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ノート:琉球競馬

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訂正報告

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とりあえずですが、明らかに問題のあるもの、間違っている部分だけ訂正しました。正誤関係と理由を表にまとめておきます。 出典は全て、梅崎晴光著「消えた琉球競馬:幻の名馬「ヒコーキ」を追いかけて」(ボーダーインク、2012年)からのものなので 表にはページだけ載せておきます。

主要な訂正箇所
訂正前 訂正後 出典ページ 理由
「伝染病予防のための馬場廃止」 琉球競馬衰退の理由になっていないので削除。 pp.50-52.

「消えた琉球競馬」では10箇所以上のかつての馬場についてそれぞれ簡単に説明されているが、 そのうち、コレラが原因で閉鎖されたことが書かれているのは大兼久馬場のみ。しかも、閉鎖の3年後の明治22年には少し離れた名護兼久馬場で競馬が続けられるようになった。馬の生産頭数や馬場の数が明治中期から後半にかけて急増していることが同書で書かれており、この時期の伝染病が沖縄競馬衰退の原因になったとは考えられない。

人々の間で、「ヒコーキマーグワン、コーリヨー」(訳:名馬ヒコーキを買えるぐらい立身出世しなさいよ)と言っていたとするものがあり、ヒコーキの大活躍により、“親から子への教え”にも用いられるようになっていた。 言いすぎなので削除。 p.48.

訂正前の文章の出典(書評サイトの文章が使われている)には確かにこう書かれているが、これは書評した人が言い過ぎている。「ヒコーキを買えるくらい立身出世」云々というのは 「消えた琉球競馬」のp.48に出てくる文章だが、あくまでもインタビューされたある1人が 自身の経験として述べているだけであって、人口に膾炙していたわけではない。 ある人の個人的経験にすぎなかったのなら、百科事典に記述する必要性はない。

競技は現代でいうトーナメント方式で、勝った馬が次の勝負に出場できる 対抗戦方式。 p.29. 訂正前の出典(トランスオーシャン航空のWeb連載記事、書き手は「消えた琉球競馬」と同じ著者)にはトーナメントだと書いてあるのは確か。

しかし、一方で「消えた琉球競馬」には「トーナメント方式ではない」とはっきり書いてある。トランスオーシャン航空のWeb連載記事の後に 「消えた琉球競馬」が出版されていること、後者が、再取材を進めた上で出版された(あとがきにそう書かれている)ことを考慮すると 「トーナメント方式ではない」という方を採用するのが合理的。

首里で行われたトーナメントの決勝戦で優勝した 「シーぬ一番」で島尻のシー馬自動車小に勝った。 pp.29, 36 取り組み方式なので決勝戦というものはない。
平良真地(テーラーマージ) ていーらまーじ p.19. p.19のルビでは「ラー」と語尾を伸ばしてはいない。

p.21に載っている古い地図の表記も「テーラ馬場」で、伸ばしていない。

平良真地(幅12メートル、直線200メートルで西から東に向けて競技する)は王府の直轄馬場となり 数字が不正確。全長2町55(約278メートル)幅十間(約18メートル)。 p.20. 沖縄県統計書からの

ものらしいので信頼できる数字。

ヤドリは屋取の意味である (ただの誤植だと思うけど)ヤドリではなく、ヨドリ。また、ヨドリ=ようどれ=夕暮れ、夕凪ぎ pp.258-260.

訂正前の文章の出典をよく読めば、「ヨドリ=屋取」説が間違っていることがきちんと書かれている。 「ヨドリ=屋取」説は、ボーダーインクの編集の人が推測で言い出したもの。 本人も、間違っているかもしれないけれど、と言っており、あまり根拠のあるものではなかった。 そのような仮定のもとで手を尽くして調査したものの、「ヨドリ与那嶺小のヒコーキ」発見にいたらず。琉球語の研究者から 「ヨドリ=ようどれ=夕暮れ、夕凪ぎ」と指摘されて、浦添ようどれ近辺を調べて、ようやく馬主の末裔に出会った。

屋号「ヨドリ与那嶺小」(ヨナミネグヮー:小(グヮ)は敬称「さん」の意味) 「ヨドリ与那嶺小」は屋号ではない。「与那嶺」の部分が屋号。また、この場合、小は「分家」の意味。 p.260. 「小」については末裔の人がそのように語っている。
ヨウドレ(ヨドリ)の与那嶺 (浦添)ようどれのすぐ目の前に住んでいた与那嶺の分家 p.260. 末裔の人の直話。

なお、蛇足になるかもしれませんけど念のために書いておきます。梅崎晴光が書いたJTA日本トランスオーシャン航空のWeb連載記事「美ら島物語」は、「消えた琉球競馬」のもとになった記事ですが、連載後に再取材を進め、大幅加筆してボーダーインクから出版したのが「消えた琉球競馬」ですので(あとがきにそのように書いてある)、後者の記述の方が正確だと思います。そういうわけなので、Web記事と本とで内容が違う場合は、本の記述を優先した方がよろしかろうということで、上の表のような訂正をしておきます。訂正箇所の元記事にはすべて出典が付いていますが、それらは「消えた琉球競馬」を書評した人のサイトからの文章か、「美ら島物語」からのものです。修正部分に関しては、元記事にあった出典はすべて書籍の「消えた琉球競馬」からの出典に置きかえました。--亜顎十郎会話2013年5月26日 (日) 17:40 (UTC)[返信]

精度テンプレ

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精度テンプレが貼られていますが、確認したところ、記述に間違いが発見できないんですけど。もともと本一冊の内容に対して、精度を貼るのは、物理的に調べるのが困難なため、他者に確認してほしいとは思えないんですけど。万が一、安易にテンプレを貼っているならば、それは他者の貴重な時間を奪うものなので、控えて欲しいです。--Igasyrookofa会話2013年7月31日 (水) 22:52 (UTC)[返信]

梅崎晴光が書いたJTA日本トランスオーシャン航空のWeb連載記事「美ら島物語」は、信頼性に劣ります。梅崎は「消えた琉球競馬」を発表する際に内容を見直しています。ですから「消えた琉球競馬」を出典とし更新することが望ましく、記事の信頼性向上になるのは明らかです。例えば、「馬にムチを振るうと失格になる厳格なルールであった」などと、意味不明な文章があります(ムチは何のために持つのでしょうか)。さて、これは「消えた琉球競馬」ではどう修正されているでしょうか。実際に「消えた琉球競馬」を手にし、確認できるのであればそのくらいは容易にわかると思いますが。--Bellis会話2013年8月1日 (木) 13:43 (UTC)[返信]
靴下ですが、間違い箇所ご存じなのでしたら、Bellisさんが速やかに修正なさればよいかもしれませんが? --おぶあすく会話2013年8月28日 (水) 09:26 (UTC)[返信]
本項を参照される方へ。まず、上でコメントをしている利用者:Igasyrookofaさん、利用者:Ofaskさんはいずれも利用者:Bearparkさんのソックパペットである(Wikipedia:進行中の荒らし行為/長期/Bearpark参照。)としてブロックされています。その利用者:Bearparkさんは本項の初版執筆者であり、本記事が秀逸な記事に選定された際の執筆者でもあります。
私は、Bearparkさんが執筆されたリュウグウノツカイノート:リュウグウノツカイ)で、Bearparkさんと関わっています。その一件を通じて、この方は「実際の文献」にあたることはほとんどないか、全くない、ネットで検索した情報だけをもとに記事を構築する傾向がある、と感じました。
本記事も、『消えた琉球競馬』という2012年に発売されたばかりの容易に入手できる文献があるにも関わらず、この文献にはほとんどあたらず、もっぱらこの文献の書評とか、ネットを通じてこの文献を「また聞き」したような情報源が、出典の大半を占めています。脚注には65件もの出典が示されていますが、このほとんどはネットの情報です。『消えた琉球競馬』の巻末には膨大な参考文献が挙げられているのですが、本記事は、それらの文献にあたった形跡がみられません。たとえば本記事の名馬「ヒコーキ」節には『西原町史』からの引用がありますが、これはまるっと『消えた琉球競馬』p36に引用されている部分でして、たぶん『西原町史』にはあたっていないのでしょう。本文中の当該部分には出典注釈が示されていますが、そこで示されているのはやはりネット上の書評でして、その書評でもこの『西原町史』からの引用が記載されているという有様です。こんな調子で、私の印象としては、リュウグウノツカイと同様、本記事は眉唾だぞという印象が強いです。
そんなことを念頭に置きながら、上で利用者:亜顎十郎さんが指摘した点について、私も『消えた琉球競馬』を読んでみました。
最初の「伝染病予防のための馬場廃止」については、亜顎十郎さんのご指摘通りというほかありません。p52には確かに名護の馬場がコレラをきっかけに「機能の移転をしたという話がある」と紹介されています。しかしまあ、「という話がある」ですよ。p53には、コレラのあと、農地が火事で焼失するということがあり、大飢饉になり、「競馬を楽しむどころではなかった」とあります。これに従えば競馬の消滅の決定打はコレラよりも大飢饉←野火である、という解釈も可能でしょう。一方、p54では大正期に沖縄を不景気が襲い、農家が競走馬を飼育する経済的ゆとりがなくなった(から馬場が廃止された)とあります。ひとまずは検証はここまで。
ほんのさわりの部分を検証しただけですがこんな感じですので、本記事に精度テンプレを貼ることについて、支持します。
Bellisさんへ。ムチの件ですが、日本もそうですし、競馬の発祥地イギリスなどでも、現在は競馬の最中にウマをムチでビシビシすることには、動物愛護の観点から大きな制限があります。叩いていい回数とか。実際に大レースで失格になる事例もあります。「見せムチ」という用語もありまして、よく訓練された競走馬になると、ムチを振るうのではなく、走っている最中にただムチを馬に見せるだけで、「ほらほら、速く走らないとたたいちゃうよー」というメッセージを送る効果があって、実際には叩かなくても勝っちゃう、なんてこともままあります。(もちろん、Bellisさんご指摘の本記事の記述が怪しいかどうか、は全く別問題ですが。)--零細系統保護協会会話2013年10月4日 (金) 14:19 (UTC)[返信]
(追記)たとえば本記事の冒頭には「世界に類を見ない独自の文化」だとあります。この部分そのものには出典が2つ示されていますが、そのうちの1つはネット上の『消えた琉球競馬』の書評なのですが、そこには「世界に類を見ない独自の文化だ」などとは全く書かれていません。せいぜい「世界でも珍しい競馬」とあるだけです。2つ目の出典には一言一句たがわず「世界に類を見ない独自の文化」とあります。とはいえ、この2つ目の、唯一の出典は、「有料のイベントの宣伝ポスター/チラシ」なんですよ。まあ、チラシを打ってるのが公益財団法人ですから、そこらの不動産広告の「問い合わせ殺到!」みたいなものよりはなんとなく信ぴょう性がありそうではありますが・・・。これはWikipedia:信頼できる情報源を満足させる出典なんでしょうかねえ。リュウグウノツカイでもそうでしたが、この記事でも「出典の水増し」が行われている疑いを強めました。
個人的な意見ですが、「速さではなく、美しさを競う」馬事文化として、オリンピックの競技にさえなっている馬術というものがあり、現代ではふつう、この手の競技を「競馬」と呼びません。過去には、「流鏑馬」とか「上げ馬神事」のようなものをひっくるめて「競馬」と言っていた時代があり、これと同様に、琉球でも「競馬」という言葉を使用していたのでしょう。しかし現代ではふつうは流鏑馬は競馬とは言わないし、ふつうに競馬といえば近代式のいわゆるあの競馬を指します。琉球競馬は、現代の用語で表現するならば「琉球馬術」と言ったほうが実態に合うのでしょう。つまり、「世界的に珍しい競馬」というよりは「沖縄で独自に発展してきた馬術」と解釈すれば、「世界でも珍しい競馬」というのはちょっと違うんじゃないかなーと思います。ま、これは個人的な意見なので、「世界でも珍しい競馬だ」という出典があるのであればいいのでしょうけども。まあ、「世界のあちこちでよくある」文化じゃないの?という疑念もあるのですがね。まあ、そこまでこき下ろす気はありません。悪いのは「記事」であって「琉球競馬」ではありませんから。--零細系統保護協会会話2013年10月4日 (金) 14:41 (UTC)[返信]
ここでの議論は、一つの出典を用いていないという問題で「しか」ないようです。古い記事は、新しい記事に書き換えられるべきですが、執筆者には全ての出典を用いる責務はありません。執筆者は一つの説を見つけ出して構築することが求められている「だけ」なのです。また、個人的な意見の表明は方針に乗っ取り相手にすることはありません。--888888会話2013年12月31日 (火) 14:19 (UTC)[返信]