ノート:1993年Jリーグ開幕節

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記事の存続について[編集]

この項目の多くの部分の記事を執筆した者です。私とCall Tenderasさんの間で、記事に関する存廃での見解が食い違っています。まずは私から見解を述べさせていただきますので、Call Tenderasさんや他の皆さんからの御意見を頂きたいと願います。 本来は多岐に渡りますが、私が重要と考えているポイントについてのみ書き出しました。

  • 1. スタジアムの住所表記について
全てのスタジアムに付ける必要は考えていますが、ヴェルディ-マリノスに限っては、本文中の注記でも書いたとおり、「ヴェルディは重要な試合を国立開催に回す」というクラブ方針の先鞭となっています。もちろん、この試合のみはJリーグの管理下で行われたので、その他の試合と同一視する事はできませんが、「等々力=川崎市」と「国立=東京都」は入れた方が良いのではないでしょうか。他は、Call Tenderasさんが削除された後の現状でも構わないと考えます。
  • 2. ヴェルディの「欧州」と「オランダ」
「欧州サッカー」としてしまうと、その戦術はあまりにも多様で、とても一言では語れません。最近では均一化が進んでいるとされますが、やはり当時は個人技重視でとにかく攻撃に重点を置きブラジル人選手も多く在籍するスペインのリーガ・エスパニョーラ、ストライカーの重要性は認めながらもまずは防御を重視するとされるイタリア代表アズーリ)とその国内リーグのセリエA、屈強な長身のFWに対して遠くからのパスを送って少ない攻撃人数での得点を目指すイングランド代表や同国のプレミアリーグ等、方法は多種多様です。松木や当時のクラブ首脳陣が考えたのは、その中で本文でも挙げたような「全員守備・全員攻撃」のオランダ風トータルフットボールで、実際にマイヤーやロッサムなどのオランダ人選手と契約しています。それは読売クラブ伝統のブラジル型の戦術とは大きく異なうため、松木の方針は現実にそぐわないと考えるラモスや加藤久などのベテラン選手の不満がたまっていました。そこを「欧州流」とぼかされてしまうと、文章の意味が通らなくなってしまいます。
  • 3. アントラーズ-グランパスのインパクト
「最も強い衝撃とその後への影響を与えた」という文章を残すべきと考えるのは、「後述」として本文中に記載した事象が起こっていたからです。「クラシコ」として集客キャンペーンに使ったヴェルディとマリノスはともかく、他のチームではこの開幕節を回顧する例はあまりありませんが(モネールや風間八宏がテレビで紹介される際のプロフィール映像ぐらいでしょう)、アントラーズにとってはその後のクラブの成功を導くキーポイントの試合になりました。それは本文中でも挙げたように、チームや選手の知名度向上、カシマスタジアムの常時満員化とサポーターの拡大、これを取り上げたテレビ番組の製作や全国各地からの視察団の鹿島訪問など、他のクラブよりも顕著な効果が起こっています。また、敗北したグランパスでも、この開幕戦で精彩を欠いたリネカーのケガや不振、そして16年間にわたったカシマスタジアムでの連敗記録などの負の遺産が残りました。従って、冒頭で挙げた文章は、私の個人的な感想ではなく、さまざまな事実や社会現象の存在に裏付けられた、根拠のある記述です。
  • 4. アントラーズと東京
もちろん全国各地にJリーグのファンが生まれ、その多くはそれぞれのホームタウンにあるチームを応援していましたが、Jリーグクラブのない地域では各チームのファンが混在する現象がありました。中でも東京は大きなファン獲得市場として各チームが注目し、この時期はエスパルスやグランパスも国立競技場でのホームゲームを行いましたが、その中でアントラーズはJリーグ初期の活躍によってより多くのファン(サポーター)を獲得しました。それがカシマスタジアム改修時に茨城県内の他のスタジアム利用ではなく(設備面での不備という理由もありましたが)、茨城県外になる国立競技場のホーム化という決定につながっていますので、「東京をはじめとした全国」という表記には意味があります。
  • 5. 加藤久の移籍とブラジル回帰
まずは、当初はCall Tenderasさんが段落除去を行っていた1993年後半から1996年までの記述を存続して下さった事に感謝し、その上で申し上げます。2.で挙げた松木監督とベテラン選手達の対立が噴出したのは、この開幕戦での逆転負けがきっかけでした。これで加藤久が監督批判を行って出場機会を失いエスパルスへ移籍、サントリーステージで優勝を逃すと今度はマイヤーなどのオランダ人選手が退団という混乱が重なり、ビスマルク加入でブラジル路線への回帰により復調という流れに続きます。その詳細は1993年のJリーグで書かれるべきですが、ヴェルディ内紛の表面化がこの開幕戦だった事を考えれば、一定の記述は必要です。なお、他チームでの例に合わせて、初勝利の記述も付け加えてあります。
  • 6. アンチサッカーの拡大
サッカー嫌いを公言する有名人、あるいは新聞投書の存在などが拡大したのは、この開幕戦以降です。これ以後、特に年末にかけて「野球対サッカー」などの対立を煽るテレビバラエティ番組などが製作されました。それまではサッカーというマイナースポーツは無視すれば良かったのですが、これだけ大きく取り上げられてそれができなくなったわけです。また、ルールも良く知らないままスタンドを埋め尽くす「にわかファン」への批判、野球の「高校では坊主丸刈り、プロは短髪かパンチパーマ」というステレオタイプに挑戦するような茶髪(カズの銀髪)や長髪選手の登場、後にJリーグの選手自体からも批判されたような派手な私生活の報道がサッカーへの反感を高めました。さらに、新興勢力への嫌悪感と人気浸食への警戒を隠さない他のスポーツ関係者や、これらを「時代遅れ」と軽視するサッカーファンの存在も指摘する必要があります。これらが1996-98年にかけて観客数の急減やフリューゲルス消滅などの「Jリーグの危機」の伏線になりますが、その原点を探ると、やはりこの派手に飾った開幕節に行き着きます。ですから、Jリーグでの主導権争いからサッカーとの距離を置いた渡邊恒雄は、反Jリーグ派の主要人物とは見られていたものの、ここでは従属的に触れられる程度で十分です。この段落の主眼は「開幕戦の成功で人気を呼んだJリーグはサッカー嫌いをも増やした」という点にあり、これはこの項目内で触れるべき事項です。

以上、長文ですがポイントをまとめました。Call Tenderasさんによる文章の整理に御礼を申し上げますと共に、Call Tenderasさんや他の参加者の皆様の御意見をよろしくお願いいたします。--Rc21 2008年12月15日 (月) 03:44 (UTC)[返信]

TENDERASです。手短に回答します。Rc21さんの指摘の1については、特に異論はありませんが、この部分に限らず、括弧書きでの表示は極力やめてもらいたい。例えば「三浦知良(カズ)」の(カズ)の標記もいらない。通称が何であるかは、三浦知良で説明すれば足りるはずで、本項目で説明する必要はありません。次にRc21さんの指摘にあったうち、2・3・4・5・6については出典を明記してもらえますか?2のヴェルディがオランダ流か欧州流を目指したのかはどっちでもよいのですが、出典を明記してください。また3のインパクトのあったことについても、例えば、私にとっては他の試合の方がインパクトがありましたが・・・。これはどなたの評価ですか?出典を明記してください。4についても鹿島が東京で支持が高かった出典を明記してください。5・6も記載するにしては出典が必要かと思います。--TENDERAS 2008年12月15日 (月) 08:35 (UTC)[返信]


Call Tenderasさん、御回答をありがとうございました。では、改めて私の意見を申し上げます。
1. 括弧書きの部分を多用している訳ではなく、必要に応じての利用は問題がないと考えます。この項目内では「日本サッカーリーグ」が「JSL」、「レッドダイヤモンズ」が「レッズ」というように。これはこちらの方が短いという他、新聞記事内の表記などで広く通用しているという事情があります。「三浦知良」の後に「カズ」と表記し、2度目以降の表記ではこちらを利用するのも同様の理由です。逆に、愛称が広く認知されていても新聞記事などでは本名で記載される「中山雅史」については「ゴン」の表記を行っていません。付属して言えば、初出の場合は正式名称で表記すべきという観点に立つと、前提無しで「国立霞ヶ丘競技場」を「国立競技場」にまとめたCall Tenderasさんの編集には全く賛同できません。「国立競技場」には「国立西が丘サッカー場」もあり(両施設とも日本スポーツ振興センターの管理下)、ここではJSLの公式戦が恒常的に行われていました。ウィキペディアでの同項目の記事によると、JSL歴代の開催試合数では霞ヶ丘に次ぐ2位だそうです。Call Tenderasさんはこの部分を見落としているのではないかと考えます。
2.Call Tenderasさんが「ヴェルディがオランダ流か欧州流を目指したのかはどっちでもよい」とお書きになったのは意外でした。それは「魚の生食をする習慣がなかったロンドンやパリでも、寿司や刺身などの『アジア食』ブームが起こっている」と書くようなものです(ロンドンには中華料理やインド料理の店は既に多数あったので)。最初に書いたとおり、松木監督とバルコムコーチがブラジル流との親和性が低いオランダ路線を指向した事がその後の混乱のポイントです。この転換とその失敗に関しては、サポーターの視点からヴェルディの歴史をまとめたサイトには記載がありますが(URL記載は自重します)、1993年当時の新聞記事で確認する必要がありますし、それは可能です。
3.「インパクトのあったことについても、例えば、私にとっては他の試合の方がインパクトがありましたが・・・。これはどなたの評価ですか?出典を明記してください。」と言われても困ります。Call Tenderasさんにとっては別の試合だった、という視点での御意見でしょうか?開幕節の中ではカシマスタジアムでの試合が回顧される機会が多いという事実は、「プロジェクトX」や「J's GOAL」でのストイコビッチ監督のインタビューなどで既に本文中に根拠を明記済みです。ここから「最も強い衝撃とその後への影響を与えた」という文章が客観性を持つものとして導かれます。逆に、もし違う試合の方が印象的だとするならば、その根拠をお示しいただきたいと思います。
4.これを確認するには1998-99年のアントラーズのリリース、あるいはそれを伝える記事の確認が必要でしょう。ただ、都内在住のアントラーズサポーターの多さは、臨時本拠地となった国立競技場での試合の観客数からも判断できます。1999-2001年のデータを『Jリーグ公式記録集』などで調べた所、この3年間での国立ホーム開催数は13試合で、平均は2万6211人でした。6994人の最少値を記録した試合もありますが、1999-2000年で使用した改修中のカシマ開催(16試合)の平均、1万4175人を下回ったのは2試合のみです。また、2001年に改修が完成した後のカシマの平均は、11試合で2万0036人でした。国立開催でこれだけの観客を集められた理由は、鹿島からバスで2時間をかけてやってくるホームタウン地域の住民に加え、都内及びその周辺に在住していたアントラーズサポーターが観戦を続けた事は明らかです。さらに、アントラーズでは2008年でも東京都内発着の公認応援ツアーを設定しています(例:天皇杯準々決勝 [1])。以上の例は、FC東京や東京ヴェルディのホームタウン地域となっている現在でも、アントラーズサポーターが東京都内に多く在住している事の傍証になります。
5.これも当時の新聞記事などで確認する必要があります。これらの内紛関係の記事は一般紙よりも遡及調査が難しい(縮刷版が整理されていない)スポーツ新聞での報道量が多いため、どこまで確認できるかは分かりませんが、事実関係としては間違っていないので、早い時期に調査します。
6.これが出典の明記としては一番難しいでしょう。今のようなインターネット環境が整備されていない当時のテレビ番組、特にバラエティはその発言が保存される事はほとんど無く、いわば「言いっぱなし」の特徴があります。それどころか、当時の出演者が現在もメディアで活躍している、あるいはウィキペディアで項目を作成されている例はどれほどあるのかという問題もあります。ただ、Jリーグ開幕前にはほとんど存在しなかった(その必要もなかった)サッカーバッシング、あるいはサッカーと他競技との対比を無理に行わせるテレビ番組や新聞報道などが急増したのは、新聞に掲載されている番組表などで確認していこうと考えています。また、これは当時のサッカーファンに多く共有された感情のはずなので、他の方からのご意見も待ちたいと考えます。
そして、もう1つ論点を追加します。
  • 7.ヴェルディとマリノスの日本代表選手名の記載
このカードが開幕戦に選ばれた理由に彼らの存在がある事は、もうよろしいですね。ここの記述のポイントは、「代表の内訳はヴェルディが(柱谷を例外として)攻撃的、マリノスには守備的」という傾向がはっきり現れていたという部分です。実際の試合展開でも、外国人選手の得点で逆転したマリノスがヴェルディの反撃をしのいで勝っています。従って、この節の中で個々の名前を挙げ(実際にこれらの選手は開幕戦に出場しています)、試合状況の叙述で再び取り上げる文体に問題があるとは思いません。「分散開催」と述べた前の文を更に詳述するための接続詞である「即ち」の除去を含め、Call Tenderasさんの編集が叙述の質の向上につながっているようには見えないのです。なお、現状の文章では、松永・井原・小村・ラモスなどの人名へのリンクが消滅している点についても指摘します。
最初の編集も含め、御自身の編集理由を簡潔に述べようとするCall Tenderasさんの方針を否定するつもりはありません。ただ、個々の事例については説明不足があるのではないかと危惧する部分もあります。荒らし投稿の修正を別にすれば、公正な価値判断が求められる削除作業は加筆以上にその項目に関する豊富な知識が必要であるはずですので、Call Tenderasさんからさらに具体的な検証と御意見をお聞かせ頂ける事を希望します。--Rc21 2008年12月16日 (火) 01:20 (UTC)[返信]
1については一般的に50000人以上も収容できる国立競技場と言えば国立霞ヶ丘陸上競技場を指すのが一般的かと思いますし、本項目で西が丘があることを意識する必要性が感じられません。また競技場が複数あることについては、参照先で説明していることであり、敢えてここで使い分ける必要性を感じません。2については、新聞記事等の出典があるのであれば明記してください。3については、ストイコビッチの感想は当然「グランパス」の試合が一番印象深いものになるでしょうし、アントラーズの成功という観点から見れば、この試合が印象強いのは当然でしょう。ただ、ヴェルディやマリノスの選手は、自分達の開幕戦が一番印象強かったという記述もなされており、矛盾します。しかも、私にとって印象深い試合は、それ以外の試合です。どれが一番インパクトがあったかどうかは、見る側の視点により大きく異なるところであり、これを結論付ける根拠は難しいのではないかと思います。いずれにせよ誰にとってインパクトがあったのかどうかという視点での記述をお願いします。4については、東京都内の会場で観衆が集まる=東京都内のファンが多いというのは、結論付けるには余りにも短絡的ではないでしょうか?東京都内に独自のサポーターグループがあるのであれば、その根拠等を記載すべきであり、それは鹿島アントラーズの項目で述べるべきことかと思います。また鹿島の躍進は開幕戦だけを根拠に述べるには適当なのかどうかも疑問に感じます。また6については、出典を明記してほしいと思いますが、いずれにせよWPのサッカーファンユーザー群で合意が得られたからといって記述するのが適当かどうかは判断が難しいものと思われます。阪神ファンと同種のことで、独自研究の域はぬぐえません。また7についても代表選手が多くいたことに関しては異論はありませんが、守備の選手の代表が多い=そのチームは守備的というのも余りにも短路的ではないでしょうか?複数のサッカー解説者等がそのような説明をされているのでしたら、削除しようとは思えませんが、いずれにせよ出典が必要ではないかと思います。--TENDERAS 2008年12月16日 (火) 01:56 (UTC)[返信]

インデントを戻します。要出典の範囲を指定されてから1週間足らずでの削除では、あまりに拙速ではないでしょうか。しかも、前の編集で新たにCall Tenderasさんが削除された部分には、この「Jリーグ開幕節」に直接関連する記述が複数含まれています。従いまして、開幕節の各試合の詳細なデータを付記された部分などは残しつつ(この点についてはCall Tenderasさんに感謝を申し上げます)、Call Tenderasさんによる最後の編集のみを差し戻し、その上での修正や付記をして、版を更新させていただきました。なお、最後の編集の中でも、有用と考えられた物につきましては積極的に取り入れ、これを存置させています。

本来ならば「週刊サッカーマガジン」や「週刊サッカーダイジェスト」などのサッカー雑誌のバックナンバー、あるいは他の一般紙やスポーツ紙の当時の日付の物なども挙げるべきですが、その入手元はごく限られているので(サッカーマガジンのバックナンバー閲覧サービスは1970年までです)、まずは比較的多くの図書館で揃えられている「朝日新聞」(以下「朝日」)の縮刷版(1993年4月号~同年6月号)を閲覧し、一部はコピーしました。

まず1.ですが、既にCall Tenderasさんが開幕戦の詳細な記録記事で「国立霞ヶ丘競技場」と明記されているので、もうこれは議論をせずにこの状態で構わないと考えます。ただ、「三浦知良」と「カズ」の表記に関しては、「一般表記として定着している」という私の指摘に対してCall Tenderasさんからの返答がまだございませんので、ここについては引き続きお尋ねします。

2.では、この時期の「朝日」では「オランダ」という固有名詞は出ないものの、ラモスや加藤などのベテラン選手が起用法や戦術を巡って首脳陣と対立という記事が敗戦の理由としてしばしば登場します。これについてはまだ継続した調査が必要であると考えます。

3.については本文中でいくつかの情報を挙げました。ここでは、5月17日付の「朝日」スポーツ面に載った3枚の写真は、ジーコがハットトリックを決めた場面、鹿島の選手に囲まれるリネカー、そして日本人第1号ゴールを打った瞬間の風間八宏だった事も付記します。この一連の記事からも、アントラーズ-グランパス戦への注目度の高さと、その結果の意外性が読み取れます。また、この試合がJリーグ開幕そのものを取り上げるテレビ番組にも取り上げられ、さらに2008年に至るまで両チームの間で語り続けられた事は既に挙げた通りです。ヴェルディ-マリノスは2008年の「クラシコ」命名で回顧されましたが、グランパスのカシマ初勝利ほどの報道量はありませんでした。また、ガンバとレッズの間で戦われた2008年のACL準決勝の際に15年前の開幕戦を取り上げた記事は、私の知る限りでは1つだけです。 このような事から、「アントラーズ-グランパス戦の5-0という結果は開幕節の中で最も衝撃的であった」し、「この試合はその後のJリーグの歴史の中でも最も大きく取り上げられた」という記述は、十分に客観性を持った記述となっています。

4.については、アントラーズの公式リリースをまだ読んでいませんが、他のクラブと比較すると東京都内開催での観客数の多さが明らかに読み取れます。2004年に新潟県中部地震が発生し、ビッグスワンが使用不能になった際、アルビレックス新潟は10月31日に予定されていた柏レイソル戦を11月10日に国立で代替開催をしました。この時の観客数は11,150人でした。この試合を除いたこの年のアルビレックスの主催試合平均観客数は39,584人です。また、主催試合24試合で平均12,112人が観戦したコンサドーレ札幌も、西が丘で開催した4月7日の福岡戦では2,161人しか集まっていません。この事を考えれば、3年間に及んだアントラーズの国立開催での観客数の多さは十分に記述に値します。 また、「アントラーズのクラブ史に占める開幕戦の重要性」の記事は散見されます。5月17日の「朝日」では、Jリーグ開幕シリーズのレビュー記事の中で「集客力に明暗」としてカシマが取り上げられ、「後援会員の無料パス入場を六千人と見込んで発売したが、実際に来た会員は二千人前後で、その分が空席になった」というマイナス面での紹介が成されていました。また、現在のネット上でも、アントラーズがファンクラブ会員のマーケティング活用用に導入した新システムの受注会社から、「1993年のレギュラーシーズン開幕戦でジーコ選手がハットトリックを決めた直後からFC会員数や来場者数が急増」という一文がリリースに含まれています[2]。これは、開幕戦の快勝を機に、チーム選考段階で川淵が危惧した「周辺人口の少なさ」が「より濃密な地域密着活動=『サッカーを軸にした町づくり』の実現」の基盤へと転換した事の表れです。なので、この記述は「鹿島アントラーズ」の項目と共に、この「Jリーグ開幕節」でもなされるべきものです。

5.について「朝日」では、ヴェルディでは敗戦後に主力選手が選手起用や戦術について不満を述べる事が数試合に渡って報じられ、内紛の継続が伝えられています。また、6月14日に加藤久が退団を申し出た際には「試合に出場できない」という理由が添えられ、24日に移籍証明書が発行された際にも選手起用を巡る首脳陣との対立があったという説明があります。

6.では、今回本文で示した川島廣守や山藤章二の発言などだけでも、サッカーに対する他競技、特にプロ野球からの警戒感や対抗意識があったことが示されています。また、サッカー人気の急速な拡大と新たなアンチ層の創出は表裏一体なので、この項目内で記述される事に問題は感じません。

7.については、改めて文章を読み返していただきたいと思います。私は「マリノスが守備的だった」と書いているのではなく、「守備的な選手ではマリノスの選手が日本代表に多く選ばれていた」という書き方をしています。これは「マリノスの守備陣が他チームと比較して秀でていると評価されていた」という事実とつながります。実際、開幕日の「朝日」の展望記事でもマリノスの守備力は高いと紹介されていたのは、本文内の注釈の通りです。

また、それ以外の部分に関しても、Call Tenderasさんの修正に疑問を感じます。開幕節で勝利や得点を挙げられなかったチームに関し、その後の試合での記録状況を付記するのは決して無用な記述ではありません。また、体裁整理と称して文章の削除を行った結果、文意が通らなくなる接続詞の除去や、文中の不自然な体言止めなどが発生しています。 以上の理由から、1つ前の版をベースに修正を行い、かつ最終版での校正の中で明らかに改善したと認められる部分については取り入れる方向で編集をさせていただきました。以上の点を踏まえ、改めてCall Tenderasさんや他の皆さんからの御意見をお願いします。--Rc21 2008年12月21日 (日) 07:11 (UTC)[返信]

返答します。1のカズの標記の件ですが、一般的に定着していることは否定はしていません。しかし、記事中で愛称を用いる必要性を感じません。ジョホールバルの歓喜でも「カズ」とは説明していませんが、ここの記事だけ愛称を用いる理由が分かりません。明確にして下さい。2・3・4・6については、いろんな記事や事実からつなぎ合わせたあなたの推測は百科事典に書かれるべきものではありません。記事等をつなぎあわせた、あなたの独自研究を載せるのはやめてください。あなたの言う根拠のほとんどが、ある事実から結びつけた推測で書かれている部分が多く、またあなた自身の評価でしかありえません。2については私も調べましたが、「ヨーロッパスタイル」という言葉は出てきますが、「オランダ」という言葉は出てきません。3については、既に何度も理由を述べています。誰にとってインパクトがあったのですか?はっきりしてください。4については、なぜ新潟が引き合いに出されるのか分かりません。5・7については、検証性という意味では特に異論はありません。6については、阪神ファンアンチ巨人と同種の問題性を感じます。よってテンプレを貼ります。あと、初得点がいつであったかは本記事で述べることではなく、それぞれのチームの項で述べるべきことだと思います。開幕節で起こらなかった出来事を注釈で述べる必要性を感じません。--TENDERAS 2008年12月21日 (日) 08:52 (UTC)[返信]


ウィキペディアでの編集のための時間が取れずにいるうちに、Call Tenderasさんが表での編集をされています。来年の年明け、遅くとも新シーズンの開幕までに新たな資料を基にした追加調査をしてからこちらに書こうと思っていましたが、そこまでお待ちいただけないようなので、現時点でのコメントを付けます。
まず、「あなたの独自研究を載せるのはやめてください」という御指摘は不適切です。「事実のつぎはぎから推測して私だけの推論に結びつけている」というCall Tenderasさんの認識は逆で、「当時の現象がそれぞれの事実として現れ、報道されている」のです。「独自研究」の項目と照合していただいて構いませんが、ここで挙げられた問題のうち、2.以外はいずれも複数の、それも一般的には信頼性が高いと評価されるJリーグの公式記録物や一般紙(朝日新聞)の報道などによって既に論述しています。
むしろ、2.については既に自制しています。ヴェルディサポーターの個人サイトで紹介されている、歴代監督の変遷からまとめた「ヴェルディ小史」の中に1993年当時のバルコムコーチが進めたオランダ路線の顛末が出てきますが、信頼性の問題を考慮して情報源としての利用を見合わせています。なお、そのサイトは出典として『サッカーマガジン』などを挙げていますから、本来はある程度の信頼性を寄せても構わないレベルです。
また、逆にCall Tenderasさんにお尋ねします。2.について「私も調べましたが~出てきません」とお書きですが、他の項目も含め、どのような手法で、何を調べられましたか?
インターネットの普及がまだ進んでいない15年前の流行物では、今になってネットで検索しても上手くヒットしない、あるいは情報量が乏しい事はしばしばあります。現にこの項目の関連語句でも「チアホーン」「J's THEME」「CATEGORY-1」はこの時点でウィキペディア未執筆なのですから(早期に赤リンクが消える事を期待していますが)。15年前のバックナンバー所蔵施設が限定されている「サッカーマガジン」や縮刷版が発行されていない「日刊スポーツ」のチェックまでは求めませんが、せめて公共図書館には縮刷版が常備されている例が多い朝日・読売・毎日・日経などの全国紙の縮刷版、あるいは年度別の『現代用語の基礎知識』などの各種事典での確認はされたのでしょうか?少なくとも朝日の3ヶ月分だけでも、私が本文中やノートで挙げたこれだけの材料が出てきます。「Googleで出てこなかった」という程度では、「情報不足による削除」というミスを犯していないという主張は成り立ちません。
つまり、Call Tenderasさんについて一番疑問に思うのは、「この項目に関して、記事を執筆できるだけの知識をどれだけお持ちですか?」という所です。ウィキペディアの項目として整合性が取られるような体裁整理はされていますし、開幕戦のメンバー表などは有用な情報ですが、それ以外での付記がほとんどありません。
また、Call Tenderasさんが疑問を呈され、あるいは削除されても、「リネカー対ジーコへの注目」「カシマの空席の消滅」「1993年の狩野健太」など、現在のオンラインや同時代の資料などで確認され、私が出典を明記した項目はこの時点でも多く残っています。例えば、3.でもCall Tenderasさんは「Rc21の独自研究」という批判をされていますが、「メディアを含む当時のサッカー関係者の間では5-0という大差は意外な結果であり、大きく報道された。また、その後も当事者の両チームの間で開幕節に端を発したグランパスのカシマ連敗記録が意識された、あるいはJリーグ報道の中で注目され続けたという点で、他の4試合よりも大きな影響を残した」という事実を、複数の信頼に足る出典を付けて書いている点では、既に存続の方向で固まった上記の各テーマと同じ性格の記事です。これは他の項目でも同様の事が言えます。
今回の新たな編集個所の中でも不思議な点があります。「転売防止やダフ屋の抑制効果もあった」開幕戦チケットの購入者名明記を残しているのに、「開幕戦のチケットを高値で売ったダフ屋が3人捕まった」翌日の新聞記事の参照を除去するというのはその最たる物です。また、ヴェルディのプレースタイルの説明の不明確さを理由にしたのか、マリノスの記述まで削除されるとは予想しませんでした。この部分を含め、削除した部分を他の項目に移動する(例えば、中山雅史の1つ目の『オフィシャルガイド』インタビューは「1992年のJリーグカップ」でもおかしくはない記述です)という作業もされず、このままではウィキペディア総体としての記述の矮小化、知識の集積の後退を免れません。
ウィキペディア自体に割ける時間も各自によって異なり、また責任のある記述をするためには調査のための時間と手間(と資金)が必要であるという事もお考え下さい。その上でCall Tenderasさんには、即レスではなく、年始休暇が明けて公共施設や学校の図書館で多くの資料に当たる事が可能になった後で、御自身の編集に関する逐条的、かつ具体的な御説明を求めます。1.での「三浦知良」表記への統一については相応の理由があるという点で理解し同意しましたが、それ以外に関する部分はあいまいで、議論の展開や収拾案の作成には不十分です。Call Tenderasさん、及び他の皆さんの御理解と御協力を御願いします。--Rc21 2008年12月30日 (火) 03:37 (UTC)[返信]
大前提として言いますが、私が本節に関する知識がどれだけあるのかどうか、あるは私がどれだけ調査をしたのかどうかは、執筆活動には関係ありませんWikipedia:出典を明記するを参照して下さい。また、あなたが執筆する為にどれほどの時間や労力をを割いているかどうかはウィキペディアでは全く関係ありません。前には提言から3日経って編集したら「早すぎるのでは」との発言があり、今回の編集では長い目に期間等を設けましたが、「私の準備が整わないうちに編集された」では、Rc21さんの都合どおりにしか編集してはならないとも取れます。この記事の初版がRc21さんであるからと言って、別にあなたの都合に合わせて編集する必要性を感じません。
また、理由にも付記していますが、ダフ屋が捕まったことが開幕戦にどれほど影響したのでしょうか?また冒頭で中山発言を参照に付記する理由は何でしょうか?私には文章の構成から、あまり意味が分かりません。Wikipedia:素晴らしい記事を書くにはも参照してください。
念のため申し添えますが、私が調査したの情報源は1992年当時に刊行されたスポーツ雑誌や現代用語の基礎知識です。これらを情報源に記述も可能であり、その情報源を元に各種選手のインタビューの掲載等も可能は可能ですが、開幕節という記事の趣旨でより重要な発言や関連性の深い発言等に留めるべきであると考えており、過剰な記述になることから控えております。---TENDERAS 2008年12月30日 (火) 12:35 (UTC)--TENDERAS 2008年12月30日 (火) 13:46 (UTC)(追記)[返信]
どうも御理解いただけていないようで。「付け加える」ならまだしも、「既存の記述を無用、あるいは有害な物として除去する」作業を行い、その結果を安定した記事として存続させるためには、その編集者が項目内の他の記述についても正当な価値基準を適用でき、自分の編集理由を他の閲覧者に対して合理的であると納得させるだけの識見が必要です。通常は文章一本の削除にそこまで厳格な適用は求めませんが、筋論としてはこうであるはずです。そうでなければ「単なる好き嫌いで削った」だけという批判を封じられないからです。
その批判に対して有効な反論を行うためには、各種の記述の出典明記やその資料への批判が必要です。ですから時間や手間が必要で、図書館での資料調査が容易になる年明けまで待ちましょう、そこで各自の編集に対する具体的な理由付けをしていただきたいとしました。私もその時期に新たな調査を行おうと考えていたので冒頭の書き方になったのですが、Call Tenderasさんにはその意図が通じなかった上、御自身の編集理由について相変わらず抽象的な発言しかいただけないのは、残念でなりません。Call Tenderasさんは上の発言で「出典を明記」の参照を要求されていますが、求められている私の方がずっと多くの情報源を提示しています。また、「素晴らしい記事を書くには」の冒頭、「執筆の前に下調べする」でも図書館での蔵書調査などが奨励されていますが、Call Tenderasさんはこれをどこまでされましたか。
具体例として「ダフ屋の逮捕」を挙げましょう。これが「開幕戦の勝敗に影響した」なんて事は全くありません。ただ、チケットの記名制導入の中にはダフ屋抑止も視野に入っていたので、「その結末はこうだった」という観点からみると、記述の関連性は認められます。あとは、これを書くか書かないかという個人の判断の問題で、私は「信頼度の高い情報源から確認が可能であるなら、記述される事に支障はない、ただし本文中に書くと記述が煩雑になるので、脚注での付記が妥当」と考えたまでです。ですから、別の出典を明示する、あるいはその資料が信頼性を持たないなどの理由の提示により「この記述は書いてはいけない」、あるいは「書かない方が閲覧者の理解を助ける」という説明をお願いしたかったのですが、どうもそこまでのご判断ではなかったようです。「書かれた意味が分からない」なら確かにそれ以上の記述は無用でしょうが、それでは具体性に欠け、説得力を持ちません。そこが、Call Tenderasさんが「他項目での記述との一致」という編集理由を明示された1.との違いです。
最後に付記する形で、Call Tenderasさんが御自身の情報源を挙げられていますが、その記述が御自身の編集のどの部分に対応しているかが示されていないのは不十分です。『現代用語の基礎知識』を参照されたのでしたら、年版を明記した上で、その中にある各用語の記述を引用して示していただく事を求めます。それは「煩雑な記述」ではなく、Call Tenderasさんが御自身の編集の正当性を証明するために必要な作業です。もう一つ、「1992年」の「スポーツ雑誌」というのも、1993年の出来事を理解し、編集に参加するためには不十分な情報源ではありませんか。
いずれにしても、上でCall Tenderasさんが説明された御自身の編集理由は根拠が薄く、これで記述の安定化を図る事には賛同できません。今までCall Tenderasさんが引用されたウィキペディア記事執筆の基本方針にどの点で則っているかをお示し頂きながら、批判に耐えうる資料の明記、あるいは理論の構築に基づいた厳密な論証の提示を求めます。--Rc21 2008年12月30日 (火) 15:54 (UTC)[返信]
(インデント戻す)スポーツ雑誌は1992年と書いていましたが、1992年から1994年を参照しました。これは訂正します。しかし参照したまでで本記事の執筆内容にはあまり影響していませんし、それを参考に記事を加筆はしていません。また、あえて雑誌名を表記していないのは、この雑誌の利用方法が本記事の執筆内容が事実と異ならないかどうかの確認程度に使用したまでであり、執筆内容にはまったく参考にしていないからです。私は本記事については「体裁整理」と書いて「百科事典的」な記述に替えているだけで、その私に「よく調査しているのか?」と言われても困ります。記事内容を大幅に削除したことはあっても、記事内容の根本を編集した覚えはないのですから。編集理由に根拠が薄いとか批判に耐えうる資料の明記とか言われても困ります。Wikipedia:検証可能性#出典を示す責任は掲載を希望する側にWikipedia:過剰な内容の整理を参照。
ダフ屋の話を例に取りますが、逮捕者が出たのは事実でしょう。しかし、ダフ屋対策を十分練っていたとしてその対策が奏功をなしたかどうかまでを本記事で執筆する必要性を感じません。本記事における開幕戦に限らず、ダフ屋行為については横行していることであり、もし本記事で執筆が必要であるとするのであれば、ダフ屋行為という視点にたって、この開幕戦が特別であったかどうかだけです。少なくともこの開幕戦のダフ屋行為がどこまで社会的影響を及ぼしたかどうかまでの出典は必要だと思います。
また中山発言ですが、要約するとJリーグ活況について、当時Jリーグに参加しなかった人のコメントですが、なぜこの人のコメントだけが特筆されるのか理解できません。当時JSLからJリーグでの変化について多くのコメントが寄せられているところであり、中山だけが特筆される理由がありません。
また浦和サポーターたる吉沢康一の記述にも言えることで、何が言いたんですか?と疑問を持たざるを得なかったため削除しています。この人物がかなりの著名な方で、社会的影響力のある方であれば、執筆根拠になるのかもしれませんが、特筆する理由が分かりません。
以上は一例ですが、よく調べてから編集してくれという批判に関しては答えようがないというのが私の答えです。--TENDERAS 2008年12月31日 (水) 00:02 (UTC)[返信]
Call Tenderasさんは、自分は単なる「体裁整理」しかしておらず、内容の記述には関わっていないから出典も必要ないし、知識も不要とお考えのようです。しかし、Call Tenderasさんの編集内容は大規模で、多くの記述の存廃に関わっています。その自覚はお持ちでしょうか。何度も書きましたが、記事を削除するのは、ある意味では記事を執筆する以上に神経を使い、考察力が問われる作業です。だからこそ、個別の記述に対する合理的な価値判断と、それに基づいた編集作業の理由付け(正当化)が必要なのですが、Call Tenderasさんにはそれを説明しようとする姿勢が見られません。
それに、多くの記事についてCall Tenderasさんが「要出典」タグを付記し、出典の提供を求めた結果が、中山雅史やクラマーのコメント、あるいは開幕節の各試合の周辺状況を伝える、信頼性が高いと評価される各種新聞・書籍の記事に基づいた記述の増加です。これは「多様な視点からの記述の充実」であり、「過剰な内容」と断じられる性質の物ではありません。バイト数は増加しましたが、当該項目と明らかに無関係の記述は含まれていないからです。そもそも「過剰な内容」と判断するためのガイドラインも制定されていない状態で、この項目を理由にしてCall Tenderasさんの大量削除を正当化するのには無理があります。中山については、「チームがJリーグ初年度に参加できる可能性があった」「しかし現実はJリーグの隆盛を複雑な感情で見ている」「日本代表を通じてJリーガーとの関係も深い」という立場にあり、しかもカレのインタビュー記事がJリーグの公式ガイドブックに掲載されているという点での特筆性があります。その点での「資料の検証」を行われた形跡がCall Tenderasさんにはないのです。
ダフ屋に関しては既に申し上げました。繰り返しますが、「ダフ屋の出現と摘発」は「チケットの記名制」に関連付けられる事象であり、広く伝えられた事実です。「ダフ屋の出現そのものに社会的影響を求める」のは過大な要求です。
そして、私がCall Tenderasさんの知識不足、あるいは記事削除時の確認不足を改めて感じたのは、吉沢に関する上記のコメントからです。私が吉沢の開幕節の回想を引用したのは、これがJリーグ自身の手で運営されているウェブサイトの「J's GOAL」に掲載された点で他のサポーターの回想よりも信頼性の高い記事になっており、サポーターの視点から開幕節を回顧させる事は閲覧者により豊富な情報を提供することができると判断したためです。
もう一つ言えば、Call Tenderasさんは吉沢について「何も知らない」のですか?自分でも先ほどGoogleで検索しましたが……ここでは、「J's GOAL」というJリーグの公式メディアに寄稿を依頼される、現役のサッカーライターとだけ書いておきましょう。それ以外の吉沢の活動情報はウィキペディア自体の中でも触れられていますし、「J's GOAL」が吉沢に寄稿を依頼した理由もそこから見えるでしょう。
2.の「オランダと欧州の混同」でも感じましたが、Call Tenderasさんは該当項目に関する知識も調査も足りないまま、「体裁整理」に留まらず既存の記述の大幅な削除を行っているというのは、大きな問題だと考えます。しかも、再三の依頼に対して、御自身の編集理由や既存記述の問題点はウィキペディアの編集方針のどの条文に則っているのかという具体例が十分に示されないまま、本項目での編集を続けている点も見過ごせません。
以上の点から、私はCall Tenderasさんの一連の編集に対して同意いたしません。ただし、このままでは妥協点が見えず、不毛な論戦が続いてしまいます。そこで、合意形成のためのコメント依頼を提出し、より多くの方を交えての議論により事態の収拾を図りたいと考えます。--Rc21 2008年12月31日 (水) 05:58 (UTC)[返信]
私は出典のはっきりしているものや関連の深い記述については削除していませんが、中山発言やヴェルディの戦術など、出典からははっきりしないものや関連性が薄いものを削除しています。あと、Jリーグのオフィシャルサイトや公式ブックに載っているから重要であるという根拠づけはよくわかりませんし、オフィシャルサイトに載せるかどうかは公式サイトの判断であり、それらの基準がウィキペディアで載せるべき根拠になるかどうかといえば必ずしも一致しないのではないかと思います。たとえばそのサイトには、他のサポーターの感想ものっていますが、吉沢氏の回顧がOKであれば、それらも載せてもよいという解釈になると思います。他の多くの方々がこの開幕節について意見を述べている中で、彼の重要性がわかりません。それほど重要であるのであれば浦和レッズの項目に載せればよいのではないでしょうか?--TENDERAS 2008年12月31日 (水) 07:21 (UTC)[返信]

(インデント戻します)コメント依頼を見て参りました、垂耳犬と申します。項目内容は読み応えがあり、Jリーグ開幕のころの熱気を思い出しつつ、楽しく読ませていただきました。さて、Rc21さんの記述を残すか削除するかでTENDERASさんと議論になっているとのこと。基本的には出典があるかないかで判断し、出典が無い記述は原則削除、出典がある記述は存続寄りで考えつつ個別に項目との関連性・必要性で判断するべきかと思います。 以下Rc21さん版[3]とTENDERASさん版[4]を比較してみて、個別に。

  • 中山雅史のコメント:出典がありますし、当時Jリーグに参加していなかった外部からの視点という意味でも有用と思いました(中山自身の知名度も相当でしょう)。残しておいていいのでは。
  • ダフ屋の逮捕報道:ダフ屋対策も兼ねて、Jリーグ側が特別なチケットを採用したことを記述しているのですから、その結果(逮捕者が出た=ダフ屋の完全排除は不可能だったこと)も記述しておいた方が読者に親切でしょう。TENDERASさんの主張する「開幕戦のダフ屋行為がどこまで社会的影響を及ぼしたかどうかまでの出典」は、必要ないと考えます。
  • ヴェルディのスタイル:方針に準拠した出典なし。疑問を呈している方がいる以上、「オランダ流を目指していた」という記述を残すには、やはりしっかりとした出典が必須だと思います(私もブラジル路線に転換したのは覚えていますが)。
  • …5試合の中で最も強い衝撃とその後への…:厳密に考えると、検証不可能な表現なのでは?と考えますので、削除に賛成します。この表現がどうしても必要だとも思えませんし。ただ、「…5試合の中で…」と明記してある資料があれば、引用として記述できるかもしれませんね。余談ですが、誰がどの試合に衝撃を受けたかは、居住地域での報道内容によっても異なるでしょう。私がもっとも衝撃を受けたのは、この試合ではありませんでした。
  • 吉沢康一:J's GOALへの外部リンクがあれば、脚注で記述しなくてもいいと思います。この外部リンクは方針上も問題ないでしょう。
  • アントラーズの国立代替開催:あえてこの開幕節に絡めて記述する必要性を感じませんでした。代替開催は数年後の話ですし「ここで獲得した都内サポーターを背景に」というのは強引にすぎるかと。
  • 山藤章二の寄稿引用:脚注に引用した部分だと、サッカーに迎合した内容ですね。これを記述するとしたら、重要なのは「やがてサッカーへの反感を表明し」の具体的内容も引用して発言の変化を比較することではないでしょうか。1999年の著書では開幕から6年後ですし、遅すぎるのでは?現状では、山藤章二について全削除でいいと思います。
  • 最後に。記事の大部分を執筆し、精力的に出典確認も実施しているRc21さんの活動に敬意を表します。ですが、TENDERASさんに対して「該当項目に関する知識も調査も足りない」とは言いすぎだと思いました。議論の相手を非難しても、話が横にそれていくだけですし・・・。皆で協力して、より上質な項目にしていきましょう。長文失礼しました。--垂耳犬 2009年1月9日 (金) 16:41 (UTC)[返信]
垂耳犬さん、コメントありがとうございます。念のため、意見します。
ダフ屋ですが、今のところ転売防止の為に作成したという出典はありません。ダフ屋行為の為に特別に作ったのだろうという推測と逮捕者が出たという事実を結びつけた憶測めいた記事になっているような気がします。また中山発言については、重要発言であるのであれば、本項よりも中山雅史の項で述べればよいかと思います。--TENDERAS 2009年1月10日 (土) 11:00 (UTC)[返信]
(お返事)大変遅くなりました。数回地元の図書館を訪れる機会があり、出典となり得る書籍などを探してみましたが、残念ながら見つけることができませんでした(Jリーグ黎明期の運営に触れた書籍はほとんど確認できず。当時の日本代表についてならそれなりにあるのですが)。
  • ダフ屋の逮捕報道:Wikipedia:検証可能性を厳密に適用すると、ダフ屋については書くべきでない、ということになりそうです。個人的には「ダフ屋対策も兼ねて作られた特別チケット」なのだろうとは思いますが、除外すべきとの意見があり裏づけとなる資料がないのでは仕方がありません。他力本願ですがRc21さんの調査に期待します。
  • 中山雅史のコメント:中山雅史の項目で述べればよいとの御指摘について。当該項目を確認したところ、「中山の発言」という節が設けられ様々なコメントが載せられていますが、なんと出典が一つもありません・・・。現状でこのような節へ移動するのは賛成できません(私には他のコメントに対する出典を探す余裕がなく責任が持てません)。出典があるコメントであり、この項目に記述してもいいと考える利用者が現状2名いるという点も踏まえて、TENDERASさんには対応を検討していただきたいと思います。以上、お返事とさせていただきます。
  • 以下余談。サッカーマガジンのバックナンバー閲覧サービスが、そのうち1990年代も公開してくれることを期待していたのですが、サイトリニューアルにより閲覧サービス自体がなくなってしまいました・・・。国会図書館などに行くしかないのかなあ。--垂耳犬 2009年1月26日 (月) 13:54 (UTC)[返信]
お返事ありがとうございます。中山発言の記述復活に絶対反対というわけでもないのですが、記述する理由がイマイチ分かりません。ちなみに中山発言については、#社会への影響の節でも出典としても利用されています。後段の項では、いわゆるジュビロのJへの昇格への思いとして用いられており、これはこれでいいと思っていますが、削除したところは、観客数が単に多かったことに関する中山さんの感想なんですよね・・・。私はこのような単なる感想の列挙は好ましいものではなく、このような記述が雑多な記述を多くしている原因ではないかと思っています。ダフ屋でも同じですが、本記事の充実を考える余り、雑多な記述が増えていくことにはどうにも納得できません。--TENDERAS 2009年1月26日 (月) 14:47 (UTC)[返信]

なんとか21って人はなぜそんなに出典なしの記述(=独自研究)を載せようと躍起だったんでしょうか…59.190.151.74 2021年9月2日 (木) 04:24 (UTC)[返信]

その後の影響の名前について[編集]

上記の節で意見の隔たりがありますが、別件で。最初に加筆した辺りから疑問に思っていたのですが、冒頭に「そこに向けた準備とその後への影響について記す」という説明があり、「その後の影響」という節があります。表現の仕方の問題かと思いますが、「影響」という表現は避けて、「そこに向けた準備とその後について記す」「その後」という名前に変更した方がいいのではないかと思います。
例えば「リーグ自体への影響」という項目があり、ヴェルディの巻き返し等の記述がありますが、これらのことは開幕戦だけが影響したとまでは言い切れるものではなく、1stステージでの全体の戦い方を反省して、ヴェルディが巻き返したものだと思います。また社会への影響というのも、開幕戦だけが影響したのではなく、開幕戦を含めた異様な盛り上がりが影響したのであり、開幕戦だけで起こったものではありません。
しかしながら、単に「その後」とすれば、現在の記述に大きな問題があるわけではなく、記事を生かせます。ご意見をお待ちしています。--TENDERAS 2009年1月5日 (月) 15:19 (UTC)[返信]
特に意見がなかった為、修正しました。--TENDERAS 2009年1月13日 (火) 15:21 (UTC)[返信]


記事の存続について[編集]

そもそも必要なんでしょうか。219.105.210.136 2009年5月31日 (日) 13:51 (UTC)[返信]