ノート:柏木由紀子
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ここは記事「柏木由紀子」の改善を目的とした議論用ノートページです。 |
この項目では存命人物を扱っているため、公式方針である存命人物の伝記を厳守する必要があります。訴訟になりそうな記述については、出典が明記されていなかったり、信頼性に乏しい情報源を出典としている場合、直ちに除去しなければなりません。{{要出典}}や{{要検証}}などのタグを貼るなどして記述の出典を求める行為は、このケースにおいては間違った対応です。そのような記述を残したままにしないでください。名誉毀損のおそれのある記述については特にこれが強く当てはまります。 |
話題
[編集]写真と記事による確認のため客観的な内容を記載しているのに意図的に削除する場合は、根拠を示してくださいな。 『羽田孜元首相の「桐花大綬章」受章を祝う会に出席し、元首相に花束を贈ったことが確認される。(平成25年12月19日開催:外部リンク参照)』 これは事実です。
何か削除する理由があれば明確に示してください。 2週間以内に示せない場合は、根拠がないものとします。
産経新聞の記事により
--ぐれ猫(会話) 2014年1月9日 (木) 04:51 (UTC)
- まず、当ノートがあまりにも見辛い体裁になっておりましたので次に差分を示すことで修正させていただきます。
- さて、この記述を除去した根拠についてですが、Wikipediaの方針のなかにWikipedia:ウィキペディアは何ではないか#ウィキペディアは情報を無差別に収集する場ではありませんというものがあります。そこでは、「たとえ検証可能であったとしてもウィキペディアの記事はあらゆる細部に至るまですべて包括する詳細な解説は必要ない」と書かれています。これに照らすと、「昔の政治家のお祝いに花束を手向けたこと」は一女優の経歴として特筆に値しないとの判断からです。ちなみに出典提示の手法も誤っておりますのでくわしくはWikipedia:出典を明記するも一度ご覧ください。--据え膳(会話) 2014年1月11日 (土) 20:17 (UTC)
- 差分に関しては感謝します。ただ、少し理解できない点があります。
- ・・・「たとえ検証可能であったとしてもウィキペディアの記事はあらゆる細部に至るまですべて包括する詳細な解説は必要ない」から削除した、ということはわかりましたが、何を持って『細部』というのかは、ある程度執筆者の主観が入り、個々の執筆者をなるべく尊重すべきです。例えば、板野友美さんという芸能人さんがベストジーニスト賞を受賞したということは、いままで未記入でしたが、私は記載すべきとしてこれを入れました。柏木さんにとって、有名政治家の受賞の祝いにかけつける行動を『細部』と言えるかどうかは、主観であると同時に客観でもあります。こういう活動は、その芸能人がその政治家にとって重要(あるいはファン)であることを示す貴重な事実でもあります。それを削除するのは、その芸能人の個性を否定することにつながりませんか?出典提示の方法、に関しては、Wikiで通常使われているものの一つを採用しました。詳しくは『羽田孜(元首相)』の編集部分をご覧ください。出典提示の方法にも個性が多少はあるようです。なお、女優さんのワークとライフについて・・・--ぐれ猫(会話) 2014年1月13日 (月) 17:58 (UTC)
- 諸事情ありましてお返事遅れました。すみません。まず、板野友美自身がベストジーニスト賞を受賞したことと、柏木由紀子が他人の受賞祝いにかけつけたこととを同等に扱うのは少し無理があると思います。板野自身の受賞暦は一定の権威ある賞であるならば文句なしで特筆性はあります。一方、柏木についてですが、付与された出典を見てもぐれ猫さんが上述されたような『その芸能人がその政治家にとって重要(あるいはファン)であることを示す貴重な事実』ということは読み取れません。ただ、柏木が羽田に花束を渡したという事実が述べられているに過ぎず、柏木がなぜ羽田の受賞祝いに駆けつけたのかというところまでは触れられていません。柏木が羽田の支持者なのか、はたまた羽田が柏木のファンなのかもこの記事からは読み取れません。次に、ぐれ猫さんが上でおっしゃった編集者の『主観』とか『個性』についてですが、私はこれらが何を置いても優先されるべきだとは思いません。Wikipediaは百科事典ですので、偏った意見や編集者の『主観』や『個性』など必要とはされておりません。上で私が指摘した出典の示し方や書式など、ある程度は統一せねばなりません。Wikipediaには書式についての方針やガイドラインも多く示されております。「これが俺の『個性』だ!!」と言わんばかりに独特な文体で加筆してしまうと記事内の整合性が崩れてその加筆部だけが浮きます。ぐれ猫さんが加筆された羽田孜を拝見させていただきましたが、前後の文と見比べても統一感に欠けます。たとえば、柏木由紀子「さん」とされていますが、通常は百科事典では敬称は略します。前後を見ても、ほかの人物の記事を見ても「さん」は使われていません。会場の説明の挿入法も独特で、桐花大綬章の内部リンクの貼り付けも、ひとつ前の文にもう貼られているので2回目以降は省略するのが通例となっています。まだ編集に慣れていらっしゃらないようなので無理もありませんが、一度、記事をじっくりお読みになったり、ご自身の会話ページの冒頭にある「ウィキペディア日本語版へようこそ!」をじっくりお読みになられることをお勧めします。私も慣れていなかった頃は不躾な抗議をしてほかのベテラン編集者さんたちを困らせてしまったこともありました。ぐれ猫さんは各所のノートページなどで積極的に議論なさっているのをお見かけしますが、慣れないうちはあまり強気に出られないほうがご自身の身のためかなとも思います。徐々に慣れていってWikipediaのコミュニティに馴染んで行っていただければと思います。--据え膳(会話) 2014年1月28日 (火) 18:37 (UTC)
- 今回の問題は、活動履歴に関するものです。多少読みづらいかもしれませんが、ファンというのは板野氏に関するもので、柏木氏に関するものではありません。また、個性云々というのは、最初のWikiの最初の執筆者によって、その内容が影響される点です。Wikiでは、なるべく前回までの記述を尊重することが求められています。また、来歴の方法でも、①細かく書くもの②略歴のみを記述するもの、などがあります。そのことを述べたかっただけです。私の来歴の記述の考えは、柏木さん自身の活動が少ない部分があり、最近の活動歴として記述させていただいたわけです。据え膳さんの考えは、活動が有名なもののみを限定して記述、という考えのようですね。その点が違うと考えております。・・・なお、板野友美さんのページでも、ベストジーニスト賞の受賞に対しての彼女のコメントで、①詳しく書く人(私)②簡単に書く人③削除した人、の3パターンがありました。それについて触れたにすぎません。前述の「さん」づけについては、お詫びし修正させていただきます。柏木氏の内容に関して、文全体の印象から『細かく書くべきでない』というお話であれば、それは理解いたしました。ただし、前述をどうするかは、少し検討させていただきます。また、ベテラン編集者の方にも敬意はなるべく払う必要はあります。しかし、多少の編集に関して、守るべきものと守る必要がないものをベテランは明確に分けないといけないと思います。今、Wiki自体の力は弱まっているといえます。その理由は、新規内容が作成されないからです。新規ページや書き込みがなくなれば、Wiki自体は信用を失い、消滅します。(まあ、新しいシステムが生まれ、そちらに流れるのかもしれませんが)ただそれだけだといえるでしょう。まあ、それは、時代が決めるのでしょうが。 --ぐれ猫(会話) 2014年1月29日 (水) 14:25 (UTC)
- いきなり否定して申し訳ありませんが、『活動履歴』に今回の「お祝い駆けつけ」を記すのはやはり不適切かと思われます。おそらくは「女優・柏木由紀子」としての「仕事」のようなことではなく、「柏木由紀子・個人」として花束を渡したのではないでしょうか?だとすれば記事内「来歴」節ではなく、次の「エピソード」節なら花束を渡した事実のみであれば記載されていても問題はないかと思われます。「エピソード」節への記載復帰なら私は反対いたしません。ただし、体裁は違和感の無いよう修正いただきたく思います。もし不自然な点があれば私のほうでも修正させていただきます。上述なさっているWikipedia自体に関するご意見についてはぐれ猫さんのご持論であると受け止めるに留め、私からそれに対してコメントすることは控えさせていただきます。--据え膳(会話) 2014年1月29日 (水) 14:53 (UTC)
- エピソード対応、了解しました。個人か女優かは情報からはわかりかねますが、掲載OKでOKというのは理解しました。もしおかしければ修正お願いします。なお、その後、好き嫌いなどが消されているようですので、『引用元がわかれば』引用をつけて復活されてはどうでしょうか?私も、機会があれば調べます。 --ぐれ猫(会話) 2014年1月29日 (水) 15:54 (UTC)
- このたび除去された部分は私個人的にも瑣末かと考えますので記載の復帰を私自身が行うことは無いかと思います。 --据え膳(会話) 2014年1月29日 (水) 16:11 (UTC)