできるだけ避けて、可能なかぎり既存の定説や主流の説に基づいていくようにしましょう。

【 1. わりと枝葉のこと 】

  • eh のこと
    勘違いされているのかもしれないと思い確認ですが、申し上げた /eh/ というのはもちろん /e/ + /h/ ということです。/h/ というのはほぼ定説として広く受け容れられている日本語の長音素、かなで書けば「ー」のことです。/r/ とか /:/ のように表す流儀もあるようです。
    おっしゃっている「意味の差異」というのが何と何との間にあるべき差異ということなのかちょっとわかりかねましたが、長音素の有無の対立ということならば、たとえば「ケール」(野菜の一種) /kehru/ に対する「蹴る」 /keru/ などいかがでしょう。ともかく、(ご意図を誤解していたらご指摘いただきたいですが)「長音の有無は異音の範囲内」などということは、既存の定説・諸学説に照らしても、絶対にあり得ないと思いますよ。
  • アクセント
    「暗れぇ」と「黒れぇ」ってアクセント同じじゃないですか? どちらも「○○」ですよね?

【 2. 本題 】

  • ɛ / e の区別について
    音素の上では、この区別はまずあり得ないでしょう。およそ既存の学説において(標準語について)そのような主張はまず絶対に聞かれないですし、東京山手で生まれ育った私自身の内観に照らしても、絶対に区別はないと思います。それこそ、おっしゃるような「意味の差異を引き起こすようなペア」も決して存在しないでしょう。
    音声の上での違いは厳密にはあるのかもしれませんが、そうした厳密な音声の記述というのはやはり、「専門家が何百人もの話者の声を記録して、解析して、」といったことを経ないと難しいのであって、素人にできるのはすでに提案されている記述を引用することだけなのだろうと思います。で、ɛ という記号は標準語や東京方言の記述に一般に用いられるものではないので、やはりよろしくないということになるのではないかと。
    今回は [ɛ:] という記述を削除いただいたようでよかったです。なお、テレビの時代劇にふれておられましたが、時代劇のみに見られる発音を典拠とするというのはいくらなんでも無茶だと思いますよ。
  • 「ネクタイです」について
    まず「ぞんざいに喋ったときの多種多様に変形した音声を記述することは可能なのか、またそもそもそれをする意味があるのか」という根本的な疑念があります。これに対する答えが否だったからこそ、これまでの言語学・国語学の研究は「ある程度ていねいに喋った音声」を対象に進められてきたのではないでしょうか。「しかし普通は早口で喋るものだ」とおっしゃりたいかもしれませんが、音声研究というもの自体のフレームワークがおおむね「ある程度ていねいな発音」に基づいた記述から成り立っているのであるなら、ここだけルール変更というわけにもいかないのでは。
    それから、標準語≒東京方言という前提でですが、もう一点。「日本語は開音節言語であり、特殊モーラ「ん」「っ」を含むものを除けば、子音で終わる音節は存在しない」というのが現在の主流の考え方のはず。この結論はもちろん、単に思索によって生み出されたものではなく、無数の録音、その解析、理論化の試みによって試され、耐えてきた結論だと思います。スペクトログラムをミリ秒単位で分析しながら他言語と比較、なんてこともやって来ているはずです。で、最終的に落ち着いた結論が、「日本語(標準語)は開音節言語で、全ての非モーラ主音的子音の後に母音が来る。ただし i や u は環境によって無声化することがある」というものなのでは?
    だとすれば、[nektai des] という表記は、普通に見れば閉音節を含んでいますから、独自研究になってしまいませんか?
    どうしても母音を表記したくないというのであれば、せめて外側の [ ] をはずしませんか? この括弧は記号がIPAに準拠していることを示唆し、それだけ学術的正確さが求められてしまいそうですから。IPAのような標準化された音声記号というのは、正確さが身上、正確でないと意味がないもので、「馴染みがないから」などの理由で勝手に改変できるようなものでもないのだろうと思います。


いろいろ書いてしまいましたが、なにぶん手元にろくな資料がないことが悔やまれています。 じつは江戸言葉の項目も出典が足りないと思いつつほったらかしになってしまっていまして…。 私としては、暇を見て、きちんとした典拠資料を用意した上で、出典づけを含む編集をあらためてさせていただきたいなと思っています。 まあ年明け頃になってしまいそうですが…。

いずれにせよ、貴重なご意見をいろいろありがとうございました。どうか今後ともよろしくおつきあいいただければ幸甚です。 ぎゅうひ 2011年11月10日 (木) 17:27 (UTC)[返信]

ShikiHでございます。お返事します。
  • 異音の範囲について---私が言っているのは「甘い」の一つめでない方の母音についてです。/ai/にたいして[ai]と[ɛ:] のふたつの異音が聞かれるということであって、他の環境については触れていません。何を異音と考えたか明記すべきでした。お詫び申します。
  • アクセント---私の発音では「暗ぇ」は「○○」、「黒ぇ」は「○○」です。新明解は「黒い」は②しか上げてませんが、私にとっては意外なことに「暗い」は③、ゼロ、②の3つを上げているので、この2つの語を同じに発音する人もいることがわかりました。
  • (後日の補足)上記の新明解国語辞典は第6版の記述ですが、第7版で修正されたのでお知らせします。第7版1657ページにおいて形容詞のアクセントの変化について述べています。

    (1657ページ、ShikiHによる要約)「形容詞の方の区別は失われ欠けている。終止形のゼロが消える変化が生じ、すでに一部の高年層、中年層で この区別がなくなっている。厚い(ゼロ)、暑い②のような同音語で一層進み、終止形ではともに②型、連体形では共にゼロ型になっている。本来なら「熱い涙を流す」のつもりが古い世代には「厚い涙を流す」と聞こえる発音がアナウンサーの口から発せられることは、今や珍しくない。近い将来に形容詞のアクセントの区別が失われることはもはや疑いないが、それだけに本辞典ではあえて規範の立場から「赤い、浅い、…(中略)…暗い」の基本的な単語にはゼロのみを表示した。」(上野善道)(要約終わり)

    要するに「暗い」はゼロ型、黒いは②型に変更されました。やっぱりそうだったかと感じました。辞書で認められてほんとうによかった。「くれぇ写真」と言った場合、「くろい写真」と言ったのか「暗い写真」って言ったのかは聞き分けられます。ここでの議論全体をやりなおす必要はなかろうはと思いますが、記事本文に記述したりどこかへ発表するには別の語の例を挙げる必要があります。新明解は年代の差と書いていますが、私には地域差に感じられます。若い人でもこの区別を守ってる人は守ってるでしょう。なお、上記のわたしの表記に一部間違いを発見しました。『「暗ぇ」は「○○○」』とすべきでした。お詫びして、訂正いたします。--ShikiH会話) 2012年7月29日 (日) 14:03 (UTC) 下線部挿入、打消し線部削除--ShikiH会話2012年7月29日 (日) 22:12 (UTC)[返信]
  • (さらに補足)ウィキペディアの記事東京式アクセントに形容詞の型の分類があります。新明解第6版によると、この区別は東京通用アクセントでは滅んでいることになるので、いままでしらばっくれてましたが、第7版はこの区別を保っています。私も区別して発音します。例示のうち、ただひとつ「宜しい」はゼロ型ですが、私の発音では発音では③です。しかし新明解第7版も③を最初にあげています。--ShikiH会話2012年7月30日 (月) 09:18 (UTC)[返信]
  • ɛ / e について---音素としての区別はないでしょう。音声上の区別はあると感じます。しかしまあ、独自研究かもしれないし、記事には「エー」と書いておけば済むことなので、争いません。あくまで私個人の発音ですが、「黒ぇ」はピッチの下がり目でさらに母音が広くなるような気がします。ピッチが下がるとベロの位置も下がるのが自然かもしれないと考えます。
  • 閉音節について---このことは事実がどうかと言うことよりも、この項目で精密な音声表記は読者にわからないだろうという観点を優先しただけですから、角括弧を使うことにはこだわりません。大括弧に修正します。--ShikiH 2011年11月11日 (金) 10:09 (UTC)[返信]
ありがとうございます。一点だけ。パウル・クレーの「クレー」は /kureh/ で、なおかつ「黒れぇ」と同じ音だと思いますから、「黒れぇ」に /kuroi/ ないし /kurai/ を当てるとなると同じ音に対して複数の音素構造があることになってしまいませんか? それともShikiHさんにとって両者は明らかに違う音なのかな…。(無理にお返事いただくにはおよびません、お騒がせしました。また出典資料を携えて戻ってきたいと思っています。ありがとうございました。) ぎゅうひ 2011年11月11日 (金) 10:24 (UTC)[返信]
ShikiHでございます。同様なことは時々起こります。英語でflyerとflourをどう扱うのかなんかがその例です。音素では/flaɪə/と/flaʊə/ですが、音価はいずれも[fla:ə]となることがあって、1つの音価に2つの音素が対応してしまいます。この場合の処理の1つは気にしない。もう1つはいくらかでも音がちがうだろうから、なんとか書き分ける。この2つがあるようです。さて上記について私は、パウルクレーは[e:]、暗ぇは[ɛ:]と書き分ければいいと思いますが、それが否定され両方[e:]でもしょうがないと考えます。
ご質問に一応答えましたが、上記すべて、私の発言にはひとつも典拠を示していません。全部大間違いなような気がして、不安であり、なんかしったかぶりで恥ずかしくもあります。返事をするに及ばないと言って下さって、大変有り難く存じます。--ShikiH 2011年11月13日 (日) 13:05 (UTC)[返信]

ShikiHでございます。この議論はそもそも、「甘ぇ」のような発音に対して/ameH/という音素を設定すべしとのご意見に対し、わたくしが/amai/の異音であると言ったことから始まったものです。さて、今度はぎゅうひさんに、こちらから質問いたします。東京方言の当該発音を/ameH/とした場合、形容詞の活用をどのようにとらえますか? 語幹は「あm」なのかあるいは「あ」だけかもしれません。「暗ぇ」と「黒ぇ」は異なる活用をする形容詞なんでしょうか。学校文法だけが国文法ではないので、学校文法の範囲でうまく説明できなくてもかまいませんが、何かしらの方式でうまく説明されなければなりません。ご教示ください。--ShikiH会話) 2012年3月3日 (土) 16:17 (UTC) ちょっと修正--ShikiH会話2012年3月4日 (日) 03:06 (UTC)[返信]

ご無沙汰しております。このところ Wikipedia に関わる時間もほとんどとれません。出典を調べて云々というのも何か遠いことのように思えてきてしまいました…。まあいずれ暇な時も来るさとのんびり待つ気持ちでいます。
さてお問合せの件ですが、私の理解ではこんなことなのではないかと思っています:
低レベル ────→ 高レベル
形態論レベル 音素レベル 音声レベル
あめぇ(標準語の「甘い」) ama-ι /ameh/ [ame:]
くれぇ(標準語の「暗い」) kura-ι /kureh/ [kɯre:]
くれぇ(標準語の「黒い」) kuro-ι /kureh/ [kɯre:]
クレー(パウル・クレー) (kureh) /kureh/ [kɯre:]
ここで ι は単独で発音されることのない「終止形/連体形化要素」みたいなものとします。 標準語ではなくあくまでも東京方言についてとし、「あまい」「くらい」「くろい」という語形は存在せず「あめぇ」「くれぇ」のみが存在すると仮定しています(したがって「異音」という概念もそぐわないということになります)。 形態論→音素間に変換規則を導入しないといけませんが、音素→音声間の一対一対応関係を失うよりはいいと思うのですが…いかがでしょうか。
実は私は形態論などには疎く、とくに正確な用語が身についていないものできちんと述べることができません。 したがってその程度のことでしかないのですが、それでもそれなりにこのような下部構造を想定していた気がします。 ご考察をいただければ幸いです。
いま気づいたのですが、この節の標題でお名前を間違えていましたね…たいへん失礼いたしました(拝) 修正させていただきました。 どうぞ今後ともよろしくお願いいたします。ぎゅうひ会話2012年3月10日 (土) 19:23 (UTC)[返信]
(追記)音素→音声間の一対一対応関係は基本だと考えます。たとえば「枯れ木」 [kareki] と「瓦礫」 [gareki] は語頭子音のみが違うことからミニマルペアが成立すると捉え、そこから /k//g/ の分立が導かれるわけですが、もし「音素が違っても音形は同じ」という事象を許すとなると、「枯れ木の i と瓦礫の i は実は違う音素なのかもしれない」といった可能性が無数に生じ、ミニマルペアの考え方、ひいては音素というものを措定する意味自体が失われてしまいませんか? 音素というのはあくまでも「話者がどのように語音を知覚しているか」の抽出なのであって、そこを見失ってはいけないと思います。 ぎゅうひ会話2012年3月11日 (日) 01:48 (UTC)[返信]
ShikiHでございます。まず音素について。語の実際の発音は様々であり、極端に言えば全く同じように発音されることは二度とないものです。音韻論ではそのような中から音素を措定します。いろいろな可能性が無数に生じるから音素の措定に意味があるのです。ぎゅうひさんのおっしゃるとおりに、音素と音声が一対一に対応すればどんなに便利かとは思いますが、そううまくはいかない。「否」と「矢」の発音はどれほど違うでしょうか。たくさんの例を調べれば、かなりが重なっていると思われます。それでもなお前者は/ija/であり後者は/ja/なんでしょう。話者は異なる語を発している心づもりだと考えます。
次に形容詞の活用ですが、学校文法での説明は放棄なさったようです。どちらのレベルが高レベルで低レベルなのかはわかりませんが、形態素を導入することで説明するのはかまいません。ただし、若干驚いています。「ネクタイです」の発音に、日本語では閉音節はありえないという意見、すなわち既存の学説から演繹的に結論を導く人が、「い」で言い切らない形容詞を認めたわけですから。--ShikiH会話2012年3月11日 (日) 11:19 (UTC)[返信]
さて、言語的真実について長々と述べるのは私の知識と能力を超え、またこのページの目的外利用との指摘もありましょうから、私のウィキペディアの記事の編集方針を述べて、この件は終わりたいと思います。
  1. 音素と音価が一対一に対応すべきかどうか、また実際そうなっているかについてはこれ以上触れない。
  2. 方言などの発音について述べるときは仮名とかローマ字を適宜使い、音素については触れない。
  3. 音素を設定することによって音声以外の文法体系に影響があるかどうかについては、これを論じない。
  4. 東京方言の「甘」を含む形容詞には[amai]がある。基本形が/amai/か/ameH/かにかかわらず、[amai], [ame:]というふたつの自由異音がある。
このようにして、終結したいと存じます。--ShikiH会話2012年3月11日 (日) 14:44 (UTC)[返信]

蠅を「はい」と読むのは東京方言か?

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ShikiHでございます。現在の記事には関連項目に蠅座があって、これをかつて「はい座」としたのは東京方言による訛である旨の記述がありますが、「はい」が東京方言であるかどうかは疑問です。東京方言では「え」と「い」の混同はまれであること、日本国語大辞典(小学館)に「室町時代以降「はい」の形が現われ、口頭語としては「はい」が優勢であった。」と記述してあることからして、江戸・東京方言の形成よりも前に中央語で「はい」のかたちがあったと思われます。本文の東京方言起源説は要出典とします。--ShikiH会話2012年7月4日 (水) 10:08 (UTC)[返信]

(追記)起源はそのようであったとしても、たとえば明治頃、他の地域では「はい」の発音が滅んで「はえ」なっていたならば、「はい」は東京方言とも言いうると思います。調べてみたいので出典をご提示下さい。なお、ノート:蠅帳にも書いたとおり、{蠅帳」は通常「はいちょう」とよみます。よって近年まで「はい」の発音があったことはほぼ確実です。蠅帳の実物が滅んだのでこの言葉を口にすることがなくなり、古い発音が保存されているのかもしれません。--ShikiH会話2012年7月5日 (木) 10:16 (UTC)[返信]

記事「はえ座」に追加されたとおり、出典は、原恵 『星座の文化史』〈玉川選書147〉玉川大学出版部、1982年、115頁 なんですが、東京方言の該当箇所が数分前に削除されて出典を示せなくなりました。奥附頁によると原恵の専門分野は賛美歌学だそうです。--ShikiH会話2012年7月20日 (金) 08:52 (UTC)[返信]