ノート:聖人
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新規プロジェクトのお知らせ
[編集]新年を機会に、Wikipedia:ウィキプロジェクト 聖人伝を立ち上げました。最近いくつかの記事に手をいれながら、フォーマットや情報の遺漏などが気になり、そうしたことを考える場がほしいと思っておりました。
聖人関係の記事を書いていらっしゃる方の参加をお待ちします。--Aphaia 2006年12月31日 (日) 18:58 (UTC)
関連項目の改善
[編集]聖者の一覧を抜本的に改良する提案をしています。詳しくはノート:聖者の一覧へ。--Aphaia 2007年1月25日 (木) 09:56 (UTC)
綴り
[編集]ホ・ハギオスと言う単語の綴りを知りたいのですがどなたか教えてもらえませんか?
--219.124.35.79 2007年12月24日 (月) 07:17 (UTC)
大幅加筆・改稿の報告と、編集意図の説明
[編集]節の区切りを増やして見易くすると共に、大幅に加筆・整理・改稿しました。主な改稿・編集箇所を以下の通り列挙し、編集意図を説明させて頂きます。
- 一部を教派毎の記述に整理しました。それぞれの教派ごとの異なる事情をバラバラに各所に記述していくよりは、より体系的な理解が可能であろうとの考えからです。
- 「古代からの教会、すなわち正教会、東方諸教会、カトリック教会は、」という表現は、使徒継承を主張する聖公会や復古カトリック教会などとの中立的観点を侵害する記述であるため、これを削除しました。
- 「古代のキリスト教では、聖人として尊崇された者はみな殉教者だった。」「教会公認後は、聖人崇敬は殉教者だけでなく、信仰の模範とされた信者にも及んだ。」とありますが、聖使徒福音記者イオアン(ヨハネ)は致命者(殉教者)ではなく、十二使徒の一人が殉教者では無い以上妥当性を欠く記述であるため、これを修正・削除しました。
- 「美術作品によって聖人の像や生涯を描画した聖像」についてですが、イコンは通例美術作品とは教会では捉えられません。世俗の美学の領域ではイコンを美術作品と捉える事も可能ではありますが、「正教会・東方諸教会・カトリック教会は、」という主体に対応した述語に、教会の見解が述べられないのは不適当です。よって「美術作品によって」を削除しました。
- 「伝統的教会」の文言ですが、キリスト教系新興宗教に対置する意味でプロテスタントを含めて「伝統的教会」と述べる事は一般的だと思いますが、本項編集前の「伝統的教会」は、殆どの場合「カトリック教会・東方教会」を指しており、POVの虞があります。従いまして、他の具体的教派名に置き換えました。
- 「古代以来聖人の数が次第に増えていったことで、中世のカトリック教会では、すでに一年のほとんどの日が聖人など何らかの祝い日となっているような状況になった。」についてですが、カトリック教会における第2バチカン公会議での聖人暦改訂の動機としては聊か失当との念を抱きます。以下の理由により、削除しました。
- (理由1)一年の殆どの日が何らかの聖人の記憶日となっている事態は東方教会でも同時期には起きていたのであり(そもそも中世では東西教会の分裂は曖昧なものでした)、ローマカトリック教会だけの事象ではありません。しかしながら同じような大規模な暦の改訂の話は正教会では行われていません。
- (理由2)中世に起きた事態の収拾を第2バチカンで行ったとは初耳です。カトリック教会における聖人に対する捉え方の変化として受け止めるべきと解釈していました。
- その他、記述の重複箇所を整理するなど、多くの編集を行っています。
--Kliment A.K. 2009年3月15日 (日) 15:43 (UTC)
君子と聖人は同じ存在なのですか?
[編集]何故、Wikiでは、君子で検索すると聖人に転送されるのでしょうか? 「聖人君子」と書く以上、聖人と君子は同じ意味では無いはずですが。--以上の署名のないコメントは、210.135.74.111(会話/Whois)さんが 2011年11月17日 (木) 14:34 (UTC) に投稿したものです(Type20(会話)による付記)。