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ノート:用明天皇

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 用明天皇の生年はたしかに不確定ですが、日本書紀の記述だけで、以下の理由により概ね推定することができます。

・554年生まれと明記されていてる推古天皇の、間に2人を置いた同母兄であること。

・堅塩媛の最初の子供であり、下に12人同母弟妹がいて、推古以降たとえ毎年産んだとしても末子の舎人皇女は563年生まれであること。

 ですから、女性の出産年齢を考えると、最も極端なパターンで一番早くて530年代後半(長子を10代半ば、末子を40大半ばに産んだ場合)、一番遅くて551年(全ての子供を毎年産んだ場合)となります。

 よって、540年というのはもちろん推定ですが、最悪の場合でも大きくは外れていない、概ね「このあたり」というものを指し示すものなので、疑問符をつけることでカバーでき、掲載しても問題無いと思われます。

 全くの不明としてしまうと見当をつけることすら叶わず、非常に不便です。

 以上の理由により、540年?という形で掲載したいと思います。

報告 歴史的に確証のない事項をWikipediaで明言して読者の誤解を招くわけには参りませんので、不詳と改めました。こういった事項は近年の歴史研究書籍に則るべきで、一流書籍である『日本古代氏族人名辞典』(吉川弘文館)やコトバンクの各書籍で明記されていないことから、そうすべきと判断されます。--Saigen Jiro会話2014年5月7日 (水) 17:11 (UTC)[返信]

上述の通り、日本書紀の記述からの傍証です。明言しているわけではなく、寧ろ、?を付けることにより確証がないということを明記してあるので、問題ないのはないでしょうか。 どうしても生没年のところに載せられないようでしたら、別項で記述してみるのはいかがでしょうか。 --かえるちゃん会話2014年5月22日 (木) 12:04 (UTC)[返信]

前述のように、信頼性の高い諸書籍で「諸説ある事案(?をつける事案)」ではなくて「記紀に記述がなく一切不明の事案(記載するべきでない事案)」であると判断されていますので、Wikipediaでも後者を採るべきと判断いたしました。記紀には合理的でない文脈は多いですので勝手な解釈は差し控えるべきと思いますが、「傍証」の出典とは何になるのでしょうか。先の諸書籍に匹敵するくらい信頼性の高い書籍で記されているのでしたら一切反対はいたしませんので、お示し頂ければと思います。
加えて「別項で記述」に関してですが、それは用明天皇#即位に示唆されているのでこれで十分と判断されます。こちらについても、出典があるならばさらに記述することに反対いたしません。--Saigen Jiro会話2014年5月22日 (木) 13:13 (UTC)[返信]
御返信が遅くなりまして、大変申し訳ありません。用明天皇#即位への更なる記述にご賛同くださって、ありがとうございます。

国家の正史・第一級資料である日本書紀の記述(推古天皇の生年や同母兄弟姉妹の存在)に合致する享年も、大きく矛盾してしまう享年も同じ扱いで書かれていたので、より分かりやすくするために追記いたしました。 繰り返しになりますが、出典は日本書紀です。宜しく御願い致します。 --かえるちゃん会話2014年7月4日 (金) 09:58 (UTC)[返信]

Wikipedia:信頼できる情報源に「一般に、ウィキペディアの記事は一次資料に基づくべきではなく、むしろ一次資料となる題材を注意深く扱った、信頼できる二次資料に頼るべきです」とある通り、歴史書と言えど「一次資料からの類推」には史料批判を必要とするのがルールですから、歴史家による傍証なのかお尋ねした次第です。今回の記述程度でしたら強くは反対しませんが、Wikipediaの信頼性向上のためにも、単純な事実の記載でなければ二次文献に基づいて編集なさって頂きたいと願います。--Saigen Jiro会話2014年7月4日 (金) 12:44 (UTC)[返信]
ありがとうございます。今後とも宜しく御願い申し上げます。--かえるちゃん会話2014年7月6日 (日) 13:41 (UTC)[返信]