ノート:松川事件
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話題
[編集]実行犯として一旦は死刑判決まで受けた佐藤一の著書『松本清張の陰謀』が、全く無視されてるのはなぜ?----以上の署名のないコメントは、153.176.92.59(会話/Whois)さんが 2018年2月5日(月)09:41 に投稿したものです。
広津和郎に係る記述
[編集]広津和郎に係る加筆については、本記事でなく、当該人物の項で書くべきではないでしょうか。少なくとも経過の項において記載する内容ではないと思います。--4th protocol(会話) 2021年7月6日 (火) 11:44 (UTC)
広津和郎の裁判批判は松川事件の裁判の経過に関する重要な要素であり、これについて詳しく書くことは必要だと思います。広津らの批判を雑音だと切り捨てた最高裁長官の田中耕太郎は、高裁への差し戻し判決を出した大法廷判決で、上告棄却を求める少数意見の判断を示しており、裁判批判がなければ有罪判決が確定していた可能性があります。
この記事の旧版では、裁判の経過で、広津らが判決を批判したことが事実として記述されていたのですが、2021年4月29日に、その部分に次のような変更加筆が入りました。
主任弁護人であった弁護士の岡林辰雄(1904年-1990年。日本共産党員)は『赤旗』1950年(昭和25年)3月15日号に「主戦場は法廷の外」という論文を発表し、法廷ではデッチあげであることが毎日立証されているのに、新聞やラジオではまるで有罪が立証されたかのような報道がなされている、ならばこちらも大衆の中へ入ることが大切だ、という趣旨の主張を展開した。この「主戦場は法廷の外」は松川裁判闘争のスローガンとなった。
このような動きのなかで、作家の広津和郎が中央公論で無罪論を展開した。また宇野浩二、吉川英治、川端康成、志賀直哉、武者小路実篤、松本清張、佐多稲子、壺井栄ら作家・知識人の支援運動が起こり、世論の関心も高まった。
これは、かなり危険な修正加筆であり、広津らの裁判批判が日本共産党の戦略に踊らされたものであるという印象を導く操作のように見えます。赤旗紙の論文の引用も適切であるかどうか疑問です。元に戻すことも考えましたが、出典が示されているので、引用の妥当性についての議論はかなり難しいものになると思います。
しかし、広津らの裁判批判が赤旗や共産による扇動に乗ったものではないという可能性を示す反対の文献からの記述は、中立的な観点を維持するために必要だと思います。以上のような理由で、4th protocolさんの意見には同意できません。--Sfwu(会話) 2021年7月13日 (火) 08:36 (UTC)