ノーベル・オースチン
ノーベル・オースチン | |
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プロフィール | |
リングネーム |
ノーベル・オースチン ブラック・パンサー ザ・シャドウ |
ニックネーム | 狂った黒猫 |
身長 | 178cm |
体重 | 102kg(全盛時) |
誕生日 | 1951年3月9日(73歳)[1] |
出身地 |
アメリカ合衆国 フロリダ州 エスカンビア郡ペンサコーラ |
トレーナー | スプートニク・モンロー |
デビュー | 1970年代初頭 |
引退 | 1980年代末 |
ノーベル・オースチン(Norvell Austin、1951年3月9日[1] - )は、アメリカ合衆国の元プロレスラー。フロリダ州ペンサコーラ出身のアフリカ系アメリカ人。
1970年代から1980年代にかけて、フロリダ、アラバマ、テネシー、ジョージアなど南部を主戦場に、主にタッグチーム・プレイヤーとして活動した[2]。
来歴
[編集]デビュー後の1970年代初頭はスプートニク・モンローのパートナーとしてヒールのポジションで活動、1972年2月にはモンローに同行して日本プロレスに初来日している[3]。帰国後もモンローと共にNWAの南部テリトリーを転戦し、エディ・グラハムの主宰するフロリダ地区ではジャック&ジェリーのブリスコ・ブラザーズとNWAフロリダ・タッグ王座を争った[4]。なお、モンローとのコンビは当時では珍しい白人と黒人によるヒールの混成タッグチームとして、"Black is Beautiful, White is Wonderful" をキャッチフレーズにしていた[5][6]。
モンローとのチーム解散後、メキシコ湾岸のガルフ・コースト地区を経て、1975年よりテネシー州メンフィスのNWAミッドアメリカ(後のCWA)に定着。ベビーフェイスに転じてパット・バレットやビル・ダンディーとタッグを組み、ハリウッド・ブロンズなどのチームと南部タッグ王座を争った[7]。1970年代末にはジム・バーネットの運営するジョージア地区にも進出、黒人レスラーの先輩ルーファス・ジョーンズと組み、1979年4月25日にイワン・コロフ&オレイ・アンダーソンからNWAジョージア・タッグ王座を奪取している[8]。ジュニアヘビー級戦線でも活動し、アラバマのSECWではトニー・チャールズとUSジュニアヘビー級王座を争った[9]。
1980年9月には、ビル・ドロモ、ロン・バス、そして第2次シリーズより参加のビッグ・ジョン・クインやアレックス・スミルノフらと共に、当時アラバマやテネシーからの外国人招聘ルートを持っていた国際プロレスに来日[10]。エースのラッシャー木村をはじめ、大木金太郎や阿修羅・原ともシングルマッチで対戦した[11]。
以降もベビーフェイスのポジションでSECWを主戦場としたが、1981年に再びヒールターンして、ランディ・ローズ&デニス・コンドリーとミッドナイト・エクスプレス(The Midnight Express)を結成[12]、1980年代に一世を風靡した歴史的タッグチーム・ユニットのオリジナル・メンバーとなった。1982年には古巣テネシーのCWAにて、コンドリーとのコンビでAWA南部タッグ王座を再三獲得[13]。スティーブ・カーン&スタン・レーンのファビュラス・ワンズなどのチームと抗争を展開した[14]。
オリジナル版ミッドナイト・エクスプレスは1983年末に一旦解散、オースチンはCWAに継続参戦し、1984年よりココ・ウェアとの黒人タッグチーム、プリティ・ヤング・シングス(The Pretty Young Things)を結成。PYTエクスプレス(The PYT Express)とも呼ばれ、トミー・リッチ&エディ・ギルバートのニュー・ファビュラス・ワンズ、イライジャ・アキーム&カリーム・モハメッドのザンブイ・エクスプレスなどとAWA南部タッグ王座を争った[13]。テキサス州ダラスのWCCWや古巣のフロリダ地区にも進出し、フロリダではパーシー・プリングル3世をマネージャーに迎え、1985年2月26日にジェイ・ヤングブラッド&マーク・ヤングブラッドのレネゲード・ウォリアーズからUSタッグ王座を奪取している[15]。
PYT解散後はアラバマのSECWに戻り、フェイスターンしてブリックハウス・ブラウンと新コンビを結成[16]。1986年1月6日にはエイドリアン・ストリートを破りNWAサウスイースタン・ヘビー級王座を獲得した[17]。
1980年代末の引退後は、2004年9月にアラバマのコンチネンタル・レスリングにレジェンドとして特別出場、ランディ・ローズとのオリジナル・ミッドナイト・エクスプレスを再結成した[12]。
得意技
[編集]獲得タイトル
[編集]- NWAフロリダ・タッグ王座:1回(w / スプートニク・モンロー)[4]
- NWA USタッグ王座(フロリダ版):1回(w / ココ・ウェア)[15]
- NWAサウスイースタン・ヘビー級王座:1回[17]
- NWAサウスイースタン・タッグ王座:10回(w / ジミー・ゴールデン、ポール・オーンドーフ、ブラッド・アームストロング、デニス・コンドリー&ランディ・ローズ×6、ブリックハウス・ブラウン)[18]
- NWA USジュニアヘビー級王座(サウスイースト版):5回[9]
- NWA USタッグ王座(ガルフ・コースト版):1回(w / ロケット・モンロー)[19]
- NWAジョージア・タッグ王座:1回(w / ルーファス・ジョーンズ)[8]
脚注
[編集]- ^ a b “Norvell Austin”. Wrestlingdata.com. 2023年5月12日閲覧。
- ^ “Norvell Austin”. Online World of Wrestling. 2020年7月4日閲覧。
- ^ “JWA 1972 Dynamic Series”. Puroresu.com. 2015年10月21日閲覧。
- ^ a b “NWA Florida Tag Team Title”. Wrestling-Titles.com. 2010年9月5日閲覧。
- ^ Greg Oliver and Steve Johnson (2005). “Integrating the south”. The Pro Wrestling Hall of Fame: The Tag Teams. ECW Press. pp. 140?143. ISBN 978-1-55022-683-6
- ^ “Sputnik Monroe helped break down color barrier in pro wrestling”. Post and Courier (2020年11月7日). 2022年2月10日閲覧。
- ^ a b “NWA Southern Tag Team Title [Mid-America]”. Wrestling-Titles.com. 2015年10月21日閲覧。
- ^ a b “NWA Georgia Tag Team Title”. Wrestling-Titles.com. 2010年9月5日閲覧。
- ^ a b “NWA United States Junior Heavyweight Title”. Wrestling-Titles.com. 2015年10月21日閲覧。
- ^ “IWE 1980 Dynamite Series I & II”. Puroresu.com. 2015年10月21日閲覧。
- ^ “The IWE matches fought by Norvell Austin in 1980”. Wrestlingdata.com. 2015年10月21日閲覧。
- ^ a b “The Midnight Express”. Online World of Wrestling. 2010年9月5日閲覧。
- ^ a b “AWA Southern Tag Team Title”. Wrestling-Titles.com. 2010年9月5日閲覧。
- ^ “The USWA matches fought by Norvell Austin in 1982”. Wrestlingdata.com. 2015年10月21日閲覧。
- ^ a b “NWA United States Tag Team Title [Florida]”. Wrestling-Titles.com. 2010年9月5日閲覧。
- ^ “The CCW matches fought by Norvell Austin in 1985”. Wrestlingdata.com. 2015年10月21日閲覧。
- ^ a b “NWA Southeastern Heavyweight Title”. Wrestling-Titles.com. 2010年9月5日閲覧。
- ^ “NWA Southeastern Tag Team Title”. Wrestling-Titles.com. 2015年10月21日閲覧。
- ^ “NWA United States Tag Team Title [Gulf Coast]”. Wrestling-Titles.com. 2015年10月21日閲覧。