コンテンツにスキップ

英文维基 | 中文维基 | 日文维基 | 草榴社区

ノート:神戸芸能社

ページのコンテンツが他言語でサポートされていません。



出典の明記

[編集]

このページを記述するのに利用した参考文献はあるのでしょうか? 情報元の出典を明記せず個人の経歴に関する部分を掲載する行為はお止め下さい。 「出典」・「情報元」の記述が無き場合、該当部分はコメントアウト処理をします。--Lotitube233 2006年12月11日 (月) 19:17 (UTC)[返信]

代わりに文献書いといたよ。--以上の署名のないコメントは、219.117.192.83会話/Whois)さんが 2006年12月16日(土) 19時31分(JST) に投稿したものです(Yakuによる付記)。

単なる参考文献を並べて頂いても、記載されている内容が中立性に欠け、百科事典的に構成された編集でもなく、興味本位のゴシップ週刊誌レベルですね。単なるデータベース的な記述の列挙では意味がありません。削除審議中の間にテンプレ剥がすと貴方は投稿ブロックの対象になる恐れがあります。審議終了までは勝手に取り除かないで下さい--Lotitube233 2006年12月16日 (土) 11:06 (UTC)[返信]

テンプレートの削除について

[編集]

「記事の正確さ」「中立的な観点」のテンプレートが貼られていますが、削除してよろしいですか?--竜造寺和英 2007年5月13日 (日) 14:47 (UTC)[返信]

ひばりプロダクションの設立日

[編集]

出典について

[編集]
  • 「1958年6月、田岡組長がひばりプロの副社長に就任」と書かれてありますが、飯干晃一『山口組三代目 1 野望篇』徳間書店<文庫>、1982年、ISBN-19-597344-9のP.102~P.103には、「美空ひばりが「神戸芸能社」の専属となったのは、昭和三十三年四月である。ひばりは、二十一歳であった。この時を期して、田岡一雄は「神戸芸能社」を正式に発足させ、同時に株式会社「ひばりプロダクション」の副社長となったのである」と書かれています。「ひばりプロダクション」設立は、1958年4月ではないのでしょうか?検証可能な出典の明示をお願いします。また、美空ひばりの記事では、「1958年8月」となっています。--竜造寺和英 2007年5月13日 (日) 14:52 (UTC)[返信]
溝口敦『血と抗争 山口組三代目』(講談社〈講談社+α文庫〉、1998年ISBN 4-06-256298-7)p.235には「田岡が神戸芸能を株式会社として発足させた二ヵ月後の三十三年六月、株式会社ひばりプロダクションが設立され、田岡はその副社長に就任した。」と記されています。―Yaku 2007年5月16日(水) 01:27 (UTC)〔2007年5月16日(水) 10時27分(JST)〕
Yakuさん、こんばんは。、飯干晃一『山口組三代目 1 野望篇』徳間書店<文庫>、1982年、ISBN-19-597344-9のP.102~P.103での「同時に」と云うのは「それとともに」と云う意味なのですかね。--竜造寺和英 2007年5月18日 (金) 16:24 (UTC)[返信]

既にあるページをウィキペディアルールを無視して勝手に消したり、統合してはいけません

[編集]

神戸芸能社とはまったく別のページ(田岡一雄)のノートで提案して自分一人で決定して、消してはいけません。下記のページを全てよく読んでルールに従ってウィキペディアに参加してください。ルールに従わず同様なことを続ければ悪質な悪戯行為となります。

Wikipedia:削除の方針#削除対象になるもの

Wikipedia:ページの分割と統合 --兇状旅 2008年10月6日 (月) 10:40 (UTC)[返信]

それはおかしな解釈です。Wikipedia:統合提案にはきちんと議論場所を明示しています。それに、統合提案のテンプレートをきちんと神戸芸能社の記事に張っていました。神戸芸能社の記事を見れば、統合提案がされているのは一目瞭然でした。Wikipedia:ページの分割と統合のルールで定められた手順どおりにやっています。--獅子の鬣 2008年10月6日 (月) 10:42 (UTC)[返信]
神戸芸能社の記事にも、このようにきちんと統合の議論を告知するテンプレートを張っています。Wikipedia:ページの分割と統合のルールで定められた手順どおりにやっています。Wikipedia:ページの分割と統合をご覧ください。--獅子の鬣 2008年10月6日 (月) 10:46 (UTC)[返信]
編集合戦の状態になったため、保護をかけました。統合が妥当か否か、改めて話し合ってください。--Bellcricket 2008年10月7日 (火) 09:16 (UTC)[返信]

神戸芸能社の記事を独立させる意味があるのか

[編集]

ノート:田岡一雄からの議論の続きです。神戸芸能社の社長は、田岡一雄です(厳密に言えば、田岡一雄の企業舎弟)。従って、神戸芸能社の記事に書かれる内容は、全て田岡一雄の記事にも書かれなければいけません(だって、最終的な判断は全て田岡一雄が行っていたから)。従って、2つの記事に重複する記述が大量に出てきます。これでは、今後神戸芸能社に関することを加筆修正する際には、田岡一雄の記事と神戸芸能社の記事を両方加筆修正しなければならず大変に非効率です。次に、神戸芸能社の会社としての著名性・特筆性が問題です。「果たして、このレベルの会社を、田岡一雄の記事から独立させる必要があるのか」という問題です。神戸芸能社には、著名性・特筆性はなく、田岡一雄の記事に書かれているだけで十分だと思います。まずは、記事の存続から議論したいと思います。削除について反論が全くなければ、削除依頼を出そうと思いますが、如何でしょうか?(あくまでも記事の削除に反対する意見という意味です。利用者:Bellcricketさんのノート:田岡一雄における反論は「議論の方法」に関する反論です。利用者:Bellcricketさんは神戸芸能社の記事存続を明言してはいません)--獅子の鬣 2008年10月7日 (火) 20:49 (UTC)[返信]

それから、削除依頼に出す前に、出典をトコトン調べて、出典に載っていない記述を全部削除しましょう。Wikipedia:検証可能性#方針には、「2.記事に新しい内容を加筆するときは、信頼できる情報源―出典(参考文献)―を明らかにすべきです。出典が明示されていない編集は、誰でも取り除くことができます(出典のない記述は除去されても文句は言えません)」と書かれています。出典に載っていない記述がいっぱいあります。まずは、神戸芸能社の記事から真実と確認できない記述(つまり、出典に載ってない記述)を全部削除します。そして、真実のみの記事となった状態で、削除依頼を出すことを提案します。--獅子の鬣 2008年10月8日 (水) 09:29 (UTC)[返信]
まず、神戸芸能社の記事には、神戸芸能社と全く関係のない記述がたくさんあります。ひばりプロダクション日本プロレスジャパン・トレードなどは完全に別会社です。神戸芸能社に書くべき内容ではありません。このような記述を全部削除して、さらに、すでに挙げられている参考文献に書かれていない記述を神戸芸能社の記事から削除すれば、実質的に神戸芸能社の記事は7行ほどの記事になります。このレベルではスタブ未満の記事となりますし、存続させておく必要性もありません。しかし、田岡一雄の記事も膨れ上がってきております。それに、田岡一雄の記事にも、美空ひばりの記事にも重複して書かれている記述も大量にあります。これでは、今後田岡一雄の記事も美空ひばりの記事も加筆修正していかなければならず、大変な無駄が生じます。それで、以下のような流れで田岡一雄の記事と神戸芸能社の記事や美空ひばりの記事を修正することを提案します。
①まず、田岡一雄の記事から「田岡一雄の芸能界進出」の記述を独立させます。当然、本来神戸芸能社に書くべき記述(検証可能な出典に書かれている記述のみ。残りは削除されなければいけない記述です)は、この「田岡一雄の芸能界進出」の記事に全部書かれています。
②次に、「田岡一雄の芸能界進出」の記事の一部となってしまう神戸芸能社の記事は削除。同じ内容の記述が複数の記事に存在すると、今後加筆修正する際に大変な無駄が生じます。記述は可能な限り1つにまとめるべきです。
③最後に、美空ひばりなどの記事の中にある「田岡一雄の芸能界進出」の記述を全部削除して、「田岡一雄の芸能界進出」の記事へのリンクを貼る。
④今後、田岡一雄と関連ある芸能界に関する記述は、「田岡一雄の芸能界進出」の記事にのみ書く。また、みんなで、検証可能な出典のない加筆が行われないかをチェックし、そのような記述に気が付いたらみんなで削除する。
ヤクザ芸能人の関係は大変にナイーブな問題ですので、検証可能な出典を提示できないような記述は全部削除すべきです。特に反論がなければ、この流れで進めようと思います。みんなさん如何でしょうか?--KING OF ZIPANGU 2008年10月10日 (金) 12:56 (UTC)[返信]
「田岡一雄の芸能界進出」を分割することは全然考え付きませんでした。私の意見をさらに進めた、大変うまい方法だと思います。感服しました。大賛成です。--獅子の鬣 2008年10月10日 (金) 13:46 (UTC)[返信]
  • 神戸芸能社の記事の独立に賛成します。有名な神戸芸能社を削除して「~の芸能界進出」というような表題の記事を独立させるのは前代未聞で、もはや辞書ではなくなってしまいます。そんなばかげた行為よりも田岡一雄の異常に読みづらい長文を辞書らしく簡潔にすることが先決でしょう。--すこやか 2008年10月21日 (火) 08:32 (UTC)[返信]
    • それは逆ですよ。分割することにより、田岡一雄の記事が大幅に削除されて読みやすくなります。『「~の芸能界進出」というような表題で独立させるのは前代未聞』とありますが、別に山口組四代目跡目問題山口組五代目跡目問題の例もあります。これらの記事も反対なく分割されています。猪野健治『三代目山口組 田岡一雄ノート』筑摩書房<ちくま文庫>、2000年、ISBN 4-480-03600-8で、猪野健治氏は第3章に「芸能・興行界への道」という章を興し、ここに「田岡一雄の芸能界進出」をまとめた構成にしてあります。猪野健治氏もわざわざ独立した章立てを行っているので、独立させて解説したほうがわかりやすいと判断したのでしょうし、独立させるだけの価値があると判断したのでしょう。この猪野健治氏のスタイルに合わせるわけです。--獅子の鬣 2008年10月21日 (火) 08:44 (UTC)[返信]
      • さらに、この猪野健治『三代目山口組 田岡一雄ノート』筑摩書房<ちくま文庫>、2000年、ISBN 4-480-03600-8で、猪野健治氏は第2章に「神戸港からの出発」という章を興し、ここに「田岡一雄の神戸港進出」をまとめた構成にしてあります。これも猪野健治氏のスタイルに従って独立させればいいのです。もっともっと記事が削除されて読みやすくなりますよ。利用者:すこやかさんの主張も結局は「長すぎるから読みにくい」ということですよね。ですから、ノート:神戸芸能社の議論でも「記事を分割して分量を減らそう」という流れで合意がなされたのです。だからこそ、「神戸芸能社田岡一雄に統合する」という私の最初の主張が消えてなくなったのです。--獅子の鬣 2008年10月21日 (火) 08:44 (UTC)[返信]
「ミートパペット」による合意は無効です。johncapistrano 2008年10月22日 (水) 07:46 (UTC)[返信]

神戸芸能社の出典について

[編集]

神戸芸能社に参考文献として飯干晃一『山口組三代目1野望編』徳間書店、1970年と飯干晃一『山口組三代目2怒涛編』 徳間書店、1971年と田岡一雄『田岡一雄自伝 -- 山口組三代目 迅雷篇』 徳間書店、1985年と猪野健治『三代目山口組』 筑摩書房、2000年と竹中労『完本 美空ひばり』 筑摩書房、2005年が挙がっています。しかし、これらの参考文献の中に「この事件以降、山口組の機嫌を損ねるとひどい目にあうという恐怖を芸能界興行界に定着させた」や「 1964年度の神戸芸能社の興行収益は1億3千万円を超えた。これは1958年度の6倍であった」や「1971年、田岡組長の息子田岡満が芸能事務所ジャパン・トレードを設立」などの多くの記述が見当たりません。具体的には、どの文献の何ページに書かれているのでしょうか?ご返答を宜しくお願いします。--獅子の鬣 2008年10月10日 (金) 14:07 (UTC)[返信]

引用でない文章がそのまま載ってたら著作権侵害でしょう。文章の除去はまだ分かりますが、記述を見つけられないことが文献を除去する理由にはなりません。johncapistrano 2008年10月22日 (水) 07:46 (UTC)[返信]
違いますよ。私は竹中労『完本 美空ひばり』 筑摩書房、2005年、4-480-42088-6もちゃんと持っています。その証拠を示します。P.18の最初の文字は「と」です。P.258の最初の文字は「だ」です。また、飯干晃一『山口組三代目 2怒涛篇』徳間書店<徳間文庫>、1982年、ISBN 4-19-597345-7も持っていますよ。P.108の最初の文字は「矢」です。本を持たないのに「何ページに書かれていますか」と訊ねても意味がありません。「何ページです」と答えられても、確認できないからです。--獅子の鬣 2008年10月22日 (水) 08:07 (UTC)[返信]
それが参考文献にならない根拠にはなりません。johncapistrano 2008年10月22日 (水) 08:10 (UTC)[返信]
神戸芸能社のことを書いてない本でも参考文献に挙げられるのならば、何でも参考文献になってしまいますよ。極端な話、溝口敦『山口組ドキュメント 五代目山口組』三一書房、1990年、ISBN 4-380-90223-4を書いても良いことになります。その考えを推し進めていけば、全ての本を参考文献に書いていいことになります。ですから、あくまでも参考文献は執筆の際に参考にした文献を書くべきです。神戸芸能社のことが書かれていないのならば、執筆の際に参考にしたわけではないので、参考文献にはならないと思います。--獅子の鬣 2008年10月22日 (水) 08:17 (UTC)[返信]

田岡一雄神戸芸能社設立前に美空ひばりの興行権を握っていたのか

[編集]

溝口敦『山口組ドキュメント 血と抗争』三一書房、1985年、ISBN 4-380-85236-9のP.196には「東京以西の歌謡曲の興行利権を一手におさめていた」と書かれてあります。田岡一雄は、神戸芸能社設立後も、東京より西の興行権を収めただけだと思いますが、如何でしょうか?--獅子の鬣 2008年10月22日 (水) 08:56 (UTC)[返信]

ならそのように修正すればいいでしょう。johncapistrano 2008年10月22日 (水) 09:02 (UTC)[返信]
話はそんなに簡単ではありません。利用者:johncapistranoさんは、猪野健治『山口組の研究』双葉社 1982年を参考文献として「ひばりの他に……興行権を握った」と書かれています。これは、溝口敦『山口組ドキュメント 血と抗争』三一書房、1985年、ISBN 4-380-85236-9のP.196と記述と明らかに矛盾します。ですが、今の段階ではどちらが正しいとも言えません。私も猪野健治氏の著作も読んでおり、溝口敦氏の著作も読んでおります。お二人とも実によく調べていらっしゃると思います。利用者:johncapistranoにお願いがあります。参考文献の猪野健治『山口組の研究』双葉社 1982年をもう一度確認し、本当にご自身の加筆に間違いがないのか確認してください。もし、差し支えなければ、猪野健治『山口組の研究』双葉社 1982年のISBNコードを教えていただけませんか?--獅子の鬣 2008年10月22日 (水) 09:18 (UTC)[返信]
もう一点質問です。「田端義夫、高田浩吉、里見浩太朗、 山城新伍、北条きく子らの興行権を握った」と5人の名前が挙がっていますが、同じ著者の『三代目山口組 田岡一雄ノート』筑摩書房、2000年、ISBN 4-480-03600-8のP.110には3人の名前しか挙がっていません。つまり、同じ著者が矛盾する記述をしていることになります。これはどちらが正しいのでしょうか?--獅子の鬣 2008年10月22日 (水) 09:31 (UTC)[返信]
看板が複数あった可能性もあるし、神戸芸能社が関わったことのあるタレントの全てを記載した文章もないだろうと思われ、言及する毎に一々名簿を掲載するようなこともしないでしょう。文脈次第で3人やら5人の代表例を挙げただけでしょう。johncapistrano 2008年10月22日 (水) 09:44 (UTC)[返信]
まあ、、猪野健治『山口組の研究 日本最大の広域組織の内幕』双葉社 1982年を購入してから、前後の文章を見て判断します。ところで、『山口組の研究 日本最大の広域組織の内幕』は280ページもあって読むのが大変です。利用者:johncapistranoの加筆部分が、『山口組の研究 日本最大の広域組織の内幕』の何ページに書かれているのかだけ教えてください。手間が省けますので。宜しくお願いします。--獅子の鬣 2008年10月22日 (水) 10:01 (UTC)[返信]

p.39にもっと名前が載っています。johncapistrano 2008年10月22日 (水) 13:12 (UTC)[返信]

参考文献の削除について

[編集]

執筆の際の参考になっていない文献を削除しました。ご了承ください。--獅子の鬣 2008年10月23日 (木) 07:10 (UTC)[返信]

神戸芸能社には神戸芸能社のことを書いてください

[編集]

神戸芸能社は昭和33年(1957年)4月1日に設立です。それ以前のことは神戸芸能社とは関係のないことですよ。神戸芸能社には神戸芸能社のことを書いてください。--KING OF ZIPANGU 2008年10月26日 (日) 15:17 (UTC)[返信]

美空ひばり所属

[編集]

正直、なんでこんなことで編集合戦が起きてしまうのか。バカらしくなります。
美空ひばりが所属していたということはこの記事にとって最重要の情報であり、真っ先に書かれるべき事柄です。重複記述だからどうしたというのは理由にも何にもなっていません。所属していたということで「有名」、という記述に関してもWikipedia:削除依頼/神戸芸能社20081025でシャルルさんがおっしゃっているように美空ひばりが有名で無いとでも言うつもりですか?全くいい加減にしてください。--らりた 2008年11月9日 (日) 13:11 (UTC)[返信]

上に同意。そもそも重要な事柄は多少重複しても構わないと思います。「有名」という表現はさておき、冒頭に「美空ひばりが所属していた芸能事務所である」ことを書くのは構わないでしょう。222.148.19.124 2008年11月9日 (日) 13:46 (UTC)[返信]
有名という表現方法については上にIP氏が書いたような表現の方がより良いと思いますけどね。項を改めて今後の編集方法について意見をまとめていきましょうか。--シャルル 2008年11月10日 (月) 08:50 (UTC)[返信]
利用者:らりたさんの主張には、論理的な飛躍があると思います。それをきちんと証明します。利用者:らりたさんの主張の中に「美空ひばりが有名で無いとでも言うつもりですか」とあります。従って、利用者:らりたさんの主張の根幹は「美空ひばりが神戸芸能社に所属していたことは無名ではない。だから、有名だ」という点だと思います。つまり、らりたさんの主張は「世間の認知度は、『有名』か『無名』の2つしかない」ということです。実は、この部分に論理の飛躍があるのです。「有名」とは世間の認知度が高い状態のことです。『辞林21』のP.2086には「広く知られていること。名高いこと」と書かれています。一方「無名」とは世間の認知度が低いことです。では、ここで「有名」でも「無名」でもない中間的な認知度(所謂普通の認知度)を考え、取り合えずそれを「普通」と表現しましょう。すると、「『美空ひばりが神戸芸能社に所属していたこと』の認知度が「普通」ではなく「有名」である」とする根拠は何なのでしょうか?私の考えでは、認知度は「有名」ではなく「普通」だと思います。そりゃ、教科書に載っているような事項ならば「有名」と呼べるでしょう。しかし、神戸芸能社は教科書などには載っていません。こう考えると、『「無名」でないならば「有名」である』とは必ずしも言えません。『「無名」でないならば認知度は「普通」かもしくは「有名」』としか言えないのです。逆に、『「有名」でないならば「無名」である』とは必ずしも言えません。『「有名」でないならば認知度は「普通」かもしくは「無名」である』としか言えないのです。もちろん、私は世間の認知度を「有名」「普通」「無名」に分けましたが、これとて正しいかどうか分かりません。だって、「有名」「やや有名」「普通」「やや無名」「無名」の5段階に分けたほうが正しいのかも知れないのです。その場合、神戸芸能社の認知度はどうなるのでしょうか?私は「やや無名」と思いますが、如何でしょうか?「有名」とするのならば、その論拠は何なのでしょうか?誤解がないように書きますが、私は『世間の認知度を「有名」「普通」「無名」の3段階に分けろ』とか『世間の認知度を「有名」「やや有名」「普通」「やや無名」「無名」の5段階に分けろ』と言っているのではありません。『世間の認知度が「有名」と「無名」の2段階しかないとする論拠は何なのか?』と質しているのです。この部分が実はきちんと証明されていないのです。だから、この部分に論理の飛躍があるわけです。--獅子の鬣 2008年11月10日 (月) 14:33 (UTC)[返信]
別の視点からアプローチしたいと思います。Wikipedia:検証可能性#方針には「記事には、信頼できる情報源が公表・出版している内容だけを書くべきです」と明記されています。つまり、これは「信頼できる情報源に書かれていないことは書いてはいけない」ということです。 さて、ここで「美空ひばりが所属していた」という文章と「美空ひばりが所属していたことで有名」という文章を加筆するとしましょう。この2つの文章は厳密な意味で異なる内容です。「美空ひばりが所属していた」という文章は、加筆出来るのか?私の答えは「出来る」です。だって、猪野健治『山口組の研究』双葉社、1982年のP.39に「美空ひばりが所属していた」という内容が書かれているのです。では、「美空ひばりが所属していたことで有名」という文章はどうでしょうか?実は、、猪野健治『山口組の研究』双葉社、1982年には「有名」とまでは書かれていないのです。つまり、、「美空ひばりが所属していたことで有名」という文章は出典に載っていない内容なのです。だから、「有名」とまでは書けないはずです。もしも、「有名」という部分まで加筆したいのであれば、そう書かれている検証可能な出典を明示すべきです。私が「要出典」のテンプレを貼ったのは、このような意味からです。--獅子の鬣 2008年11月10日 (月) 14:33 (UTC)[返信]
検証可能性の独自解釈の開陳は結構です。利用者‐会話:竜造寺和英/過去での主張と全く変わりありませんね。『山口組の研究』でも「美空ひばりをはじめ」とある様にひばりが筆頭に挙げられる存在である旨記述されています。一字一句違わず同じ表現があるというのは出典ではなく著作権侵害です。いい加減にして下さい。johncapistrano 2008年11月10日 (月) 15:41 (UTC)[返信]
「美空ひばりをはじめ」ということと「美空ひばりが所属していたことで有名」とは別の内容です。「美空ひばりをはじめ」とは神戸芸能社が扱った人物の中では「美空ひばりが代表的」というだけであって、「神戸芸能社が所属していたことで有名」とは全くの別内容です。上記に書いたように、「有名」というところまで書きたいのであれば、「有名」と書かれた検証可能な出典を明示すべきだと思います。--獅子の鬣 2008年11月10日 (月) 15:47 (UTC)[返信]


下らない屁理屈は止めなさい。私としては「美空ひばりが所属していた」のみで構いません。重複だから削除などといった行為をしなければ編集合戦にはなりませんでした。これ以降は私は手を出しません。--らりた 2008年11月12日 (水) 12:56 (UTC)[返信]

屁理屈ではありません。利用者:らりたさんの主張に論理的な欠陥があるのは、上できちんと証明しています。きちんと証明がなされたものは、もはや屁理屈なのではありません。きちんとした理屈です。さらに、下記において、「神戸芸能社は本質的に暴力団である」ことをきちんと明示しています。暴力団の記事ならば、ノート:田岡一雄#Wikipedia:表記ガイドに沿って、表記してくださいにおいて取り決められたこと(「記述の重複は極力避ける」という基本方針)を遵守してください。--獅子の鬣 2008年11月12日 (水) 22:10 (UTC)[返信]
神戸芸能社が本質的に暴力団であろうがなかろうが、10月25日の削除依頼で『神戸芸能社』は暴力団関連としてだけではなく美空ひばり関連の興行会社としての特筆性を認め存続としたのがコミュニティの合意です。暴力団関連の内容に特化したいのであれば『神戸芸能社』を転記分割した後に暴力団記事として編集してください。『神戸芸能社』と『暴力団の芸能興行』に分離発展させりゃいいんです。今の段階では記述の重複が大きいでしょうが編集によって別物に発展していくでしょう。あと、分割後にはこの『神戸芸能社』は4月時点の記事に差し戻して出典を確認していくでしょうから、重複も若干解消されるんじゃないですかね。--シャルル 2008年11月12日 (水) 23:46 (UTC)[返信]
それは利用者:シャルルさんの誤解だと思います。「神戸芸能社の美空ひばり関連の興行会社としての特筆性を認め存続」となったわけではありません。あくまでも、「神戸芸能社の著名性・特筆性は認められる」というのがコミュニティの合意です。全員が「美空ひばり関連の興行会社としての特筆性がある」と主張しているわけではありません。例えば、利用者:Talin.N.C.Tさんは、Googleの検索結果を論拠としています。つまり、きちんとみんなが合意したレベルは、あくまでも「神戸芸能社はある程度有名だから」となっているはずです。--獅子の鬣 2008年11月13日 (木) 00:03 (UTC)[返信]
獅子の鬣さんがしたいのはこの『神戸芸能社』の記事を改名して暴力団の記事に特化したいってことですよね。『神戸芸能社』=『暴力団の舎弟企業』ってことですから。であれば、先の私の提案どおり、とりあえず自分で『田岡一雄の芸能界進出』って記事をつくればよろしいのでは?その後、貴方の作った記事が『神戸芸能社』を内包できるのであればその時に統合提案だしてみてはいかがでしょう。この記事を弄る事はさらなるもめ事の原因となります。一旦お引きになられた方がよろしいかと。--シャルル 2008年11月13日 (木) 01:34 (UTC)[返信]
利用者:シャルルさんの仰るとおりです。私の本来の目的は、田岡一雄の記事から『田岡一雄の芸能界進出』の部分を分割することです(つまり、田岡一雄の記事を読みやすくすることです)。神戸芸能社の記事など『田岡一雄の芸能界進出』の中のほんの数行に過ぎません。『田岡一雄の芸能界進出』の分割が終了して、神戸芸能社の統合が適切だと判断すれば、その後、『田岡一雄の芸能界進出』と神戸芸能社との統合提案をします。統合の合意が得られれば統合します。得られなければ、統合できません。もうここで、議論を終了させます。お手数をかけました。まずは、田岡一雄の記事から『田岡一雄の芸能界進出』の部分を分割することに集中します。--獅子の鬣 2008年11月13日 (木) 01:51 (UTC)[返信]

九月末からの編集合戦について

[編集]

今回の編集合戦についてですが、削除に関する議論から、神戸芸能社については山口組から見た側面だけではなく芸能史から見た側面でも特異性は充分にあると判断されたとしてよろしいのではないでしょうか。神戸芸能社の前身・その後といった流れを記載することも神戸芸能社を中心にみれば特段問題はないと思われます。(山口組関連から見た重複は出てくるとは思いますが。)自分の編集方針も排他主義なので獅子の鬣さんの行動もわからないではないのですが、ノートでの私に対する返答の履歴なんかを見ていると、ちょっと性急な面があったのではないかなぁ、と感じます。とりあえず現状で保護されると思いますが、4月までの記事をベースにして、出典が怪しいと思われる部分を獅子の鬣さんが中心となって、履歴からその記載を追加した人のノートに直接出典の確認をし、現在活動をしていない等で返答の無い箇所については資料からみんなで確認を行うのが一番早く確実に出典が確認できる方法でしょう。povの解消についてはその次ですね。--シャルル 2008年11月10日 (月) 09:08 (UTC)[返信]

基本的には神戸芸能社の前身・その後といった流れを記載することは、ある1点を除いて問題ないと思いますし、私は賛成しています。では、何が問題なのか?それは「神戸芸能社」という記事名です。「神戸芸能社」の記事に「ひばりプロダクション」や「ジャパントレード」の記述を加えるのならば、「神戸芸能社」の記事名は最早相応しくありません。何故ならば、記事内容と記事名が合致しないのです。だから、上記で利用者:KING OF ZIPANGUさんが『「田岡一雄の芸能界進出」のようにより記事内容にフィットした記事名にすべきだ』と主張されているのだと思います。利用者:KING OF ZIPANGUさんが「削除」という表現をしたから、みんなが激震したのだと思いますが、本質的にはこれは「改名」なのです。そして、田岡一雄の記事があまりにも複雑なので、これを機会に、「田岡一雄の芸能界進出」を独立させようということだと思います。田岡一雄の記事では「田岡一雄の神戸港進出」と「田岡一雄の芸能界進出」が同時期に行われているために平行して書かれています。だから、恐ろしく複雑で把握しにくい内容になっているのです。「田岡一雄の記事は複雑でわかりにくい」の部分はみんなの共通認識だと思います。ならば、「田岡一雄の神戸港進出」と「田岡一雄の芸能界進出」を独立させたほうが、絶対にわかりやすい記事になるはずです。--獅子の鬣 2008年11月10日 (月) 14:46 (UTC)[返信]
これ以上はWikipedia:コメント依頼/獅子の鬣に場を移すべきだと思います。johncapistrano 2008年11月10日 (月) 15:41 (UTC)[返信]
「個人の行動」という記事と「会社記事」という次元の違う記事を一緒くたにするなど有り得ません。この記事で前歴である山口組興行部のことに付いて書くのは当然のことです。もし新たに「山口組興行部」の記事を立項するのならばこちらは最低限の記述で済ますべきでしょうが、複数の記事で重複する記述があったとしても何ら問題はありません。例えをだすと「モンゴル帝国」と「チンギス・カン」と「クビライ」の記事で重複する記述があることは何ら問題ありません。これを「モンゴル帝国」に全てまとめようとなどと言い出すほうがよほど問題です。--らりた 2008年11月12日 (水) 13:04 (UTC)[返信]
それは誤認だと思います。神戸芸能社は単なる会社ではなく「田岡一雄企業舎弟です」。出典は、飯干晃一『山口組三代目 1 野望篇』徳間書店<徳間文庫>、1982年、ISBN 4-19-597344-9のP.102です。企業舎弟ということは、本質的には田岡一雄個人の持ち物です。「松江八束建設業暴力追放対策協議会」のHPの「19)上納金」をご覧ください。ここにもきちんと「暴力団社会は富も権力もすべて親分に集中する仕組となっており」と書かれています。つまり、暴力団企業舎弟は、全て組長個人の物なのです。組員の生死ですら、組長が好きに出来るのですから。つまり、神戸芸能社に書かれることは、すべて田岡一雄の指示によるものです。組長の指示を無視することなど、暴力団社会では絶対に考えられませんから。だから、暴力団や企業舎弟の場合、暴力団の行為や企業舎弟の行為を、その組長の行動と同一視できるのです。さて、神戸芸能社は、企業舎弟なのですから、全うな会社ではなく、あくまでも暴力団の隠れ蓑だと判断すべきです。そうすると、当然ノート:田岡一雄#Wikipedia:表記ガイドに沿って、表記してくださいにおけるヤクザ暴力団関係の記事での決定に従うべきです。ここでの取り決めは、「重複した記述を避ける」ということです。利用者:らりたさんの主張がおかしいのは、神戸芸能社を全うな会社だと勘違いしてしまっている点にあると思います。あくまでも、神戸芸能社の本質は暴力団なのですから(本質が暴力団だからこそ、第一次頂上作戦で潰されたはずです)--獅子の鬣 2008年11月12日 (水) 13:37 (UTC)[返信]
上記の「暴力団や企業舎弟の場合、暴力団の行為や企業舎弟の行為を、その組長の行動と同一視できるのです」の部分が難解だと思いますので、別の角度からご説明します。桑田兼吉の記事の「平成9年(1997年)8月28日午後3時20分ごろ、宅見若頭射殺事件が発生した」の文章以降をご覧ください。ここには共同共謀正犯の裁判のことが書かれています。出典は、『山口組・50の謎を追う』洋泉社、2004年、ISBN 4-89691-796-0のP.81~P.87です。どんな事件か簡単に書きます。まず、桑田兼吉のボディガードが拳銃を所持していたので銃砲刀剣類所持等取締法で捕まった。ボデイガードは桑田兼吉の指示で拳銃を持っていたのではないと主張した(暴力団社会では「親分の指示でやった」なんて言うと、「親分を警察に売った」と判断され、破門されたり絶縁されたりします。ボディガードの主張はごく普通です)。しかし、桑田兼吉は共同共謀正犯として起訴されたわけです。ここで、最高裁判所はどう判断したのか?、『山口組・50の謎を追う』洋泉社、2004年、ISBN 4-89691-796-0のP.83から引用すれば、「組員を指揮して命令する地位を考えると、被告が実質的に組員に拳銃を所持させたと言える」というわけです。つまり、暴力団社会では、組員の行動は実質的に組長の指示なのです。そういう判決なのです。そして、今はもうそのような判決(五代目山口組・渡辺芳則組長の使用者責任の民事裁判など)が主流なのです。それは、つまり、暴力団企業舎弟は、全て組長個人の持ち物であり、暴力団や企業舎弟の場合、暴力団の行為や企業舎弟の行為を、その組長の行動と同一視できるからなのです。だからこそ、ここに書かれているように、組員が人を殺した場合でも、被害者の遺族に賠償金を払うのは、組長なのです。--獅子の鬣 2008年11月12日 (水) 14:20 (UTC)[返信]
企業舎弟だからどうこうなど関係ありません。隠れ蓑だからそれを一緒の記事にしてしまえというのはあまりに乱暴です。創価学会と公明党を一緒にしてしまえという主張と同レベルです。長の命令が絶対だから云々もヒトラーとナチスを一緒にしてしまえという主張と変わるところはありません。同じことを繰り返しますが、次元の違う事柄を同じ記事に放り込むべしというのは全く論外です。--らりた 2008年11月12日 (水) 14:29 (UTC)[返信]
(追記)人には極めて細かいレベルまで出典を求めるのにあなたは「暴力団や企業舎弟の場合、暴力団の行為や企業舎弟の行為を、その組長の行動と同一視できる」という独自の研究を基にして編集を押し通そうとする姿勢はいかがなものかと。
「仮にその言葉が是だったとしても」あなたの主張は暴力団以上に上の命令に絶対服従が規範とされる軍隊において各部隊の記述を全て大本の軍の記事に放り込めというような論理です。--らりた 2008年11月12日 (水) 14:29 (UTC)[返信]
これ以上の議論は益がありませんので、johncapistranoさんの仰るとおりコメント依頼で進めるべきでしょう。無駄に議論を紛糾させてしまって申し訳ありませんでした。--らりた 2008年11月12日 (水) 14:31 (UTC)[返信]
企業舎弟を普通の会社と捉えないのは、当然の考えです。企業舎弟を取り締っていたのは、捜査四課です。これは、俗に言う「マル暴」です。神戸芸能社を暴力団と見なしていたからこそ、マル暴の管轄だったのではありませんか?企業舎弟暴力団を同一視しないのは何故ですか?そこをきちんと証明してください。論拠を示すことなく主張するのは止めてくださいませ。論拠の明示がなければ、利用者:らりたさんの主張は、説得力を持ちえません。『「暴力団や企業舎弟の場合、暴力団の行為や企業舎弟の行為を、その組長の行動と同一視できる」という独自の研究を基にして編集を押し通そうとする姿勢はいかがなものかと』とありますが、それは完全な誤読です。何故ならば、私は出典を明示しています。出典は上記にあるように、、『山口組・50の謎を追う』洋泉社、2004年、ISBN 4-89691-796-0のP.81~P.87です。ちゃんと書いているじゃありませんか。出典があれば、独自研究ではありませんよ。『あなたの主張は暴力団以上に上の命令に絶対服従が規範とされる軍隊において各部隊の記述を全て大本の軍の記事に放り込めというような論理です』とありますが、それを主張してるのは私ではありません。利用者:らりたさんの勘違いです。何故ならば、それを主張しているのは私ではなく、最高裁判所の判決なのです。私は最高裁判所の判決を利用者:らりたさんに示したに過ぎません。「暴力団や企業舎弟の場合、暴力団の行為や企業舎弟の行為を、その組長の行動と同一視できるのです」と主張しているのは、私ではなく最高裁判所です。納得がいなかのならば、判決を下した最高裁判所の横尾和子氏らに抗議してくださいませ。私の判断ではないのですから。--獅子の鬣 2008年11月12日 (水) 14:43 (UTC)[返信]
企業舎弟は本質的に暴力団である」とする出典の補強です。「福岡県弁護士会」のHPの「弁護士会の読書会」の「企業舎弟・闇の抗争」。ここにも「企業舎弟とは、企業経営者の仮面をかぶった暴力団の弟分」と明記されています。さらに、「松江八束建設業暴力追放対策協議会」のHPの「暴力団ミニ講座」の「17)フロント企業」も挙げておきます。ここには、『「フロント企業」が表面上は暴力団でないことをよいことにして』と書かれています。つまり、これは『「フロント企業」は本質的には暴力団である』と主張しているのと同じです。私は「企業舎弟は本質的に暴力団である」とする出典を沢山挙げました。利用者:らりたさんが私の主張を否定したいのであれば、その論拠となる出典をご提示ください。つまり、「企業舎弟は本質的に暴力団ではない」とする出典をご明示くださいませ。--獅子の鬣 2008年11月12日 (水) 21:50 (UTC)[返信]
戻しますよ。さてと、らりたさんも獅子の鬣さんもここはしばらく編集しないといっていること、保護依頼が流れたこと、っていう状況となっています。てなわけで、編集合戦以前の状況に一旦もどすか、原状でいくか、ご意見があればお願いします。--シャルル 2008年12月1日 (月) 08:48 (UTC)[返信]