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ノート:湊ヒロム

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削除依頼

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報告 蒼海牧菜会話 / 投稿記録 / 記録さんの2009年8月13日 (木) 12:00 (UTC)の初版により、ある企業に在籍する人物が犯罪行為を行ったとする記述が行われました。しかし、現時点までに具体的な出典等も一切提示されておらず、「削除の方針」のケースB「他者の名誉等を傷つけ、結果的に名誉毀損罪・侮辱罪・信用毀損罪などに問われる可能性のあるもの」に該当する虞があるため、削除依頼を提出しました。--Nnkrkrhhdi 2009年8月14日 (金) 03:10 (UTC)[返信]

  • (コメント)見出しの箇所を修正しました。 削除依頼について異を唱える気はありませんが、問題とされた箇所の修正案について以下に提示しますのでよろしくお願いします。この案で問題が無ければ、削除後にローカルルールに基づく合意を明示したうえで再投稿したいと思います。
(ここから)
以後、ゲームの原画やライトノベルの挿画を中心に活動していたが2006年後半より自身のブログで私生活上のトラブルについての言及が目立つようになる。そうした私生活の状況と比例するかのようにイラストも荒れたものになり[1]、同年末に一時活動休止を宣言した。その後、2007年3月に活動再開を宣言するが、その直後の5月に本人のサイト上で訃報が掲載された。

  1. ^ 「ソラにウサギがのぼるころ」第4巻(最終巻)の挿画が特に顕著とされる。
(ここまで)

--あおみまきな 2009年8月14日 (金) 19:11 (UTC)[返信]

自身のブログの私生活上のトラブルに関する出典はありますでしょうか? ブログ自体が今はないようなので、少し調べたのですが確認が出来ませんでした。
「比例するかのように」という独自研究の文章に示された脚注の文章もまた独自研究なのではないかと思うのですが、「顕著とされる」と言う出典はあるのでしょうか?--海獺 2009年8月14日 (金) 19:50 (UTC)[返信]
  • 編集プロダクション・JCNのサイトに訃報が掲載されているのを確認しました。「伝え聞くところによると、昨年後半に精神的に深い傷を負い、絵師としてのお仕事もままならない状態となったとのことですが」とあり、ソースの一つにはなるはずです。4巻のイラストが荒れていることに関してはamazonの書評などで多少、触れられていますがさらに精度の高いソース(新聞・雑誌に掲載されたレベルの書評)が必要ならば引き続き探すつもりです。 --あおみまきな 2009年8月14日 (金) 20:04 (UTC)[返信]
  • 現在、用意可能な範囲のソースでの再修正案を提示します。
(ここから)
以後、ゲームの原画やライトノベルの挿画を中心に活動していたが2006年後半に私生活上のトラブルを抱え[1]、この時期に刊行された「ソラにウサギがのぼるころ」第4巻の挿画に対しては不自然な荒れを指摘する意見が散見された。同年末に一時活動休止を宣言した後、2007年3月に活動再開を宣言するが、その直後の5月に本人のサイト上で死去が報告された。享年30歳(満29歳没)。

  1. ^ 編集プロダクション・JCNが公表した追悼文に「昨年後半に精神的に深い傷を負い」と述べられている。
(ここまで)
「不自然な荒れを指摘する意見が散見」に関しては個人ブログで一時ソースたる画像を提示したうえで指摘しているものが複数有り、いずれも一時ソースとして脚注に使用するのは不適のため割愛しますが「ごく少人数が騒いでいただけ」のような現象であったか否かの判断は、各自に委ねます。 --あおみまきな 2009年8月14日 (金) 21:38 (UTC)[返信]
出典が提示され非常に具体的になり良くなったと思います。ただ、「不自然な荒れを指摘する意見が散見」については、明確な出典が見つかってからの加筆でも良いのではないでしょうか? 画像比較がウィキペディア上で行えないのが残念なところです(「アニマライト」というサイトのレビューや、個人のブログでは、確かに蒼海牧菜さんがおっしゃっているような「荒れ」を指摘する意見が確認できますね)。--海獺 2009年8月15日 (土) 10:53 (UTC)[返信]
ご意見ありがとうございます。絵の荒れについて類似のケースを調べたところ「マカロニほうれん荘」では「原稿を仕上げる気力が失われ、きわめて雑な絵柄、マジックインキで書きなぐった背景など、その質に問題があるためではないかと考えられている」(「消えたマンガ家」収録インタビューに言及)、また「HUNTER×HUNTER」では「本誌掲載時にはネームに近いラフ画で、背景もほとんど無い状態で掲載されることが頻繁に発生した」と(掲載誌が事実上の一次ソースであるため)脚注無しの事例がありました。上記の再修正案に関して言えば「ソラにウサギがのぼるころ」4巻が一次ソースと成り得るので、細部の修正はあれど方向性としては再修正案に沿って削除後に再投稿したいと思います。 --あおみまきな 2009年8月15日 (土) 11:44 (UTC)[返信]
コメント 蒼海牧菜会話 / 投稿記録 / 記録さんご提示の文案を拝見しました。この文章でしたら、削除依頼の必要性は特に感じられませんので、問題ないように思います。ただ、海獺会話 / 投稿記録 / 記録さんが「私生活上のトラブルに関する出典はありますでしょうか」と指摘しているように、トラブル関連について記述するなら出典を提示するのが望ましいと思います。今回ご提示の出典を拝見したところ、トラブルの時期については記載がありますが、トラブルの具体的な内容については触れられていません。したがって、「私生活上のトラブル」なのか否か(たとえば「仕事上のトラブル」なのか)は判別できないと思います。「2006年後半に私生活上のトラブルを抱え」との記述は「2006年後半にトラブルを抱え」あたりにとどめておく方がよいのではないでしょうか。--Nnkrkrhhdi 2009年8月15日 (土) 16:26 (UTC)[返信]
Wayback Machineより本人のブログ記事を発掘しました12。2の一部に削除された箇所がありますが、コメント欄では該当箇所を含む引用があります。なお、記載内容についてはコメントを差し控えます。 --あおみまきな 2009年8月15日 (土) 17:47 (UTC)[返信]
個人的な意見ですが、トラブルなどについては書かないほうがいいのではないかと思いました。その事柄によってのみ記憶されるイラストレイターだと受け取られてしまうような項目になってしまうのではないかという懸念からです。--海獺 2009年8月15日 (土) 18:19 (UTC)[返信]
その点に関しては、活動休止と言う重大事項に関わることであり全く言及が無いのは却って不自然であり、また「その事柄によってのみ記憶されるイラストレイターだと受け取られてしまうような項目になってしまう」にならないようにする為には記述を避けるのでなく、前述のインタビュー記事を中心に資料を補完して該当箇所に関する記述の全体的な分量を少なくすることで対処すべきであろうと思います。手許に資料がある訳ではないので時間を要しますが、例えば「TECH GIAN」2005年10月号掲載のインタビュー(参考)で「美人原画家」と評されていたことなどはエピソードとして記載に耐え得るでしょう。 --あおみまきな 2009年8月15日 (土) 18:42 (UTC)[返信]
非常に建設的な代案が短い期間で出ていますが、現在削除依頼の対象となっている記述については、現在どのように思っていらっしゃるのですか?--海獺 2009年8月16日 (日) 13:08 (UTC)[返信]
  • (インデント戻し) 万障を排する意味で、初版からの削除には賛成です。従って、提案から1週間を経ずとも初版投稿者の同意を以て削除していただいても何ら異を唱えるものではなく、また不用意な記述によりご遺族や関係者一同に対して迷惑を掛けた事実が有るならば謹んでお詫びを申し上げます。従いまして、後に一旦、問題を解消したうえでの上記の修正案等は削除後の再投稿に関して述べているものと解釈いただければ幸いです。 --あおみまきな 2009年8月16日 (日) 13:52 (UTC)[返信]

再作成報告

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報告 削除に際しての議論を基に再度、立項しましたのでご確認願います。また、今後の編集に際して以下のローカルルールを定めることをを提示します。

  • 2006年後半の「私生活上のトラブル」に関しては、一次ソースの無い状態で詳述しないこと。

-- あおみまきな 2009年8月17日 (月) 11:39 (UTC)署名忘れのため追記: 2009年8月17日 (月) 12:14 (UTC)[返信]

ローカルルールもなにもないと思います。存命中の方、もしくは、直近で亡くなった方の場合、名誉毀損等の可能性があるような書き込みは、慎重な対処が求められており、ソースがない記述は原則的に書かないのがルールのはずです。ローカルどころかうぃきぺでぃあ全体に適用されているルールのはずです。以前の記事はなぜ削除対象になったのか、うぃきぺでぃあの執筆ルールにはどのようなものがあるのか、まずはそれらを理解することからはじめてはいかがでしょうか? あなたがそれらを十分に理解したと判断してから、記事を執筆してはいかがですか。人生は長いですし、記事は逃げませんので、執筆をあせる必要はないと思います。がんばってください。--以上の署名のないコメントは、202.213.132.207会話/Whois)さんが 2009年8月18日 (火) 02:33 (UTC) に投稿したものです(Nnkrkrhhdiによる付記)。[返信]
質問 すみません、再度ご指摘したいのですが、蒼海牧菜会話 / 投稿記録 / 記録さんが提示するソースには「昨年後半に精神的に深い傷を負い」との記述はありますが、私生活でトラブルを抱えていたとは一言も言及されておりません。上でも書いたように「私生活上のトラブル」なのか否か(たとえば「仕事上のトラブル」なのか)は判別できませんよね。なぜ「2006年後半に私生活上のトラブルを抱え」と断言できるのでしょうか? その根拠は何ですか? 蒼海牧菜会話 / 投稿記録 / 記録さんが提示するソースを参照するなら、「2006年後半にトラブルを抱え」あたりが妥当ではないでしょうか。もしくは、私生活でトラブルを抱えていたことを示すソースを、きちんと脚注として示すべきでしょう。なぜ、ソースの内容を改変してご自身の意見を交えた文章を記述するのか、理解に苦しみます。記述するなら参考にしたソースを示すべきですし、ソースすら示せないことを記述する必要はありません。--Nnkrkrhhdi 2009年8月19日 (水) 04:39 (UTC)[返信]
先に提示した本人のブログの記述を基に「私生活上のトラブル」であると判断しました。Wayback Machineから発掘されたこれらの一次ソースを記事中で紹介することは賛否が分かれると思われ、削除依頼が提出された経緯から判断する限りどちらかと言えば否とする意見が多いのではないかと思ったので提示しておりません。記載内容については詳述せず、飽くまで「私生活上」を確定させる為に必要なのであれば脚注で挙げれば良いはずです。 --あおみまきな 2009年8月19日 (水) 13:09 (UTC)[返信]
コメント つまり、蒼海牧菜会話 / 投稿記録 / 記録さんが「私生活上」と執筆した際は、記事の脚注で提示したソースを参考にしたのではなく、記事で一切提示していないソースを参考にして書いたということですか? そのような虚偽の脚注なら提示する意味がないでしょう。記述するなら参考にしたソースを示すべきですし、ソースすら示せないことを記述する必要はありません。このソースが出典として相応しいかは否かは別として、記事に載せるのが憚られるからといって、それを理由に全く関係ないソースを代わりに提示して執筆したら、検証可能性が満たせなくなるでしょう。そもそも、本文に提示できないようなソースなら、それを基にした執筆など認められないでしょう。たとえば、「Wikipedia:検証可能性」に出典には望ましくない例が幾つか載っていますが、蒼海牧菜会話 / 投稿記録 / 記録さんの主張が仮に認められるとすると、この規定は意味を成さなくなると思いますが、いかがですか。
「このソースは出典としては相応しくないと言われました。だから、記事にソースを書くことができません。なので、ソースを参考にはしましたが、出典元を隠蔽して記事を書きました」という理屈は絶対に通らないと思います。このような「蒼海牧菜方式」(ごめんなさい、長文になってしまうので便宜的にあえてこのように表現しました)が成立するのであれば、どんなソースでもOKということになりますから、もはや何でもありになってしまうでしょう。--Nnkrkrhhdi 2009年8月19日 (水) 14:44 (UTC)[返信]
質問記載内容については詳述せず、飽くまで「私生活上」を確定させる為に必要なのであれば脚注で挙げれば良いはずです」という文章の意味がよくわからないのですが、ごれはどのような意図なのでしょうか。「脚注で挙げれば良いはずです」と仰っていますが、蒼海牧菜会話 / 投稿記録 / 記録さんは「『私生活上』を確定させる為に必要な」ソースを今まで一度たりとも脚注に挙げていませんよね。--Nnkrkrhhdi 2009年8月19日 (水) 14:44 (UTC)[返信]
貴殿が当該ソースの記述についてどのように評価しておられるのかが明らかでない以上、その質問には回答しかねます。 --あおみまきな 2009年8月19日 (水) 15:19 (UTC)[返信]
質問 このソースへの評価と私の質問に対する回答とは何ら関係ないと思いますが、なぜ回答できないのでしょうか。
No. 出典元 トラブルの内容が
「私生活上」であるといえるのか
蒼海牧菜さんが
脚注として表記したか
1 ジェイ・シー・エヌ様のコメント ×
2 湊氏のブログ ×
ソースについての議論は、上記のとおりかと存じます。蒼海牧菜会話 / 投稿記録 / 記録さんは「記載内容については詳述せず、飽くまで「私生活上」を確定させる為に必要なのであれば脚注で挙げれば良いはずです」と主張しています。「脚注で挙げれば良いはずです」と主張しているにもかかわらず、蒼海牧菜会話 / 投稿記録 / 記録さんは「『私生活上』を確定させる為に必要な」はずのソースNo.2を今まで一度も脚注に挙げていませんよね。だから、この文章はどういう意味なのか、蒼海牧菜会話 / 投稿記録 / 記録さんにお伺いしているだけなのですが。--Nnkrkrhhdi 2009年8月19日 (水) 17:43 (UTC)表の文言、二重鍵括弧修正。--Nnkrkrhhdi 2009年8月19日 (水) 17:51 (UTC)[返信]
  • (インデント戻し)日本語版Wikipediaでは犯罪者・犯罪被害者の実名記載を一部の例外を除いて厳禁としており、反対意見も有るものの解禁に向けたコンセンサスが得られているとは言い難い状態です。今回の事例では本人がブログで性犯罪の被害に遭ったことを公表していたため例外が適用されるかも知れませんが、性犯罪被害の実態について本分中で詳述することとリンクを張ることが読者によっては「同等の行為」と倣される恐れが有る以上、リスクを取ることは避けるべきであると言うのが一旦削除に至るまでの議論を経た現在の見解です。もっとも「私生活上」でなければ別の抽象的な書き方を提示していただいても構いませんが単に「トラブル」では文意が不明瞭に過ぎ、前後の文脈が保てなくなると考えます。「私生活上」を「対人関係」に書き換えても同じ問答を繰り返すだけなのは目に見えているので、何か「○○のトラブル」で「○○」の部分に入る適切な、かつ可能であれば脚注を必要としない冠頭句で「これならば納得する」と言うものがお有りでしたら御提示願います。 --あおみまきな 2009年8月19日 (水) 21:03 (UTC)[返信]
コメント 自分は下記のような文案をご提示しましたが、これでは文意が不明瞭に過ぎますでしょうか……。

以後、BLACK PACKAGE作品の原画やライトノベルの挿画を中心に活動していたが2006年後半にトラブルを抱え、この時期に描いたイラストに対しては顕著な荒れが指摘されるようになった。
(文案のため脚注略、2009年8月17日 (月) 11:41 (UTC)の版を元に)

どうしても「私生活上」もしくは「対人関係」と明記したいのなら、それらが明確にわかるような妥当な出典元を、蒼海牧菜会話 / 投稿記録 / 記録さんが脚注として提示するしかないと思いますよ。提示することができないなら、ソース1に基づき抽象的な書き方をするか、もしくは、残念ですが当該部分は記述不可、ということになるでしょう。「Wikipedia:検証可能性」を読めばわかるように、「出典を示す義務を負うのは、書き加えようとする側」です。蒼海牧菜会話 / 投稿記録 / 記録さんが出典元を脚注として提示できない以上、それに基づく執筆はできないはずです。また、蒼海牧菜会話 / 投稿記録 / 記録さんが脚注として提示できるような出典元を見つけてくれば、それに基づいた執筆ができるはずです。ソース2を脚注として提示することが憚られるというのであれば、それに代わる出典元を提示できない限り、記述自体できないでしょう? 蒼海牧菜方式はウィキペディア日本語版では明確に禁止されていることをご理解ください。
それと、私の質問にどうしても回答いただけないようなので、質問を変えましょうか。
  • ソース1だけでは、私生活でトラブルがあったかどうかは判断できませんよね?
  • 現時点までに、私生活でトラブルがあったと断定できるソースは、一度も脚注に示されていませんよね?
  • 明らかな事実を除き、出典として提示できない記述はできませんよね?
これならyesかnoかでご回答いただけますよね。--Nnkrkrhhdi 2009年8月20日 (木) 09:53 (UTC)[返信]
大仰な表まで作成されて、回答させることが目的にすり代わってしまっているように思えて成らない点は非常に疑問ですがどうしても回答しなければ納得されないと言うことでしたら「Yes」「Yes」です。その点を踏まえて「私生活上の」なり「対人関係の」が不適切ならば「身辺上の」であればJCNの追悼メッセージと矛盾しないと考えますがいかがでしょう。ご了承いただければ記述を修正します。 --あおみまきな 2009年8月20日 (木) 11:41 (UTC)[返信]
ふつうに考えれば「身辺上の」もいらないと思うのです。あおみまきなさんはただの「トラブル」では不適切であり「何か私生活上の問題であったらしい」ことを絶対に記述しなければいけないという明確な根拠をおもちのように思われます。具体的で方針に準拠した理由を提示していただければ「身辺上の」と書き加えることにも賛成しますので提示していただけませんでしょうか。理由の提示がないうちは「身辺上の」と書き加えることに反対しただの「トラブル」と表記するNnkrkrhhdiさんの修正案に賛成させていただきます。--210.231.87.178 2009年8月21日 (金) 02:04 (UTC)[返信]
コメント 蒼海牧菜会話 / 投稿記録 / 記録さん、ご回答ありがとうございました。私生活と断定できる根拠は脚注に提示されておらず、ソース1では根拠として不十分であることに、蒼海牧菜会話 / 投稿記録 / 記録さんの同意が得られたと理解しました。最後の質問には回答いただけませんでしたが、前二者へのご回答を拝見する限り、「私生活上」との表記は無理なことにも同意いただけると思います。さて、蒼海牧菜会話 / 投稿記録 / 記録さんご提示のですが、こちらについても同様です。
  • ソース1だけでは、身辺でトラブルがあったかどうかは判断できませんよね?
  • 現時点までに、身辺でトラブルがあったと断定できるソースは、脚注に示されていませんよね?
この問いに対する回答が、「no」「no」となるのであれば、「身辺上」と記載しても問題ないでしょうね。結局、ソース1の「昨年後半に精神的に深い傷を負い」との表現から「身辺上のトラブルの存在」が読み取れるかどうかがポイントでしょう。蒼海牧菜会話 / 投稿記録 / 記録さんにも同意していただいたとおり、「私生活でのトラブルの存在」を読み取るのは不可能です。しかし、「身辺上」との表現なら「『身の回り』を指す言葉だから、『私生活だけ』とは限らないだろ!」という主張もあり得ると思います。ただ、「身辺上」との表現を目にすると「何か私生活上の問題であったらしい」と捉える方もいらっしゃるでしょう。したがって、私個人としては、積極的に賛成することはできかねますが、前よりは改善された案だと考えます。
とはいいつつも、言葉を濁して、わざわざ誤解を与えかねないような表現にするのは避けねばなりません。IP:210.231.87.178会話 / 投稿記録 / 記録 / Whoisさんが提案されているように、「身辺上」であることが明確に断言できるような出典が見つかるまで、書かないほうがよいのではないでしょうか。
なお、今回の議論では、ウィキペディア日本語版の根幹に関わる重大な論点を孕んでいたように思います。「このソースは出典としては相応しくないと言われました。だから、記事にソースを書くことができません。なので、ソースを参考にはしましたが、出典元を隠蔽して記事を書きました」という理屈が許されるのか否か、といった議論はウィキペディア日本語版の根本に及ぶ話題のように思いました。もっとこの議論への参加者を募る必要があるのかもしれません。--Nnkrkrhhdi 2009年8月21日 (金) 05:43 (UTC)[返信]
報告 念のため、ご意見を募っておきました。議論の錯綜を防ぐため、以降、こちらの節では当記事の文面についての議論に限定し、相応しくないソースの取り扱いについては別節での議論をお願いいたします。--Nnkrkrhhdi 2009年8月21日 (金) 06:21 (UTC)[返信]

このままでは収集が付かないことも事実ですので、JCNのソースに沿った形で抜本的に記述を修正します。

以後、BLACK PACKAGE作品の原画やライトノベルの挿画を中心に活動していたが、2006年後半頃からメンタルヘルスに支障をきたしたことが原因でイラストレーターとしての仕事を継続することが困難になったとされ[脚注/JCN]、この時期に公表されたイラストに対しては顕著な荒れが指摘されていた[脚注/アニマライト]。同年末に一時活動休止を表明した後、2007年3月に活動再開を宣言したがその直後の5月に本人のサイト上で死去が報告された。享年30歳(満29歳没)。

活動休止と再開の時期に関しては、外部リンクから直接参照可能なサイト上に現在も明記されています。 --あおみまきな 2009年8月21日 (金) 16:56 (UTC)[返信]

出典に相応しくないソースの扱いについて

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コメント 執筆時に参照するソースの中には、出典に相応しくないと指摘されるものがあります。それらの取り扱いについて、確認したいと存じます。

出典に相応しくないソースの取り扱いについて、私は今まで「このソースは出典としては相応しくない。だから、記事の脚注や参考文献にこのソースを明記することができない。そのため、このソースを参考にして記事を執筆することはできない」と考えておりました。。しかし、「このソースは出典としては相応しくない。だから、記事の脚注や参考文献にこのソースを明記することができない。そのため、ソースを参考にして記事を執筆したが、脚注や参考文献には明記せず隠蔽して記事を書いた」(以降、提唱者の名を取り、便宜的に蒼海牧菜方式と呼称)との主張を展開する方がいらっしゃいます。

ですが、蒼海牧菜方式を認めてしまうと、記事の脚注や参考文献に提示された出典と、執筆時に実際に参考とした出典との間に差異が発生し、検証可能性を満たすことができなくなると考えます。これは、「Wikipedia:検証可能性」が事実上無効化されることに繋がります。ウィキペディア日本語版は出典の明記や検証可能性を重視すると謳っており、このような主張とは相容れないと考えられます。したがって、ウィキペディア日本語版の現行のルールでは、蒼海牧菜方式は禁止されていると考えますが、皆様はどのようにお考えでしょうか。--Nnkrkrhhdi 2009年8月21日 (金) 06:21 (UTC)[返信]

禁止という解釈で正しいと考えます。Nnkrkrhhdiさんが書かれているように、そもそも書くことの前提条件に、信頼できる情報源が必要なのですから、信頼できる情報源がない状況では書くことは許されません。--Kazusan会話投稿記録 2009年8月21日 (金) 15:07 (UTC)[返信]
コメント依頼見てきました。誰でもわかること以外は検証可能性を満たさないとだめですよね。検証可能性は記載に必要な条件ですから、これを満たさなければ記述には向かない(厳密にはできない)とするしかないでしょう。そんなに書きたかったら「ブログでやれ」とはよく目にします。--アルトクール 2009年8月21日 (金) 15:13 (UTC)[返信]

(コメント) 最初にお願いしたいのですが「蒼海牧菜方式」などと勝手に命名して連呼するのはやめてください。このような個人のハンドル名を用いた固有名詞を連呼して議論の対象とすることは、個人攻撃を目的にしていると取られても仕方の無い行為だと考えます。何か別の呼び方をしたうえでその是非について議論することについては、何ら反対するつもりは有りません。--あおみまきな 2009年8月21日 (金) 16:03 (UTC)[返信]

コメント 手法の名称につきましては、個人攻撃を意図したものでは全くなく、単純に「『このソースは出典としては相応しくない。だから、記事の脚注や参考文献にこのソースを明記することができない。そのため、ソースを参考にして記事を執筆したが、脚注や参考文献には明記せず隠蔽して記事を書いた』という手法」との表記では長過ぎるため便宜的に短く呼称しただけのものです。利用者名を冠した手法は事例が幾つもありますので、そちらも参考にいたしました。一般的には提唱者や先駆者の名前を冠しているようです。もちろん、より相応しい名称等がございましたら、そちらを採用いただければと思います。反対するつもりは毛頭ございません。どなたかの案が採用されればそれに従います。--Nnkrkrhhdi 2009年8月21日 (金) 17:00 (UTC)[返信]
コメントこんにちは。執筆する上で、適切ではない情報源を根拠とした内容を、その情報源を示さずに記述することはできないという理解でよいと思います。この点は、あおみまきなさんにご理解いただきたいと思います。2~3年前から同様の理解をされていた方はいらっしゃいましたし、単純な方針の誤認なのですから、誤認のありように対してアカウント名を含む呼称を用いることは避けていただくようお願いします。--Ks aka 98 2009年8月21日 (金) 17:16 (UTC)[返信]

コメント もう一点、問題提起させていただきたいのですが被害者本人による「性犯罪被害の告白」は、加害者の特定可能性の有無に関わらず「性犯罪に関する記述であること自体」を理由に、不適切なソースとされるべきものなのでしょうか。編集方針に関する誤解や手前勝手な曲解をしていた訳ではなく、そう解釈される恐れがある(その為、脚注として挙げた場合に再度、削除依頼が提出される可能性を否定できない)ことを理由に脚注として提示することが憚られたと言う事情に関してはお察しいただけると幸いに存じます。但し、何ら自己正当化の意図は無く個人名を冠した奇妙な先例を確立することを企図したものでも無いことは言明します。 --あおみまきな 2009年8月21日 (金) 17:39 (UTC)[返信]

(コメント)不適切なソースを使わなければ記述できないなら、最初から記述を見合わせていればよかったのではないでしょうか?事情は察しますが、結局出典提示いただけなければ第三者は検証できないですから、今回の方法は問題があったと考えられます。なんとか方式については便宜上呼ぶだけなら「T方式」とでも呼べば良いんじゃないでしょうか。アルファベットは何入れても良いですが、とりあえずならなんでもいいかと。--アルトクール 2009年8月21日 (金) 18:11 (UTC)[返信]
コメント 「性犯罪被害の告白」などは本人にとってかなりデリケートなことですから、後にソースとしていたブログなどの記述が本人により削除されることもありえます。そうなりますと検証可能性を満たさない記述になるのではないでしょうか。ブログなどが削除されているのにもかかわらず記述し続けることは、Wikipedia:存命人物の伝記#当人はプライバシー尊重を望んでいると推定するなどの観点から問題であると考えます。わたしとしましては、将来的にそうなる可能性を含んでいる以上、新聞報道などがない限りはそのような記述は避けたほうがよいと思います。--長月みどり 2009年8月21日 (金) 18:57 (UTC)[返信]
コメント 今回の場合、ブログが削除されたのは本人の没後に行われた処理(Wayback Machineのログの日付により特定可能)であるため、自分の手で行っていないことが明白である状況証拠より削除が本人の意志でない可能性が高く(仮にそうであったとしても検証不可能)、また存命人物でもないため存命人物を対象とするガイドラインを援用することについては賛否が分かれると思います。当然ながら、没後も一定年数は存命人物に準じて扱うべきであるとの考え方も有りますし、このノートに書き込まれている方の多くもそのように考えていると思われますが、没後何年までと言った明確な線引きが無いため判断に迷うケースの発生は今後も有り得るのではないでしょうか。 --あおみまきな 2009年8月21日 (金) 21:08 (UTC)[返信]
コメント実際にB-2案件に相当するかどうかは別にして、B-2案件となるような場合というのは、ウィキペディアでの記述にB-2となりうる事柄が含まれている、ということです。そのような事柄を書くためには、十分信頼できる情報源が必要。極端な例を挙げるなら、実名を挙げて事実と受け取られるような表現でAはBから性犯罪を受けていたと書くためには、新聞や週刊誌がそう書いていたという程度では足りません。実際には、ウィキペディアの記述が、実名かそうでないか、特定できる要素はあるか、告白なのか、事実なのか、といったところで、どのような表現をとるかによって、必要な情報源の信頼度は変わってきます。ここらへんは、方針だけでなく、A、B双方にとってのプライバシーや名誉毀損絡みの話になります。
今、あおみまきなさんが用いている表現を借りれば、「被害者」ではないはずですよね? ブログの本人は被害者と認識していたとしても、わたしたちはその「性犯罪」とされるものが事実であると信じるに足りるものを持ちません。第三者の判断を通さずに公開できる本人のブログは、そのような意味で、信用できる情報源ではありません。しかし、本人が発信する情報として、本人による「性犯罪被害の告白」は、その当時、「性的嫌がらせの被害にあっていたと認識していて、その内容を告白していた」ということの情報源には使えるかもしれません。
その情報源で「加害者」を特定したり絞り込んだりできるということと、投稿する記述で特定したり絞り込んだりできるということは、異なるものです。絞り込むことができないように表現して、その告白の概要を掲載するという場合でも、情報源は示すことが必要です。憚られるなら、検証可能性の方針に厳密に従う限り、ウィキペディアではそれを情報源として書くことはできない(憚るか、憚らないか、というのはまた別の問題)。
そもそもとしては、その事柄、告白、加害者情報を、百科事典のなかで、その情報源の性質を考慮した上で、書く必要があるか、どうか、というのを考えるところからはじまります。確固とした情報源があっても書く必要がないものもあります。--Ks aka 98 2009年8月21日 (金) 19:34 (UTC)[返信]
コメント 故人のイラストが突然、極端に荒れた状態になった(このことは脚注で示したデータベースに登録されている多くの個人による書評で触れられており、そのような感想を持った読者が一定数存在することは事実として認められる)ことと故人が後日、ブログ上で「性犯罪被害の告白」(カギカッコ付きで記述している点に注意)を行い、それが原因で重度のスランプ状態であったと絵の荒れとの相関関係を(主観的に)認めるソースは事実上、このログしか残っていない状態です。故人のイラストが突如として荒れたことに関しては小説の発売時から話題となっており(この点も前述の書評データベースより検証可能)、故人について記す際にそのことに一切、言及しないことは却って不自然な状態となるのが避けられません(そのことしか書かないのも逆に問題ですが)。その場合、敢えて「不適切な(削除すべき)ソース」と一部の読者が受け止めるリスクを考慮してでもこのソースを脚注として提示する必要があるとお考えなのでしょうか? --あおみまきな 2009年8月21日 (金) 21:08 (UTC)[返信]
コメント そのような場合は、執筆そのものが無理だと思います。
蒼海牧菜会話 / 投稿記録 / 記録さんは、順序が逆なのだと思います。「言及しないことは却って不自然な状態」であることを理由に、執筆することを前提にしたうえで、「リスクを考慮してでもこのソースを脚注として提示する必要がある」のかどうかで悩んでいるようですが(つまり執筆→出典)、その発想がそもそもウィキペディア日本語版と相容れないでしょう。本来、出典があって、初めて記述が認められるはずです(つまり出典→執筆)Kazusan会話 / 投稿記録 / 記録さんが指摘するように、「書くことの前提条件に、信頼できる情報源が必要」なのです。仮に「言及しないことは却って不自然な状態」であったとしても、出典が見つからない以上、執筆は諦めざるを得ないでしょう。
アルトクール会話 / 投稿記録 / 記録さんが「不適切なソースを使わなければ記述できないなら、最初から記述を見合わせていればよかった」と指摘されているように、脚注に表示するのが憚られるソースしかないのであれば、出典が提示できないわけですから、記事に記述することはできません。それに「個人による書評」は出典として認められるのでしょうか? それが認められるなら、Amazon.co.jpのレビューだって出典に使用できることになってしまいそうですが。--Nnkrkrhhdi 2009年8月22日 (土) 00:08 (UTC)[返信]
コメント 個人の書評のソース性についてですが、ここでは作品に対する評価ではなく「イラストが突然、荒れた状態になった」現象に関するまとまった量の証言が閲覧可能であることを理由に援用しているに過ぎません。amazonの書評でも相当数の書評が共通して一つの現象について指摘しているような事例であれば、ソースとして使用することは否定されるべきではないと考えます。これが新聞や雑誌、企業のサイトに掲載された書評で1名のみが述べているような状態の場合、評者の主観に過ぎない可能性を排除し得ず今回のようなケースでは却ってソースとしては不適でしょう。 --あおみまきな 2009年8月22日 (土) 01:15 (UTC)[返信]
コメント敢えて「不適切な(削除すべき)ソース」と一部の読者が受け止めるリスクを考慮してでもこのソースを脚注として提示する必要があると考えます。というか、ウィキペディアのコミュニティが削除するリスクを避けるために、方針に沿わない記述をしているわけですから、認めようがありません。
ただし、「本文中で詳述することとリンクを張ることが同義」なんてことはないです。憚るなら書けない。はばからずに情報源を示して、削除にならないように書くことはできるかもしれない。
書評のほうは別の話。そこそこ名のある雑誌や新聞での一人の書評であれば、「イラストが突然、荒れた状態になった」と、受け取られたことを示す、いちおうの情報源とはなるでしょう。評者の主観であるならば、評者の主観であることを示して、書けばいいのです。「多数のサイト」と比較して、どっちがどうというものではない。--Ks aka 98 2009年8月22日 (土) 05:34 (UTC)[返信]

コメント (中間まとめです。)コメント依頼を提出してから、半週間ほどが経過しました。多数のご意見ありがとうございます。本節冒頭に提示した「T方式の是非」についてですが、蒼海牧菜会話 / 投稿記録 / 記録さんを除く全ての方から認められないとのご意見を戴きました。上記のとおりまだ進行中の議論もございますが、少なくとも「T方式は禁止する」ことについては明確に意見の一致を見たと考えます。ただ、蒼海牧菜会話 / 投稿記録 / 記録さんからは「T方式の禁止」について未だ同意はいただけておりません。何度か質問を試みておりますが、いずれも返答がございません。執筆活動は継続しているようですので、ご覧になっているとは思うのですが……。検証可能性の遵守に対し同意することが難しいのであれば、別途ご相談が必要かもしれません。なお、進行中の議論につきましては、引き続きよろしくお願いいたします。--Nnkrkrhhdi 2009年8月26日 (水) 03:19 (UTC)[返信]

報告 コメント依頼を提出してから、1週間が経過いたしました。Kazusan会話 / 投稿記録 / 記録さん、アルトクール会話 / 投稿記録 / 記録さん、Ks aka 98会話 / 投稿記録 / 記録さん、長月みどり会話 / 投稿記録 / 記録さん、ありがとうございました。一名を除く全ての方々から、「T方式は禁止する」ことで意見が一致いたしました。ですので、念のため、冒頭に注意を促すテンプレートを設置いたしました。なお、前述のとおり、蒼海牧菜会話 / 投稿記録 / 記録さんは「T方式の禁止」について同意されておりません。幾度か問いかけたのですが、いずれも返答がない状況です。質問しても回答を拒否され、質問をyesかnoかで回答できる形式に変更しても出典明記に関する質問にのみ回答をせずコメント依頼を募っても、出典明記に関する賛否は表明せず別の話題を持ち出すという状況です。どうしても「Wikipedia:検証可能性」や「Wikipedia:独自研究は載せない」に同意できないと主張する利用者がいる場合、どうしたらよいのか私にはわかりかねるので、別途ご相談が必要かもしれません。また、進行中の議論につきましては、引き続きよろしくお願いいたします。--Nnkrkrhhdi 2009年8月29日 (土) 09:23 (UTC)[返信]
コメント 議事の進め方に疑問はありますが、同意はします。また、本文の修正案に関しては現状で提示可能なソースの記述に沿った案に対して提案から1週間を経ても特に反対意見が出されていないため、同様に同意が得られたものと解し、直ちに修正を行いました。再度になりますが、今後は個人攻撃を企図したものと取れるような個人アカウントを勝手に使用したレッテル貼りは行わないようお願い申し上げます。 --あおみまきな 2009年8月29日 (土) 11:09 (UTC)[返信]
進行を静観しておりました。Nnkrkrhhdiさんによる利用者の名前を冠した「方式」に対しての蒼海牧菜さんが受ける不快感は最もだと思います。他方、記事の修正はなされましたが、Nnkrkrhhdiさんが継続的に指摘していらっしゃる内容は、この記事が適切な形に修正されたからOKということではなく、「蒼海牧菜さんの議論姿勢および検証可能性などの方針に対する理解と遵守に対する疑問点」ではないかと思っています。ありていにいうと「ほんとにわかってくれたのかな?」という疑問点は残っているような気がします。方式の命名はさておいても、「このソースは出典としては相応しくない。だから、記事の脚注や参考文献にこのソースを明記することができない。そのため、ソースを参考にして記事を執筆したが、脚注や参考文献には明記せず隠蔽して記事を書くようなことは、方針では認められていない」ということをご理解いただけたのかどうかという明確な返答が少なくともこの時点であってよいと思いますし、私も希望します。--海獺 2009年8月29日 (土) 11:34 (UTC)[返信]
コメント その点に関して理解を拒否していると言うことではなく、記事が一旦削除された経緯に鑑み「どのような記載方法ならば許されるのか」を暗中模索せざるを得なかった中で、軽率な行為であったと反省しています。しかしながら、これまで余り議論されて来たことの無い論点である「性犯罪(に相当すると思われる行為)の被害に関する本人の告白」はどの程度まで記述・ソースの参照が許されるのか」「存命でない人物に対してどの程度までプライバシーに配慮すべきか、またWikipedia:存命人物の伝記を援用する場合は没後何年程度までを目処にすべきか」と言った点に関しては今後も継続して議論し、方向性を明示しなければ今後も同様の問題は発生し得るのではないかと思います。 --あおみまきな 2009年8月29日 (土) 11:43 (UTC)[返信]
今挙げていただいたポイントについてですが、WP:LIVINGの適用の話は今回のポイントではメインではないと考えられますし、メインであったとしても加害者だといわれてしまった方に対する配慮のお話での削除依頼による削除だったように思います。また被害を受けたという記述をソースに、そのままあたかもそれが事実であったかのように記述してしまうことについては、検証可能性のお話でご理解いただけていると思ったのですが、今回の返答を読む限り、もしかするとこの二点について全くご理解いただけていないのでしょうか?--海獺 2009年8月29日 (土) 12:19 (UTC)[返信]
その点(加害者と言われた人物への配慮)に関する議論は、前回の削除に同意した時点で終わったものと解しています。ソース秘匿の件でWP:LIVINGを根拠に挙げたのは長月氏であり、それに対して「今回の案件は存命人物ではない」ことを指摘したことに関してはリアクションが無いため現時点では議論の深めようがありません。なお、現在の論点が検証可能性の問題であることに関しては全く異存はありません。 --あおみまきな 2009年8月29日 (土) 12:48 (UTC)[返信]
「性犯罪(に相当すると思われる行為)の被害に関する本人の告白」はどの程度まで記述・ソースの参照が許されるのか」という発言は、関係者への影響の件も含んでいます。つまりWP:LIVINGへの配慮を当然に含みます。また検証可能性にもご理解をいただけていないのではないかと思わせるに充分な発言です。もし理解が出来てないのであれば、現時点では理解が出来ていないとおっしゃっていただければ、「論点」にはなりうるとは思います。「今回の修正前のような記述は、方針では認められていない」という意見が大勢を占めた結果を見れば、「同様の問題が発生する」という懸念は、蒼海牧菜さん自身の理解度に他ならないと思うのですが?--海獺 2009年8月29日 (土) 13:12 (UTC)[返信]
WP:LIVINGについてですが、前回は今後作成される記事のことだと思いましたのであのようなコメントになってしまいました。存命でない人物については、WP:LIVINGを適用するかどうかガイドラインには明記されていませんので、確かにいろいろな考え方があるかもしれません。
わたしとしましては、今回の件では、「性犯罪被害の告白」についての記述はしないほうが望ましいと考えます。理由ですが、
  1. 既にブログが削除されていること。
  2. 公式サイトには「病気」との記述はあるものの、それ以上詳しくはふれられていないこと。
  3. 百科事典の記事としての人物の説明において、このことが重要であるとは思えないこと。
1. と 2. ですが、これは関係者の方が伏せておきたいと考えられているからではないでしょうか。そうだとしますと、関係者の方への配慮も必要になってくるように思います。Wikipedia はもうかなり知られていますから、記述した場合、関係者の方に何らかの影響が及ぶおそれもあります。
3. ですが、湊ヒロムという人物が「性犯罪被害の告白」をしたイラストレーターであること、それが特筆性になってしまうのを危惧しているのです。あおみまきなさんが提案された修正案でも絵がなぜ乱れてきたのかということは説明できていると感じています。--長月みどり 2009年8月29日 (土) 19:01 (UTC)[返信]
コメント 蒼海牧菜会話 / 投稿記録 / 記録さん、ご同意いただきありがとうございます。ただ、今度は海獺会話 / 投稿記録 / 記録さんの問いかけに対し、理解の有無を回答しないというのはまずいのではないでしょうか。相手から質問された場合、回答しつつ自らの意見を述べた方が、よりスムーズな議論が期待できると思います。
それから、「Wikipedia:検証可能性」なども絡む、本節での議論についてですが。蒼海牧菜会話 / 投稿記録 / 記録さんは同種のトラブルの再発を危惧されているようですが、それに対して、海獺会話 / 投稿記録 / 記録さんから「『同様の問題が発生する』という懸念は、蒼海牧菜さん自身の理解度に他ならない」との厳しいご指摘も出ています。その点を踏まえたうえで、ぜひ「Wikipedia:検証可能性」などご留意のうえで執筆いただければと思います。もちろん、Ks aka 98会話 / 投稿記録 / 記録さんからのご指摘にあるように、蒼海牧菜会話 / 投稿記録 / 記録さん以外にも同種の誤解をされている方がいらっしゃるようです。しかし、まずは蒼海牧菜会話 / 投稿記録 / 記録さんにご理解いただかなければ、本節の議論の意味が薄れてしまうように思います。
また、蒼海牧菜会話 / 投稿記録 / 記録さんは、本節で「個人攻撃を企図した(中略)レッテル貼り」だと主張されていますが、以前にも申し上げたとおりそのような意図は毛頭ございませんのでよろしくお願いいたします。--Nnkrkrhhdi 2009年9月5日 (土) 23:46 (UTC)[返信]
コメント 蒼海牧菜会話 / 投稿記録 / 記録さんの最後のコメントから、既に1週間が経過しました。海獺会話 / 投稿記録 / 記録さんからの質問に対し、未だ明確な返答をなさっていません。編集履歴を見る限り、執筆活動は続けているようですので、見ていないというのは考えにくいのですが……。しかも、こちらのノートで「同意はします」と発言したにもかかわらず、いまだに出典を提示せず主観的な執筆を続けているようです。「Wikipedia:検証可能性」にどうしても同意できないのであれば、まず「Wikipedia:検証可能性」など関連するルールの改定を提案し賛同を得たうえで修正するなど、然るべき手順を踏んでから編集してはいかがでしょうか。--Nnkrkrhhdi 2009年9月7日 (月) 05:18 (UTC)[返信]
コメント 蒼海牧菜会話 / 投稿記録 / 記録さんの最後のコメントから、既に2週間が経過しました。活発な執筆を続けているようですが、相変わらず出典すら示さない主観的な編集を繰り返しているようです。一度は「Wikipedia:検証可能性」や「Wikipedia:独自研究は載せない」に従うと約束してくださったはずなのですが、お忘れになってしまったようです。「Wikipedia:検証可能性」や「Wikipedia:独自研究は載せない」は、この記事のみに適用されるのではなく、ウィキペディア日本語版の記事全てに適用されるはずですので、それらを無視した編集は厳に慎んでいただきたいと思います。
Wikipedia:検証可能性」や「Wikipedia:独自研究は載せない」に従うと約束してから、1週間も経たないうちに「沖縄県第4区」でこのような編集をしています。たとえば、「東京都は大阪府より東に位置する」のような明白な事実であれば、出典は不要でしょう。しかし、蒼海牧菜会話 / 投稿記録 / 記録さんの「沖縄県第4区は保守地盤である」という主張は、出典がなければ記載できません。読者が(この記述には根拠があるのか?)と疑問に思ったとしても、出典が明示されていなければ検証することが困難だからです。--Nnkrkrhhdi 2009年9月12日 (土) 14:46 (UTC)[返信]

報告 コメント依頼を提出してから、1ヶ月が経過いたしました。Kazusan会話 / 投稿記録 / 記録さん、アルトクール会話 / 投稿記録 / 記録さん、Ks aka 98会話 / 投稿記録 / 記録さん、長月みどり会話 / 投稿記録 / 記録さん、海獺会話 / 投稿記録 / 記録さん、ご意見を寄せていただきありがとうございました。ここまで全ての方々より「T方式を禁止する」ことにご賛同を戴きました。最後のコメントからお時間が経っていることも踏まえ、「T方式を禁止する」ことで合意したとみなし、本節の議論を締めさせていただければと思います。

なお、「T方式を禁止する」ことに対して、蒼海牧菜会話 / 投稿記録 / 記録さんは「同意はします」と一度は発言したものの、いまだに出典を提示せず主観的な執筆を続けているようです。さらに、海獺会話 / 投稿記録 / 記録さんからの質問に対しても明確な返答をせず、対話を拒否した状態が続いています。今後、蒼海牧菜会話 / 投稿記録 / 記録さんが「Wikipedia:検証可能性」や「Wikipedia:独自研究は載せない」を遵守してくださいますよう、切に望みます。--Nnkrkrhhdi 2009年9月25日 (金) 02:17 (UTC)[返信]