ノート:越国
嶺南が近畿かどうかなどという関連記事でも議論の対象となっているような、また、近年の政治的主張と関係するような記述をわざわざ越国の記事で用いる必要はありません。また、どの時期までにヤマト王権の勢力下にあったかということが近畿か近畿でないかという区分けになっているわけでもありません。
継体天皇の時代を契機にヤマトと合一、というのも出典不明瞭です。越国に限らず、ヤマト王権時代に勢力下になった各地域はどれもその過程が明確になっているとは言えません。あるとすれば~のような説がある、という程度のものです。時期・過程を断定したような記述は削除しました。更に、継体天皇の出自も越前説と近江説があり結論が出ているものではありません。越国の記事で断定的記述をする必要はありません。219.2.18.46 2007年3月23日 (金) 23:44 (UTC)
越国建国
[編集]越国は、孝徳朝(645年~654年)建国された の記述の出典の書籍、熊田亮介「古代国家と秋田」 塩谷順耳・冨樫泰時・熊田亮介・渡辺英夫・古内龍夫『秋田県の歴史』山川出版社 2001年5月 39ページ、ISBN番号が欲しい。歴史的重大断言です。熊田某などによれば建国されたとの説もある程度にとどめてはいかがか。[1][2]--Namazu-tron 2010年7月7日 (水) 00:41 (UTC)
- ISBN 4-634-32050-9。奥付には著者と図書名、出版社、発行年月日だけですが、山川出版社の「新版県史シリーズ全47巻」の一冊であることを付け加えておきます。
- さて、著者(秋田大学教育文化学部教授)は、越という国が建てられたのですから「建国」という言葉を使ったのでしょう。「建国」が不適切ならば他の用語にしては如何でしょう。ウィキペディアは、共同して造り上げる百科事典ですから前編集が不適切であるとお考えなら書き換える事が通常行われていることではないでしょうか。Wikipedia:ページの編集は大胆にというガイドラインもあったように思います。--Musashi 2010年7月7日 (水) 12:23 (UTC)
- 横から失礼します。標記文献を持っておりますが、ここで言っている建国とは、令制国を建てたということです。なので本記事定義文で言っているところの「古代の勢力圏」が建てられたという訳ではありません。Namazu-tronさんは勢力圏の意味で捉えていらっしゃるようですが、これは誤解です。ただ、「建国」自体は別に「歴史的重大断言」でもなく「説もある」というレベルでもなく通説と言ってもよいものですが、令制国の範囲の参考にされた古代の勢力圏自体が建てられたとの誤解を招く虞が多分にありますので、何らかの注記は必要かと思います。--ろう(Law soma) D C 2010年7月8日 (木) 09:35 (UTC)
- 全体として重複記載や類似項目の分散が見受けられましたので、歴史節全体を大まかに表記、伝承等、範囲、令制国としての歴史に4分してみました。その後Namazu-tronさんが節を分割されて、更に分かりやすくなったと思います。ただ、「概要」と「歴史」に分けるのはちょっと問題かと。「概要」というのは長い記事の要約を冒頭に書く場合に使うものですし、「歴史」とするとNamazu-tronさんもお分かりのとおり令制国建国以前からの「勢力圏」としての歴史を含まないものになってしまいます。ちょっとご再考をお願いします。--ろう(Law soma) D C 2010年7月9日 (金) 04:35 (UTC)
- Namazu-tronさんのおかげですごく良くなりましたね。--ろう(Law soma) D C 2010年7月12日 (月) 00:57 (UTC)
- 全体として重複記載や類似項目の分散が見受けられましたので、歴史節全体を大まかに表記、伝承等、範囲、令制国としての歴史に4分してみました。その後Namazu-tronさんが節を分割されて、更に分かりやすくなったと思います。ただ、「概要」と「歴史」に分けるのはちょっと問題かと。「概要」というのは長い記事の要約を冒頭に書く場合に使うものですし、「歴史」とするとNamazu-tronさんもお分かりのとおり令制国建国以前からの「勢力圏」としての歴史を含まないものになってしまいます。ちょっとご再考をお願いします。--ろう(Law soma) D C 2010年7月9日 (金) 04:35 (UTC)
- 横から失礼します。標記文献を持っておりますが、ここで言っている建国とは、令制国を建てたということです。なので本記事定義文で言っているところの「古代の勢力圏」が建てられたという訳ではありません。Namazu-tronさんは勢力圏の意味で捉えていらっしゃるようですが、これは誤解です。ただ、「建国」自体は別に「歴史的重大断言」でもなく「説もある」というレベルでもなく通説と言ってもよいものですが、令制国の範囲の参考にされた古代の勢力圏自体が建てられたとの誤解を招く虞が多分にありますので、何らかの注記は必要かと思います。--ろう(Law soma) D C 2010年7月8日 (木) 09:35 (UTC)
鼠とは蝦夷または蛮人
[編集]仮説、「ノート:鼠ヶ関#鼠とは蝦夷または蛮人」も参照して下さい。コメントなどはここではなく、ノート:鼠ヶ関にて願います。--Namazu-tron 2010年7月18日 (日) 01:41 (UTC)
高志国への改名提案
[編集]現在の「越国」の記事名を、今は越国へのリダイレクトになっている「高志国」に改めることを提案します。天武・持統朝に存在していた国の名が高志国であることは、複数の木簡から確実です。越の表記が、高志国分割以降のものだということも、(分割と完全同時かの確証はありませんが)だいたい認められています。高志国にするのは、後世の表記から当時の表記に改めるという意義があります。
高志はなじみがないと考える人もいるでしょうが(私もそうでした)、近頃ではかなり普及しているようです。ネット検索では「越」も「高志」もノイズが入ってうまく比較できませんが、印象として、越が優勢だけれど高志も珍しくないという状況にはなってきたと思います。
もう一つ、提案理由としては、「越」は中国史の国、「越国」は日本史の国という今の住み分けが釈然としないこともあります。日本の越だって地域名としては越なのですし、中国の越も越国であるわけですから。
と分けて、「越」の記事名を中国史に譲るほうが、すっきりするように思います。
あわせて、ここでは地域勢力圏として記述されているものを、7世紀半ばからあった令制国として記述するよう、定義を書き直すことも提案します。それ以前の高志は、少々伝説のもやがかかった地方名であるのに対し、7世紀半ば以降の高志国は確定事実です。北陸地方#歴史との分担など頭を悩ますところはありそうですが、高志国となった記事の中で7世紀前半以前について記すのはよいと思います。--Kinori(会話) 2013年11月22日 (金) 02:52 (UTC)
コメント 現状では『マイペディア』が「越国」、『世界大百科事典』が「越」([3])、『日本大百科全書』が「越国」([4])となっています。他の事典類も確認した上で、「高志国」を見出しとしたものがない、もしくはまだ「越国」を見出しとしたものの方が多いということであれば、「高志国」と改名するのはまだ早いと考えます。記事の現状では、「越」「高志」「古越」表記についての解説および出典が少なく、まずはそこを充実させるのを先にした方がいいと思います(特に最新の研究成果について書くことは、いいことと思います)。また、記事を7世紀半ば以降の令制国のものとすることも賛成できません。豊国や筑紫国、吉備国などの記事同様、令制以前の記述も残すべきと考えます。--立花左近(会話) 2013年11月22日 (金) 14:33 (UTC)
- 書籍のレベルでは両方出ていると思うのですが、他の百科事典にならうというのは立派な理由です。他に賛成の意見もありませんので、改名については取り下げます。
- しかし、定義文の書き換えは必要だと考えおります。今ある定義、すなわち「現在の福井県(中略)地域を領した、上古の勢力圏である」という説明は、誤っている可能性が高いのです。北陸地方が(ヤマト政権に従属的であれ独立的であれ)一つの政治的勢力圏があったことを示唆する証拠はありませんし、そうした学説もありません。私が知らないだけで実はどこかにあるのかもしれませんが、少なくとも有力な説ではありません。そういう知識の上に立つと、上古に「越国」なる一つの国があったと誤解させるような定義はいかがなものかと思うわけです。
- 学問的に支持されていない説を退けた上で、なおも7世紀前半以前に焦点をあてた文章を考えるとなると、「日本の古代にあった地域」などとなるでしょう。しかし7世紀後半の高志国は、確かに存在した、当時の令制国の中でも相当に大きな国です。「国」を記事名にしながら、実在の国を退けて、伝説で語られる時代を前面に出すことはないでしょう。
- それと、現在ある記述を削るつもりはありません。孝徳天皇の時代を境にして二分し、地域の越の歴史と、令制国の越の歴史に2分することを考えています。--Kinori(会話) 2013年11月30日 (土) 11:05 (UTC)
- 信頼できる情報源により定義に誤りがあれば正すのは当然のことと思いますし、より適切な構成にするのはいいことだと思います。表記のことですが、もちろんご存じのことと思いますが、例えば美濃国は7世紀の木簡には「三野国」と書かれていましたし、同じく信濃国は「科野国」と書かれていました。それが最終的には美濃国や信濃国に確定して長く続き、記事名もそれが採用されている。古志国は分割されてしまった上、「越国」と表記するようになったのが分割以後らしいというところが問題なわけですが、分割されなかった国の国名表記と整合性を取るという意味で、後世に確定した表記、すなわち現行の記事名のままにするという考え方もあるかもしれません。--立花左近(会話) 2013年11月30日 (土) 13:46 (UTC)
- お返事遅れました。では、改名の話は「しない」ということで決しましょう。定義の書き換えについては、さらに反対が出るようでなければ、数日中にやらせてください。その文面で具合が悪いということでしたら、また議論をお願いします。--Kinori(会話) 2013年12月13日 (金) 01:49 (UTC)
- 数日どころか数か月後になりましたが、冒頭部と表記の部分を書き直しました。それより下の部分についても改めたいところがありますが、それについては別の節で。--Kinori(会話) 2014年5月1日 (木) 03:16 (UTC)
鼠の移動と蝦夷の移住
[編集]ノート:渟足柵でも指摘したことですが、鼠の移動を柵の前兆とした『日本書紀』の記事について、鼠を蝦夷のことと解釈する説は、歴史学者が唱えたものではありません。鼠前兆記事は何も東北辺境だけでなく、大和での遷都についてもあります。都に蝦夷がたくさん住んでいて、彼らの移住によって遷都が実現した、などということは考えようもありませんので、鼠=蝦夷という説は普通には出てこないのです。鼠=蝦夷説は、3つの脚注の中の「古代の郷土」というサイトにだけ書かれています。これは郷土史研究家が地元で配布した冊子である『村のあれこれ 大毎雑記帳』の一部であるようで、ウィキペディアに掲載する重みがある学説とするのは無理があります。ここは削ったほうがよいと思います。--Kinori(会話) 2014年5月1日 (木) 03:16 (UTC)
- #鼠とは蝦夷または蛮人の指示に従い、ノート:鼠ヶ関に書きます。--Kinori(会話) 2014年5月7日 (水) 23:03 (UTC)
- ノート:鼠ヶ関で反対意見がありませんでしたので、そちらともども鼠を蝦夷とみなす解釈を除きました。--Kinori(会話) 2014年6月18日 (水) 03:32 (UTC)