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ノート:西周 (啓蒙家)

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「哲学」

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「福沢諭吉とともに・・・創った」とありますが福沢についての事実関係が確認できませんでしたので削除しました。--大和屋敷 2010年1月21日 (木) 06:13 (UTC)[返信]

独自研究をしないでください。出典書籍を明記しておきます。--202.209.48.212 2010年1月21日 (木) 06:34 (UTC)[返信]
その書籍によれば『西周(にし・あまね1892-97)明治時代の思想家。幕末にオランダで政治や法律を学ぶ。明治維新の後には「明六社」に参加して、ヨーロッパ文明を紹介。「フィロソフィー」に「哲学」という訳語を初めて使用した。(後略)』(P36)とあり福沢諭吉については触れていませんが。--大和屋敷 2010年1月21日 (木) 07:05 (UTC)goo辞書「哲学」[1]にも「西周の訳語」とあり福沢諭吉への言及はありません。いったいどこに「福沢諭吉とともに・・・創った」と記述があったのですか?--大和屋敷 2010年1月21日 (木) 07:11 (UTC)[返信]

神奈川大学人文学部による荒らし

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明六雑誌の論文は福沢諭吉との共著であり、当時の編集長が実際に福沢だったことは誰にでも明らかであり、それを覆す事実は無い。--202.211.115.126 2010年1月21日 (木) 07:25 (UTC)[返信]

信頼できる情報源

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大和屋敷が、「神奈川大学人文学会」を出典にしているようですが、これは検証が不可能であり、独自研究です。--202.211.115.126 2010年1月21日 (木) 07:35 (UTC)[返信]

私は「神奈川大学」の関係者じゃありませんよ。googleって資料を探してきただけです。少しは落ち着いたら同ですか。編集保護のタグを勝手に剥がしてはいけません。資料ならググればいくらも見つかるじゃないですか[2][3][4][5]。ちゃんと調べて投稿していますか?あなたのあげられた引用元にも検証できる記述ありませんよ?「少年ジャンプ」が集英社の刊行物であるから「こち亀は集英社と秋本治の創ったものだというのはさすがに短絡(ないしは非常に誤解をまねく記述)でしょう。--大和屋敷 2010年1月21日 (木) 07:36 (UTC)[返信]
Googleにあるpdfを拾ってきてソースにするのは止めて下さい。明六雑誌も関連書籍も県立の図書館で模写が見れます。--202.209.48.212 2010年1月21日 (木) 07:39 (UTC)[返信]
明六雑誌に掲載された福沢諭吉との共著の論文のタイトル、その掲載号を具体的に注記してください。そうすれば問題は解決します。なお、その場合でも、現行の記述を剥がすのではなくて、両論併記のかたちにすべきです。--rshiba 2010年1月21日 (木) 07:41 (UTC)[返信]
「洋字ヲ以テ国語ヲ書スルノ論」から明らかです。--202.209.48.212 2010年1月21日 (木) 07:49 (UTC)[返信]
洋字ヲ以テ国語ヲ書スルノ論を立項なさったら如何ですか。差し当たってこの場では、脚注にその要旨を加筆してください。そこまでやらないと検証可能にはなりません。なお、神奈川大学を定年退職した高野繁男さんは、大空社が復刻した『明六雑誌』の監修者だったようですので、その論文は、信頼できる情報源に当たると判断できます。--rshiba 2010年1月21日 (木) 08:00 (UTC)[返信]
いや無理でしょう。まず筆者がgoogleで拾って出典にしたと上記で宣言している。これでは著作権違反で削除ですよこの項は。明六雑誌の原版なら著作権違反にはなりませんがね。で、洋字ヲ以テ国語ヲ書スルノ論は西周一人で執筆したものではなく明六社会員の福沢も関わっている。これは動かしようが無い事実です。--202.209.48.212 2010年1月21日 (木) 08:11 (UTC)[返信]
IPアドレスさんは別の話題にすりかえることで論点回避しないようご協力ください。検証可能性のため下記「検証のお願い」にご協力ください。現状ではご提示いただいた出典から確認できておりません。--大和屋敷 2010年1月21日 (木) 08:15 (UTC)[返信]
私は柴崎力栄に対して返答している。どこの馬の骨か分からないあなたの支離滅裂な質問には下記で既に返答してある。--202.209.48.212 2010年1月21日 (木) 08:17 (UTC)[返信]
Googleにあるpdfを拾ってきてソースにするのは止めて下さい】との提案の根拠が分かりかねますので同意できかねます。ご了承ください。また貴殿は【教育学基本マニュアル[改訂版]教育用語・資料・教員採用試験対応 著者: 井上和幸】を出典に上げておられますが、何ページにどのように記述してあるのか反証お願いいたします[6]。くりかえしますが「保護依頼」タグを無断で削除なさらないようお願いいたします。--大和屋敷 2010年1月21日 (木) 07:45 (UTC)[返信]
【提案の根拠が分かりかねます】となっておりますが、明らかな著作権侵害(宣言)のようですのでタグを貼り付けて除去するのを忘れていました。--202.211.115.126 2010年1月21日 (木) 07:51 (UTC)[返信]
論点のすり替えで逃げようとなさらず、「何ページにどのように記述してあるのか」反証お願いいたします[7]。--大和屋敷 2010年1月21日 (木) 08:00 (UTC)[返信]
逃げるとは何ですか?「少年ジャンプ」のことでしょうか?→論点のすり替え。--202.209.48.212 2010年1月21日 (木) 08:12 (UTC)[返信]

IPアドレスさんは別の話題にすりかえることで論点回避しないようご協力ください。検証可能性のため下記「検証のお願い」にご協力ください。現状ではご提示いただいた出典から確認できておりません。--大和屋敷 2010年1月21日 (木) 08:16 (UTC)[返信]

検証のお願い

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  • 【教育学基本マニュアル[改訂版]教育用語・資料・教員採用試験対応 著者: 井上和幸 ISBN 4881465287】に「明六社にて福澤諭吉とともに西洋語の「philosophy」を音訳でなく翻訳語として「哲学」という言葉を創った」なる記述があるとの趣旨で投稿がなされましたが、同書を確認したところ発見できませんでした。具体的に何ページのどこに記述があるのでしょうか。検証可能性を満たすため詳細の提示をお願いいたします。--大和屋敷 2010年1月21日 (木) 08:04 (UTC)[返信]

対話について

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対話について

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洋字ヲ以テ国語ヲ書スルノ論について

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  • 方光鋭[12]によれば作者は西周のようですし(PDF.P-7)、「日本のローマ字社」さんのサイトによれば(原文が見られます)「哲学」の翻訳には全く関係のない文章のようですが。--大和屋敷 2010年1月21日 (木) 08:41 (UTC)[返信]
googleで検索したpdfが出典にはならない。方光鋭(不明な執筆者)--202.211.115.126 2010年1月21日 (木) 09:00 (UTC)[返信]

福沢諭吉と西周の共作造語一覧

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  • 「細胞」「思考」「肯定」「帰納」「感性」主に福沢諭吉考案。「属性」「本能」「理想」「命題」「哲学」「体験」「主観」「抽象」主に西周考案。「野球」正岡子規考案。これらはすべて明六社で作られた言葉であり、当時の発行幹事が福沢諭吉と福地源一郎だったことからして、この2名が関わっていないという事実は無い。--202.209.48.212 2010年1月21日 (木) 08:56 (UTC)[返信]

「哲学」と百一新論

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「哲学」の訳出の初出が西周の「百一新論」である、とするのが定説のようですが[13](PDF-P6)[14]、「百一新論」は東京の山本覚馬(ヤマモトカクマ)により明治7年3月に出版されたものです(国会図書館のDBで現物が閲覧可能[15])。明六雑誌は明六社から出版されたものですが、仮に明六雑誌の出版元の事実上の主管が福沢諭吉であり内容に重大な影響を与えたと仮定したとしても、「百一新論」は明六社から発行されていませんので、仮定を前提に立論したとしても福沢の影響が及んでいたとこのスジから論証するのは(うすっぺらな仮定ですが)ムリがありそうです。明六雑誌は国会図書館に所蔵[16]。このあたりはどうなのでしょうか?--大和屋敷 2010年1月21日 (木) 11:28 (UTC)[返信]

明六雑誌は、復刻版が複数出ていて、大学図書館や都道府県立図書館に広く所蔵されています。本気で見ようとしたら多くの人が検証可能な情報源です。--rshiba 2010年1月21日 (木) 12:23 (UTC)[返信]

日本国語大辞典の説明

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『日本国語大辞典 第二版』小学館、2001年刊は、哲学の語意を

世界や人生の窮極の根本原理を客観的・理性的に追求する学問。とらわれない目で事物を広く深く見るとともに、それを自己自身の問題として窮極まで求めようとするもの。古代ギリシアでは学問一般を意味していたが、のち諸科学と対置されるようになった。論理学、認識論、存在論、哲学史、倫理学などの諸領域を含む。

と説明した後、用例の二つ目として、

*百一新論(1874)<西周>下「兼て教の方法を立つるをヒロソヒー訳して哲学と名け、西洋にても古くより論のあるでござる」

と例示する。また、「哲学」の語誌として、

西周の「百学連環-二・上」(1870-71頃)に「哲学(ヒロソヒー)を理学、或は、窮理学と名つけ称するあり」とあり、philosophyの訳語として西は「理学」「窮理学」のほか、「賢哲の希求」という意味で「希哲学」「希賢学」などとも試訳したが、最終的に「哲学」に落ち着いた。これは、「哲学字彙」(1881)に採用された後、外国語対訳辞書に収録され、一般化した。

と、記している。『明六雑誌』が発行されていた時代は、訳語の模索の時期で、最終確定がその後とすると、福澤との関係はどのように説明すればいいのでしょうか。--rshiba 2010年1月21日 (木) 11:48 (UTC)[返信]

卞崇道「東アジアの哲学史上における西周思想の意義」(北東アジア研究』第14・15合併号(2008年3月)島根県立大学北東アジア地域研究センター)[17][18]では、1861年~62年(文久2)の「希哲学」から書き起こして整理されております。百一新論についても執筆は1866-1867年、出版公開が1874年としています。事実関係の整理としては詳しいかと考えます。--大和屋敷 2010年1月21日 (木) 12:13 (UTC)[返信]
福沢諭吉一件については、主張されているTotti100さんの提示された引用元にもそのような記述がないことが確認済みですし、さすがに正確性に重大な疑問を抱いておりまして、Totti100さんには申し訳ないのですが削除させていただきました。「哲学」という用語の創出について福沢諭吉が関与したという直接の記述がある文献を紹介頂く様あらためてお願い申し上げます(明六雑誌の編集者であった、などという状況証拠ではなく)。--大和屋敷 2010年1月30日 (土) 09:02 (UTC)[返信]

神戸学院大学からの編集について

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質問 神戸学院大学から当記事にアクセスしている方にお伺いいたします。貴方の文体および論理構成を拝見する限り、どうもTotti100さんと類似点が多々あるように見受けられます。失礼ながらお伺いしたいのですが、あなたはTotti100さんでしょうか。--Taiwaan 2010年1月21日 (木) 11:01 (UTC)[返信]