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ノート:韓紙

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この記事に対する意見

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まず、ご挨拶。私はRedSpinelと申します。 和紙と韓紙、そして中国の紙としての唐紙や画宣紙について、多少の知識があり、中国安徽省の画宣紙の工場や韓国の韓紙の工場や台湾の手漉き工場も見学したことがありますし、中国山東省に進出している韓紙工場にも出向いたことがあります。

皆様方の熱心な書き込みを拝見していますと、思いこみや信じ込みで書かれていたり、客観的に書きなおしたりした方が良い箇所が何カ所かあることに気がつきました。 そこで、まず、このノートに、その箇所と私のつたない意見を少しずつ書いて参りたいと思いますので、よろしくお願いします。

その意見交換と交流の後に、少しずつ訂正・変更を加えて行ったらと思います。 どうぞ、よろしくお願いします。

--以上の署名のないコメントは、Red-Spinel会話投稿記録)さんが 2012年5月19日 (土) 08:36 UTC に投稿したものです。

『手漉き』と『手抄き』の違いをご存知ですか

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『手漉き』と『手抄き』の違い・・・・ 『抄く』とは「抄」の字は、「手 + 少(斜めにそいで小さくする)」で、サッと斜めに削ぐ動作、転じて「表面をかすめとる」ことをさします。抄本・抄出・抄録のように「抜書き」という意味のほかに、「サッと表面をすくいとること」 にも用います。伝統的な「朝鮮抄き」や中国安徽省の「宣紙の抄き方」が、正にこの方法です。ですから、この二つの地域の製紙用具には、紙原料液を溜め込む目的の『上枠』はありません。

一方『漉く』の「漉」には「こす・すく」と訓読し、液体のよごれやかすを、こしたり、原料をさらったり、すくい取って紙や、海苔(のり)をすくなどの意があります。すなわち、水に分散させた原料をすくい、簀(す)の上に薄く敷きのばし、紙、海苔などを作ることです。この方法は中国の多くの地域、日本、イスラム圏、欧州などで製紙されています。これらの地域では、紙原料液を溜め込む目的の『上の簀桁』≒『上枠』のある製紙用具を使います。

この原則を理解すれば、伝統的な和紙は『手漉き和紙』ということが分かりますし、伝統的な韓紙は『手抄き韓紙』ということになります。和紙と韓紙では道具や漉(抄)き方がまったく異なります。ですから韓紙が和紙のルーツという説には無理があります。                    RedSpinel

--以上の署名のないコメントは、Red-Spinel会話投稿記録)さんが 2012年5月19日 (土) 12:32 UTC に投稿したものです。

『三韓時代』は誤解を招くので、是正した方が良い

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三韓時代以降・・・  三韓時代とは、朝鮮半島南部の紀元前2世紀から4世紀にかけての時代。その時代に「朝鮮半島南部」に製紙術が伝わったという証拠はありません。

 世界最古の紙は中国甘粛省の放馬灘(ほうばたん)紙(紀元前150年頃≒紀元前2世紀)とされています。この三韓時代以降という記述は、『世界最古級』という誤解を生むおそれがあるので相応しくないと考えます。

 朝鮮への伝来の時期は明確ではありませんが、一般には紀元300年~600年頃の範囲のようです。それならば『三国時代』とする方が妥当と考えます。  ちなみに、日中韓の紙の専門家は次のように韓紙の始まりを推測している・・・3世紀説(李謙魯,久米康生)から4-5世紀説(潘吉星,関義城)遅くて6-7世紀説(銭存訓,徳富猪一郎)などがあり,また韓国発の電子文書「HANSTYLE日本語版」によると『一般的には、高句麗小獣林王の時(AD372年)に中国から仏教が伝来されたのと同時に製紙法が伝わったとされてきた』とあります。  そのいずれも推定の域を出ないが、悪いですが朝鮮半島南部のみを示す三韓時代に製紙術が存在したという話は聞いたことがありません。朝鮮が紙の発明国だったというのでしょうか?(確かに、一部の韓紙関係者には「紙の発明は朝鮮半島である」という暴論を述べる人もいると聞きますが、いまだ私はその根拠を聞いたことはありません。有名な「イギリスは韓国人が作った」と同類の荒唐無稽なお話です)

 三韓時代とおっしゃる根拠として、当時の朝鮮半島北西部は、製紙技術を持つ前漢・後漢に併合支配され楽浪郡等の郡が置かれていたことに由来しているのだろうか。そうだとするならば、その地は「漢帝国」そのものであり、なおさら『三韓』は使うべき言葉ではないと考えます。 RedSpinel

--以上の署名のないコメントは、Red-Spinel会話投稿記録)さんが 2012年5月19日 (土) 14:58 UTC、2012年5月21日 (月) 07:32 UTC に投稿したものです。  

『収入木』の意味は何ですか

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『収入木』・・・・・意味不明です。

 これは、韓国と北朝鮮が、ハングル漢字交じり文を放棄した後遺症です。この投稿は日本語を知らない韓国人か朝鮮人のお方が書いたものでしょう。ハングルでは『朝鮮』≒『造船』です。同様にこの場合『輸入』≒『収入』ということになり、想像するに『粗悪な輸入原料(楮)』のことを述べたいのでしょう。

 ハングルは表音文字で、漢字のように表意文字ではありませんので、このような誤りが生ずるのです。このwiki日本語版は、日本語を理解できる人が読む辞書ですから、『日本語を正確に書ける人』に投稿頂きたい。また冷静にナショナリズムに駆られず科学的に記述願いたいものです。

 韓国人が機械翻訳したまま『検証もせず』そのまま張り付けたのでしょうが、馬鹿馬鹿しい結果を招きますので御注意ご自制願いたいと思います。なお、私は海外の方の投稿を規制するつもりはありませんし、意見を封殺する気持ちもありませんので、悪しからず・・・。                       RedSpinel

--以上の署名のないコメントは、Red-Spinel会話投稿記録)さんが 2012年5月19日 (土) 21:25 UTC、2012年5月19日 (土) 21:34 UTC、2012年5月19日 (土) 21:38 UTC、2012年5月19日 (土) 21:42 UTC に投稿したものです。

「韓紙ではネリ『抄紙用粘剤』を使わない」ということは無い

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韓紙ではネリを使わない・・・  この文脈では、韓紙は厚紙なので、抄紙用粘剤を使わないという意味と思うが、実は今から1000年前に書かれた日本の代表的な古典文学に『高麗の薄様紙』と書かれているので紹介する。美しい薄様紙を漉くには抄紙用粘剤「ネリ」は不可欠ですね。

 では、紫式部作『源氏物語・梅枝』の一節です・・ 『・・・高麗の紙の薄様だちたるが、せめてなまめかしきを・・・(中略)・・・唐の紙の、いとすくみたるに、草書きたまへる、すぐれてめでたしと見たまふに、高麗の紙の、肌こまかに和うなつかしきが、色などははなやかならで、なまめきたるに、おほどかなる女手の、うるはしう心とどめて書きたまへる、たとふべきかたなし。・・・』

 これを現代語訳しますと『中国舶来の紙、ぱりっとした紙に草仮名で書いた。「いとすぐれてめでたし」とし、高麗舶来の紙、紙質がきめこまやかで柔らかく温かい感じのする紙で、色も落ち着いた優雅な感じのする紙に女手で書いた。「たとふべきかたなし」』と評しています・・・べた褒めです。

 この高麗の薄様紙は、紫式部の評価によると紙屋院(現・宮内庁書陵部)等の漉く雁皮の薄様紙と同等の評価です・・・ちなみに町田誠之は日本の流し漉きの開始は平安時代初頭と述べており、粘剤の使用=流し漉きは東アジア多地域同時期発達説を取っています。一方、久米康生や小林良生は、流し漉き以前の原初的な紙の造りかたである『網に紙原料を流し掛ける方法』の時代から抄紙用粘剤は使用されていたという説を取っており、粘剤の使用の始まりは中国であろうとしています。

 と言う訳で、『韓紙ではネリを使わない』ことはない。現にトロロアオイを使っています。現代の韓紙では溜め漉きも行われているようですので・・・その関係かもしれません・・・溜め漉きは『伝統の韓紙』ではありませんが・・・。

         RedSpinel

--以上の署名のないコメントは、Red-Spinel会話投稿記録)さんが 2012年5月20日 (日) 02:11 UTC に投稿したものです。

韓紙の主原料である楮が日本楮である可能性について

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原料は主に楮(こうぞ)・・・  楮は「ヒメコウゾ」と「カジノキ」の交配種であり、これは日本も朝鮮も共通です。

 日本の楮には、多くの種類がある。那須楮、石州楮、八女楮など地名のついた楮や黒構、赤楮、青楮、要など品種名の付けられたものがあり、また植物学的にはコウゾとカジノキがあり、それぞれ繊維長や繊維幅が異なります。

 カジノキは雌雄異株であり、コウゾは雌雄同株です。

 次に日本の楮の分類を示します(昭和36年分類) ○こうぞ(楮)・・・・・・・あかそ(赤楮)、あおさ(青楮) ○かじのき(構)・・・・・まかじ(真構)、たかかじ(高構)、くろかじ(黒構)、たおり(手折,要楮)          


 これらの日本のコウゾの原料としての品質は高く、例えば江戸時代には、強く均質で全世界に愛されている浮世絵版画用紙の原料になり、版を重ねても伸び縮みしないで、結果として色ズレを起こさず平滑で色乗りも最高の浮世絵用紙になりました。

 一方、朝鮮コウゾは、強靭だが荒々しく粗でした。とても浮世絵版画用紙等の緻密さを要求される和紙には向いていませんでした。

 朴英璇の『朝鮮総督府による改良韓紙と和紙製造法の普及』を中心に論を進めると・・・1910年頃に朝鮮総督府は工業試験場を設置し、それに併設する製紙の伝習所で朝鮮人技術指導者を養成しました。伝習所には朝鮮漉きの漉き舟と和紙の漉き舟と両方設置されていましたが、結果として、朝鮮各地に『和紙工場』が出来た・・・とあります。  その和紙工場は日本から思い思いに各地の『日本のコウゾ』を移植して原料として使い、今でも朝鮮半島全域で日本のコウゾが育てられて使用されているわけです。それら和紙工場の経営者はほぼ半数は朝鮮人、残る半数は日本人でした。

 日本では南で栽培されている八女楮が朝鮮半島の北で栽培されているような逆転現象が起こっています。

 これが、コウゾ原料も用具も漉く技術も日本の和紙と同じとなってしまった理由です・・・現在のほとんどの韓紙は『和紙そのもの』といえます・・・おそらく『朝鮮伝統の漉き方の紙』は、『現代の韓紙』生産の5%以下でしよう。  日本の民芸運動の父であり朝鮮民族美術館を設立した柳宗悦は、このような手法で地域に土着する工芸品である韓紙を他地域の和紙技術で置き換えることに批判を加えているが・・その柳が私製本「朝鮮の美術」の出版に日本(本土)産の和紙を使い、朝鮮紙は表紙に張り付けられた表題のラベルだけだった・・これが悲しい現実なのかもしれない。

 韓紙が和紙化してしまった現状では、『韓紙』のタイトルを掲げながら、内容は『韓紙工芸』に偏重せざるを得ないかもしれませんが、どうにかバランス良く出来ませんでしょうか・・。           RedSpinel

--以上の署名のないコメントは、Red-Spinel会話投稿記録)さんが 2012年5月20日 (日) 03:46 UTC、2012年5月20日 (日) 03:57 UTC に投稿したものです。

全州の韓紙はどうなっているのでしょうか

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原産地としては江原道原州市がある・・・・

韓紙の最大の産地は、全羅北道全州市と記憶していますが、なぜ無視するのでしょうか・・・    RedSpinel

--以上の署名のないコメントは、Red-Spinel会話投稿記録)さんが 2012年5月20日 (日) 04:21 UTC に投稿したものです。

日本書紀にある僧曇徴の記述と国定韓国高校教科書の大間違い

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日本書紀の巻22推古天皇の条(部分) 「十八年春三月 高麗王貢上 僧曇徴法定。曇徴 知五経 且能作彩色紙墨 并造碾磑。蓋造碾磑始于是時歟」

原文======十八年春三月 高麗王貢上 僧曇徴法定。

書き下し文===十八年の春三月、高麗(こま)の王(きみ)、僧曇徴(どんちょう)、法定(ほうじょう)を貢上す。

現代語訳====推古天皇18年(西暦610年)の春三月に、高麗王が、僧侶曇徴と法定を遣わした。


原文======曇徴 知五経 且能作彩色紙墨 并造碾磑。

書き下し文===曇徴は五経を知り、且た能く彩色(しみのもの)・紙・墨を作り、并せて碾磑(てんがい、水車を利用した石臼、水臼)を造る。

現代語訳====曇徴は儒教や仏教に通じており、また彩色(絵の具)、紙、墨の製法も上手に作り、水車を利用した石臼(碾と磑)も造った。


原文======蓋造碾磑始于是時歟。

書き下し文===蓋し碾磑を造るは是の時に始まるか。

現代語訳====おそらく碾磑を造ったのは、このときが初めてであろう。


すなおに、この文章を読むと、水車を利用した石臼は日本初だが、絵具、紙や墨については『曇徴は上手に作りました』ということが書いてあり、筆墨と絵具の製法は本邦初ではなかったのです。

 ところで、この部分が『国定韓国高等学校歴史教科書』にどのように『間違って』記載されているか、ご紹介すると・・・

『・・・曇徴は儒教の五経と絵画を教え、紙と墨の製造方法まで伝えた。日本の自慢の種である法隆寺の金堂壁画も曇徴の絵だといわれている。・・・』

 私RedSpinelは、マグネシア・アルミナ型スピネルの研究を卒業論文で提出した根っからの技術系ですので、漢文は高校卒業レベルですが、漢和辞典片手に間違いなく、これぐらいの文章は読めます。あきれたことに、この教科書を執筆した韓国の大学教授は『明らかに漢文が読めていません』そうでなければ、何らかのバイアス・・愛国的なバイアスがかかっているのでしょう。

 特に、後段の~自慢の種である法隆寺の金堂壁画・・・については、噴飯ものなのです。法隆寺金堂が火災焼失したのが670年(日本書紀の記述を年輪年代測定法でも確認)で、その2年後に再建されたとし、曇徴が610年に来朝したときの年齢を、男盛りの30歳とすると、金堂壁画を描いた年齢は92歳になる。韓国人教授は漢文を読めないばかりか、算数の計算も出来ないのです。

 このような非科学的な教科書で学習した人は、簡単に『韓紙は和紙のルーツ』とか言いだしそうな気がします(この発言はあくまでも私感です。言い過ぎでしたら、ゴメンなさい)。 愛国心は美しいものですが、あくまでも検証は科学的視点に立って頂きたいものです。

 なお、以前私は退職した職場(紙の研究職場)のコンピュータから『Maripali』という名前で書き込みしておりました。Maripaliというのは、台湾で使用されている抄紙用粘剤の名称です。 wiki「和紙」の流し漉きの部分と抄紙用粘剤を多少書きこんでいましたが・・・誰かが『科学的根拠もなく』中国・朝鮮の流し漉きの内『朝鮮』の部分を削除しています。  韓国人の学者と同じレベル愛国的行為や間違いは止めましょう。私たちは先進国に住むのですから・・・                RedSpinel

--以上の署名のないコメントは、Red-Spinel会話投稿記録)さんが 2012年5月21日 (月) 02:33 UTC、2012年5月21日 (月) 02:34 UTC、2012年5月21日 (月) 02:36 UTC、2012年5月21日 (月) 02:44 UTC、2012年5月21日 (月) 03:30 UTC、2012年5月21日 (月) 03:32 UTC、2012年5月21日 (月) 03:45 UTC に投稿したものです。

近代まで『流し漉き』という言葉は知られていなかった。

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そういえば、大切な事を書き忘れていました・・・・。

そういえば、有名なダート・ハンターが1935年頃までに東アジアの日本、中国、朝鮮の三地域を調査して、その地域に特有な『抄紙用粘剤』と『流し漉き』に着目して、和紙職人の符丁のような言葉「流し漉き」を世界に広めたです。朝鮮抄きも流し漉きの仲間に入れてあげましょうよ・・・韓国人の『愛国無罪』のような手法・・・東急百貨店たまプラーザ店のパンフレット『韓紙は和紙のルーツ』にご立腹されたかもしれませんが・・・ナショナリズム的なことは止めましょうよ。

参考文献

ダートハンター(Dart Hunter)著『和紙のすばらしさ 日本・韓国・中国への製紙行脚』第Ⅱ章東洋の製紙の漉具(P19~P32)

(A Papermaking Pilgrimage to Japan,Korea and China,Pynson Printers,New York 1936)    RedSpinel

【憶測で差し戻すそうですが】 どの部分が、憶測なのか、このノートに『科学的に』記入してほしい。全面的に・・・差し戻すことには承服できないですね。 よって、再度、戻します。

--以上の署名のないコメントは、Red-Spinel会話投稿記録)さんが 2012年5月21日 (月) 06:13 UTC、2012年5月21日 (月) 06:19 UTC、2012年5月21日 (月) 07:25 UTC、2012年5月21日 (月) 07:28 UTC、2012年5月23日 (水) 10:27 UTC、2012年5月24日 (木) 22:22 UTC に投稿したものです。

演説、憶測はダメです。Wikipedia:検証可能性Wikipedia:出典を明記するWikipedia:中立的な観点をお読みください。--hyolee2/H.L.LEE 2012年5月24日 (木) 22:27 (UTC)[返信]

近代及び現代の『韓紙』が、和紙と同じという記述はダートハンター等が述べています

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ダートハンター著・久米康生翻訳『和紙のすばらしさ 日本・韓国・中国』1936年(勉誠出版)に書いてあります。読んで下さい。 まあ、手っ取り早くネットで見るとすると・・・そうですね。次のURLで見てね・・・韓国人の研究者が日本語で書いています。RedSpinel

朝鮮総督府による改良韓紙と和紙製造法の普及

朴 英璇 http://ir.nul.nagoya-u.ac.jp/jspui/bitstream/2237/8424/1/paku07.pdf

--以上の署名のないコメントは、Red-Spinel会話投稿記録)さんが 2012年5月24日 (木) 22:44 UTC、2012年5月25日 (金) 02:12 UTC に投稿したものです。

そもそも私が書きこんだ『韓紙』の補助原料の記述を残したのでしょうか?残した根拠は?あれも『私の演説』ではないのかな?

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和紙の補助原料は、私の手元にあるリストだけでも100種類以上あります。多分200種以上はあります。 韓紙の補助原料はそんなに多くは無いですが20種類はあります。 決して『楮』だけではありませんね。

要するに、韓国人学者の書いた『歴史教科書』の非科学的な記述を馬鹿にしたのが『演説』ということですね。

RedSpinel

--以上の署名のないコメントは、Red-Spinel会話投稿記録)さんが 2012年5月24日 (木) 22:56 UTC、2012年5月25日 (金) 02:13 UTC に投稿したものです。

韓紙という名の由来の項目について・・・洋紙と和紙に対応する名前で歴史的な名称は無いでしょう。

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韓紙という名称・・・・私は「朝鮮の紙」や朝鮮漉き(朝鮮抄き)と知っていますが・・・古い時代の韓紙という語を知りません・・・『初めて和紙という言葉を使ったのが誰かが分からないのといっしょです』和紙が西洋紙に対応する言葉だろうというのは定説ですが・・・不在証明は困難です。

『高麗の紙』は紫式部が『源氏物語・鈴虫』等で使っていますので、調べてね・・・。

ここの部分に『演説』はありますか?お答え下さいね。

RedSpinel

--以上の署名のないコメントは、Red-Spinel会話投稿記録)さんが 2012年5月24日 (木) 23:14 UTC、2012年5月25日 (金) 02:15 UTC に投稿したものです。

【造紙の公式伝来と東アジアの動乱】ここの部分については、削るべきところは、『御気にめさなければ』削れば良いが・・・根拠はすべてあると思いますが・・・

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なぜ『造紙』と書いているか理解できますか・・・

まあ、試しに考えてみて下さい。 歴史的な韓紙が、和紙の漉き方とも洋紙の漉き方とも異なるのですね。


『延喜式』「図書寮」の造紙諸条から見た古代製紙技術の考察 http://ci.nii.ac.jp/naid/110007658055


会員になったら読めるから、読んだら、感想を聞かせてね。これは私関連だが『演説』ではありませんから・・・


ここに書いてあるものは、

韓国の教科書の記述内容

日本書紀の記述と書き下し文と現代語訳

水車駆動石臼についての『矛盾の説明』・・・『この石臼が紙製造用』と書いたのは、和紙や紙の専門家ではない『唐紙屋』さんですからね。何の根拠もなく書いているのですよ。

RedSpinel

--以上の署名のないコメントは、Red-Spinel会話投稿記録)さんが 2012年5月24日 (木) 23:42 UTC、2012年5月24日 (木) 23:48 UTC、2012年5月25日 (金) 02:16 UTC に投稿したものです。

私の書いたものが『演説』だというのなら『Wiki和紙』の「流し漉き」と「抄紙用粘剤」の部分も削除しなさい

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あれも『演説』でしょうね・・・・・・私が、書いたのだから・・・・・削除したら、どうですかね。 削除するのなら、根拠を示しなさい。

RedSpinel

--以上の署名のないコメントは、Red-Spinel会話投稿記録)さんが 2012年5月24日 (木) 23:47 UTC、2012年5月25日 (金) 02:18 UTC に投稿したものです。

中立的な視野に立った編集・・・・良いですよ・・・

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この韓紙の元々の原稿は韓国人が書いたもので、『収入木』などの誤訳があることでも分かる。 その記述内容が偏っており、特に『韓紙は和紙のルーツ』という表現があり、おそらく韓国内では『当然のこと』とされているのだろう。東急系のデパートの韓流イベントのキャッチ・コピーとして安易に使われた。

その反動で、私が記述していた『中国・朝鮮の流し漉き』の部分から『朝鮮』が根拠もなく削除された。削除したのは、IPアドレスから東京にある小さなコンサルタント会社で、和紙や紙の技術の素人が発作的に反射的に行ったものと思われる。

私は、韓国人の側にも、いわゆるネトウヨ側にも立つつもりは無い。中立的に事実や技術は淡々と書きますよ。 ただ、バランスが悪いものは削除すれば良いのですよ。全て削除というのは無し・・・ですよ。何も書けなくなりますからね。

RedSpinel

--以上の署名のないコメントは、Red-Spinel会話投稿記録)さんが 2012年5月25日 (金) 00:12 UTC、2012年5月25日 (金) 02:20 UTC に投稿したものです。

李さんは韓国人ですか、中国人ですか

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李さんこそ、中立性を保てますか

私は、先に紹介した『日本科学史学会誌』で、セカンドオーサーですが「朝鮮寄り」ともとれる記述をしていますよ・・・・ぜひ、読んで下さい。

一週間後、回答が無い場合は、元に戻します。

RedSpinel

--以上の署名のないコメントは、Red-Spinel会話投稿記録)さんが 2012年5月25日 (金) 00:25 UTC、2012年5月25日 (金) 01:38 UTC、2012年5月25日 (金) 01:57 UTC、2012年5月25日 (金) 02:21 UTC に投稿したものです。

よくわかりませんが

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韓国風の紙についての叙述に、なぜ日本への高句麗からの紙の伝来を書く必要があるのですか。和紙の項目に書けばいいのではないでしょうか。 --ねこぱんだ会話2012年5月25日 (金) 00:34 (UTC)[返信]

韓国風の紙についての叙述に、なぜ日本への高句麗からの紙の伝来を書く必要があるのですか。和紙の項目に書けばいいのではないでしょうか?これは・・

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高句麗から来た技術が「具体的に」どのような技術か分からないからです。 朝鮮半島に中国から伝わったのが、2世紀から7世紀となっている根拠のうち、7世紀というのは『高句麗から日本に610年に伝わっているのだから』それ以前だ・・という根拠になっているのです。 実は、韓国人学者も、この日本書紀以外の『文書資料』は持っていないのです。だから、この記述は『重要』なのです。韓国の高校の歴史教科書は、韓国の学者が書きます。その記述の誤りは、そのまま韓国人全般の韓紙への認識間違いに繋がります。最重要な文書ですから、意識的に韓国人学者は『事実をねじ曲げる』のではないでしょうか。

ですから『造紙』(中国語)について書く必要があるのです。 なぜ、『造紙』なのかというと、紙の作り方には・・・抄く韓紙、漉く和紙、原料を網に流し込む一部の中国紙・西洋紙(機械抄き)・中国少数民族・・・とか、さまざまあります。 これらの抄き方の内、どの技術が朝鮮半島に入ったのか、朝鮮半島に入った技術の内・・・なぜ『朝鮮抄き』が残り・・・日本では、なぜ『和紙』の技術が残ったのか、まだ不明です。

いえる事は、私感ですが・・様々な造紙技術が朝鮮半島や日本列島に入って来ていた・・その内、朝鮮人は朝鮮抄きを選び、日本人は『和紙の流し漉き』を選んだ・・・と思っています。 平安時代の「延喜式」には、さまざまな紙の作り方を表す『造紙』という言葉と『漉く』という流し漉きを示唆する表現の両方が使われています。

高句麗の項目に私が『造紙』という言葉を選んでいるのか・・・ご理解下さい。 韓国の方も、ご理解いただけましたか? RedSpinel

--以上の署名のないコメントは、Red-Spinel会話投稿記録)さんが 2012年5月25日 (金) 01:15 UTC、2012年5月25日 (金) 01:54 UTC、2012年5月25日 (金) 02:04 UTC、2012年5月25日 (金) 02:29 UTC に投稿したものです。

4世紀の人王羲之がなんで7世紀に成立した高麗紙を使えるのでしょうか?

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時系列が合いません--2001:F71:1000:2100:3D20:6A0:AC3D:C198 2023年1月11日 (水) 18:57 (UTC)[返信]