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ノート:欠史十代

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欠史十代とは耳慣れぬ言葉ですが、どういう立場の方が使っているのか、ご教示ください。 --忠太 2005年3月27日 (日) 14:15 (UTC)[返信]

  • 欠史八代を編集した際にこちらの記事を認識しその後多少探してみましたが「欠史十代」という用語が使用されている例を全く確認できず(Wikipediaのコピー記事といくつかのBlog記事を除く)、こちらの記事の削除依頼を出したいと思います。もし学術的な用例が存在するならば提示いただければ幸いです。--TEN会話2022年8月28日 (日) 02:15 (UTC)[返信]
    • 情報 この記事の初版作成(2003年9月9日)よりも古い用例がいくつか見つかりましたので報告します。調べ方は (1) Google Booksで「"欠史十代"」をフレーズ検索し、(2) 検索結果の中からプレビューやスニペット表示にこの語が出ているものや、スニペットがなくてもページ番号までヒットしたもののうち、資料としての価値が高そうで2003年9月9日以前に出版されたものを選び出し、(3) それらを実際に図書館で確認する、という手順です。
      1. 菅野雅雄『古事記系譜の研究』桜楓社、1970年11月。doi:10.11501/12272351  / 250頁(章立てで言うと「前編 概観的考察 > 第三章 下巻記載の『亦名』 > 第四節 継体天皇条」)に以下の記述。「憶測をたくましゅうすれば、下巻後半の欠史十代は中巻初めの欠史八代と共に系譜関係記事のみの記載であるけれども、いずれは系譜に対して、何らかの物語が加わる筈ではなかったろうかと言えるのであって、」(下線強調は引用者)
      2. 尾畑喜一郎 編『古事記事典』桜楓社、1988年9月。ISBN 4-273-02258-3  / 189頁の「沼名倉太玉敷命」(=敏達天皇)の項に以下の記述。「敏達朝は、では仁賢天皇以下帝紀的資料のみで旧辞的伝承を欠くいわゆる『欠史十代』の一。」(太字の略語は原文通り、下線強調は引用者)
      3. 西宮一民『古事記の研究』おうふう、1993年10月。doi:10.11501/3098562ISBN 4-273-02748-8  / 91頁(章立てで言うと「1 成立の部 > Ⅰ 序文篇 > 第三章 太安萬侶の撰進の考察 > 第二節 書名と構成 > 二、『古事記』の構成について」)に以下の記述。「下巻の後半は、仁賢記以降推古記までの十代で、皇統譜ばかりである。そしてこの十代は、中巻の綏靖記以降開化記までの、所謂『欠史八代』とは異なつて、いくらでも記事が書ける時代に相当する。それなのに、準じて言へば『欠史十代』風に記してある。」(旧仮名遣いは原文通り、下線強調は引用者)
    • 報告は以上です。上記のうち3.は「仮に名付けるならば欠史十代とでも呼ぼうか」というニュアンスのようなので用例としてはあまり適切ではないかも知れませんが、1.と2.は既存の用語として使っているように読めます。◆日本古代史は私にとっては分野違いで、この記事の存否をどうすべきかは判断できませんが、ご参考まで。--侵入者ウィリアム会話2022年9月3日 (土) 09:27 (UTC)[返信]
      • 返信 ありがとうございます!随分古い用例があるのですね。直近の日本史学で全く使用されない用語であることに間違いないので、特筆性という点を考えると極めてマイナーな用語であることに変わりはないので削除で大過ないとは思いますが、引用部から考えると1960~70年代の文献を漁れば当時の論説の中での使われ方は把握できるかもしれないので、百科事典的な発展が見込めないということはないのかもしれません。記事を残存させるなら、実際にどのような文脈で使われていたか、という説明の記事にして実用例への導線を作る感じでしょうか。--TEN会話2022年9月4日 (日) 12:26 (UTC)[返信]
        • 情報 上記2.の尾畑喜一郎編『古事記事典』で「欠史十代」は独立した見出し語にはなっていません。この『古事記事典』で仁賢天皇から推古天皇までの十代の天皇の項目を確認したところ、「欠史十代」という言葉が出てくるのは上記用例で挙げた敏達天皇の項目だけでした。--侵入者ウィリアム会話2022年9月15日 (木) 01:26 (UTC)[返信]
          • 返信 ありがとうございます。私の方では「欠史十代」の用例を新たに見つけることは出来ていないのですが、一応関連性の高い記述としては以下を見つけました。
          • 矢嶋泉『古事記の歴史意識』吉川弘文館、2008年9月。ISBN 978-4-642-05660-1  pp. 93-94 「このうち綏靖から開化に至る八代については(中略)一般に〈欠史八代〉と呼ばれてきたことは周知のごとくである。〈欠史〉とは歴史的内実を欠くという意味であるから、これを『古事記』に即して単純化すれば、物語的要素=歴史として捉えられてきたことを意味する。こうした捉え方は物語的要素に関心を集中させてきた研究史のありように共通するところをもつが、その問題性は〈欠史〉が中下巻の六割を超えてしまう点にすでに明らかである。しかも最後の十代は〈欠史〉のまま終わるのだから、ほとんど歴史の体裁をなしていないことにならないだろうか。」(強調は引用者)
          • 「欠史十代」という用語こそ使っていませんが、説明している内容は本記事の主題と近しいものだと思います。個人的には「欠史十代」というのは上記の書籍の説明から、それ自体が独立した学術的概念として存在するのではなく『古事記』の記述スタイルの特徴の1つとして言及されるものなのではないかという風に思って来ています。上で見つけていただいた出典の記述も「欠史十代」の天皇についての解説ではなくて、「『古事記』の記述」についての解説になっています。ですので、欠史十代というのは(もし書くならば)独立した記事よりは古事記に書くのが適切なように感じます。--TEN会話2022年9月15日 (木) 14:50 (UTC)[返信]