ノート:陸奥国司
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項目統合の提案
[編集]当記事「陸奥守」は2006-05-31に記事「陸奥国」へのリダイレクトページとなりました(特別:差分/5961873・特別:差分/5961848)。約1年後の2007-05-04に再度「陸奥守」として記事化されました(特別:差分/12315702)。--Yumoriy(会話)
この項目は単独で記述されるべきなのでしょうか? 陸奥国#国司に統合すべきです。これを認めたら全ての令制国守を執筆しなくてはいけなくなるのではないでしょうか? --ろう 2006年5月30日 (火) 04:02 (UTC)
- 情報 当記事は2006年(平成18年)5月31日に要約欄に「陸奥国へのREDIRECTにseeTalk」と記載し、本文をコメントアウトするかたちで記事「陸奥国」へのリダイレクトページに変更されました(差分/5961873)。同日、記事「陸奥国」には「定員は1名。従五位上相当。」との一文が加筆されました(差分/5961848)。なお約1年後に、当記事はふたたび独立記事化されています(差分/12315702)。次節を参照。--Yumoriy(会話) 2024年7月24日 (水) 05:31 (UTC)
独立記事化の報告200705
[編集]2007-05-04にリダイレクトページだった当記事は「陸奥守」としてふたたび独立記事化されました(特別:差分/12315702)。約5年後の2012-03-26に「陸奥守」⇒「陸奥国司」へ改名されました(特別:差分/41806983・特別:差分/41806982)。--Yumoriy(会話)
分割しました。陸奥守自体、大国の守ではあり、66ヶ国中、かなり重要度の高い国司です。薩摩守のようなエピソードのあるものなどは、少しずつきちんとした整理ができる限りにおいて項目化してよいように思います。--海衛士 2007年5月4日 (金) 05:24 (UTC)
内容の確認:「五位クラスの地下官人」
[編集]「五位クラスの地下官人が陸奥守に任命されていた。」という表記に疑問を感じました。 五位は殿上人なので「六位クラスの地下官人」なら意味が通るのですが、江戸時代には 五位でも地下人扱いだったのでしょうか? --以上の署名のないコメントは、アレク(会話・投稿記録)さんが 2008-10-04 08:57:49 (UTC) に投稿したものです。
- 確かに五位以上の官人には殿上人となる資格がありましたが、(六位蔵人は例外)誰もが殿上人となれるわけではありません。殿上人となれるのは、五位以上の官人の一部です(歴史の教科書などでは五位以上を貴族=殿上人として扱うことが多いのでしばしば誤解を招きますね)。江戸時代の地下官人の場合、地下身分のまま五位に上ることは普通だったので、特におかしなことではありません(それどころか四位や三位の地下人も存在しました)。--うりりり(会話) 2012年9月18日 (火) 07:58 (UTC)