ノート:秋田総合車両センター南秋田センター
組織名称変更について
[編集]--Mrhideki(会話) 2019年5月6日 (月) 04:48 (UTC)
組織名称変更提案を致します。 秋田車両センターは2019年4月1日から秋田新幹線車両センターに組織名称を変更をいたしました。これは、新幹線統括本部発足に伴うものです。これに伴って在来線車両以外の所管も秋田支社からはなれ新幹線統括本部に移管されました。組織的には、新幹線統括本部新幹線運輸車両部の現業機関となります。なお所属する在来線車両は秋田支社と秋田総合車両センターが従来通り担います。このページの名称変更・記載修正についてご議論をお願いします。--Mrhideki(会話) 2019年5月5日 (日) 19:28 (UTC)
- 反対 - あくまで労組での「こうなる予定です」という情報があるだけで、実際に名称変更されたという二次資料が確認されていないため。ノート:東日本旅客鉄道新幹線統括本部にも書きましたが、「○○に改名された」とする二次資料がなければ改名すべきではありません。--Nickel 2 Train(会話) 2019年5月6日 (月) 01:19 (UTC)
取り下げ 過日、JR東日本関係者にお会いする機会があり、秋田新幹線車両センターに組織名称を変更は無いというお話をされていたのでこの件は取り下げます。 Mrhideki(会話) 2019年5月7日 (火) 10:50 (UTC)
終了 Mrhideki(会話) 2019年5月7日 (火) 10:54 (UTC)
E3系車両の転出の未反映について
[編集]2019年3月16日付で新幹線総合車両センターへ秋田車両センターから転属しており、新幹線総合車両センター側の記事にはその旨が既に記載されておりますが、当記事側では反映が済んでいないようです。 書き換えるだけの技量に自信がないので、どなたか対応をお願いしたいと思います。--織原瑞希(会話) 2019年10月14日 (月) 07:04 (UTC)
秋田総合車両センターとの関係性について
[編集]本稿は、2021年4月1日の組織改正に伴い、秋田車両センターの在来線部門が本稿に、新幹線部門が秋田新幹線車両センターに分離独立ました。それに伴うページの改名と後者を本稿内に記載する作業を行いましたが、本稿と秋田総合車両センターの関係については、以下のようになります。
- 秋田総合車両センターは、配置車両を持たない車両の上位検査(重要部検査・全般検査、新保全体系の装置保全・車体保全)や機器更新、改造などを施工する車両工場の機能を持った基地
- 本稿は、配置車両を持ち、車両の留置、清掃、仕業検査や交番検査、新保全体系の機能保全検査までの日・月次検査(年次検査もあり)、臨時的な車両修繕などを行う車両基地の機能を持った基地
- 今回の組織改正は、秋田車両センターの在来線部門が秋田総合車両センター所属となり、現名称へ改称されたもの。
よって、この関係はJR東日本管内では、大宮総合車両センターと同東大宮センターの関係とほぼ同じです。となると、秋田総合車両センターと本稿の秋田新幹線車両センターの記述を除いた部分の統合も考えられると思いますが、それについては現時点でも、将来に渡っても、統合には合意できないものと考えます。それは、上記のように両者では組織機能が違いますし、なおかつ両者の敷地が離れている(秋田総合車両センターは奥羽本線秋田 - 土崎間泉外旭川( - 秋田貨物)- 土崎間、本稿は同四ツ小屋 - 秋田間)ため、同じ敷地に両方の機能を持っている長野総合車両センターのような記事にはなりにくく、現状大宮総合車両センターと東大宮センターについても、分割提案を告知した次第で、本稿においては、現状の記述のままで良いものと考えます。それでも、統合に関する議論を起こすこと事態は妨げられるものではないので、将来議論することもあろうかとは思います。また、秋田新幹線車両センターと本稿が将来分割する余地はあると考えているので、そのようになった場合は、別途告知をして議論をすれば良いものと考えます。--多趣味戦隊ブランケット(会話) 2021年6月19日 (土) 14:27 (UTC)(一部修正--多趣味戦隊ブランケット(会話) 2021年6月20日 (日) 06:03 (UTC))
旧・秋田機関区および旧・秋田運転所秋田支所の正確な所在地について
[編集]本文に「秋田駅構内に存在いていた秋田運転所秋田支所」と記述しましたが、これは完全なる誤りであることが判明しました。正解は「秋田貨物駅構内に存在」でした。それは、以下の文献を読み取り判明しました。
- 前身の旧・秋田機関区が『鉄道ジャーナル昭和58年10月号』p.63に、秋田機関区に見る車両基地近代化の例として、昭和40年頃と昭和51年3月のそれぞれの秋田機関区の配線図が記載されていますが、昭和40年頃の配置車両は「蒸気機関車32両、ディーゼル機関車25両、気動車54両配置」とあり、本稿の前身秋田運転区の開業は1971年(昭和46年)3月5日で、昭和51年3月の秋田機関区の配置車両は「電気機関車79両、ディーゼル機関車24両」で前者にあった気動車の配置がなくなっていること。
- 1.の両者の配線図を見比べると、明らかに周囲の配線の形が違うこと。
- 国鉄時代の秋田機関区の機関車運用を記載した『鉄道ファン1987年2月号』pp.45 - 46およびJR化後の秋田運転所秋田支所の機関車運用を記載した『鉄道ファン1990年12月号』pp.14 - 16の運用表で、所属基地から出区する場合、運用表には○印が記載されており、その駅が前者が「秋田操」、後者が「秋田(貨)」とそれぞれ記載されており、秋田操車場は後に秋田貨物駅に改称されていること。
3.での出区する場合の運用表の○印の意味は、仕業検査などを終えた車両が出区するという意味で、所属基地に入区した次の運用表には必ず○印が付付きます。よって、ここで運用車両はほとんどが別の運用車両に交代します。なお、貨物時刻表の機関車運用表の記号説明にも「○:出区」(因みに、入区は「△」)と記載されており、何年何月号だったかは失念しましたが、レールマガジンには185系の運用表が掲載されており、そこにも出区には○印が付いています(185系の所属基地は大宮総合車両センター東大宮センターで、駅は東大宮〔操〕)。また、所属基地以外の車両基地に入区する場合もありますが、その場合は何も印は付きません(JR貨物の機関車は例外的に所属基地以外でも仕業検査などをするので、所属基地以外の駅で○印が付区場合もあります)。
現状できる限りの出典を出して本文には記述しましたが、上記よりもっと正確な文献がございましたら、それを明示した上で本文の方を修正してもかまわないので、本文の冒頭にはこれに関する確認の告知タグを貼り付けました。タグは概ね3ヶ月ほど貼り付けておきますので、その間の情報提供など皆様にはご協力を願いたいと思いますので、どうかよろしくお願いします。--多趣味戦隊ブランケット(会話) 2021年6月21日 (月) 06:50 (UTC)