ノート:質量/過去ログ1
このページは過去の議論を保存している過去ログページです。編集しないでください。新たな議論や話題を始めたい場合や過去の議論を再開したい場合は、現在のノートページで行ってください。 |
過去ログ1 | 過去ログ2 |
現時点で慣性質量は慣性にリダイレクトがされ、重力質量には記事が執筆されています。このため(各々個別に執筆がされているため)に相互に参照する必要が発生しています。「慣性質量」「重力質量」ともに「質量」にリダイレクトをして、項目で「慣性質量」と「重力質量」について執筆を行うことで、相互に参照する手間が省けるかと思います。 日陰のコスモス 2004年11月21日 (日) 14:33 (UTC)
- あ、これまだ未対処でしたか。統合すべき内容があるのかどうか、単にリダイレクトにするだけではだめなのかどうか、少し考えてみます。yhr 2006年8月13日 (日) 16:27 (UTC)
- 内容的に、必要な事はすでにこの記事のほうに含まれていますね。慣性質量はすでにこの記事宛のリダイレクトになっていますので、重力質量もリダイレクトに変えてしまおうと思います。yhr 2006年8月22日 (火) 16:37 (UTC)
リバートについて
特に冒頭部の内容が不適切なためリバートしました。例えば「(前略)物体の体積に比例(後略)」のくだりは、少なくとも前提条件が抜けているか、単なる勘違いだと思います。リバート先の版についてはあんまり深く考えていないので、もし不適切なら指摘してください。
ところで、リバートした版にもいくつか微妙な点はあるとおもいますが、それについてはまた後日。yhr 2006年8月13日 (日) 16:27 (UTC)
- 鉄と綿の例じゃありませんが「同一物質であれば」という大前提が抜けているような気がします。加筆したIP氏の意見を聞いてみたいのでrevertはしませんが。--端くれの錬金術師 2006年8月18日 (金) 16:53 (UTC)
あくまでも想像に過ぎないが平均的日本人は重さは分かるが質量は訳のわからない量ではないかと思う。平均的日本人向きの辞典としては主観的とは思わないが。8月18日 (金)--以上の署名のないコメントは、210.172.74.142(会話/Whois)さんが 2006年8月18日 (金) 17:51 (UTC) に投稿したものです。
- 貴重なご意見ありがとうございます。お考えのことは、こちらなどで披瀝なさったほうがよろしかろうと考えます。ウィキペディアは「思う」ことを記述する場では、残念ながらありませんので。S kitahashi(Plé)2006年8月18日 (金) 17:54 (UTC)
- 質量と重さの違いについては初等教育・中等教育の教科書にもある程度は記載されていることですから「平均的日本人」なる人たちにとっても「訳のわからない量」ではないものと思われます。またウィキペディアは「平均的日本人」向けの「辞典」ではなく、質量ともに最高の百科事典を目指しているものです。--端くれの錬金術師 2006年8月18日 (金) 18:01 (UTC)
貴殿こそ想像に過ぎないことを言っている。客観性はない。科学には向かないので方向転換をしたほうがよいと思う。面接で貴殿のそんな解釈をいったらろくな就職先はない。210.172.74.142 2006年8月22日 (火) 14:58 (UTC)
- 我らが百科事典としてはわからない人にもわかるように書くのが親切というものではないでしょうか? 平均的日本人の知的レベルを上げるためにもです。現代科学の粋をもってしても理解されていないならばそう書くのは当然ですが、少なくとも本項目ではそうではないと思います。上記のあなたの基準で行くとたいていの項目は「よくわからない」「知らない」のオンパレードになってしまうでしょう。わからないことをわからないと素直に認めるのは良いことですが、百科事典にまでそう書くのは少々行き過ぎではないでしょうか。わからなくは無いんだけどうまく書けないという部分があることも汲み取りましょう。ともあれ問題の箇所は既に Spirituelle さんによって素晴らしい文に加筆修正されているのですから、これ以上この件に関して議論しても仕方ないのではないでしょうか。--Calvero 2006年8月22日 (火) 15:59 (UTC)
- 残念ながらそれでも文系方面の知人に質量とは何かを説明させてもまともな答えは返ってきませんでした。同じような質問を文系の著名人に行ったC. P. スノーを根拠に挙げましたが、これで大丈夫でしょうか? --spirituelle 2006年8月18日 (金) 19:46 (UTC)
- 体積と質量がどうとか、質量を「抽象的」としていたりとか、酷すぎます。書き換えるのならきちんと直してください。それとも、Spirituelleさんは質量が抽象的なものだと思っているのですか? -- NiKe 2006年8月19日 (土) 00:47 (UTC)
- 体積と質量に関しては失礼。罪滅ぼし(?)のつもりで科学史的な観点から体積と質量の関係を中心に、他の物理量との関係を書き加えておきました。ところで、質量は、電流等と同様に、「長さ」と比較したら明らかに抽象的な物理量ではないですか? 長さの定義には自明性がありますが、質量の定義は必ずしも自明ではないように思います。ソースがないので明言は避けますが、質量という概念を初めて重さから分離して、明確な定義を与えたのはニュートンではなかったかと思います。少なくともアリストテレスの時代にはそのような概念はなかったと思います。長さという概念はおそらく先史時代からあったでしょうし、人間以外の動物も持っているでしょうが、犬が質量の概念を持っているとはとても思えない(文系分野の著名人ですらそういう有様なのですから)。これを論拠として私は質量を比較的抽象度の高い物理量だとしているわけです。なお、署名を付加しておきました。スクリプトを用いれば別に大して面倒な作業でもないので。--spirituelle 2006年8月19日 (土) 07:47 (UTC)
関心のある者はそうかもしれないが、普通はそうではないと思いますがどうでしょうか。周りの人に質問されてみては。--以上の署名のないコメントは、210.172.74.142(会話/Whois)さんが 2006年8月18日 (金) 18:15 (UTC) に投稿したものです。
{{半保護S}} の記事はどこでもあるような記事ですね。このようなのがお好みでしたら別の辞典の参照という選択肢もあります。2006年8月18日 (金)--以上の署名のないコメントは、210.155.77.50(会話/Whois)さんが 2006年8月18日 (金) 18:22 (UTC) に投稿したものです。
(署名付加)は管理者の仕事かと思いました。本来は投稿者がするのですか。私に限らず 投稿の仕方が分からない人のために補助することは感謝します。--以上の署名のないコメントは、210.155.77.50(会話/Whois)さんが 2006年8月18日 (金) 19:11 (UTC) に投稿したものです。
「訳のわからない量」ではないものと思われますーーーですが実際はどうか調査したような 事例があれば読んでみたいと思いませんか。--以上の署名のないコメントは、210.172.74.142(会話/Whois)さんが 2006年8月18日 (金) 19:25 (UTC) に投稿したものです。
快刀乱麻で解決していただけました。spirituelle氏にはぜひとも管理者になってもらいたいと思いますがご辞退されているようです。--以上の署名のないコメントは、210.155.77.50(会話/Whois)さんが 2006年8月18日 (金) 20:06 (UTC) に投稿したものです。
- 署名を付けるのは誰でもない、投稿者自身がすべきことです。文末に「~~~~」と書き添えて投稿すれば自動的に付加されます(投稿画面の上部にある署名ボタンを押してもよい)。後から他人の投稿に署名を付加するのは読みにくいからであって、出来ればこんな面倒なことはやりたくありません。 -- NiKe 2006年8月19日 (土) 00:47 (UTC)
体積などは全く無関係ですーーーというのは間違いと思います。大いに関係がある。—以上の署名の無いコメントは、IP:210.172.74.142(会話/whois)氏が[2006年8月19日 (土) 11:09]に投稿したものです(spirituelle 2006年8月19日 (土) 07:47 (UTC)による付記)。
- 均質な密度を持つという条件によって特定しない限り、体積と質量は無関係です。ゆえに質量のなんたるかと体積は全く関係ありません。 -- NiKe 2006年8月19日 (土) 03:13 (UTC)
全く異なるものであるーーー事実を羅列しているに過ぎなく、その説明がないということでは前の版と何も違いはないと思いませんか。—以上の署名の無いコメントは、IP:210.155.77.50(会話/whois)氏が[2006年8月19日 (土) 11:15]に投稿したものです(spirituelle 2006年8月19日 (土) 07:47 (UTC)による付記)。
- 直後に説明が続いているのに読めないのでしょうか。読む気が無いのでしょうか。 -- NiKe 2006年8月19日 (土) 03:13 (UTC)
- 直後に説明が続いているのにーーーとあるが何処にも質量に関しては単に固有と言うだけで説明になっているとはいえないと思う。
- 意味不明。質量と重さとがどう異なるか、の説明は書きました。何の説明を求めているのですか? -- NiKe 2006年8月19日 (土) 09:25 (UTC)
質量の説明は書きましたーーーーそうですが固有と言うだけで説明したつもりになる方は世界広と雖も貴殿だけでしょう。お子様向きの説明には適当だが、貴殿は本当にそう思っているようです。210.172.74.142 2006年8月19日 (土) 12:43 (UTC)
- 難しいことはより詳しい方に任せましょう。できる範囲で書きましょう。それで良いではありませんか。なぜ固有なのかはいずれ誰かが(気が向けば)書いてくれるでしょう。できうるならば、ぜひ 210.172.74.142 さんにはより良い説明を記述することによって Nike さんを見返していただきたいところです。--Calvero 2006年8月22日 (火) 15:59 (UTC)
更に、物質固有というのは物体固有という前の版の言い回しのほうがはるかに適切と思うが。この部分だけでも訂正されてはどうだろうか。投稿不能なので、ここでしました。—以上の署名の無いコメントは、IP:210.172.74.142(会話/whois)氏が[2006年8月19日 (土) 11:24]に投稿したものです(spirituelle 2006年8月19日 (土) 07:47 (UTC)による付記)。
- 古い版の文章を利用したので「物質」になっています。どちらが適切かは正直言って分かりません。ただ、物質ではいけない、ということは無いと思われますので、他の方の判断に任せます。
- なお、もう私はあなた(たち?)の投稿に署名は付けません。ちゃんと自分で署名付加してください。やり方はもうお教えしましたしね。 -- NiKe 2006年8月19日 (土) 03:13 (UTC)
「物質」と「物体」の表現差はここではかなりあると思う。その差が意識になかったらしいがそのようなことでは読者にわかり易く説明することなど到底不可能と思うので、もし、最終版を目指すなら表現は細心の注意をして「「物質」になっていますーーー」」とか無検討ではなくそれらも検討した上で草稿していただきたいものです。多少は酷でも何度も読めば読者には分かっていただけると思う。—以上の署名の無いコメントは、IP:210.155.77.50(会話/whois)氏が[2006年8月19日 (土) 12:53]に投稿したものです(spirituelle 2006年8月19日 (土) 07:47 (UTC)による付記)。
Shotanaka もNIKEも管理者の能力はないようです。実社会では使いものにならない人物のような気がする。今は親が食わせていて、夜中までネットに耽られるが先はもう見えている。責任感もないようだし、調べてみたら多くの人から管理者の辞任を求められていることがわかったが、当然である。うろついても長い間には皆に無能さを覚られるだろう。悪いことは言わないから、自信のある分野だけにするよう薦めたい。210.155.77.50 2006年8月20日 (日) 11:30 (UTC)
- 何故ここでShotanakaさんの名前が出てくるのか分からないのですが、取り敢えずはWikipedia:個人攻撃はしないを御覧下さい。ついでに申し上げますが、Shotanakaさんは管理者ではありません。 -- NiKe 2006年8月20日 (日) 12:17 (UTC)
物体と物質
物体というのは具体的なもので、物質というのは抽象的なものです。物体から位置と量の概念を取り去ったものが物質です。「モノ」と「材質(組成)」と言い換えてみるとか、生物学でいう「個体」と「種」の関係や、英文法の可算名詞と非加算名詞の区別などを思い浮かべると理解の助けになるかもしれません。ですので、固有に質量を持ってるのは断じて物体でありまして、物質が固有に持ってるのはせいぜい密度ということになります。LR 2006年8月23日 (水) 02:59 (UTC)
上記の物体と物質の説明は大変に優れたものなので、補助説明として本文の方に昇格して掲載したいがどうだろうか。投稿出来なくなっているので誰か賛同される方が居られるようでしたら上手く組み合わせて頂きたい。210.172.74.142 2006年8月24日 (木) 11:20 (UTC)
- 物体は存在する実体そのものを指し示す用語であるし、物質は物体を構成する要素すべての総称で概念を指し示す用語です。質量との関係で言えば、物体はその量に応じた特定の質量の値もち、物質には質量を持つという性質があります(註;とはいうもののもちろん例外はあります。一般論とお考えください)。
- なので「このように質量とは物体が個々に有する固有な量あるが、その量の現れ方が2通り存在します。力学的には、物体に同じ外力を加えた場合、質量の値に反比例した加速度が生じます。一方、物質間には万有引力が働く性質があるため為、物体間には相互の質量の値の積に比例した引力が働きます。前者の質量を慣性質量といい、日常感覚的には物体の「動かしにくさ」、「止めにくさ」の違いとして感じられ、このような物体がもつ性質を「慣性」言います。また、後者の質量は重力質量と呼び、日常感覚的には個々の物体の「重さ」の違いとして感じられます。このように物質の持つ異なる性質の尺度である慣性質量と重力質量は、非常に高い精度で合致することが実験的に証明されています。今日まで、慣性質量と重力質量との間に相違が見いだされないので、通常は両者を区別することなく質量とよびあらわします。」(釈迦に説法であったかもしれませんが、非物理学者も読むのですからこのくらい噛み砕いて説明したほうがよいのではありませんか? まぁ、「である」調にする必要はあるけど)あら金 2006年9月9日 (土) 18:37 (UTC)
上記を、「である」調にしてみました。一部改変、以下。
- 物体は存在する実体そのものを指し示す用語である。似た用語で物質とは物体を構成する要素すべての総称で概念を指し示す用語である。質量との関係で言えば、物体はその量に応じた特定の質量の値もち、物質には質量を持つという性質がある(註;もちろん例外はあり。一般論と考えられたい)。
- 而して「かように質量とは物体が個々に有する固有な量あるが、その量の現れ方が2通り存在する。力学的には、物体に同じ外力を加えた場合、質量の値に反比例した加速度が生じる。一方、物質間には万有引力が働く性質がある為、物体間には相互の質量の値の積に比例した引力が働く。前者の質量を慣性質量といい、日常感覚的には物体の「動かしにくさ」、「止めにくさ」の違いとして感じられ、このような物体がもつ性質を「慣性」と言う。また、後者の質量は重力質量と呼び、日常感覚的には個々の物体の「重さ」の違いとして感じられる。このように物質の持つ異なる性質の尺度である慣性質量と重力質量は、非常に高い精度で合致することが実験的に証明されている。今日まで、慣性質量と重力質量との間に相違が見いだされないので通常は両者を区別することなく質量とよぶ。」—以上の署名の無いコメントは、210.155.77.50(会話/whois)氏が[2006年9月11日 (月) 16:47]に投稿したものです。
- 「物体はその量に応じた特定の質量の値もち、物質には質量を持つという性質がある」というのは何だか変ですね。前半と後半とそれぞれは正しいことを言っていると思いますが、この様につなげると質量が「量」ではなく「性質」であるかの様な印象を与えます。物体には「質量の値」、物質には「質量」を対応させている様ですが、後の文章で「物体」を使いながら「質量」(「の値」でなく)を使っています。実際その使い方で正しいのですが、するとやはり先の一文が変だということになります。この記事は「質量」を説明すればよいのであって、「物質」と「物体」の違いは説明しなくても良いのではないでしょうか。二つを同時に説明しようとして却って難しくなっている様に思います。つまり最初の一段落と二段目の「かように」をなくしたものでよいかと。ところでこの文章は本文中のどこに入れようとしているのでしょうか。 --UI 2006年9月12日 (火) 00:36 (UTC)
- 張り切っていらっしゃるところ申し訳ありませんが、素直に読むと「物質には質量がある」という意味になってしまう、控えめにいっても「知ってる人にだけ意味がわかる」、有害無益な文章です。以下のようにすればそこそこ誤解の余地が減じますが、それでも確固たる知見のある人にのみ「間違っていない意味にも読めなくもない」だけで、知らない人には結局さっぱりわからないでしょう。
- >「物体」は「存在する実体そのもの」を指し示す用語である。似た用語で「物質」とは「物体を構成する要素」すべての総称で、「概念」を指し示す用語である。質量との関係で言えば、物体にはその量に応じた特定の質量の「値」をもち、物質には質量を持つという「性質」がある。
- なお、分類の定義と違い、概念の定義には本質的に例外を認める余地がありませんので、言い訳は必要ありません。あるのは、その定義がそもそも採用されない(=別の定義が存在する)事例と、エライ先生も時々間違えるという失態ぐらいです。もし「質量を持たない物体」の分類に考慮しておられるなら「例外もある」ではなく「ルクシオンが例外である」と書いたほうがいいでしょう。
- また、それ以降の説明は、「慣性質量と重力質量は本来別の物性だがたまたま同じ値をとる」と説明しているように読めますが、それは妥当ですか。そうだとすると重力加速度という概念が成立しないように思われますが。この二つの用語はむしろ「実測値に付随する計測法に関する履歴情報」として扱うべきではないでしょうか。LR 2006年9月12日 (火) 01:32 (UTC)
- 慣性質量と重力質量が同じ値をとることの理論的裏付けはまだ存在してないんじゃないですか? それと大分前になりますが『物質が質量を持つことは断じてない』は言い過ぎじゃないでしょうか。
- それにしても、今の記事本文では質量が架空の概念みたいに読めてしまうのが気になリますね……。 -- NiKe 2006年9月12日 (火) 02:02 (UTC)
- コメントをつける場所に困ったのでとりあえずここに。質量が架空の概念と読める可能性が存在すること自体は別に問題ないのではないでしょうか。実際私は質量はフィクションだと考えています。私はマッハの考え方に100%賛同するわけではないですが、マッハ流に言えば質量など思惟経済の原則の産物でしょう。万有引力の比例係数・加速度の比例係数として、質量という架空の量を考えてみたら上手くいった。それだけの話です。この点に関しては、#重力質量と慣性質量にもありますが科学というより科学哲学的な捉え方の違いですので、直接記事には書きませんが。どうしても気になるなら、「質量は架空の概念ではない」と根拠も含めて執筆なさる(明示的でも暗示的でも構いませんが)のがWikipedia的だと思います。なお、「質量は比較的抽象的な量である」という私の意見に反論がありませんが、執筆しても構いませんよね? --spirituelle 2006年9月18日 (月) 18:52 (UTC)
- 反論。「質量は比較的抽象的な量である」というのは分かりにくいと思います。第一に誤解を招きやすい(物体に固有とか測定(もしくは測定に基づいて決定)可能とかいうことと、「抽象的」という言葉との整合性をこの文だけ読んで理解できるかどうか)。第二に二重の「的」が文章の意味を通りにくくしている。「比較的抽象度の高い物理量」(spirituelle 2006年8月19日 (土) 07:47 (UTC))という方がずっと良いと思います。(コメント)「電流」を例に出されましたが、「電荷」も抽象度が高いとお考えのことと思います。エネルギーもきっとそうですね。「時間」も相当抽象度が高いでしょう。そういう意味で「抽象度が高い」と記述するのはかまわないと思います。ただ、「抽象」という言葉の意味を誤解されない様に書くのは難しいかも知れません。また、導入文や「定義」や「概念」の項よりは歴史的あるいは文化的観点からの記述の項を設けて書くのが良いかも知れません。一読者としては、まず単純明快な説明でその概念を理解したのちに歴史的・文化的背景で理解を広げるという道筋を好みます。--UI 2006年9月18日 (月) 19:41 (UTC)
- コメントをつける場所に困ったのでとりあえずここに。質量が架空の概念と読める可能性が存在すること自体は別に問題ないのではないでしょうか。実際私は質量はフィクションだと考えています。私はマッハの考え方に100%賛同するわけではないですが、マッハ流に言えば質量など思惟経済の原則の産物でしょう。万有引力の比例係数・加速度の比例係数として、質量という架空の量を考えてみたら上手くいった。それだけの話です。この点に関しては、#重力質量と慣性質量にもありますが科学というより科学哲学的な捉え方の違いですので、直接記事には書きませんが。どうしても気になるなら、「質量は架空の概念ではない」と根拠も含めて執筆なさる(明示的でも暗示的でも構いませんが)のがWikipedia的だと思います。なお、「質量は比較的抽象的な量である」という私の意見に反論がありませんが、執筆しても構いませんよね? --spirituelle 2006年9月18日 (月) 18:52 (UTC)
- 質量が基本単位で力・加速度が組立単位であることの意味を考えて下さい。重力質量と慣性質量が等しいという前提で、計算上等しくなるように万有引力定数が定められているのですから、計測すれば解析段階で同じになるに決まっていませんか? もしこれが超高精度実験で差異が確認されても、書き換わるのは質量の定義ではなく重力定数や運動方程式だとおもいますが。
- それから、分子一ケより単位を少なく出来ないという量子的限界を除けば、任意の量を取りうるのが物質です。逆に物質に質量があるということが何も意味してしまうか考えてください。それは物質名だけで質量が自動的に固定量に決まる、分割も統合も出来ない、当然物体として一つしか存在してはいけないということです。化学(誤変換にあらず)の取り扱う範疇にそういうものはありえません。
- そして、そもそも質量は理想化された架空の概念です。実測値から各種補正を足したり引いたりして近づくことは出来ますが、結局真値に行き着くことはできません。そして、この種の理想化の手順なくして科学は構築できません。LR 2006年9月12日 (火) 05:38 (UTC)
- 一点指摘しておきます。LRさんが言われているのは、「ある物体の重力質量が慣性質量と等しくなるように万有引力定数を定めることができる」ということにすぎません。その万有引力定数を用いて測定した他の物体の重力質量が慣性質量と等しいかどうかは自明ではありません。それも等しいというのが、「重力質量が慣性質量が等しい」ということです。Dada 2006年9月12日 (火) 22:14 (UTC)
- 科学史的視点を導入してみてください。運動方程式自体が歴史的に重量を基準とした実験により立てられたものです。重力質量と慣性質量が等しいのは実験で確かめることでも定数で調整することでもなく、それは(無印の)「質量」という同一の物性値であるという定義を前提に運動方程式が作られているのですから、その一致は自明で定義なのです。齟齬が生じたら慣性質量と重力質量の関係式をたてるのではなく、その換算式部分は運動方程式に取り込んで、重(力質)量を変数として観察結果をよく説明する修正版とするだけなんですよ。LR 2006年9月13日 (水) 03:41 (UTC)
- LR氏の「科学史的視点を導入してみてください。」ーーーこの提案は実に素晴らしいと思う。歴史的経緯を知ることにより、理解が深まると思う。いっそうのことこの件に関しての先人の業績について本文を立ち上げるのもよかろうと思うので、誰かチャレンジ精神のある方は書いてみませんか。初めから完璧であることを気にせずに書いてみて下さい。210.172.74.142
- 議論が「物体と物質」から離れて久しいので#重力質量と慣性質量の節を設けてみました。--UI 2006年9月15日 (金) 22:42 (UTC)
質量の概念
ノートで論議されている内容は、私のような一般人には非常に哲学的な内容であるような気がします。たしかに「記述内容の正確さ」は必要と思いますが、それは本文に置いて求められる内容であって、見出し直下のダイジェスト部分に必要であるとは思えません。ダイジェスト部分を極めて簡潔にし、回りくどい説明やリンク先も無い人物の著作に関する部分については、表題のような見出し項目へ分離してみました。願わくばリバートが必要になるような編集は項目細部で行って頂き、ダイジェスト部分は最小の内容として頂けますよう、お願いいたします。NTJ会長 2006年9月4日 (月) 10:22 (UTC)
会長のおっしゃられることに賛同いたします。項目に分けて、徐々に内容を濃くしていけばよいと思います。そうでないと悪戯削除にあい全ての記事が無駄になるようです。210.172.74.142 2006年9月4日 (月) 14:47 (UTC)
質量の新しい定義 By gravity man 質量は物質を作るもの、質量は最小構成物の集まり、質量の働き、効果はミクロ的に見れば、重力をコントロールする素粒子で構成される。この構成要素とは光子がスピンしてリング状を回転する(スピンリングフォトンと命名)とき重力波が生まれる。スピンリングフォトンには2種あり、ビックバンのエネルギーを受けて創造された。この2種のスピンリングフォトンは吸気と排気するメカニズムを有し輪の中を光子が通過するとき摩擦が生まれ原初のエネルギー体として宇宙に存在することになる。回転するものは波が生まれ、これが重力波。スピンフォトンリング同士が近距離で出会うと、ポジトロニュウム(電子と陽電子がともに回る素粒子)になる。マクロ的には重力波が出会うと共鳴を起こしスピンリングフォトンから光子が排出される。このためスピンリングフォトン同士は引き付け合う。質量の1粒はスピンリングフォトンと同義語である。陽子、中性子はスピンリングフォトンの集合した結晶である。このように質量には2つの作用が存在する。一方は重力波を発信する働き、もう一方は受信して共鳴により光子のジェットを吐き出す勢いが反跳力を生み、重力の作用となる。物質を構成する物は2種のスピンリングフォトンであり、別名、電子と陽電子である。すなわち物質中に何個のスピンリングフォトンが存在するかによって質量の量を決める。陽子の中には1867個の電子と陽電子が奇数個存在し陽電子1個分の性質がプラス1個の電荷の性質をあらわす、また中性子は1868個の偶数個であるため、中性を保つ。共に電子と陽電子の結晶構造を有する。距離によって電荷の起こりや「クーロン力」「強い力」「電弱力」にも影響する。
チャールズ・パーシー・スノー
「物理学の基礎を正しく学んでいない者が質量とは何かを理解していないことは珍しくなく」、、、攻撃的な文章ですね。読者の神経を逆なでしそうです。チャールズ・パーシー・スノーというのが何者かもどの様な文脈で何と言ったのかも書かれていないし、そもそもこのような記述が、「質量」を理解する手助けになるのでしょうか。スノー氏の言説が「質量」について重大な発言であるならば多少攻撃的でも記載する価値があると思いますが、実際の文言はもっと簡単な質問「質量、加速度とは何か」(これは「君は読むことができるか」というのと科学的には同等である)をしたら、その教養高い人びとの十人中の幾人かは私が彼らと同じことばを語っていると感じたろう [1]ということの様ですし、質量の本質とは関係ないと思います。ここでは、理解していない人が多い云々をわざわざ強調したりせずに、淡々と質量とは何かを説明すればよいと思います。 --UI 2006年9月12日 (火) 00:15 (UTC)
- 「攻撃的」にしてしまったのは私かもしれません。その人物が、そういった指摘(質量という概念についての無理解)を行っている、という記述をそのまま正しい者として、文章表現だけをいじりましたので。そもそも、出典自体が怪しいようですので、コメントアウトしておきます。 -- NiKe
- 一応当該記述を最初に行ったのは私なので説明責任を。確かに言葉足らずで攻撃的な印象を与えてしまったのは否めません。ただ、スノーが質量を「文系の人間に理解してもらえないものの代名詞」として用いた(当該文章の直後に『新石器時代の祖先なみの洞察』と十分攻撃的な記述がありますし、大体not more than one in tenを「十人中の幾人か」と訳したのが解せないのですが)のは確かでしょうから、その点に関して記述があっても悪くはないのではないかと。ちょうど「訳が分からない量」と記述したがっていた方もいらっしゃいましたし。『淡々と質量とは何かを説明すればよい』とありますが、必ずしも「質量とは何か」だけを解説するだけではなく、「質量と社会との関係」、あるいは「質量は社会にどのように受け止められているか」を記述するのも百科事典の大切な役目だと思います。--spirituelle 2006年9月18日 (月) 18:52 (UTC)
- 正確な引用とその出典を明記した上で、「質量と社会云々」という項を設けて書くのであれば反対しません。「質量の概念」の項に書かれるのであれば反対します。質量そのものについては『淡々と説明』し、その周辺について色々と説明するのも百科事典的で結構と思いますが、混ぜてしまうのはよろしくないと考えます。--UI 2006年9月18日 (月) 19:52 (UTC)
- 合わせてこの項に返信します。確かにご意見の通りですので、記述する際は分けて記述することにいたします。如何せん数文では誤解を招きかねない内容なので、節を設けて記述する方がいいでしょう。--spirituelle 2006年9月19日 (火) 14:46 (UTC)
重力質量と慣性質量
上記#物体と物質での議論について、何か議論が食い違っている気がするので、長くなりますが、順を追って書いて見ます。「これが科学史だ」というわけではありません。念のため。
昔の人は重い物体は軽い物体より早く落ちると思っていました。中世の人は、密度の大きな物体は密度の小さな物体よりも早く落ちると思っていました。振り子の等時性から重さと運動の間に関係が無いことを確かめ、ピサの斜塔から異なる重さの物体を落としてその落下時間が同じであることが確かめられると、すべての物体は同じ速度で落下するということになりました。これは、とりもなおさず「重力質量」と「慣性質量」が等しいということですが、「重さ」と「重力による運動」との間には関係がない、と言い換えてもよいでしょう。その当時はまだ運動方程式も重力方程式も存在しなかったので「重力質量」と「慣性質量」という発想もありませんが、その二つを分離する代わりに「重さ」と「運動」を分離したわけです。惑星の運動から逆自乗則が導かれ「万有引力」の理論が構築される過程で「質量」という概念が持ち込まれ、ニュートン力学の構築の過程で「慣性」という概念が持ち込まれました。「質量」は物体に加わる(あるいは物体が他に及ぼす)重力を決定する因子であり、「慣性」は物体に力が加わった時の運動を決定する因子です。この二つの概念は全然別物ですが、振り子の等時性の実験により、非常に高い精度で比例関係にあることがわかりました。これを現代の言葉に直すと「重力質量」と「慣性質量」が等しいとなりますが、当時は「質量」と「慣性」には比例関係がある、となります。で、比例関係にあるからには、LR氏の言うような換算をしてやると、「質量」と「慣性」は等しいということも出来るわけです。その後、アインシュタインが「等価原理」を基礎にして一般相対性理論を打ち立てるまでの間は、なぜ二つが等しいのかが問われ、それを検証する実験が行われてきましたし、アインシュタイン以後も、一般相対論を検証するための手段の一つとして、等価原理の精密検証実験が行われています。
おおざっぱな歴史は大体こんなところと思いますが、「重力質量」と「慣性質量」という言葉ではなくとも、常に二つの概念が並立していることに注意して下さい。その二つとは端的に「重力」と「運動」と言ってよいと思います。重力方程式と運動方程式とは独立した別々の方程式です。このこと自体が「質量」(重力質量)と「慣性」(慣性質量)との独立性を保証しています。その二つが等しいのは定義ではなく、実験的事実です(振り子の運動、物体の落下)。運動方程式の構築に際して重力を用いた実験が用いられたのは、ひとつの物体に同じ力を加え続けることが重力以外では困難だから、あるいは身の回りに「加速度」を感じさせる現象が落下しかなかったから、と言ってもよいと思いますが、そこで終わっていれば、それは単なる重力理論に過ぎなかったわけです。運動方程式を重力から開放したところに新たな地平が開け、そこに「慣性」の世界があるわけです。運動方程式は単に重力と質量と加速度の関係を表すだけのものではなく、もっと一般的に力と慣性と加速度の関係を表すものです。だからこそ電磁気力にも適用出来る一般力学になったのです。もし、振り子に等時性がなく、重さの異なる物体の落下速度が異なっていたら、運動方程式には「質量 m」の代わりに「慣性 i」が入っていたでしょう。実験により、「慣性 i」が「質量 m」に比例していることが分かったので、運動方程式に「質量 m」が入っていると言ってよいと思います。以下コメント
- LR 2006年9月12日 (火) 05:38 (UTC): 超高精度実験で差異が確認されても、書き換わるのは質量の定義ではなく重力定数や運動方程式だとおもいます
- LR 2006年9月13日 (水) 03:41 (UTC): 齟齬が生じたら慣性質量と重力質量の関係式をたてるのではなく、その換算式部分は運動方程式に取り込んで観察結果をよく説明する修正版とするだけ
条件付きで正しいです。
- その差異(齟齬)が「比例関係」で説明出来る時には運動方程式は今の形式で済みます。比例定数をどこかに押し込んでしまえば済みます。LR氏の仰せの通りです。
- それ以外の関係式で説明される時には、方程式の形式が変わってしまう、ニュートン力学が崩れ、一般相対論も崩れます。その関係式によって二つの質量の「本質」が解明され、ひとつの「質量」で表すべきとなるかもしれないし、そうでないかもしれません。
- そもそも関係式が見出せなかったら?運動方程式を「質量 m」で記述することが出来なくなります。重力質量と慣性質量とを明確に書き分けなければなりません。
ちなみに「等価原理」の検証実験は、それぞれの質量の精密測定ではなく、その比の測定と言ってよいと思います。その様な実験ではそもそも比例関係(1.)は検出できません。検出されるのは(2.)(3.)のいずれかです。--UI 2006年9月15日 (金) 22:42 (UTC)
- 互いに事実関係の誤認はないと思います。その解釈時点で科学哲学とか形而上学とかの領域で差が出ているだけで。提示された歴史の部分に異存なし、コメント直前までの部分にはちょっと腑に落ちないところが。運動方程式では力の種類に言及していないので、電磁気もちだされても、結局質量はつかいますよね? ただ、貴方もその事に気づいていないわけではないようで、最後の箇条書きの部分に見解の差が凝縮されているように思います。
- まず、箇条の2までを「仰せのとおり」といって下さらなかった事は一寸不満です(笑)。相対性理論がニュートン力学を崩したように、相対性理論が崩される番になり、それを為したものの名が記憶される訳です。そして、物理学は現時点で充分に二つの質量の「本質」を解明できている気になっていて「ひとつの質量で表すべき」という運用をしています。この点を私は口をすっぱくして申し立てているわけです。
- そして箇条の3、ここから何を言おうとするかがお互いの視点というか立ち位置の違いをあらわしています。iをmで記述できなくなったら、質量の定義が重力質量だけになって、今回のような混乱が起こらなくなって万々歳、私は困りません。慣性iを質量mで記述すると決めた、「慣性質量」なる語が出来上がった時点で、概念iは見かけ上生き残っていますが本質的に棄却されたも同然なんですよ。「自明の定義」はこの時点で入ってしまうんですね。そして、箇条3の事態が起こったときがiの復権のときで、質量と混同されない基本単位が与えられるはずです。
- 実は、私も次の手として重量質量と慣性質量を言い換えて説明する事を画策していました。貴方はそれを「質量」と「慣性」としましたが、私は「実測質量」「逆算質量」としようとしていました。一致しなかったら計算法が間違っているに決まっている、どうしても合わなかったらあきらめろ、という意味です。何をキャンセルする事で何を強調しようとしているのかの立場差がよく現れていると思います。また、あなたの言いかえが「重力」と「慣性」にならなかったところが意義深く、質量の原義が重力質量のほうであることを端的にあらわしていると思います。LR 2006年9月16日 (土) 01:42 (UTC)
事実については異論がなくてその捉え方が違うだけ、となるとなかなか難しいですね。現実問題としてはWikipediaの記事には検証可能な事実しか書かれないので、まあ良いと言えばよいのでしょうが、興に乗ってもう一言。「質量とは重力質量のことであり、慣性質量は枝葉末節」と思うならば「重量」という言葉を使えばよい様に思われます。私の捉え方は、「質量 mass」というのは「物質量」だということです。物質量とは何か?ある物体がどれだけの量の物質で出来ているか、ということです。きちんとした定義は物質の本質がわからない限り出来ませんが、とりあえず測定出来る物質量としては「体積」「重量」「個数」が考えられます。重力や運動という現象を法則として定式化してみると、「重量」を使うのがもっとも都合がよいので、「質量」は「重量」を用いて表すことにします。ただし、「重量」はあくまでこの物質量(「質量」)を測る一手段であって、本質ではありません。ここでLR氏の言う "「慣性質量」なる語が出来上がった時点で、概念iは見かけ上生き残っていますが本質的に棄却されたも同然" は私の捉え方では "「質量 m」が導入された時点で「重さ w」と「慣性 i」とは本質ではなく「質量」から生まれる二次的効果に退いた" と言うことになります。ただしこれは捉え方なので記事本文に書くわけにはいきません。 "「慣性」が本質で重量はそこから生まれるもの" と言われても否定することは困難です。ともあれ、ここまではLR氏の言うことは単に言い回しの差で、本質的には同じと言ってもいいでしょう。問題はこの先ですが、「『質量』が本質であり、『慣性質量』=『重力質量』は定義である」というのは個人的捉え方としては結構と思いますが、現時点では万人の認める検証可能な事実ではありません。質量とは何なのか、何故それが重力を生み、慣性を生むのかが解明されて初めて、何が本質で何が定義かを事実として言うことができます。以下コメント
- "箇条の2までを「仰せのとおり」といって下さらなかった": 失礼。2の前半までは仰せの通りです。で、後半ですが、何が本質か分かるまではどう転ぶかわからないという意味で仰せの通りとは限りません。「質量」の再定義がなされるかも知れません。ところが、LR 2006年9月12日 (火) 05:38 (UTC) "書き換わるのは質量の定義ではなく重力定数や運動方程式だとおもいますが" と書かれているので、「仰せの通り」とは言われないのです。
- "物理学は現時点で充分に二つの質量の「本質」を解明できている気になっていて「ひとつの質量で表すべき」という運用をしています": それはちょっと違うと思います。「本質」は解明出来てないけれどとりあえず同じに見えるから同じとしておこう、という態度でしょう。解明できている気になっているわけでもすべきといっているわけでもないと思います。態度はともあれ、「ひとつの質量で運用している」、というのはその通り。素粒子の標準理論でニュートリノの質量をゼロにしておこう、というのも似た様な態度です。
- "iをmで記述できなくなったら、質量の定義が重力質量だけになって、今回のような混乱が起こらなくなって万々歳、私は困りません。": 態度としては大変結構と思います。ただし「質量の定義が慣性質量だけになって重力質量を別の言葉で言い替える」可能性もあると思います。「電荷」「磁荷」という系列に並べて「重荷」になるかも知れません(「おもに」と読まれたら困りますが)。因みに質量とは何か、ということについてヒッグスの提唱した理論で説明されるのは「慣性」です。重力はこの枠外ですからこの方が可能性が高いかも知れません。
- "箇条3の事態が起こったときがiの復権のときで、質量と混同されない基本単位が与えられるはずです": そうですね。質量の単位 kg は明らかに重量起源ですから、重力質量は kg、慣性質量は別の単位ということにはなるでしょう。そのことと、「質量」の名称がいずれかから外されるのか、外されるとしてそれはどちらか、とは必ずしも関係しないでしょう。
- "質量の原義が重力質量のほうであることを端的にあらわしていると思います": うーん、「はい」と言いかけましたが、単に万有引力の方に先に導入されたから、という方が近いと思います。「質量」と「慣性」と言わず「重量」と「慣性量」とでも言う方が説明はしやすいですが、「重量」にはすでに若干違う意味で使われており、「慣性量」などは聞いたこともないので使いませんでした。実際、運動の法則の説明で「物体の質量はその重さに比例する」という説明を見ることもあります。ここでいう「質量」は明らかに「慣性」のことですから、「質量」と「慣性」の代わりに「重さ」と「質量」という人もあるかも知れません。私は万有引力の説明に「質量」と書いてある方を採用したので「質量」と「慣性」になりました。また、原義とまでは言わずともそこから引き出されたものには違いないので、LR氏の言おうとしていることが私の察する通りならば、はい、仰せの通り、と言ってもいいです。
と、まあ、長々しく書きましたが、異論があってもよいと思います。ただ、記事本文に書かれるべき検証可能な事実としては「慣性質量=重力質量」は『定義』ではなく『実験的帰結』だということは確認しておきたく思います。--UI 2006年9月17日 (日) 14:28 (UTC)
- 興が乗って、ということでお付き合いいただいけているのなら、もうすこし続けてもいいですか。あとすこし、言葉の定義をすり合わせれば一致できるところまで近づいてきているとおもいますので。
- もうひとつwというものを持ち出して大変優れた説明をしていただいた訳ですが、これはiの失脚だけを述べて、当然という理由でwも失脚していることに言及するのはサボった私より判りやすいものになってると思います。でもそれはつまり、実験的に重量wと慣性iがどこまでも比例することを説明するために、物理学は、それはどちらも質量mという理想概念の「影」なんだと仮定した、ということですよね。ここでは質量仮説と呼ぶことにしますが、これが私の言う「わかった気になってる」です(説明もその場でしてたつもりだったんですね)。ですから、世の中wとmが区別できない馬鹿ばっかと指摘して悦に入ってた御仁じゃないですけど、iとmだって区別してもらわないと困ります。
- つまり慣性質量は、あくまでも質量仮説に基づき「iから逆算されたm」であってiそのものじゃないんです。wそのものではない「wを補正して得たm」である重力質量と同じになってあたりまえなんです、おなじ概念mを、かつて実験で求めた定数使って計算してるんですから。これは実験じゃなくてただの算術操作です。実験事実といえるのはあくまでも「w∝i」という仮定は追試に耐えてきた、今回もまた耐えた、までですよ。これで、どういう記述にするのがふさわしいか、見えてきたように思いませんか。LR 2006年9月18日 (月) 14:11 (UTC)
- しばらくお休みしますのでこの後反応が途絶えると思いますが、ご容赦願います。戻ってきたら再開する積もりです。で、とりあえず本日のコメント。「仮定した」を「わかった気になってる」と書くのはよろしくないです。いわんとすることの正確性を損ないますから。「iとmだって区別してもらわないと困ります」そうですね。「「iから逆算されたm」」iからmはどうやって算出するのでしょうか。「同じになってあたりまえなんです、おなじ概念mを、かつて実験で求めた定数使って計算してる」うーん、やはりここが一番よく分からないところです。同じ重量で材質の異なる物体を同じ高さから落下させて地上に到達する時間を測ったとします。この時間が異なっていた場合、「同じになってあたりまえ」とはいかないわけです。具体的に「かつて実験で求めた定数」とは何か、どの様に「計算してる」のかを明示して頂ければ議論がしやすくなると思います。--UI 2006年9月18日 (月) 20:15 (UTC)
- ご都合了解しました。ではお戻りにになられた時のために。iからmはどうやって、は、逆に私が驚きました。私は貴方が途中でiの定義をすりかえたのを見逃さずにかつ賛成してついて行ったつもりだったのですが、そうではなくご自分でお気づきになってなかったんですね。mとiを比べてた時はそれぞれの次元は質量でした。まさにそれを議論しているので一寸不都合ですけど、とにかく次元が揃っていました。でもwが持ち込まれた際にiの次元を力に変えて、mではなくwに合わせませんでしたか? 逆にそうしてくださらないと、対比が生きずにストーリーが美しくないのですが(笑)。で、変更があった前提で続きを進めましたので、慣性iから慣性質量miを求めるには操作が必要です。慣性質量を求める実験だってつまりは慣性を計ってるはずですが。注意点は、人間は係数が1だと次元を操作している事自体を認識できない事がある、ということです。それは単位系のトリックにすぎないんですけれども。kgf目盛りの力計を「秤」などと呼んで商取引に用いる事を許すから、多くの人が「石器人並」に留まってしまうわけです。あれを法律で全部N目盛りに変えてしまえば、イヤでも全員が思い知るでしょう(実際は全部の秤が天秤になるだけでしょうけれども)。急ぐ必要はないようなので、続きはまた。LR 2006年9月19日 (火) 22:49 (UTC)
- よい指摘とおもいます。前回コメントを書いていて、言葉だけの概念論ではすれ違いを避けられないことを痛感しました。そのすれ違い(LR氏のいわゆる「すりかえ」)を避けるために、定義の確かなものを使って具体的な手順を論じましょう、と提案した積もりでした。その手始めとして「iからmはどうやって算出する」かを尋ねました。各自にとっては自明のことでも明示的に定義しなければ先の議論がすれ違うのであえて問いました。私なら「m=i」ですが、LR氏の定義では「m=i/a」と答えて下さればよいわけです。本当に聞きたかったのはその次の質問で、それに答えて下さっていないのが残念です。今となっては蛇足に思える第一問に拘ってしまわれたのでしょう。「対比が生きずにストーリーが美しくない」にはなるほどと思いました。感心しました。LR氏が想定したものは通常は「慣性力」と呼ばれるものです。「慣性」ではなく「慣性力」を使った方が対比の上ではよかったかも知れません。それはまあ定義の問題ですから置くとして、肝腎の問題:「慣性質量=重力質量」は『定義』か『実験的帰結』か、に戻りましょう。前回と同じ質問をより具体的に繰り返します。今回は一般に使われない量 i はやめて(気に入らないかも知れませんが)定義の確かな m_i を使います。物体 1, 2,... があります。重さはそれぞれ w1, w2, ... です。これらの物体が落差 h だけ落下するのにかかる時間 t1, t2, ... を測ります。h を様々に変えて観測すると、これは等加速度運動とみなせることが分かります。そこで落下の加速度 a1, a2, ... を決定します。a = 2h/t^2 です。すべての物体でこれが等しかったならば、重力加速度 g=a1=a2=... と決定することができます。これらの物体に働く重力=重さですから w1, w2, ... と a1, a2, ... を運動方程式に放り込むと、慣性質量 m_i1, m_i2, ... が求められます。m_i = w/a です。これが重力質量と同じであると仮定すると、重力方程式の重力定数 G を決定することができます。 G = gR^2/M ( M は地球の質量、R は地球の半径。それぞれ測定済とする)です。実際の G の決定方法はともかく、たぶんこれがLR氏の「重力質量と慣性質量が等しいという前提で、計算上等しくなるように万有引力定数が定められている」という主張にそう道筋でしょう。さて、 t1, t2, ... が違っていたとします。のみならず、二つの測定量 t と w との間に何らの関係式も見出せなかったとします。この場合、 G はどうやって決めますか。また、G が決まっていたとして m_i と m_g はどうやって決めますか(「iから逆算されたm」における逆算の式と「wを補正して得たm」における補正の式を尋ねております)。--UI 2006年11月1日 (水) 22:48 (UTC)
- 私から言うのも変ですが、本文の「2つの質量」の所に抵抗質量という言葉を書いてしまったが、訂正、修正、削除などは必要ないんでしょうか。読み返して思ったのですが。--219.127.66.160 2007年3月15日 (木) 03:41 (UTC)
- 「抵抗質量」の用例は見つからなかったので造語と判断し、削除しました。--Insadong07 2007年5月14日 (月) 20:11 (UTC)
- 私から言うのも変ですが、本文の「2つの質量」の所に抵抗質量という言葉を書いてしまったが、訂正、修正、削除などは必要ないんでしょうか。読み返して思ったのですが。--219.127.66.160 2007年3月15日 (木) 03:41 (UTC)