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嶺南

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
嶺南
三方五湖レインボーライン山頂公園から見た若狭湾
三方五湖レインボーライン山頂公園から見た若狭湾
嶺南の自治体 1. 敦賀市 / 2. 小浜市 / 3. 美浜町 / 4. 高浜町 / 5. おおい町 / 6. 若狭町
嶺南の自治体
1. 敦賀市 / 2. 小浜市 / 3. 美浜町 / 4. 高浜町 / 5. おおい町 / 6. 若狭町
日本の旗 日本
 福井県
最大都市 敦賀市
面積
 • 合計 1,099.91 km2
人口
(2024年10月1日)
 • 合計 127,886人
 • 密度 120人/km2

嶺南(れいなん)は、福井県山中峠木ノ芽峠栃ノ木峠以南の地域名。令制国若狭国全域と越前国敦賀郡(現・敦賀市)に相当する。若狭地方と呼ばれることもあるが、若狭国とは範囲が異なる。

概要

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呼称は、北陸道(北国街道)の難所である木ノ芽峠(木嶺)より南側を『木嶺以南』(もくれいいなん)と呼び始めた事に由来する。

木ノ芽峠(木嶺)は1876年敦賀県廃止による石川県滋賀県への編入時に両県の県境となり、1881年の福井県再設置以降も地域区分の境界となっている。

嶺北との境界は山中峠木ノ芽峠栃ノ木峠稜線である。地域名としては天気予報などで日常的に用いられる。

嶺南には若狭湾岸、江戸時代小浜藩領および支藩の敦賀藩領といった共通項が見られる(後節も参照)。

観光ガイドなどで北近畿に含まれることもある。京都までの距離が短く、道中では琵琶湖水運も利用できるため、若狭湾岸の港は歴史的に京都の「日本海側の外港」という側面を持っており、近江国とのつながりも強い。その影響もあって、嶺南地方で話されている方言(嶺南方言)は近畿方言に分類され、舞鶴弁近江弁などに近い。

また、嶺南には原子力発電所が多く立ち並ぶため「原発銀座」としても知られる。敦賀市以外の嶺南地域は中日本エリアでは三重県の熊野市地域とともに関西電力送配電の営業地域となっている。

自治体

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以下の2市3郡4町からなる。

地域名称

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この地域を表す名称として、嶺南のほかに若狭という名称が用いられることもある。敦賀市は、令制国では北陸道の入口として越前国に属しているが、若狭湾に面する地理的な位置や、江戸時代には若狭酒井家の統治する小浜藩(若狭藩)の領地(越前敦賀郡の大部分は小浜藩領(若狭藩領)・残りが小浜藩(若狭藩)の支藩である敦賀藩の領地)であった歴史的背景から、便宜的に嶺南を「若狭」という名称で扱われることがままある[1]。一方で、1942年の地方官官制改正による地方事務所の区分でも見られる、敦賀市と三方郡の嶺南東部を「二州[2]、遠敷郡(小浜市など)と大飯郡の嶺南西部を「若狭」と表示される例もある。ただし、若狭(旧国名)に比べて、二州(「二」は越前国と若狭国の2国、あるいは敦賀郡と三方郡の2郡を指す)の名称はあまり一般的ではない。

市町村合併

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いわゆる「平成の大合併」において、8市町村を一つにする「嶺南一市構想」が持ち上がったが、意見が集約できず、結局は、若狭町おおい町の発足に留まっている。

沿革

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市町村制施行以降の沿革(概略)

明治22年以前 明治22年4月1日 明治22年 - 昭和20年 昭和20年 - 昭和30年 昭和31年 - 昭和63年 平成元年 - 現在 現在
越前国 二州 敦賀郡
敦賀町
昭和12年4月1日
敦賀市
敦賀市 敦賀市 敦賀市 敦賀市
敦賀郡
松原村
敦賀郡
東浦村
敦賀郡
東浦村
敦賀郡
東浦村
昭和30年1月15日
敦賀市に編入
敦賀郡
東郷村
敦賀郡
東郷村
敦賀郡
東郷村
敦賀郡
愛発村
敦賀郡
愛発村
敦賀郡
愛発村
敦賀郡
中郷村
敦賀郡
中郷村
敦賀郡
中郷村
敦賀郡
粟野村
敦賀郡
粟野村
敦賀郡
粟野村
若狭国 三方郡
西郷村
明治31年4月1日
三方郡
北西郷村
昭和29年2月11日
三方郡
美浜町
三方郡
美浜町
三方郡
美浜町
三方郡
美浜町
明治31年4月1日
三方郡
南西郷村
三方郡
耳村
三方郡
耳村
三方郡
山東村
三方郡
山東村
三方郡
西浦村
明治40年7月1日
三方郡
西田村
昭和28年4月1日
三方郡
三方町
三方郡
三方町
平成17年3月31日
三方上中郡
若狭町
三方上中郡
若狭町
三方郡
田井村
三方郡
八村
三方郡
八村
三方郡
十村
三方郡
十村
昭和29年3月2日
三方郡
三方町に編入
若狭 遠敷郡
鳥羽村
遠敷郡
鳥羽村
昭和29年1月1日
遠敷郡
上中町
遠敷郡
上中町
遠敷郡
瓜生村
遠敷郡
瓜生村
遠敷郡
熊川村
遠敷郡
熊川村
遠敷郡
三宅村
遠敷郡
三宅村
遠敷郡
野木村
遠敷郡
野木村
遠敷郡
小浜町
昭和10年4月1日
遠敷郡
小浜町
昭和26年3月30日
小浜市
小浜市 小浜市 小浜市
遠敷郡
雲浜村
遠敷郡
西津村
遠敷郡
内外海村
遠敷郡
内外海村
遠敷郡
松永村
遠敷郡
松永村
遠敷郡
国富村
遠敷郡
国富村
遠敷郡
遠敷村
遠敷郡
遠敷村
遠敷郡
今富村
遠敷郡
今富村
遠敷郡
口名田村
遠敷郡
口名田村
遠敷郡
中名田村
遠敷郡
中名田村
遠敷郡
宮川村
遠敷郡
宮川村
遠敷郡
宮川村
昭和30年2月21日
小浜市に編入
大飯郡
加斗村
大飯郡
加斗村
大飯郡
加斗村
遠敷郡
南名田村
明治24年4月1日
改称
遠敷郡
知三村
遠敷郡
知三村
昭和30年1月1日
遠敷郡
名田庄村
平成18年3月3日
大飯郡
おおい町
大飯郡
おおい町
遠敷郡
奥名田村
遠敷郡
奥名田村
遠敷郡
奥名田村
大飯郡
佐分利村
大飯郡
佐分利村
大飯郡
佐分利村
昭和30年1月15日
大飯郡
大飯町
大飯郡
本郷村
大飯郡
本郷村
大飯郡
本郷村
大飯郡
大島村
大飯郡
大島村
大飯郡
大島村
大飯郡
高浜村
明治45年4月1日
町制
大飯郡
高浜町
昭和30年2月11日
大飯郡
高浜町
大飯郡
高浜町
大飯郡
高浜町
大飯郡
青郷村
大飯郡
青郷村
大飯郡
青郷村
大飯郡
内浦村
大飯郡
内浦村
大飯郡
内浦村
大飯郡
和田村
大飯郡
和田村
大飯郡
和田村

地理

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若狭湾沿岸は、地形が入り組んだリアス式海岸が続き、平野が狭小であるため、古くからを中心にして発展してきた。奈良平安時代から畿内の外港として機能し、渤海国からの使節が寄港し、宿泊する松原客館が置かれたほか(気比松原)、江戸時代には、出羽国加賀国から、大坂へ物資を運ぶ北前船の寄港地となり、鯖街道を通して京や近江との交流が盛んで、現在でも京都府滋賀県とも繋がりが深い地域である。また風光明媚な海岸として、福井県内は元より、県外から若狭湾へ海水浴に訪れる者も多くみられる。

また、この地域は琵琶湖の北の日本海岸に位置する。

地形

都市雇用圏(10% 通勤圏)の変遷

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金本良嗣・徳岡一幸によって提案された都市圏。細かい定義等は都市雇用圏に則する。一般的な都市圏の定義については都市圏を参照のこと。

  • 10% 通勤圏に入っていない自治体は、各統計年の欄で灰色かつ「-」で示す。
自治体
('80)
1980年 1990年 1995年 2000年 2005年 2010年 2015年 自治体
(現在)
敦賀市 敦賀 都市圏
84886人
敦賀 都市圏
91080人
敦賀 都市圏
89049人
敦賀 都市圏
88928人
敦賀 都市圏
79425人
敦賀市
美浜町 美浜町
三方町 小浜 都市圏
58179人
若狭町
上中町 小浜 都市圏
45287人
小浜 都市圏
44833人
小浜 都市圏
44676人
小浜 都市圏
44395人
小浜市 小浜市
名田庄村 おおい町
大飯町 - - - -
高浜町 舞鶴 都市圏 舞鶴 都市圏 舞鶴 都市圏 舞鶴 都市圏 舞鶴 都市圏 高浜町

原子力発電所

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歴史

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大飯郡は若狭国の西側に位置することから若西(じゃくせい)と呼ばれ、三方郡は同じ理由から若東(じゃくとう)と呼ばれた。また遠敷郡は若狭国の中央に位置することから中郡と呼ばれたが、のちに細分化した上中・下中と呼び分けられた[要出典]

道州制

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交通

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鉄道

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道路

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テレビ局

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脚注

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  1. ^ 観光ガイドで、敦賀を「若狭エリア」に掲載しているものがある。
  2. ^ 福井県の施設である二州健康福祉センターは、敦賀市・若狭町(旧三方地区)・美浜町をエリアに入れている。

関連項目

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外部リンク

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