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ノート:篠津村 (埼玉県)

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埼玉県村改名提案

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曖昧さ回避ページからは埼玉県村のほかに北海道村が誘導されていますが、江別市#沿革によれば篠津村は1906年の二級町村制施行に伴って消滅しており, 内地でいう「町村制施行以前」に相当すると思われます。検索でヒットするのはその後身である新篠津村と鳥取県にあった大篠津村並びに町村制以前の小篠津村だけのようなので、埼玉県村の括弧なしの篠津村への改名を提案します。--Im224会話2012年12月7日 (金) 08:01 (UTC)[返信]

曖昧さ回避ページを削除依頼に提出しました。--Im224会話2012年12月24日 (月) 05:32 (UTC)[返信]
削除が行われたため、上記2村へ{{Otheruseslist}}誘導の上, 埼玉県村の記事を無括弧記事名に移動しました。私事多忙に付きリンク修正はしばらくお待ちください。--Im224会話) 2012年12月31日 (月) 16:08 (UTC)下線部加筆--Im224会話2012年12月31日 (月) 16:12 (UTC)[返信]
リンク修正完了しました。跡地リダイレクトは即時削除にかけます。--Im224会話2013年1月26日 (土) 21:40 (UTC)[返信]

改名提案2023

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当記事を篠津村 (埼玉県)に改名し、跡地の篠津村を北海道篠津村との平等な曖昧さ回避に戻すことを提案します。

2012年の改名提案では、「北海道篠津村は町村制施行以前の自治体だから」が理由として挙げられており、事後処理のWikipedia:削除依頼/篠津村でも「(北海道篠津村は)優先度が低いと思われるため」と述べられています。

しかし、ここで追加情報をひとつ。北海道篠津村は屯田兵村です。日本の国策事業なので資料は充実していますし、篠津村には他の屯田兵村に無い特徴があったりもします。記事作成に足る存在であると言えるでしょう。

実際には篠津兵村の単独記事ではなく、現在の北海道江別市篠津地区の歴史として執筆しようかと考えておりますが、まずは曖昧さ回避を平等にしたいです。--禁樹なずな会話2023年5月26日 (金) 01:48 (UTC)[返信]

コメント ご提案ありがとうございます。以下に示す理由から、改名には反対寄りです。
プロジェクト:日本の市町村#記事作成基準によれば、「区分5.町村制施行や、それ以前に廃止した村」については、記事作成は「特記事項がない場合は、基本的に認めない」、「作成しても記事名の優先は最も低い」とあります。北海道の篠津村が屯田兵村として特筆性があるとすると、記事を作成すること自体は認められることになるでしょうが、記事名の決定に際しては優先度が低くなります。優先度の差について、プロジェクト文書内では明確な記述がありませんが、自然な解釈を試みれば、まず作成基準の区分1から4にて作成が認められている自治体の記事に(プロジェクト:日本の市町村#重複名称の扱いに基づいて曖昧さ回避を行いつつ)記事名をつけ、その後で区分5の記事を命名することによって、差をつけることになるかと思います。つまり、今回の場合は、埼玉県の篠津村を扱う記事を「篠津村」とし、北海道の篠津村を扱う記事を「篠津村 (北海道)」とするということです。
プロジェクトのページの冒頭には「これらの提案に従う義務があるなどと感じたりするべきではありません」とあるものの、プロジェクト文書の内容はプロジェクトで合意が成立しているものであり、相応の合理的な事情がない限りは、あえて方針に沿わない記事名を採用する必要性は薄いと考えます。今回、プロジェクトの方針から外れてまで平等な曖昧さ回避とする理由は、見いだしにくいように思います。--東口会話2023年5月26日 (金) 11:41 (UTC)[返信]
返信 まずは早速のコメント、ありがとうございます。御提示いただいたプロジェクトの文章は当方も存じておりますが、率直に申しまして北海道特有の事情を汲んでいない、瑕疵のあるものと考えております。
町村制施行をボーダーラインとするのは、「近世以来の自然村」よりも「近代的施策の下での町村」を優先させる、という意図でしょう。本州であれば、それでいいと思います。
しかし北海道では、明治初年から明治32年の北海道一・二級町村制施行までの間に、数多くの村落が開基されています。これらは自然村とは言えませんし(自然発生してませんから)、屯田兵村とか開拓使主導で拓かれたところなどは、まさに当時の近代化施策の粋なわけです。それを町村制施行以前だからと「優先度低」にするのは、何か違うように感じます。
「ならば先にプロジェクトの文章の改定を試みよ」という声もありそうですが……当方はルールでなくて記事を作りたいのですよ……。--禁樹なずな会話2023年5月27日 (土) 09:00 (UTC)[返信]
ありがとうございます。確かに、おっしゃるとおり、現行のプロジェクトの方針は、北海道の事情を考慮していないように思えます。国策で拓かれた村であるという点で制度的に確立されたものと言えるわけで、お考えは理解できるものです。
一方、そこで今回平等な曖昧さ回避を行うこととすると、これまで現行のプロジェクト文書に基づいて記事名が決定されてきている市(区)町村記事群に例外を生じさせることになります。一概に例外がいけないなどと言うことはできませんが、本件を根拠として例外の記事名が乱立する事態を招いてしまうことも考えられます。今回は文書が不十分であるがゆえに例外ということになってしまうケースであり、それなら文書を改定してその後で新たな方針に基づく改名を行うほうが、スマートではないでしょうか。記事群を充実させていくうえでは、これは決して遠回りではないプロセスだと思います。ただ、北海道で明治時代に拓かれた村のすべてが記事作成に値するものであるとは考えにくいため、新しい方針における線引きの文面は熟考が必要になりそうです。
あるいは、北海道の篠津村の記事作成を達成することを重視するなら、今回の改名を行うかどうかによらず「篠津村 (北海道)」として作成することができます。また、それでは平等な曖昧さ回避でないので避けたいということであれば、ご提案の文面で「現在の北海道江別市篠津地区の歴史」として執筆したいとおっしゃっていることから「篠津地区」などという記事名での作成もよいと思います。ただし、後者の場合、「プロジェクト:日本の市町村」「プロジェクト:日本の町・字」のいずれの範囲にも含まれないことにはなります。--東口会話2023年5月27日 (土) 14:59 (UTC)[返信]
  • 賛成)結論だけ言うと、禁樹なずなさんのご提案を支持します。(上での東口さんとのやりとりを拝見したうえで。)
  • 本件の場合、相手方の「埼玉県の篠津村」も70年ほど前に合併消滅しているわけで、なにも「2022年時点でも行政単位として存在する篠津村と平等にしろ」というわけではありません。リンク元も現状で(有意なものは)20件ほど。影響も小さいです。
  • PJのルールは、Wikipediaのかなり初期に決まったものです。最初期に機械的に市町村記事を「百科事典づくりの初期段階として、ひとまず一揃え作成する」頃は良かったのでしょうけど、最近は町字記事などでも、草創期の機械的ルールが合わないケースが散見され、しばしば改名や「例外」的な記事名を採用しています。まあ、ご提案通りでよいのでは。
  • ついでに禁樹なずなさんの「当方はルールでなくて記事を作りたい」とのご発言は、「ですよねー」と感じました。外形的な枠組みづくりのところで足踏みするのは、非生産的な面があるのはたしかでしょうね。反省。(草創期のルールも、「ルール作りだけに熱中して、その後、中身を作らなかった」感があります。)--柒月例祭会話2023年6月2日 (金) 09:50 (UTC)[返信]
  • 追記しときますと、本件の場合、篠津_(北海道江別市)的な「町字記事」として立項する、という選択肢があるように思われます。(東口さんは「「篠津地区」などという記事名での作成もよい」とおっしゃっています。)ところが、歴史的に「旧篠津村」は現在の新篠津村を含んでおり、「現在の江別市篠津」という括りでは塩梅が悪いという事情もあるようです。
  • 最終的な記事名(曖昧さ回避のカッコ内の文言)は一考の余地がありそうかもとは思います。「_(北海道の屯田兵村)」とかなんとかね。--柒月例祭会話2023年6月2日 (金) 10:01 (UTC)[返信]
返信 作成する記事は篠津 (江別市)とする予定です。㭍月例祭さんは、原初の篠津兵村と現在の江別市篠津地区とでは新篠津村の分村などで領域が異なることを懸念されてますが、1981年には篠津兵村の成立から数えて「篠津開基100年」が祝われております。現地の方の意識の上では、屯田兵村から現代までずっと同じ「篠津」が続いているということなので、Wikipediaの記事もそれに倣おうと思います。新篠津村以外にも原初の篠津兵村から分割された地区はあるのですが(逆にくっつけられた地区も)、そういった領域の変遷も含めて記載することは有意義であると考えます。--禁樹なずな会話2023年6月3日 (土) 04:10 (UTC)[返信]
コメント 東口です。まず、㭍月例祭さんがご指摘なさった、初期に定められたプロジェクトの機械的ルールの問題点については、そのとおりだと思います。ただ、5月27日にも述べたように、"ルールが合わないから本件では例外的な記事名を採用する"ことが行われると、これが例外的な記事名の"前例"となり、本来例外であったはずの命名が多発するようになることが考えられます。これではルールが形骸化してしまいます。ルールに縛られすぎたり、ルールを作ることが目的のようになったりしてはいけませんが、一定程度の規定の存在は、記事名についての個別の議論を不要にしますので、結果として生産性が高まるのではないでしょうか。もちろん、極めて特殊でルールに明記することが難しいケースであれば、例外として処理することもやむを得ないと思いますが、本件の場合、問題は現行のプロジェクト文書で屯田兵村についての検討が欠落していることにありますので、この機会に文書を見直せば、例外となることを回避できますし、新たなルールが今後の屯田兵村の記事作成における拠り所となるのでは、と思います。
次に、私はコトバンクの篠津村のページから、旧篠津村の区域(のうち新篠津村への分村の対象とならなかった地区)と現在の江別市篠津(町丁または大字)の区域は異なる(前者の中に後者が含まれる)ことを確認し、禁樹なずなさんのご提案の中にあった「現在の北海道江別市篠津地区」を、旧篠津村の区域を指すものと理解していました(もっとも、新篠津村のホームページに「篠津村(現:江別市篠津)から分村した」とあって困惑していますが)。それゆえ、篠津村に由来する地区の歴史を記述するなら「篠津地区」のような記事名がよいのではないかと考えていました。「篠津 (江別市)」という記事名では、篠津地区全体ではなく町字の篠津についての記事であるとの誤解を招いてしまうのではないでしょうか。--東口会話) 2023年6月3日 (土) 08:39 (UTC) 下線部を追記。--東口会話2023年6月3日 (土) 08:59 (UTC)[返信]
返信 町字の篠津の記事を作るのですよ。理論上は「篠津村」と現在の「篠津」を分けることも可能ですが、やりません。
「現在の新篠津村を含んだ原初の篠津屯田兵村」を現代の区画と混同したらまずいように思うかもしれませんが、問題ありません。なぜなら成立時(1881年)の篠津屯田兵村は広いだけで、定住者は屯田兵19 - 20戸だけだからです。あとは無人の荒野。
それから1893年になって、篠津原野北部への入植がはじまり、その人たちが新村独立を訴えるようになって、1896年に新篠津村が成立しました。「篠津屯田兵村が発展して規模が大きくなったので分村した」わけではないのです。2系統の入植が別々に行われたのでした。
なので、篠津屯田兵村の系譜は現代の篠津までストレートにつながっています。ひとつの記事内で叙述しておかしいものではありません。--禁樹なずな会話2023年6月3日 (土) 09:48 (UTC)[返信]
町字の記事を作るのですか…。改名提案の流れや、「プロジェクト:日本の市町村」の方針をお示ししたときのご返答からして、「篠津村 (北海道)」の記事内で同区域の現状についても記述するおつもりなのかと思っていました。当初はそうだったが後に町字記事の作成へと切り替えなさったのでしょうか、あるいは最初から町字記事の作成を予定しておられたのでしょうか。また、町字の「篠津」は旧篠津村の区域の一部に過ぎないため、「篠津屯田兵村の系譜」が「ストレートにつながってい」る地区であるとは言い難いのではないでしょうか(屯田兵の居住地がすべて現在の江別市篠津にあたる地区にあった、などということであればまた違うのでしょうけれど)。そして、「篠津 (江別市)」という町字記事を作成するなら、「篠津村」のページ名との直接の衝突は発生しません。「平等な曖昧さ回避に戻す」という目的で始まって賛成意見が1件ついている本提案ですが、趣旨が不明確になっていると言わざるを得ない現状では、軌道修正を行うか終了するかのどちらかを行う必要があると考えます。
全体的に、認識に深刻なずれが生じてしまっていないか、心配です。申し訳ないのですが、改めて、方針や今後の予定をご説明いただいてもよろしいですか。--東口会話2023年6月5日 (月) 09:13 (UTC)[返信]
返信 順にお答えしていきますね。第1に、作成する予定なのは篠津 (江別市)です。その中の歴史節に、篠津屯田兵村の成立や江別村との合併を記載することを考えています。これについては最初に「篠津兵村の単独記事ではなく、現在の北海道江別市篠津地区の歴史として執筆」と断りを入れております。
第2に、おっしゃるとおり屯田兵の居住地はすべて現在の江別市篠津です。現在の篠津地区が、屯田兵村の後継者なのです。篠津開基100年のときは、屯田兵の第3世代は誰と誰で……みたいな話がありました。「原初の篠津村」の領域から分割された地区はいくつかありますが、それらには屯田兵と異なるルーツがあり、個別の歴史を有しています。
第3に、たとえ作成するのが現在の篠津の記事であろうと、「篠津村」からの誘導は必要です。だからこの提案を挙げました。--禁樹なずな会話2023年6月5日 (月) 10:14 (UTC)[返信]
ありがとうございます。返信が遅くなってしまい、申し訳ございません。
いただいたご説明から、お考えをおおむね承知いたしました。なお、私は、ご提案の文面にあった「単独記事」という語を、禁樹なずなさんの意図どおりに受け取ることができていなかったようです。失礼いたしました。
上の「第3に」で始まる段落において、「『篠津村』からの誘導は必要です」とおっしゃっていますが、ここでの「篠津村」は、本件の改名が完了した後に曖昧さ回避ページとして立項したページを指すものと解釈してよろしいでしょうか。そうだとすると、「篠津村」のページでは、"地方公共団体であった埼玉県の篠津村"と"現行の町字である「篠津 (江別市)」"が平等に配置されることになると思われます。仮に町村制に基づく村の記事と屯田兵村の記事を平等に掲載するつもりでの提案が出たならば、現状のプロジェクトの方針では2つに優先度の差をつけることとされているとはいえ、同じ村ではありますからその考え自体は納得できます。しかし、今回のご提案では、村と町字を平等に掲載することになり、それはさすがにどうしても違和感があります。
私は、北海道の篠津村について「篠津 (江別市)」の中で扱うこととするのならば、埼玉県の篠津村を扱う現行の「篠津村」の記事にTemplate:Otherusesを貼り付けて「篠津 (江別市)」への案内を行えば、それで十分ではないかと思います。北海道の篠津村について知りたくて「篠津村」のページを開いた閲覧者は、冒頭に表示された案内を見て適切なページへ進むことができるはずです。
一方、曖昧さ回避を平等とすることに主眼を置かれるなら(言い換えれば、括弧なしの「篠津村」のページで埼玉県の篠津村が扱われている現状を変更なさりたいなら)、「プロジェクト:日本の市町村#記事作成基準」を改定して北海道の屯田兵村を作成対象に加え、廃止済みの他の村の記事との間では平等な曖昧さ回避を行うこととする方針を明記し、かつその上で「篠津村 (北海道)」という記事名で同村とその地域の現状を扱う記事を作成するということであれば、本件の改名にも賛成するつもりです。
…こんなことを言っていると、"東口は杓子定規的である"とか"融通が利かない"などとお感じになるかもしれませんね。私が今の立場をとる要因は、現状のプロジェクトの方針が不十分であるがために、ご提案内容をバックアップする文書が見当たらず、したがってご提案に積極的に賛成する理由が見いだしにくいことにあります。私ばかりが論じていても なんですから、他の方の意見も聞いてみたいところです。--東口会話2023年6月9日 (金) 10:01 (UTC)[返信]
コメント こんな感じの曖昧さ回避を考えておりました。見出しとして「村」を並べ、記事があるものは適宜該当箇所からリンクを張る感じで。
*篠津村(しのつむら) - 北海道にあった屯田兵村のひとつ。現在の江別市篠津。
**新篠津村(しんしのつむら) - 上記の篠津村から分村して成立した村。
*篠津村(しのづむら) - 埼玉県南埼玉郡にあった村。現在の白岡市篠津。
*大篠津村(おおしのづむら) - 鳥取県会見郡・西伯郡にあった村。現在の米子市大篠津町。
これを作るだけならば別に「篠津村 (曖昧さ回避)」でもいいのですが、ここで単に改名提案を取り下げると、せっかく㭍月例祭さんが投じてくれた賛成票が死に票になりますから、もう少し頑張ってみましょう。プロジェクト‐ノート:日本の市町村で記事作成基準の改定ができないかどうか、諮ってみます。--禁樹なずな会話2023年6月10日 (土) 07:21 (UTC)[返信]
プロジェクトへの記事作成基準改定のご提案、ありがとうございます。--東口会話2023年6月14日 (水) 14:17 (UTC)[返信]
報告 コメント依頼を経て、プロジェクト:日本の市町村#記事作成基準から、「町村制施行以前の村落の名称は優先度を低いものとする」ルールを除去しました。
それはさておきフューチャーさんは「この記事の改名は必要ない」とのことですが、今のままだと北海道の屯田兵村に関する情報を求めて「篠津村」と検索しても、埼玉県の村に跳ばされるのですよ。そして「篠津 (江別市)」の記事に含まれる(予定の)篠津兵村の情報にはたどり着けないわけです。この情報の導線の断絶をどうにかしてほしい。
しかし他人に文句を言っても始まらないので、こうして自分で提案を挙げているのです。改名無用と言われるなら、せめて上記の問題を解決できる対案を出してほしいところ。--禁樹なずな会話2023年6月24日 (土) 12:56 (UTC)[返信]
篠津 (江別市) の記事を作り、この記事の冒頭からotherusesで誘導すればいいと思います。--フューチャー会話2023年6月24日 (土) 15:08 (UTC)[返信]
返信 どうして「埼玉県篠津村」が篠津村の代表的なトピック(曖昧さ回避のカッコなし)なのでしょうか? 「北海道篠津村」の扱いは低くないといけないのでしょうか? 前述の通りプロジェクトの文言は改定されました。現状を追認する理由はありません。--禁樹なずな会話2023年6月25日 (日) 02:32 (UTC)[返信]
コメント 「平等」方式でよいのでは。曖昧さ回避・代表的なトピック方式の基本的な考え方は、その事物が同名の事物より抜きん出て知名度が高い、というところにあります。
市町村(≒自治体)記事では、これを簡易的に判断するために、「現存する市町村優先」というルールを(古い時代に)制定しました。
今となっては、その機械的な判定方法ってどうなの?というのはあると思います。考えなくていいからラクだけど、本来の代表的トピックの考え方には反するかもしれないよね、ってとこ。現実問題としては、同じ「A村」がB県とC県にあれば、B県ではB県のA村が有名で、C県ではC県のA村が有名、というふうになりがちでしょう。しかしそこの検証を省くためのアイデアだったというところでして、この方式には一長一短があった。
それはともかく、本件は「現存しない埼玉県の村」と「現存しない北海道の村」なので、機械的判断基準による「代表的」決定ルートではないということになります。ならば、本則通りに、いずれの知名度が他を圧倒するほど高いならばそれを代表とするし、そうでないなら平等な曖昧さ回避方式になる、ということになる、という考え方でよいのでは。
なお、JapanKnowledgeで「篠津村」を検索すると、『日本歴史地名大系』(平凡社)の単独記事が3本ヒットします。それが今回の(ア)北海道の篠津村、(イ)埼玉県桶川市の旧・篠津村(旧北足立郡加納村 (埼玉県)の母体。現在は桶川市篠津)ここらへん、(ウ)埼玉県白岡町の旧・篠津村(=現記事)です。
なので、曖昧さ回避は「篠津村_埼玉県」では不十分かも。ただし、桶川市の方は遺称地が桶川市篠津として現存するけども町村制施行のときに「村」でなくなっている。
このほか類似名としてヒットするのが、鳥取県米子市の大篠津村と隣接する鳥取県境港市の小篠津村、さらに北海道の新篠津村が4件(世界大百科事典、日本大百科全書から2件、日本歴史地名大系)。
単独記事にはなっていないが全文検索では出てくるのが、富山県笹津村が江戸時代の正保郡帳では篠津村と書かれている云々。
全文検索では、関連度順で上位に出てくるのは北海道の篠津村&新篠津村関係で、次いで鳥取県の大篠津&小篠津、埼玉、富山という感じ。さらに、『世界大百科事典』と『日本歴史地名大系』には「篠津原野」という単独記事があり、どちらも北海道の篠津村のある地域を指しています。
「知名度」=用例数と考えるならば、下記の通り、今回禁樹なずなさんが提起なさっている北海道の篠津がいくらか用例が多いというところ。単純な件数でいうと、全60件中
  • 北海道26 ただし篠津と新篠津が混ざる
  • 鳥取18 大篠津と小篠津が混ざる
  • 埼玉14 白岡篠津と桶川篠津が混ざる
  • 富山2
※これは単純に件数をカウントしているので、「Z村。隣はX村とY村と篠津村。」みたいな、些細な言及も含められていますけど。
まあ「平等」でよいのでは。--柒月例祭会話2023年6月25日 (日) 03:59 (UTC)[返信]
返信 丁寧に調査していただき、誠にありがとうございます。ならば改名先は篠津村 (南埼玉郡)とすべきですね。
あと、富山の笹津の関連で『細入村史 上巻』を確認しましたが、笹津について詳述している章でも「篠津」表記への言及は一切なかったので、これは省いてよいでしょう。--禁樹なずな会話2023年6月25日 (日) 09:27 (UTC)[返信]
北足立郡篠津村も含めて平等にするのであれば篠津村 (埼玉県南埼玉郡) とする必要があります。--フューチャー会話2023年6月25日 (日) 09:44 (UTC)[返信]
コメント まずは、プロジェクト文書の改定、ありがとうございました。改定により、北海道の篠津村と埼玉県の篠津村に対して、プロジェクトの方針に基づいて平等な曖昧さ回避を行うことが可能となりました。したがって、本件の改名自体には基本的に賛成します。
ただし、少し思ったのは、せっかく文書を変更したのですから、北海道側の記事を「篠津村 (北海道)」という記事名で作成してはどうか? ということです。6月5日にも述べたように、「篠津 (江別市)」という町字記事を作成するなら、ページ名の直接の衝突は発生しません。"それならOtherusesでの案内でも導線は確保できるから十分だ"ということになってしまいます(フューチャーさんの6月23日・同24日のご発言はこうした意図だと考えられます)。北海道の篠津村に特筆性があるとして、新たなプロジェクト文書に基づいて平等な曖昧さ回避を行おうとするなら、記事名は「篠津村 (北海道)」としたほうが、改名の必要性がはっきりして、同意が得られやすくなるとは思います。また、禁樹なずなさんは、地理系の記事では"系譜"を重視なさっているようで、それ自体は地元の方の意識と一致するものでしょうから否定するつもりはないのですが、一般には"領域"で考えることが多いのではないでしょうか("A村は合併により現在はB市の一部"などと言うとき、系譜は考慮されていません)。領域に注目した場合、篠津村だった区域の中に現在の江別市篠津と他の複数の町・字が含まれるわけで、以前ご説明いただいたように系譜として同一であっても、領域としては明確に異なります。領域の包含関係を考えれば、むしろ"「篠津村 (北海道)」の記事の中で、(その中の屯田兵の居住地であった)現在の江別市篠津についても扱う"としたほうが自然だと思います。それに、篠津の屯田兵村と別系統で入植が行われたという新篠津村についての記述は、6月10日にお示しいただいた曖昧さ回避ページの案のように、どうしても「篠津村から分村した」という"領域"に基づいた表現にならざるを得ません。「篠津」という"系譜"を優先し、「篠津 (江別市)」の中で篠津村についても扱うことについては、再考いただいてもよいと思います。
それから、現在桶川市の一部になっている北足立郡の篠津村については、町村制施行以前の村であることに加え、その区域がおおむね現在の桶川市大字篠津と同一であることから、この大字の記事中の歴史節で扱うことが適当であると考えられます。私からは、本改名の曖昧さ回避の括弧内は「埼玉県」とするべきだと申し上げておきます(なお、もし郡名で区別することになったとしても、プロジェクト:日本の市町村#重複名称の扱いを適用すれば「埼玉県南埼玉郡」とするべきです)。
ついでに、上でも言及した、6月10日にお示しいただいた曖昧さ回避ページの案についてですが、埼玉県の(町村制に基づき合併で成立した)篠津村だった区域には、現在の白岡市篠津(町村制施行前の篠津村)だけでなく、野牛、白岡、寺塚、高岩と西一丁目 - 十丁目、白岡東、新白岡一丁目 - 九丁目も含まれます(参考。なお、以前示したコトバンクのページでは、町村制施行前の篠津村と施行後の篠津村が混同されているように見えます)。したがって、「現在の白岡市篠津。」の部分を「現在は白岡市の一部。」などのように変更することを提案します。--東口会話2023年6月25日 (日) 10:37 (UTC)[返信]

改名提案2023・最終試案

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長くなってきたので節を区切りました。フューチャーさんからは明確な賛同を頂いておりませんが、改名先についてコメントされているということは、反対ではないということでよろしいですか?

この記事の改名先
篠津村 (埼玉県)。ここは東口さんに従いましょう。
跡地の曖昧さ回避
北海道の篠津村&新篠津村、埼玉県の2村、鳥取県の大篠津村&小篠津村。
作成する記事
篠津 (江別市)。別に意固地になっているわけではありません。篠津兵村の記事を作るには、史料集めからやり直す必要がありますから。単に「篠津」の歴史節を分割すれば「篠津村」の記事ができるわけでもないでしょうし。まあ実際に書いてみないと全体像がわからないというのもあります。--禁樹なずな会話2023年6月27日 (火) 00:08 (UTC)[返信]
付け加えますと、「系譜」重視なのは当方の趣味でも信念でもなく、参考文献に従った結果です。篠津兵村の視点では、新篠津村は「はじっこに入植したと思ったら独立した人たち」ですし。反対に『新篠津村史』を見ると、屯田兵村について一項を割いているものの、「最初にこの村を切り拓いた人」は屯田兵と無関係の人物ですし。
一時期同じ村の領域にいたとはいっても、行き交うには野を越え森を越えしないといけなかったわけで、つながりが強くないのは無理もありません。
篠津村 (北海道)の作成に反対しているわけではないので、誰か別の方が執筆される分には応援しますが、まずは篠津地区を優先したいと思います。将来的には八幡地区、美原地区も作成して、全部合体すると篠津兵村の遺地が完成するみたいなことも考えています。--禁樹なずな会話2023年6月27日 (火) 01:51 (UTC)[返信]
  • よいと思います) 地名記事は、細かく分割するのか、大きな括りでまとめるか、立項者の意図や書き方次第の面があります。これには情報源が確保できるかどうか、言及量がどれぐらいを見込めるかなども関係するでしょう。多くの地名記事では、近世のA村、明治初期のA村、合併後のA村、合併後のB町大字A・合併後のC市B町Aを一記事にまとめて「A」で立項したりします。厳密には時代毎に地理的範囲が変わる場合もあります。東京市東京府東京都みたいに、連続性があっても別記事にすることもある。尾道市尾道みたいな場合もある(広域合併前の旧尾道町は単独記事にはなってない。)。そこらへんは言及量や文脈次第。--柒月例祭会話2023年6月27日 (火) 06:17 (UTC)[返信]
  • 改名には反対しませんが、曖昧さ回避については新篠津村、大篠津村、小篠津村については同名ではないため直接加えるのではなく関連項目とすべきではないでしょうか。--フューチャー会話2023年6月27日 (火) 06:32 (UTC)[返信]
  • 改名先に「篠津村 (埼玉県)」を採用していただきありがとうございます。また、作成する記事についてのお考えを理解いたしました。跡地の曖昧さ回避ページについてですが、上でも述べたように、北足立郡の篠津村は町村制施行以前の村であり、プロジェクトの方針からすれば村の記事としての作成は見込みがないと考えられます。したがって掲載の必要性は薄いように感じますが、単独記事を立てている文献があるとのことで、閲覧者の便宜を図る上では掲載したほうがよいのかもしれません。最終的な判断はお任せします。--東口会話2023年6月28日 (水) 10:40 (UTC)[返信]
    • (コメント)「見込み」というのは正直わからなくて、たまたまそのエリアに関心を持つ執筆者が現れるかどうかにかかっている、というのが現状と思います。そういう利用者が登場した地域では、近世の村まで単独記事化されていたりします。--柒月例祭会話2023年6月28日 (水) 11:22 (UTC)[返信]
      返信 舌足らずでした。北足立郡篠津村と連続性がある現在の桶川市大字篠津の記事の歴史節で扱うべきと考えられるため、"村の記事として"作成される可能性は低いということです。「篠津 (桶川市)」と「篠津村 (埼玉県北足立郡)」のように別記事とする利点も必要もないので、関心のある利用者が篠津村について十分な資料を集めてきて執筆して投稿するとなると、村の独立記事を立てるのではなく大字の記事の歴史節を充実させることが理にかなっていると考えます(だから曖昧さ回避ページに掲載するとしても「篠津村 (埼玉県北足立郡)」の部分にリンクは不要。さらに、"町村制施行前の村"から"現行の町・字"へのリダイレクトはこれまでに複数削除されており、「篠津 (桶川市)」へのリダイレクトとしても不要。)。--東口会話2023年6月29日 (木) 11:36 (UTC)[返信]
  • 報告 改名を実行し、跡地を曖昧さ回避化しました。いつの日か「なんで北足立郡の篠津村が代表的トピックでないんだ!」と怒る地元の人が出てくるかもしれませんが、そこまで責任は持ちません。--禁樹なずな会話2023年7月1日 (土) 10:48 (UTC)[返信]